人気ブログランキング https://blog.with2.net/link/?1993112https://blog.with2.net/link/?1993112

福祉・介護ランキング
障がい者ランキング
障がい児育児ランキング
子育て支援ランキング 友だち追加

perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児・者の自由

f:id:variouspeople:20200829200828j:plain


私は「障害」児・者と共に31年間生きてきました。

そして・・・んーーーまあまあ活動しだして27年くらい・・・

ちょっと学びが深くなりだして20年くらい・・・

ちょっと人に話せるようになって・・・

まあ代表になってかなーーー17年くらいになります。

そんな中で私は・・・様々なその方々の【自由】を考える場面がありました。

食べたい物を食べる自由、行きたい所に行く自由、

言いたいことを言う自由、「こう生きていきたい」と願う自由・・・
私たち福祉専門職と言われる仕事には・・・

さまざまな自由を手助けする側面があったりします。

ですが・・・

「何でもできる」という自由には、

やってはみてもーーー

(「障害」児・者は機能上できないこともある)

「実際はできないことばかり」

「やるべきことを誰も教えてくれない」

「自己責任で選ぶことは避けたい」

などのネガティブなこともも含まれたりしています。
自由の陰にひそむ、このような無力感や孤独感を味わうことも

1つの点だといえるでしょう。

 

あるユダヤ系ドイツ人の心理学者が第二次世界大戦時、

ヨーロッパにおいてドイツ国民がナチズムに傾倒していく状況を受け、

中世の封建社会制度においても、なお服従や隷属を求めてしまう

メカニズムがありました・・・

中世社会を特徴づけるものには「個人的自由の欠如」がありました。

貴族に生まれた者は貴族に、職人に生まれた者は職人に、

農民に生まれた者は農民になるしかなかった時代背景・・・

それでも、生来の役割を果たす者には、社会の成員としての安定感や帰属感が

もたらされていました。

やがて資本主義・民主主義の社会が到来し・・・

人びとは伝統的な束縛から解放されていきます。
そこに待っていたのは・・・

自由であるがゆえに・・・個々人の意志や責任感、価値観が試される社会。

何でもできるはずなのに・・・何でもできる訳ではない・・・

そんな無力感や孤独感と向き合わなければならない社会でした。

このような自由の在り方に耐えられない人びとは・・・

(経験のないことにチャレンジするのは大変だから・・・)

権威主義や破壊性、機械的画一性に逃避したそうです。
権威主義とは、組織や権力など強大なものに自己をゆだねること。

破壊性とは、自己や他者を攻撃すること。

機械的画一性とは、社会が求める役割に自己を埋没させること。

近代史をながめれば、これらの事例は無数に存在していますよねーーー

 

f:id:variouspeople:20200825212336j:plain

この方は・・・

「人間が積極的に社会過程に参加する」

(新しいことにチャレンジすることを恐れず・・・やってみること)

ことで、無力感や孤独感を克服できると説いています。


「何でもできる訳ではない」

(「障害」児・者は機能上明らかに難しいことは存在します。)

と自覚しつつ・・・

できることを少しずつ拡げていく努力・・・

私たちは・・・

自由への手助けをする立場上でも・・・

このことは忘れてはならない1つでなのではないでしょうか?

そこを踏まえたうえで・・・

日々・・・日常生活の中で不自由が多い「障害」児・者たちが・・・

少しでも「自由」を感じてもらえるようにやっていきたいなーーーって

思うのです。

 

名前の【呼び捨て】ってどうなの??

f:id:variouspeople:20200828163250j:plain


本会では、様々なイベントをするときに

中高生から専門学校、短大大学・・・そして地域住民

らのボランティアを受け入れています。

(学校で行かなければならない決まりもあったりして・・・)
福祉の仕事に興味を持っている生徒もいれば・・・

たまたま割り当てられただけという生徒もいます。

いずれにせよ・・・

受け入れる側としては、この機会に良い刺激を得てほしい

そして・・・ボランティアってどんなものなのか?を知ってほしいと

願っています。

ボランティアの受け入れに際して・・・

ちょいちょい疑問に思うことがあります。

これは・・・私が学校に勤めているときには改善されてきましたが・・・

自分の子どもが学校に行っているとき・・・特に高校では・・・

よく聞いたように思います。


学校の先生が、生徒を呼び捨てにしているのです。

私自身、中高生のころは先生から呼び捨てにされた経験もあります。

だから・・・それを当然として、疑問視することはあまり・・・

ありませんでした。

しかし現在・・・

私は“呼び捨て”という行為・処遇について敏感になっています。

(というか・・・そもそも呼び捨てって感じ悪いです・・・)
福祉の業界に身を置いていることや、障害者虐待防止法の施行や

それを実際に研修として受けた実践などが・・・

少なからず影響しているのもあるでしょうが・・・

虐待防止についての研修で・・・

「利用者を呼び捨てにしない」

「『ちゃん』や『くん』は避ける」(年齢にふさわしくない、男女の差もつけない)

「できるだけ『さん』で統一」

などと教わった記憶もあります。(小中学校でも確かそうかと・・・)


普段から気安い呼び方、なれなれしい呼び方をしていると、

やがて相手への敬意が損なわれ、不遜な態度となって表れる。

それが虐待への“萌芽”となる・・・このようなメカニズムも学びました。

(関係性にもよるのかもしれませんが・・・)

 

f:id:variouspeople:20200823174542j:plain

これらは、教育の現場にも当てはまりそうに思います

「教師と生徒」の関係性は・・・・

「当事者と支援者」の関係性とは・・・

もしかしたら異なるのかも知れません。
ですが、虐待に至るメカニズムが当てはまるとすれば・・・

やはり何らかの対応が必要となるのではないでしょうか?

ボランティアや現場実習の現場を見回りに訪れた先生が・・・

生徒たちを呼び捨てにするたび・・・

何だか・・・違和感を覚えてしまいます。

それは子どもが高校に言っているときも・・・

子ども自身が小学校、中学校ではそんなことがなく

高校生になってそれがごく自然なことのようになっていることに

違和感を訴えていました。

大人が子どもに与える印象・・・

またそこから何かのひずみが産れるとしたら

何だか嫌だなーーーって思います。大人が子どもに悪影響を与える

そんなことがまかり通らないようにしないと・・・

大人だって子どもだって“対等”に意見を述べ話し合う。

どっちが上で・・・下でもなく支配する側される側って関係でもなく

それぞれを尊重しあって・・・よりよいを追究し続ける仲間として

一緒にやっていけたらなーーーって思います。

 

 

 

地方の経済を支えるかもしれない「障害」者

f:id:variouspeople:20200826210718j:plain

最近・・・地域おこしや村おこしなんてことも聞くし

空き家再生・・シャッター街の再スタート計画・・・

過疎化対策、空き家対策・・・都心からち号への地方再生

さまざまなことが日本国中で行われている・・・

そんなとき・・・「障害」福祉に関わっている身としては・・・

これって・・・全て「障害」児・者も関わるべき事業だなーーーって感じる。

 

なぜかというと・・・

「障害」児・者は大きく就職などで他の子ども達のように

県外などにいく子は少ない・・・なので・・・

 

私達団体も掲げているように地域の中で【共生】していくこと

生まれ育った地域の中でイキイキと生きていく・・・

 

【理念】

本会は地域社会の中で「障害」児・者の命と尊厳が保障され

だれもが幸せに生きることができる共生のまちづくりを行う。

そのために会員一人一人が自ら考動し、筑紫野市はもとより

全ての人とすべてのまちへつながりの輪をひろげていく

【目的】

1、だれもが共に育ちあう

2、だれもが共に学びあう

3、だれもが共に認め合う

 

ってあるように・・・

地元に残る確率の高い彼らは・・・

 

 「「障害」者たちは、地方の経済を支えてくれる」

 

そんな存在になるのではないか?という考えを持っているので・・・

(特に今の就労支援事業所に関わりだして・・・)

なかでも知的な「障害」者たちは、大きな変化への対応が苦手なことが多いです。
その特性は、生活スタイルにもよく表れます。

彼ら彼女らの多くは・・・住み慣れた地域をあまり離れたがりません。
そして、通い慣れた“いつもの店”での買い物・・・

美容室や、整髪、飲食を好んだりもします。

刺激を求めて都会を指向することもなく・・・

田舎暮らしだったとしたらそれを嫌がることもたぶん・・・ありません。
近場に大型店などがオープンしても・・・(行くこともあるけど・・・)

“いつもの店”もちゃーーーんと!!ひいきにします。

もちろん、個々人で差異はあるかと思います。
ですが、大きな傾向として考えられるのは・・・

「地元に住み続け、地元で消費してくれる人たち」

と言えるのではないかと思うのです。

私は、最初に述べた・・・

地方振興について考えるとき・・・

「障害」者の自立や地域生活なども・・・

この要素に加えてみるべきだと思っています。

だから・・・その部分でまちおこしや村おこしがあるとき

その仲間になって・・・やっていく!!

それって重要なんじゃあないかなーーー

 

f:id:variouspeople:20200803135919j:plain

私自身地域社会の中で共生のまちのモデル地域をつくっていきたい

そこには地域振興、活性化・・・これからの継続発展まで含めて・・・

また自分の住みたいまちは自分たちでつくる

ずーーーっとそう思ってきたし・・・

また・・・私たちの住むこの市は・・・

人権都市宣言しているまちとして誇りもある!!

だから・・・「みんな一緒」

老若男女、どんな状態であっても・・・どんな生きざまであっても

この地域でみんなが堂々と胸を張って生きていくまち・・・

それぞれが「生かされている」存在として・・・

イキイキ輝く街にしていきたいと思っています。

 

そう・・・そうなっているそう遠くない未来が・・・

私には見えてきています。

「障害」者をほめるということ・・・

f:id:variouspeople:20200825212336j:plain


私も様々な勉強をしてきて・・・

大人になって【本学】の本来の意味合いを知りました。

【本学末楽】ってありますよねーーー

私はそれを【真逆】で理解していたっていうかーーー(゚д゚)!

大切なこと【本学】って・・・順番そっち・・・だったーーー

あーーーそうなんだ!!って思った次第です(/ω\)

(みなさん知ってますかーーー調べてみてねーーー)

 

まーーー学習は様々あれど・・・

学校行事や懇談会でも先生から

 

『子どもをほめること』

『子どものいいとこ10個言ってください』

 

なんて・・・ワークをしたことあるけど・・・

どの保護者もみんなスイスイ出てこないのーーーー

100%近いくらい(笑)

それだけ・・・日ごろから

いいとこを認めることよりもーーーー

出来ていないことに注視してしまってる・・・

ってことなんですよねーーー(;・∀・)

 

で・・・最近は・・・・(もうだいぶんなるけど・・・)

 

ほめることの効能について・・・よく人に語るようになりました。

 

f:id:variouspeople:20200820134343j:plain

福祉の支援現場においてはーーー割と日々使うことであり

不可欠な技法でもありますよねーーー

んーーー技法というよりもーーー

人として当たり前の“心構え”とも言えそうですねーーー

 

「ほめる時は、できるだけ具体的に・・・」

(相手がそんなところまで見てくれているんだーーーってくらい・・・)
どうすれば具体的にほめたことになるのか?

どうして具体的にほめなければならないのか?

その理由はわかりますか?

 

例えば、任された作業を、利用者さんが完了した場合。

「頑張りましたね」ではなく・・・

「◯◯個みんなで最後まできましたね」などとほめます。

みんなで・・・がポイント!!

 

また・・・例えば、

利用者さんの作業に、質的な向上が見られる場合。
「上手ですよ」ではなく・・・

「◯◯さん(本人が一目置いている人)と

 同じくらい良くできてますよーーー」などとほめます。

数値やモデルなどを挙げ・・・具体的にそして、

そこに肯定的な評価を加えるのです。

知的しょうがい、特に自閉症スペクトラムの人たちには・・・

“想像性のしょうがい”があるといわれます。

そのため、しばしば言葉の外側のニュアンスが感じ取れず・・・

見過ごされてしまう。

 

「表現されていないことへの期待」

「真の意図」

 

そんなことなどを理解してもらうことが難しいのです。

具体的に言葉や視覚に訴えることでほめなければ・・・

こちらの真意が伝わらなかったり、誤解されることにもなりかねません。

そしてこれも同時に大切。

「肯定的にほめる」

ことです。
ほめているのに否定的・・・・

つまりは、皮肉めいたことや逆説のような巧みな表現は禁物!!

ということです。

それこそ、ご本人に誤解を招いてしまって関係性は悪くなります。

具体的に、そして肯定的に・・・

言葉で書けば簡単ですが・・・常に『意識』しておかないと・・・

なかなか・・・できないものですよ・・・

常に相手の良いとこ探しをしたり・・・職員や大人の中でも

『褒め褒めワーク』をしたりと・・・

人の“強み”を常に意識する癖をつけていきましょう・・・

(自分自身に言っていることでもあります(笑))

ホントにつくづく思うのですが・・・

ホーーーんと

“ほめる”とは・・・奥深い技法です。

18歳以降「障害」者の行く先

f:id:variouspeople:20200825162643j:plain


最近は18歳以降の「障害」者の居場所となる

福祉作業所の方々からよく聞くこと・・・

「生活体験にこんなに差があるんだーーー」

(やれない生活環境ではないのに・・・)

「こんなに実生活でやることができてきてないんだーーー」

(言えばできるからできないんじゃあない。。。)

「まるでフリースクールのようですよ・・・」

(多種多様で1から教えることが多い・・・)
「障害」のある人たちに

“工賃を稼ぐための職場”を提供するのがB型作業所・・・

私の顧問をしている施設もそうです・・・
そこに最近は・・・

不登校や引きこもりなどで在宅を続けてきた人たちの利用が結構増えていたりします。

その中には・・・

様々な【生きにくさの課題】を抱えていることが多かったりもします。

「フリースクールのようだ・・・」は、その流れから出た言葉でした。

実際・・・先ほど【生きにくさの課題】と書きましたが・・・

不登校や引きこもりの事例の中には・・・

ご本人の知的しょうがいや精神しょうがいが絡んでいることも多くあります。
そのような場合に・・・現状を打破する方法のひとつとして・・・

B型作業所の利用が選ばれる場合もあるのでしょう。

実際、私も何件もそのような方々のご相談をお受けしてきました。

ですが・・・

社会との葛藤を抱えて在宅を選択してきた人にとって・・・

自室や自宅の“外”へ出るために必要とされるステップは・・・

まずは安心できる“居場所”であるのでは・・・私はそう思います。
まずは・・・居場所に定着し・・・

その次に必要とされるステップが自分の活動となる職場・・・

B型事業所などの就労支援施設ではないかと思うのです。

居場所となる障害者事業所は、もしかしたら・・・

「地域活動支援センター」が相当するのかもしれませんねーーー
「障害」者たちの、日中活動や社会活動を支援する施設・・・

創作や生産、地域交流などさまざまな活動が行なわれています。

ここは障害程度区分の認定が要らないなど・・・

利用することへの“敷居”が低いところも特徴ではないでしょうか?

地域活動支援センターの数は・・・地域によって多かったり少なかったり。

実施主体が市町村なので、自治体の経済状態や施政方針などにより、

必要性の認識にバラつきが見られることが特徴です。

よって・・・民間の私たちのような団体が必要になって・・・

地域の中で1つの社会資源になるべく活動し続けています。

(今年で42年間継続しています。)

f:id:variouspeople:20200821203055j:plain

行き場のなかった人声を上げることができなかった人たちが・・・

求めるものを提供する・・・そうなると・・・
本来の“機能”と異なるものを求められてしまう、

そんなB型支援事業所の実態がうかがえたりします。

B型支援事業所では今・・・

労働に励む利用者さんもいれば・・・

居場所を求める利用者さんもいて・・・

というような混在している現状があるようです。

よって・・・やはりステップとしてのそれぞれの役割が必要だなーーー

って思います。

多様な社会に求められるもの・・・時代の変化・・・

見極めながら・・・やること・・・辞めること

日々選択の連続だなーーーって思ってます。

「障害」児との接し方~外国と日本の違い~

f:id:variouspeople:20200823213424j:plain


子どもが小中学校のとき国際交流?ĄLTの先生がいて・・・

海外の人の関わり方って、何も知識がなくても

「障害」児と普通に過ごしてくれていて・・・

素敵だなーーーって思ってました。

「障害」児との関りあいで・・・最初・・・

「どう接すればいいのか分からない人」が沢山いると思うんですよ

でもねーーー実際にどう接すればいいのか分からないのは・・・

「障害」児の方です。

だから支援して下さる方には、まずは・・・

子ども達の不安を取り除いてあげてほしいなーーーと思っていて、

上手くつきあう方法をお伝えしていこうかなーーーと思います。

 

「障害」児&その親と上手に付き合う方法
  • この子がどんなことに困っているのかを知ろうとする
  • この子はどんなことに安心し喜びを感じるのかを知ろうとする
  • この子をみんなと同じスタートラインに立たせてあげる
「障害」児と関わるって少し困ってしまう人も多いのかなーーーと思います。

でも、本当に困っているのはあなたではなく・・・「障害」児本人の方が

何十倍も困っていることを忘れないでください。

困り感が強いこの子ども達を、みんなと一緒に過ごしやすくするのは

どうすればいいのだろう?
私達には何ができるのだろうか?を

知っていく必要があります。

じゃあいったい支援者が知っておくことって何?

って話しなんですが・・・

最初はシンプルにこの2つでいいと思います。

 

・この子はどんな事に安心し喜びを感じるのか
・反対に、この子は何に対して不安を強く感じているのか?
(一体どんな理由があるのか?)
 

これって・・・人間関係の基本ですよね。

少し仲良くなりたいなと思ったら

「何が好きで、何が苦手かを知りたい」それだけでいいと思います。


どんなに頑張っても・・・どんなに周囲がサポートをしても・・・
出来ないことがある「障害」児達・・・

でも、こちらのサポートがいつか「障害」児達の糧となり・・・

「僕も(私も)やってみたいなーーー」って思ってくれたり…。

一緒に参加は出来ないけれど・・・

近くにいて臨場感だけでも味わうことができたのなら・・・

それは周囲のサポートをしてくれた人たちの力であり、お陰様でもあると思います。
本当、凄いことですよーーー

 

f:id:variouspeople:20200728194645j:plain

「障害」児と関わっていると「平等」とか「ひいき」の境界線が

分からなくなることがあるんです。
それは、実際に「障害」児の子ども達を育てている人や・・・

支援される方々の中にもあるようです。

でも、「障害」児はみんなと同じ説明やサポートでは足りない・・・

だから、彼らにとってはサポートせずにいることやないことが不公平。
それを「ひいき」と呼ぶのはおかしなことです。

 

あるとき、娘が外国人の人たちの所へ近寄って行きました。

女性の腕にはきれいなタトゥーがありそれを触り

つたない会話で

「これ何書いてる?綺麗ね~」

と、さわらせてもらっていた事がありときどき挨拶を交わすようになります。

日本語も流暢で・・・ご自宅に誘われましたが・・・

行きたいけれど、不安もありました・・・
新しい場所に入ることが苦手、できないことが多いので躊躇してると

「私たちがその子にに合せればいいだけじゃない?!」

とうちの中ではなく開放的な庭先でのお茶会を提案してくれたのです。

「苦しくなったら好きなときに言わずに帰ってもいいからねーーー」

とも言ってくれて感激!!

「障害」児に合せるという、その当たり前でしょ!!的な感覚に感動しました。

日本人なら・・・いや私でも・・・もしかしたら

「参加できるならおいでーーー」だったかもしれない。

こんなに当たり前の存在にしてくれたことは・・・

私の人生でも大きな考え方の転機となりました。

 

ある人もこう言ってました。

アメリカ人の夫がいるお友達の家で

自閉症の子どもがそちらのお宅でパニックになってしまった。

その様子をみて・・・

ご主人が

「〇△????(彼女、なんか問題があるの?)」

と言ってるのがわかった。

子どものパニックを初めて見た人は・・・

動揺したり気まずい雰囲気になる人がほとんどです。

だからどうしよう・・・と思っていたら・・・

夫婦揃って

「なんかできることある?」「何でも言って」

と声をかけてくれたそうです。

もちろん、日本人でも寄り添ってくれる人は沢山います。

でも、その寄り添いが概ね

「パニックを早く終息させることに」

向いていることが多く・・・

このご夫婦とは明らかに違います。そういう考え方、本当に凄いと思います。

って言ってました。

 

海外に行ったときの知り合いの話では・・・

「障害」児の子どもがどんなに遅くてもできなくても・・・

こちらが待たせてしまって謝ると・・・

「何を謝る必要があるの?この子に失礼!!」

って・・・返って叱られちゃった!!って聞いたこともあります。

 

そんな空気・・・嬉しいですよよねーーー。

 

さらにリマインド・・・
「障害」児&その親と上手に付き合う方法
  • この子がどんな事に困っているのかを知ろうとする
  • この子はどんな事に安心し喜びを感じるのかを知ろうとする
  • この子を同じスタートラインに立たせてあげる

自分とは違う生き方の人を理解するって難しいですよねーーー

英語で「理解する」事を「understand」と言いますが・・・

日本語のように言葉の意味を考えると

Under (下) Stand(立つ)

人を理解するには上からみて情報だけを得るのではなくて・・・・

知りたいその人と同じ目線よりさらに

下に立って考える必要があるってことなのかなーーー

なんて・・・そんな意味なのかなーーーって

もしそうだとしたら英語も素敵だなーーーーって思ってまーーーす。

「障害」子ども・高齢者・・・福祉

f:id:variouspeople:20200823192318j:plain


育児をした事がある人なら分かるはず・・・

新生児や幼児の育児は本当に大変・・・

親自身の心身が不安定になるほどの寝不足・・・

奪われる時間

そして、「障害」児の育児はまた・・・

想像をはるかに超える程大変だとおもってください。

実際に、「障害」や介護などの「世話と虐待」は

非常に密接な関係にあると耳にしたことも度々あります。

先日、虐待のニュースをみてショックなこともあり・・・

でもその母親の苦労も痛い程分かる(不謹慎なようだけど)・・・
でも、どんなに溢れんばかりの愛を持っていても・・・

「障害」児育児とは1人で見ていたら虐待にもつながりやすいものだなーーー

と思っています。

虐待のニュースが報道されると・・・

「最悪な親だな」と思う人が多いはずですよね。

そんな世論が多い様に思いますし・・・そうなんです。

でも私は、いつも思ってしまうんですよねーーー
「もう1人の親は何をしていたのだろう」

「大変な子だったのかなーーー」

「助けてくれる人はいなかったのかなーーー?」って・・・

そう・・・
その大変さや他人とは少し違う育児が原因で・・・
周囲からも孤立していくこともあります。

実際に、私も一時期他のママ達とは育児の話がかみ合わず・・・

何となく外に出れない時期もありました。
わかってはいても・・・心が・・・孤立していくからです。

でも、パニック過多で他害行為が多いような子どもだって・・・

本当は親を困らせようとしているわけではありません。

そんなのは、その親自身が一番よくわかってる。

 

 

f:id:variouspeople:20200804181359j:plain

うちの場合もいろいろありましたが・・・

周りの「自閉症」の子ども達の保護者は・・・

親のいない場では他害行為が多く、謝罪と弁償の日々。
家の中でも、良かれと思ってやった事に、パニックになられて噛みつかれる。

そんな事を何年も繰り返されるうちに・・・

育児に向き合う気力をだんだんと失ってくる・・・

そんな落胆し疲れた保護者を見て・・・

その子なりにその子のスタイルで反省していたり・・・

ときにシクシク泣く姿を見ることも多くなる・・・

本当はパニックになりたくなかったのだろうなーーー

というのがだんだん分かるようにもなってくる・・・

本当は、きちんと向き合って子どもの良いところに目を向けてれば

自己肯定感はもっと伸びるはず・・・

きちんと向き合う事で、今後の本人の人生も変わるかもしれない。
いや、変わる!!そんなのとおの昔にわかってる。

でも、向き合えない日だってあるんですよーーー
自分自身1人の人間で・・・いつも正しくはいられない。

「我が子と正しく向き合うべき」というような、理論も正論も分かってるんです。

そうある為には親にだって心の余裕が必要です。

子どもは生まれた時から子ども。
だんだんと大人になっていくのですが・・・

親というのは突然親になれるわけじゃーーーありません。

だから大変。

だから、親に寄り添ってくれる人が最低でも数人は必要だと思うんですよねーーー

でも今の日本じゃ、あきらかに助けの手が少ない。
助けの手が少ないことに加えて、理解も少ない?ない?

親というのは、理論と正論だけでは生きられない・・・

子育ての親への責任負担は非常に大きい。

最近は、ひとつの家族の規模が小さいじゃあないですかーーー
だから、家事も育児も、労働力も全てに手が回りきってない状態なんですよねーーー

だから、

「育児は親の責任」と、すべて親に負担をもっていくんじゃなくて・・・

地域や社会で、子育てにもう少しだけ理解や助け合い、

そして補い合いができるといいのにな~って思っています。

子育てだけに注目していたら

「介護や他の問題はどうなるんだーーーー」

と言われそうですが、介護だって税金で成り立っている事業です。

その税金を納めるのは、働ける世代。
その働ける世代の人には「母親たち」も含まれているんですよーーー
だから、介護も育児も含めて税金と福祉と支援の手が足りてない・・・

この問題をどうすればいいのか?国に任せっきりじゃーーー

遅すぎるし・・・ダメだと思うんですよねーーー

少子高齢化で、働ける世代の労働人口もへってきているわけだから、

公的な福祉だけでは手が足りないのはわかりきってる・・・
だからこそ、私的なセーフティネットが大事になってくると私は思います。

私的セーフティネットのことを言えば…
身近な人同士が助けあったり、困っている人を理解するということが

もう少し盛んになるといいな~と、常に思っています。

国も国で・・・公的セーフティネットを強化して欲しい!
少子化対策に力を入れているはずですが・・・

出産の推奨だけではなく、生まれた子どもの命とその家族の生活にも、

もっと力を入れて欲しいなーーーと思っています。

子どもが「障害」児だったりすれば尚更です。

子どもを育てようと思えば、収入を得ることと世話をすること、

その周りの人たちが平静な心でいれるための環境が必要になってきます。

「障害」や介護が必要となり、生活が一変してしまう家庭も沢山あります。
そして、世話をする人に負担がかかり過ぎていた場合に、

その家庭に起きてしまった悲しい問題を

「酷い」という一言で片づけてはいけないなーーーと感じています。

日本人は我慢が美徳と考えがちな人種ですが・・・
その我慢が自分自身や他人を追い詰めてはいないのか?などを
今一度考えて行くべきだな~と思っています。

「障害」児の親になって思ったこと

f:id:variouspeople:20200823174542j:plain


親になってから改めて思った方もいるとは思いますが

時間は戻ってこないから・・・ってことです。

「若い時に、あれをしておけばよかったーーー」

といくら後悔しても思っても・・・時間は返ってきません。

だから、時間を無駄にしてほしくないと思っているんですよ。

そして、子どもにとって意味のないことの為にお金を投資できるほど

今の親たちは裕福じゃないと思います。

ある方が・・・インクルーシブ教育のできている幼稚園に「障害」児を入れ、

現在は学校に通わせている保護者が

「この制度はいらないんじゃないかな~」

なんてつぶやいていました。

小さなこれからの子ども達が、就学をする頃には・・・

少し変わっていったらいいなーーーと思います。

こんな学校制度の意味が分からない、

この教科書本当にいるの?

の時間とお金の消費にはどんなメリットとデメリットがあるの??

「障害」児を育てながら、私もそんな事をいっぱい感じてきました。

もちろん・・・助かってることも沢山あります。
替えた方がいいのでは・・・って思うこと

毎日、教科書を沢山いれて重くなったランドセルを背負って・・・集団登校を

しています。(うちはしてました)

支援学校では、個別に必要な授業をプリントで・・・その都度行って

いく授業スタイルだそうで・・・

私の子どもも小さかったので、教科書を置かせてもらうか何か対策はないのか?

話したことがありましたが・・・なんともならず・・・

今もそれは続いているようで・・・

合理的配慮にはならないのかな?もしくは、デジタルコンテンツ(iPadとかね)

そうすれば、時間割の確認も、教科書をランドセルに詰める作業も、そして教科書を入れて重くなったランドセルを雨の日も猛暑の日も

学校まで自分で持って移動する、この体力と時間を本人は削れるんですよーーー

重い教科書の移動作業が、大変としか思えないし、

iPad一冊で完結する、この作業を何のために???と思えてなりません。

紙代も無駄だし、持ち運びの労力も無駄じゃあないかなーーー(ほかに使えそう)

みんなで同じ授業を受ける事を大事にする特別支援学級(地域の学校)に通うがゆえの事なのでしょうか?

でも重すぎなうえに、荷物が入らなすぎだし、負担が大きい・・・

「障害」児の中には、肌が敏感な子や固い革の感じが嫌な子どももいるはず・・・
科書や荷物がが上手く入れられないなどの理由で朝からパニックや気分が

崩れたりする子どももいるはず・・・

使いやすくて、いっぱい入って、楽ちんで安くて、自分の個性でカバンくらい選べるスタイルが主流になってほしいとも思います。

みんなでランドセル所有って・・・
「右倣え、右。左向け、左」
という、「障害」児が存在しにくくなってしまうような・・・
昔ながらの風習の名残りなのでは・・・とも思うし

オンラインの方が授業を受けれるのなら在宅も認めて(行きたくても行けない場合)

そうすれば、不登校って考え方も減るだろうし・・・

学校についただけで疲れてしまうような子どもだって減るはず・・・

 

また、特別支援学校は授業の開始(つまりは学校の始まり)が遅いらしいんです。
だから、その時間に併せて親も時間を調整する必要が出てくる・・・

だから、働けない親が沢山出てくる。
学校に職員はいるのだから、早い時間からの受け入れだけでもすればいいのに。

とも聞きます。

働きたい母親も沢山いて・・・

国だって納税者を増やしたいはずなのに、

こんなちょっとした学校のルール一つで

社会的に弱者になってしまう人が増えるなんて・・・😢

中には・・・ノーメディアデーってのがあるらしく・・・
一週間程度、メディアを見てはいけないと決められた日があるとこもある?

「障害」児って

「何をしていいのか分からない時間を克服すること」

「穏やかに過ごせる時間を長く作ること」

が大事・・・自分時間を自分でコントロールできるようにすることも重要

それなのに、メディアの好きな子からメディアを奪うって・・・

家でリラックスするな?!って事なのでしょうか。

家で好きにメディアを触っていく事で学校では教えてもらえないテクノロジーに触れ、それがこれからの未来の社会に繋がっていくと思うんですがねーーー

特別支援学校に通っていても、特別支援学級でも、

福祉にお世話になっていると「個別支援計画」を作って貰えます。

個別支援計画っていうのは、「障害」児者本人・その家族の生活に対する意向や総合的な支援方法を盛り込んだ計画のことです。
生活全般の質を向上させるための課題、提供するサービスの目標と達成時期、
サー ビスを提供する上での留意事項などを盛り込む。 
必要に応じて、他の福祉サービス等との連携を含める。

でもこれゴールがぼんやりと制定されている事が多いんです。

「就労支援につくか、在宅か、施設か?」

例えばですが、ここ10年で働き方がガラッと変わったと思うんです。

安定した仕事と言われた職が安定でなくなったり・・・

それ遊びでしょーーーってことが仕事になったり・・・
それに、大学に行っても自分の人生の方向性なんて分からない人がいっぱいいるし、

社会に出てから初めて

「あれ?ちょっとこれ目指してた方向と違う」

って気づく人もいっぱいいるはずです。

なのに、「障害」児たちは、この限定的な未来に向かって

(本人の意向関係なく)計画を作られていることもあるわけです。

こんな話も聞きました。

インクルーシブ導入している幼稚園に入れたはずなのに・・・

「運動会のピストルの音が怖いようなので・・・参加させません」

「えーーーピストルやめてーーーなんかないのーーーインクルーシブ導入でしょ?」

ってことも・・・

インクルーシブには、賛成・・・だけどね

「みんな同じクラスに入れて、加配の先生付けて完了~」

とだけはしないで欲しいです・・・

「混ざれるなら混ざってもいいよ~」って子どもじゃなくて・・・

「ここに居て当たり前の、ひとりの子ども」なんですから・・・

インクルーシブ…名前だけの導入は辞めて欲しい~😢
インクルーシブの意味を今一度確認してくれーーー😢
 

f:id:variouspeople:20200806201841j:plain

困ってる子どもと保護者達って沢山いると思う。

だってねーーー

時代はどんどん進化しているのに・・・

行政自治体や制度がテクノロジーを上手く活用せずに、

そのことで不便になって困っている人がいるのならーーー

それは本末転倒なのではないかと思います。


「障害」児の子育てしている人は、この不要な制度を簡略化させて・・・
その分、親も子どもももっと楽にいきていきたいな~って思っているでしょう。

難しい問題なのかな???
すぐに変わっていくとは思えませんがーーー

みんなが少しずつ

「これはおかしいな」とか「これ生き辛いな」

って思うことを口にして考動していけばかわるのかなーーー

「制度がこうなっているから」とか「こういうルールだから」

とかではなく・・・

「自分はこういう風に生きたい」「こうあることがみんなにとっていい」

って強く思い考動することが、それぞれの幸せに繋がると思うんです。

あなたは、どうお考えですかーーーー?

リーダー?マネージャー?

f:id:variouspeople:20200821203055j:plain


未開の山道を行く探検隊。密生する樹木やツタを切り開きながら・・・

目指す目的地へ向けて黙々と進んでいきます。
探検隊のリーダーは、・・・もちろん!!

密林の果てにある目的地を指し示し、隊員たちを叱咤激励しながら進みます。

そしてそこのマネジャーは・・・

その人員配置や必要な道具整備などに気を配りながら、探検隊がいかに効率的に前進し続けていけるか?を助ける役目をします。

私は・・・もともと自分は縁の下の力持ちや2番手が好きで・・・

自分が理事長や代表という立場で動くなんて思ってもなかったし・・・

高校のときクラス委員みたいなことをしたことがあるけど・・・

とっても自分自身「不適任」と思ったので・・・

こんなに長く代表に就くなんて思ってもみませんでしたが・・・

だけど・・・なるからには・・・ってことで

私は

「リーダーって何だろう?」「リーダーの役割って?」

という素朴な疑問を抱きました。

そして本屋さんでドラッカー関連のビジネス書や、経営本、企業本など・・・

探しては読んでいました。

「リーダーとマネジャーはどう違うのか?」

「よいマネジャーを目指してはいけないのか?」

などと首を傾げながら・・・読んでいました。

最初に書いた探検隊の話しは・・・

私があれこれ調べた中で・・・何だか・・・分かりやすいかなーーって思った例題。
リーダーシップとは・・・

「正しい目標を指し示す目標に向かうこと」

マネジメントとは

「目標へ向けて効率良く進むことを実行すること」

事業を進める上では・・・

どちらも大切かつ不可欠な要素ではありますが・・・

両者は別モノだと認識しました。

リーダーシップもマネジメントも、“機能”として見るならば・・・

個人が任せもつこともできそうですが・・・

そんな有能な理事長、代表も・・・

すでには・・・少なからずいらっしゃるのかも知れません。
でも私のような身には、併せ持つどころか・・・

どちらか一方でさえ荷が重そう!!と思っていました。

f:id:variouspeople:20200818160353j:plain

でも・・・17年間私がやってきたことは・・・

実際できもしないのに「両方」でした。

が・・・今後は・・・いったん様々なことを整理しながら・・・

私はリーダーになろうと決めました。

少なくとも、そう振る舞おうと思いました。
組織の“長”に就いた以上・・・

将来の指針を決める役目は、他には任せるべきではないと思ったからです。

(やっていくことはみんなでやりますが・・・)

リーダーとマネジャーの違いなどを調べることで・・・

とにもかくにも最低限、自分が何をなすべきかが分かりました。

荷が重かろうとも、リーダーシップを発揮するしかありません。

ウチの会、会員さんや事務局員は、どこへ向かっていくのか?

その先には何が待っているのか・・・?

経験を積み(積んでいるはずなんですが・・・(笑))

もっと見聞を広げながら・・・積極的に出会いを求め行動し、

考え続けるしかないと思っています。

理想の目的地はずーーーっと一緒!!

その景色を想い描きながら・・・

今後も目的地を目指していきます!!(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

 

「障害」児・者とお金の関係

f:id:variouspeople:20200820134343j:plain


日本人の奥ゆかしさなのか?

んーーー学習としてやってきてないからか?

何だか【お金】の話をする【稼ぐ】話をする。って・・・

何だかタブーのような・・・

特に福祉の現場でやボランティアの現場では

その空気感が強い・・・

とは言え、福祉事業のみならず・・・

この社会で何らかの事業を動かしていくためには、お金というものは

不可欠なのは確かです。
私自身は障害者施設で顧問として働いて少し収入を得ていますし・・・

たまにはその事業所のランチづくりのおばちゃんとして働いてもいて

収入を得ています。

 

福祉施設、「障害」者施設では・・・

飲食店経営や手芸品販売、農業製品、店舗経営など

それぞれの事業所で試行錯誤しながらも現金収入を得ています。

(なかなか【稼ぐ】がバンバンうまくいってるとは・・・

言えないことが多いですが・・・)

 

そう・・・

うちの娘を含め「障害」特に知的の方々は・・・

あまり「金銭欲」がない方が多いので・・・

【稼ぐ】ってこと【お金】ってことに執着がないんですねーー

 

でも・・・


事業所で栄作や製造・販売の支援に携わると・・・

金銭の授受によって、ある種の“交流”が生まれているのではないか?

と思うようにもなりました。

そこに「障害」児・者たちの喜び、生きがいも見てきました。

そこには「金銭を得る」喜びではなく・・・

自分たちで力を合わせてきたものが人の手に届く・・・

そして対価と共に『ありがとう』がついてきて・・・

事業所の支援者たちも

「よかったねーーー」「嬉しいねーーー」

と喜んでくれる・・・称賛を受ける・・・

みんなの温かい空気の中にいる・・・

その【お金】にはパワーや、エネルギーがあり・・・

活かされてるなーーーって感じます。

 

f:id:variouspeople:20200810162724j:plain

そして、福祉施設の製品などを買う人は・・・

お金を払うことで・・・

「製品の価値を認めます」「あなたのつくったものを認めてます」

との意思を表明していることになると思うのです。

実際にはご本人がそんな風に思っていなかったとしても・・・

購入する・・・

という行為自体に・・・

すでにもうその意思が含まれていると思うのです。
普通・・・いっさい価値を認めないものに・・・

お金を払う人などはいませんからねーーー。

製品の価値を認めるということは・・・

「製品作りに関わった利用者さんたちの働きを認める」

ことでもあります。
ですから・・・

福祉施設や福祉、「障害」に知識や関心のない人であっても・・・

製品にお金を払えば、利用者さんたちに

「あなたを認めています」「その価値を評価してます」

との意思表明を間接的には行なっていると思うのです。

そんな時・・・

 

「見ず知らずの他人に財布を開かせるって、凄いことだなぁーーー」

 

と・・・私は思います。(知り合いも買ってくれますけどね)

そして・・・お金の価値を高めていると思うこの子達の働きに

日常の毎日に・・・

感謝と感動がいつも・・・溢れてきます。


そして思うんです。

私達周りが・・・

 

「もっと財布を開いてもらえるように頑張らねばーーー」

 

って・・・