人気ブログランキング https://blog.with2.net/link/?1993112https://blog.with2.net/link/?1993112

福祉・介護ランキング
障がい者ランキング
障がい児育児ランキング
子育て支援ランキング 友だち追加

perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

無限で抽象的な不安はどこからやってくるの???

f:id:variouspeople:20191215053543j:plain

絶望だって分かち合えば希望に変わる。

障害者当事者で

東京大学准教授の熊谷晉一郎さんは語る。

 

ウンウン・・・

今までも何度も書かれている記事を

読みながら<共感>する

ことが多くある。

 

障害や病気の当事者が、グループで経験を

分かち合いながら自身の困りごとを研究対象として

解きほぐしていく

「当事者研究」という営みにかかわる研究者でもある。

ご自身も脳性麻痺当事者である。

 

彼の語る中に、リハビリに明け暮れて幼少期、

 

「どうしてこのままの体ではいけないのか?」

 

物心つく前から毎日リハビリ6時間。

毎日リハビリに明け暮れた。

 

1977年生まれ。当時は

 

「健常者に近づくこと」

 

 

脳性麻痺の子ども達は健常者に近い体を獲得

することを目標に

とにかくリハビリがスタンダードな

時代。

 

70年代はリハビリをすると脳性麻痺は治る

と主張する論文が大量に出版。

 

80年代に入ると、それは誤りであったと社会的理念を

否定する論文が多く出版されるようになる。

 

いわゆる障害の「医療モデル」から「社会モデル」

への転換。

 

脳性麻痺で車いすに乗っている人が、近くに

エレベーターがないがゆえに自由に移動できない。

 

このときに「私の足が不自由だから」と考えるのが

「医療モデル」

 

「エレベーターを設置していない社会の側が障害を

もたらしている」

と考えるのが「社会モデル」

 

学術研究者や障害当事者による社会運動によって

「社会モデル」の考え方が主流になっていく過程を

少年期肌で感じ、自分と同じような脳性麻痺や様々な

障害のある“先輩”達が街に進出し、

声を発していく様子を見ていて

 

「自分も社会に飛び出していきたい」

 

と思ったという。

 

それまでは、

 

「健常者並みになったら社会に出られるようになる」

 

と信じ込まされ、健常者並みになれない障害者は

地域社会に出れないという時代。

 

「いやそうじゃない、自分たちはむき出しの体のまま

で社会にでていい、変わるのは社会の方なんだ」

 

先輩たちが道を切り開いてくれた。

 

「先輩たちと同じように自分もむき出しの体のまま

社会に出てみたい、そうするしか生きられない」

 

10代後半にはそんな気持ちになっていた。

 

大学での状況を機に親の大反対を押し切って

「1人暮らし」を始める。

1人暮らしを始めて何にも替えがたかったのが

初めて経験した「自由」の感覚。

 

監視している親の目がない。

 

親にとってはそれが愛情だったと思う。

幼いころから健常者と同じようになることを目標に

ちゃんと健常者っぽく動いているかなと

一挙手一投足を観察され続けていた。

 

それが無くなった。

他者からの指摘は入らない。

周囲から強いられていた「健常者像」

に引っ張られることなく

無理のないオリジナルな

かかわり方が誕生していった。

 

大変なことも多かったが、

1人暮らしを始めて起こった

パラダイムシフト(価値観の変容)もあった。

 

親と暮らしているときは

将来に対して不安しかなかった。

親が死んだら自分も野垂れ死ぬのだろう

という極めて

抽象的な無限の不安に囚われていた。

 

でもいざ、1人暮らしという環境に飛び込んでみると

 

「無限で抽象的な不安」

 

 

「有限で具体的な課題」

 

変わった。

 

解決すべき課題は

無限なんかじゃなく片手で収まるくらいだった。

課題は有言で1つ1つやっつけていけば

乗り越えていくことができる。

 

f:id:variouspeople:20191215053701j:plain


彼の話は・・・まだ続きますが・・・

 

「とりあえず飛び込んでみる」

 

彼のこの言葉が・・・

私も実際やってきた全てだったと感じます。

 

彼は自分で考え実行することができた。

ただし、うちの子は「知的」に難しかったので

一緒に・・・みんなで考えてきた。

彼より一回り年下ですが・・・

 

私も先輩方の活動に

出会ったのは90年代でした。

(地方で差がある??(笑))

彼の言う「無限で抽象的な不安」

それにさいなまれていたとき

一歩も進むことができず、立ちすくんでいました。

なんとも言いようのない恐怖や不安と闘っていた。

 

けれど・・・何かのきっかけで動き出したとき

それは本当に「有限で具体的な課題」になっていった。

少なくはない課題も1つ1つ・・・

時間の差はあれど

それなりにクリアしてきて・・・

 

ただ必要だったのは・・・

「えいやーーーー」っていう

飛び込んでいく、やってみる・・・

それだけだった・・・

トライ&エラーの繰り返し・・・

難しくない。

難しくなったらみんなの力を借りる。

そう・・・答えはいつもシンプルだった。

 

今は少なくなったけど・・・それでも・・・

たまーーにやってくる・・・課題には同じ・・・

 

小さなころからやってきて・・・本当によかった

と感じています。

 

飛び込む勇気は一瞬。

そこからの世界の広がり方は大きい・・・

 

今。。。迷ってる方・・・

「無限で抽象的な不安」から脱出してみませんか??

 

ことは・・・「有限」で「具体的な

 

課題」

クリアだけです・・・よ