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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「正しい支援」より「続けられる支援」——私が37年間で気づいたこと

私が、日々、利用者さんに向き合うとき、とても大事にしていることがあります。

それは

「正しさより、続けられる支援を」

この言葉に、私の37年間が凝縮されています。

今日はその意味を、丁寧に話したいと思います。


「正しい支援」を求めて疲弊した日々

娘が小さかった頃、私は「正しい支援」を探し続けていました。

最新の療育メソッド、評判の良い専門家、効果があると言われる訓練——

「これが正解だ」と思えるものを見つけて、

それを完璧に実行しようとしていました。

でも、続きませんでした。

完璧を求めるほど、少し外れると「また失敗した」という感覚になる。

そして、準備にも莫大な時間がかかる。

子どもの反応が思うようでないと、「方法が間違っているのかもしれない」

と不安になる。

「正しさ」を追いかけることで、

目の前の娘を見る余裕がどんどんなくなっていました。


「続けられる」ことの力

気づいたのは、ずっとあとのことです。

完璧ではないけれど、毎日続けられること。

劇的な効果はないけれど、親も子も無理をしないでいられること。

そういう支援の方が、長い目で見たときに、

子どもの育ちに深く関わっていたということを。

支援の効果は、短期間ではなかなか測れないことの方が多いです。

特に知的障がいや発達障がいのある子どもの育ちは、

長い時間の中でじわじわと現れてくることがほとんどです。

だとすれば、長く続けられることの方が、

単発の「正しい支援」より、『続けられる』ことの力は、

はるかに価値があります。


「続けられる」を判断する3つの問い

支援が「続けられるかどうか」を判断するとき、

私はこの3つの問いを大切にしています。

一つ目:親が無理をしていないか。


送迎、手続き、連絡帳、保護者会——

これらの総量が、日常生活を圧迫していないか。

親が消耗している支援は、結果、長続きしません。

 

二つ目:子どもが嫌がっていないか。


嫌がることにも意味がある場合はあります。

でも、継続的に強いストレスを示している場合は、

その支援が今の子どもに合っていない可能性が十分にあります。

 

三つ目:家族全体のバランスが保たれているか。


きょうだい児への影響、夫婦関係、家庭の経済的な余裕——

支援は子ども一人のためだけではなく、

家族全体の中で機能する必要があります。無理しすぎていませんか?


「続ける」ことを選んだ日の話

娘が10代のころ、ある療育をやめる決断をしました。

効果がないわけではありませんでした。

でも私自身がその送迎と対応に追われ、

娘やきょうだい児と向き合う時間が減っていることに気づいたのです。

やめることへの罪悪感がありました。

大丈夫か?って言う不安もありました。

でもやめた後、娘と過ごす時間が増え、娘やきょうだい児の表情が変わりました。

だからあの時の、あの判断は正しかったと、今でも思っています。

「正しい支援より、続けられる支援を」——

この言葉は、あの私自身の経験から生まれました。

次回は、支援者が多すぎることで起きる混乱についてお話しします。

 

療育、本当に全部必要ですか?——見直す勇気を持つ

「療育をやめたいと思っているんですが、言い出せなくて」

この言葉を聞いたのは、ある日の相談でのことでした。

3つの療育機関に通わせながら、

毎週の送迎と連絡帳の記入と保護者面談に追われていたお母さんでした。

他にもきょうだい児もいます。

子どもはすでに疲れた顔をしていた。

でも「やめたら後悔するかも」という不安で、踏み出せないでいたのです。

かなりの無理をされているのでは?と感じていました。

今日は、そういう方に向けて書きたいって思います。


療育を「正解」として疑わない問題

療育は、障がいのある子どもの発達を支える大切な支援です。

それは間違いありません。

でも「療育=やればやるほどいい」という思い込みが、

親御さんを苦しめているケースを、現場で何度も見てきました。

療育機関の先生方は、その機関での支援を一生懸命考えてくれています。

でも、複数の療育機関に通っているとき、

その全体像を俯瞰できている人が誰もいない、ということが起きます。

Aの療育とBの療育で、アプローチが真逆だった、

というケースも珍しくありません。

療育の「中身」だけでなく、「組み合わせ」と「量」を

定期的に見直すことが必要なのです。

たくさんやることが必要な時期もありますが

見直す時期も、これもまた大事なことだと思います。


見直すべきサインとは

次のような状況が続いているなら、

療育の見直しを検討するタイミングかもしれません。

子どもが療育に行くことを嫌がるようになった。

療育から帰ってきたあと、極端に疲弊している。

家での様子が、療育を始める前より悪化している。

親の送迎負担が大きすぎて、日常生活が回らなくなっている。

これらは「やめるべき」というサインではなく、

いったん「立ち止まって考えるべき」というサインです。


「やめる」ではなく「選ぶ」という視点

療育を見直すとき、大切な視点があります。

それは「やめる」ではなく「選ぶ」という視点です。

今ある療育の中で、今の子どもに最も必要なものはどれか。

今の家族の生活リズムに合っているものはどれか。

子ども自身が楽しめているものはどれか。

この問いを、相談支援専門員や療育機関の担当者と一緒に考えてみてください。

「全部続けなければ」という前提を外すだけで、見えてくるものが変わります。

お子さんが、おひとりなら可能だって頑張ってる方もいますが

1人だろうときょうだい児がいようと、見直すポイントは一緒です。


秋は見直しの絶好のタイミング

9月は、新学期が始まり、夏休みの疲れが出てくる時期です。

同時に、年度の折り返しとして、

支援の内容を見直すには最適なタイミングでもあります。

来年度の支援を考え始める前に、今の支援を一度棚卸しする。

それが今月のシリーズを通じて、一緒にやっていきたいことです。

一緒にゆっくり考えていきましょう。

次回は「正しい支援より続けられる支援を」という考え方について、深掘りします。

 

支援が増えすぎて、親が倒れる——「足す」より「引く」判断の話

「もっと支援を増やした方がいいですか?」

この質問を、相談の中で何度聞いてきたでしょう・・・

支援を増やすことが「良い親」の証明だと思っている方は、

少なくありません。

 

療育、習い事、放課後等デイサービス、医療機関——

良いと聞いたものを、片っ端から試そうとする。

その気持ちは、痛いほどわかります。

でも私は、36年間娘を育てながら、

そして20,000件以上の相談を受けてきた中で、

の確信を持つようになりました。

支援は、増やすことより、整えることの方がずっと難しい。って事。


「支援過多」という状態がある

あまり語られないことですが、

支援が多すぎることで家庭が機能不全に陥るケースが、

現場では珍しくありません。

 

月曜は療育A、火曜は病院、水曜は療育B、木曜は放課後デイ、金曜は作業療法——

こうしたスケジュールを抱えている家庭を、

私は何度も見てきました。

何なら私が、そうでしたから(笑)

子どもは毎日どこかに連れて行かれ、

親は送迎と手続きと連絡帳の記入に追われる。

「支援を受けているはずなのに、なぜこんなに疲れているんだろう」

という声を、何度聞いたことでしょうか。

支援を受けること自体は悪くありません。

問題は、その支援が「家族全体の生活」を圧迫し始めたとき、

それに気づけていないことなんです。


なぜ「引く」判断が難しいのか

支援を減らすことへの抵抗感は、多くの親御さんが持っています。

「やめたら、この子の発達が遅れるんじゃないか」

「せっかく入れた事業所を手放したら、もう入れないかもしれない」

「支援者の先生に申し訳ない」

 

これらの不安は、どれも正直な気持ちだと思います。

でもその不安の裏に、

支援を減らすことは、子どもへの愛情を減らすことだ」

という思い込みが潜んでいることがあります。

けれど、決して、そうではありません。

子どもに必要なのは、支援の「量」ではなく「質」です。

そして質の高い支援を受け続けるためには、

親が元気でいることが前提条件になります。


「引く」ことが、実は最大の支援になる

私が現場で見てきた中で、

支援を整理したことで家庭が劇的に改善したケースがいくつもあります。

週5日の支援を週3日に減らした。

その結果、親に余裕が生まれ、家での関わりの質が上がった。

子どもの表情が明るくなった。

支援者との関係も、丁寧に育てられるようになった。

「足す」ことで解決しようとしていた問題が、「引く」ことで解決した。

これは、決して珍しいことではありません。

今のあなたは・・・どうですか?


「続けられる支援」が、最善の支援

私がずっと伝えてきた言葉があります。

「正しい支援より、続けられる支援を」

どんなに効果的な支援でも、親が倒れたら続きません。

子どもが嫌がっているなら、その支援は今の子どもに合っていないかもしれない。

家族全体が疲弊しているなら、一度立ち止まって見直す必要があります。

支援を「引く」判断は、諦めではありません。

長く続けるための、賢明な選択です。

今のご自分の家庭の状況を今一度

見直してみませんか?

次回は、療育を見直す具体的な視点についてお話しします。

 

 

夏休み、父親はどこにいた?——家族の役割分担を考える

「夫が、何もわかってくれない」

この言葉を、相談の中で何度聞いてきたでしょう。

障がいのある子を育てる家庭で、母親が限界を迎えているとき、

父親はどこにいるのか。

30年以上の地域活動と、20,000件以上の相談を通じて見えてきたことを、

今日は正直に書きます。

夏休みは特に、この問題が浮き彫りになる季節です。

夏休みに広がる「ケアの非対称」

学校がある期間も、

障がいのある子どものケアは主に母親が担っていることが多いです。

でも夏休みになると、その非対称がさらに拡大します。

学校という「外部の支援」がなくなり、子どものケアが家庭に集中する。

その「家庭」が、実質的には「母親一人」になっているケースが、

現場では珍しくありません。

父親は仕事に行く。帰ってくる。

でも家の中で何が起きているか、どれほどの負荷が母親にかかっているかを、

正確に把握できていないことが多い。

これは父親が悪い、というより、見えにくい構造になっているという問題です。

母親がいっぱいいっぱいになっているとき、

父親が「今日の夕飯何?」と聞いてくる。

その一言が、どれほど母親の心を削るか。

父親には悪意がない。ただ、見えていないのです。

「手伝う」から「担う」へ

父親の関わり方でよく聞くのが、「できるときに手伝う」というスタンスです。

でも「手伝う」という言葉には、「主体は自分ではない」

という前提が含まれています。

ケアの主体が母親で、父親はサポート役——

この構造が変わらない限り、母親の負担は本質的には減りません。

必要なのは「手伝う」から「担う」への転換です。

「夏休み中の午前中の対応は自分が担う」

「週に一度、妻が一人でいられる時間を作る」

というように、役割として「担う」部分を決める。

これだけで、家庭の空気が大きく変わることがあります。

父親が「わからない」理由

「夫はこの子のことをわかっていない」という声をよく聞きますが、

父親側の話も聞いてきました。

「どう関わればいいかわからない」

「何かしようとすると、妻にそうではないと口を出される」

「仕事で疲れているのに、家でも何かしなければいけないのかと思うと、

どうしていいかわからなくなる」

父親が無関心なのではなく、

「どう関わればいいかわからない」状態に陥っていることが多いのです。

この「わからない」を放置すると、

父親はどんどん家庭の外側に立つようになります。

母親は孤立し、父親は疎外感を感じ、家族全体がバラバラになっていく。

夏休みは、その亀裂が深まりやすい季節でもあります。

「話す」ことから始める

父親との関係を変えるために、最初にできることはシンプルです。

「今日、一番しんどかったことを一つだけ話す」

解決を求めなくていいです。

「こうしてほしい」と要求しなくていい。

ただ「今日はこれが大変だった」と、事実として話す。

父親の多くは、「何かしなければ」と思ったとき、解決策を探そうとします。

でも母親が求めているのは、解決策ではなく

「わかってもらえた」という感覚であることが多い。

「それは大変だったね」の一言が、どれほど支えになるか。

この違いを、まず夫婦で共有することが大切です。

また、父親に子どもとの時間を意図的に作ることも重要です。

夏休みは、その機会を作りやすい季節でもあります。

「今日の午後は任せる」と言って、母親が外に出る。

その時間が、父親と子どもの関係を育て、母親に必要な休息をもたらします。

家族は、チームである

障がいのある子どもを育てることは、一人でできることではありません。

それは母親一人で担うことでも、父親が「手伝う」ことでもない。

家族というチームで、それぞれが役割を持って取り組むことです。

チームとして機能するためには、まず「何が起きているか」

を共有することが必要です。

夏休みが終わった今、この夏を振り返る時間を夫婦でとってみてください。

「今年の夏、一番しんどかったのはいつ?」という問いを、

二人でしてみてください。

その対話が、来年の夏を変えていきます。

家族が一つのチームになったとき、

子どもに届く支援の質は大きく変わります。

それを、私は現場で何度も見てきました。

間違えのない事実です。

 

夏休みに壊れかけた私が、立ち直れた理由

あれは、娘がまだ小さかった頃の夏のことです。

療育の送迎、食事の介助、夜中の対応、そして翌日の準備——

気がついたら、一日中誰かのために動き続けていました。

自分のために使った時間が、その日は一分もなかった。

そのことに気づいたのは、深夜に台所でひとり立っていたときでした。

泣こうとしたのに、涙も出なかった。

「私、壊れかけているな」と、そのとき初めて気づきました。

「頑張れる」が一番危ない

あの頃の私は、「まだ頑張れる」と思っていました。

娘のために。家族のために。地域のために。

「もっとできるはずだ」「これくらいで弱音を吐いてはいけない」と、

自分を奮い立たせ続けていました。

でも今になって思います。

「まだ頑張れる」と感じているときほど、実は一番危ない状態だったと。

壊れる前には、必ずサインがあります。

涙が出なくなった。笑えなくなった。誰かの「ありがとう」が、

うれしいと感じられなくなった。それどころか空しく響く。

これらは、心が限界に近づいているサインです。

でも当時の私には、そのサインを読む余裕すら残っていませんでした。

20,000件以上の相談を受けてきた中で、同じ状態になっていた親御さんを

何度も見てきました。

「まだ大丈夫」「もう少しだけ」と言い続けて、

ある日突然動けなくなってしまう。壊れてしまう。

その瞬間まで、自分が限界だということに気づけなかった、

という方がほとんどでした。

立ち直れた理由——「助けて」の一言

私が壊れかけた夏、立ち直れたきっかけはとてもシンプルなことでした。

信頼できる仲間に、「もう限界かもしれない」と話したのです。

大げさな相談ではありませんでした。

電話口でぽつりと言っただけ。

でもその一言を言った瞬間、肩の力がすっと抜けるのを感じました。

「そうか、限界だったんだね」

その言葉だけで、十分でした。解決策は何もなかった。

状況は何も変わっていない。

でも「わかってもらえた」という感覚が、私を立ち直らせてくれました。

人は、孤独の中でこそ壊れていきます。

逆に言えば、誰かとつながっている限り、どこかで立ち直れる。

あの夏の体験が、私にそれを教えてくれました。

「自分が倒れたら、どうなるか」を想像してほしい

今、限界を感じているあなたに、一つだけ問いかけさせてください。

あなたが倒れたら、お子さんはどうなりますか?

責めているのではありません。「あなたが倒れていい」とも言いません。

ただ、「あなたが元気でいることが、最大の支援である」ということを、

改めて伝えたいのです。

親が壊れないことが、すべての支援の土台です。

これは37年間、現場で学んだ中で最も確信していることです。

どんなに良い支援計画も、親が倒れた瞬間に止まります。

親が元気でいることは、わが身のためだけでなく、

そばにいる子どものための行動でもあるのです。

今日、一つだけやってほしいこと

「助けて」と言える相手を、一人だけ思い浮かべてください。

家族でも、支援者でも、親の会の仲間でも。

その人に、今日一言だけ連絡してみてください。

「最近しんどくて」それだけでいいです。

壊れかけたあの夏の自分に、今の私が伝えられるとしたら、きっとこれだけです。

「もっと早く、助けてって言ってよかったんだよ」と。

「壊れかけた」は、弱さじゃない

最後に一つだけ。

壊れかけた経験は、弱さではありません。

それだけ必死に、誰かのために生きてきた証拠です。

あの夏があったから、私は「親が壊れないための支援」の大切さを、

体で知ることができました。

そしてその経験が、20,000件の相談を支える根っこになっています。

しんどかった夏が、必ず何かを教えてくれます。

今はそう思えなくても、いつかそう思える日が来ます。

今日も、本当にお疲れ様でした。

 

来年の夏を、もう少し楽にするために

夏休みが終わりに近づいています。

疲れた方も、なんとか乗り越えた方も、まずは本当にお疲れ様でした。

この夏を生き抜いたこと、それだけで十分すごいことです。

今回は、夏休みも終盤のこの時期だからこそ

「来年の夏を少しだけ楽にするために、今できること」を整理します。

毎年同じ場所でつまずいていると感じている方に、

特に読んでほしい内容です。

夏が終わったら、振り返りを

夏休みの記憶が新鮮なうちに、簡単な振り返りをしておくことをおすすめします。

今年の夏、一番しんどかったのはいつ?どんな場面?

逆に、意外とうまくいったことは何?来年あったら助かる支援やサービスは?

これをメモしておくだけで、来年の夏休み前の準備がぐっと楽になります。

「去年何が大変だったか」を覚えているうちに残しておくことが、

実は何より大切です。

何となく頭の中だけに置いておくと、春になる頃には忘れてしまいます。

(私は明日になったら忘れます)

だから、手帳でも、スマホのメモでも、付箋一枚でも構いません。

振り返りのポイントは、「反省」ではなく「記録」として書くことです。

「あのとき、ああすればよかった」という後悔ではなく、

「あのとき、こういうことが起きた」という事実として残しておく。

そうすることで、来年の自分が

「去年の夏はこうだったから、今年はこうしてみよう」と

冷静に準備できるようになります。

また、うまくいったことも必ず記録しておいてください。

しんどかったことばかりを覚えていると、

来年の夏が来る前から気持ちが重くなってしまいます。

「これはうまくいった」という体験を残しておくことが、

来年に向けての自信になります。

事実⇉感情⇉行動この順番で整理する方法もあります。

知りたい方は、ご連絡を・・・

「助けを求める練習」を今から

今年の夏、一人で抱え込みすぎた方に伝えたいことがあります。

来年の夏に向けて、今から「助けを求める練習」をしてほしいのです。

相談支援専門員に連絡してみる。

地域の親の会に顔を出してみる。

信頼できる支援者に「実は夏が一番きつくて」と話してみる。

大きな一歩でなくていいです。

小さな一歩を、涼しくなった今の時期に踏み出しておくことが、

来年の夏を変えます。

夏の渦中では動けないことも、落ち着いた今なら動ける。

このタイミングを、ぜひ使ってほしいと思います。

「助けを求める」ことへの抵抗感は、誰にでもあります。

「こんなことで相談していいのか」「迷惑をかけたくない」——

そう感じる方がほとんどです。

でも、相談支援の現場にいる人間として言わせてください。

相談されることを、支援者は迷惑だと思っていません。

むしろ、「もっと早く来てほしかった」と思うことの方が多いのです。

支援は、使い続けることで育つ

もう一つ、大切なことをお伝えします。

支援やサービスは、使い続けることで、その家庭に合った形になっていきます。

一度使って「合わなかった」で終わりにせず、

「どうすれば使いやすくなるか」を支援者と一緒に考えていく姿勢が、

長い目で見たときに大きな差を生みます。

来年の夏に向けて、今の支援者との関係をもう少し深めておくこと。

困ったときに連絡できる相手を、一人増やしておくこと。

それだけで、来年の夏は今年より少し楽になります。

支援者との関係も、まーー一朝一夕には育ちません。

そこは、理解が必要です。

だから、日頃からの小さなやり取りの積み重ねが、

いざというときに「この人に頼れる」という信頼になっていきます。

30年以上の地域活動を通じて、コミュニティ、学校現場、福祉現場

様々な現場を見てきて、一番実感してきたことのひとつです。

 

夏休みに気づいた、わが子の新しい一面

夏休みは、しんどいことばかりではありません。

学校という枠がなくなることで、初めて見えてくるものがあります。

今日はそちらの話を書きたいと思います。

37年間、娘と過ごしてきた夏の中で、

「この子にこんな一面があったんだ」と気づかされた場面が、

今まで数えきれないほどありました。

しんどかった夏も、振り返ると必ずそういう瞬間がある。

今日はその話をします。

「学校」という枠が外れたとき

学校では「できないこと」として見られていた子が、

家庭や地域の中では驚くほど力を発揮することがあります。

決まった時間割も、クラスの空気も、先生の評価もない。

そういう枠が外れたとき、子どもは自分のペースで動き始めます。

娘も、夏になると表情が変わりました。

学校では見せない笑顔、家だからできる挑戦、地域の人との自然な関わり——

「この子にこんな一面があったんだ」と気づかされる夏が、何度もありました。

学校という場所は、子どもに多くのものを与えてくれます。

親が与えられない環境がそこにはあります。

でも同時に、学校という枠に収まらない子どもの姿を、

見えにくくしてしまう側面もあります。

夏休みは、その枠が外れる時間でもあるのです。

相談の中でも、「夏休みに初めて、この子が料理に興味を持っているとわかりました」

「散歩中に虫を見つけるとき、こんなに目が輝くんだと知りました」

という声をよく聞きます。

学校の評価軸では見えてこない、その子だけの輝きが、

夏休みの日常の中に隠れています。

「できた」より「やろうとした」を見る

夏休みに子どもの新しい一面を見つけるコツは、

「できたかどうか」より「やろうとしたかどうか」に目を向けることです。

結果が出なくても、挑戦しようとした瞬間がある。

うまくいかなくても、自分から動こうとした場面がある。

そういう小さな芽を、夏休みという時間はたくさん見せてくれます。

親がそれに気づいて「やってみたんだね」と一言伝えるだけで、

子どもの中に「自分はできる」「やっていいんだ」という感覚が少しずつ

育っていきます。

評価ではなく、観察する眼差しを持つこと。

これが夏休みに子どもの輝きを見つける、最大のコツです。

娘の場合も、「できた」ことより「やろうとした」瞬間の方が、

ずっと多くありました。

そしてその瞬間を一緒に喜べたときの娘の表情は今でも忘れられません。

結果ではなく、プロセスを見る。その視点を、夏休みが教えてくれました。

「できないこと」に目が向きがちな学校生活という日常の中で、

夏休みは意識的に「できること」「やろうとしていること」を

探す時間にしてみてください。

きっと、普段見えていなかった子どもの姿が見えてきます。

夏の発見を、2学期につなぐ

夏休みに気づいたわが子の新しい一面は、ぜひ記録しておいてください。

写真でも、メモでも、連絡帳の一文でも。それを2学期に担任と共有することで、

学校での支援の質が変わることがあります。

「家ではこんなことができました」という情報は、

先生にとっても子どもを見直す貴重なきっかけになります。

「うちの子、家ではこんな顔をするんです」という一言が、

先生と保護者の関係を変えることがあります。

しんどかった夏の体験も、こうして次の支援につなげていくことができます。

学校と家庭で見えている子どもの姿が、大きく違うことは珍しくありません。

だからこそ、その「違い」を共有することに大きな意味があります。

先生が知らなかった子どもの一面を伝えることで、

先生の関わり方が変わり、子どもの学校生活が変わっていく——

そういう場面を、何度も見てきました。

夏の発見を、ぜひ2学期の宝物として学校に届けてみてください。

 

次回は、来年の夏に向けてできることをまとめます。

支援者も夏に燃え尽きる——気づいてほしいSOSのサイン

「先生が夏休み明けから別人みたいになった」

そういう話を、保護者から聞くことがあります

夏休みは、子どもも親も疲れる時期です。

でも見落とされがちなのが、支援者側の燃え尽きです。

校の先生、福祉の支援者、療育のスタッフ——

彼らもまた、夏という時期に特別な負荷を抱えています。

20,000件以上の相談を受けてきた中で、

支援者自身が限界を超えていたケースを、何度も見てきました。

今日はその話を、保護者の方にこそ読んでほしいと思って書きます。

支援者が夏に疲弊する理由

学校の先生も、福祉職の支援者も、夏は特別な負荷がかかる時期です。

通常の業務に加えて、夏休み中の特別支援、保護者対応、行事の準備——

やることは減らないのに、「夏休みだから楽でしょ」と思われがちです。

特別支援学校や福祉事業所では、夏季の利用が集中します。

普段以上の密度で子どもたちと向き合い続けた結果、

2学期が始まる頃には限界を超えているケースが少なくありません。

さらに、支援者は「疲れた」と言いにくい立場でもあります。

この子どもたちのために」という使命感が、

自分自身のSOSを後回しにさせてしまうのです。

福祉の現場では、支援者の離職率が高いことが長年の課題になっています

その背景には、給与や労働環境の問題もありますが、

「燃え尽きても言えない文化」が根強くあることも見逃せません。

支援者が消耗し、辞めていく。

そのたびに、支援を受けていた子どもたちの環境がリセットされる。

この悪循環を、現場で何度も目の当たりにしてきました。

夏は、その悪循環が加速しやすい季節でもあります。

 

支援者のSOSのサイン

支援者が燃え尽きかけているとき、こんなサインが出ることがあります。

連絡帳の返信が短くなった。

面談の日程調整がなかなか取れない。

以前は細やかだった対応が、少し雑になった。

何だか表情が固くなった、

声のトーンが変わった。

これを「先生が冷たくなった」「支援者の質が下がった」と受け取るのではなく

「この人ももしかしたら限界に近いのかもしれない」

と見ることができると、関係性が変わります。

保護者が「最近どうですか?」と一言声をかけるだけで、

支援者の表情がほっとすることがあります。

支えられる側だけでなく、支える側も「見てもらえている」と感じることが、

燃え尽きを防ぐ大きな力になります。

また、支援者自身も「自分が疲れているサイン」に気づきにくいことがあります。

子どもへのイライラが増えた、仕事に行くのが億劫になった、

細なミスが増えた——これらは、休息が必要なサインです

支援者の方にも、自分自身のSOSを見逃さないでほしいと思います。

 

「ありがとう」が支援者を守る

支援者が倒れれば、その人が支えていた子どもたちへの支援が止まります。

保護者として支援者に感謝を伝えること、無理な要求を控えること、

そして「ありがとう」を一言添えること。

これらは「気遣い」ではなく、支援を継続させるための重要な行動です。

「ありがとう」という言葉が、どれほど支援者の心を支えるか。

年の現場経験から、確信を持って言えます。

特別な言葉でなくていいです。

連絡帳の最後に一言添えるだけで、支援者の「明日も頑張ろう」に

つながることがあります。

支援者を守ることは、巡り巡って子どもを守ることにつながっています

そしてもう一つ。

支援者自身も、誰かに「助けて」と言える環境を作ることが、

この業界全体の課題だと感じています。

保護者と支援者が、お互いを支え合える関係性を育てていくこと。

それが、長期的に子どもたちの支援を守っていく唯一の道だと、

私は信じています。

 

次回は夏だからこそ見えてくる子どもの輝きについて書きます

 

夏休み、きょうだい児はどう過ごした?

夏休みが終わったとき、「今年の夏はどうだった?」と聞いてもらえるのは、

たいてい障がいのある子どもの方です。

でも、その隣にいるきょうだい児は、この夏をどう過ごしていたのでしょう?

30年以上、障がいのある子どもを育てる家庭と関わってきた中で、

きょうだい児の夏休みについて、

もっと語られるべきだと感じてきました。

今日はその話をします。

「我慢が当たり前」になっていないか

障がいのある子を育てる家庭では、

どうしてもきょうだい児の我慢が積み重なりやすい夏休みになります。

行きたかった場所に行けなかった。

親の時間がどうしても一方に集中した。

自分の気持ちを後回しにすることが「当たり前」になっていった。

きょうだい児はそれを「仕方ない」として受け入れます。

その優しさが、見えにくい負担になっていることに、親はなかなか気づけません。

「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」「この子がいるから」という言葉が、

知らず知らずのうちにきょうだい児に「我慢することが正しい」

という信念を植え付けてしまうことがあります。

これは誰も悪くない。誰も責められるべきことではありません。

でも、気づいておいてほしいことです。

相談の現場でも、きょうだい児が大人になってから

「子どもの頃、自分のことを話せる場所がなかった」

と話してくれることがあります。

その言葉が、ずっと心に残っています。

夏休みという長い時間は、きょうだい児にとってもまた、

同じように特別な重さを持つ季節なのです。

夏休み明けに出てくるサイン

夏休みのきょうだい児への影響は、2学期が始まってから出てくることがあります。

急に学校に行きたがらなくなった。

些細なことでかんしゃくを起こすようになった。

「どうせ私のことは後回しだから」「わかってる。我慢すればいいんでしょ」

という言葉が出てきた。

これらは、夏休み中に溜まったものが2学期というタイミングで

表出したサインかもしれません。

「2学期になってから急に変わった」と感じたとき、

きょうだい児の夏休みの過ごし方を振り返ってみることも大切です。

きょうだい児は、感情をうまく言葉にできないことが多いです。

だからこそ、行動の変化をサインとして受け取る視点を

持っておいてほしいと思います。

今からでも遅くない

夏休みが終わっても、きょうだい児への関わりは続きます。

「この夏、我慢させてごめんね」ではなく「この夏、一緒にいてくれてありがとう」

という言葉が、きょうだい児の心に届くことがあります。

謝罪ではなく感謝として伝えることで、きょうだい児自身が

「自分の存在を認められた」と感じやすくなります。

特別なことをしなくていいです。

ただ、きょうだい児とだけの時間を少し作ること。

その子の話を、遮らずに聞くこと。

「あなたのことも、ちゃんと見ているよ」

というメッセージを、日常の中で小さく伝え続けること。

きょうだい児は、親が思う以上に、家族のことをよく見ています。

だからこそ、親が少し立ち止まってその子を見る時間が、

どれほど大きな意味を持つものなのか。

長年の現場経験から、確信を持って言えます。

それだけで、子どもの表情は変わります。

子ども達は、親を見ながら我慢したり配慮したり、

たくさん、実は気を使っているものなんですよ。

 

次回は支援者の燃え尽きについて書きます。

 

2学期が怖い——親子で乗り越える9月の壁

「学校が始まるのが、正直怖い」

そう感じる親御さんは、少なくありません。

そしてそれは、子ども自身も同じです。

9月の壁なんていわれていることは、突然やってくるわけではありません。

夏休みの間に少しずつ積み重なってきたものが、

2学期初日に一気に出てくることがある。

だからこそ、今から備えておくことに意味があります。

なぜ9月に問題が集中するのか

長い夏休み中に崩れた生活リズム。

久しぶりの集団生活へ戻っていくことへの緊張。

新しい学期が始まることへの漠然とした不安。

これらが重なる9月は、子どもにとって一年で最もストレスがかかる時期のひとつです。

特に感覚過敏や見通しの立てにくさを抱えるお子さんにとっては、

「いつもと違う」状況が続く9月初旬は、

心身のバランスを崩しやすい時期であるといえます。

睡眠が乱れる、食欲が落ちる、些細なことで感情が爆発する——

これらはすべて、心が「変化についていけない」という表れであり、サインです。

親も同じです。

夏休み中の疲労が蓄積した状態で2学期を迎えるため、

子どもの変化に冷静に対応できないなーーと感じることがあります。

「なぜこんな時期に」と思ってしまうのは、親が疲弊しているからでもあります。

親が今できる3つの準備

一つ目は、生活リズムの段階的な調整です。

夏休み終盤から、少しずつ学校期間のリズムに近づけていく。

起床時間を5分~15分ずつ早めるだけでも、2学期初日のギャップが和らぎます。

いきなり完璧なリズムに戻そうとせず、「少しずつ」が鍵です。

 

二つ目は、学校への事前共有です。

夏休み中に気づいた変化や困りごとを、2学期が始まる前に担任に伝えておく。

「問題が起きてから連絡する」より「先に共有しておく」方が、

学校側にとっても対応しやすくなります。

夏休み中の様子を一言メモしておくだけで、この共有がぐっと楽になります。

 

三つ目は、「休む選択肢」を用意しておくことです。

2学期初日から毎日完璧に登校しなくていい、

という前提を、親自身が持っておく。ってことが大切。

「行けなかった」ではなく「今日は休む日にした」と捉えられると、

親も子も気持ちが楽になります。

初めから、休むことは負けではなく、長く続けるための戦略なんだと

自覚することです。

「怖い」は正直な気持ち

「2学期が怖い」という気持ちは、弱さではありません。

それだけ夏休みを必死に乗り越えてきた?楽しんできた?証拠です。

怖いと感じているあなたは、すでに十分頑張っています。

その気持ちをまず認めた上で、

今日お伝えした準備をまずは、一つから試してみてください。

全部やろうとしなくていいです。一つだけ。

それで十分です。完璧になんでもやろうとすると疲れちゃいますからね。

みなさん頑張り屋さんが多くて・・・

まずは・・・ここで疲弊しちゃってますからね。

ゆっくりでいいんです。焦らなくて大丈夫!!

次回は、夏休みのきょうだい児について書きます。のでお楽しみに!!