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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

あなたの「能力」って何ですか?

f:id:variouspeople:20200503171948j:plain


よく「障害」児・者の話をするときに

能力があるとか?ないとか?

出てきますよねーーー

でもその【能力】の判定って・・・

どこの誰のどんな基準?

ってよく思う・・・

日々出てくる話題の中の【能力】って・・・

ホントに・・・価値基準がまちまちだなーーー

って・・・

結局・・・話している人の基準によって

劣ってる。優れてる。の判定をしているだけ・・・

なんじゃあないかなーーーなんて思う。

人の優劣・・・【能力】って言葉・・・

 

読み取る能力がない→読めない人、読まない人

書く能力がない → 書けない人。書かない人

みたいなーーー

ただ・・・単に

する、しないで、いいんじゃあないかなーーー

わざわざ・・・【能力】なんて・・・

そんな言い方しなくてもねーーー

 

そういえば・・・

 

小学校の何かの講演会で・・・

(確か・・・なんか「障害」児の差別事象かなんか

あったときだったかなーーー)

車いすの方が来たことがあった。
中年?高齢?だったか?の障害者の方に・・・

「なんか聞きたいことあるか~?」って聞かれたときに

子どもが言った。

「もし。歩けたりするとしたら何がしたいですか」

そしたら

「君は自分で空とべるの?」「いや!!とべんよ・・・」

「な・・・そやろ・・・」

「私は生まれてずっと歩けない、歩いたことないんや・・・

だから・・・さっきの君の質問は・・・

でけへんことはでけへん。君が空とべんのと一緒や」

って・・・言ったんです。

そして・・・

「じゃあ・・・君はなんで歩くの?」

「んーーーー普通歩くやん」

「でも・・・おっちゃんは歩かんやんなーーー

普通やないんかなーーー」

「んーーーーー」

「この世の中にはいろんな人がおるねん・・・

君の学校にも・・・周りにもいるねん・・・」

「うーーーん・・・・」

そんな会話があったことを思い出した。

 

f:id:variouspeople:20200503172041j:plain


そのとき・・・この世の中には

「歩かない人」もいるし、「歩く人」もいるし

「文字を書く人もいるし「書かない人もいる」

ただそれだけ・・・何だかそんな風に思えた。

 

うちの会の子ども達の中には偏食が大変な子もいる・・・

睡眠がまちまちで寝ない子もいる

少しの物音でも過敏で睡眠がしっかりできない子もいる・・・

うちの子も・・・口唇口蓋裂がひどかったせいで

偏食がずいぶん激しくて・・・悩んだ時期もあったけど

それも・・・

「食べれない」「どうしたらもっと良くなるか」

から・・・

 

「まーーー食べれるものもあるんだから・・・」

って・・・

「食べない人」という認識をし始めてから・・・

私は、すごく楽になりましたよねーーー

(成長と共にだいぶん食べれるようにもなってきましたし・・・)

眠れない子も・・・

「寝ない子」って認識しちゃえば・・・

ただ・・・それだけのことです。

(私は「寝る人」「食べる人」ですけどねーーーー笑)

 

みなさんも日ごろの生活で・・・

何だかなーーーなんて思うことはありませんか?

 

吐き出しちゃいたくなったら・・・

下記にどうぞーーーー

 

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

最近・・・若いママや・・・
他県のお問い合わせも出てきたので・・・
私、個人でグループをつくりました・・・
私もみなさんのお悩みを聴きながら・・・
なかなか近場に相談相手がいない
(近くの方には・・・ちょっと・・・って方も)
どこかで自分の気持ちを吐き出したい・・・
気軽に交流する場所が欲しい!!
さまざまな先輩ママの話が聴きたい・・・
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お待ちしてます(*^▽^*)

 

 

 

 

『障害』児~完成形から教える~

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ときどき・・・

今のママたちがやってることを見ながら・・・

 

うちは知的だったんですが・・・

(まあーーー最初、生まれてすぐは

口唇口蓋裂だったから・・・そこは後々気づいたんですけど・・・)

知的認知に課題がある彼女に教えてきたときに有効だったなーーー

って思うことを気づかされることがある・・・

ママたちが一生懸命やってることが・・・

んーーーその順番でない方が・・・飲み込むの早いかもーーー

って思うこと・・・

「完成したところを、まず教える」

ってこと・・・

だから・・・排泄を教えたいのなら・・・

失敗したときに・・・

トイレにいって、失敗したうんちを、便器へ流して、水を流すとまでの作業を

まず、一緒に見てもらう・・・何度も何度も・・・

自分がトイレに行くときに一緒に入って教える・・・

えーーーそこまでーーーって思うかもしれませんが・・・

視覚化→行動→視覚化みたいな繰り返し・・・

単純だけど・・・何事も

『見せて』『体験』『行動』がうまくいく・・・

これって・・・誰でも一緒だとは思うんですけどね・・・

まずは・・・結論から教える。

そうすると、うまくいくんですよ・・・

だって・・・

料理番組でも・・・まずは・・・最初に

「今日はこれを作りますよーーー」と映すじゃあないですか・・・

何をするかもわからないまま・・・

「さあーーーお鍋出してーーーー」なんて言わないはずです。

「完成形を先にみせる」

そうやっていくことで、そこへ近づけていくんです。

私たちも常に、視覚的情報によって日々流れてるって思うんですよ

これって・・・耳だけで情報を収集する

ラジオとかでは・・・料理番組は、なかなか想像力があるか?

料理が得意な方しか伝わりづらいですよねーーー

何作ってるのか?イメージがつきにくいから・・・

もしかしたら・・・材料は一緒でも出来上がってきたものが、・・・

全部違ったりするかもですねーーー(笑)

うちは女子だから・・・生理の心配もありました・・・

だから・・・小学校に入ったらすぐに・・・トイレに連れて行って

何度も見せていました・・・

(えーーーそんなに早くからーーーって思うかもしれませんが・・・)

最初はぎょっとして・・・

『ケガしたの?』『痛い?』

って聞いたりしていたけど・・・何度も何度も説明して

これが・・・いつか私にもやってくらんだ・・・

と納得するまで教えていきました。

処理の仕方まで全部・・・

彼女は・・・初潮がそんなに早くなかったので・・・

準備期間が十分あったので・・・パニックも失敗も

ありませんでしたねーーー

(小学校6年生の終わりくらいだったかな・・・)

 

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私たち大人だって・・・その方がやりやすい・・・

てまひまはかかるかもしれないけど・・・

後が・・・ずーーーーっと楽なんです。

また・・・新しいことやるのは・・・

 

小さなころからやる方がまだまだ・・・柔軟なんです。

私たち大人がいい例ですね・・・

新しいことってなかなか受け入れがたくないですか?

それは・・・知的やその他の特性のある子にとっては

もっともっと・・・大変なことだと思います。

小さなころからどんなお子さんでも・・・

一緒に視覚化やじ→体験(行動)

これが・・・早いなーーーって思いますよ・・・

順番お間違えなくーーー・・・大切ですから・・・

最初から・・・ではなく・・・

最後を見せて

『このためにこうするんだよーーー』

がホントに有効だと・・・私は体験上・・・思ってます。

 

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できない子って思いこんでいませんか?

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何回か・・・

ある子のことで相談があった・・・

「様々なことを何度もチャレンジしたり・・・

やらせてみるけど・・・どれもうまくいかない」

「かなり長い年月・・・見てきたけど・・・

こんなに・・・成長が見られないのは・・・」

って何だか悔やんでいる・・・

それは・・・彼1人が悩んでいるのではなく・・・

ほかの人もなかなか・・・

手を焼いているようだった・・・

 

ホントは・・・小さなころからの積み上げがあれば

もっと違ったのだろうけど・・・

過去に戻ることは出来ないし・・・

もう大人になってしまった彼にいまさら・・・

小さな子がするようなことからのステップアップなんて

言うことは出来ないだろう・・・

 

でも・・・しかし・・・

待てよ・・・

私は一緒にいないからよくはわからないし・・・

だいたいの特性しかわからないけど・・・

脳の特性からいくと・・・脳は変化が嫌いなので・・・

小さな努力を積み重ねていくしかない・・・

脳の抵抗を最大限に低くすること・・・スモールステップしか

やはりないのかなーーーとも思うし・・・

特に「継続力」が難しい彼には・・・

「長時間」は無理な話・・・

同じ作業をもなかなか・・・やることは難しそうだ・・・

 

それならやはり・・・1日1分・・・とか

1日3つだけ・・・とか。。。

そんなことから始めるって事かなーーー

とも思っちゃう・・・

 

それと・・・やはり根本は

本人がどうなりたいか?

自分を変えたいのか?ホントにこれなのか?

そんな事かもしれない。。。

 

小さなことを積み重ねることが

とんでもないところへ行くただ1つの道

 

ってイチローもい言ってた。

彼は野球も好きだから・・・こんな言葉も

入るのかもしれない・・・

 

そうそう・・・脳は騙されやすい

ともいう・・・

毎回同じことを言う。繰り返すこと・・・

ここで潜在意識の中に入れ込んでいく・・・

そんなことも必要かもしれない。

自己洗脳・・・

『自分はこれができる』

『どんな自分になりたいか?をなったていで言っちゃう』

これって・・・

成功者と言われている方たちは

当たり前にやってるとも聞く・・・

 

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それとこれって・・・大事だなーーーって

ワークに参加した・・・

相手の強みを 言い合うこと

1人1分・・・誰にでも強みがある

その強みを他者から言ってもらうことで

自分を再発見したり・・・

きっと自尊感情が上がっちゃう・・・

似たようなことで

『ほめほめワーク』ってのもしたことがある

みんなにそれぞれ何分かの間中・・・

本人のいいとこをいってもらう・・・っていうワーク

何だかくすぐったいような・・・笑えちゃうような・・・

そんな気恥しい・・・感じで・・・

何か言われるたびに・・・

『ありがとうございます』って・・・何度も何度も・・・

ほめられ慣れてない・・・んだよねーーー

 

そう感じることで・・・

『私って日頃どんなことを口にしてるかな?』

『人のことをどんな視点で見てるかな?』

『いいとこを直視しているだろうか?』

そんなことを振り返るきっかけにもなる・・・

 

そんなこと・・・日頃・・・

口にする機会少ないよなーーー

日本人の特徴なのかもしれない・・・

ならば・・・意識的に・・・やっていかなきゃ!!

1人の子どものことを考えながら・・・

 

そうそう・・・うんうん!!

早速イッテやらなきゃーーーって思っている私です。

 

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親亡き後「成年後見人」制度について

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私が考えていかなきゃだなーー

って思っているときに目についた記事です。

平均寿命が延びても健康寿命はどうかなーーー??

これからの今のこの子(しょうがい者)の生活を維持してやる

ことって・・・

きょうだいだけではなく・・・

他者と共に・・・ってやってきたことだけど・・・

まだ本当のところでは不安が残る・・・

これから・・・作っていくけど・・・

リスクマネジメントは常にいくつも準備

しておかなくてはいけない・・・

 

障害のある人は親と同居している人が多いというデータがあり、

障害者を巡る社会問題のひとつとして「親亡き後」の話題がクローズアップされるようになってきています。
 

では、親が亡くなったとしたら、具体的に何が困るのでしょうか?どんな準備をしておく必要があるのでしょうか?
 

 「障害がある我が子の、親亡き後も含め、一生涯に亘って権利を擁護する」

という目的で設立される場所があります。

例えば、30歳の知的障害のある方のお父さまが60歳で亡くなられました。

その場合、遺産分割ができない事態が起こり、相続の手続きが滞ります。

そのようなことがないように、事前に、

遺言書の作成や成年後見といった対策を案内します。

遺言書がないと、やはり相続手続きの過程で成年後見人を選任する必要が出てきます。

その手続きを速やかに行い、遺産分割を完成させることが私の関わる

「親亡き後」の支援業務です。
「親亡き後」の問題で一番大きいのは、

子どもの友人・知人がいないという問題だと思います。

親が元気なうちは親がいますし、親のつながりで我が子を知っている人が

多少でも周りにいると思います。

しかし、親も高齢になり、そして「親亡き後」となれば、

我が子の周りに友人や知り合いがいないという環境が一番の問題だと思います。

たしかにお金の問題も大切です。

だからこそ、親は少しでも子供に残そうとします。

しかし、お金があっても、温もりのある人間関係がそこになければ、

我が子の人生は幸せとは言えないのではないでしょうか。

「親亡き後」の相続やお金に関して相談されることが多いですが、

じっくりと事前の対策を立てて、時には法的な仕組みを利用することで、

解決できることが多いと思います。

ただ、人間関係作りは、なかなか難しいものです。

「親亡き後」の問題の対象となるのは、知的障害や精神障害を抱えている方が多いです

その中でも、本来形成されていくはずの様々な人間関係が

親子の間だけになっているケースです。

人は学校に通い、友人ができ、仕事に就けば職場の人間関係が生まれます。

結婚して自分の家族を増やすこともあるでしょうし、地域の知人もできかもしれません。しかし、そのような人間関係を形成する機会がないと、

親が亡くなると誰も周りにいないことになります。

特別に親しい人がいなくても、なんとなく一緒にいてくれる人、

他愛もない会話や関わりをもってくれる人がいることで、

人は幸せを感じるのではないでしょうか。

それは、健常者であっても障害があっても同じでしょう。

どうしても、先立つものとしてお金も問題が気になりますが、

人の幸せって何だろうと考えると、やはり

「人の温もりを多少でも感じることができる人間関係」

だと私は信じます。

その観点からすると「親亡き後」の最大の問題は本人の孤立だと思います。

お金だけ残したとしても、解決できないのです。
 

障害の有無など関係なく、共に暮らしていた親が亡くなれば、

なんてことのない会話をする相手や、隣にいてくれる人がいなくなってしまいます。

その虚無感や不安感は堪え難いもの。

たしかに、お金の問題以上に辛い問題となり得る話です。
 

成年後見人。法務省のサイトには

「認知症や知的障害、精神障害により”判断能力が不十分”

とされた人の財産を守る人」

とあります。
 

成年後見人の仕事は財産管理と身上監護の二つです。

本人の財産が安全につかわれるようお財布を管理することが財産管理です。

一方で、本人がその人らしい生活を送れるよう在宅から施設への移転のサポート

(入所契約の締結)や在宅介護サービスの選択及びその契約をするのが身上監護です。

どちらかというと、財産管理の仕事が主になりがちです。

成年後見人は事実行為をすることができないので、

衣食住はヘルパー・介護サービス、病気や健康面は看護師といったように、

複数の専門家が一緒になって本人をサポートします。

親ではないので本人の全てをサポートすることはできません。

専門家同士が相談しあって、親の代わりを務めるというイメージです。

その中で、成年後見人は何にお金を使うか、今後の生活の方針を立てる等

といった重要な役目を担います。

具体的な生活のお手伝いはできないのですが。
 

親ってあらゆる役割をワンストップでできるんですよね。

親以外が担うとなると分業制でやらざるを得ないと思います。

したがって、サポートしている方々が定期的に集まってミーティングを開いて

情報共有をする必要があります。
 

親以外の人間関係を築くことが難しい人にとって、

成年後見人は「親亡き後」の数少ない「関わりをもつ人」になります。

では、成年後見人を選ぶ上で大切なことがあるのでしょうか?
 

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成年後見人って、障害のある子どもだとけっこう長く関わることになるんです。

だから、杓子定規な人ではなく

「人それぞれ、その人らしい生活がある」

ということを感じてくれる人がいいですね。

ディズニーランドが大好きな子どもがいたとします。

入場料が大体7000円、ご飯も中で食べると一人あたり1万円近くの出費になります。

これを高いと思うかどうかは人によって違います。

本人がディズニーランドを何より楽しみにしており、

ミッキーに会うことが生きがいというのであれば、

それは必要な出費と理解するべきです。
 
 保護者からは

「この子は年1回のディズニーランドをとても楽しみにしているんです。

だから、これは必要なお金なんです」

ということを成年後見人に伝えておきます。

その上で

「なるほど。これは必要なお金として認めましょう」

と気持ちを汲んでもらう必要があります。

何も知らなければ

「近くのショッピングモールの遊び場だったらともかく、

ディズニーランドは高すぎる。必要経費にあたらないから、お金は出さない」

という判断を下すかもしれません。
 だからこそ、なるべく早い段階から

「後見人になってくれそうな人は誰かな?」

と探しておく必要があります。相性や価値観の問題もあるので、

その辺をよく観察して、候補になる人をみつけましょう。

親として関われなくなれば、代わりにやってくれる人を見つけるしかない。

もしそれが兄弟や親族にいればいいけど、いなければ探すしかありません。

そして、自分が元気なうちに成年後見人になってくれる人に伝えておくことで、

親亡き後も子供が以前と変わらない生活を実現できるようになれると考えたいですね。
 

生活をしていく上で、財産管理は信頼できる人にお願いしたいものですが、

そのうえで

「自分にとって大切なもの」

を大切に考えてくれる人じゃないと嫌ですね。
 成年後見人探しは親が死んでからでは遅い。

子どもからすると

「この人だれ?」となってしまうので、信頼関係は築きづらい。

死ぬ前に誰かにバトンタッチしておかなきゃいけないのですが、

それには、時間がかかります。
「子どもが30歳で親が60歳くらいのとき」

から考えるのがいいと伝えています。

平均寿命が伸びているので、もう少し保護者の年齢が

後ろのときでもいいかもしれませんが、突然死のリスクなども考えると

目安は子ども30歳の頃ではないでしょうか。

親にはなれないけど、好意的に関わりをもってくれるお兄さん、お姉さん探し

と思っていいと思います。
 

管理する財産にもよりますが、だいたいは月2万円程度、

年間24万円を目安にしていいかなと思います。

成年後見人に専門家がなるとその報酬額を家庭裁判所が決めることになっています。

この報酬額を毎年払い続けていくことは簡単ではありません。

ただ「親亡き後」においては必要になる制度ですので、

あらかじめ目星をつけておいて、望ましい人になってもらいましょう。
 

親が亡くなると「自分らしさの代弁者」がいなくなる。

だからこそ、生きている間に引き継ぎをしておくことが

重要になってくるのかもしれません。
 

「親の役割」と「バトンタッチしていくこと」

についてお話を伺いました。

子どもは、親が亡くなった後も生きていくもの。

「親が亡くなっても、他の人間関係ができていれば生きていける
 

「親亡き後」は障害者だけの話ではありません。

最近ではひきこもり家庭などでも議論されていることです。

「親亡き後」に備えることは、子どもの人生の優先順位を明らかにし、

その上で周りの協力を得ること。

これは、障害がなくても、親が健康であっても、

日々の暮らしを送る上で大切なことです。

 

今元気なうちに・・・しっかり考えとかないとね・・・

きょうだいには思いを伝えているけど・・・それだけでは

リスクはぬぐえない・・・

 

さあーーー急がなきゃねーーー

「障害」って誰が決めるの??

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「障害」者って・・・

誰が決めるのでしょうか?

なんのために分けるのでしょうか?

 

ちょっと前にねーーー

ある方の投稿が上がってた・・・・

こんなこと・・・あるんだよね・・・

そして・・・みんな苦しんでる。

 

 

小学校2年生で

計算できないから

うちの学級では見れません!

小学校3年生で

中学校になって勉強についていけなくなって
グレて 事故にあって死んだ子もいるんです

“勉強出来ない“から
支援級へ

言われ続けたこの子、

“いま”平均的に勉強出来ないのが
なんの迷惑かけてますか?

お友達ととても仲良くできる、

出来ないことは周りの子たちが
助けながら忘れ物のチェックしてくれたりして
彼が何も困ってない、

彼の優しさや笑顔で救われてる子たちがいる、

勉強はいま出来てなくても

大人になってできる子だって

高校生になってできる子だって

いるんです、

学校は勉強だけをすれば良いところですか?

考えてください。

先生は何をこの子に求めているのですか?

学力だけですか?

ならば、この子を先生は見なくていい

わたしが見るから。

わたしがこの子の親です。

この子がグレる?

そんな劣等感を抱かせるなら
勉強は出来なくていい。

勉強できなくてもこの子には
たくさんの素晴らしさがある、

それでも もし何かのきっかけでグレたなら

わたしが追っかけまわして

どこまでも追っかけまわして

引っ張って

殴り倒して

愛してること

大切に思ってること

伝えます、

わたしが親です、
ぜんぶわたしが責任を持ちます

啖呵切り続けた、
義務教育の現場。

特別支援学級、

学びたいのに学べなかった教科‥

学びたいと伝え続けて

やっと学べたのは
中学校3年生。

受験に必要な評価はない。

学びたいとこは
ゆっくりでも
この子は
学べる、自分のペースで身につけるために
特別支援学級に入ってる、

それで対応すると言ったのは
教育委員会、

全く対応しなかった、

家庭教師、わたしと
中学校3年生のときに異動で
来てくれた、当時の担任の先生が

放課後も残して推薦入試に
必要な勉強を1年生課程から

教えた

高校生になって

普通科で

学級で成績は半分より常に上位。

支援級へ、
知的ボーダーです。(数字だけの基準で言われ続けた)

目のみえ方の問題もあった。
それが早くわかっていれば
もっとサポートも出来たかもしれない。

勉強出来ない子、
学力の伸びない子を
排除しよう、とする前に

どうすれば出来るかを考えないのが
現実の義務教育現場。

12年たっても 未だ変わってはないよ、

彼の視覚障がいも
見方を変えれば才能で

UFOキャッチャーでは
みえ方が
私たちと違うから
獲得率の高いこと

バスケットボールでも
シュート率も高い

出来ないことが
出来るように

その子が出来なくても
出来る人が支えられるように

お互いが支え合えるように

そんな世界をわたしはずっと願い続けているよ。

 

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このお母さんは・・・

タンカきって・・・

「私が親だ!!全責任は私がとるんだ!!」

そう言い切ってお子さんのために戦ってこられた。

 

私は・・・・何かあるたびに・・・

「なぜ?そう思われるのですか?」

を問い続けてきた・・・

形は違うけど・・・

「子どもを愛してる」

「責任は私がとる」

そのスタンスは一緒だなーーーって感じた。

 

でも・・・

あーーーこんな事いえないよーーー

あーーーこれって思ってるけどできないよーーーー

そんな方は・・・

 

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自殺対策は進んだというけれど・・・

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ある記事が目に留まりました・・・

 

2006年に自殺対策基本法が施行されて以来、日本の自殺対策は進みました。

 

 実際、自殺者の数が減ってきて、「自殺」ということを

言いやすい社会になりました。

法律ができる前は、「自殺予防講演会」っていう題名も

はばかられていたところもあったぐらいです。

だから当時は、追い詰められている人が、

「死にたい」なんて、とても言えなかった。

それが言える社会になったってことは、すごくよかったなあ、

と思っています。

 問題は、危機にある人たちを支援する、助けることを自分たちのミッションとしている専門職の方たちはどうか、という点。

私から見ると、やっぱり依然として、「死にたい」ってくりかえし訴えたり、

今を生き延びるためにリストカットや過量服薬を繰り返したりしている患者さんは、

医療機関の中で、やっかいな患者さんとみなされています。

 患者さんから「死にたい」と言われた時の対応でも、

依然として、自殺がいかにいけないかを説教したり、説得したり。

そういう対応に終始している医療者もいて、

正直言うと、あまり変わっていないという印象があるんですよね。

 確かに、自殺のリスクの高い方たちを支えるのは、

医療者にとって負担でもあるし、マンパワーも食われ、時間もかかる。

そういう患者さんを1人診ている間に、

もうちょっと軽い患者さんを何人も診ることができて、

収益性という点ではマイナスです。

それどころか、もしその人が死んだ場合、

訴訟に巻き込まれる可能性もゼロとは言えない。

だから、できれば診たくないし、入院させたくない、

という現実もあるんですよ。

 自殺は激減したけど、いちばん顕著に減った層は、

1998年に激増した「中高年男性」ですよね。

女性は若干減っているんだけど、でも大きくは変わっていないのと、

若年者に関しては横ばいで、

10代のある層なんかは、むしろ戦後最大の数だったりします。

 働き盛りの男っていうのは、社会で、家の外で傷つきますよね。

仕事のこととか、名誉や体面とか。

けれど、女性や子どもは、家庭や学校など、

わりと近しい関係性の中で傷つくことが多いんですよ。

しかも、社会経済的な問題のように、分かりやすい外側の問題ではなくて、

トラウマとか生きづらさっていう、外からは見えづらいものに苦しんでることが

多々あるんですよね。

 だから、女性や若年者の自殺者の減少が、働き盛りの男性に比べ、

いま一つ鈍いのは、やっぱりまだ、そこのところに手が入っていないからじゃないか。

「自殺は個人の問題ではなく、社会の問題」

ということで、国を挙げての取り組みが進んできたけども、

個人の問題の部分は、大きな課題のまま残っている可能性が

あるんじゃないでしょうか。

 こんな患者さんがいました。

風俗産業で働いている女性です。

実は、親からの深刻な虐待を受けていました。

で、親に対して怒りを感じたんだけど、その親が自殺してしまった。

「自分が怒りを感じたから、お母さんが自殺したんじゃないか」

って、自分を責めながら、でも、虐待された心の傷は癒えないまま。

お母さんそっくりの自分の顔が嫌で、いつも顔を整形しながら、

その資金のために風俗で働くわけです。

 性暴力の被害を受けたこともあるので、風俗で働けば、

結局、心のトラウマの、やっと「かさぶた」になったところが

すぐに破れて出血し、それを抑えるために薬をまとめ飲みしてしまう。

薬物乱用は、確かにいけないことなんだけど、

今を生き延びるために薬物乱用も一時的には役に立っているし、

リストカットも一時的には役に立っている。

「死ぬよりはまし」っていうか、自殺を延期していた効果は確かにあった。

 でも、最終的には、本人の中でどうにも立ちゆかなくなって、

「しばらく外来に来ないなあ」

と思っていたら、3か月ぐらいたって、

その患者さんの友人から「自殺した」という知らせを聞いたんです。

 こういう人たちに対しては、医療機関もできることは限られているし、

むしろ、多くの医療機関が診るのを嫌がります。

また、なかなか自分から「助けて」と言えない人たちなんですよ。

 

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今、学校で「SOSの出し方教育」をやっているけれど、

年に1回、学校で授業を受けるだけでは、簡単にSOSなんて出せない。

健康で、愛されて育って、自分に自信がある子たちは出せるでしょう。

でも、リスクの高い子たちは、あまりにも自己評価が低すぎて、

「自分は人に助けを求めるに値しない人間である」

っていう思い込みがある。

あと、あまりにも多くの裏切りに遭い過ぎて、

「人は必ず自分を裏切る」

と思っている。

でも、リストカットや薬物は、自分を絶対に裏切らない。

誰かにどんなに裏切られても、これさえあれば、

自分は正気を保てる。

そう思って、切ったり、薬を飲んだりしている人たちなんですよ。

 だから、そういう人たちは、SOSの出し方教育ではたぶん何も変わらない。

医療機関も、相変わらずそういう患者さんたちに苦手意識を持っている。

医療関係者がそうなんだから、一般の人たちなんてもっと苦手で、

「もう関わらないでおこう」

という感じになってしまっていると思います。

中学校の保健室に勤務してた頃

「自分の命と偉い人の命の価値は違う」

なんて言ってる子や

リストカット繰り返して見せに来る子

そんな子も確かにいたなーーー

學校に来ない子も・・・

きてすぐに帰る子も・・・

別室学習・・・別室待機・・・

様々なこもいた・・・

 

今でも生きづらさを抱えているのか?

それとも<出会い>に救われているのか?

 

どんなことも・・・すべてを解決することは出来ない・・・

だけど・・・<出会い>知り合った時間は

精一杯・・・

・・・で・・・どこかにつなげられると・・・

もっといい!!

 

そのためには・・・自分が・・・周りが

ちゃんと様々な場所を知り

教えて行ける・・・または教えてくれる場所を

教えられる・・・そんな風になっとかないと・・・

いけないんだよなーーーー

 

 

 

 

目の前に子どもがいるということ・・・

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今・・・

まさに

毎日子供がいて・・・

多いところは何人いらっしゃるんだろ?

そのうえ・・・お金の心配

子ども達のこれからのお心配

収入、仕事の心配・・・

心配は尽きないはず・・・

私のところにも何人も・・・

これ以上この状態が続いたら・・・

毎日毎日・・・向き合っていく限界が

そろそろ・・・来てます。

なんて・・・聞くことも増えてきました。

 

そんな時・・・ちょっと思い出して

昔読んだ記事・・・

 

【赤ちゃんの夜泣きに感謝しなさい】

 

自分の目の前に子どもがいるという状況を

当たり前だと思わないでほしいんです。

自分が子どもを授かったこと、

子どもが「 ママ、大好き 」と言ってまとわり

ついてくることは、奇跡と奇跡が重なってこそ

に存在するのだと知ってほしいと思うんですね。

そのことを知らせるために、

私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。

そのお母さんは、出産予定日の前日に

胎動がないというので来院されました。

胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。

早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。

でも。産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは

大変なことなんです。

普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間

でも、ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって、

「 頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ 」

と励ましますが、死産をするお母さんにはかける言葉が

ありません。

赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、

死産のときは本当に静かです。

しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。

そのお母さんは分娩室で胸に抱いたあと

「 一晩抱っこして寝てていいですか」と言いました。

明日にはお葬式をしないといけない。

せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。

私たちは「いいですよ」と言って、

赤ちゃんをきれいな服を着せて

お母さんの部屋に連れていきました。

その日の夜、看護師が様子を見に行くと、

お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、

子どもを抱いていました。

「大丈夫ですか」と声をかけると

「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」

と答えました。

よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で

掬って、赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。

死産であっても、胎盤が外れた瞬間に

ホルモンの働きでお乳が出始めます。

死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を

飲ませて止めますが、すぐには止まりません。

そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたら

じわっとお乳が滲んできたので、

それを飲ませようとしていたのです。

飲ませてあげたかったのでしょうね・・・

死産の子であっても

お母さんにとって子どもは宝物なんです。

生きている子ならなおさらです。

一晩中泣きやまなかったりすると

「 ああ、うるさいな 」と思うかもしれませんが、

それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。

母親学級でこういう話をすると

涙を流すお母さんがたくさんいます。

でも、その涙は浄化の涙で、

自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。

 

  自分の目の前に子どもがいるという状況を 当たり前だと思わないでほしいんです。 自分が子どもを授かったこと、
 
 
  •  
    私もねーーー
    「障害」児の子どもを産んだとき考えた・・・
    授乳もできる状態ではなかったから・・・
    先に・・・大学病院に搬送されて・・・
    私1人・・・いろんな」意味で「1人」を
    感じ続けたなーーーって・・・
     
    今は別の意味で・・・
    たくさんうちの中にいても1人を感じてしまってる
    そんな保護者もいるかもねーーーー
     
    そんなとき・・・私は時間あるときは
    無制限でズームあげてる時もあるんですよ・・・
     
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『子どもの発達障害 誤診の危機』2

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発達障害について

昨日の同様の医師の記事を読んでいると・・・

こんなことも書かれていた。

 

また、近年新しく知られるようになったこともあります。

これまで主に子どもの障害であると考えられていた注意欠陥多動性障害が、

大人にも見られることがわかったのです。

(これはよく聞きますよねーーー)

また、圧倒的に男児に多いと見なされていたことも誤りであったことが

明らかになりました。

(確かに女児は少ないとも聞いていました・・・昔は・・・)

 

男児に多いと思われてきた第一の理由は、

そもそも注意欠陥多動性障害の症状に大きな男女差があり、

女性の注意欠陥多動性障害は見逃されてきたことがわかったのです。

気づかれず、診断されず、そして当然のことながら治療されずに

生きてきた成人女性で、対人関係の構築や、日常生活の困難により、

うつや不安障害などの二次障害に悩む人が大勢いるのです。

(私もそんな女性たちに何人もあってきました・・・😢)

 

そして一般的に診断されることで・・・

こんなことも書かれていました。

 

私が当惑した理由は、そもそも成績が普通で、

友達と鬼ごっこやしりとり遊びができ、

私の質問に的確な答えを返してくるこの男児に

「重度自閉症」

という診断書を出す医師、

それも発達障害専門をうたっている医師がいる、ということです。

その医師がどのようなアセスメント(診療、査定)や心理テストをしたか、

ということは、この男児の場合には関係ありません。

小学校の通常の学級に通い、普通の成績をおさめ、

さらに褒められることではないにせよ、

口げんかで友人をやり込めることのできる子どもに、

重度自閉症という診断をすることの医学的な矛盾に

気がついていない医師がいる、ということに私はびっくりしてしまいました。

もちろん、医師は誤診をすることがあります。

いわゆるグレーゾーンに入る自閉症などの診断は専門医にも難しく、

結果として誤診することはありうるでしょう。

しかし、この男児を重度自閉症とすることは、

血糖値が高くないのに糖尿病の診断をするのに匹敵する

誤診だと思います。

発達障害の専門医であるならば、重度自閉症といえば、

まず言葉によるコミュニケーションがほとんどできない状態の

子どもを想起するのが普通なのです。

 

その後、母親に男児が保育園に通っていたころの行動の特徴について

思い出してもらいました。

保育園では落ち着きがなく、日常生活のルーチンが

できない子どもだったそうです。

重度自閉症というよりはむしろ、

注意欠陥多動性障害を思わせる特徴であったために、

母親と現在担任の教師に、注意欠陥多動性障害のスクリーニングで

使用されるチェックリストをつけてもらいました。

その結果、とくに学校での行動で注意欠陥多動性障害を疑わせる結果でした。

普通学級に通う、成績が中ぐらいの小学生が、

友達に乱暴をしたことで発達障害を疑われ、

地元の発達障害の専門医から

「重度自閉症」

という診断をつけられて、セカンドオピニオンを求めて

私の外来を受診したという事実に、

発達障害の診療の医学的水準に危機が迫っていることを実感しました。

現在の日本の教育体制の中で、重度の自閉症の子どもが通常学級に通い、

普通の成績を取るということはまずありえないのです。

そのことに気がつかない医師がいることは極めて憂うべき事態です。

 

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なんて書かれていてねーーーー

確かにねーーー

親は

人から言われたり・・・

診断に行くように指示されたり・・・

あるいは・・・自分が心配で医師のもとへ・・・

けれど・・・そこでもし・・・

こんなことがあったら・・・

『セカンドオピニオン』

行く人はまだいいとして・・・

信じ切っている人なんて・・・もしかしたら・・・

いるかもよねーーー

 

また・・・

 

そんな診断に悩んでる孤立してる方なんて・・・

いないのだろうか?

私もここまで・・・ひどいのは聞いたことがないような・・・

(今までの相談の中では・・・)

 

でも・・・知らないだけできっと・・・

いるんだねーーー

 

もしもそんな苦しみを抱えておられたら・・・

 

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

最近・・・若いママや・・・
他県のお問い合わせも出てきたので・・・
私、個人でグループをつくりました・・・
私もみなさんのお悩みを聴きながら・・・
なかなか近場に相談相手がいない
(近くの方には・・・ちょっと・・・って方も)
どこかで自分の気持ちを吐き出したい・・・
気軽に交流する場所が欲しい!!
さまざまな先輩ママの話が聴きたい・・・
そんなことをお聴きし・・・
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『子どもの発達障害 誤診の危機』1

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何かの記事で

書かれていたことが・・・私も近頃

非常に気になっていたので・・・

読んでみた。。。

んーーーやはりこのようにとらえてくれてる医師もいるんだと・・・

思うとともに・・・知らないでいる保護者もきっと

多いのだろうなーーーとおもってしまう。

以下が記事の半分ほど・・・

 

発達障害への認知・理解が広がるほど、

正しいものと、必ずしもそうではないものが混在し、

頭を抱えたくなるようなこともあります。

拙著『子どもの発達障害 誤診の危機』では、

発達障害にまつわる誤解、あまり知られていない真実についてお伝えしています。

なかでも最も伝えたいことは、医療現場で起きている発達障害の誤診

過剰診断についてです。


発達障害が広く知られるほど、受診者が増え、

これまで取り残されていた当事者が診察を受ける機会を得たのはよいことですが、

現場では、発達障害とは言い切れない子どもへの過剰な診断が多く見られます。
この半年の間に私が経験した自閉症スペクトラム障害の誤診

過剰診断の例を紹介します。

個人情報保護のために、年齢や症状を少しだけ変えてありますが、

重要なポイントはそのままです。


地元の発達障害専門のクリニックで「

重度自閉症」と診断された8歳男児のケースです。
受診の理由はセカンドオピニオンを聞きたいとのことでした。

当の8歳の男児は、ちょっとふてくされた表情で母親を見ていました。

母親の話を聞く前に、本人にいくつか質問をしました。

保護者の受診理由や、それまでに受診した医師の診断書や心理テストの結果によって

先入観を持たないようにする、私の診療スタイルです。

 

私「学校は楽しい?」 男児「うん、楽しい」
私「先生に叱られることない?」 男児「あまり叱られることない」
私「お勉強の成績はどうなの?」 男児「勉強は普通」
私「好きな科目は?」 男児「全部好き。95点取ったこともある」
私「友人はいるの?」 男児「いる。5人以上」
私「好きな遊びはなに?」 男児「鬼ごっこ」
私「じゃあ、走るの速いんだ」 母親「800メートル走が速いんです」

 

じゃあここで、私は母親に受診の理由を聞きました。

母親は、診断書を取り出し私に渡しました。

そこには「重度自閉症」と書かれていました。

私は当惑しながら、

「どうして(診断書を作成したクリニックを)受診したのですか?」

と聞きました。
しりとり遊びをしていた友達をばかにした結果、

その子が不登校になったこと、

登校班で一緒に通う子どもとけんかになり、

その子を押し倒してしまったことなどが重なったため、

学校から発達障害かもしれないので受診するように言われた、

とのことでした。

私が当惑した理由は、そもそも成績が普通で、

友達と鬼ごっこやしりとり遊びができ、

私の質問に的確な答えを返してくるこの男児に

「重度自閉症」という診断書を出す医師、それも発達障害専門をうたっている医師が

いる、ということです。

その医師がどのようなアセスメント(診療、査定)や心理テストをしたか、

ということは、この男児の場合には関係ありません。


小学校の通常の学級に通い、普通の成績をおさめ、

さらに褒められることではないにせよ、

口げんかで友人をやり込めることのできる子どもに、

重度自閉症という診断をすることの医学的な矛盾に

気がついていない医師がいる、ということに私はびっくりしてしまいました。

もちろん、医師は誤診をすることがあります。

いわゆるグレーゾーンに入る自閉症などの診断は専門医にも難しく、

結果として誤診することはありうるでしょう。


しかし、この男児を重度自閉症とすることは、

血糖値が高くないのに糖尿病の診断をするのに匹敵する誤診だと思います。

発達障害の専門医であるならば、

重度自閉症といえば、まず言葉によるコミュニケーションがほとんどできない状態の

子どもを想起するのが普通なのです。


その後、母親に男児が保育園に通っていたころの行動の特徴について

思い出してもらいました。

保育園では落ち着きがなく、日常生活のルーチンができない子どもだったそうです。

重度自閉症というよりはむしろ、

注意欠陥多動性障害を思わせる特徴であったために、

母親と現在担任の教師に、注意欠陥多動性障害のスクリーニングで

使用されるチェックリストをつけてもらいました。

その結果、とくに学校での行動で注意欠陥多動性障害を疑わせる結果でした。

 

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普通学級に通う、成績が中ぐらいの小学生が、

友達に乱暴をしたことで発達障害を疑われ、

地元の発達障害の専門医から「重度自閉症」という診断をつけられて、

セカンドオピニオンを求めて私の外来を受診したという事実に、

発達障害の診療の医学的水準に危機が迫っていることを実感しました。


現在の日本の教育体制の中で、重度の自閉症の子どもが通常学級に通い、普通の成績を取るということはまずありえないのです。

そのことに気がつかない医師がいることは極めて憂うべき事態です。

 

私たちの団体にもよくご相談が来るのですが・・・

その時・・・さまざまなところをご紹介したり

つないだりすることがあります。

内容によっては・・・すごーーーーーーく長い成育歴を送ってこられ

意見や感想を求められることも多くありますが・・・

私たちは・・・そのことについて・・・

『否定』も『肯定』もしません。

その方が生きてきた結果であって・・・

『ご苦労されましたね』はあっても・・・

終わってしまったことの見解よりも

これからを早急に考えていくことの方が

数倍大切だと思っているので・・・

『何をしたいですか?』『何が得意ですか?』

『興味のあること、好きなことは何ですか?』

・・・とお聞きして・・・これからのプランを一緒に考えていきます。

 

明日もまたこの続き・・・

まだまだ・・・この医師の方にはご心配なことがあるようです・・・

 

団体再編の中で・・・~PTA活動について~

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最近私も組織の再編をしているのだけど・・・

その中でも・・・よく聞く話で・・・

そもそも学校のPTAという団体は・・・

何をするために存在しているのか?

ってよく聞くし・・・いるのか?いらないのか?

そんな話も聞く・・・

現在、多くのPTAが行っている活動から逆算すると、

PTAの存在目的は

「学校のお手伝い」「保護者の学び」「保護者同士の交流」「地域との橋渡し」

などといえそうですが・・・

本当はその名称のように、

P(Parent)とT(Teacher)、

すなわち保護者と学校が、対等に協力する場ではないのか?

そんな疑問もあがっています。

(私たち団体もそうなのですが・・・すべてフラットな関係)

 

今・・・現在。。。

保護者と学校の間に本当に必要なものは何なのか?

どんな関係性が必要で・・・

それはどのように実現できるのか? 

を考えていくときのような気がします。

 

みなさんの中でも・・・知ってる方もいらっしゃると思いますが

映画「みんなの学校」で知られる

大阪市立大空小学校の初代校長・木村泰子先生は

その件についてこうおっしゃっていました。

 

「去年やってるから、やらなあかん」が一切ない

大空小学校は、PTAなしでスタートした
いまからだいたい14年前、

学校がやっと開校するとき、PTAをする人が誰もいないよ

っていう状態。

大きい学校が分離独立することになり、反対運動があったりして、

20年間いろいろもめてきた。

大空ができる地域で、PTAの役員経験者ってほとんどいなくて

「PTAをしてくれる人がいない、どうしよう?」

って相談が来た。 私は即答したんです。

「やる人がいてへんかったら、必要ないんちゃう? ナシでいこう」

って。答えは簡単。

だって自分たちの任意団体やから。学校にお願いされる団体と違うから。
そうしたら、みんながキョトンとして

「なくてもいいんですか?」

って言うから、

「なかったらあかんの?」

って反対に聞いたんです。

だって誰も自分からやりたいって思う人がいないのに、

「PTAありき」

でPTAをつくるなんて、学びの場やでナンセンス。 


「じゃあいいやん、やめよ」

 

なしでスタートした1年目、どれだけスリムやったか。

学校の校長や教頭の仕事も、

PTAとの付き合いで結構エネルギーと時間と取られてたっていうことが、

ようわかった。

会議のために夕方残るなんてこともないし、

土日に出て行かなあかんということもない。

PTAの事務で教頭が何かせなあかんことも、何にもない。

「スリムやね、これ」

 PTAって、なかったらなかったで何とかなるんやん、

何も困らなかったんです、PTAがないということ。

そうしてる間に、秋ぐらいだったか・・・

ひとりの母ちゃんが、

「先生、子どもらのために何かやりたいねんけど、私らやっていいかな?」

私のところへ言いに来たんです。

「何で私に聞くの?」

って聞いたら、

「校長やから」って、

「でも、子どものために保護者がやりたいっていうことを、

校長の許可をもらってやる」

っていうのは、それは要らんのんちゃう? 
 一見、学校立ててるように思うかわかれへんけど、

よう考えたら

「うまいこといったらいいけど、うまいこと行けへんかったら、

校長先生がうんって言ったから」

って責任転嫁の安心を持つだけちゃうか。それは要らんのんちゃう? 

って言ったら、

「えっ? なんちゅうこと言うた」

みたいになって。

保護者は意識できていない点です(笑)
 

あくまでも、自分たちがやりたい、

じゃあやればいい。自由の裏には、必ず責任が伴うわけですよ。

でも、うまく行けへんかったときにはすぐおいで、

みんなで「よっしゃ」って行くからって。

だから、やることの

「お伺いを立てる」

じゃなく、

自分たちがやり始めて困ったらいくらでも私らの力を活用してくれたらいい、

でも考えて決めて行動するのは、自分たちやんか、って伝えました。

どんな形でやったらいいかな、っていうことになって、

「プロジェクト制」を使ったんです。

一番最初にやりやったのは、夏休みに学校でお泊まり会。

防災キャンプを兼ねてやりたいって言うから、

「いや面白いやん、もう存分にプランニングしい」

それで、

「サマーキャンプをやろうと思う、言い出しべえは誰々、このプロジェクトに参加する人、この指止まれ」

その人が文章書いて、私らが印刷して

子どもたちに持って帰らせて。

そうしたら、小さい学校やから180人ぐらいしか配れへんかったのに、

10人ぐらい集まったんちゃうかな。
集まってそのプランを立てんのが、ものすごい楽しいねんって。

学校の1階にコミュニティルームってつくってあって、

そこへお菓子持ってきて食べながら、みんなでばーっとアイデアを練るんです。

子どもらもそこにいて、

「何やるん? 何やるん?」

これ大成功したんですよ。

父ちゃんたちが花火したり、お化けになったり、カレー作ったり。
 バザーもやってました。

子ども、いっぱいモノ持ってるでしょ、

自分のお年玉で買ったもんとか、要らんようになったら放っちゃうじゃないですか。

それをバザーで子どもたちが出店して。

値札付けやんのに、プラモデル5円とか10円とか、

大事なもんやったら100円とかね。

私も孫にいっぱい買って帰った。もう面白いですよ、

遠足のシートを1枚敷いてそこに物置いて

「いらっしゃい、いらっしゃい」とか言ってね。

売り上げの1割は、場代としてプロジェクトに払えっていうルール。

まさにキャリア教育ですよね。
やりたいとか、必要やと思ったら、どんどん何か生まれていくんですよ。

そういうのがなかったら、誰かがやろうと言えへんかったら、もうやらないんです。

「去年やってるから、やらなあかん」

という、これが一切ない。

やりたい人がいなくて、子どもが

「あれ面白かったのに、やりたいわ」

って声出したら、

「誰かする?」

とか言って親が動く、みたいな感じで1、2年目はスタートしました。
そのうち地域の人もそこに入って

「手伝うわ」

みたいになって。Pと地域の人も、年齢全然違っても、何かこうつながってきて。

つながると必ず意見の対立起こるんです。

それが嫌やから、みんな離れていくねんけど、

これって子どもと一緒やん。

対立が起きたら話すればいい。話せばわかり合えるよ、

って言いながら、そのプロジェクトつながりはできていって。

2年目の終わりぐらいに、最初のやり出しべえの母ちゃんが、

「先生、これってやりたいものがやろうってやってる間はいいけど、

卒業したら消えていくやろ」

って言ってきた。

ただ、よそのPTAという組織はもう、限界が来てるっていうわけですよね。

幼稚園なんかでも役員さんがいてて、何かお金も出さなあかんし、

一生懸命やっても、うまいこといけへんかったら文句言われて、

限界やと思うねんなって。だから、

「子どものためにこれをしなければならない」

ではなく、

「自分たちのできることは何かっていうのを考える組織」

をつくろうってことになったんです。

この組織が「SEA」(Supporter Educator Associationの略)です。

PTAではなくてSEA(読み方は「シー」)。SはSupporterのSです。

PTAのPはParent、親だけでしょ。

でも子どもを育てるの親だけ違うで、地域住民もいろんな大人が

大空の子どもを育ててる。

真ん中の「E」はEducatorのE。PTAのTは先生でしょう。

教えんの先生だけちゃうやんな。
大空は「ふれあい科」っていう独自の教科を、1年目から作ってたんです。

いろんな外部の人が来て、社会とつながるカリキュラム。

たとえば地域のじいちゃんが「座布団、回しい」とか言って、講座に来る。

隣にある大阪市立大学の有名な地学の教授が

「みんなの学校の地面は寒天と思う? プリンと思う?」

とか言って授業に来る。

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子どもらだけでなく地域の人も私らも、その授業に一緒に学ぶわけです。
だからこの組織は、あくまでも

「できるときに、できる人が、無理なく楽しく」。

こんな合い言葉なんですよ。

よそからいっぱい引っ越してくる学校やから、

幼稚園でPTAの会長してましたみたいな母ちゃんみたいなのも来て、

「役をやったら絶対休まんと、来なあかん」

とか

「みんながやらなあかん」とか言うわけですよ。

世間を持ってくる。

そのたびにやっぱり、ざわつくんです。
でも、親だけちゃうから。

SEAというのは地域でずっと関わってる人たちがいるでしょ。

そういう人たちがアドバイスしますね。

「それやったら、ぶっ壊してやる」

とか、意地悪なことよく言いましたけど。
あくまでもPTAってボランティアですよ。

ボランティアの精神は

「できるときに、できる人が、無理なく楽しく」

です。その代わり、見返りを求めない、ウィンウィンです。

これがギブ・アンド・テイクになるからみんなが困るんです。

組織と組織は全て対等なんです。

学校と地域の関係もウィンウィン、SEAと学校の組織の関係性もウィンウィン。

ギブ・アンド・テイクは、上と下があるんです。

「お願いします」「してあげましたよ」「ありがとう」でしょう。

PTAは、お手伝いをする保護者と学校がまさにギブ・アンド・テイクの関係。

その発想は、過去を引きずってるからです。

スマホのない時代を引きずってるということでしょう。

今、こんな多様な時代になって、PTAは全く変わらずやろうとしてるところに、」

そもそも無理があるでしょう。 

PTAというネーミングは変えるべきですね。

過去引きずり過ぎて。

PTAっていう名前を使いながら新たに改革しようとか、

子どものためのPTAをつくろうなんて、自分たちは無理やってん。

オールジャパンのPTAやなくて、大空のSEAみたいに自分たちがそれぞれ独自のものをつくっていると、大事にし始めるでしょ。
学校から頼むことは何もない


SEAのメンバーは、役員っていう制度を、リーダー制にしはったんです。

「リーダーになりたい人?」

みたいに募って、自己申告でなるわけです。

その中で、

「会長ってネーミングがSEAにぴったりけえへんねん、

どんな名前付けたらええかな」

って相談が来たんです。

「なんで私らに相談すんの? あんたら相談する相手、私らちゃうやろ」

って言うたら、

「子どもに聞くわ」って。
それで

「俺、リーダーやるで」

っていうひとりの父ちゃんが、毎朝仕事に行く前に玄関立って、

「おはよう、あんな俺な、SEAのリーダーになりたいねんけど、会長いう名前は嫌やねん。なんかええ名前ないか」

とか1週間ぐらい聞いとったんちゃうかな。

そうしたら子どもらが

「キャプテンがいい」 

かっこいい。キャプテン、やってみたいです。
かっこいいでしょう。

だから、「次のキャプテン誰?」っていうと、

「なりたい」って出てくるから、頼んだことないみたいやで。

それに、やらなあかん仕事、全然ないから。

やりたいことだけやっていく。学校から頼むことなんか何もないもん。

その学校が必要なプロジェクトを立ち上げたらいい。

前年度必要やったけど、今年度必要じゃないものもある。

PTAの一番悪しき文化は

「去年やってたからやらなあかん」

これです。

PTAの目的は、「大人が学ぶ」ということです。

そもそもPTAの組織って「子どものために」

って言うてるけど、文句出てるじゃないですか。

もうPTAなくしたらいいとか、なくしたらあかんとかいう議論をしてる。

ということは、

「子どものため」っていうお題目は、もう通用しないということです。

じゃあPTAを存続する意味って何やねんっていうのは、

学校は「人が人と学ぶ場やで」って。

だから「学ぶ場に必要なものは何やろ」って考えたら、

楽しい場が生まれてくるんちゃう? 

PTAが必要か必要じゃないかという議論はナンセンス。

文句を言って継続するんであれば、継続する必要がない。

今の時代の学校のPTAの役割って何やねんやろうって。

そもそもPTAって要るかって。これははっきり言うて、要りません。

そう言うたらあかんのかな。

でも過去の悪しき慣習を引きずったPTAは要らんのです。

そう思います、変われないなら要らないです。

過去を引きずったものをどう改革するかというのは、恐らく無理やと思います。

そうじゃなくて、過去を否定するんじゃなくて今、

起きてるこの状況の中でいったん過去は断捨離しようと。

今、学校にとって必要な保護者の仕事は何やろうなって。

そこから考え始めたらいいんちゃう? 

事実と批判は大違い。

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今の日本社会って、なんか事実が言えない大人が山ほど増えてるんです。

あったのに「ない」って言うわけですよ。

でもあったものは、あったやろって言ったら、それは批判に取られるわけですよ、

事実やのに。こんなおかしいことを子どもに見せてるわけです。

だから批判じゃなくて、事実。事実を語る大人、もっと増えなあかんちゃう?

だからPTAを批判すんのと違う。

今のPTAはこういう現状がある、という事実を発信して、

もう一回必要なものを生み出そう、つくり出そうって、

これが一番必要なんちゃうかなと思います。絶対できるから。

 絶対できる。やったら楽しいし。
何回もぶれるんですよ。大空もそうでしたよ。

SEAだって言いながらも、PTAに戻るんです。

何回もぶれんねんけど、でもその時に気付いた人間が、

「いや、やり直ししよう、巻き戻ししよう」

って。ひとりでもそのことを発信できるチームができてたら大丈夫ですよ。

そういう人を排除する組織は、困ってる子は全部排除されます。

いまのPTAは、そういうこと言えば、全部排除してるでしょう。

でも、

「いま、ちょっとぶれてるよ。もう一回みんなで巻き戻ししよう」

って、こういう言葉を発信できる人間と、

そこに気付いて学び直しをする大人、これ両者が生まれてたら、

困ってる子が困らない学校って確実にできる。

だって、誰のせいにもせえへん。自分の学校を自分がつくるねんもん。

自分のもんやもん、何か悪い学校つくったら悔しいじゃないですか。

だから大空の子どもたちは、自分の学校、

自分でつくってるから、ものすごい大事にしますよ。

平気で「校長、ぶれてる」って言いますよ。

言われたら、納得します。言われるたびに、

「この子、自分の学校つくってるねん。幸せ」とか思います。

現状維持したいとか、過去を守りたいとか、自分の位置を守りたいとか、

目的がぶれたときは事実を語ることをものすごく否定するじゃないですか。

だから、そういう人たちがいるのが今の日本社会やから、

そこで壁にぶつかるのは当たり前やし、落ち込んでても仕方がない。

 

なんかこんな考え方が・・・当たり前であってほしい。

過去を大事にすることはあっていいこともある・・・

だけど。。。

変わっていかなくてならないものも・・・あると思う。