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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児の義務教育終了後の進路をどう考えてますか?

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やっぱり・・・面白い!!

っていうか・・・

教育の“本質”だと思うことをよく・・・投稿で

書かれている・・・。

立花高校・・・校長ちゃん・・・

(うちの子入学のときは・・・まだ教頭ちゃんだった)

 

うちの子が

(知的しょうがい児であり言語しょうがいもあり

まだまだ・・・ボロボロ校舎だったころ)

入学させてもらった高校・・・

 

うん!うん!させてもらった・・・

 

だって勉強は全く小学校低学年レベル・・・

 

なんとか生活面は困るけど・・・困らない???

(比べる対象がどこかで・・・大きく違う・・・)

ようになってきて・・・

 

高校進学に向けて・・・どうするか???

考えて様々見学に奔走したのは・・・

15年前・・・

 

「しょうがい児だからといって・・・

何で選択肢が

支援学校(当時は養護学校)しかないのか?

疑問に思いなさい・・・」

 

と現在のǸPO法人の前会長に言われ、

そうだ・・・と思い・・・

 

「何で・・・支援学校ではないのか??」

 

と問われる中学校の先生に・・・

 

「何でだと思いますか???」

 

なんて問い返しをし

 

「今までの人はみんなそうだったんで・・・

何でかと思って・・・」

 

から話し合いを重ねていきました。

 

先輩方の歴史、考え方、

世間の常識、当たり前の考え方・・・

 

そのすべてに“疑問符”をつけながら

問い続けました・・・

 

そして

 

「一緒に見学に回られるところは

一緒にみに行きましょう」(おーーー(^^)/)

 

ってなりました。

 

何校まわったでしょうか???

北九州から筑後まで・・・

彼女のできるできないを考え

子どもも含め・・・

まわった・・・まわった・・・

勿論、支援学校も含めて・・・

 

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・・・で最終的に・・・

そのころはまだ・・・

定員割れしていた・・・

この高校の“専願入試”制度をつかって・・・

入学する・・・

ってことを試みましたよーーー

 

入学試験までも動き回ったなーーーー。

 

彼女らを知ってもらう!!

 

だって・・・

受け入れてことがない子達の受け入れを

お願するんだから・・・・

ショウタン(しょうがい児教育推進教員)

今では・・・特別支援学級教員、進路担当、管理職(校長)

全て巻き込ませてもらったんだっけ・・・

 

高校側の校外学習、学校行事・・・

顔出して参加して・・・

 

だってーーー

 

絶対かかるってわかってるから・・・

職員間での

“合格判定会議”・・・

 

この子達知ってもらってなかったら・・・

いやーーー賛成しないでしょーーーー

 

「知らないから・・・難しい」

「いやーーー

かかわったことないから・・・わからない」

 

は・・・どうしても避けたい・・・

そう思っていた。(アドバイスくれる方もいてーーー)

 

たぶん・・・

この子達ほど・・・知的に難しい子を

真正面から・・・

受け入れは経験ないはずだから・・・

 

中学校側も目いっぱい応援してくれて、

動いてくれて

何度も高校側に出向いたり・・・

動いてくれたらしい・・・

 

いやーーー入学試験も衝撃的で

面接会場に入るや否や

「わーーーいやだーーー

はずかしいーーーー」

 

とかなんとか・・・

 

「奇声を上げてしまってました・・・」

 

との報告を受け・・・・

 

「あーーーー落ちたーーーー」

 

そう思ったものでした・・・

 

で・・・も

合格したその高校・・・

卒業式の謝恩会で聴いた・・・

 

「受け入れるか、受け入れないか・・・

合否判定で

本当に僅差だった」

 

と・・・

 

でも・・・

 

「自分たち側が勉強させてもらおう!!」

 

と受け入れていただいたこと・・・

 

そーーーーんなチャレンジャーーーな高校・・・

 

やはり・・・校長ちゃん・・・自然体!!

明日は・・・

その校長ちゃんの投稿をご紹介します・・・

 

気になる方は・・・

Masato saitouで調べてみてください・・・

面白い投稿を読むことができますよ・・・・

 

 

 

 

『障害』児・者に関わっていても・・・差別しないなんてあり得ない?②

『障害』児・者に関わっていても・・・差別しないなんてあり得ない?①f:id:variouspeople:20191124184350j:plain


「障害」児・者に関わっていても

差別しないなんてあり得ない・・・。

 

そう・・・もちろん私も・・・

「障害」児を産んだ今でさえ・・・

すべての「障害」児・者を

差別してないか??と問われると・・・

 

「わからない」

 

のが正直な答えです。

 

まだまだ・・・知らない

わからないことが多い中で・・・

知らず知らずのうちに

「差別」してしまっていることが

あるかもしれない

 

それは・・・

人のことは気づくけど・・・

自分がしている自覚がない

ってコトもあるからです。

知っていくうちに・・・

 

「あの時していたことは・・・」

「あの発言は・・・」

 

と思うこともあり・・・

人が指摘してくれなければ

気づかないまま過ぎていくことも多いのだ・・・

と思います。

 

私たちの会での司会で・・・

誰かが

 

「手短に・・・」

 

といったときにも終わった後に

 

「体の言葉をつかうときには・・・

いいことで使うのはいいけど

「足がない」(車がないこと)

目くら(視覚障害)他・・・

体を悪く使う

言葉は避けた方がいいよ・・・

手短」も一緒だね」

 

と言われたことがありました。

 

その後、全員にその話をし、

気をつけていますが

なかには

 

「そんな細かいこといちいち言われるなら・・・

何も話せない・・・」

 

といった方もいました。

 

そう・・・

どんなことにしても・・・

どんな団体であっても

全員一致で理解できる!!

にはならないのです。

だから・・・って・・・

“排除”なんてしませんよ・・・

わかるように説明を続けたり・・・

あとは極力、理解できるまで

 

『公の場で話させない』

 

ようにする・・・

ってことをやっていきます。

 

もう・・・今ではほとんど使われませんが

昔は“父兄参観”って言われていました。

ほぼ・・・“父兄”は来ないのに・・・

今では・・・

“保護者会”“保護者参観”

って言いますよね・・・

父だろうと兄だろうと母でも姉でも祖父母でも

子どもの保護者ってコトです・・・

これも最初は“習慣”“癖”で・・・

言いなおしをすることが

多かったですねーーーー。

 

「自分は差別しない」

 

そう思うことが、

とても危険なことだと思います。

 

日本は特に単一民族だから・・・

諸外国より

“鈍感”になりやすいのも

あるかもしれません。

 

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“鈍感”もしかり・・・

 

自分の“鈍感”さに気づいてないことも

ありますよね・・・

ときには・・・

それがいいこともありますが

“福祉”の現場でも聴くことがあって・・・

それを見過ごすことはできないなーーー

って思うこともあります。

 

私が入らせていただいている所では・・・

イロイロな話を聴いたときには

 

「それは誰のためにやってますか?」

「不利益をこうむるのは誰ですか?」

「誰のためになんのために事業所をやっていますか?」

「その行動が何を導くと思いますか?」

「事業所は本来誰のためのモノですか?」

 

どんどん・・・いろいろ質問します・・・

 

そのうち・・・

 

「でも・・・今の体制では・・・」

「今の人員では・・・」

 

なんて様々な理由が出てくるんですが・・・

 

「それはどうやったら解決できますか?」

「今の人員で考えられる解決策を挙げるとしたら・・・」

「体制づくりは変えることは可能ですか?」

 

なんて・・・その人がわかるように

腑に落ちるように話を進めていくのですが・・・

いくら言っても、その時はわかっても

「動く」ことをしなければ・・・

何も変わりはしません。

けれど・・・大体100%のうちの0

ってことはなくて・・・

少しづつでも行動していっていただけたりします。

 

変わらない環境にいると

人って“鈍感”にもなってしまう・・・

これは誰でもそうだと思います。

 

毎日の生活の中で・・・

今自分はどうなの???って思ったら・・・

信頼できる誰かと話をする

会をもってみてくださいね

 

自分の頭の上のホコリは

自分では見ることができませんから・・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『障害』児・者に関わっていても・・・差別しないなんてあり得ない?①

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最近ある事業所の方とお話をする機会があった。

何人かと話し・・・

さまざまな意見を聞き話し合いを

重ねたこともあった。

利用者さん同士の問題であったり

事業所の在り方であったり・・・

 

私もコミュニティを運営しており・・・

また、コミュニティにも在籍している。

そして・・・地域そのものも

大きなコミュニティであり

さまざまな問題をぶつけられることや

大きな課題に直面することや

難しい局面に向かい合わせてもらうことも

多くある・・・

 

あるブログで

世の中には

探せばキリがないほど、いろんな差別がある。

お互いの価値を尊重することは

グローバル教育の中で

最も大事な項目なはずだけれども

どんなに

 

「私は、どんなことに対しても差別なんてしない」

「差別なんて・・・あり得ない」

 

と言っている人でも

さまざまな【差別】の中では・・・

そんなことはあり得ないことだと私は思う。

と書かれていた。

 

私自身「障害」児を授かったから・・・

そこの部分から・・・

「差別」について考える機会をいただき

人種差別、性差、LGBT、部落、宗教・・・

のような差別問題に出会う機会も多く

いただいたが・・・

それでも・・・このくらいは・・・

ほんの一部に過ぎない・・・とも思うし

 

そして・・・

自分自身が、それを『差別』と

気づかないことも多くあることも知っている。

 

「差別に気づかないのは、

差別をみのがしているのと一緒」

 

をやってきているのです・・・

 

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私自身、ひどい差別者であることも

実感しています。

 

「障害」児を産んだとき

見たことはあっても

関わったことは・・・

ほんの少し・・・

「まさか・・・自分が・・・」

とまず思い

「どうして私が・・・」

になり

「これからの人生どうなるんだと」

思ってしまった・・・

 

親の自覚0、子ども視点に立たない、自分1番・・・

 

世間からみられる私・・・

 

を思うことしかできなかった。

 

でも・・・そのおかげで・・・

人よりは、もしかしたら

「差別」について敏感になって

来たと思うし・・・

随分・・・やらなくなってきた・・・

とも思う。

子どもにも・・・少しは

「発言のおかしさ」

を教えれるようになった。

 

子どもが

「友達(女子)が体は女なんだけど見た目と心が

男の人と同棲し始めた」

「私がそうなったら・・・どう?」

って聞くから・・・

「そんなこと聴くまでもないでしょ・・・

人の気持ちは、その人のモノだよ」

っていったこともある。

 

でも・・・これも・・・

他人のことは認められるけど

自分の子は・・・困る、違う

って思う人もいるし・・・

 

「同和地区の人と結婚する」

 

といったときも・・・それに似たことが起こることを

何度も見てきた。

言葉では何度も・・・

 

「今どきナンセンスだよ」

 

なんて言ってきても・・・

いざ、自分の身に起こるとそれは大きな問題に

なるようだ。

 

結局・・・人は差別をしてしまう。

だけど・・・

そこにはたぶん・・・理由もあって・・・

それは話せば気づくこともあるかもしれない。

けれど・・・自分はしないように気をつける。

敏感になる。

違いを認め合い、平等を信じる。

 

うちの会も

ǸPO法人筑紫野市「障害」児・者問題を考える会

この名称に意義が来たことが何度もあった・・・

41年前・・・つけた方の思い・・・

 

それをお話しても・・・

今の“価値観”とは違うことも多いから

わかっていただけないことも多い。

でもこれは、

この会の『こだわり』でもあるから・・・

法律が変わって

ひらがな表記になるとか決まったら・・・

はじめて変えることになると思う。

 

でも・・・それに気づいてくれるって・・・

有難いし・・・

凄い!!と思ったりもしているから、

毎回お礼も言っている。

 

あーーー価値観の、差別の話してたら・・・

たーーーくさん話したいこと・・・でてきたーーー

 

長くなるから・・・続きは・・・

また明日。

 

心と体~あなたの中に怒りを持つと?持ち続けると?~

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人間の体って・・・すごいなーーー

そして・・・面白い・・・

って思う医師のブログがあって・・・

それは・・・

私たちが1カ月に1回東京から

来てもらっているボディセラピストさんが

いつも言ってることと・・・

すごく合致していて

とても興味深い内容だった。

 

お題は

 

【あなたの中に怒りを持つと・・・】

 

だった。

 

これは内容としては血液観察報告・・・

最近人に対して『怒り』を持ってる方の診察結果。

義理の息子に対して非常に怒っていて

そのストレスからか

血圧上昇、腰痛、動機などを自覚。

そして、暗視野顕微鏡写真で血液を観察すると

まあーーーとげとげの赤血球が目立つ、目立つ

とげとげのイガグリ状の赤血球

 

科学的には

 

怒り➡ストレス➡活性酸素の放出➡

それによる赤血球のダメージ

 

となりますが

それはそれとして

自分達が思う感情が投影されている

気がしてならない。

 

「怒り」のイメージはとげとげ

 

まだ、科学的には証明されてはないけど

臨床していると・・・そう思えてならない。

 

自分がダメだと責めていると

ヘナヘナになっていく赤血球を見たことがある。

 

そして、このとげとげが見えると

交感神経優位で起こる病気

例えば、潰瘍、糖尿、高血圧などの生活習慣病

そしてガンや認知症などの病気に注意が必要

 

これらの病気は

怒りが1つの原因の可能性があるかも

本当に心と体は深くつながっている

そう思うと書かれていた。

 

そう他の医師の方も話を聴くと・・・

ガンになりやすい気質や

どんな人が早く回復するか・・・って

話を聴いたことがあって

それも・・・どうも

「心」が深く関係しているようだと

聴いたことがあった。

 

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そう・・・私も体をみてもらっている

ボディセラピストさんから

うちの「障害」者の娘を

最初の方にみてもらったときに

 

「すごく“怒り”がたまってるようなんだけど・・・

心当たりある??」

 

って聞かれたことがあった。

 

んーーーどう考えても

そのトキは全然わからなくて・・・

さまざまな方に話を聴いたり・・・

様子を観察したり

している中で・・・

あるヘルパーさんに

私には言わない愚痴や悩みを

話していることが分かった。

そして・・・それは彼女にとって・・・

強いストレスだとわかったことがあった。

 

だから私が

 

「お仕事最近どう?」

「何か・・・話したいことある??」

 

って聞いたとき・・・初めて

 

「お仕事変わりたい」

 

と涙声でべそをかきながら言ったことがあった。

 

そこから大慌てで動いたことがあった。

そう・・・人は・・・

 

「我慢する」「遠慮する」

 

そして、「障害」児・者は・・・

それが・・・とても分かりづらいし

理解しづらいこともある。

だから・・・彼女が・・・

吐き出す場所があって・・・

気づくことができて・・・ホントに良かったと

思った出来事だった。

 

それから・・・

ずーーーっと定期的に私を含め

子ども達の体のメンテナンス・・・

お願いしている。

 

うちの会の子達も・・・

どんなことが今、体の不調に出ていて

何をどう・・・気をつければいいのか???

そんなこともアドバイスをもらったりしている・・・

 

海外は「予防医学」が当たり前・・・

私自身もそこに大賛成・・・

だから・・・

病気をする前に・・・と・・・

いつも思っている。

それは・・・どの方にもそうあってほしいから

心身ともに健やかであるために

毎日が楽しくイキイキ生活ができるように

月一は・・・

彼女とじっくり話しながら・・・

どんなことがこれからの

みんなのためになるかなーーー

なんて・・・

考えている。

みなさんも体の声を

聞きのがさないように・・・

よくわからない人は

体のメンテナンス・・・

みてもらうことをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世の中の流れの中での教育って・・・

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教育の大きな目的は、

社会で活躍する人材を育成すること

 

けれど・・・

時代は流れ、人々の生活様式も

何もかもが変わってきているのに・・・

 

日本は150年前マニュアル通りに

きちんとミスなく同じように

働くことが求められていた・・・

そういう時代の学習法・・・

 

黒板に先生が向かい一斉授業をする

ということから

大きく変化はしていない、

150年変わらない‼️変えないって

それって、ある意味、凄いし

これだけ世の中が変化しているのに

どんな社会に

していこうとしているのか?

どんな社会で活躍、貢献できる人を

育てようとしているのか?

凄く疑問が残る。

 

この間、週休2日制にしてみたり

教員を増加させたり

学校内部では研究授業を開催したり

個性重視とさけばれたり

何も変化してないわけではない。

現に、15歳時の国際学力調査では

日本は常に上位に位置していて

日本は「教育先進国」と言われているのだから・・・

 

けれど諸外国では教育は大きく変わってきている。

学力調査では低い位置にいるブラジル

普通の公立学校で当たり前にテクノロジーを活用し

基礎学力を効率的に習得。

一方通行の座学ではない

グーループディスカッションで

「社会で生きる力」を育む。

 

の国際的な流れを見ても

これからの社会において必要な力を習得する教育

という意味では、日本は後進国なのかもしれない。

 

そんな中、日本の塾ではĄIを利用した取り組みも

始まっているらしい。

一律の授業をするのではなく

全員が異なる自分専用の

オーダーメイドの学習を進めている。

AIの得意な分野「膨大なデータから学習方法を選択する」

習得、苦手、伸び、つまづき、集中状態、忘却度

そんなことを分析しながら

1人1人の最適化教材を作成。

様々な学習データを分析し

効率的に基礎学力を習得できるような

カリキュラムを作成し、

学習が進捗されるたびに

カリキュラムはアップデートされていく・・・

 

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では・・・人間の先生は何をするのか??

それは、生徒1人1人の目標に寄り添って伴走したり

モチベーションが上がるように褒めたり、励ましたり

学習姿勢を見ながら勉強の仕方を助言したりする

いわば・・・「コーチング」を行っている。

 

AIがティーチング、人がコーチング

 

子ども達の反応は

「勉強時間が大幅に短縮できるので

部活や好きなことができる時間が増えた」

「時間が効率的に使えるようになった」

とのこと・・・

 

また大学受験を考えている学生には

大学生の先生と将来のキャリアについて

ディスカッションしたり

大学の就職活動、様々な業界の話を聴いたり

できる時間も確保し、子ども達の目は

キラキラしているという。

 

要は、人間の先生が人にしかできない役割を

集中的にできるようになった・・・ともいえる。

 

日本の教育の変革期・・・

世の中の変革のスピードがどんどん速まってる中

どうなっていくのか??

 

よく先生たちと話し合いをするとき

ズームを使って

全国の人と話していると

「それってどんなシステムですか?」

って聞かれるから説明をして

「こんなことが・・・

不登校の子や親を救うツールに

なると思いませんか??」

っていうと・・・

「んーーーなかなかですねーーーー」

「自分は・・・こういうことは疎いからーーーー」

なんて・・・言われる・・・

(私だって・・・疎いですよ・・・実際・・・)

 

新しいこと、新しいチャレンジ・・・

子どもには『チャレンジ』を求めても

大人は変われない、変わらない・・・

 

「いまのままではねーーーー」

 

そうだよ!!そうだけど・・・

 

『いまのままではねーーーー』

って呟いていても・・・

何も変わっていけない・・・

 

誰のためにどう動いていくのか・・・

それが・・・大きく求められていくのだなーーー

大人が試されている・・・

 

そう思いながら

今日も・・・

「障害」児・者の子どもたちのために

何ができるかなーーーって考えている・・・

 

 

自分の“センサー”は大丈夫ですか??

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最近読んだブログたしか・・・

医師が書いていたなかで

いろいろやって来たけど

からだ直しの最強は、やはり

「ファスティング」

が最も有効だと書かれていた。

 

ふーーむなるほど・・・

最近のセッションの中でも

 

そう・・現在の社会の中では

そんなに「空腹」なんて感じたことがない。

きっと周りもそうではないかな・・・

と思う。

常に「満腹」まではいかないけど・・・

いつでも食べれる環境にあったり

「食べる」ってことは・・・

結構・・・だらだら・・・食べたり

ながら食べ・・・

(テレビ見ながら、何かしながら、スマホ片手に)

なんて・・・

そんなに

「感動する味」「めちゃくちゃ美味しかった」

なんて・・・日々考えずに食しているのかもしれない。

中には・・・「食事」するのに興味さえない人もいたり

(食べる時間がもったいないとか)

なんてことも聞いたりする。

 

からだの不具合を治すために医師も

「ファスティング」が最強というのかあ・・・

 

まずは体の中を空っぽにすること・・・

要は浄化すること・・・

からだを最初の状態にリセットするというか・・・0にするというが~

からだの毒素を抜ききるということか・・・

そんなこと・・・

 

心が疲れたというか・・・悩みをたくさん持ったまま

話を聞くこともあるが・・・

これもまた「ファスティング」が必要と思う。

出してしまうってこと・・・

ときには・・・すべてをってことも・・・

部分的にってことも・・・

んーーーーよくよく聞いてみると

そこ出すよりも・・・こっちかな・・・

みたいなこともあるけど・・・

 

「空腹」から「満たされる」感じ・・・

それは心も体も

今・・・必要とされていることかもしれない・・・

 

なんとなく「満たされた感」みたいなものがあるけど

なんとなく・・・

「乾いた感」も感じられる・・・

 

たくさんの知識や技能はたくさん習得している

情報だって・・・SNSや情報番組やで・・・

たくさん収集している・・・

要は「満腹」状態で・・・あるはず・・・

だけど「満たされない」

いくら・・・食べても食べても・・・「満腹」

のはずなのに・・・

「足りない、足りない」と・・・

ずーーーーっと求め続けてる・・・

自分の“センサー”が崩れてしまってるようなのだ・・・

そして・・・それを誰も修正してくれない・・・

んーーーもう今さら・・・

修正できないて諦めてしまってる?

んーーー自分の力だけでは・・・

もう修復不可能なのかなーーーって感じるし・・・

そうなった状態を紐解いていくのは・・・

人によるだろうけど・・・なかなか簡単ではない・・・

自分の“癖”の修復が難しいのと一緒だ・・・

 

でも・・・人って「変わる」と決意しなくても

「変わる」ことがあるのも見てきた・・・

最初は、なかなかわかってもらえなかったけど

何回も何回も話し込み・・・

何回も何回も会う機会を設け・・・

意見交換をし続け・・・

で・・・5年かかったかな・・・

会うとき。かかわるときには

「徹底的に、ていねいに」

会う機会が少なかったから・・・5年だけど・・・

 

会う環境が整っていたら・・・

きっと・・・きっと・・・

もっと早いんだろうなーーーって思う経験だった。

 

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あなたは・・・今・・・

何かデトックスしたいことって

ありますか?

それは

どんなことでしょう⁉️

 

どんなことに困っていますか??

 

 

 

 

 

 

 

受け入れることと気づくことって・・・

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ドクターの方のブログを読んでいて

【受け入れること、気づくこと】

と書かれていたものがあった。

病気の治しの中で大切なのは『気づく』ということ

だと書かれていた。

人は多かれ少なかれ『頑固』

病気の原因はこうでしょ!!といっても

それを受け入れるかどうかは決まっている。

 

受け入れるときには薄々そのことに気づいている

もしくは

そのトキにハッと気づかされたとこだけ受け入れる。

キーワードは『気づき』

 

この気づきが次の成長に繋がる。

 

ごくわずかな短期間で奇跡的な治癒が

起こる例を見聞きすることがあります。

1つは

楽しい、嬉しいといった正の感情を爆発させるとき

もう1つは

こだわってきたことに、ハッと気づいたとき

 

病気のときは気づきをたくさん得られる

チャンスなのです。

考えたこともないことを

いっぱい考えることができるから

 

ご飯がいつも美味しく食べられる有難さ

周りの人の温かさ

頑張りすぎていたこと

1人で何とかしようとしてきたコト

これまでの自分が幸せではなかったこと

 

病気にならなければ

みんなみんな気づけないことです。

 

そのチャンスをしんどい、先が見えない、苦しい、辛い

不幸だで終わらせるのは

あまりにもさみしい考え方だと僕は思うのです。

 

ってなことを書かれていた・・・

 

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んーーーこれは・・・

言葉を“病気”から“障害”に

置き換えてもそうだなーーーって思う・・・

案外別の言葉でも・・・

当てはまるのかもしれない・・・

 

子どもが小さなころから何回も入院して

私も付き添って・・・入院を何回もしたけど

それぞれの病院でそれぞれの出会いがあり、

そして・・・様々な『気づき』をもらった。

 

世の中には病院から一歩も出れないような生活を

している人もいること・・・

小さく小さく産まれた命でも懸命に

生きようとしていること

先行きが見えない辛そうな治療を受けていても

どこまでも前向きな人

明日の命が保障されていなくても

夢を目をキラキラ✨輝かせながら話す人

ボランティアでイベントや勉強会をやって

患者を励ましてくれる人

 

どんな長く入院しなきゃならないのか??

先行きが見えなくなってしんどくなって・・・

そんなとき・・・1日が長い入院生活で病院“散歩”の

中から・・・

さまざまなものを日々見つけていった。

 

『どーーーせ長くいなきゃなら・・・

楽しまなくちゃ・・・』

 

の発想から・・・

出会ったこともない、知らないこと、知らない病名・・・

知らないリハビリ用具、病院の意思、看護師だけではなく

看護助手さん、学生さん、近くの食堂の方

警備員さん、駐車場係の方・・・

さまざまな近隣で働いてる方々とも知り合いになり

仲良くしていただいた。

 

そして様々な職業の方たちを知り、その働き方も知った。

 

『失礼ですけど・・・聴いてもいいですか・・・』

 

なんて・・・

わからない、知らないを随分学んだ期間でもあった。

 

『受け入れる』と『気づき』も早い。

とは・・・よく言われる話・・・

 

『入院なんて・・・退屈で嫌だーーー

やることもないし・・・』

 

ではなく・・・

 

『仕方ないから・・・楽しんじゃお・・・』

 

たいして・・・前向きでもないけど・・・

発想の転換で・・・

気づきをたくさんもらった・・・

 

そんなこと・・・

みなさんにもありませんか???

 

私も久々に・・・そんなことあったなーーーなんて

思い出しちゃいました・・・

(大した転換でもないけど・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児・者の豊かな人生観について

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「就労」についての

ご心配や見解を聴くことがあるんですが・・・

學校が決めてきたとこにしか実習に行けない・・・

それも選択の幅が決まったりしてる・・・

就労先も決められてしまうのか???

ってなことや

初めからの能力別にされていて・・・

その中でしか選択肢がなさそうだ・・・

納得がいかないというようなことも聞いた。

 

んーーーーでも・・・

そこに行くかどうかなんてこちら側で

選んでいいし・・・

「絶対にしなければ」という風にも思わない。

 

本人次第です。

本人が喜んでいくということ

少なくとも本人が納得していくところ・・・

親や先生が勝手に決めると・・・

やめる確率も高くなります。

だって・・・自分が人から勝手に決められて

次々にきついこと、辛いことがやってきたら

きっと・・・乗り越え続けるのって・・・

とってもしんどいことだと思います。

 

また自分の稼いだお金の使い方・・・

どんなに小さな金額でも・・・

大きな金額でも。。。

自分が楽しむために使う、

そのことを意識し、働く喜びを体現しないと

働く意味を見出さなくなったりしますよ・・・

 

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普段から・・・自分で選択していく癖をつける

小さなころからほんの少しづつのことでいい

「朝ご飯はパンかごはんか」

「先にお風呂かごはんか」

「一緒に出掛けるか、留守番か」

など・・・本人が判断する自分が主人公の生活。

日常生活でそこを意識していると

仕事のときにちょっとした制約があるときにでも

案外大丈夫だったりするんです。

それは、普段の生活やプライベートでは

自分の選択が保障されているので

多少予定やルールが詰まっていても

乗り越えて行けちゃう・・んですね・・・

 

うちの子も随分と職場、就労先を転々としましたが

それもすべて

「本人」の選択に任せました。

 

「職場の人がこう言ってますがどうしますか?」

「ある作業所から来ませんか?と言われてますが

見学に行きますか?」

あるときには・・・

「きついから、今のところは行きたくない」

本人からそういってきたこともありました。

「やめますか?それとも行く日にちを考えて

2か所行くことにしますか?」

 

なんて・・・

話しながらやってきました。

彼女は普段から仕事も余暇活動も選択肢が豊かにある

そんな毎日を送ってきました・・・

そう今も・・・送っています。

だから・・・んーーー割と

どこでも与えられた環境になじみがよい・・・というか

適応が早いというか・・・

自分で「こうだ」と決められる。

自分で納得できる。

んーーーー自分の生活を大事にしている??

そんな生活を送ってきています。

 

たくさん休むと余暇活動ができる日が減る・・・

(福祉作業所は有給はありませんから・・・)

そんなことも自分で調整しながら考えることが

できるようになりました。

「この日休みたいから、この日は出る」

「今日は余暇活動はきついからお休みする」

「この買い物をしたいから、どこに行きたい」

新しい体験を提案しても・・・

自分が嫌なものはいやといいます・・・

(やってみたいことは・・・やってみようかなーーーと)

 

小さなころからの本人選択・・・

自分の人生を自分で歩んでいく癖・・・

人に依存しない。。。親や周りも

こうあるべきを押し付けない・・・

そんな日々が彼女に豊かな人生観をもたらせて

きてるんだなーーー

なんて思っています。

 

支援の本質~かんじんなものは・・・~

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ホームレス支援をしている

奥田さんのブログが目に入り読んだ。

そういえば・・・5~6年前

グリーンコープがやっている「抱撲館」という

ホームレス支援をしている場所に

お邪魔したことがあった。

奥田さんがやってるんだったかな??

確か・・・

牧師さんとお聞きしたような・・・記憶がある。

その時は。。。

みなさんと一緒の食事をとらせてもらい

館内を案内していただいて。。。

みなさんが、どんな思いでここにたどり着いたのか

どうしてここにいるのか・・・

そして、これからどうしていくのか

そんなことを聴いたり見たりした記憶がある・・・

そして・・・ここには・・・

きっと「障害」と診断はついていなくても

そんな苦しみを抱えていらっしゃる人もいる。

とお見受けしたのを覚えているし・・・

そのような方もいる。とお話を聞いた・・・

年齢も様々にいらっしゃって・・・

何だか。。。子ども達の将来。。。

しっかり考えていかなくちゃ!!

とさらに意識したのを覚えている。

 

彼のブログでは・・・

10年前のリーマンショックのあと

次々に夜の路上に若者たちが

現れたことが書かれていた。

「大丈夫ですか?」の問いに

「大丈夫です」と答える・・・

だけど。。。ホントは全然「大丈夫」ではない

彼らは・・・なぜ「助けて」と言わないのか??

そこを分析しておられた。

 

第1に“プライド”

「ホームレスと一緒にされては困る」

という思いか・・・

 

第2に“利用できる制度についての知識が少ない”

知らないと求めないのは当然

 

第3に“極端な自己責任社会”

「助けてといっても「何、甘えてる」

「努力が足りない」

と言われるだけだ」

「言わない」のではなく「言えない」のだ。

 

第4に“孤立”

人は自分の状態や生きる意味を「他者」を通じて知る。

路上は「他者性」を失った世界。

路上の若者は誰もが「崖っぷち」に立っていた。

本人はわかってない。

 

一緒に話し込んでいく中で、表情が変わり

「何とかなりますか」と言い出す。

それは、他者である僕が

「君、もう一歩下がると落ちて死ぬよ」

ち言い続けたからだ。

人は自分の状態を知るために

「他者」を必要としている。

出会いの中で自己認知が担保されるが

孤立状態では難しい。

 

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第5に“これが1番大変”

『制度があるのも知ってる』

『自己責任論は社会が無責任であり続けるための言い訳』

自分はどんな状態かわかっているけど

『助けて』と言わない。

『生きる意欲がない』『その気になれない』

絶望の深淵で冷え切った人の心が、

もう一度、鼓動を打つためにはどうしたらいいのか?

困窮者支援の本質はそこにある。

 

『もう一度生きようと思えるか』

『人の心に灯をともすこと』

 

自立はその後の話し、数値化することも

お金に換算することもできない。

 

肝心なものは見えないからだ。

しかし、見えなくても

『かんじんなもの』はあるしそれこそが支援の目的。

 

この間、“自立支援”が強調され、

困窮者においては

『就職』『増収』が支援成果の“目安”とされた。

 

でも・・・肝心なことは見えないのだ

 

『キツネは言いました。

“さっきの秘密をいおうかね、

何、なんでもないことだよ、心で見なくちゃ、

ものごとはよくみえない

ってことさ、肝心なことは目に見えないんだよ”

“肝心なことは目には見えない”

王子さまは忘れないように

繰り返しました』~星の王子さまより~

 

支援者と名乗る人たちは・・・

『かんじんなもの』を見ようと努力しなければ

ならないし・・・

『心の目』も研ぎ澄まさなければいけない・・・

そして・・・側に来てくれた方々に

『心の灯が消えないように・・・』

また・・・

『消えてしまっていたら・・・

どう灯すことができるのか?』

 

考えていかなければならない。

 

そんなこと・・・できてるかな???

とても・・・考えさせられた・・・

 

 

 

 

 

 

學校に行かない!!何がそうさせるのか?

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NHkのハートネットで

『学校に行かない』という選択、子ども達の思い

って記事を読みながら・・・

 

『学校に行くのが辛いときはいかなくていい』

そう・・・死ぬ思いをするくらいなら・・・

親として・・・そういうと思う。

ただ・・・何だかよくわからないとか・・・

んーーーー高校とか・・・

単位に関わってきちゃうと・・・

何だか???どうするだろう???

って思っちゃうし・・

年齢、学齢とかにもよるのかもしれない・・・

 

『行かなくなったらどうするのか』

これはいかなくなった保護者がぶつかる問題で・・・

いつになったら・・・???

どう進んでいくのか??

これからどうなるのか???

そんな思いがめぐらされていくのではないかと思う・・・

 

では・・・当の本人はどうなのか??

現在、学校に行っていない子どもたちと

行かなかった経験のある社会人の話を聴いていた。

 

『甘えてるって思われてるのでは・・・』

『出たいのに出られない』

そんな思いを抱えている子や・・・

『親が世間一般的に小中高大と行かせたくて、

窓から飛び降りようとして

泣きながら止めてくれ

そこから親が変わってくれた』

と話ながらも

『社会不適合者なんじゃあないか?』

『自分が悪いのでは・・・』

そうやって自分を責め追いつめて・・・

そこが、辛かった・・・とも話している。

 

「学校に行かないこと」で自分を責め

罪悪感を持っている子ども達・・・

そこには

「学校へは行くべきだ」

という大人や社会の否定的な目線が

影響している。

 

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教育学が専門の熊本大学教育学部准教授の

苫野一徳さんは

 

「不登校の問題は今の学校教育の在り方と

かかわりがあり

学びの場の多様性と変革が求めっれている」

と語る。

「みんな同じことを同じペースで

同じようなやり方で同質性の高い学年学級制

の中で出来上がっているこてばかりを勉強する。

その中で空気を読みあい、

サバイバルをしなきゃいけない。

その苦しさが、もう限界を超えている。

もっとこの学び舎ペースが尊重され

緩やかに共同性で支えながら、

自分で問いを立てて自分でその答えを

見つけていくような探求を中核にした

学びの在り方に構造転換していきたい」

と語っている。

 

また、教育評論家の尾木さんも

 

「1人1人がいろんな意味で伸びていける、

輝いていける体制をつくっていく

ことがすごく大事。

現場の先生方や元気に通っている子供たちも、

こうゆう問題があるんだとつかんで、

そしてみんなが安心して住めるような

學校や地域にしていく1人の主体になってほしい」

と言っている。

 

先日、私の事務所に教員が愚痴をこぼしに・・・??

相談しに???来た。

やはり、今の特別支援教育の在り方に関して・・・

不審に思う点やどうしたらいいのか

わからなくなってきた・・・

みたいなことだった。

 

現場も混乱している・・・

 

「先生はどうしたいですか?」

「子どものためにどうありたい???」

 

だけでは済まされない現状がある。

職員の評価制度・・・

最近問題になった教員間の“いじめ”

んーーーー???傷害事件??のように・・・

管理職との面談による職員の評価制度がある・・・

先生の通信簿みたいなものかな???

これって・・・客観的なのか??

この間の事件が物語ってる・・・

評価は・・・人の価値観、

その人の主観によって変わる・・・

って事・・・

要は・・・学年や学校がチームになってない・・・

って事・・・

そんな中に子どもも身を置いているって事・・・

 

「子どものいいところを探してくださいね」

「みんなと一緒を強要しないで・・・」

「様々なやり方を考えて・・・」

 

そんなことをあれやこれや・・・

子どものために・・・

頑張ってと伝えた。

(評価にもそこそこ気をつかって・・・

ってことも・・・制度がある以上仕方ない・・・)

 

子ども達の行くべき場所

子ども主体の場所・・・

そんなところで・・・どうやら・・・

そこに関わる大人も子どもも

疲弊しているようだ・・・

ホントにみんなで考えていかなきゃ・・・

行けない問題だと思う。