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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

障害者と関わるのは面倒??~外注ビジネス~2

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昨日のブログの記者さんの話には・・・

マダマダ続きがあり・・・

 

障害者雇用を雇用率を企業側が考えるときに

 

「支援する環境を整える余裕がない」

「障害者に向いていない業種もある」

「障害者がいると生産性が下がる」

 

雇用率を達成できていない企業には

こうした考え方が背景にある。

 

ならば、その根拠を堂々と示し数字ありきの

規制制度を変える議論につなげればいいと思うのだが

本音をさらして議論が十分に行われている気配はない。

 

民間企業で雇用率を達成しているのは50%以下

 

企業と障害者の間に介在する【外注ビジネス】

 

互いが向き合う機会を奪い、

法の理念とズレた雇用を広げている。

 

しかし【外注ビジネス】に対し障害者の家族からは

歓迎する意見が珍しくないという現実もある。

 

農園に通えば、どこかの企業の従業員になって

最低賃金が保障され

月に10万前後の給料がもらえる。

 

福祉事業所では、とてももらえない給料を、

有難いと思う当事者や家族は多い。

 

ある取材に応じた障害者の母は

 

「上手く自分の考えを伝えられないので

残業を断れなかったり、社員旅行に

参加させてもらえなかったり、

健常者と一緒の職場で悲しい思いをした。

農園が企業の数合わせの雇用だとしても、

簡単な軽作業で給料をもらえるなら有難いし、

居場所の1つとして歓迎したい」

 

企業からのニーズと歓迎派の後押しで

「企業向け貸農園」は

各地に広がった。

20か所近い農園、約250以上の企業

で1400人ほどが通っている。

 

自治体でも賛同するところも出てきており

愛知県豊明市、みよし市、春日井市、東海市、

さいたま市が協定を結んでいる。

 

自治体の担当者は

 

「汗水流しては足らなくていいわけだから、

生産性でなく幸せ度ではかれば

農園は素晴らしい、単純で簡単な作業は

知的障害者にぴったりで

誰も不幸にならないウインウインの仕組み」

 

きわめて差別的な発言。

 

単純作業が向いている、楽な仕事が向いている

という決めつけは侮辱だろう。

 

「工賃の高い福祉作業所だと思えばいい、

家族や本人は喜んでいる。」

 

と話す自治体関係者も多くいた。

 

現状に甘んじる無責任な言葉で何とも「お役所」らしい。

 

そもそも福祉作業所は福祉サービスの一環で

職業訓練などを行う場で

企業に就職する前のステップとして位置付けられる。

 

企業が職場だと主張して利用する農園を

「福祉作業所だと思えばよい」

という発想は、福祉と労働の条件を

ぼかし、それぞれの分野の課題をも曖昧にする

危険をはらむ。

 

障害者雇用促進法が対象者も広がって

30年以上が過ぎた。

 

それは障害者や家族が様々な社会課題と向き合い

闘ってきた積み重ねの成果だ。

 

医療、福祉、労働の分野の関係者も

奔走し理解の領域を広げてきた。

 

その歴史をふまえれば【外注ビジネス】を

行政が後押しするのは誤りだろう。

 

社会の成長を止めてしまう。

 

そもそもなんのための障害者雇用なのか?

農園を利用する企業のモラルも問われる。

 

これから法定雇用率の引き上げがさらに加速し

企業は必死に雇用率達成を目指すが、

社会の一員として捉える土壌が充分に育ってないのに、

数字だけ整えても障害者の理解は深まらない。

 

法の理念からは遠ざかり、

障害者の生きがいや成長は置き去りに

されてしまうだろう。

 

・・・と最後まで読んだ。

 

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そうなんだよなーーー

根本・・・根底・・・そこが違う・・・

それぞれの思惑が違う!!

 

そこには・・・子ども達が最初に出会う【教育】

最近読んだ【カナダのインクルーシブ教育】の様に

人のそれぞれの価値観の大多数が変わらなければ・・・

物事は進んでいかない・・・

 

だけど・・・それを待ってもいられない・・・

 

だから・・・

待っててはいけないいんですよ・・・

動かなきゃ!!

 

誰かが何かをしてくれる・・・

をまっていたら・・・

 

きっと・・・何が正しくて、何が間違ってるかも

見失ってしまう・・・

 

そして・・・目の前に来た何かよくわからないけど・・・

何となく可でもなく不可でもない・・・

曖昧なものに飛びついちゃったりして・・・

 

【曖昧】は何かがあったときには“弱い”

何かで指導や指摘があれば・・・

すぐに壊れてしまいます。

 

私達、保護者も周りもしっかり考えていかないと

いけません。

 

どんな社会を望むのか??残すのか・・・

しっかり考えていきたいです・・・

 

 

 

 

障害者と関わるのは面倒?~外注ビジネス~1

 

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障害者とかかわるのは面倒?

外注ビジネスで

露呈した「社会の本音」

 

と題し、

 

障害者は障害者だけで暮らせばいいのか?

障害者は「駒」なのか?

法定雇用率とは?

共生社会とは?

 

と様々なことが書かれている記事を読んだ。

 

そうだな・・・口では

 

「法定雇用率」「共生社会」

「障害者雇用」「雇用率達成」

 

なんていい風に言ってみたり、

何だかやってる感があったり・・・

社会的に福祉に理解があると思われる

ような活動をしてみたり・・・

CSR活動(企業の社会的責任)なんてのもあるけど・・・

 

ここで実際に書かれていた現実は・・・

社会の人達の大半は・・・

 

「知的障害者の仕事に成果は期待しなくていい」

 

「障害者は障がい者同士でいた方が幸せ」

 

と思っているのではないか・・・

というほど障害者雇用の取材をする中で

よく耳にした言葉で

珍しい考え方ではないそうだ。

 

「面倒なので障害者と関わりたくない」

 

というのが本音だろう・・・と・・・

 

全てがそうではないにしても・・・

 

中に・・・

その本音に応えるかのように

 

「働く障がい者」と「働く場所」を

セットで企業に提供する

障害者雇用の「外注ビジネス」が広がっている。

 

国は定める法定雇用率を満たそうと

様々な企業が

「外注ビジネス」を利用。

 

障害者を受け入れる環境を整えることなく数字上は

コンプライアンス遵守の姿勢を示せる。

 

例としては人材派遣会社子会社が始めた

「企業向け貸農園」

農園で作業する障害者と雇用契約を結ぶことで

雇用率の達成につなげる。

 

農園で作業する知的障害者や精神障害者を

農園運営会社が集め

利用企業は集める手間も仕事を本業から選び出す手間も

いらない。

 

「雇用率を売るビジネス」

「障害者を雇用達成率のための駒としか考えてない」

「隔離政策のようだ」

 

このような場所では、

収穫する野菜は市場価値を求められず

売り物にしない。

 

それぞれの企業の社員への無料配布など

されているようだ。

企業の積極的な関りもなく、

人事担当者がときおり

訪ねては来るが、向き合う努力は???

 

「健常者の中に障害者が入られると

理解してもらえないことがある。

ハンディキャップを持っている者同士だと

仲間意識もあり、

助け合いながら働ける。」

 

と説明するが・・・この記者は

 

「障害者は障害者だけの社会でくらせばいい」

 

と社会が突き離した光景に見えるという。

 

直接交流し、初めて深まる理解もあるはず

確かに難しい面もある。

障がいの特性は個人で

大きく違うので支援は一筋縄ではいかない。

雇用側も戸惑いや負担もあるだろう。

しかし、そうした経験も含め日々接し、

今も根強く残る

障害者を見下す意識が少しづつ

変わっていくのではないか??

と記者は続ける。

 

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半分読んだ・・・

 

ふーーーっとため息・・・

 

そう書かれている現実・・・

 

これが社会の【本音】なのか・・・

 

確かに・・・

どこかに相談に行った(障害者の方)方が

障害者雇用により・・・

体調を壊したり

行けなくなってしまったり・・・

そんなことは・・・良く聴く話だ・・・

 

みんな口々に

 

「寂しかった」

「話す人がいなかった」

「仕事が難しかった」

 

そんなことを言う。

 

その度に・・・

 

「次に探すときには一緒に探そうね・・・

あなたと一緒に働きたいって言って

くれるところで今度は働こうね」

 

・・・・って言ってます。

 

こんな時・・・今は亡き日本理化学工業の

大山会長の言葉を思い出します。

 

「働く」とは人に必要とされ、人の役に立つこと

そのために一所懸命に頑張れば

みんなに応援してもらえる。

私は、このことを知的障碍者に

教えてもらったのです。

 

と・・・

 

私も永年一緒にたくさんの障害児・者に

関わっているので

このことは・・・骨身にしみています・・・

 

だから・・・

 

それぞれの「良さ」をしっかり見つめ

周りが変わらなくてはいけないことばかりなんだと・・・

日々・・・思いながら活動を続けています・・・

深く胸に刻みながら・・・

 

 

 

 

 

「睡眠」とブレない態度の関係

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なにより睡眠が基本!親の「ブレない」態度が

子どもの脳を育てる

と書かれている記事を発見・・・

 

私がこの記事に

ん??ってひっかかったのは

自分が体をみてもらってる

整体師(セラピスト)さんから

 

「眠れてない」

 

と言われて・・・

背中から肩、首の歪み、頭を今回集中的に

やってもらって・・・

 

もーーー信じられないくらい・・・

 

睡眠時間は短くても・・・

深ーーく眠って・・・

ずーーーーーっと頭が動き続けてる感から

開放されて・・・

すごーーーくスッキリして・・・

 

「時々休ませないと・・・

効率よく物事が進まなかったり

アイディアが出なかったりして

結局非効率なんだよ・・・」

 

なんていわれて・・・“納得”

脳内が・・・

クタクタな自分に気づけてなかったーーーー

って思ったから・・・で・・・

 

この記事によると・・・

小学生の5%が睡眠不足による

“自律神経失調症”

って書かれてた。

 

原因は「睡眠不足」らしい・・・

 

小学生の5%、中学生は10%ほどいるらしい。

 

大学の先生がデータをとった結果

就寝時刻と起床時間をかけあわせると、

とても興味深い事実が見えてきた

と書かれていた。

 

自律神経失調症の症状を訴える子どもは、

小学生なら23時以降

中学生は0時以降に寝ている子に圧倒的に多かった。

就寝時刻が遅い子どもにとって問題になるのは、

体の不調が増えるということだけではなく、

心の状態にも影響があるから・・・

 

「イライラすることが多い」

「自分なんていない方がいいと思う」

「自分のことが嫌い」

「やる気が出ない」

「家庭が楽しくない」

 

とネガティブな回答をしている。

この結果は、大人として悲しい結果。

 

この要因は、きちんとした睡眠がとれていないため

育つべき脳が育ってない・・・

 

「体の脳」と呼ぶ部分が

育ってなければ生きていくために

必要なさまざまな機能がうまく機能しないから

体が不調をおこし、人間が人間らしく生きるために

必要な

 

「感情のコントロール、思考、判断」

 

などの高度な機能を司る

 

「心の脳」

 

が育ってなければ、心の不調をきたす。

 

心の脳が育ち始めるのは10歳頃

 

「自分は大丈夫」

「きっとうまくいく」

 

ダメな時は

 

「もっと頑張ろう」

「次は・・・」

 

と思える前向きに人生を歩める人間になるためには、

やはり睡眠をきちんととって

心の脳を育てる必要がある。

 

人間の脳は発達する順番が決まっており、

基本的に5歳くらいまでに育つのが体の脳

そこもしっかりしていないといけないので、

睡眠は幼いころから大切、

体の脳が育ってなければ、

そのあとに続く心の脳も育たないから・・・

 

小学校高学年から中学校にかけては

 

「反抗期」

 

もあり上手くいかない・・・と

思われるかもしれませんが

 

叱るのではなく・・・

 

「なぜ?そうしなければいかないのか」

 

という理由をしっかり話し伝えるようにすること

反抗期でもありますが、理解力も同時に育っている

子どもはきっと・・・

納得してくれるはず・・・

 

それと・・・

 

スマホ、ゲームの取り扱い

「友達が持ってるから」

多くの子どもが持っていると思いますが

これらが・・・

 

子どもから睡眠時刻を奪う大きな元凶の1つ

 

これらは・・・

 

「絶対に親がコントロールするもの」

「夜8時以降は使わない」

「決まった時刻にネットにつながらないようにする」

 

きちんと制限をかけて子どもの環境を整えるようにする。

 

この親の態度、ブレないこと・・・が大切。

 

って書いてあった・・・

 

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そうだよなーーー

大人だってそうなんだから・・・

成長期の子どもなんて

お医者様のデータ上そう出ているのだから・・・

ホントに親として・・・

しっかりやっていかないといけない

 

「言うこと聞かないいんですよーーー」

 

とか

 

「イロイロ言うとキレられるから怖くてーーー」

 

って・・・

 

んーーー???

子どもに反対に支配されてませんか??

 

何が子どもの為なのか??

好き放題させた後にはどんなつけがまわってくるのか?

これから子どもにどうあってほしいのか??

 

しっかり話し合ってくださいねーーー

 

親なんだから・・・子どもの為なんだから

子どもに媚びない・・・ブレない・・・

大切にしていきましょう・・・

 

 

 

 

「発達障害」~見つめる目~

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テレビ番組で独特なキャラクターの

「さかなくん」が出てきたとき・・・

ホントに早口で1つのことに一生懸命で・・・

そして・・・とことん“魚”に詳しくて・・・

可愛らしく・・・どこか

見てるだけでユーモラスで・・・

面白いなーーーって思ったものでした。

 

最近、「さかなくん」の記事を

何かのきっかけで読んでいて・・・

強いこだわりを見せる「さかなくん」の

幼少期からのお母さまの子育て感が・・・

やはり・・・素晴らしいのだと・・・

思いました。

お母さまの「価値観」が今の

「さかなくん」の人柄をつくりあげてきた

といっても過言ではないと思います。

 

自分が児童や生徒、学生だったころ・・・

何となく変わった子は・・・クラスに1人や2人

確かに・・・記憶にあります。

 

ずーーーっと書写ばかりしている子や

パラパラ漫画をひたすら描いている子・・・

独特な世界観でこだわりを持ってる子・・・

何となくわたしは勝手に・・・

 

「寂しくないのかな?」

「仲間に誘わなくて大丈夫なのかな?」

 

なんて思ったりもしてましたが・・・

ひとりが苦ではない・・・そんな様子で・・・

でも・・・その光景は、当時の自分には

“不思議な子”っていう光景でした。

 

今になって思えば・・・きっと・・・

今だったら・・・

「発達障害」ってくくられてしまう子

だったのかもしれません。

 

でも・・・当時はよくわかってなかったし・・・

 

その子はその子で・・・

何とかクラスで一緒に生活してたよなーーーって

思います。

 

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今の「発達障害」の方がいる家庭って・・・

どんな感じなんでしょうか?

 

少なくとも私のところに相談に来る方たちは

 

「もっとここを強化したい」

「苦手を克服させたい」

「みんなが好きなのに・・・

みんなと一緒に行動できない」

「コミュニケーションをもっとつけさせたい」

「もっと、みんなに追いつかせたい」

「学力補充をしっかり・・・」

 

みたいなことを・・・

矢継ぎ早に話される方が多いです。

 

んーーー私は・・・

 

「お子さんの好きなことは何ですか?」

「お子さんの得意なことは何ですか?」

「この先、どんな人になりたいといっていますか?」

「将来は、どんなふうに社会に

出ていきたいと思ってますか?」

「実現できるために今、必要なことは何ですか?」

 

って聞きます。

 

要は・・・

 

「お子さんの良さを見つめていますか?」

 

ってコトです。

 

人って・・・とかく、

人の「あらさがし」

をしてしまうし・・・

どうしてもそこに目が行きがち・・・

 

でも・・・それって・・・

 

どんな気持ちになるでしょうか??

 

お互い気持ちよく・・・

先に進んでいく手立てにする

ことができるでしょうか?

 

「さかなくん」のお母さんは

成績は破滅的で発達障害の息子さんを

ただ、見守り励まし続け、

一緒に楽しみながら歩み・・・

そして・・・今の彼をつくりました。

 

どんなことを言われても

 

「あの子は、それでいい」

 

と誰もが同じようになる必要はない。

他と違う子がいてもいいのだ。

とお母さんは信じていました。

息子さんに“夢中になること”を

大切にしてほしかった。

と書かれていました。

 

他の人に左右されない親としての強い信念。

 

彼は今や大学の名誉博士・客員准教授に着任し、

イラストレーター、タレント・・・

時には音楽をされたりしていましたよね・・・

 

彼はとても変わった少年でした。

けれど、彼のお母さんが

彼をみんなに近づけようと強要していたら・・・

今の彼はいなかったでしょう・・・

 

世界の成功者の中にも

特定の物事にだけ強いこだわりを示す

気質を持った人物が多く

マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツ、

映画監督のスティーブン・スピルバーグもその傾向を

持っているといわれています。

 

こんなに“有名”にならなくても

その子その子に応じた道は・・・

見極めと出会いで

きっとできてきます。

 

それは・・・側にいる人たちの・・・

「見つめる目」が

大きく影響するのだ・・・と

いつも考えさせられています。

インクルーシブ教育を考える~カナダでは~2

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カナダの場合、幼稚園から高校まで義務教育。

個人指導計画書は教育委員会で作成。

教育委員会には言語聴覚士、理学療法士、

作業療法士、ギフテッド専門カウンセラー、

発達障害専門支援カウンセラー、

ユースワーカー(生活面指導)が常駐、

各学校にスクールカウンセラーが複数名常駐。

個人指導計画書は基本的には

教育委員会の専門家チームで作成。

学期中に何度も保護者、先生、

エデュケーションアシスタント、

生徒、ユースワーカーを含め相談しながら

ご本人の自己理解と周りでサポートする

スタッフの理解を深める。

障害の診断名より、どうやったらその生徒が将来、

社会で自立できるようになるか

徹底的にいろいろな方向から対策を練る。

 

大学生の発達障害、ĀDHDといった障害を持ってる方は

ご自身の診断名だけでなく、

どういった個性を持っていて

どういった支援が必要でそういった支援が

あったらどんなことができるかを把握。

自己理解を幼少期から専門家チームのサポートで、

当事者自身も

自分の個性について詳しくなっている。

 

そんなことも書かれていた。

 

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うーーーん・・・なるほど・・・

ココのところも随分違う・・・

 

当事者自身が自分のことを知る・・・

このタイミングって・・・日本の考え方ってどうなんだろう??

私は、早い方がいいなーーーって思うんだけど・・・

保護者の中には

 

『障害のレッテルを貼られる』 

 

『本人が傷つくかもだし、

うまく説明できないから本人には言わない』

 

『いうのは・・・今ではないと思う』

 

そんな声も良く聴く話・・・

私の中では

 

『えーーーー』

 

なんですが・・・

 

自分の子どもは本人が「障害者」って

言ってるつもり・・・で

(療育も手術も何度もしていたし・・・)

中学校の進学のときだったか??

(高校進学前だったか・・・??)

身体障碍者の方が車いすに乗ってるのを見て

 

『障害なんやねーーー』

 

とかなんとか言ったから・・・

 

『あなたと一緒ね』

 

と言ったら・・・

え!!???って顔をしたので

 

『あなたも障がい者だよ・・・』

 

って言って・・・説明をした記憶がある。

本人は気が付いてなくて・・・

日常生活は不自由ではなかったんだねーーー(笑)

 

知的にも言語も体も小さくて・・・

私的には大変なことばかり・・・

だったのでは・・・と

思っていたけど・・・

本人の中では『障害』を感じない

生活だったんですね・・・

 

私は“診断”はついたとしても・・・

その『障害』という言葉に

振り回されることなく

早く診断がついて特性がわかったら・・・

そこを本人と共に受け入れながら・・・

じゃあ・・・どうしていこう??を

早くからできるのって

これからの長い人生を考えるといいなーーー

って思う。

 

それがカナダのように・・・

たくさんの人のチームで

多方面から『本人』の側面を見ることができると

ホントに気持ちも楽になって・・・

いいんだろうなーーって思う。

 

海外では・・・

子育てにしっかりお金かけてるなーーー

 

日本は・・・高齢化対策でいっぱいなんだろうか??

(これも目の前のことで大切だけど・・・)

 

でも“少子化”も問題・・・

これからを担う子ども達・・・が・・・

子ども達が担う、出会う社会が・・・

どうなってほしいかは・・・

 

早くに・・・

取り組むべき問題なのではないかなーーー

って思う。

 

 

 

 

 

インクルーシブ教育を考える~カナダでは~1

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最近、カナダのインクルーシブ教育の記事を

読んでいて

 

「なるほどーーー」

 

「ここに時間さいてないなーーー」

 

「ここの部分・・・全然やってないんじゃあない??」

 

なんて思うことが多々あった。

 

カナダがインクルーシブ教育を

大切にしている理由は

実際の社会を構成するのは健常者、

障害者も全員だから・・・

 

カナダでは、高校までしっかり卒業している人の方が

精神病、生活保護、犯罪につながりにくい

という統計をもとに

 

「みんなが社会をつくっているんだよ」

 

という認識を持っています。

 

だから協力することで効率的に

いろんなことが実現できるということを

授業で教えていきます。

 

国全体を考えた場合、

できる限り全員が社会参加をする方が

生産効率を上げ、個人の幸せレベルも高くなります。

日本では、ひきこもり、不登校の問題が

良く取り上げられますが

多くの若い人が社会参加してないということは、

税金での福祉医療的なサポートも必要、

社会参加できない人が増えれば増えるほど

社会には大きな負担。

 

当事者自身も本当は社会で

活躍したいと思っている方もいらっしゃれば

それが実現できず、鬱、不安障害などの

精神的なダメージがおこる可能性もある。

 

カナダの先生たちが一番大切にしていることは、

 

生徒、保護者に対して

なぜ?インクルーシブ教育が必要なのか??

 

をしっかり説明すること・・・

 

インクルーシブ教育が成功するには、

教師、学生、保護者、地域、国家

が重要性がわかっている必要があります。

 

先生がその必要性や大切さがわかっていないと、

子どもには伝わりません。

生徒1人1人、得意なこと、苦手なことがあっていい、

お互いの違いを尊重しながら

協力する大切さを伝えるスキルが必要。

 

カナダでは2カ月に1回先生方は研修日があり、

自分が学びたいセミナーが受講でき

同じ悩みを持つ先生と交流したり、

専門家から指導を受けたり

先生自身のスキルアップを図り自信もつけている。

 

ここ数年でカナダは次のステップとして

 

「健常者と障害者という分け方をなくし、

個人をのばす教育をしていきましょう」

 

という取り組みが始まり、多く説明会が行われている。

 

まだまだ・・・

この先も続いて書かれているのだけど・・・

ココまで読んでも・・・

 

んーーー課題満載だ・・・

 

日本は、まだまだだ・・・

じゃあどこから??って思う。

 

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先日の教育委員会との話し合いの中で・・・

保護者の言い分や

学校の要望を話しているのを聴きながら

私が

ずーーーーっと抱えていた違和感は・・・

ここにあったんだ・・・

 

確かに・・・そのトキ感じたことを

 

言葉で

 

「要は・・・

学校にインクルーシブ教育を推進と言われながら

1人1人にそれが浸透してない、

できてないってことですよね」

 

って言ったけど・・・

 

根本は国の考え方であり、

そして教育現場におりてきたときの

対応にかかっている・・・

 

まずは国の考え方が基本だが・・・

 

教育者の考え方捉え方がバラバラでは・・・

 

教育がまず成り立っていっていない

ということだし・・・

それは・・・教える側の問題だと思う。

 

まずは・・・

 

ココをホントに変える気があるのか??

 

が問われている・・・

 

これからの日本の教育を変えていく・・・

 

インクルーシブ教育を本

当にやっていく気があるのか?

言葉だけなのか?いうだけ??

 

そんなことが・・・問われているんだなーーー

まずは根本、根っこ、深く隅々まで

そこを固めていかないと・・・

ホントには動き出さないよなーーー

って思う。

 

 

 

 

「障害」児が普通高校に行くときの覚悟

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「障害」児が義務教育を卒業して進学を

普通高校に決めた場合・・・

どんな覚悟を決めて進路を決めていますか??

よく・・・相談されるのですが・・・

 

1、まずは学校見学に行きましょう

  見学にも行かなくて決めるのは無謀です。

  親子だけでなく担任の先生や第3者に

  意見をもらいながら決めていくのがベストです。

  自分達だけでは観点がずれてることにも

  気づけないかも・・・

  ぜひ、本人含め何人かで行きましょう。

 

2、「障害」児の先輩で高校に行かせた方の

  経験を聴きましょう。

  実際に高校に行っている方、卒業させた方・・・

  様々な先輩がいるはずです。利点やリスク

  貴重な意見を聞きましょう

 

3、行きたい学校の学校行事を見てみよう

  どんな学校行事があるのか?

  どんな雰囲気か?素の状態がわかるかも・・・

 

4.自校の中学校の先生方にしっかり相談

  様々な情報の収集やその学校の状況把握。

  管理職同士で話のやり取りなどしてくれたりするかも

  受験の詳しい内容やその他‥・

  有力な情報がゲットできるかも・・・

 

5.受験に失敗した場合他のリスクマネジメント

  どんなリスクがあるか、受験を決める前にチェック。

  単位取得が厳しい、学年進学、「障害」理解

  補習、就職、進学など・・・

  子どものネックになりそうなことをあらかじめ

  対策を練っておく。

 

簡単には・・・こんなことを私自身はやってきました。

 

そして・・・相談にのるときも

 

「友達がひとりもできない孤独な高校生活だったら?」

「毎日、学校に行くのがきつい、難しいと言われたら」

「学校が合わない、やめたい、って言ったら・・・」

 

なんて聴いたりします。

高校や中学校での子ども達がよく言うこと・・・

ご相談が多いからです。

 

うちの子は、この課題は何とかクリアしてきました。

 

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「友達がひとりもできないことを想定して・・・

本人の好きなことを把握してください。

余暇活動を充実させましょう。

イヌが好きなら犬を飼ってください、

それを彼の余暇活動と

癒しの時間にしましょう。」

 

この子は友達が少なかったですが・・・

高校で友達はできました。

が・・・動物を飼うことで心の安定が図れました。

これは、うちの娘も一緒です。

小さなころから【友達】として

無条件で向き合ってくれる動物を常に

飼っていました。今でも彼女に「癒し」の存在です。

 

「どんなことがきついといってますか?

それはなぜですか?

いつもどんな声掛けをしていますか?

言わない(口出ししない)ってことを意識してますか?」

 

なんて聴くと・・・

試験前なんだから勉強しなさいを連呼してた、

みんな頑張ってると頑張ってる論を熱弁。

自分の高校時代の楽しかったこと、

頑張ったことの話ばかり、

また高校の先生方と、

どれだけコミュニケーションをとっていますか?

どの程度話し込んでますか?

なんて・・・

聴いてみると問題点も結構見えてきますね・・・

うちは。ホントに先生方と密でしたし・・・

(高校側も卒業した中学校側も)裏で情報ももらいながら

話し合いも何回も重ねてきましたよーーー

 

これは・・・

 

「学校合わない、やめたい」

 

と言われた時にも同じです。

 

「障害」児が義務教育終了後を迎えるにあたって・・・

それぞれのリスクマネジメント・・・

覚悟・・・

ちゃーーーんと腹くくってやってく・・・

現在の日本では・・・まだまだ・・・

「本人」も「親」もそれなりの「覚悟」って

必要ですよね・・・

 

そんな心配が

なーーーーんにもなくなる日が・・・

早く来てほしいものですがね・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児から「障害」者になる過程で大切なこと

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ココのところ

「当事者研究」をされている熊谷晉一郎さんの

話を書いていて

自分の子どもが「障害」児~「障害」者

になる過程を思い起こしていた。

 

自分が「障害」児の親になって・・・

迷って悩んで・・・

そして「差別」「不安」「恐怖」

みたいなことと闘ってきて・・・

 

“闘い”って他者とってコトではなく・・・

今思い起こすと・・・すべては・・・

自分との“闘い”だったと感じる・・・

でも・・・そう思えるようになれるまで・・・

随分と時間がかかった・・・

(その癖はなかなか外せなくて・・・

今でもひょっこり顔を出したりしますけど・・・)

 

小さなころは・・・

ホントに・・・

「周りが・・」「世間が・・」「あの人が」「この子が」

そんな他者にばかり目が行っていたなーーー

どう見られているか?

 

つまりは・・・

 

「世間体」「人から何と思われるか?」

 

ってことが気になって仕方なかったんだなーーー

って思う。

 

要は、子どもを心配しているように見えて

根底では、子どもが中心ではなく・・・

 

『自分が何と思われるか?』

 

を本音のところでは気にしていたんだねーーー

 

でも・・・そこを超えてからは・・・

とにかく“選択活動を増やす”ことから始めました。

小さなころはさまざまやらせてみる。

とにかくトライ&」エラーを繰り返して・・・

最初は“食べ物”“行き先”“余暇活動”

の選択くらいからはじめて。。。

 

それから・・・

 

「どこに出かける?」

「誰としたい?」「いつ(時間や日にち)にする?」

「どれくらい(時間、期間)する?」

 

なんて・・・どんどん『本人』に決定させる。

 

そしたら・・・『本人』がどんどん選べるようになるし

『本人』視点の暮らし、生き方が

つくりあげられるようになっていく・・・

 

これって小さなころからやると・・・

大きくなって困りませんよーーーー

それにねーーー

生活の幅が大きく広がります。

 

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高等部の支援学校の先生から

 

『スーパーに買い物に行って、まずかごの持ち方から

買いたいものはかごに入れる。

から全て1から教えないと・・・できないんですよ。』

 

って聞いたことがあるし・・・

 

経験不足は・・・良く聴く話だけど・・・

 

高等部に行くまでの過程の中で・・・???

どんな社会生活を体験してきたのか??

『本人』にどうなってほしいと願い生活してきたのか?(ちゃーーんと教えればできる子ですよ)

 

これって

『本人』の選択不足を招かせています。

 

大人になって・・・

 

『ワンパターンの生活・・・

なかなかパターン以外の生活

が難しいんです。』

 

なんて・・・聴きますが・・・

『本人』が好きでしてることもあるので

大人になったら・・・

今更・・・

あれこれ親や周りが口を出して言うのは

『本人』が混乱するし

 

『大人なんだから好きにさせたら・・・』

 

って思う世界なのですが・・・

 

んーーーーー、

大人になるまでに

『選択不足』の生活ではありませんでしたか??

って感じてしまうのですよ・・・

 

でもたまには・・・大人になっても

 

『これはどう??』

『こっちがお母さんんはいいなーーー』

 

なんて・・・

チャレンジするのもいいのではないでしょうか??

 

それぞれのお子さんの状況に合わせて・・・

さまざまやっていってみてくださいね・・・

 

「たいへーーーん」

 

なんて思うでしょうが・・・

それも・・・いっときの間ですから・・・

そこを・・・楽しんでやっていきましょうよ・・・

 

 

 

 

 

失敗を許容する文化・・・

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昨日の・・・続きだけど・・・
東京大学准教授の熊谷晉一郎さんは
1人っ暮らしになってからの
まず1つ目の課題は・・・排泄・・・
『トイレ』の問題だったという。

「障害」児・・・特に全介助の方の課題は・・・
特にこの問題は外せないのではないか・・・
また・・・
そこを介してのトラブルも成長期ごとに様々ある・・・

おむつを替えること・・・
それは誰の役目???
おおよそ・・・お母さん・・・??

だけど・・・
おもらしをしてしまうことは恥ずかしいこと??
隠すべきこと?周囲には語るべきでないこと
そのような前提のもと母の庇護を受けている。
いいかえれば監視を受けている。
そんな風に彼は書いていた。

「私は、おもらしをする存在、これが等身大の私なんだ」

と世界の中心で叫びたかった。

なぜあれこれ隠して生きていかなければならないのか?
そこで・・・渋谷の真ん中で実験。

「おもらしをしてしまったので助けてほしい」

約5割が助けてくれた。

少し大げさな表現をするなら、おもらしをするという“絶望”
が誰かと分かち合うことで“希望”に変わった。

大人になっても未だにおもらしをしてしまうという
有限で不便な自分の体、親と共依存しながら、おもらしを隠して
生きていくしかないと思っていたが
それが拓半数の人が助けてくれた。

社会は健常者並みにならないと生き延びれない怖い場所だと信じ
込まされていたけど、ありのままの自分でも意外と受け入れてくれる。

トキに誰かの助けをかりながら、脳性麻痺のある自分のカラダにあった
オリジナルの動きを編み出し、生活をカタチづくっていった。

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けれど・・・1人暮らしと職業生活は違う。

「私の失敗の対価を誰が支払うのか」

ということ・・・1人暮らしのときの様に
トライ&エラーはできない(特に医者だし・・・)

おかしな道具を持ち込んで採血を失敗する、赤ちゃんは泣く、お母さんは
カンカンになる。
緊張で手が震える、帰りにまた道具をバージョンアップする。しかし
翌日また失敗する。そんな悪循環・・・

でもそれを変えたのが
「失敗を許容する文化」
これこそが、人の可能性を広げてくれる。
と彼は書いていた。

薬物だけ、医療者だけ、親だけ、施設だけ・・・
何か1つだけに依存するのではなく
依存先を適度に分散させていくことが必要となる。
だから「全力」でかつ「複数」で向き合うのだ。

これってよくわかる・・・
でも・・・ここにも落とし穴があると
私は考えていた・・・
そこを彼は、きちんと理路整然と書かれていた。


「薬をやめたいけど飲みたい」
「子どもを叱りたくないがわがままを言われると辛い」
生きていると現実と」理想のギャップで苦しめられることがある。

ではどうするか??
理想と現実のギャップの現実をそのままに
仲間と言葉で埋めていく
いいかえれば「愚痴を言う」
ギャップを無理やり埋めようとして思い通りに
ならない自分や相手を理想に近づけようとしない。

現実は思い通りにいかないけど
仲間と言葉でシェアして
「そんなこともあるよね」
とやり過ごしていく。
そうした時間を重ねることで次第に回復の糸口が
見えてくる。
これは妥協ではなく研ぎ澄まされた正解・・・

なるほどーーー
私はこうやって来たから・・・
今があるなーーーとしみじみ・・・
仲間と言葉・・・そこでシェアしてきた。
いつも
「そんなこともあるよねーーーー」
「上手くいくことばかりじゃあないよーーーー」
なんて・・・
何度も、何回も、いつも・・・
確認し合って、話をして・・・
そしてやり過ごしてきた・・・

こんなこと・・・今どれだけできてるかな??
欲しいと思いながら・・・できていないんじゃあないかな・・・

ここ・・・とても大切!!って
みなさんも思いませんかーーーー


無限で抽象的な不安はどこからやってくるの???

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絶望だって分かち合えば希望に変わる。

障害者当事者で

東京大学准教授の熊谷晉一郎さんは語る。

 

ウンウン・・・

今までも何度も書かれている記事を

読みながら<共感>する

ことが多くある。

 

障害や病気の当事者が、グループで経験を

分かち合いながら自身の困りごとを研究対象として

解きほぐしていく

「当事者研究」という営みにかかわる研究者でもある。

ご自身も脳性麻痺当事者である。

 

彼の語る中に、リハビリに明け暮れて幼少期、

 

「どうしてこのままの体ではいけないのか?」

 

物心つく前から毎日リハビリ6時間。

毎日リハビリに明け暮れた。

 

1977年生まれ。当時は

 

「健常者に近づくこと」

 

 

脳性麻痺の子ども達は健常者に近い体を獲得

することを目標に

とにかくリハビリがスタンダードな

時代。

 

70年代はリハビリをすると脳性麻痺は治る

と主張する論文が大量に出版。

 

80年代に入ると、それは誤りであったと社会的理念を

否定する論文が多く出版されるようになる。

 

いわゆる障害の「医療モデル」から「社会モデル」

への転換。

 

脳性麻痺で車いすに乗っている人が、近くに

エレベーターがないがゆえに自由に移動できない。

 

このときに「私の足が不自由だから」と考えるのが

「医療モデル」

 

「エレベーターを設置していない社会の側が障害を

もたらしている」

と考えるのが「社会モデル」

 

学術研究者や障害当事者による社会運動によって

「社会モデル」の考え方が主流になっていく過程を

少年期肌で感じ、自分と同じような脳性麻痺や様々な

障害のある“先輩”達が街に進出し、

声を発していく様子を見ていて

 

「自分も社会に飛び出していきたい」

 

と思ったという。

 

それまでは、

 

「健常者並みになったら社会に出られるようになる」

 

と信じ込まされ、健常者並みになれない障害者は

地域社会に出れないという時代。

 

「いやそうじゃない、自分たちはむき出しの体のまま

で社会にでていい、変わるのは社会の方なんだ」

 

先輩たちが道を切り開いてくれた。

 

「先輩たちと同じように自分もむき出しの体のまま

社会に出てみたい、そうするしか生きられない」

 

10代後半にはそんな気持ちになっていた。

 

大学での状況を機に親の大反対を押し切って

「1人暮らし」を始める。

1人暮らしを始めて何にも替えがたかったのが

初めて経験した「自由」の感覚。

 

監視している親の目がない。

 

親にとってはそれが愛情だったと思う。

幼いころから健常者と同じようになることを目標に

ちゃんと健常者っぽく動いているかなと

一挙手一投足を観察され続けていた。

 

それが無くなった。

他者からの指摘は入らない。

周囲から強いられていた「健常者像」

に引っ張られることなく

無理のないオリジナルな

かかわり方が誕生していった。

 

大変なことも多かったが、

1人暮らしを始めて起こった

パラダイムシフト(価値観の変容)もあった。

 

親と暮らしているときは

将来に対して不安しかなかった。

親が死んだら自分も野垂れ死ぬのだろう

という極めて

抽象的な無限の不安に囚われていた。

 

でもいざ、1人暮らしという環境に飛び込んでみると

 

「無限で抽象的な不安」

 

 

「有限で具体的な課題」

 

変わった。

 

解決すべき課題は

無限なんかじゃなく片手で収まるくらいだった。

課題は有言で1つ1つやっつけていけば

乗り越えていくことができる。

 

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彼の話は・・・まだ続きますが・・・

 

「とりあえず飛び込んでみる」

 

彼のこの言葉が・・・

私も実際やってきた全てだったと感じます。

 

彼は自分で考え実行することができた。

ただし、うちの子は「知的」に難しかったので

一緒に・・・みんなで考えてきた。

彼より一回り年下ですが・・・

 

私も先輩方の活動に

出会ったのは90年代でした。

(地方で差がある??(笑))

彼の言う「無限で抽象的な不安」

それにさいなまれていたとき

一歩も進むことができず、立ちすくんでいました。

なんとも言いようのない恐怖や不安と闘っていた。

 

けれど・・・何かのきっかけで動き出したとき

それは本当に「有限で具体的な課題」になっていった。

少なくはない課題も1つ1つ・・・

時間の差はあれど

それなりにクリアしてきて・・・

 

ただ必要だったのは・・・

「えいやーーーー」っていう

飛び込んでいく、やってみる・・・

それだけだった・・・

トライ&エラーの繰り返し・・・

難しくない。

難しくなったらみんなの力を借りる。

そう・・・答えはいつもシンプルだった。

 

今は少なくなったけど・・・それでも・・・

たまーーにやってくる・・・課題には同じ・・・

 

小さなころからやってきて・・・本当によかった

と感じています。

 

飛び込む勇気は一瞬。

そこからの世界の広がり方は大きい・・・

 

今。。。迷ってる方・・・

「無限で抽象的な不安」から脱出してみませんか??

 

ことは・・・「有限」で「具体的な

 

課題」

クリアだけです・・・よ