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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

自分の“センサー”は大丈夫ですか??

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最近読んだブログたしか・・・

医師が書いていたなかで

いろいろやって来たけど

からだ直しの最強は、やはり

「ファスティング」

が最も有効だと書かれていた。

 

ふーーむなるほど・・・

最近のセッションの中でも

 

そう・・現在の社会の中では

そんなに「空腹」なんて感じたことがない。

きっと周りもそうではないかな・・・

と思う。

常に「満腹」まではいかないけど・・・

いつでも食べれる環境にあったり

「食べる」ってことは・・・

結構・・・だらだら・・・食べたり

ながら食べ・・・

(テレビ見ながら、何かしながら、スマホ片手に)

なんて・・・

そんなに

「感動する味」「めちゃくちゃ美味しかった」

なんて・・・日々考えずに食しているのかもしれない。

中には・・・「食事」するのに興味さえない人もいたり

(食べる時間がもったいないとか)

なんてことも聞いたりする。

 

からだの不具合を治すために医師も

「ファスティング」が最強というのかあ・・・

 

まずは体の中を空っぽにすること・・・

要は浄化すること・・・

からだを最初の状態にリセットするというか・・・0にするというが~

からだの毒素を抜ききるということか・・・

そんなこと・・・

 

心が疲れたというか・・・悩みをたくさん持ったまま

話を聞くこともあるが・・・

これもまた「ファスティング」が必要と思う。

出してしまうってこと・・・

ときには・・・すべてをってことも・・・

部分的にってことも・・・

んーーーーよくよく聞いてみると

そこ出すよりも・・・こっちかな・・・

みたいなこともあるけど・・・

 

「空腹」から「満たされる」感じ・・・

それは心も体も

今・・・必要とされていることかもしれない・・・

 

なんとなく「満たされた感」みたいなものがあるけど

なんとなく・・・

「乾いた感」も感じられる・・・

 

たくさんの知識や技能はたくさん習得している

情報だって・・・SNSや情報番組やで・・・

たくさん収集している・・・

要は「満腹」状態で・・・あるはず・・・

だけど「満たされない」

いくら・・・食べても食べても・・・「満腹」

のはずなのに・・・

「足りない、足りない」と・・・

ずーーーーっと求め続けてる・・・

自分の“センサー”が崩れてしまってるようなのだ・・・

そして・・・それを誰も修正してくれない・・・

んーーーもう今さら・・・

修正できないて諦めてしまってる?

んーーー自分の力だけでは・・・

もう修復不可能なのかなーーーって感じるし・・・

そうなった状態を紐解いていくのは・・・

人によるだろうけど・・・なかなか簡単ではない・・・

自分の“癖”の修復が難しいのと一緒だ・・・

 

でも・・・人って「変わる」と決意しなくても

「変わる」ことがあるのも見てきた・・・

最初は、なかなかわかってもらえなかったけど

何回も何回も話し込み・・・

何回も何回も会う機会を設け・・・

意見交換をし続け・・・

で・・・5年かかったかな・・・

会うとき。かかわるときには

「徹底的に、ていねいに」

会う機会が少なかったから・・・5年だけど・・・

 

会う環境が整っていたら・・・

きっと・・・きっと・・・

もっと早いんだろうなーーーって思う経験だった。

 

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あなたは・・・今・・・

何かデトックスしたいことって

ありますか?

それは

どんなことでしょう⁉️

 

どんなことに困っていますか??

 

 

 

 

 

 

 

受け入れることと気づくことって・・・

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ドクターの方のブログを読んでいて

【受け入れること、気づくこと】

と書かれていたものがあった。

病気の治しの中で大切なのは『気づく』ということ

だと書かれていた。

人は多かれ少なかれ『頑固』

病気の原因はこうでしょ!!といっても

それを受け入れるかどうかは決まっている。

 

受け入れるときには薄々そのことに気づいている

もしくは

そのトキにハッと気づかされたとこだけ受け入れる。

キーワードは『気づき』

 

この気づきが次の成長に繋がる。

 

ごくわずかな短期間で奇跡的な治癒が

起こる例を見聞きすることがあります。

1つは

楽しい、嬉しいといった正の感情を爆発させるとき

もう1つは

こだわってきたことに、ハッと気づいたとき

 

病気のときは気づきをたくさん得られる

チャンスなのです。

考えたこともないことを

いっぱい考えることができるから

 

ご飯がいつも美味しく食べられる有難さ

周りの人の温かさ

頑張りすぎていたこと

1人で何とかしようとしてきたコト

これまでの自分が幸せではなかったこと

 

病気にならなければ

みんなみんな気づけないことです。

 

そのチャンスをしんどい、先が見えない、苦しい、辛い

不幸だで終わらせるのは

あまりにもさみしい考え方だと僕は思うのです。

 

ってなことを書かれていた・・・

 

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んーーーこれは・・・

言葉を“病気”から“障害”に

置き換えてもそうだなーーーって思う・・・

案外別の言葉でも・・・

当てはまるのかもしれない・・・

 

子どもが小さなころから何回も入院して

私も付き添って・・・入院を何回もしたけど

それぞれの病院でそれぞれの出会いがあり、

そして・・・様々な『気づき』をもらった。

 

世の中には病院から一歩も出れないような生活を

している人もいること・・・

小さく小さく産まれた命でも懸命に

生きようとしていること

先行きが見えない辛そうな治療を受けていても

どこまでも前向きな人

明日の命が保障されていなくても

夢を目をキラキラ✨輝かせながら話す人

ボランティアでイベントや勉強会をやって

患者を励ましてくれる人

 

どんな長く入院しなきゃならないのか??

先行きが見えなくなってしんどくなって・・・

そんなとき・・・1日が長い入院生活で病院“散歩”の

中から・・・

さまざまなものを日々見つけていった。

 

『どーーーせ長くいなきゃなら・・・

楽しまなくちゃ・・・』

 

の発想から・・・

出会ったこともない、知らないこと、知らない病名・・・

知らないリハビリ用具、病院の意思、看護師だけではなく

看護助手さん、学生さん、近くの食堂の方

警備員さん、駐車場係の方・・・

さまざまな近隣で働いてる方々とも知り合いになり

仲良くしていただいた。

 

そして様々な職業の方たちを知り、その働き方も知った。

 

『失礼ですけど・・・聴いてもいいですか・・・』

 

なんて・・・

わからない、知らないを随分学んだ期間でもあった。

 

『受け入れる』と『気づき』も早い。

とは・・・よく言われる話・・・

 

『入院なんて・・・退屈で嫌だーーー

やることもないし・・・』

 

ではなく・・・

 

『仕方ないから・・・楽しんじゃお・・・』

 

たいして・・・前向きでもないけど・・・

発想の転換で・・・

気づきをたくさんもらった・・・

 

そんなこと・・・

みなさんにもありませんか???

 

私も久々に・・・そんなことあったなーーーなんて

思い出しちゃいました・・・

(大した転換でもないけど・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児・者の豊かな人生観について

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「就労」についての

ご心配や見解を聴くことがあるんですが・・・

學校が決めてきたとこにしか実習に行けない・・・

それも選択の幅が決まったりしてる・・・

就労先も決められてしまうのか???

ってなことや

初めからの能力別にされていて・・・

その中でしか選択肢がなさそうだ・・・

納得がいかないというようなことも聞いた。

 

んーーーーでも・・・

そこに行くかどうかなんてこちら側で

選んでいいし・・・

「絶対にしなければ」という風にも思わない。

 

本人次第です。

本人が喜んでいくということ

少なくとも本人が納得していくところ・・・

親や先生が勝手に決めると・・・

やめる確率も高くなります。

だって・・・自分が人から勝手に決められて

次々にきついこと、辛いことがやってきたら

きっと・・・乗り越え続けるのって・・・

とってもしんどいことだと思います。

 

また自分の稼いだお金の使い方・・・

どんなに小さな金額でも・・・

大きな金額でも。。。

自分が楽しむために使う、

そのことを意識し、働く喜びを体現しないと

働く意味を見出さなくなったりしますよ・・・

 

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普段から・・・自分で選択していく癖をつける

小さなころからほんの少しづつのことでいい

「朝ご飯はパンかごはんか」

「先にお風呂かごはんか」

「一緒に出掛けるか、留守番か」

など・・・本人が判断する自分が主人公の生活。

日常生活でそこを意識していると

仕事のときにちょっとした制約があるときにでも

案外大丈夫だったりするんです。

それは、普段の生活やプライベートでは

自分の選択が保障されているので

多少予定やルールが詰まっていても

乗り越えて行けちゃう・・んですね・・・

 

うちの子も随分と職場、就労先を転々としましたが

それもすべて

「本人」の選択に任せました。

 

「職場の人がこう言ってますがどうしますか?」

「ある作業所から来ませんか?と言われてますが

見学に行きますか?」

あるときには・・・

「きついから、今のところは行きたくない」

本人からそういってきたこともありました。

「やめますか?それとも行く日にちを考えて

2か所行くことにしますか?」

 

なんて・・・

話しながらやってきました。

彼女は普段から仕事も余暇活動も選択肢が豊かにある

そんな毎日を送ってきました・・・

そう今も・・・送っています。

だから・・・んーーー割と

どこでも与えられた環境になじみがよい・・・というか

適応が早いというか・・・

自分で「こうだ」と決められる。

自分で納得できる。

んーーーー自分の生活を大事にしている??

そんな生活を送ってきています。

 

たくさん休むと余暇活動ができる日が減る・・・

(福祉作業所は有給はありませんから・・・)

そんなことも自分で調整しながら考えることが

できるようになりました。

「この日休みたいから、この日は出る」

「今日は余暇活動はきついからお休みする」

「この買い物をしたいから、どこに行きたい」

新しい体験を提案しても・・・

自分が嫌なものはいやといいます・・・

(やってみたいことは・・・やってみようかなーーーと)

 

小さなころからの本人選択・・・

自分の人生を自分で歩んでいく癖・・・

人に依存しない。。。親や周りも

こうあるべきを押し付けない・・・

そんな日々が彼女に豊かな人生観をもたらせて

きてるんだなーーー

なんて思っています。

 

支援の本質~かんじんなものは・・・~

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ホームレス支援をしている

奥田さんのブログが目に入り読んだ。

そういえば・・・5~6年前

グリーンコープがやっている「抱撲館」という

ホームレス支援をしている場所に

お邪魔したことがあった。

奥田さんがやってるんだったかな??

確か・・・

牧師さんとお聞きしたような・・・記憶がある。

その時は。。。

みなさんと一緒の食事をとらせてもらい

館内を案内していただいて。。。

みなさんが、どんな思いでここにたどり着いたのか

どうしてここにいるのか・・・

そして、これからどうしていくのか

そんなことを聴いたり見たりした記憶がある・・・

そして・・・ここには・・・

きっと「障害」と診断はついていなくても

そんな苦しみを抱えていらっしゃる人もいる。

とお見受けしたのを覚えているし・・・

そのような方もいる。とお話を聞いた・・・

年齢も様々にいらっしゃって・・・

何だか。。。子ども達の将来。。。

しっかり考えていかなくちゃ!!

とさらに意識したのを覚えている。

 

彼のブログでは・・・

10年前のリーマンショックのあと

次々に夜の路上に若者たちが

現れたことが書かれていた。

「大丈夫ですか?」の問いに

「大丈夫です」と答える・・・

だけど。。。ホントは全然「大丈夫」ではない

彼らは・・・なぜ「助けて」と言わないのか??

そこを分析しておられた。

 

第1に“プライド”

「ホームレスと一緒にされては困る」

という思いか・・・

 

第2に“利用できる制度についての知識が少ない”

知らないと求めないのは当然

 

第3に“極端な自己責任社会”

「助けてといっても「何、甘えてる」

「努力が足りない」

と言われるだけだ」

「言わない」のではなく「言えない」のだ。

 

第4に“孤立”

人は自分の状態や生きる意味を「他者」を通じて知る。

路上は「他者性」を失った世界。

路上の若者は誰もが「崖っぷち」に立っていた。

本人はわかってない。

 

一緒に話し込んでいく中で、表情が変わり

「何とかなりますか」と言い出す。

それは、他者である僕が

「君、もう一歩下がると落ちて死ぬよ」

ち言い続けたからだ。

人は自分の状態を知るために

「他者」を必要としている。

出会いの中で自己認知が担保されるが

孤立状態では難しい。

 

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第5に“これが1番大変”

『制度があるのも知ってる』

『自己責任論は社会が無責任であり続けるための言い訳』

自分はどんな状態かわかっているけど

『助けて』と言わない。

『生きる意欲がない』『その気になれない』

絶望の深淵で冷え切った人の心が、

もう一度、鼓動を打つためにはどうしたらいいのか?

困窮者支援の本質はそこにある。

 

『もう一度生きようと思えるか』

『人の心に灯をともすこと』

 

自立はその後の話し、数値化することも

お金に換算することもできない。

 

肝心なものは見えないからだ。

しかし、見えなくても

『かんじんなもの』はあるしそれこそが支援の目的。

 

この間、“自立支援”が強調され、

困窮者においては

『就職』『増収』が支援成果の“目安”とされた。

 

でも・・・肝心なことは見えないのだ

 

『キツネは言いました。

“さっきの秘密をいおうかね、

何、なんでもないことだよ、心で見なくちゃ、

ものごとはよくみえない

ってことさ、肝心なことは目に見えないんだよ”

“肝心なことは目には見えない”

王子さまは忘れないように

繰り返しました』~星の王子さまより~

 

支援者と名乗る人たちは・・・

『かんじんなもの』を見ようと努力しなければ

ならないし・・・

『心の目』も研ぎ澄まさなければいけない・・・

そして・・・側に来てくれた方々に

『心の灯が消えないように・・・』

また・・・

『消えてしまっていたら・・・

どう灯すことができるのか?』

 

考えていかなければならない。

 

そんなこと・・・できてるかな???

とても・・・考えさせられた・・・

 

 

 

 

 

 

學校に行かない!!何がそうさせるのか?

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NHkのハートネットで

『学校に行かない』という選択、子ども達の思い

って記事を読みながら・・・

 

『学校に行くのが辛いときはいかなくていい』

そう・・・死ぬ思いをするくらいなら・・・

親として・・・そういうと思う。

ただ・・・何だかよくわからないとか・・・

んーーーー高校とか・・・

単位に関わってきちゃうと・・・

何だか???どうするだろう???

って思っちゃうし・・

年齢、学齢とかにもよるのかもしれない・・・

 

『行かなくなったらどうするのか』

これはいかなくなった保護者がぶつかる問題で・・・

いつになったら・・・???

どう進んでいくのか??

これからどうなるのか???

そんな思いがめぐらされていくのではないかと思う・・・

 

では・・・当の本人はどうなのか??

現在、学校に行っていない子どもたちと

行かなかった経験のある社会人の話を聴いていた。

 

『甘えてるって思われてるのでは・・・』

『出たいのに出られない』

そんな思いを抱えている子や・・・

『親が世間一般的に小中高大と行かせたくて、

窓から飛び降りようとして

泣きながら止めてくれ

そこから親が変わってくれた』

と話ながらも

『社会不適合者なんじゃあないか?』

『自分が悪いのでは・・・』

そうやって自分を責め追いつめて・・・

そこが、辛かった・・・とも話している。

 

「学校に行かないこと」で自分を責め

罪悪感を持っている子ども達・・・

そこには

「学校へは行くべきだ」

という大人や社会の否定的な目線が

影響している。

 

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教育学が専門の熊本大学教育学部准教授の

苫野一徳さんは

 

「不登校の問題は今の学校教育の在り方と

かかわりがあり

学びの場の多様性と変革が求めっれている」

と語る。

「みんな同じことを同じペースで

同じようなやり方で同質性の高い学年学級制

の中で出来上がっているこてばかりを勉強する。

その中で空気を読みあい、

サバイバルをしなきゃいけない。

その苦しさが、もう限界を超えている。

もっとこの学び舎ペースが尊重され

緩やかに共同性で支えながら、

自分で問いを立てて自分でその答えを

見つけていくような探求を中核にした

学びの在り方に構造転換していきたい」

と語っている。

 

また、教育評論家の尾木さんも

 

「1人1人がいろんな意味で伸びていける、

輝いていける体制をつくっていく

ことがすごく大事。

現場の先生方や元気に通っている子供たちも、

こうゆう問題があるんだとつかんで、

そしてみんなが安心して住めるような

學校や地域にしていく1人の主体になってほしい」

と言っている。

 

先日、私の事務所に教員が愚痴をこぼしに・・・??

相談しに???来た。

やはり、今の特別支援教育の在り方に関して・・・

不審に思う点やどうしたらいいのか

わからなくなってきた・・・

みたいなことだった。

 

現場も混乱している・・・

 

「先生はどうしたいですか?」

「子どものためにどうありたい???」

 

だけでは済まされない現状がある。

職員の評価制度・・・

最近問題になった教員間の“いじめ”

んーーーー???傷害事件??のように・・・

管理職との面談による職員の評価制度がある・・・

先生の通信簿みたいなものかな???

これって・・・客観的なのか??

この間の事件が物語ってる・・・

評価は・・・人の価値観、

その人の主観によって変わる・・・

って事・・・

要は・・・学年や学校がチームになってない・・・

って事・・・

そんな中に子どもも身を置いているって事・・・

 

「子どものいいところを探してくださいね」

「みんなと一緒を強要しないで・・・」

「様々なやり方を考えて・・・」

 

そんなことをあれやこれや・・・

子どものために・・・

頑張ってと伝えた。

(評価にもそこそこ気をつかって・・・

ってことも・・・制度がある以上仕方ない・・・)

 

子ども達の行くべき場所

子ども主体の場所・・・

そんなところで・・・どうやら・・・

そこに関わる大人も子どもも

疲弊しているようだ・・・

ホントにみんなで考えていかなきゃ・・・

行けない問題だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

歩ける人のための世界と感じること・・・2

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昨日のブログの続きになりますが・・・

全介助のお母さんのお話で・・・

世の中は歩ける人のための世界

ということで・・・悩みながら病院と療育を

受けていたお母さんの苦悩から・・・

 

『ん???これを今やることが有効なの?』

 

『この子にはこれが必要だろうか?』

 

と思う手前までの・・・お話を昨日書きました。

私も・・・子どもの幼少期は・・・

どれもこれも言われるまま何が何でも・・・

と肩ひじ張って・・・

『できないダメ親』を脱却したくて・・・

一生懸命・・・身も心も疲弊しながら

やってきた話を書きました・・・

 

でも・・・でもね・・・

何年も何年もやってきて少し・・・進んだ・・・

だけど・・・だけどね・・・

って考えることが多くなってきて・・・

それは・・・私が日々、彼女と向き合って

 

『これでいいのか』『ほかにないのか』

『楽しく笑っていられないのか』

 

さまざまな日々の中で

『問い』を立てながら

親として成長しようとしていたおかげか・・・

ちょっとづつ親にしてもらってきて・・・

このお母さんとは内容は違えど・・・

同じことやって来たなーーー

って思っちゃったんです。

 

彼女は

ありのままの子どもで

どう社会参加をさせていくか・・・

紆余曲折しながら・・・

アナログで生きていくことを求められても・・・

デジタルツールを彼女の生活に取り入れてみた。

ボタン1つで動くおもちゃ

走る車も足で踏めないから

手で押したら進むようにした。

そしたら・・・いつもと違う表情

今まで受け身でしかなかったことばかりだったのに

スイッチを押すことで彼女の世界は広がりだした。

重度障害児がデジタルツールなんて程遠いよ

と思っていた大人たちが、

デジタルツールによって

彼女の意思が見えることで

周りの人の反応や対応も変わってきた。

 

日々のリハビリも大切

だけど周りの大人たちが、どれだけ知識を持ち寄って

その子の『意思表示』を実現させるかは

関わる支援者にかかっている。

 

勝手なあれこれをしている場合ではない。

 

大人たちがまずは知ることから始めなければならない。

 

そして子ども達にはどんどん

『できる』『わかる』を体験させてあげてほしい。

そしてコミュニケーションを生み出す努力をしてほしい

 

そんなことが書かれていた。

 

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私も子育てしながら・・・

 

『子どもの中にいる方が・・・何だか真似っこして

前に進んでるぞ・・・』

 

『私だけが肩ひじ張らなくても・・・何だか

周りがやった方がうまく進むことがあるぞ・・・』

 

なんて経験をしてきましたし・・・

 

学校でも・・・

 

『んーーーコの子はあいうえお表からは

文字が入らない』

(カードとモノの組み合わせが入ってた。

犬の絵で【いぬ】【イヌ】【dock】)

 

『咀嚼がうまくないから・・・

時間内に給食食べるのムリだったら

ご飯と牛乳だけでも大丈夫です』

 

『んーーー計算はココが限界・・・

かも・・・

電卓使わせてもらっていいですか・・・』

 

とか・・・

子どもの様子を見ながら学校とも話し合いを重ねた。

 

『障害』児はとかくやることが制限されたり・・・

しがちで・・・

確かにできないことも多くある・・・

けれど・・・【意思】を確認してほしい。

『できる』『わかる』体験を増やしてほしい。

親だって・・・失敗だらけ・・・

上手くいかないことだらけで・・・

前に進んできた・・・

ちょっとやそっとかかわったくらいで・・・

簡単に理解できるはずもないし・・・

そんな『完璧』なんて求めてはないから・・・

勝手にせずに聴いてきて・・・

一緒に考えながらやってほしい・・・

 

大人はとかく・・・

自分の価値観や正義を振りかざす傾向にある。

 

よかれと思って段取り踏むことがほんとにいいのか?

よかれと思って先回りして準備するのがいいのか?

 

本人視点に立ってないこと・・・

たくさんある・・・

それは・・・きっと・・・

自分の経験が思い込みを生んで

邪魔をしてるんだけど・・・

 

私達大人が・・・未来ある子どもの将来を

見誤らないようにしなくちゃアいけないよな・・・

 

そうしっかり感じさせてもらった・・・

 

 

 

 

 

 

歩ける人のための世界と感じること・・・1

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ある全介助のお母さんのブログを読んだ・・・

確か全介助のスタッフの紹介だったかな???

保存していて・・・時間があるときに

順番にあけながら読んでいるのだが・・・

全介助のお母さんだけに限らず・・・

「障害」児の・・・

特に病院とのお付き合い

療育とのお付き合いを欠くことができない

そんな方達には・・・

「あーーーーねーーーー」

ってちょっと理解できたりするんじゃあないでしょうか?

 

私も・・・口唇口蓋裂と知的の娘を育ててきて・・・

「あーーーそうねーーーー」

って思いながら・・・この記事を読んでいた。

 

お子さんをうんで8週間で母子でリハビリ入院をしたのを

きっかけに・・・

これからの人生リハビリというものは

一生続けていかなければいけないものだと理解した。

 

そう・・・私も子どもを産んで

すぐ離されて手術の予定を延々と数年にわたって

聴かされた時も・・・

それからのリハビリの予定を聴かされた時も

「あーーーこれから病院と療育と・・・

切り離せない生活になるんだ」

と覚悟をしたものだった。

 

彼女は・・・こう続けた。

その間たくさんのリハビリに励む母子に出会い

自分もリハビリオタクでめちゃくちゃ楽しみながら頑張った。

子どもの後ろから鬼のようにワーワーと言ってる母親

夜も自主練に励む親

みんなくらい病院を歩くための練習をする。

リハビリを頑張れば歩くことができるかもしれない子ども達と

どれだけ頑張っても歩くという機能を脳に備えてないわが子

明らかに行うリハビリが違う

 

リハビリの部屋にあるおもちゃ

特にどのおもちゃにも興味を示さないわが子と

あれがいいこれがいいと・・・おもちゃで遊びたいと

思える子どもたち

意思表示ができる子どもは、おもちゃを取りに行く

のもリハビリになる。

 

そんな中で私にふつふつとわいてきた考え

「そんなに歩けなければいけないのか?」

確かに世の中は歩けるを前提に作られていて

歩ける方がいいに決まってるけど

でも歩くことが「当たり前」になりすぎてはいないか?

大人たちの意識の中に

「歩かなければいけない」

という思いが根付きすぎている。

1歳を過ぎた子どもが歩かないと周りの大人たちが

どこか「障害」があるかもと心配し始める。

そして・・・もしかしたら歩けるかもしれないといわれたら

「障害」児の親は必死に子どもを歩かせようとする。

 

うちは歩けない

「歩けることを目標にしていない」

ありのままでどう社会参加させるか?

2歳まじかの姪が器用にスマホを使いこなす。

けれど重度障害児のこの子には

大人はアナログで生きていくことを強要する。

 

これをつかめ、これを叩け

やたら感触遊びにこだわる。

いつまでもデジタルツールで遊ぼうには

ならない。

なぜなら・・・そこに到達するまでにできなければ

ならないことができてないから

 

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ここまで読んで・・・

ふーーーと私も過去の思いが沸きあがった。

療育訓練に1時間かけていき・・・予約していても

2時間待ち・・・そして療育と診察で30分

出来てないことをたくさん指摘され

「ほんとにちゃんとやってますか?

ここでやってみて・・・」

なーーーんて言われながら、子どもには笑いかけながらも

心はズタボロだった。そして

また1時間かけて帰る。

 

待合いの時間も苦痛だった。

成長が著しい他の子と

医師から10段階の8レベルと言われているうちの子

とでは・・・差が大きい。

そんなことを同じ「障害」であったとしても

目の前で思い知らされてしまうのだ。

 

そして・・・帰ってからも1か月後にまた

大学病院に行くことを考えて

「今よりできること」を探し・・・言われた通り・・・

疲弊しながらも一生懸命にやれるだけのことは

やるのだ・・・しつこくしつこく・・・

子どもが楽しくなくても嫌がっても・・・

こっちも

「なんで・・・なんでできないの」

って泣きながらもやる・・・

その繰り返しだった・・・

あの頃は疲弊していたなーーー

なんて・・・思い出しちゃった。

 

今は・・・こんなこと言われたりはしないんだろうけど

でも・・・

このお母さんの気持ちに私が共感するように

今も・・・どこかで・・・同じ思い

抱えている・・・そんなことあるんじゃあないかな・・・

 

あーーーーここから

このお母さんも・・・私も変わっていきますけど・・・

そこも一緒なの(笑)

 

その部分は・・・

明日・・・また書いちゃいましょーーーー 

 

「鴻上尚史のほがらか人生相談・生きていれば言葉はいくらでも上書きできる

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40年間悩み相談に答えてきた

作家・鴻上尚史は語る

ネット最大の罪

って記事があった・・・

 

AERAにも連載されているんですね・・・

私は全然・・・雑誌も読むのは美容室か

銀行の待合い・・・くらいなので・・・

ホントに初めて知りました。

 

「鴻上尚史のほがらか人生相談~

息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」

 

40年も様々な方のお悩みにこたえられていて・・・

それが・・・『神解答』だとか・・・

 

人気の理由は・・・

具体的で実践的なアドバイス

抽象論や根性論を避け、今すぐにでも

実行できそうな解決策を提示。

 

著書も出版され

『孤独と不安のレッスンより良い人生を送るために』

『コミュニケイションのレッスン聞く・話す・交渉する』

 

がある。

演出家で舞台に携わるため・・・相談も多く

幕が日々上がる舞台では・・・

相談内容に・・・

『まって』はない・・そこでは瞬発力が求められ

『考えすぎだよ』『頑張れ』

なんて・・・

抽象的なアドバイスは余裕があるときにしか成立しない

 

だから・・・とにかく

具体的で即実行可能なことを言ってあげる。

 

『あの人とうまくやれない』は・・・

次の朝あったときに大きな声で

『おはようございます』

と言ってみようとか・・・

あの人はブドウが好きだから差し入れてみたら?

とか・・・ほんのちょっとした具体的なこと・・・

 

だから・・・連載の回答も早いのだそう・・・

 

興味関心のある

『世間と社会』『同調圧力』『教育』『恋愛』『毒親』

でも・・・こんなことは

現代人の生きづらさや、今の日本社会が

抱える様々な問題が浮き彫りにされているように

感じるが・・・

これらの問題って・・・実は昔からあって・・・

 

『あーーーこれが毒親って呼ぶんだ』

『これが同調圧力なんだ』

 

って・・・

 

それはすごく大きな目で見ると、

世界が良い方向に進んでいるんだと思う。

つまりLGBTQ+、同性婚、#MeToo・・・

世界はより自由で個人を

尊重する方向に進んでいる。

 

これは可視化されて来なかった問題が

浮き彫りになってきている

というのは・・・社会が変わろうとしている証拠。

 

多様性を認めるって難しい側面もある。

良い方向に行けば

みんなが楽になるんだけど、

タフな方向に変わってしまうと

そのタフに耐えられる人だけ

自由を享受できる可能性もあり

そこに不安がある人は、

現在の価値観にしがみつく。

 

そもそも『変わらない』ということは、

とても楽なことなんです。

 

また、多様性を反対するような人たちは

昔から一定数存在したけど

今の様に可視化されてなかった。

 

でも、ネットによってその姿や声が見えるようになって

彼らは連帯して力を持つようになった。

これはネット、特にSNSがうんだ悪い側面。

 

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だけどSNSの良さもあって

それは情報を

『つなぐこと』『人間を繋ぐこと』

上手く利用すれば無限の可能性がある。

まだまだSNSやそれにアクセスする

スマホは手に余る道具。

どう付き合っていくか?

僕らは試されている段階なんだと思う。

 

スマホを持ってしまったことで、

みんなの自己主張と自己承認の欲求も加速。

まさにクレームの時代

 

特にSNSでは『正義』をふりかざして攻撃する人が多い。

そんな人をアメリカでは

『ソーシャル・ジャスティス・ウォーリア』

と呼ぶ

今回の舞台は、

そんな時代を風刺しているのだそう・・・

 

展示会をした時に

『公金を使って国を批判するな』

なんていう人がいましたが、

その理論は間違っている。

公金というのは国からもらっているのではなく、

ぼくらが払った税金。

多様な意見を持った国民が出しているお金なので、

どんな内容のアートに

使われたとしても認めなければいけない。

『作品の表現について国が口を出すなんて愚かなこと』

を常識にしていかなくてはならない・・・

 

最後にインタビュアーからの質問

『僕は耳の不自由な両親に育てられ、

幼少期『障害のある親なんいぇ嫌だ』

『普通の家に生まれたかった』

と随分ひどいことを言ってしまって

関係は良好なものの、時折、

当時のことを思い出し、どんな顔をして

あえばいいのかわからなくなる』

 

との問いに

 

そんなの簡単。『あの時は、ごめんね』

っていえばいい。

 

ただし、ちゃんと時間を確保して真剣に

 

『ここに座ってくれる』

『どうしても忘れられなくて

謝りたいことがあるんだけど・・・』

 

ってね・・・

 

生きていれば言葉はいくらでも上書きできる

そう結んでいた。

 

凄く・・・悩みの回答の仕方に共感した。

みんな日々・・・悩みの中にいて・・・

『明日いう言葉』が欲しいんです。

『すぐに実践できること』を探してる・・・

世の中のスピードは速い。

さまざまな駆け引きも早い時間の中で流れていく・・・

だから即・・・すぐが欲しいんです。

 

そして・・・何かを動いてやったとしても

情報がSNSやスマホであふれんばかりに入っていて・・・

整理ができなくなってしまってる・・・

それを紐解いて一緒にやっていくことも

とても重要なことなんだと・・・

私も最近の相談を聞いていて思っていました。

 

そして・・・

これが『大きい目』で見たら・・・

世の中が良くなってる

動いているって捉えること・・・

そうなんだーーーと何だか心が軽くなりました。

 

さまざまな失敗や苦しみ、悲しみ・・・

そんなことも聴きながら・・・

 

『生きていれば言葉はいくらでも上書きできる』

そんな言葉に

 

失敗しても・・・なんちゃないよ・・・

何だか元気が出ました・・・

 

 

正解のない時代の子育てのありかた

 

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 ある方の記事が目に入った。

人の情報の取り方って・・・

どうなんだろう??

私は・・自分の興味関心が大きく影響し・・・

関心事のその文字や映像は・・・ピッと反応し

サッと目が行くので・・・

サッと保存したり・・・写メったり・・・

なんてしてから・・・後で時間があるときに

ゆっくり見直すタイプ・・・

ってのが・・・私のやり方なんですが・・・

 

みなさんはいかがでしょうか???

どんなものが目に飛び込んできたりします??

 

今回私は

「正解のない時代の子育て」ってかいてあることに

ピッと反応していて・・・

保存をかけておいたもの・・・

まさに・・・現代・・・子育てにおける悩みは

多く寄せられてくるので・・・

ん???どんなこと書かれてるんだろう??

なんて興味津々で読んでみた・・・

 

そうかーーーなるほど・・・

不登校のことも・・・

“本人が選択して学校に行かなくなった”

ってコトも・・・

まだまだ親にとっては・・・

ホントにこんなことでいいのか??

この子の将来はどうなっちゃうんだろう??

なんて・・・不安になっちゃったりする方々も多い・・・

そんな中・・・

とても面白いなーーーと思ったのが

 

佐別当さん一家の子育てのカタチ・・・だった。

「正解のない時代の子育ての在り方」

 

そんな内容だ。

働き方など世の中の・・・あらゆるものが早いスピードで

変化をしていく中・・・

子育てや保育、教育の部分が従来どうりでいいわけがない

世の中と・・・マッチしなさ過ぎてる・・・

世の中の変化に時代についていってないのではないか???

私もずーーーっと違和感が年々増幅してきて・・・

 

「オカシイよなーーー」

 

なんて思っていた所の記事だった。

 

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7歳のお子さんは週に1回しか学校に行かない。

自ら立てた自宅がシェアハウスの機能を備え日替わりでくる

外国人の旅人と共に暮らし、イベントスペースを兼ねるリビングで

日々ワークショップを開催。

交流の中で絵画、音楽、英語、中国語を習い、

5月に開催された「世界こどもサミット」では500人の観衆の前で

スピーチをし・・・

現在、子どものための「キッズホテル」を構想中とのこと

 

もともと・・・お父さんとお母さんもシェアハウスに住んでいて

そこで知り合い結婚。

そこでの人脈や出会い、仕事につながったり貴重な体験だった

と語る。

それを子どもにも体感してほしかったようだ。

年齢も国籍も職業もごちゃまぜになって融合する空間。

好きなことに取り組んでいくうちに子どもは自然と学んでいく

お父さんは語る。

 

「今は変化のスピードが速いから将来、

こんな未来が来るからそのための

スキルを身に着けるべき」

 

なんて僕らだってわからない時代・・・

お母さんも

 

「自分をちゃんともってて、

人と関係性をつくれれば

それでじゅうぶん」

 

と語る。

お母さんは台湾の方だが・・・

「日本人にとっては

ルールに従うことが重要で

何のためにそのルールが

あるのかを考えることがない。

目の前に助けなきゃいけない人がいても

ルールでは難しいが

自然と手を差し伸べるのが本来あるべき姿では・・・」

 

と・・・

(あーーー災害時のホームレス差別事象・・・思い出しちゃう・・・)

 

この週1回通学に関しても・・・

最初は・・・

通うかやめるか・・・の二択を言われたのだそう・・・

けれど・・・教育委員会に相談して

教育現場は整っているから来れる日からくればいい

という対応に変わったとか・・・

自分達は

何かが全面的に間違っていて、別のこれこそが正しい

というのはそれもまた・・・思考停止状態・・・と思っていると

もっと柔軟に対応していいのでは・・・

海外ではホームスクリーニングが2~3割いる。

 

きっかけさえあれば自分で学んでいくのが子どもですけど

そのきっかけとなる環境を用意するのは親の役割・・・

 

ともおっしゃっている。

 

多様化したニーズにきめ細やかに対応する・・・

それは小さな組織が

メンバーひとりひとりの自発性やオリジナリティを

どう生かしていくか・・・

それが・・・

組織が機能していくためのカギだとしたら・・・

 

どーーーんなものができるだろう??

それを・・・どうワクワクできるだろう・・・

しばらく・・・

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しっかり考えていきたい

 

「発達障害」って血液型のようなものなんだって・・・

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発達障害は病気ではない

「情報処理のタイプ」が異なるだけ

 

という著書を少し・・・読んで

最近・・・やたら・・・

多く診断名がつき急増している

ĀDHD、学習障害、アスペルガー、自閉症・・・

これっていったい何なんだろう???

ってずーーーっと疑問で・・・

 

その対応の在り方や

 やり方に疑問で・・・相談にしても

この問題が多く・・・

「何にそれぞれが困ってるのか?」

「周りがホントにすべきことは?」

って思いながら・・・

みていると・・・

 

この中では人の脳の情報処理の分類を

“定型型”“̚非定型型”に分類していたが

定型型は人に関する情報処理能力が

モノに関する情報処理能力より優れ

些細な表情から感情を読みとったり

相手の微妙なトーンから言葉以外のニュアンスを

感じたりすることができ

非定期型は

こうした社会的情報処理が苦手で、

相手の感情や微妙なニュアンスを読み取り損ない

コミュニケーションがうまくいかない

けれど、その分別の面では情報処理に長けている。

 

非定型型の分類説明で行くと・・・

“視覚空間型”

言葉ではうまく表現できないが、映像や動きにかかわる

情報を随時に直感的に処理する能力が高い

ボールや体の動き、空間の位置やモノの形態といった

視覚空間情報を素早く処理できる。

運動やモノづくりが得意で勉強は苦手でも

職人、技術者、芸術家、スポーツ選手として活躍

する人も多い。

対人関係では、社交性に欠けていたり、

強情で柔軟性に欠けていたり

言葉ではうまく伝えられないと爆発しやすかったりする。

“視覚言語型”

文字言語、数字、記号、抽象的な概念を処理する能力に

優れている。

難解な文章を読んだり書いたりするのが得意

詩や小説の読解で作者の気持ちを聴かれると

自信がないが論理や数字を扱うのは得意。

人と遊んだり体を動かすことよりも

本を読んだり頭の中で考えるのを好む。

学者や研究者、専門技能を持つテクノクラートには

このタイプが多い。

“聴覚言語型”

社会的な能力の発達はよいタイプ。

聞き取りや会話言語処理に優れている。

勉強する場合には自分で本を読むよりも

講義や人の説明を聞いた方が頭に入りやすい。

 

視覚言語型は、自分で本を読んだり独学が能率よくみにつき

視覚空間型は、実際に体や手を動かさないと身につかない

 

著者は、細かく分ければまだあるが、大きくこの3つを知ることで

発達特性を踏まえてどうゆう教育が

その子を伸ばすかを考える上での有用な指針になると・・・

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講義形式の授業は、視覚言語型の子を基準したもの

それ以外の子には1日6時間か、それ以上も先生の説明を聴く

学習方法に縛られることは時間と労力の無駄

 

視覚言語型は有用な面もあり、このタイプは

授業を聴くのは得意ではないが成績はよく本から得た知識

が豊富ということが多い。

 

1番割を食っているのが視覚空間型の子ども

今の学校生活では彼らの特性を活かせず劣等感ばかりを

強めてしまいやすい。

 

このような違いは「健常」「障害」

とか言うよりも

情報処理タイプの違い、血液型のようなもの

A型の人が最も多いがB型やO型もいるし

比率で行くと少ないがAB型の人もいる。

それを「健常」「障害」として扱ったとしたら

大変なことになる。

ところが発達に関すると、そうしたことが起きかねない。

少数派タイプは様々なふりを強いられるため、

不適応を起こしやすく、そして、問題が起きると

それ見たことかとばかりに発達に問題があるから

「発達障害」だということになってしまう。

 

しかし、もともとはタイプ、

特性の違い、それをその人の不利な物差しで測られることに

悲劇が始まる。

 

と書かれていた。

 

うんうん。。。

まずは特性、タイプそれを本人も周りも理解しわかって

そして、その子にあったことをしていくこと

あーーーなんとシンプル・・・

それも・・・今は・・・

支援学級なるものが急増しているんだから・・・

人員は多いはず・・・

ってことはできやすい環境ってことだよね・・・

 

なのに・・・

相談が。。。山のようにやってくるのはなぜ???

 

それって。。。みんなが知らないことが多いって事

物差しが間違ってるってことなんだな・・・

 

そうかーーー大人として・・・

どうかかわっていこうか???

考動していかなきゃ!!