
私が、日々、利用者さんに向き合うとき、とても大事にしていることがあります。
それは
「正しさより、続けられる支援を」
この言葉に、私の37年間が凝縮されています。
今日はその意味を、丁寧に話したいと思います。
「正しい支援」を求めて疲弊した日々
娘が小さかった頃、私は「正しい支援」を探し続けていました。
最新の療育メソッド、評判の良い専門家、効果があると言われる訓練——
「これが正解だ」と思えるものを見つけて、
それを完璧に実行しようとしていました。
でも、続きませんでした。
完璧を求めるほど、少し外れると「また失敗した」という感覚になる。
そして、準備にも莫大な時間がかかる。
子どもの反応が思うようでないと、「方法が間違っているのかもしれない」
と不安になる。
「正しさ」を追いかけることで、
目の前の娘を見る余裕がどんどんなくなっていました。
「続けられる」ことの力
気づいたのは、ずっとあとのことです。
完璧ではないけれど、毎日続けられること。
劇的な効果はないけれど、親も子も無理をしないでいられること。
そういう支援の方が、長い目で見たときに、
子どもの育ちに深く関わっていたということを。
支援の効果は、短期間ではなかなか測れないことの方が多いです。
特に知的障がいや発達障がいのある子どもの育ちは、
長い時間の中でじわじわと現れてくることがほとんどです。
だとすれば、長く続けられることの方が、
単発の「正しい支援」より、『続けられる』ことの力は、
はるかに価値があります。
「続けられる」を判断する3つの問い
支援が「続けられるかどうか」を判断するとき、
私はこの3つの問いを大切にしています。
一つ目:親が無理をしていないか。
送迎、手続き、連絡帳、保護者会——
これらの総量が、日常生活を圧迫していないか。
親が消耗している支援は、結果、長続きしません。
二つ目:子どもが嫌がっていないか。
嫌がることにも意味がある場合はあります。
でも、継続的に強いストレスを示している場合は、
その支援が今の子どもに合っていない可能性が十分にあります。
三つ目:家族全体のバランスが保たれているか。
きょうだい児への影響、夫婦関係、家庭の経済的な余裕——
支援は子ども一人のためだけではなく、
家族全体の中で機能する必要があります。無理しすぎていませんか?
「続ける」ことを選んだ日の話
娘が10代のころ、ある療育をやめる決断をしました。
効果がないわけではありませんでした。
でも私自身がその送迎と対応に追われ、
娘やきょうだい児と向き合う時間が減っていることに気づいたのです。
やめることへの罪悪感がありました。
大丈夫か?って言う不安もありました。
でもやめた後、娘と過ごす時間が増え、娘やきょうだい児の表情が変わりました。
だからあの時の、あの判断は正しかったと、今でも思っています。
「正しい支援より、続けられる支援を」——
この言葉は、あの私自身の経験から生まれました。
次回は、支援者が多すぎることで起きる混乱についてお話しします。













