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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」あいうえお表から勉強してますか?

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よくお話を聞く中で

「ひらがな表が読めないんです」

「あいうえおが理解できなくて・・・」

なんてお話を聞きます。

「困ることは・・・なんですか?」

ってお聞きすると・・・みんなと一緒ができないこと

というようなことを・・・よく聞きます。

「本人は・・・なんて言ってますか?」「本人は困ってますか?」

って聞くと大抵

「え???」って顔をされます。

 

手帳を持っているお子さんです。

知的に「障害」があるといわれている

お子さんです。

 

お母さんは困惑した顔で悲しそうに不安な顔をされています。

『私もこんな風だったのかなーーー』

ふと・・・その時にタイムスリップ・・・してみたり・・・

 

小学校での自分ちの子の実践・・・話します・・・

「うちはねーーーあいうえお表から言葉は教えてないのよーーー」

「え?どういうことですか?初めの方に習いますよね・・・」

とビックリ(@ ̄□ ̄@;)!!されます。

「うちは・・・文字の組み合わせが言語になるって

わかることが難しいなーーー

って感じたから・・・

小さなころから絵カードなのよーーー」

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例えば上記「犬」

ひらがなで「いぬ」漢字で「犬」カナカナで「イヌ」

ローマ字で「INU」英語で「dock」

このすべてが書かれたものを見せていました。

 

だから・・・人より順序だててできない分・・・

遅れている部分もありますが・・・

まだ人が習っていない部分を先に勉強していることもあります。

 

これっていまでは・・・もしかしたら・・・

「合理的配慮」って言うんでしょうか?(笑)

 

みんなと【同じ】ではないけれど・・・

生活するうえで・・・
「困った」ことはなかったように思います。

 

何より本人が嫌がらず・・・

毎日(*'▽')ニコニコ学校に行ってましたから・・・

「できない」こともあるけど・・・「できる」こともある

そんな生活でした・・・

 

みなさんが望む「みんなと一緒」は・・・

私は彼女の学習面で望んだことがありません・・・

知的「障害」といわれる彼女の「将来」を

先輩ママ方から聴くことにより何を今すべきなのか?

を学び・・・

私が大切にしてきたことは・・・
勉学の中の「本学」「末学」で言うと・・・「本学」でした。

彼女も私がそこを大事にしていることを肌身で感じ・・・

体感、体験していっていました。

学校で学ぶべきこと・・・私がお金を積んでも

1人では教えることができないこと・・・

全体の中での自分の居場所であったり、どう動くのか?であったり

たくさんの人の中での時間の使い方であったり

「仲間」「時間」「空間」俗にいう3つの「間」でしょうか?

 

私たちが子どもに望むもの・・・それってこの社会で「幸せに生きていく」

ってこと・・・

今と変わらず「笑顔で生活すること」であったりしますよね・・・

 

うちの子は・・・今

笑顔で幸せに仲間。空間。時間・・・すべてを手に入れています。

大きくなって大人になって・・・その成果は出ています。

小さなころの「子育て」の手間暇は・・・

大変かもしれません・・・だけどそこを惜しまず

子どもと共にチャレンジしていくこと・・・

苦しいことも楽しいことも一緒に考えてくれる仲間を見つけ・・・

そのときその時を楽しんでいくこと・・・

 

今・・・苦しんでますか?

ひとり相談できる人がいなかったとしたら・・・

ぜひお声掛けくださいね・・・

 

 

 

 

生んでくれて、生きてくれて「ありがとう」

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いつの日だったか・・・

末娘が

自分の誕生日に

「生んでくれてありがとう」

 

と、似顔絵師さんに絵を描いてもらって

コメントを描いてもらってくれていたことがありました。

 

私が・・・

子どもに伝えているのは、生まれてくれてありがとう。

親にしてくれてありがとうってこと・・・
「生きてくれて・・・」ありがとう。

 

そしてこの子どもたちの成長を見させていただき

私を「生かしていただきありがとう」


って最近は感謝ばかりです。

自分が大人になった・・・年を重ねたってだけでは「未熟」で・・・

何も深い人間性もなかったころから・・・結婚して

「障害」児を授かり・・・

そのあとは「健常」といわれる子どもたちも授かり

私は「親業」を深く学ばせてもらっています・・・

そして・・・そこから・・・また【命】の連鎖があるってこと・・・

つながっていく・・・これって「家族」「血縁」だけの問題ではなくて

もっと広く大きなものだと・・・

年を重ねるたびに・・・出会いを重ねるたびに思います。

生きてるだけで
今ここにいるだけで

誰もが感謝されるべき存在なのだと・・・

どんな役職の人もどんな著名人でも
どんなに自尊感情の低い人でも、

今の自分が好きでない人でも


人としての価値はみーーーーんな同じ。みーーーーんな一緒の【命】

 そんなことを思い出させてくれました。

 たくさんの人と出会い子育ての中で

「障害」児に出会って・・・改めて学んだことです。


私は基本「人見知り」で積極的でもなく・・・どちらかといえば

静かに「おひとり様」が好きな人間でした。

・・・がしかし・・・子供たちのおかげさまで

だいぶん人と話すことに緊張することが減りました。


行政や先生や役職付きの方やなんかと話すとき・・・

いつも必要以上に緊張してました。が・・・

 

ある日・・・そう言えば緊張しないで普通に話せてる!!
と気がつきました。
不安や緊張が払拭する日って・・・知らないうちに過ぎていて

ある日、ふと気がつくんです。

出来てる自分がいること(笑)

 

昔の自分は、いつも引っ込み思案だったけど・・・

出来ない自分にもどかしかった・・・

まーーそんな器質的なことは・・・

すぐに出来なくて当たり前なんだけど


でも1つ出来たことに気づくと、自信になります。

そしてそこからいろんなことがどんどん楽になっていくんです。

 生きづらさを感じなくなりました。

毎日が、とても楽になりました。

自分自身の気持ちに余裕が生まれてくると・・・

子どもにも優しくなれます。

 

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生まれてくれてありがとう。


前よりもたくさん言葉にはしなくても

感じるようになりました。


生きてくれてありがとう。あなたも私も・・・

 

出会って言葉を交わしてくれて「ありがとう」

 


「生まれてくれてありがとう」


最近、お子さまに伝えましたか?誰かに言いましたか?

(聞きましたか?)

 こうやってここに・・・つたない文章に出会っていただいた

みなさまも・・・


生きていてくれて、ありがとうございます(*^o^*)


あなたの存在に感謝を込めて。

 

「障害」きょうだい児との関係性の中での呼び方について

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私は第1子が「障害」児でした・・・

だからってわけではないんですが・・・

下の子が生まれたら、

上のこの子を何て呼ぼうか?呼ばせようか?って思っていました。

それには私の育ってきた生育歴にも起因があるのかもしれません。

私は2人きょうだいで・・・下にきょうだいがいました。

歳が離れていたせいか・・・

親からはよく

「お姉ちゃんなんだから」「お姉ちゃんでしょ」

って言われながら育てられました。

弟はかわいかった・・・

だけど反面疎ましく思っている自分もいたことを

思い出していたのです。よって・・・

私が考えていたことは・・・

それぞれがそれぞれの名前で呼び合うってことだったのです。

それは・・・

きっとこれからの「きょうだい」の付き合いの中で

関係性づくりにいいのではないか?と思うことでもありました。


「お姉ちゃんなんだから」「もうお姉ちゃんでしょ!」

この言葉は言ってしまえば・・・子育ての中であまり使わない方が

いい言葉だとも思います。禁句とまでは言いませんが・・・

 じゃあ・・・姉が「障害」児だったら・・・

 

そう呼ぶことはどうなんだろう?私は親ではあるけど・・・

きょうだいの気持ちまではわかりません・・・

素直に「姉」として「お姉ちゃん」と言えるのか?

そう思えるのか?小さなうちは違和感がなかったとしても・・・

育ちの中で・・・そのことが浮き彫りになりはしないのか?

考えていました。

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いや、待てよ??それって親が決めること??

 そんな疑問が・・・育てる中で湧き上がってきました・・・

そして聴いてみました・・・

「赤ちゃんになんて呼ばれたい?」

よくわからなかったかもしれません。でも・・・本人は言いました。 

「マユちゃん!!」

 そのときから、私はやはり「お姉ちゃん」と呼ぶのはやめようと決めました。

実質的には「お姉ちゃん」には違いはありません。

ただ・・・この子やきょうだいがプレッシャーになったり・・・

「いやだな」って思う気持ちを避けたいとは思っていました。

そう・・・私自身が選んでこなかったし・・・

選べる状況で育ってはなかったからです。

このことを思い出すきっかけになったのは・・・

上の子をどう呼ぶか?って言う話になっている人がいて・・・

ふと・・・思い出しました。

 

あれから娘の気持ちは変わってないのかな?

 

大人になって自覚も出て・・・

自分自身で

「お姉ちゃんだから・・・」とか

「下の子が」って私が言うようなことを言ったり・・・

している場面もありました。

 

人に「さすが・・・お姉ちゃんだね」と言われ嬉しそうな場面も見てきました。

 成長を感じます。

私は小さなころから・・・全て「決められる」環境にいました。

よって自分で「決める」こと・・・ずっとできてこなかった・・・

なんとなく周りの大人が言うように「無難」に・・・

言葉だってなんだって・・・疑うことなく生きてきた・・・

そこを大きく揺るがしたのが・・・

この「障害」児である彼女の存在でした。

私が深く物事を考えるきっかけになりました。

やっと「大人」にしてもらったのかもしれません・・・

よってうちのきょうだいはお互い「名前」で呼び合っています。

(途中いろいろありましたが・・・またそこは後日・・・)

それぞれが対等に付き合っています。

私は・・・「よかった」とも思っています。

 

さーーみなさん

 

子どものこと。

親が決めすぎてはいませんか?

「障害」児の子育てをしているママへ

 「障害」児の子育てをしていて。。。

「いつも!(^^)!ニコニコしていたい」

「他のママみたいに穏やかに子育てしたい」

そう思ってしまうことってありませんか?

私は最初よくそう思ってました・・・

「なんで・・・こんなにやってるのに・・・」

「ずーーーっとこんなにできないのかな・・・」

ずーーーっと何かと比べて・・・誰かと比較して・・・

周りの言葉に・・・

「しょうがいのあるお子さんを育てていて偉いねーーー」

「よく頑張ってるねーーー」

そんな言葉に・・・

ちゃんとやらなきゃ!!人一倍頑張らなきゃ!!なんて肩ひじ張って・・・

 

応援はもちろん嬉しいこと。だけどねーーー

ホントは・・・頑張りたくない日もあるってこと。

今日は休憩してから、動きたいこと・・・

もしかしたら動きたくないこと。。。ホントはあるんです!!

 

「今日は頑張れそう?」「無理してない?」

 

ときには自分に問いかけてみましょう・・・

  

〇〇なら頑張れる。頑張ることができる

 

悪い言葉ではありません。

 

相手のことを想って、かける言葉。

言葉の良し悪しはありません。有り難いことです。感謝しかありません。

 

ただ・・・多用は良くないことを気づかせてもらいました。

辛くなること追い込んでしまうこともあると・・・

 

 プラスのイメージができるように、声かけしてみませんか?

結論だけでは理解できないこともあるから、

その背景も伝えてみてはいかがでしょうか?

 

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 何だか・・・上下関係のような言葉だったり・・・

何らかの評価のことばより・・・

同じ目線なら横並びの言葉なら・・・

きっと・・・失敗したときも勇気づけられるのではないでしょうか?

 

 自分のため・・・子どものためを想ってかけてくれている言葉。

いけない言葉なんて・・・わるい言葉なんてないんですよね。

 

 誉めることや怒ること。

ご褒美や評価のことばも。

多用したり、それに頼りきることが良くないんですよねーーー。

 

 

子どもにかけることばも・・・

子どもを通して、自分に返ってきます。

 

 

そこから・・・どんな気持ちになるのか?

学ばせてもらっています。

 

 完ぺきな大人なんて・・・お母さんなんていません。

気づかせてくれる子ども達から学ぶこと・・・

 

 

その言葉が欲しかった、それって癒される・・・

それ嬉しい!!ありがとう

 

 たまには・・・勇気づけてみたけど、違ったなーーーとか。

これってかえって傷つけちゃったかな・・・なんてこともありますが・・・

 

同じ言葉でも、タイミングやその時の状況、

その方の今の気持ちでも変わりますよね。

 

 人にお伝えするときの、言葉の選び方や伝え方の難しさ。

丁寧に伝えることの大切さも感じます。

自分の当たり前や価値観が他人と絶望的に違うからこそ・・・

言葉を学び選び取っていく・・・伝わるように・・・伝える方法

 

 

それって何歳からやるんですか?

大人はもう無理ですよねーーーなんて

ご質問をいただきますが、何歳でも大丈夫ですよ

学びは特に大人がやらなくては・・・いけないのかも・・・

 

 職場やすべての人間関係の悩みが軽くなりますよ

 

 自分に返ってくるのは、きっと周りのことばだけじゃないですよね。

 

勇気づけもありがとうも。

行動も、心・・・気持ちも・・・

 

 

学んでいけば・・・いつか、自分に返ってくること。

 

 

あなたが今かける言葉、かけてる言葉は、

返って来て欲しいことばですか?

人が心地よい聞きたい言葉になっていますか?

 

 

 

 

「障害」~保護者が「障害」を抱えていませんか?~

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「障害」児・者の・・・

ママ達の生活サイクル・・・自閉症だったり・・・

全介助だったり「睡眠障害」だったりすると・・・大変!!

よくママの睡眠時間がなさ過ぎて・・

睡眠「障害」がでたーーーとか・・・

悪化したーーー。なんて聞きます。

もともとは睡眠に「障害」を抱えていたわけではありません。

もともと幼い頃から、連続した睡眠をとりにくいお子さんに

付き合っていたり・・・全介助で夜中に何回も

アラームで眠れなかったり・・・

そんな日々の蓄積に自然と体内時計が狂いだしていきます。

狂うだけではなく、きっと突然夜中に叩き起こされる不安感や、

眠りにつく前に「今夜は眠れるかな?」「今夜は大丈夫かな?」

という不安が頭をよぎり・・・なんてこともあるのでしょうねーー

そんな気持ちを緩和するために、お薬を飲んだりとか・・・

それも効かなくなってきました。とか言う話も聞いたりします。

こうした背景を抱えながらも・・・

誰にもSOSを出さなかったという人もいれば・・・

多くの支援者に・・・

「子どもと数日離れることは出来ないか?」

「休日や夜間に預かって貰えないか?」

「こんな状況で困ってます」とSOSを出し続けた方もいます。

今は特に・・・

コロナ禍もあり・・・

受け入れ先はないし、宿泊提案もお試し程度なら...

夜パニックを起こした時にも・・・

児相に助けを求めても

「今連れてこれますか?」と「暴れてるんです」だから無理でしょーー

困ってるといっても・・・

「暴力なら警察へ」と提案されただけだとか・・・

誰が悪いわけでもない、気持ちはある。

支援に携わる多くの人は「助けたい」と心の底から思っているはずです。でも、制度が足りません。

制度自体は多いのだけど、本当に困ったときに届く制度がありません。

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よって長期休暇は怖いとよく聞きます。

いつも突入するのが・・・怖いと・・・

子ども達が何をするか?行動も怖かいけど・・・

その子どもに自分がどうしてしまうのか?虐待しないかどうかも・・・

正直怖いと・・・

虐待する人というのは、もともと暴力的だったという訳では

ないでしょう。

差し伸べてくれる支援さえあれば、きっと防げる虐待の方が多いのではないでしょうか?

万が一、虐待をしてしまった場合・・・

周囲にそれを隠すためにSOSを出さなくなる人もいるのではないか?

とも考えたりします。

その気持ちを発信し続けていたのに・・・今もいるのに・・・

助けてくれる制度がない・・・なかったと・・・

よってずーーーっと泣いてばかりいた毎日だったとも聞きます。

そんなこと・・・みなさんはお聴きになったりしませんか?

周りに困っている方は・・・いませんか?

うちの会では・・・そこら辺のフォローをするために市内の福祉課と

協働して行っています。みなさんの市町村では?

どんな取り組みがあったいますか?

お困りごとの解決訴えられるところは・・・ありますか?

鳥の目・虫の目・魚の目・・・と「蝙蝠の目」

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「障害」児・者に関わっていると・・・

本当に人を見る目・・・見つめる目・・・が大切だと感じる。
それは「技術」というのか?「感性」というのか?

なんて話も聞くけど・・・これは「学ぶ」ってことしかない・・・

 

まずは自分の「相手の見方」が重要になってきますよね。

 

よく「虫の目」「鳥の目」「魚の目」なんて・・・

物事を分析するとき・・・

人を見るときの視点として聞いたりしませんか?

 

最近はここに「蝙蝠の目」が加わってるとも聞きます。

 

鳥・・・

鳥は空を飛び広い視野をもって全体を俯瞰しています。

物事の全体をとらえて何が重要か?何を優先すべきか?

今できることは何か?総合的に見ることをさします。

 

虫・・・

細かい仕事、目の前の仕事・・・

「徹底的に細部までこだわってやる」

という視点になるのでしょうか?

なぜ?その文字?その大きさ?その太さ?

細部まで考え抜く・・・って言う視点になりますかねーーー

 

魚・・・

魚は川や海・・・そんな流れのある中で生きています。

つまり・・・流れを見る・・・時代の流れ・・・トレンド?

今までの時代背景や歴史~今後の時代の流れまでを総合的に

考える力・・・見る視点・・・ということでしょか?

 

最近聞くようになった「蝙蝠の目」

 

蝙蝠・・・

 

コウモリは洞窟の天井やきに裏下がって停まっています。

常にさかさまに世の中を見ています。

つまりコウモリの目とは…逆の立場で見る。

逆の視点から見る、発想を変える視点のことをさすようです。

固定概念を外して・・・まるっきり逆の発想をしてみたり

反対側から物事を見て考え直す等・・・

「当たり前」「常識」の概念を壊してみること

そんなことかもしれません・・・

 

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このそれぞれの視点・・・

得手不得手ももちろんありますが・・・

できないからやらない

というのでは・・・

自分の成長はあるのでしょうか?

何の成長もしない毎日は楽しいでしょか?

 

広い視野をもって対局を見る鳥の目

深く細部にわたって様アマナ角度から物事を見る虫の目

時代の変化、歴史や習慣などの流れを見る魚の目

物事を反対側から見て発想を転換させるコウモリの目

 

これってコミュニティの代表であったり

リーダーであったり・・・

マネージャーであったり・・・には特に必要ですよね。

また。人に関わる仕事・・・

私は「福祉」に関わることをしているので・・・

これもまた大事な視点だと思っています。

特にこれからの時代・・・すべて大事ではあるけれども・・・

今まで知らなかった

「蝙蝠の目」

個の発想って・・自分の中のしみついた『価値観』があるからこそ

大事な視点だと感じています。

みなさんも日ごろの生活の中で・・・
この見つめる視点・・・知ってましたか?

大事にされてますかーーーー?

 

 

 

 

 

 

「変わりたくない」脳と変わりたい自分を見つめて

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よく人は「変わりたい」と言う。

でも何を変えるのか・・・「わからない」ともいう・・・

私も自分のコミュニティのことで悩んでいたとき

いくら身近な人に相談しても思った答えがないというか?

問題にしていないというか?のとき・・・

私は1人ジレンマの中にいた・・・

「継続・継承」を考えたときに

何かを変えなければ・・・と焦っていた。

継続・継承・・・受け継いだものとして

そこを胃が痛くなるほど考え抜いていた。

「変わらなければ・・・」とも思っていた。

・・・がしかし・・・

私の思いとは裏腹に・・・

周りは上手くいってないことはないと思っていたし

「そうですねーーー」って気のない返事ばかり・・・

すごく・・・自分と人との間に隔たりがある・・・と思っていた。

「私には焦り」とのギャップ・・・そこがグルグルしていた。

「思いは共有できない」

と感じてもいた。

なんとなく・・人に周りに「➡矢印」が向きそうな自分が

とても嫌な人間に感じてもいた。

未熟だと・・・浅はかだと思う反面・・・

どうしようもない孤独感もあった。

人は良く・・・これを「リーダーの孤独」とか「経営者の孤独」

なんて言うけれど・・・
「これってひとりで乗り越えるものなの?」

自問自答しながら・・・様々な書物を読んだり

コーチングを学んだり・・・様々なことをしてみた・・・

「無駄なことは1つもない」そう思いながら取り組んだ・・・

この経験も今の

私をつくっている出来事の数々・・・

 

人は「出会い」で変わるともいわれる。

確かに・・・でも・・・出会うだけでは変わらない・・・

「この人の出会いが私を変えた」と思うのは・・・

その人の「言葉」「言動」「生き方」「あり方」「考え方」

そこに真に触れ合ったとき・・・

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私は「障害」児を産んでから・・・

様々な人に出会ってきた・・・

自然の流れの中で出会ってきた人、自ら会いに出向いた人

会ってあげてと言われた人・・・探し当てて会いに来てくれた人・・・

有り難いことに様々な出会いをいただいてきた・・・

でも・・・私が思い悩んでいたとき・・・

私は自ら「出会う」ってことが・・・停滞していたのかもしれない・・・
新しいこと。新しいチャレンジ、ピンチはチャンス・・・
そんなことが滞っていたのかもしれない・・・

目の前のやることばかりに日々が明け暮れしていき・・・
本当に欲しいもの。。目指したい未来、残していきたいこと・・・

そこからの「逆算」で動けていなかった・・・

「理想」は掲げ「理念」として持ちながらも・・・

心のどこかで「本気」ではなかった・・・

私がいなくなった遠い未来をイメージしてたって

感じだったのかもしれない・・・

「理念」ってそういうものだとどこか思っていた・・・

人を大きく変えるのは「変化を恐れない」こと・・・

「考動変容」「チャレンジ」は脳科学的に「イヤ」なことらしい
「変わらない」が好きらしいのだ・・・
でも「変わらる」と決めなければ変わらなければ・・・
時代の変化世の中の進化にはついてはいけない・・・

だから人は「学び続ける」

みなさんは大人になって・・・どんなことを学んでいます?

 

 

 

 

 

「障害」者を自分の「常識」「当たり前」に合わせていませんか?

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「障害」児・者への支援は、
私たち支援者が、その方のニーズをつかみ、
この支援で行こうかな?なんて
思って行っていると思いますが・・・
その際、私たちが、
今までひとりひとり個人的に送ってきた人生での
経験したことが基盤になり、
その支援員チームの他の職員が生きてきた人生重なり、
ふくらみを持って、支援にあたっていくと思います。

もちろん、
その利用者の人が人生の主人公ですから、
その人の生活の仕方が、主体となります。

その人の生活が今うまくいってない場合、
それが「障害」があってのことなのか?
その人の生活習慣なのか?環境因子なのか?
なんて・・・支援者から見ての
うまくいかない原因を探っていることもあるでしょう。

こういう時にしてしまいがちなのが、
私たち支援者の
当たり前、常識を当てはめようとしてしまうことです。

特に、
作業や生活習慣に関係すること、
人間関係、コミュニケーション
お金、薬に関すること・・・そんなことは、
彼らにとっては難しい部分も多いことかもしれません。
困っていることも多い内容でもあります。
よって私たちは「よかれ」と思って・・・

常識や当たり前を当てはめやすくなってしまい
半ばそうしたいとは思っていなくても・・・

強制的にしてしまっていることも多く・・・
本人ができることや強み、心地さを考えることを
後回しにして・・・
こうするべきだと思い込みそうやってしまっている人が
非常に多くいるのではないでしょうか?
その方が自分の生活を支援者に言われたとおりに
やってみたりしますが、
自分のできることややりたいこととは差があるので、
うまくいかない・・・ってことになったりします。

本人は、そこを願っていなかった・・・
そうは思っていなかったってことなのです。
どうにか支援者に合わせようと
してしまっていたのですね。

でも支援者の常識や当たり前に合わせられないと、
できるはずよと励まされたり
やらないといけないんだよなどと言われたりして・・・・
また常識や当たり前を当てはめられるわけで、

本人にとって非常に苦痛な生活になってしまうのではないでしょうか?

それって本当に
その人にとって有効な手段になっているのでしょうか?

あなたの常識、当たり前は、
あなたにとっては、もしかしたら
有効な手段なのかもしれません。

それは、あなた個人の考え方、やり方、速度や内容
そして、行動力、地域の中での生活、
人間関係、コミュニケーション力
セルフマネジメントなど等・・・
それってあなただから・・・その人だからできることです。

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私たちは確かに自分の持つ経験値や情報は、
参考にしつつ、
彼ら個人個人の持っている力に合わせて、
感がて行くべきだと思います。


あなたが、1時間でできるからといって、
その方は1時間ではできないことってありますよね。

(まあ、反対もしかりです)
そういう人に1時間であなたができることを
基準とした生活は本人の時間のペースが気ぜわしくなります。

自分は1日おきの洗濯しかしないときに、
毎日しかも1日3回も洗濯をする人の
時間配分や水道代はわかりません。

週5日事業所に通うのは当たり前と思っていると・・・
調子の良い日に来たい人はまた・・・違います。

常に彼らの生活、日常の在り方
彼らの生活全体をイメージせずに、
自分の常識や当たり前を
押しつけてしまっている可能性があるってことです。

私の常識は私のあなたの常識はあなたの常識です。
「障害」者の彼らの生活もまた、彼らの常識なのです。

それがどんなに困っていてもです。

もちろん方法の提案はあるにしても、
あなたの常識や当たり前の範囲からの提案ではなく、
その人の生活を認め、その人の生活の中で
それをしている意味(理由)を解釈し、
もし、困っていることがあっても、その困っていることを
その人のできることを通し、支援者側が支援し、
解決することなのではないでしょうか?

あなたの常識を主軸に考えると間違えてしまう
彼らの常識の中からの考えるべきことです。

その生活には意味があるのです。

あなたは、自分自身の方法は参考にしても、
その人の生活をベースにした中で
使うだけにとどめ、彼らの心地よい生活のためには、
もしかしたらあなた自身の常識は
その人の前では、捨てなければならないこともあると理解して、

「自分を疑う」
自分の常識、当たり前に
固執しないようにすること・・・常に考えていきたいものですね。

伝わるように伝えるってこと

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最近。。。10分ミーティングをオンラインで数回やっています。
(やる相手は様々違います)


その中で出てくること・・・

 

時間が短いって初めからわかっているから・・・

要約してくる・・・ピンポイントで「今」がわかる

今・・・悩んでること。困ってること

毎日だから・・・すぐ聴けるし、すぐ次の考動に移せる。

みんなの今の状態がわかるし・・・何をしているかもよくわかる。

よく・・・「人に興味関心を持ちなさい」と・・・

福祉や教育の現場にいるといわれたり聞いたりしませんか?

口で言うのは簡単・・・でも奥が深いし・・・

その言葉の定義・・・

自分と相手とホントにあっているのかは・・・

話して確認しないとわかりません。

 

物事を頼んで・・・長年一緒ににやってきているからと

これくらいわかっているだろう・・・と思ったら

大幅にズレていたリ・・・優先順位それからではないでしょう?

ってことだったり・・・って経験はありませんか?

 

それって「わかってなーーーい!!」って怒りたくなりますが・・・
チョット待って・・・

はい!!「言葉の定義」があっていなかったってこと・・・

話をして

「わかりました」って言ったからって

本当には「わかってないかも?」なんです。


「今いったこと人に説明するように言ってみて」

って・・・言って・・・言えるかどうか?なんです・・・

(これは私もメンターに教えてもらってやるようになりました)

大抵・・・きちんと言えない・・・

それくらい・・・人っていい加減に聴いてるわけではないんだけど・・・

自分の解釈で聴いたり、

必要そうなところだけをピックアップしたり

聞きかじっていることが多いってことなんです。

(他人ごとではなく・・・自分mポそうなんです・・・

だから常に確認・・・ずれを修正大事です)

 

聴いたことが言えたらではできるのか?

 

うーーーん・・・

進捗状況は随時確認しましょう・・・
なぜなら・・・私の「当たり前」と相手の「当たり前」は

絶望的に違います。

いいとか悪いではなくて・・・そういうもんなんです。

自分の「常識」は通用しないかもしれない

間違っているかもしれない

そう常に「自分を疑う」を忘れない方がいい・・・

 

そして・・・進捗をチェック・・・

(できなくて当たり前くらいで・・・)

そのとき・・・気づくことってたくさんある・・

私は「リンゴ」と言っていた・・・

だけど・・・この人には「丸い」としか伝わってなかった・・・

とか・・・

「リンゴ」と伝えていたけど・・・相手には「梨」って

伝わってしまっていた・・・とか・・・

 

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人に「伝える」っておくが深いし難しい。。。

「わかってよ」「真意を組んでよ」では・・・

リーダーは勤まらないんだと・・・つくづく感じる。

「伝わるように伝える」

ここを丁寧にしっかりと日々やっていく・・・

とっても時間がかかるし・・・なかなかうまくいかないことも多い。

「100回言って半分伝わればいい方・・・」

メンターが言っていた。

前は10回、20回言ったら・・・

「何回言ったらわかるんだ・・・」ってイライラしていた。

 

でも今は「伝わるまで伝える・・・」

そこが少しわかってきました・・・

まだまだ修行中です。(笑)

 

 

 

 

 

「障害」児・者と自分の生涯の夢・・・

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「障害」就労支援事業所に「顧問」として関わる部分

1支援者として関わる部分・・・
まーー実際はどちらの部分でも「障害」福祉の観点から・・・・

よりよい支援とは何か?

この子達がよりよく幸せに生きていくためには?
この子達が生きやすい未来とは?

日々・・・そんなことばかり考えて生活しています。

そして・・・そんな中で「人間力」を問われること多い。
まずは・・・子ども達に向き合っていると・・・
この子達h忌憚ない発言をよくしてきます。


ある支援員に
「今日は疲れていますか?」
「今日何か怒っていますか?」

なんて言う。
よく見ているんですねーーー

そしてよく気づくんです。まるで心を見透かされているようです。

私は、福祉の関わり子ども達と向かい合うものとして

一旦外に出るとき、人に会うとき
「自分をつくってください」
とよくお話をします。どうしてもできないときには
「休んだ方がいい」とも・・・
私たちが向かい合うのは「もの」ではありません。
「人」です。それも上記のように・・・

些細な人の変化、心の変化を感じ取りやすい「障害」児・者。

その子達に不要な心配はさせたくはないと思っているからです。

彼らが人の気持ちがわかる背景には・・・

どんなことがあるのか?

私達親や支援者には計り知れない

「人の視線」「言われてきたこと」「誹謗中傷」「されてきた感じてきた出来事」

など・・・きっと感じてきたものが多いから・・・

人を見るってことが鍛えられてきたのかもしれません。

だからこそ・・・彼らの周りの人間は最新の注意をして

「笑顔」「元気」「承認」を届けなければならないと思っています。

私も彼らの前では声のトーンも張りにも注意して最高の笑顔で1日過ごす

って決めています。少しオーバーリアクションくらいで・・・

「今日は1日楽しかった」「今日も来てよかった」

そう感じていただけるような環境、支援を常に目指しています。

きっと・・・支援に関わるみなさん方もきっと一緒ではないでしょうか?

そこが「辛い」「きつい」って思われている方々も多いとは思いますが・・・

それ以上に私は「得る」モノが多いと思っています。

(疲れたときには・・・適度に休みましょう・・・)

 

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私は「障害」児・者と共に人生を送りたい

そして彼らの幸せやイキイキ生活できる基盤づくりンために

ご家族や地域の様々な機関と共につながりを持ち

そこでの課題や悩みを共有し前に進んでいくために

『共生のまちづくり』の実現のために動いていきたい。。。

それが私のビジョンでありミッションだと・・・

いかされている意味だと感じています。

あなたの福祉家としてのビジョン、ミッションってありますか?

親として家族として叶えたい夢・・・

実現せずして死ねないと思えるような思いや願はありますか?

それをやるのは誰でしょうか?

ずーーーっと待っているだけですか?

誰かがやってくれたら乗っかりますか?

どんな大人が子どものころに輝いて見えたでしょうか?

私は・・・いつも「夢」に向かっている大人でありたいなーーー

って日々思いながら活動しています?

あなたは・・・どう生涯を閉じたいでしょうか?

今の在り方に満足してますか?