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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~9

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高校生活・・・

まあ中学校同様の3年間なんて・・・

あっという間です。

 

ただ・・・この子達の言った高校は【不登校】の

お子さんが多かったので・・・

入学した時と同じ子が

一緒に卒業するわけではありません。

 

3年半、5年等々の年数を経て卒業を迎える・・・

そんな子達が多く・・・

 

卒業式も涙( ;∀;)涙・・・なんです。

 

ホントに久しぶりに・・・

心から感動する式典になりますね ・・・

うちの子は・・・

証書を恥ずかしがってもらいに行けず

ずーーーと待っていただきましたが・・・

やはり行けず・・・

(極端に恥ずかしがることがあり・・・)

校長先生が自ら壇を降りて・・・

彼女のもとに行って・・・

 

「おめでとう」

 

と証書を渡していただきました。

(感謝!!感謝!!(*´▽`*))

 

本来・・・うちの子達は・・・入学時・・・

 

「卒業時の先の保障は

      ない・・・」

と言われ入学しましたが・・・

 

先生方は・・・終盤、熱心に・・・

動いてくれました。

ハローワークに障害者雇用の登録

さまざまに探してくれて・・・

体験に行ったり・・・

紹介してくれたり・・・

 

入学した時から・・・

そんなことは期待してなくて

自分達で何とかしようと思っていたので・・・

意外な展開で・・・ホントに嬉しかった・・・

やはり・・・選んで・・・

間違いなかった・・・

いい出会いばかりでした・・・

 

そうそう・・・

卒業時の謝恩会に参加した時・・・

ある先生から・・・今だから言えますが・・・

と教えていただいた話があった。

 

「実は・・・

入学試験後・・・

判定会議に2人

かかりまして・・・

そのトキに・・

この子達を

入学させるかさせないかの

議論の中で・・・

ホントに僅差で

入学が決まったんです。」

 

「この子達に・・・

私たちが学ばせて

    もらおうと・・・」

 

わあーーー想像はしていたけど・・・

ハッキリ聴くと・・・ドキドキが止まらない・・・

 

ホントに先生方にとっても学校にとっても

大きなチャレンジで・・・

反対された方々は・・・どんな気持ちで

この3年間の子ども達の様子を

見てこられたのだろう?

なんか感謝の気持ちで・・・いっぱいだった・・・

そして・・・いい環境に感謝!!

 

この子達は・・・ホントにいつも・・・

人に恵まれ、いい出会いを引き寄せて・・・

しあわせだなーーーって思う。

 

地域では電車から帰宅する娘の姿を・・・

たくさんの方から報告をいただいたり・・・

(決めた道を帰ってないのも・・・すぐにわかる)

電車の中も通勤で

 

「あったよーーー」

「みたよーーー」

 

って聞いたり・・・

みなさん気をつけて・・

みてくださっていて・・・

ホントに助かりました・・・

 

本人も帰るときに・・・嫌がらせをされたり・・・

(自転車でつけまわされ・・・グルグル周りをまわる)

泣いて電話をしてきて・・・

こちらで対応策を伝授したり・・・

(大きな声を出しながらコンビニや病院に逃げる、)

本人は・・・私だけでなく・・・

他の人にも連絡していて・・・

警察に届けてくれたり・・・

その場に行ってくれたり・・・

今後の警らを頼んでくれたり・・・

ホントに親以上に動いてくれて・・・

 

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ホントに親がいなくても・・・

親は親・・・子どもは子ども・・・が

地域の中で実践できていっている・・・

18歳までに・・・こんなことも実現できて・・・

これからの長い成人期に向けて・・・

凄くいい発信ができているなーーーと感じている。

 

これから・・・お友達とも違う支援所に通う。

2人ともまた・・・ばらばらの電車通勤・・・

これからは1人1人・・・

それぞれが【自立】していく・・・

 

18歳の新しい挑戦が・・・

また始まっていく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~8

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「障害」児が普通高校に行くって・・・

 

「どうする??」

 

って問いの繰り返しの毎日だった。

 

いいことではなく・・・課題が見えることの方が多い。

 

まあーーーそれは前例が少ないんだから・・・

(あまり・・・知らないだけだね・・・きっと・・・)

 

登下校だけでも・・・昨日のブログの様に

課題は・・・たーーーーくさんある。

 

それでも・・・この年齢から意識させること・・・

 

「どうする???」

 

今の自分の力で・・・どうするか?考えること・・・

本人からの考えの出発(本人が納得して選ぶ)になること・・・

 

失敗した・・・では??どうしますか???

なんで??そうなりましたか??

 

その結果から・・・

今後・・・どうしていきましょうか???

 

この経験が多ければ多いほど・・・

ホントに“地域の中で”“社会の中で”

生きていくすべが・・・

どんどん身についていったと感じている。

 

だから・・・学校でも

まあーーーそれなりに・・・

 

「あーーー面白い高校生」

 

って思う生活をやってた。

 

行くのは大好きだから・・・

毎日きちんと学校には行っていた。

 

でも・・・嫌いな教科は

どっかで草取りしてさぼったり・・・

空き教室で寝てたり・・・そんなこともやってた・・・

(私は・・・そんなことできなかったなあーーー)

だから。。。単位が足りなくて・・・

夏休み・・・余分に学校行ったり・・・

余分に・・・お金がいったり・・・

そんなこともあった・・・

(自分が蒔いた種は自分で何とかしてましたよ・・・

なんとか・・・)

 

まーー制服のスカートも短いのが流行したら・・・

周りをみてるんだねーーー

ウエストの辺りをくるくる丸めて短くしてたり・・・

してたねーーー(笑)

(害がない長さは・・・特に何も言わなかったなーーー)

あんまり・・・

校則をうるさく言う学校ではなかったので

ほっときました・・・

 

学校との話し合いも・・・よくありましたねーーー

修学旅行でついてくるようにいわれたとき・・・

 

『どうやったら親が

  ついていかなくていいのか?』

 

対策を一緒に考え・・・

最終的には・・・ついていかず・・・

 

『何かあったら・・・

      飛んでいきます』

で決着。

(修学旅行は北海道とディズニーランドでしたけどね・・・)

修学旅行中・・・咳き込み具合が悪くなって・・・

(口唇口蓋裂で気管支が弱く・・・いったん咳が出だすと止まらず

重症に見える。聴診器あてると何でもないのですが・・・)

救急車で運ばれて・・・それも北海道で・・・

病院まで・・・遠かったらしく・・・ついって行った先生と

本人が宿に戻るまでのタクシー代と病院代で・・・

4万弱かかりましたねーーー

 

でも・・・心配してくださったことや親が行かない普通の修学旅行に

参加できたことが・・・何より・・・

彼女にとって・・・大きな経験だなーーーって

思う出来事でした。

(先生方は・・・ホント大変お疲れさまでした・・・😢)

 

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あるお母さんが・・・

 

「ずーーーと

    学生でいてほしい・・・」

 

そう言っていた。(「障害」全介助のお母さんだったかな・・・)

 

でも・・・残念ながら・・・

学生生活は・・・一生は続きません・・・

 

さーーーいよいよ高校生活も終わり・・・

 

入学時・・・

 

「卒業後の進路は

  保証できません・・・

    ご家庭で考えてください」

 

そういわれて・・・

覚悟して・・・入った高校・・・

 

さーーー早めに早めに・・・動かなきゃね・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~7

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「障害」児が、

大人の階段を上がっていく時期は・・・

それぞれ違うかもしれないけど・・・

 

年齢相応の訓練は・・・親も子も必要だと思う。

 

年齢より子ども扱いしたり・・・

わからないだろうから・・・とやらせなかったり・・・

まだ・・・早いと親が勝手に判断したり・・・

 

「本人に決めさせる」

「本人がどうしたいか考えさせる」

 

ということを省きがちになったりします。

 

そう・・・中学校を卒業し・・・義務教育を修了して

さあーーーこれから・・・高校生・・・

これからは・・・

「自己責任」が課題かなーーーなんて・・・

ぼんやり思ってた・・・

 

高校は遠い・・・

特担は何度も通学路の練習をさせて・・・

ガイドブックもつくって準備万端にしていた・・・

入学式は一緒に行ったが・・・

さあ、その後2人は自分たちの力で学校に通うのだ。

 

大丈夫かなーーーんーーー失敗はするだろう・・・

それは・・・今日か?いつか?

そう思いながらもドキドキする気持ちを抑え

送り出し・・・電車に乗ったのを見届け

私は仕事に行きました・・・

 

・・・と職場につき間もなく電話が鳴る・・・

 

「間違えた・・・」

「ん??そこどこ?博多・・・」

 

(一番乗降客が多い駅で流されて降りたらしい・・・)

「わかった・・・そしたら・・・

学校には連絡しとくから

駅員さん・・・

制服着て駅にいる人が

いるでしょう??

その人に定期券を見せて

ここに行きたいので、

ホームはどこですか?

って聞いて・・・わかった??

駅員さんに聴くのよ・・・

誰でもに聴いたらダメだよ・・・」

 

そう言って・・・

学校に遅刻の電話を入れて・・・としていると

一緒に行っているお友達のお父さんが・・・ 

 

「時間休取って・・・

        今から見てきます」

 

と学校に向かってくれたようだ・・・

私も心配はしたが・・・まあ・・・これも経験・・・きっと

大丈夫!!と腹をくくっていた。

 

その後・・・

 

「2人は学校について

  学校の坂道を上がってました」

 

って報告をもらった。

まあーーー初日から・・・てんやわんやだ・・・(笑)

 

初めて携帯を持たせ・・・利用も上手に・・・

連絡できた。

 

電車では車掌さんか運転士さんの近くの位置にいなさい・・・

(何かあったときに目につくところにいること)

これも守れた。

 

でもーーー通学練習の成果がイマイチだったかーーー

まあついたから・・・よし!!よし!!

 

これは・・・卒業するまで何度も続きました・・・

 

友達と喧嘩してひとりでいって・・・寝過ごして

とーーーくまで行ったり・・・

 

帰りも2人して寝過ごして自宅から南のずーーーーと先まで

行ったり・・・

北に南に・・・右往左往していた・・・

 

よって・・・

 

乗降するところの駅員さんとは大の仲良しになり・・・

お世話になって・・・可愛がってもらった・・・

 

「元気なお嬢さんで・・・」

「いつも元気に挨拶してもらえて・・・」

 

って私にも声をかけてくださって・・・

 

卒業時は・・・

学校近くの駅の駅員さんが高校の先生に

 

「あの子達にもう会えなくなる

    と思うと寂しいねーーー」

 

って言っていたと聞いたりもした。

 

地元の駅員さんにも

バレンタインにチョコもっていったり・・・

手作りお菓子もっていったり・・・

すっかり知ってもらって・・・

娘も

「おじちゃん。おじちゃん」

 

と声をかけていたなーーー

(卒業してもいらっしゃらなくなるまで会いに行ってた)

 

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通学に関しての課題は・・・

たくさんの人を頼り・・・

支えられたりしながら・・・通学させてもらったなーーー

 

私の助けが無理だと判断した時には・・・

学校に

「怖い怖い・・・」

 

って電話して

先生方が励まして・・・学校近くの駅まで迎えに行った。

と聴いたこともあった。

 

この時の職員会議では・・・

 

校長先生が・・・

 

「怖い怖いと自分の気持ちを表現して・・・

助けを求められる子はまだいい!!

けれど・・・

この言葉を発することができない

子どももいるってことを

いつも自分達は、

      考えなければいけない」

 

 

と言われたそうだった・・・

 

あーーーやはりこの学校を選んで良かった!!

 

そう思えた出来事だった・・・

 

 

 

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~6

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中学校卒業をまじかに迎えてくると・・・

そろそろさまざまに【自我】も出てきて・・・

そこを・・・“何とかする”というところから

そろそろ・・・“ひとりの人として認める”という学びが

親にとっても必要になってきます。

 

“嫌”を何とかする・・・

みんなと一緒にできないを何とかする・・・

 

そこを“指導すること”はホントにその子に対しての

ベストでしょうか?

 

「療育で何とかする」

「指導だけで何とかする」

 

知識や技術を駆使するのは・・・

そろそろ終わり・・・に近づき・・・

 

「一人の人として・・・」

「本来の子どもの在り方と は・・・」

 

ってコトに移行していく時期なのかもしれません。

(子どもによってさまざまですが・・・

いつかは考えていくべきことです。)

 

うちの子達も進路の選択をしてから・・・

慌ただしい日々・・・

作戦を立てる日々・・・

選択したその私学の学校は、

その当時、定数を割っていたけど・・・

でも・・・絶対合格するという保証はなく・・・

(「障害」児受け入れたことなし・・・)

不登校対応やヤンチャそうな子達もいて・・・

学校自体は面白い環境だった。

また・・・不登校対応をしているので様々な公民館

等で補修授業を毎週実施していて・・

入学前ではあるけれど・・・

そこに何か月か通ったりもした。

 

それは・・・なぜか???どうしてか?

それは・・・

 

「この子達を

 知ってもらうため・・・」

 

きっと・・・この子達は

入試で合格判定会議にかかるに違いない・・・

そのトキ・・・

知ってくれている先生が多ければ多いほど

この子達のことを説明できる方が増える・・・

・・・て具合い・・・

(高校の先生から実態を聴き、中学校高校の先生で

最善の対策を考えていった)

その他・・・校長先生に特担、進路指導が学校に出向き

何度もお願いしてくれた。

私たちも・・・むろん・・・何度もお願いに行った。

 

そして・・・

いよいよ入学試験の日は突風木枯らし・・・

ホントに寒い日だった・・・

小高い丘の上にある学校には駅からタクシーでいった。

駅前の自転車はぜーーーんぶなぎ倒されていた・・・

そんな日だった。

 

特担も来ていた・・・私達親は別室待機・・・

先生方は先生方で待機・・・

専願入試なので・・・

そんなに長い時間はない・・・

長くても14時くらいには終わるだろう・・・

私たちは・・・そのトキをただひたすら

祈るような気持ちで・・・まった。

窓ガラスがガタガタとなって外は木枯らしが

ピューピュー吹き・・・

何だか・・・いやな予感しかしなかったのを

よく覚えている・・・

 

終わって特担が来て一言

「まゆちゃんが面接会場に

入って・・・

 まず最初に・・・

    奇声を上げました」

 

(うーーーん想像がつく・・・きゃーーーとか

恥ずかしいーーーとかだろう・・・)

 

「あーーーー

 こりゃあ落ちたな・・・」

 

そう思いながら帰宅。

まあやっちゃったことは仕方ない・・・

さあ次を考えなきゃな・・・

 

そう思いながらも発表の日を待った。

 

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先生から電話が鳴った・・・

 

「お母さん・・・合格です」「え?」

「2人とも合格です」

 

わーーーーと思ったのと同時に

「何で??」って思った。

 

それは・・・校長先生も感じたのか・・

 

「どういう理由で

合格したのか?

入学させてすぐ・・・

切り捨てるようなことを

  するのではないか?」

 

みたいなことをきいてくれたらしい・・・

そして・・高校側の返答は

 

『入学をさせるからには・・・卒業させるまで

きちんと面倒を見る!!』

 

 

ということだったと聞いた・・・

 

あーーーー、ほんとにみなさんのお陰だ・・・

 

涙がこぼれた・・・

 

そして・・・さらに・・・泣けたのが・・・

クラスの子ども達の反応だった。

 

「わーーー

   おめでとう・・・」

「私も頑張らなきゃ!!

    つづくよーーー」

 

ってことや・・・

 

わざわざ保護者から電話がかかってきて

 

「うちの子が

自分のことの様に

喜んで・・・

報告してくれてねーーー

自分も頑張らなきゃって

いってて・・・

ホントに

よかったねーーー

    おめでとう!!」

 

って・・・

 

 

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そういえば・・・

合唱コンクールも全然練習では・・・

さぼって練習でも声出さなくて・・・

みんなを困らせ・・・ての問題児・・・

そして・・・

本番では声は聞こえど・・・

 

「んーーーこれって・・・

点数に響かないか???

      凄い声・・・」

 

と気にしていたけど・・・

 

担任が

 

「みんなが・・・

練習では

全然だめだったから・・・

 当日・・・

 まゆちゃんが声出し

  してくれてホントに

      良かった」

 

といっていた・・・と聴いて

ホントに幸せなクラスにいたんだと実感したことを

そのトキ・・・思い出していた。

(結局3年の部で何位かだった・・・喜んでた)

 

いい出会いの経験のいっぱいあった・・・中学校

までの義務教育の9年間は・・・

こうして・・・終わっていった・・・

 

これからは・・・ちょっと広い世界・・・

 

電車通学・・・家から徒歩➡電車➡徒歩

・・・で1時間ちょい・・・快速使って・・・

(普通だと・・・1時間半くらいかな??)

 

さーーーこれから・・・どうなる??

珍道中は更にさらに・・・続くのでした・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~5

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「障害」児から者になるまで・・・

中学校になると3年間なんて・・・あっという間です。

だって小学校の半分なんですから・・・

そして・・・すぐに【進路】の問題が出てくる・・・

これは・・・他のお子さんより早く取り組んでおかないと・・・

学校によっては試験日が異常に早かったり・・・

願書提出が早かったり・・・するんですよね・・・

 

私たちは・・・学習会で高校の先生に来ていただいたり

進学した子の親子に話を聴いたり

そんなこともしました・・・

また、他校の保護者と特担含めて見学に

支援学校や私立高校にも沢山出向きました。

 

特担に

 

「みんなが参加する高校の

  体験や見学にもいっても

     いいんですよね?」

 

「もちろんです。

   自分も行けるときには

        一緒に行きます」

 

と夏休み等にも・・・随分周ったりしました・・・

周るたびに

 

「どう思いました?」

「私は・・・」「ぼくは・・・」

 

なんて意見交換しながら・・・

さまざまな視点で学校を見てまわりました。

でも・・・その前までは・・・

特担のから

 

「え?支援学校ではないんですか?」

 

と聴かれ

 

「先生は何で・・・

       そう思うんですか?」

と聴いたら・・・

 

「今までが・・・

   ずっとそうだったから・・・」

 

って・・・私も・・・あんまり・・・そこまで・・・

進路にこだわりは・・・なかったんだが・・・

 

先輩保護者から・・・

 

「進路はどうすると?

この子達だから支援学校って・・・

考え方は

私たちのときにはなかった・・・

みんなが行くように・・・

この子達だって希望するとこに

行くように私たちはやってきた。

「障害」が理由で行くことを

断念することはない・・・

お金が惜しいとね?

「障害」児ではない

きょうだいには・・・

    そんなこと言わんやろ?」

 

って・・・。

 

そのことを聴いて・・・

そうだ・・・私だって高校生活楽しかった。

その楽しさを・・・どこでもいいけど・・・

味あわせてあげるために・・・私は何ができるだろう?

から始まったのだ・・・

 

だから・・・

 

「先生・・・

昔の先生はこの子達の

進路獲得のために・・・

座り込みとかしたらしいよ・・・

    高校の前や県教委で・・・」

 

といったら・・・この先生・・・

 

 

「わかりました。

 僕もいざとなったら

   座り込みをしますんで

         言ってください」

 

ってまで言ってくれるようになった。

 

こうやって・・・様々まわる中で・・・一緒にいっていた

保護者が

 

「2人なら・・・」

 

と支援学校ではない選択肢も視野に入れ始めた。

(全く・・・学力のない2人ですよ・・・学力的には)

 

中学校の校長先生、進路担当・・・様々な先生方と

情報交換をしながら・・・どこがいいのか・・・

どんな環境がベストか・・・

そんなことを繰り返しながら・・・

どんどん進路を選択する日が近づく・・・

 

うちの子は体験に行ったら・・・どこでも

「ここどう?」と聴いたら・・・

「いい!いい!」って言うから・・・

(寮生活のところ以外・・・)

 

後は・・・大人の中での・・・話・・・

勉強はともかく・・・高校生として社会性を身に着けること・・・

学校からの就労とか・・・先のことは考えない・・・

子どもの【今】体験できることを重視・・・

・・・で・・・最終的に判断の日・・・

 

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まずは【チャレンジ】を選んだのでした。

 

ダメだったら・・・また考える・・・

それは・・・どの子も一緒なはず・・・

だから・・・

 

まずは・・・【専願入試】・・・

私学の入学試験を決めました!!!

 

さーーーここからが・・・

また・・・ドタバタ劇の始まりです。

 

はてさて・・・受験までの道のりは・・・作戦は・・・

ながーーーくなるので・・・

また次回に・・・

進路で悩んでる人必見!!作戦です!!

 

あーーーでも・・・今は単位制とかさまざま選択肢・・・

ひろがってますよねーーー

 

でも・・・ドタバタは一緒かな・・・  つづく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~4

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「障害」児の暮らしやすい毎日・・・

特に【児】~【者】になる・・・

その日は確実にやってくる・・・

 

その準備を・・・親として家族として

どうやっていったらよいのか?

 

正解なんて・・・ないかもしれない・・・

 

けれど・・・言っておきたいことは

【準備】なしには・・・成人後の対応は

かなり難しくなるということです。

 

その年月は・・・どれほどあるでしょう・・・

20歳からの年月は学齢期の

3倍も4倍も長いのです。

 

学力だけを追求する・・・

それで生きていけるでしょうか?

学齢期は、学校にお任せ・・・

放課後・・・帰ってくると用事ができない

きょうだいとの折り合いが悪い・・・

手に負えない・・・

と毎日・・・放課後デイ・・・

 

でも成人後は、在宅を基本とした国の施策の元に

動いて行かなくてはなりません。

 

そのトキ・・・一体どうしますか?

困るのは・・・

「障害」児だったご本人・・・

親は年を取り・・・小さなころはどうにかなっても

そうはいかなくなる・・・

 

小さな頃・・・

【手に負えない】と対策を

他に丸投げしていたとしたら・・・

 

どんな未来が待っているのでしょうか?

 

うちは・・・なんもない時代に

それこそ・・・

親は共働き、周りに助けられながら

中学も迷わず地元に進学しました。

 

さまざまなことはありましたが・・・

この子が、この地域で生きていくなら・・・

なるべく・・・たくさんの地元の方に

現実を知っていただく、見ていただく

そして、何よりこの子自身が、ここで生きていく

という現実をしっかり知り、良いことも悲しいことも

全て身をもって体験し経験を積んでいくしかない。

そう思ってのことでした。

 

体の小さかった体力のない弱弱しい子は・・・

小学校、中学校と体力をつけ・・・

【歩く】ことで・・・体格も良くなり・・・

一生お子様ランチしか食べられない

(異常に食細かった)と思っていたのに・・・

うどんやパスタを大人の量、

完食した時には感激しました。

(今では・・・ちょっとぽっちゃりだぞーーー)

 

中学校で印象深かった【差別事象】は・・・

学校の廊下で通りすがりに本人が低学年の子に

 

「ガイジーーー」

 

と言われたそうで・・・

(多分、本人は自分のこととは気づかず・・・)

他の子からの連絡で担任へ・・・

で・・・私の方へ連絡がやってきました。

 

「いった本人と保護者には

個人懇談中だったので、

指導はしています。」

 

・・・でも

親子とも良い反応ではなかったようで

(うちの子はそんなことは言わない的な・・・)

 

「これから先、

  どんな指導を望むか?」

 

みたいなことを聴かれたので・・・

 

「私は何も望まない

けど・・・

担任の先生(娘の)から

クラスの子に・・・

こんなことがあった。

と投げかけて・・・

クラスの子がどう思うか?

聴いたらどうですか?」

 

って言ったら特担が持ち帰って

後から来た返事は・・・担任と共に・・・

 

「もし・・・そんなことを

クラスで言ったなら・・・

クラスの子達がじっと

はしていない。

犯人捜しをして

どんなことが起きるか

 わかりません・・・

  だから・・・

    それはできない」

と・・・

(当時の子どもの学級はヤンチャな子が多くて・・・その

子達に可愛がられていた・・・みたい)

 

「じゃあ・・・

もう何もしなくていいです。

1人でも彼女のことを

考えて怒りを覚えてくれる

そんな学級にいるだけで・・・

私はもうそれでいいと

    思ってます。」

 

そんな感じのことを言った記憶がある・・・

これが・・・私にとっては中学校生活の中で

一番印象深かった。

 

後は・・・様々・・・

 

水泳の授業で着替えをするのに裸で廊下を走った

新任の先生に「かっこい~」と腕を組んで

周りの女子に私もしたいとうらやましがられた・・・

真剣に殴り合いのけんかをした(特学ではなく)

水泳の授業にひらひらの水着をもっていって指導を受けた・・・

まあまあ・・・他にも数知れず・・・

いろいろありましたけど・・・

それも・・・今では笑い話・・・

思い出話です。

 

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その経験は・・・

今の彼女の基礎をつくってくれていると彼女を見て

思っています。

と・・・楽しい義務教育は終わり・・・

さあこれからどうするか?むろん彼女は・・・

みんなと一緒・・・進学を希望しましたけど・・・

 

知的のこの子には

あと3年の高校か・・・高等部の生活が待っている。

 

それが・・・ラストの学校生活・・・

 

はてさて・・・

どんな珍道中が待っているのやら・・・

 

これもまた今の人は・・・

するかなーーーってな

 

意表をついているもの・・・ですね・・・

多分・・・( ´艸`)(笑)

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~3

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私達親子が地域の中で過ごしやすくなるために

心地よく生活していけるために・・・

何が必要か何歳になっても課題が出てくるし・・・

何歳になってもインプットしなくちゃならないこと

アウトプットしなければならないこと・・・

出てきます。

 

小学校入学前・・・私はホントに“運”が良かった。

保育所の時代から子どもの様子を見に来てくれていた

小学校の先生の紹介で早くに“親の会”に出会うことができ

校区の小学校の先生に出会うことができた。

だから・・・小学校に入るのもスムーズだったし・・・

“困った”“わからない”は・・・

いつでも聞ける環境下にあった。

 

現在・・・ここの部分での“つまづき”の話を良く聴く・・・

大きな原因は・・・“出会い”がなかったこと・・・

情報がなさすぎる・・・よって・・・結果は家族・・・

主に保護者とそこに関わった方々の考えの元・・・

狭い考え方のまま、選択肢も考える時間もそうないまま

決定される・・・

だから・・・どんな選択をしても・・・

しっかりとした“納得”“覚悟”がないと・・・

入学した後、不平不満、不具合が乗り越えられなかったり・・・

 

私んちは・・・

そこらへん“納得”と“覚悟”をして入学したので・・・

(通学路、交通事故、けが・・・すべての不安をうけいれ・・・)

入学してからの様々ないいことも悪いことも・・・

全て引き受け・・・

 

あーーー

んーーーー

何て悩みながら・・・

何やってるか?どうしたらいいのか?

わからなくなった時には・・・

 

「どうしたらいい?」

「どうしてる?」

 

なんて誰彼かまわず相談していたし・・・

保護者会とかもつくって(学校の特学の)参観前とかに

みんなでお弁当とって食べて(学校の中の和室とかで・・・)

保護者は保護者のときだけの話・・・

休み時間になったら先生方が・・・来れる方だけが、

かわるがわる合流してきてそれぞれ話をするとか・・・

そんなこともやってた・・・

(今は保護者会とかも成立しないらしいですねーーー)

人と人が話をすること・・・

ひとりでは考えつかないことでも・・・

2人3人4人・・・人数が集まれば・・・

凄い資格がある人がいなくても・・・

素敵なアイディアや方向性なんかが見えてきたりして・・・

ホントに貴重な時間だった

(私も学校に勤めていましたが・・・

この日は時間休をいただいていました)

 

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子どもが学校にいれる期間は有限です。

子どもに学校で何を学ばせたいのか・・・

今でなければできないことは何なのか・・・

常に考えて・・・先輩方や先生方に

常に話を聴いてもらっていました。

 

そして・・・小学校時代に私が最もできないこと・・・

それは・・・

クラスや学年の人数分の同年代のかかわりをつくって

あげれないこと・・・でした・・・

勉強は・・・後でもどうにでもなる・・・

(親として彼女のできるようになることも・・・だんだん

見えてきていました。)

関われば関わるほど・・・みんなの中にいればいるほど

トラブルや問題や課題もたくさんあったけど・・・

1つづつ解決すること・・・謝ったり・・・謝られたり・・・

 

「クラスにまゆちゃんがいるか   ら・・・困る」

 

そういわれたり・・・

 

「ホントにこの出会いに

      親子で感謝している」

 

と言われたり・・・

人の反応は様々だ。

 

でも・・・私は・・・私達家族は・・・

この地元の小学校で・・・たくさんの仲間に囲まれ

過ごした日々は・・・

何にも代えがたい日々であり・・・

今でも「宝物」だと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~2

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「障害」児のわが子と向き合う生活の中で・・・

どうやったら・・・

暮らしやすさ・・・楽しく笑って暮らしていけるのか?

 

「毎日叱ってばっかりで・・・」

 

「毎日夜もドタバタやってて・・・

  虐待で通報されちゃって・・・」

 

「誰にもわかってもらえなくて・・・苦しくて」

 

「親の会とかがどこにあるのか?

  相談してもわからなくて・・・」

 

そんな小さなお子さんのお話を聴くことも

よくあります・・・

 

悩みの内容は違えど・・・

「障害」児と向き合う時間が長ければ長いほど・・・

どうにかわかってもらいたい

どうにかこの子が生きやすいように・・・と

考えれば考えるほど・・・

頑張れば頑張るほど・・・・

悲しく辛い現実を目の当たりにしちゃったりして・・・

 

私もそうでした。

 

でもねーーー結果・・・【大丈夫】です。

やるべきことをこなして動いていると・・・

探し回り、歩き回り、見渡していると・・・

手あたり次第なんかするってのでもいい・・

何でもかんでも行ってみる。参加するでもいい・・・

それは・・・

ベビーステップだったとしても・・・

少しづつ階段を登っていて・・・

「わからない」「できない」「困った」

なんて言い続けていると・・・・

キャッチしてくれる人がひょっこり出てきてくれたり

するんですよ・・・

 

私もそうでした。

 

保育所にいれたいときにも・・・

療育の先生から

 

「社会性を身に着けるために

    早く集団活動を・・・」

 

と言われて・・・市役所に相談に行ったら・・・

 

「働かない人以外の

     保育所入園はありません」

 

と一言・・・何のアドバイスもなく・・・

 

「じゃあ働かないとダメなんですね」

 

といったら・・・

 

「そうですね」

 

と・・・。

そのことを・・・

 

「何か言い方とか対応とかねーーー」

 

「市役所の職員って

 市民のためにいるんだよねーーー」

 

って何人かに話して・・・(27年位前かなーーー)

そしたら・・・どこからどう回って・・・か

市議会議員さんに話がいって(ビックリ(゚д゚)!)

指導が入って・・・謝罪があり・・・

相談に親身にのってもらったってことがあったりもした・・・

(結局は、結果は同じだけど・・・対応の仕方で・・・

人の気持ちや満たされ感、満足度は違う)

 

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結局その1年後に働くことになり・・・保育所へ・・・

そのトキも【加配】があって・・・

保育所も本人がホントに楽しく過ごすことができたんです。

みーーーんな応援してくれて励ましてくれて・・・

自分ができなかったことを保育所でみんなといることで

子ども達の中で保育所の先生方の努力で・・・

どんどんできるようになっていって・・・

 

【ひとりでやらなくていいんだ】

 

とホントに肩の荷がおりたり

 

【人に任せる】

 

ということで

自分のやり方ではない・・・

様々なやり方があって・・・

さまざまな人の介入があって・・・

子どもの成長や自分自身の親としての学びや

いつも不安や悩みの中にいた私の心の安定にも

本当につながっていき・・・

日々・・・【感謝】の毎日になっていった。

 

さーーー保育所の話はこの辺で終わり・・・

 

明日は小学校生活の巻~です・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「障害」児と共に~暮らしやすーーーーくなるために~1

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「障害」児と暮らしてきて・・・

そして彼女は児~者になり・・・

ホントに暮らしやすくなった・・・

 

「楽になった・・・」

 

それは・・・いつの日からだっただろうか?

自然と訪れてきたのだけれど・・・

それは【簡単】だったか?と言われれば・・・

そうだったような・・・

その一言では片付かないような・・・

さまざまな感情が渦巻くのも確かなこと・・・

 

ただ・・・この子のお陰で・・・

私は、私として大人として親として

考える時間や自分の人生観、価値観・・・

さまざまな揺さぶりをもらったと感じているし・・・

 

彼女のお陰で・・・

多分・・・人の何倍もの全国の方との・・・

人との出会いをいただいていると思う。

その中での気づきや学びは・・・

半端ないパワーをもらってきた。

 

今年30歳になる彼女を育てる過程で・・・

小さなころは療育・・・病院と・・・

そしていつもいつも・・・

 

【否定】【できてない】

【やってない】

 

と言われ続けて・・・

やってもやっても

 

【できない】【やれてない】

 

自分に

ホントに疲労困憊していた・・・

 

よく最近も育児ノイローゼ・・・って聴くけど・・・

特にバリバリ仕事をしていた人が

子どもと向き合う時間に成果がわからず・・・

毎日向き合う育児の中で・・・

ノイローゼになったとか・・・鬱になったとか・・・

(赤ちゃんは、評価してくれないから・・・・)

 

私は・・・乳児期、この子の将来の不安や子育ての孤独で

(同じような障害のお子さんは近場にいないので・・・)

ひきこもちゃったりしたよなーーー

この頃の写真は笑ってるけど・・・

ホント疲れた覇気のない顔してるんだよなーーー

 

子どもはニコニコ愛嬌のいい子で・・・

可愛かったし、もちろん愛しているんだけど・・・・

ってねーーーー

 

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でも・・・そこから脱出できたのも・・・

【人】の力だった・・・

 

見たこともない無料電話相談の【人】

 

「お母さんは、頑張ってますよ」

 

って言ってもらえたことだったり・・・

 

外での子どもの声に反応するわが子を見て・・・

外に出ようと決心して・・・

勇気をもって公園に出ていったときの【子ども】の言葉

 

「ねーーー赤ちゃんの鼻の下・・・

何で・・・テープ貼っとるん?」

 

(口唇口蓋裂では鼻下は日焼け防止テープを

貼らなければならなかった・・・)

 

「何で鼻ぺちゃんこで

      横に大きいん?」

 

「んーーーーー

お腹の中にいるときにね

ケガをして産まれてきちゃって・・・今、手術とかしててね

テープ貼らないけんの・・・

そのせいで鼻もねーーー」

 

そういうか言わないかで

「ふーーん。そうなん・・・

         でも可愛いね」

 

「赤ちゃん産むの大変なんよね・・・

死ぬことだってあるんよね・・・

       お母さんが言ってた」

 

って・・・

みたまま・・・感じたままに発する

そんな忌憚のない子どもの言葉だったり・・・

とっても救われたなーーーー。

 

反対に・・・

散歩に行ったとき・・・ジロジロ見てくる人・・・

「あら、赤ちゃん・・・」

と顔を覗き込んで・・・何も言わず急いで走り去った人・・・

「見てはだめよ」と通り過ぎた人・・・

若いころの私にはその世間の白い目を受け流せる余裕が・・・

まだまだ・・・なかった・・・

 

でもねーーー

世の中・・・いろんな人がいるって・・・

悲しいことも多かったけど・・・

そればかりじゃあなかった・・・

いいことも嬉しいことも驚きも喜びも・・・・

 

あーー何だか久々思い出した・・・

 

私の凸凹子育て・・・・

明日から・・・徐々に娘の記録として・・・

書き連ねていくとしよう♥♡💛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもの自殺願望から考えること

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あーーー夏休みが終わりますね・・・

あーーもう終わってる所もあるのかな・・・

小中学校は

2学期制とかもあって・・・

高校生とかはどうなんだろう??

ともあれ・・・夏休みも後半・・・

もしくは終わり・・・

・・・でこの時期によく見る記事に・・・

 

「死にたい子ども」の自殺を

防ぐために私たちが

      できること

「自己肯定感」と

     「本当の多様性」

 

とは・・・

って記事があった。

厚生労働省は7月中旬「令和元年自殺対策白書」

を発表した。

その中で高校生における自殺の原因動機が載っていた。

 

男子高校生は

「学業不振」18.2%

「その他進路に関する悩み」

           16.4%

が上位。

 

女子は「うつ病」18.3%

「その他の精神疾患」12.1%

 

が多かった。

 

また高校生における「うつ病」と共に計上された

動機と原因については

 

男子高校生は

「学校問題」38.4%

「健康問題」20.9%

女子高校生は

「健康問題」31.3%

「学校問題」18.8%

「家庭問題」18.8%

 

こんな統計が出ている・・・

そうそう・・・この結果をみて思い出した。

少し前に

 

「あなたのため」が

「教育虐待」にかわるとき

 

って記事があったなーーー

 

「教育虐待」とは「あなたのため」

という大義名分の

もとに親が子に行う、

行き過ぎた「しつけ」や「教育」

のことである。

 

ひと昔前・・・1980年に予備校生が金属バットで

父親を撲殺した事件があった。

成績や進学をめぐって医師の父親と葛藤が背景にあった

と報じられていた。

また2006年には有名進学校の高校生が義理の母と

子ども達合わせて3人を殺害、自宅に放火した。

少年は父親から医師になることを命じられ、成績が悪けれ

ば罵倒され暴力も振るわれていた。

犯行動機は父親への腹いせだった。

 

「教育熱心すぎる親が、

      子どもを追いつめる」

 

また

 

「あなたは何としても大学に行きなさい。

お父さんとお母さんのような

     悔しい思いはさせない」

 

と遊んだ記憶がないほど習い事や塾。

テストの点が悪いと殴られた。いい点が取れても

 

「勘違いしないで、

テストでいい点が取れたのは、

あなたの力じゃあない、

お母さんのおかげよ。わかってる?」

 

友達との交換日記も

 

「勉強以外のことをするな」

 

と叩かれ怒鳴られ、その後1カ月間無視。

 

中学生になると自殺も考えた。

 

自分が「教育虐待」の被害者であることに気づいたのは

30歳を過ぎてから・・・

大人になり結婚して夫へ食ってかかる・・・

子どもが欲しくなった時、とてつもない不安に・・・

カウンセリングを受け、やっと

 

「母という名の宗教」

 

を抜け出した。

 

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学業・・・教育って・・・

きっと親子関係において・・・

切っても切れない問題なんでしょう・・・

でも・・・

【親】も【子】もそれぞれ一人【個】であること

子どもは親の所有物ではないし・・・

価値観や生き方も時代と共に変化する・・・

【今】のよかれは・・・何年続くかわからない。

今の時代・・・結構、子どもの方が情報を持っていて

生きるすべも身に着けているかもしれません。

知らないのは・・・親ばかり・・・

だったり・・・

 

自分達大人が・・・大事な子ども達に

【未来】を奪うような行為が決して

ないようにしないといけないなと

痛烈に思っています。