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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」者の製品、その価値について

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私はぷれジョブという活動に関わって・・・

確信を持ったのだけれども・・・

それ以前からなんとなくは思っていたことがあった。

いくら「障害」の重い人であっても・・・

(重いかるいは言いたくないけど)

できるだけ働いた方が良いと思っているのです。


私はそう考えており、その考えを周りに伝えてもいます。

労働の成果が、安価であったとしても・・・

何かしら対価に変わることをしている・・・

生きてそこにいてくれるだけで人の役に立つことができる

そんな話を・・・たくさん聞いてきたからなんですが・・・
誰かがその方のモノを購入してくれるなら・・・

その行為が・・・

「あなたの労働を認めます」「あなたの価値を認めます」

という意思表示につながるのだから・・・

〇さんが作った100円の品物を、△さんが買った場合。
△さんが〇さんの存在を知らなかったとしても・・・

品物に100円を支払うことによって△さんは・・・

間接的に〇さんの労働を認めたことになり、

その行為は・・・

ひいては存在をも認めているということになりますよねーーー

 

日常的に・・・

「障害」児・者の方たちは、しばしば社会の隅に追いやられがちなんです。

 

実際・・・排除されていた歴史もありますよねーーー

だから法が整備されてきました。

 

だからこそ・・・私は労働を通して、収入を得ることとだけではなく、

社会の中でもっと存在を主張すべきなのではないかなーーーって思うんです。

 

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よく施設では、利用者さんが作った手作りのアクセサリーや小物などについて、

「粗末すぎる」

「売れそうにない」

との判断から・・・見学などに来てくださった、

来園者への“記念品”お土産として無料配布しているところもありました。
ですが現在は・・・結構どこの事業所でも

「値段を付けて売ろう」

「喜んでもらえるものをつくろう」

「買ってもらえる価値あるものを作ろう」

というところが増えてきています。

社会の中で当たり前に存在していることを主張する、

その“声”は、労働の価値が高ければ高いほどに大きくなるはずです。
製品やサービスが高価になるほどに・・・

提供者の存在感は大きく増していくのではないでしょうか?

そうであるならば・・・

利用者さんたちが働くからには・・・その労働が・・・

より良い労働になるようにしなければなりません。

その価値が高められ、世の中に認可され

「素敵だね」「かっこいいね」

「自分より上手じゃん」「これ依頼してみようかな?」

「こんなのつくれませんか?」

そんなことが当たり前になるようにしていきたい・・・

どんな「障害」であったとしても・・・

その方の「強み」を形にして・・・

何かを作り上げていくこと・・・何だかワクワクしませんか?


ここからの取り組みが、これが・・・

支援者の頑張りどころでもあるのではないでしょうか?

「当たり前」は人によってさまざまだけど・・・

よいものはよいとすごいものはすごいと・・・

みんなで言っていただけるようなものをつくっていこう!!

何だか今日もワクワクしながら・・・そんな作戦を考えている・・・

あなたもそんな作戦に参加してみたいと思いませんか?

福祉現場のマニュアルについて

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福祉現場にいると・・・

「マニュアル」を嫌がる方々もいるけど・・・

これって・・・必要ないと思っていると大変なことだと思う。

「マニュアル」は

「福祉現場はじめてーーーー」

って人にも平均点くらいとれるようにしていく大切なもの・・・

「そんなの必要ないでしょーーー見て覚えなきゃ!!」

その視覚化ももちろん大切だけど・・・それだけ・・・ではない・・・

 

福祉支援でのマニュアルの大切さについては・・・

仕事がらみの会合などで、ついつい力説してしまうことがあったりして・・・(笑)

あえて“力説”しているのは・・・

マニュアルを軽視していたり、あからさまに拒否する人がいるからです。

マニュアルに否定的な人たちの概ねの意見は・・・

「利用者を画一的に扱うものではないか?」

「何だかマニュアルにとらわれて・・・

         血の通わない機械的な支援になりそう」などなど・・・

 

確かに・・・例えば職場マニュアルがしっかり活用されている

コンビニエンスストアやファミリーレストランでの接客などを見れば・・・

福祉支援が画一的・機械的になるように思えても無理はないのかもしれません。

 

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でも・・・

産業界にマニュアルが普及しているのは、やはり高い有効性が認められている

はずなのです。

当然、そこには・・・良い面があるはずですよねーーー

福祉支援における最も大きな効用は・・・

最低限の質を誰もが維持できること・・・私はそう思います。
異動や離職などで、現場の支援者が変わったとしても・・・

またどんな新卒者や初級者が来たとしても・・・

これまで通りの支援がすみやかに引き継がれ、継続されること・・・

「障害」児・者の方々の多くは“変化”や“不規則”が苦手なので・・・

支援がスムーズに滞りなく続いていくことはとても重要事項です。
これは、流動性の高い福祉業界に身を置いていると・・・

しばしば痛感させられることでもあります😢

マニュアルを作製する過程では・・・

まさに“伝達できる支援”と“伝達できない支援”

がわかるという効用もあったりなんかします。

それぞれの支援者固有の経験や能力への依存が大きすぎると、

長い目で見れば、やはり支援の質が保てなくなるおそれが多いにあります。

伝達可能な要素を、常に支援の中に増やしていくことが要求されると思います。

マニュアルがネガティブに捉えられがちなのは・・・

マニュアルを・・・これが・・・“行なうべきことの全部”と受け取られたり、

もしかしたら・・・実際そのように運用された事例が多いのかもしれませんね。

しかし、マニュアルとは“行なうべきことの最低限”・・・

最高・・・平均点くらいであるということに他なりません。

支援においては、あくまでも最低限であり、

そこに支援者個々の思いや努力などが積み上げられていくのです。

残念ながら、支援者のマニュアルはあっても・・・(笑)

管理者のマニュアルはたぶん・・・ないですよねーーー。

“最低限”の仕事ができているのかどうか?

日々自分に問いかけること・・・

常に自分がわかってる!!って思わない・・・自分を疑うこと・・・

ここが管理者や施設長と言われる人には必須なのだろうなーーー

って思います。

「申し訳ない」➡「ありがとう」

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私たちがしばしば・・・「障害」児のママ達から聞く言葉

『申し訳ない』『ごめんなさい』『迷惑かけます』

私も子どもが小さなころは・・・よく使っている時期がありました。

でも・・・様々な人から言われたんです。

「言葉は言霊言い方を変えなさいって・・・」

それから・・・私は・・・

「ありがとうございます」を使うようになりました。

先日も・・・特別支援学校に通う子のママが

「子どもを病院に連れていくのが申し訳ない」と言うんです。

何で?を聞いてみると

「いつも大暴れしちゃって、看護師の方たちが大変だから」

というんです。

過去に何度か病院での検査を、「障害」を理由に断られたこともあるそう。

(これも聞きますねーー)

それって変な話だし社会問題だなあと思いつつも・・・

そうした経験は私にもあるんですよねーーー

普通に家族と同じ様に病院に行くことや公園に行くこと・・・

様々な公共施設を使うこと・・・

私たち「障害」児・者の家族にとっても当たり前のことであってほしい。

でもみんなにとっての当たり前に出来ることは・・・

「障害」児・者やその家族にとっては一般的にハードルが高い。

それって、その家族に問題があるのではなく・・・

そうした家族を排除してしまうような環境や社会に問題があるんじゃないだろうか?

でも、それってあまりにも理解されてはいない・・・

私の個人的意見は、地域の学校と特別支援学校を分けることについても反対です。

特別支援学校に通っている「障害」児やその家族にとって

「排除された気にさせない」配慮が、

地域の学校の中にも持ち込まれるといいですよねーーー

本当は、どんな環境でも

「あなたは、ここに居るのが当たり前なんだよ」

と自然に思わせてくれる環境が整っていれば最高ですよねーーー

それが、インクルーシブ。

でも、それが今は学校を分けないとできない・・・おかしいよなあーーー

インクルーシブをの理念って

「障害者が一般的な教育制度から排除されないこと」

なんですよねーーー

でも日本の場合、導入したことで

「「障害」児を特別に普通のクラスにご招待」

みたに感じに取れてしまう現実があるように思うのはどうしてでしょう?

インクルーシブって制度だけが介入してきて、

本当の意味では全然・・・多くの人に理解はされてはいない。

社会を良くしようと思って導入したインクルーシブ教育が・・・

本当の意味でのインクルーシブから遠ざかってしまった気がしてなりません。

で・・・おかしなことに

時代と共に福祉環境・制度は良い方向には向っているんです。

 

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でもね、学校では・・・やっぱり

「〇-△組の○○さん」ではなくて「○○(支援級)学級の○○さん」

なのではないでしょうか?

支援級の子どもに対して・・・

「一緒に出来るんだったら、通常級においでよ?!」

っていう意識。

それは、優しいように見せかけて・・・実は非常に残酷なんですよねーーー

誘ってくれた通常級の子どもに・・・罪はない…
そこには・・・

支援級の子が通常級にいて当たり前の存在になれていない環境に罪がある。

「障害」児が、みんなと同じ場所に当たり前に存在できるような環境は・・・

今は程遠いのか?

でも、これは・・・

要は支援を批判しているのではなくて・・・

人手が足りないとか、予算が足りないとか、知識が足りないなどと言う

根の深----い問題だと思っていますよ・・・実際は・・・

「「障害」児も、一緒に授業を受ける事が当たり前になるように」

っていう考えは一体いつになったら浸透するのかなーーー

大事なのは「障害」があろうとなかろうと・・・
全ての子どもが「人にはそれぞれ違いがあるんだ」と理解していくこと。
その上で一緒に学ぼうよと思ってくれたら、これ以上嬉しい事はありません。

これは単に「障害」に限らず・・・

勉強についていけない子が

「わからない」と、発言しやすい環境を整えることだって支援のひとつ。

それだけで、全ての子どにとって授業がいやだと思う窮屈さが

一気に減ると思うんですよねーーー

そもそも学ぶ事ってことは、子どもの

「なんで」「どうして」「わからない」

を引き出し・・・

「知らなかった事を知っていく状態」にしてあげることだと思うんです。

よく教員の側も色々責められることが多いとは思うんですが・・・

ひとりの教員に責任がのしかかり過ぎですよね。

(みんなの学校の木村先生も言ってました)

「「障害」児も、そこにいる事が当たり前になるように」…

「障害」児だけじゃない、

母国語が違っても人種や宗教が違っても、ジェンダー問題でも

日本の学校に通うのなら全ての子どもが排除をされない環境が

整っているべきなんです。

立場や見た目で分けられることのない偏見のない時代って

一体いつやってくるんだろう?
「障害」児・者のことを

「出来ない事がいっぱいある人」

から・・・

「サポートさえあればできる人」

と思ってくれる人が・・・どんどん増える時代が早く到来するといいなーーー

人はみんな何かがたりないのだから・・・

「出来る人が、出来る範囲で助け合えたらいいよね」

って多くの人に定着してほしいなーーー

 

 

地域福祉のこれから・・・

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私は「障害」児の子どもを持ってから

また・・・様々な福祉関係者や団体やその他・・・

たくさん出合わせてもらってきた・・・

そのたびに様々な方からお話を聞くことがある。

「ここを利用している人たちの過去や未来について『これまではどうだったのか?』と過去を振り返るとき『これからはどうなるのか?』と未来に思いをはせるとき、

児童や高齢者の福祉事業へも目が向いてしまうし・・・

いろんな事業所をついつい立ちあげたくなる」

なんて聞くことがあった。

結構、大きな福祉施設を経営しておられる経営者さん。

親として考えたときに・・・それは嬉しいことだけど・・・

よくよく考えると・・・

「まてよ・・・」

って思ってしまう・・・

私は【共生のまち】【共生の社会】がつくりたい・・・
 

「いろんな事業所を立ちあげたくなる」という気持ち・・・

私にもわからないではないんだけど・・・ちょっと複雑な気持ちになるのだ。

それぞれの事業所には役割があって・・・

基本的に18歳以上の人が対象の就労支援所。

そこでよく聞くのは・・・

「もっと若い時期から支援できていれば・・・

もっと早くに生活リズムや習慣を確立できたかも知れない」

など言われていることがある。
一方で、加齢でどんどん体が思うようにならず、弱ってきた利用者さんに

接している方々は、

「慣れ親しんでいるこの施設に・・・ずっと通所できて支援していければ」

と思ったりもします。

でもだからと言って・・・

事業拡大は簡単にできることではありません。
資金と土地と人的資源・・・行政側の福祉計画とのタイミング・・・

それらの条件が揃ってはじめて実現できるのです。

ただ、自分の思いの中での

「できる/できない」

だけではなく・・・

地域での

「要(いる)/不要(いらない)」

についても・・・心に留めておくべきで・・・

相手が求めてないものをつくることは違う・・・私はそう思います。

利用者さんの支援を自らの施設で・・・

長期的に続けたいという気持ちは善意であったとしても、

見方を変えれば・・・

「自分の手が届く範囲の中で、利用者さんの人生を完結させたい」

という傲慢な欲求なのかも知れないってことを考えなくてはいけません。
たとえ自らの施設での支援が及ばなくなったとしても・・・

地域にある他施設で同じようにその方に寄り添うことのできる支援所ならば、

連携してそちらに任せる方が“健全”と言えるでしょう。

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必要性が高いのに整備されていない福祉事業なんて・・・

都心部でも地方ならなおさらのこと・・・たくさんあるはずです。
地域福祉をどこまで充実させられるのか・・・

資金と土地と人的資源とタイミング・・・様々なこと加味されるのと同時に

もっと違った形の新しい【地域福祉】を考えています。

他人ごとにしていると考えも及びませんが・・・自分事として・・・

「あーーでもない、こーーでもない」

「あーーーこんなんだったら住みたいなーーー」

んな思いや理想を描きながら・・・

 

自分の子どもだけではなく・・・

私の周りにいるすべての「障害」に悩まれている方・・・

そんな方々と幸せになりたいなーーーって考える今日この頃です。

問題を解決する4つの能力

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私たちは日々・・・何もない1日なんて存在しない。

常に大小さまざまな問題に直面しています。

毎日問題に無縁な人などはきっと・・・いないでしょう。
さまざまに克服したり、回避したり、受け流したり、拒絶したり、無視したり、

あるいは逃げたりすることもありますよねーーー

成功することもあれば・・・やっちゃったーーーってこともありますよね。

でも直面する問題はさまざまでも・・・

結構必要とされる解決能力は共通するそうなのです。

 

問題解決能力は4種類の“ちから”で構成されています。

 

 1.頼れるちから(他人に頼ることができる)
 2.困れるちから(困難さを自覚できる)
 3.悩めるちから(解決へ模索できる)
 4.相談できるちから(自分の要求や状況を伝えることができる)

 

自分の今ある能力をフルに発揮すれば、直面してくる問題を認めて(困れるちから)

そのための打開への意志を抱くことから(悩めるちから)

そのことを周囲に理解してもらい(相談できるちから)

助力を得る(頼れるちから)ことができます。

 

福祉分野において、

「自立を目指す人たちが特に身につけるべき」

ではないか?と言われる、この問題解決能力の4つ・・・


これは・・・弱者と呼ばれる人たちに限らず・・・

きっと誰もが身につけるべきことなのでしょう。

自分の変なプライドにこだわって助けを拒む。

自分のできないことや弱い部分を認めたがらない。

何だか勝手に解決をあきらめて自暴自棄になる。

現状を素直に正確に説明できない。

 

このようなことは、私にもあなたにも、誰にでも起こり得ますよねーーー

でも特に・・・

「障害」児・者は・・・早くからこの部分ができていると・・・

本当に生きていくのが・・・ずーーーっと楽になりますよねーーー

そして親としても・・・

子ども達を早くに安心して【手放す】準備ができちゃうんです。

早く手放しなさい!!って言うのではないんですが・・・

 

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【事前準備】は早い方がいいですねーーー

だって誰しも明日がどうなるかなんて・・・

わからないじゃあないですか?

 

うちは結構これは早くて・・・

小学校ではもう完了していましたねーーー

今はこれが・・・功を奏して・・・

たくさんの人の支えの中で家族だけではなく・・・

この4つを言える人がたくさんになっています。

ホントに幸せなことですねーーー

 

よく・・・学校に通っている保護者の話を聞くと・・・

「生活単元なんてするよりも・・・勉強をして」

「うちの子が周りの子に追いつくようにしてください」

「私はこういう生き方をさせたいので・・・」

なんて言う方々もいるらしい・・・

 

でも待ってーーー先人も言ってますよーーー

本学が大切!!末学はあとーーー

そこを間違うと「本末転倒」ですよねーーー

⁽私はずーーーっとこれ反対だと思ってた・・・みなさんは知ってますかーーー⁾

知らない方はぜひーーー調べてみてくださいねーーー

私達大人がここをしっかり知っておかないといけませんねーーー

この4つ・・・あなたは満たしていますか?

 

 

「わかります」ホントにわかってるの?

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よくご相談でお話を聞く機会があるんだけど・・・

私もよくつらい話に耳を傾け・・・

ウンウンとうなずいて

「わかります」「一緒の体験あります」

と答えることなんかがあったんだけど・・・
その「わかる」には、どのような意味があるのでしょうか?

ホントに相手の気持ちの何が「わかる」のでしょうか?

最近よく言葉の定義合わせが重要!!って聞くことがあって・・・

私も考えさせられることばかりで・・・

「わかる」という言葉の意味は・・・

「過去に自分も同じような思いをした経験があるので・・・

あなたも同じような思いなのでしょうね」

というような・・・

意識していなくても・・・なんとなく文脈やニュアンスなどを考え合わせれば、

このような解釈に至るのではないかと思います。

ですが・・・実際に自分のつらかった経験だけでは・・・

相手のつらさなんて理解することはできません。

自分と相手は一緒じゃあない異なるのと同じように・・・

自分と相手の“つらい”もきっと・・・一緒じゃあない異なるからです。

福祉専門職としての学習で・・・

私は「共感」と「同情」の違いを教わりました。
共感(empathy)は、相手の感情を自分のことのように感じ・・・

相手の身に置き換えて?身になって考える行為です。
同情(sympathy)は、自分の経験や価値観などの枠組みから・・・

相手についてこうではないか?と判断する行為です。

相手を本当に理解したいのであれば・・・

相手の気持ちに寄りそう共感の姿勢が大切なのは当然のこと・・・
そして、本当に共感の意味や大切さを知ると・・・

きっと安易に「わかる」とは言えなくなるでしょう。

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福祉現場に身を置いていると、会員さんやご家族、また福祉関係者から

深刻な話を打ち明けられることがあります。
自分自身は気をつけているつもりでも・・・・

ついつい。。。

「わかりますよ」

と口走ってしまうことのある・・・なんと・・・あさはかな私。

そんなときは・・・後で自分自身に

「本当にわかってあんなことを言っていたのか?」

と自分に問いを投げかける・・・

人はわかったつもりになったときに大きく間違えてしまう・・・

常に自分を疑え!!

自分はとことんわかってないのだと・・・

そして目の前の相手から素直に学ぶ・・・

とかく・・・「障害」児・者に関わっている方々を見ると

できないこと・・・頑張らせることに目が行きがちで・・・

どうにかマイナスをせめて0まで持ってくる・・・

そんな意気込みが見え隠れしていることがよくある。

でも・・・そんな・・・マイナスにいつも目を向けるのではなく

そのマイナスと思われている面がプラスになるかも・・・

そんな発想・・・で・・・・

常にプラスの発想を明確に自分の中に持つこと・・・

これが大事だなーーって思う。

人を見るときの自分の視点・・・

その人の強みをいかに見つけられるか?

それにかかっているのではないかなーーー

そのためにも自分の在り方、考え方・・・

いつも「問い」を立てることを忘れてはいけないなーーー

って感じている!!

 

ソーシャルロールバロリゼーションという考え方

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現代の福祉において、基盤とされる考え方のひとつに

「ノーマライゼーション」

があります。

考え方としては・・・

「障害のある人でも地域で普通に暮らせるよう、環境整備を進めること」

を指しています。

でも、北欧発のノーマライゼーションが国際社会へ拡がるにつれ・・・

「普通への同調を、人びとに対して過度に求めるものでは?」

との疑問や批判も出てきたそうなのです。

これを受けて生まれたのが・・・

「ソーシャルロールバロリゼーション」

「社会的役割の獲得(実践)」

などと訳されるようなのですが、

バロリゼーションには“テコ入れ”の意味もあるようです。
ソーシャルロールバロリゼーションとは・・・

「可能なかぎり文化的に価値のある手段による、人々、ことに

価値の危機に瀕している者たちのために、価値ある社会的な役割の可能化、

確立、増進、維持、ないし防衛すること」

ちょっと難しい言葉になりますが・・・

 

要は・・・


「不当に低く扱われている人達の、社会的な役割・価値を高めるために、

 当人の適応力や、対外的イメージを向上させていくこと」

 

みたいな感じになるのでしょうか?


ノーマライゼーションが理念的な目標とするならば・・・

ソーシャルロールバロリゼーションは・・・

その実現への手段に相当するような気がします。

具体的な方法としてあげられているのは、

奇異な行動や言動を改めたり、髪型や服装を整えることなど・・・

と見たときに・・・
そこだけを見れば、

「普通への同調を求めているではないか」

と反発して言いたくなるかも知れないけれど・・・

よく見ると・・・あげられている数々の方策としては・・・

「障害」児・者の価値を引き下げる、社会の価値観への働きかけ

なのかもしれないなーーーと気づかされました。
周りが押しつけてくる「過度な期待」に対し・・・

柔軟に合わせたり、わざと裏切って見せたり・・・

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もしかしたら斜め方向からを狙って・・・驚かせたりする(笑)

イメージ戦略とも言えそうなことかもしれません。

 

「障害」児・者が

「普通と違う」「異常である」と見なされてしまう場合・・・

そこには「あれは普通」で「これは異常」と規定する価値観が

作用していると思います。
「障害」児・者を変えるのではなく、社会の価値観の方を変える。

「障害」児・者が有する価値を、社会に認めさせ、それを高めていく。

ソーシャルロールバロリゼーションの狙いは、そのあたりにあるような気がします。

例えば・・・仕事がないから・・・させていただける

ゴミ収集やトイレ掃除、清掃業・・・って決めつけられるのも違うと思うし
これをソーシャルロールバロリゼーション的に見るならば・・・

ゴミや汚れなどに関わる活動は、「障害」者のイメージを低下させがちなため、

手を出すべきではないという判断になるのかもしれません。
でも・・・それは・・・

さらにソーシャルロールバロリゼーション的な考えを深めていくと・・・

例えばディズニーランドの清掃スタッフのように・・・メリーメイドさんのように

みんなでスタイリッシュに様々な手法を考えることで・・・

素敵にと働いているみなさんもいるので・・・

そのような・・・アグレッシブな方法も考えれば・・・

たくさん浮かんでくるなーーーなんて思うのです。

すべては・・・考え方次第・・・

逆転の発想」が大事になってくるのかもしれませんねーーー

「障害」者って労働の対価の賃金に興味ないの?(笑)

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うちの娘の場合。様々な事業所を経験済みです。

就労移行、B型、Ą型・・・彼女はどこに行ってもマイペース。

結構どこでも合わせられる・・・

でもずーーーっと見てきて・・・

彼女がこだわっているのは・・・

人が好きな彼女はちょっとおせっかい・・・(私に似てる(笑))

だからポイントは・・・

「人の役に立つところ」「感謝の言葉が行きかうところ」

それにずーーーっと支援するとか支援されるとか言う意識のないままに

地域で過ごしてきているから・・・

よくも悪くも「スタッフ」と「利用者」の垣根が低いところ

つまりは「対等」であるところ・・・なのかもしれない・・・

みなさまのお陰様で今までやってきて・・・

様々な場所で生活させていただき・・・

彼女が勝ち得てきた【人脈】【居場所】

その経験から・・・今は・・結構
作業能力もついてきているようだ・・・、

何にでもとはいかないが・・・まあまあ・・・積極的。

毎月の工賃支給日には、

「今日は給料日ーーー」と嬉しそうには言うけれど・・・

私は彼女の明細書を見たことがない・・・で・・・お金にも執着がないので

次の日にはーーーもうどうでもいい!!
お金とは何か?どのように使うのか?使って何ができるのか?は

彼女自身ちょっとずつ理解してきて・・・今ではもうしっかり知っています。でも・・・あまり興味がないのです。

出かけるときやショッピングに行くときにもらえばいいって感じ・・・

うちはこんな感じですが・・・
他の子も聞きますが・・・お金を理解してない・・・価値や支払いなどしたことがないという子もいて・・・現在の年齢や障害程度などを考えると・・・

金銭への理解を進めていく支援は困難な人もいるのも事実。

たぶんうちも・・・わかるのは10000円までじゃあないかなーーー

何度かĄTМでおろさせてみたけど・・・千円十枚も一万円十枚も

さほど表情は変わらなかったから・・・

 

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でも・・・どの子も・・・働く喜びを知っています。
利用者さん同士で協力する楽しさ、受け持つ作業を果たした達成感、

製品を買ってもらえたときの嬉しさ、感謝の言葉がもらえること、

販売商品が完売したときの喜び・・・・

みんなみんな経験しています。

だから・・・みんな・・・それらに価値を見出している様子もうかがえます。

この子達にとって・・・工賃(給与)とは・・・

毎月の頑張りを賞して施設側から授与される“記念品”のようなものかも知れません。

労働へのモチベーションは、うちの子の場合・・・いや・・・多くの子が

工賃の金額からは生じないのではないでしょうか?

労働の根本にある尊さを、娘や利用者さんたちは教えてくれます。
そして、それぞれの労働を無駄にしないこと・・・

その喜びと対価をどう結び付けていけるか?

福祉に関わるもの・・・「障害」者の労働(就労支援所)に関わるものとして

これからどうあるべきなのか?親としてもですが・・・

深く考えさせられます。

これからの事業運営の重要性を・・・かかわるものとして痛感させられるのです。

現場に関わるみなさん!!施設長さん!!

みなさんは・・・いかがお考えでしょうかーーー?

「障害」児・者に関わってくださっているみなさんへ・・・

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これまで私が「障害」児を育て団体活動をしているということで・・・

何度もしかるべき場に呼ばれて登壇して講演や発表などなどしたことがあります。

その時に来てくださるのは、学校の先生や行政の方、悩んでいる保護者、福祉現場の方が多いですねーーー。学校の子ども達にも何度か話させていただいたり

事務所に来ていただいたりしたこともありますねーーー。

 

その際に、たくさん感想やご意見、お問い合せを

いつもコピーしてくださったりします。⁽忌憚ない意見は嬉しいですねーーー⁾

 

管理者のことを考えながら仕事されていたり、

保護者の顔色を伺いながら仕事をされている人は・・・

質問内容や今日一日の過ごし方などを伝えられるときの言葉でわかります。

 

また、自分はプロで知識があるという自負の強い方・・・

同じ立場で接してくれない方も少し違うかなあーーーと思っていて・・・

 

支援者と保護者はチームのように連携をとっていかないと・・・

本当の支援は成立しないと思います。

子どものためとおもって何かを施した結果・・・

それが例え残念な結果だったとしても・・・

私は支援員の責任ではないと思っています。

 

「なぜダメだったのか」

「何をすればよかったか?」

「独りよがりではなかったか?」

「報連相は機能していたか?」

 

そんなことを考えながら次につながればいいと私は思います。

これをしないでください!それはダメです!!ということは特にないですが、

上述した通りやっぱり子どもにとって・・・

何が良いのかを考えながら向き合って欲しいとは常に思っています。

まあーーー支援内容によっては???ってこともありますよねーーー

私がびっくりした例は・・・

  • 食べたがるので好きなだけ食べさせて嘔吐、なぜそんなに食べさせたのかを聞いたら「食べるといわれたから」
  • 修学旅行で食べ過ぎで嘔吐、洋服が上から下まで汚れてしまった。報告はあったもののまさかの・・・洋服を捨てて帰ってきた(断りなしに・・・)
  • 他害を加え大声でみんなの前で叱責、そのうえ迎えに来た被害者側に「すぐに謝れーーー」って・・・まずは冷静になぜ?そうなったかを話してください。・・・で・・・みんなの前で大声で叱責しないで・・・

いずれにしても、「障害」の有無にかかわらず・・・

そりゃーーー子どもがかわいそうだよーーー

大人がもっと配慮してあげようよーーーってことだと思いませんか?

子どもに関わることで、聞いてΣ(゚Д゚)びっくり!!は・・・数々あります。

 

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子どもに関わる方々はパートさんであろうと、非正規職員であろうと

正規職員でも・・・情報共有・・・報連相・・・やってくださいねーーー

事業所で起こったトラブルは仕方ない・・・

子どもなので色々あると思いますし・・

支援者が四六時中全員の子に目を光らせているのは無理だと思います。

でも、子どもだからそういうこともある!!

で終わらせてほしくはないんです。

子どもの逃げ道や落ち着く方法が確保されているか?

次に同じことが起こらない様対策はしたのか?

そして報告が欲しいなあーーーと思っています。

それはよいことも悪いこともどっちもです。

 

  • 人に全く興味がなく、人の名前なんか聞いたこともなかったのに・・・ボソッと「○○先生」と言って「この子、名前聞いてるんだ!!わかってるんだ!」と思い嬉しかった。その事を先生に伝えると「ええーーー」って大喜びして下さって・・娘のことを本当に思ってくださってるんだなーーーと嬉しくなった。
  • 余暇活動でパニックになり・・・1日、娘についてくれていたボランティアの方が「苦しいねーーー」って泣きながら背中をさすっている姿が印象的だった。
  • 1日中働いて娘の日中の情報が希薄な私に近所の子達や連絡帳で全て報告してくれ、画像が目に浮かぶくらいよくわかった。

他にも無数にあります。
やはり、支援というか・・・心が娘に向いてくれているのをみると、

本当に嬉しかった。

感謝の気持ちでいっぱいになります。

だって・・・支援や福祉あってのわが家ですから・・・

親というのはわが子は愛おしい・・・
だからつい、感情的になってしまうこともある・・・

角の立つことを言ってしまうこともあります。

でも根本はねーーー

支援して下さる方、周りにいらっしゃる方々

常に・・・感謝しているんですよーーー

 

代表して・・・みなさんへーーー

「こんな大変な仕事をしてくださり、

いつも見守ってくださって本当にありがとうございます」

「障害」児・者あなたは本当にそこにいたい?

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「障害」児・者に関わりながらずーーーっと思っていること

福祉サービスが充実してきて・・・

放課後デイサービスが全国的に増えてきたり・・・

インクルーシブを教育方針に取り入れた幼稚園も聞くようになりました。

そのおかげで、「障害」児の居場所が増えてきた。

そのことで助かっているか家庭もたくさんあるはずです。

でも助かっているはずの場所なのに・・・

なんだか、親子そろって社会から疎外された感じがするってのも聞きます。

それはなんでだろう?と考えてみますと・・・

時代を追うごとに、障がいのある子の居場所は増えました。

でも、居場所が増えて助かる、だけど喧嘩で大きな問題にばかりとなる子どもや、

パニック三昧で返ってくる子どもたちをみていると

「本当に、こんな暮らしをさせたいんだっけ?」

と思ってしまいます。

 

ある方が記事にしていました。

インクルーシブ教育を取り入れた幼稚園に通い、加配教員をつけて定型発達の子達と同じクラスに在籍していました。

就園したことで、運動会や発表会、夏祭りといった多くの子どもたちが楽しみにしていたイベントがありますよね。

「自閉っ子あるある」の例に外れず、我が家の子どもたちにとってイベントは辛くて耐え難いものだったようです。

あまりにも参加できないし頑張れない。
そしてパニックになりまくるので、担任や加配教員に

「今回は(も)参加できません、無理されずに休んでは?」

と提案される事も
もちろん、悪気があって言われたのではありません。
それは教職員の方からの

「無理しないでね」

という、私と子どもたちに対する配慮だったと思うんです。

でも、だんだんと私にとってその配慮が

「障がいがあるから仕方のないこと」

と、障がいを理由に支援を怠けている様に感じてしまって孤独に思っていました。

だから、そうした配慮についてとても考えさせられた数年間だった。と・・・

 

 

これを読んで本当に思うんですよねーーー

「障害」を理由に「参加できない子」にしていては・・・

いつまでたってもインクルーシブや障害者福祉は進んではいかない。

「そこにいて当たり前の子」

「そこに居ることが当たり前の存在」

にしてもらう為に支援をすることがインクルーシブだと思うんです。


【合理的配慮】ってしなくちゃいけないことですよねーーー

参加できるように視覚支援を増やしたり、ビニールテープを床に引いて立ち位置をわかりやすくしたり、掲示物に配慮したりなどなど・・・

支援方法がわからないなら・・・今は相談支援員入っての相談だってできる・・・

全ての機関と連携なんて簡単なんです。

でも・・・それでも誰もが・・・

イベントは、参加出来たり参加できなかったり。

 

「加配職員をつけるから一緒にはいれるなら集団に混ざっていいよ」

 

ではなくって・・・

 

「ここにいるのが当たり前の存在だよ」

 

と、そうした価値観の人が増える時代に早くなって欲しいなーー

だって、そうした大人の意識は「健常」と言われる子ども達にだって・・・

受け継がれていく、そして共生意識をもったまま大人になっていくはずだと・・・

私は信じています。

昨今は・・・

支援児童の居場所が増えているのは事実。
それは、「障害」児が安全で安心して過ごせる居場所を増やそうと思って、

なされた施策だと思うんです。

支援者やその支援場所があってこそ、生活がまわっているのかもしれません。
それを考えると感謝ですよ・・・ホント・・・

だから、支援の場さえなかった、ひと昔前と今を比べれば、今はとても幸せなはず

でもやっぱり、「障害」児の過ごし方や場所の選択肢はもっとあってほしいんですよ。

子どもたちにとっても、支援の場の数があって・・・

「ここが向かないならこっちーーー」

「少し大きくなったから、ここは卒業----」

「この空間よりもこっちーーー」

といった形で、過ごし方や暮らし方があるといいなあーーー

私達、選択して勝手にやれる側が、やりたいことや過ごしたい友人を選ぶように、

「障害」児にも選択肢がふえたらいいなあって思うんです。

毎日を当たり前に生きていると気づきにくいいのですが・・・

「何を食べようかな」「あそこに行きたいな」

「こんなことを勉強したいな」「こんなスポーツしたい」

「こんな仕事をしたいな」「ちょっと遠くに出かけたい」

「あの子と遊びたいな」

とかねーーー

たとえば、大人であるということも子どもに比べて選択肢が多いですよね。

自分のことはほとんど・・・自分に決定権がある。

でも、子どもは最終決定者が大人であることが多い。

お願いしないと手に入らないことだらけだしねーーー。

そう、子どもは・・・不自由なんです。
不自由である代わりに愛されている。んーーーー愛されている必要がある。

だからねーーー「障害」児・者ということも不自由であるからこそ、

支援の手をさしのべられる必要がある。

そういうのって、社会の中でごく自然で大切なこと。

 

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確かに、ひと昔前から比べると「障害」児・者の居場所も増えたし支援者も増えた。

「障害」児の過ごせる場所が、あるかないかと聞かれたら「ある」。

でもねーーーそれが本当にその子ども達が居たい場所で・・・

親たちが安心して信頼して預けれる場所なのかなーーー

「障害」者就労においても就労率は上がっているけれど・・・

本当にその人は・・・そんな仕事がしたかったの?

ただでさえ、つらい生き方を抱えているのに・・・

仕事までつらかった場合、

それを発散する環境や心身の状態でない場合のことを考えると辛くなる。

そんなの、「障害」児・者の親として、黙って見過ごすわけには決していかない!!

「障害」児・者の家族は、子どもの過ごす場所を探すことに必死です。

消して足りてはいませんが、受け入れ預かってくれる場所はある。

たとえ、評判がどうでも、知識の少ないパートの方ばかりでも、

家や学校からかなり離れていても・・・まあ受け入れてくれる場所はある。

でも、そこで毎日パニックになってしまったり、

問題行動を繰り返す子どもたちの話を聞いていると・・・

本当にそこが「障害」児の居場所なのかなあーーーと思わずにはいられない。

少子高齢化でも分かるように、子どもの問題と介護の問題は目を逸らせない。

「障害」で生まれたから大変、その親は大変とか・・・

在宅介護や老老介護だから大変、そんな思考自体がもう古いと思うんです。

どんな立場に置かれた人も、その人の生活の質を上げていくために

税金を投資したり、生き方の選択肢が増えるように

サポートする事業がもっとふえてもいいんじゃないかなあーー


子どもたちの未来は、そんな人としての温かさが両手広げて待っていてほしいなーーーと思っています。