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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児・者団体広報エッセイ集より10

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私たちの会には・・・
造形教室、ハンドメイド、スポーツ、ダンス
カット、学習会、音楽、ボーリング・・・
様々なことをしながら・・・
そして・・・講師の方々にも協力していただいています。
そして・・・
その講師の方々もかかわりの中から
様々なことを感じ取ってくださっています。
ホントに幸せな活動だと思っています・・・

トゥインクル

「ぼく、ちゃんとべんきょうしたい」

学校では支援学級で過ごし、クッキーを作ったり体験学習で
電車に乗ったり楽しそうだったのに、疑問を持ったらしい。

 発達障がいで学習にむらがあり、普通学級ではついていけない教科がある。
本人の生きづらさ、育てにくさがありながらも
発達障害の診断を受けるかどうか悩む。

 これまで友人との関係や地域の学校に通えるのか、
今後の進学や就職がどうなるのかと不安は尽きない。
しかし、発達障害の診断を受けて手帳を持つことで激変したこと・・・。
診断をして何ができて何ができないのかがはっきり解った、
好き嫌いの意味が解って育てやすくなった。
発達の凸凹をどうするか?それは、専門家に委ねることができた。

 手帳を持ったことで心置きなく美術館や博物館、
コンサートを楽しむこと外出が多くなった。
何よりも本人の意思を尊重した素晴らしいママが子育てに
自信がつき強くなったこと、
手帳を持っていても普通学級でできるだけ教科は受け、
苦手な教科は支援学級で学習する。
タブレットやレコーダー、耳栓やヘッドホンを許可してもらい活用する。
学校や先生とのいい関係をつくる。
または、支援学級で十分な支援を受けるなど道はいろいろある。

 前例がないからと言われても尻込みせず、

「自分で前例をつくる!」

という強い意志があれば大丈夫。

 絵を指導していて感じることは、ひとりひとり、
それぞれの良さがある絵を描いてほしいということ。
毎日コツコツ積み上げるタイプ。
ときどき天才が現れるタイプ。
時には後戻りしたり停滞したりと・・・
そんなときには気分を変える。

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今までできなかったことも明日はできるようになる。

無理強いはしない、したくない子には、
いい絵は描けないからと一般的にはですが・・・例外もあり。
苦しみや悲しみがエネルギーになるのも芸術だから。
ストレス解消に描いてもいい。
思春期までは気持ちが、もやもやイライラで血みどろの絵を
描くこともよくあること。
ハンディがあっても子どもは確実に育っている。

「こだわり」
が一生変わらないとは限らない。
結果はすぐには出ないので、長い目でゆっくり見守ることを大事に指導し、
他にできること興味の出ることを模索する。
可能性はだれにだったあるし可能性は無限大。
すべては絵を描きにきた子どもたちが教えてくれたこと。

教えるつもりが反対に教えられていることの方が多い。

「ぼくちゃんとべんきょうしたい」

といったこの子は絵画教室を卒業した現在、
普通高校でいい先生と巡り合い、芸術大学受験に向け頑張っている。

 これからも斜めの関係で、この個性的なキラキラした魂の
小さな芸術家たちと楽しく活動していきたい。

 芸術は個性が一番だから・・・             (k・k)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より9

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彼に最初に出会った印象よりも
お父さんとの出会いが・・・私が・・・
福祉制度をより深く考えるきっかけになりました。


「社長とこんな事業所をはじめようと思う。
ボランティアで来ますから・・・いろいろ教えてください・・・」

そんな感じだったかな???

もう十数年前??
それから・・・その会社には・・・本当にたくさんボランティア
していただきながら・・・
助けていただきました。

息子さんをきっかけに・・・出会わせていただいたことに
ホントに深く感謝しています・・・

最近はちょっとご無沙汰ですが・・・
息子さんとは・・・定期的にあってます。

スポーツ大好き!!ボーリングで活躍中の20歳の青年に
なりました・・・

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トゥインクル

 二歳を過ぎても自立歩行ができなかった彼も、
親の心配をよそにみるみる成長し、運動が大好きで、
一日中走り回っていても平気な丈夫な少年になりました。

ついには、地域のマラソン大会に出場し、十キロを完走するまでに・・・。

この春には、高等部を卒業し、就労継続支援A型事業所に通うこととなりました。

 彼が、ここまでのびのびと生きてこれたことを幸せに思うとともに、
関わってくださった多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

これまでいろいろなラッキーがありました。
この十八年間で福祉制度が大きく進展したこと。
時代のめぐり合わせでしょうが、制度の進展が無ければ
もっと苦労しただろうと思います。

そして、筑紫野市に住むこと選んだこと。
約十五年前に筑紫野市に転入してきましたが、
支援制度が始まったばかりのころで、当時、
「筑紫野市は障害福祉に積極的」との噂でした。

それよりも何よりも「障害」児・者問題を考える会と出会ったこと。
何も知らなかった私達を大きな懐で包んでくださったようなそんな印象でした。
何かあったら助けてくれる。
一緒になって悩んでくれる。
そして、時には愚痴を言いあったり、共感しあったり、
こんなに心強い味方はありません。

今では都合のいい時だけ使わせてもらっています。(すみません)

ところで、どんな家族もそうだと思いますが、
彼の障害を知ってから受け入れるまでの間、葛藤が何年か続き、
その間に周囲の心無い言葉や態度を受け、
さらに落ち込んだりしたものです。

特に印象に残っているのは、妻の話ですが、
彼が二歳ごろ、まだ歩くことができず、ベビーカーに乗せて買い物をしていると、
すれ違ったお年寄りから

「こんなに大きいのに歩かせないとだめじゃない」

というようなことを言われたそうです。
妻は、その日のうちに私に対して、お年寄りに対する怒りを伝えてきました。
その時の私は、妻に対して

「普段の生活から辛い思いをしているんだなあ」

と悲しく申し訳ない気持ちになりました。
恐らく、辛い思いをしているのはこれだけではなかったと思います。
彼の成長過程においても、学校のことや友達のことなど
多くの悩みや葛藤がありました。
そして、子どもを通して得る経験を重ねてゆくうちに
私自身も妻も段々と障害のことを頭だけではなく、
心から受け入れられるようになってきていると感じています。

彼に成長させていただいているんですね。

恐らく、今の私たちでしたら、先のお年寄りに、
怒りは覚えないのではないでしょうか。
彼のことを知ってもらおうと、なぜベビーカーに乗っているのかを
説明できると思います。
そして、そんな日常の出来事がいろいろな障害を知っていただく
身近な啓蒙活動ではないかと考えます。

これから、まだまだ彼の人生は長く険しい道も通らなければならないことも
あるでしょう。
そんな時は、まずは家族で助け合い、だめなら身近な方に頼り、
それでもだめなら福祉制度に頼り、
それでもだめなら考える会に・・・というような
多様なコミュニティが近くにあることに安心と幸せを感じています。

また、私を含め、考える会の会員の方々が、
多様なコミュニティの一員として、
多くの方々と関わりや幸せを共有できることを願ってやみません。

                              (m・w)


「障害」児・者団体広報エッセイ集より8

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これからは・・・
順不同の紹介になります。
(まとめを頼んでいた人が前回までしかやってなかったので
順番がわからなくなってしまって・・・)

余暇活動でやっている音楽活動の中の発表会で
彼女を知りました。
控えめで可愛らしいお嬢さんで
あんなに小さかった子が・・・

今では堂々と大人として・・・
演奏をし、電車に乗って通所し・・・
毎日を謳歌している・・・

その姿に私自身が励まされ・・・勇気と希望を
もらっています。

そして・・・このエッセイに
どこか・・・うらやましさを感じながら・・・
(私は、産まれたときから医師には不のコトやリスクしか言われなかったし
療育でも叱られてばかりで・・)
キラキラしてるなーーーって
最初に読ませていただいたときには思ったものでした。

私も・・・途中からは・・・
(娘が9か月?10か月?くらいからだったかな??)


「そう・・・楽しまなきゃ」

っては・・・思ったんですがね・・・



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トゥインクル №8

娘はダウン症です。

ダウン症と分かった時は、本当にショックで、
とても落ち込みましたが、
その時の小児科の先生の一言が、今でも忘れられず、
その一言がなかったら
気持ちの切り替えができなかったんじゃあないかと思います。

「楽しみですね!」
「この子は可能性をたくさん持っていますよ!」

と、
とてもにこやかにおっしゃって、
私の中で、大袈裟かもしれませんが
何か光がさしたような気がしました。

「そっか、楽しんでいいんだ」
と前向きに考えられるようになったきっかけだったように思います。
毎日を楽しもう、笑顔でいよう。
私が笑っていることが一番なんだ。
娘もそれが一番!
そう思えるようになり、それは今でも変わりません。

 幼稚園、小中学校と地域の学校に通いました。
幼稚園では初めての集団生活、
お友達との関わりを学び先生方にも可愛がって頂きました。

 小学校では特学の先生の先を見据えた支援、
早め早めに経験を積ませてくれ、少し高い所に目標を立て、
チャレンジさせてくれました。
先生は娘の反応を何パターンも予測し対応してくださって、
成功例を作ってくださり、それが自信へと繋がり
たくさんのことを経験できました。

中学校では逞しさを学びました。
特学と普通学級の先生方の連携が素晴らしく
先生方は

「何か問題が起きた時がチャンスなんです。」

と、すぐに対処していただき
落ち込むのではなく無駄にしない、
それを乗り越えたとき大きな成長に繋がるんだ
ということを学ばせていただき、
その経験が娘を逞しくしてくれたように思います。

高校は太宰府特別支援学校に通いました。
お友達や先生方と、とても楽しい3年間を過ごし
仲間意識、協調性を学び、たくさんのいい思い出ができました。

そして、余暇では音楽活動を楽しみながらしています。
その活動が娘にとって大きな出会いだったと思います。
活動を通じたくさんの方々との出会いを経験させていただいています。
 そして、先日、娘は二十歳の成人の日を迎えました。
就労し、JRに乗り自力で通勤しています。
毎日楽しく仕事も頑張っているようです。

産まれたときには想像もしませんでした。

 今、思うのは、勿論いいことばかりではありませんでした
いろいろな経験をし、本当にゆっくりですが、
少しずつ少しずつ積み重ねてきたことが、
本人の自信に繋がり、同時に親の自信にもつながり、
いろいろなことにチャレンジする勇気にも
繋がっているように感じます。
そこには、本当にたくさんの素敵な方々との出会いがあったからこそ
だと思っています。
 
まだまだ、大人というより子どもな娘で毎日バトルもありますが、
これからも出会いを大切に楽しく娘が笑顔でいられるよう
見守っていけたらと思っています。                    
                              (Y・k)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より7

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私たちが知り合ったときには・・・

親の会に・・・私は所属し
彼女らは他市町で親の会を運営しようと計画している所だった
と記憶しています。
なんかの研究大会に発表者として参加するときだったかな??

だから15年以上・・・いや・・・20年近いか・・・
でも・・・
知ってるくらいで・・・
そんなにかかわりが深くはなかったんだけど・・・

付き合いが深くなったのは・・・
ココ・・・5~6年くらいかな・・・

子どもが大きくなって・・・
ちょっと先輩のうちの子・・・
その中での・・・
相談が・・・きっかけ・・・だったような・・・
家も引っ越してきていて・・・
同じ市内になったこともかかわりがより
深くなったきっかけだったように思う。

今では・・・きょうだい児・・・
お嫁ちゃんも含め・・・
一緒に活動できる関係に・・・
子どもの成長と共に・・・

親である私たちが・・・子供世代に
たくさん救われてきている・・・

ホントに感謝!!<f:id:variouspeople:20191024202752j:plain

トゥインクルH29 NO.7

 暑い夏が終わり、涼しい風がとても心地よく感じる
この十月に娘は生まれました。
三人目の出産でしたが、臨月での九大病院への転院は、
変な予感を感じていました。

 十二指腸閉鎖症、心臓の疾患、ダウン症…。
この十月というのは言葉では言い表すことができない日々でした。
生まれても母乳を吸うこともできず、泣くこともせず、
私自身
「何とかして飲ませたい」
「生きてほしい」
「泣いてほしい」

と祈る入院生活でした。

音楽を聴かせ、話しかけ…やっと退院できる十二月、
担当医から
「正直言って植物人間だと思っていました。
医学の力より母の愛が勝つって本当ですね」

と言われたとき、はじめてこの子を産んで涙しました。

 前を向いて子育てをしよう!

 いろいろな方と出会い、幼児期・学校生活、彼女は毎日笑っていました。
「大好き♡」を挨拶言葉にしている娘は二十一歳になります。
地域で生活をし、昨年の成人式で、たくさんの友達に声をかけてもらい
何かゴールしたような感動がありました。

 現在は、毎日仕事を頑張っています。
娘の夢は、“一人暮らしをすること”“ドラムを買うこと”です。
その夢に向かって働ける場があること、
お給料を頂けることに本当に感謝いたします。
娘は、結婚したい相手もいますが、何と母親の私よりも年上の方です。
娘の話に合わせて下さり申し訳ない限りです(笑)

この子の個性を笑って見守ってくださる方が
娘の周りにはたくさんいます。
厳しくしてもらう時も人に任せ、ほめてもらう時にも人に任せる。
我が子は難しいです。もうあきらめました(笑)

 私の人生もたくさんの方々との出会いを大切にし、
娘の「みんな大好き♡」の精神を見習います。

そんな今年の十月は、悲しい思い出を忘れた
身も心も晴れ晴れとした楽しい誕生月です。

                              (T・O)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より6

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そうそう・・・彼とも
10年以上の付き合いになります。

小さかった彼も大人になり体格もよく・・・
水泳に陸上にと・・・
運動が大好きなアスリートです。

お母さんは何でもチャレンジさせる方で・・・
造形教室にも来られ絵画も楽しみ・・・

自立に向けて・・・ひとりで行動することも多くなりました。

その中で・・・
トラブルがあったとき・・・
「どうしよう??」
って相談があったら
一緒に地域の方に動いたり・・・
話したり・・・そうしながら・・・彼は地域の中で
イキイキと自分のやりたいこと、得意なこと
好きなことを満喫しながら・・・

今を毎日楽しんでいるようです。

ハラハラ・・・ドキドキの毎日を・・・
私たちも応援しているし・・・
何より・・・ご家族が腹を据えて・・・
見守っている姿に
私もエールを送っています。

みんな違って・・・みんないい!!
彼がそれを日々・・・私たちに見せてくれている・・・
そう感じています。


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トゥインクルH29 NO.6

自閉症と重度の知的遅れのある息子は、
習慣(日課)に対するこだわりが強く、
一度始めると修正と融通が効かないのが困りものです。

だから障害者なんでしょうけど。

こだわりで特に面白いことの一つが犬の散歩です。
うちには三年前までポメラニアンがいました。
息子が中学校になってから犬の散歩を教えました。
散歩といっても家の近所を一周して、おしっことウンチをさせる為だけです。

あるとき散歩から戻ると袋がやけに重いので中を見ると石が入っていました。
犬がウンチをしなかったので替わりに石を入れて帳尻を合わせたのです。
雨の日は自分だけ傘をさして犬がずぶ濡れだったので怒ったら、
今度は犬だけ傘をさして自分がずぶ濡れという始末です。
台風のときは、風が強すぎて犬が前に進めず嫌がっても
力ずくで引っ張っていきます。
流石に雪のときだけは危険ですから阻止しました。
晩年、犬は年老いて歩くこともできなくなり散歩の必要もなくなりました。
それでも息子は、毎日の散歩がやめられません。
気がつくといつもの様に、リードをつけて歩けない犬を
ズルズルと引きずって散歩をしていました。
犬は涙目で何かを訴えているようでした。
可哀想だからやめるように言うと、
今度は毎日抱きかかえて散歩をしていました。
どうしてもしないと気が済まないんですね。

犬を埋葬して一緒に見送り、
これでやっと息子も犬の散歩から解放されると喜んだのも束の間、
昨年父親が突然、子犬を連れてきたんです。
全く同じ犬だったので、
息子は当初、前の犬が戻ってきたと思っていました。
ともあれ又、散歩生活が始まりました。

犬に限らずエピソード満載の息子ですが、
命にかかわらない限り、何でもさせてみようが私の方針です。
お陰で、予想外の失敗や嬉しい誤算、
そして新しい可能性の発見が沢山ありました。
今度は、犬と息子が何をしでかすやら…楽しみに待つことにしましょう。
                            
                               (Y.S)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より5

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積極的な彼女も・・・
悩み苦しみ・・・
精神的に落ち込んだ時期もありました。

今は・・・1社会人として・・・
しょうがい者雇用の中で働き続けています。

理解を得る
理解を促進する・・・
そう考え行動してきた彼女は
イキイキ車を運転しながら・・・行動範囲も広がり
楽しく青春を謳歌しているようです。

トゥインクルH29 NO.5

 私は、1000グラムの極小未熟児で生まれ、
脳性麻痺により両下肢にしょうがいがあります。
公立小・中、私立高校を経て就職し、現在6年目です。
2年前に初めて足の腱を伸ばす手術を受け、
現在も週に一度こぐま学園でのリハビリをし、
装具を履いて仕事をしています。
高校2年の夏休みに「ダスキン愛の輪事業」の
ジュニアリーダー(将来、社会のリーダーとして活躍できる人材育成)の車いす部門に参加し、
1週間ロサンゼルスに研修に行きました。
そのきっかけになったのは中学校の時にお世話になった
米北先生からの紹介でした。
全国から約30名が応募し、レポート審査や面接を経て合格。
10名の研修生に選ばれました。

 面接の中で
「今日はどうやってここ(大阪)まで来ましたか?」

と問われ、私は
「母親と一緒に来ました」

と答えましたが、私より2~3歳年上の方は
車いすで北海道や広島から一人で来ていて驚きました。
また、全介助の子も会場の入り口で母親と離され、
その後はすべてボランティアがサポートをする徹底ぶりにも、
しょうがい者の自立を支援するダスキンの本気度を感じました。
あの時、親子が離され、親も子も驚きざわついた光景を
今も覚えています。
この時に、母親からの「自立・自律」、
一心同体ではなく「私」が考え選択し
行動することの大切さを実感しました。

 アメリカに行って日本との違いを一番実感したのは、
人と人との心の距離の近さでした。
アメリカでは、日本のように街中のバリアフリーが
進んでいませんでした。
段差だらけ、道路もデコボコで車いすではコンビニに入るのも
一苦労。
でも見ず知らずの人がさっと手を貸してくれたり、
車いすごと抱えてくれることも多くありました。

「今日はどこにいくの?」「楽しんでね」

と、フランクに挨拶を交わせる国民性も新鮮でした。
私は、健常者に手助けをする義務があるとは思っていません。
手伝いをお願いして断られてもそれはそれでいいと思っています。
でも、誰にでも助けを求めやすい環境が自然とそこにあるのは
とても良いなと感じました。

 これまで小・中・高校と普通学級で過ごしてきた私は、
たくさんの人や先生に助けられ、
友だちとも出会うことができました。
しかし考えてみると、
自分と同じしょうがいを持った友だちとの出会いは
ほとんどなかったのです。

 しかし、この愛の輪事業に参加することで、
私と同じように車いすで生活してきた同級生や先輩たちと
たくさん出会うことができ、話すことで、
これまでに感じてきた理不尽さや偏見などをできた
初めての感覚でした。

「自身のしょうがいをどう理解し、自分を認めるか」

という相談を受けることも多かったです。
その時の友だちとは今でもメールをしたり、
福岡に来た時は会って食事をしたりしています。

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愛の輪事業で一緒だった先輩に、自動車免許を取れると聞き
私も高校在学中に免許を取りました。
私の通った自動車学校は、しょうがいのある方を担当する先生が
決まっており、それぞれの特性に合わせた講習を受けられました。
高校卒業後は、友人と大阪旅行に行ったり、
車を運転して佐賀・熊本にも遊びに行きました。
今までは送り迎えしか移動手段がなく、時間の制約があったのが、
一人でも動ける行動範囲が広がりとても嬉しかったです。

 高校卒業後にしょうがい者枠で一般企業に入社しました。
会社は、私が仕事をしやすいようによく話を聞いてくれ、
玄関に手すりを付けたり、会社内の設備を整えてくれました。

 今までたくさんの方の支えにより、成長できました。今後は経験を生かして一前例として後輩のみなさんの力になれればなと思っています。
                           (Y・N)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より4

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みんなが・・・エッセイを書き始めると
私が・・・懐かしく・・・
そのトキのことを思い起こされ・・・
それぞれのみなさんの成長と
子ども達は大きくなったなーーーって感激します。


「あーーーちいさいときには、たかーーーいとこに
軽々登っていっていたよなーー」

とか・・・

無断で・・・ぬいぐるみを捨てたときに・・・
お母さん大変な目にあって・・・
あのときには回復までの対策が大変で・・・
お母さん・・・毎日
どーーーしよーーーって途方に暮れて
泣いていたよなーーーとか

学校のときには・・・
たーーーくさん
いろんなことあったよなーーー
きょうだいの関係で悩んでいたこともあった・・・

お母さん自身が体調を壊してしまったことも
あったっけ・・・

そう・・・
よくお母さん方・・・きょうだいや
保護者が・・・
体を心を壊してしまう・・・
そんな方々も多いのも・・・また現状・・・

だから・・・その度に・・・


「どんなことが必要か?」

「何があったら安心か?」

「困ったこと、不安なこと・・・不満って??」


そんなことをみんなで考え・・・

「薬を飲むことがなかくなったらいいな・・・」
「病院に行く回数が減ったらいいな・・・」

心が軽くなる方法・・・【不安】【不満】の様に
【不】がつかなくなる環境って・・・
て考えていってたなーーー(今もだけど・・・)



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トゥインクルH29 NO.4

広汎性発達障害の娘は、太宰府支援学校高等部の2年生。
イヤーマフをして犬のぬいぐるみを抱えて学校に行きます。

小さな頃から、物へのこだわりが強く、
特にぬいぐるみにはこだわりがあり、学校や普段のお出かけに持っていくのと、
おじいちゃんの家へ帰省するときは、持って行くぬいぐるみが違います。
娘の頭の中で、スイッチがあるのか分かりませんが、
ぬいぐるみが変わると「帰省スイッチ」が入るようです。

あと、「容姿」へのこだわりもあります。
鏡が大好きで、小さい時は、顔中に口紅を塗ったり、
マニキュアを塗ったり…。
目に見える「毛」も気になることがあります。
まつげや眉毛を切るのはいつもの事で、
ここ2年間くらいは、暑くなる時期に髪を切ってしまいます。
今年は、ゴールデンウイークの最中、
裁縫箱の中の糸切りバサミでやってしまいました。(;^_^A

今は、坊主ですが、本人はとても気に入っているようです。

いつも突拍子もないことばかりをする娘、
困ることも多いけど、それ以上に学校などで
頑張る姿を見たり、聞いたりすると、とてもうれしく、
日々、成長する姿を楽しみにしています。

今までに、娘を通じてたくさんの人たちとの縁を持つことができています。
これからも一つ一つのつながりを大事に、
高等部卒業後は娘に合った就労先を探して、
楽しんで頑張ってほしいです。
これからもよろしくね!
                            (M)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より3

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このご家族と出会ったのも・・・
小学生のときだったから・・・
かれこれ10年以上になります・・・

私の周りには・・・
そういうながーーーい付き合い・・・
気心が知れている付き合いが多く・・・
「障害」児たちは勿論・・・
家族・・・きょうだい・・・と周りの人とも一緒に
学び・・・育ってきた・・・
そんな・・・大きな大きな親戚??身内???
んーーーー家族のような感じです。かね・・・
親以外の大人に聞いてもらうチャンス
同じような世代・・・の友達のような感覚・・・
先輩後輩のようなアドバイスをもらう感覚・・・
そんな感覚を・・・環境を
大人も子どもも得ることができている・・・
そう感じてもいます・・・

だから・・・ここで

「制服ないかなーーー」
「体操服いらない??」

「入学式の服かそうか・・・」

「みんなで・・・コサージュワークショップする??」

なんて・・・
様々なことをやったりなんかして・・・
お茶したり・・・ダべリングしたりも・・・
日常です・・・その中から・・・
いろいろ生み出されてくることもあったりして・・・

それは今でも・・・続いています・・・ねーーー。


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トゥインクルH29 NO.3

 三歳児検診でわが家の次男坊は
「広汎性発達障害(自閉症)」と診断されました。
上の子たちと比べると
<発達が遅い><いつもウロウロして落ち着きがない>と、
ずっと思っていましたが、
診断がついてホッとしたことを今でも覚えています。

 コミュニケーション障害・多動・知的障害もあり、
「とにかく大変でしょう」といわれる日々でした。
小学校低学年のときには、学校から脱走し、
パトカーに乗って帰ってきて肝を冷やしたこともありました。
当の本人は、なぜかちょっと嬉しそうにしていましたが・・・

 幼少期、発達障害(自閉症)は
げんざいよりもメジャーではありませんでした。
誠愛リハビリテーション病院で療育に通いながら、
上の子たちと同じ幼稚園に受け入れていただいたこと、
小学校入学時に支援級のお母さん方や先生方に
温かく声をかけていただいたこと、とても嬉しかったです。
わが子の状況を共感してくれる同じ支援級のお母さんと出会えたことは、
今も続く大切な繋がりとなっています。

 子どものことを知ってもらうために、
学校の役員を積極的に引き受けたり、機会があれば、
いろんなイベントにも参加したりもしました。
息子のお陰で色々な人や居場所に巡り合えたこと、
今では自分自身の財産になりました。有難いことです。

 息子は今年二十歳になります。
 今は、週五回、送迎車で作業所に休まず通い、
週末には頂いた賃金で、いろいろな活動に通うことを
本人は楽しみにしているようです。

 これからも息子の活動を応援していただければ嬉しく思います。

                               (A・H)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より2

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本日のエッセイの方との出会いは・・・
このお子さんが
保育所のときでした。
自分の下の娘と同じ保育所で・・・
私の活動を知っていた所長から・・・

「大島さんに・・・ぜひ会わせたい保護者がいる」

と言われていて・・・
保育士さんからも

「ぜひ・・・おつなぎしたい」

と言われていたご家族だった。

私が勤務の関係上(養護助教諭していて)朝は早い
帰りは延長で遅い・・・で
出会える機会がなかなかなかったのだが・・・

あわせたい人の思いや・・・
会いたいと思える人の思いは・・・
いつしか引き寄せるもので・・・
保育所の夏祭りの日に出会うことができた・・・

そこからのお付き合い・・・

今では彼は・・・18歳・・・
かれこれ
んーーー15年?くらいの付き合いになるのか???
アーーでもないこーーでもない言いながら・・・
小学校にも何度も行ったり・・・

全介助のこの子に親として
【制限】をかけないように・・・

ボーリングだって絵画だって・・・スポーツだって
なーーんだって・・・やるんだよ・・・できるんだよ
楽しむよ
って・・・一緒にやってきた・・・

笑いあり涙あり・・・( ´艸`)(笑)( ´艸`)みたいな・・・
今では・・・笑い話が多くなったね。。。



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トゥインクルH29 NO.2

 現在十六歳で高校二年生の息子は、
出産時の事故により脳性麻痺、
車椅子の人生を歩むことになりました。

 右も左も解らない新米ママの私と息子は導かれるように
、たくさんの人と出会い育てていただきました

 まずは、こぐま学園で出会った同じ療育グループのママ達。
母子通園だったので本当に毎日良く話をしました。
最初に地域の保育園や小学校に行くことの
第一歩を教えてくれました。
 みな、それぞれの地域で今も
パワフルに活動しています。

 保育園を検討し始めて次に出会ったのが保育所の所長でした。
お会いして最初に
「絶対に入れなさい」
と力強く背中を押してくれた所長の言葉に
本当に感謝しかありませんでした。
たくさんの力添えをいただいて
二年間保育所に通うことができました。
この経験が、絶対地域の小学校で地域の子ども達と学ばせたいと
強く思うきっかけになりました。
地域に根をおろして生きていかなければと・・・。

 そして、その保育所に通ったことがきっかけで、
当時筑紫野市「障害」児・者問題を考える会の会長になったばかりの
大島会長に出会いました。
地域の小学校の情報をいただき、
入学前からスムーズに動き出すことができました。
在学中の悩みや困りごと、学校との話し合い等にも
たくさん相談にのってもらったりと
本当にお世話になりました。

 実際は、もっともっとたくさんの方のお世話になっています。
こうして、いろんな方に力をもらって
息子はのびのびと育っています。
 
 さあ、次は高校卒業後。
まだまだ、育てていただいている途中です。
                         (T・H)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より1

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私たちの団体では広報誌を出していた・・・
今年度は休止し・・・SNSやオフラインの活動を
メインでやっていて・・・
紙媒体はほとんど・・・
チラシくらいしかやってないのだが・・・

その中で記事の内容で・・・反響をいただいていたのは・・・
やはり・・・
リアル・・・
本来の体験談・・・親や教員の日常のつぶやき・・・
身近な体験・・・


「あーーー1人じゃあない」

「みーーーんなそうなんだ」

「あーーー私も私も・・・」

そんなこと
そんな【共感】の集まっていた・・・エッセイ
そんなエッセイを・・・少しづつ・・・
後悔していきたいと思って・・・
先日・・・様々な方のを読み返し・・・
私自身がまた・・・新たな気づきややるぞーーーって
思えるひと時をもらったのだ。

みなさんの中にも・・・そんな思いや気づき・・・
何か感じてもらえることがあったなら・・・
ホントに幸せだと思っています・・・

ぜひ・・・№1・・・から・・・どうぞ・・・


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トゥインクルH29 NO.1

振り返ると今年で28年目になる。

「障害」というものを目の前に
突き付けられたあの日から・・・

取り乱し、うろたえたあの日、
自分を責め続けた日、

“人の目”に引きこもった日・・・

嫌なマイナスのーの中から±0へ、

そして一歩踏み出そうと決めた日・・・

 悲しいこと、嬉しいこと、悩んだこと、楽しかったこと、

たくさんの様々な日々の中で、私が得たいと思ったのは、
母としての“知識”とこの子に関わってもらう“人”だった。

仕事をし、病院や療育
(家族、双方の父母等にも助けられ)にも行き、
家庭教育学級(夜)、人権教育、学習会、学校行事、
親の会、PTAの役員も引き受けたり、出向く時間を惜しまず、
自分の人権感覚や価値観のあり方等の
問い直しや学びの中で・・・

保幼小中高と家族ときょうだいのつながりや絆を
少しずつ紡いできた。

絆やつながりは、ときに煩わしく面倒なことも多い。

子育ても同じだ。
厳しく悲しい結果を突き付けられることもある。

けれど、諦めず立ち止まらず、積み上げてきたこの時間は・・・
 もし今彼女が、誰ひとり身内もおらず
天涯孤独になったとしても、
生きていけると思える。
“人”が周りにたくさんいることだ。

彼女にとって、変わらない豊かな人生が、この先にもある。
という自信が私にはある。

 私たち会の部屋には、
ひとりを見過ごさず、ひとりを大切にすると

立花高校創設者の
“ひとりの子を粗末にするとき教育はその光を失う”
という言葉が掲げられている。

 それを見ながら日々仕事をする中で、
この会に関わる全ての人の人生が豊かで
輝くものであってほしいと願っている。

 今、確かに“助けて”“苦しい”
弱音を一言吐ける場所がなかったら・・・
微力ながら私たちがいます。

 是非、話を聴かせてほしい・・・

そう願っている。  
           (R)