人気ブログランキング https://blog.with2.net/link/?1993112https://blog.with2.net/link/?1993112

福祉・介護ランキング
障がい者ランキング
障がい児育児ランキング
子育て支援ランキング 友だち追加

perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

お金で買えないものってないの??

f:id:variouspeople:20200819183020j:plain


一昔前・・・世の中には、お金で買えないものがあります。

なんて胸をはっていってる・・・

そう言えるものが世の中にはたくさんあった気がします。
私を含め・・・多くの人達は、そう教えられており・・・

また・・・そう信じてきました。

でも今はどうなのでしょうか?

自分でやってきたことできることが・・・

今の世の中の状況に合わせて大きく変化してきたように思います。

近年、さまざまなものが・・・Σ(゚Д゚)

何と・・・お金で買えるようになってきています。
例えば・・・

行列に並ばないで済む権利などの様々な権利、

様々な代行業、他人の臓器や生命保険、子どもを産むための母胎、

などなど…。

何かを売りたい人がいて・・・それを買いたい人がいる。

値段さえ折り合えば・・・それで売買は成立する。

両者のどちらかが損したーーーなんてこともない・・・

お互いがウインウイン!!そんなやり取り・・・

誰にも迷惑は掛からないし・・・かけてもいない・・・

とやかく言われる筋合いでもないしねーーー

って感じになってきてますよねーー

上記のような、商品取引は当然じゃないのとされる考え方に・・・

「それだけで良いのか?」

と疑問を投げかけている人たちもいます。

(私もちょっと合理的だけに走るとどうかと・・・思うことも・・・)

よく著書などでこのようなことが

「不平等」と「腐敗」の観点から、市場主義の道徳的限界を

指摘していることもありますねーーー(ちょっと難しい言葉・・・)
 

すべてが売買できる社会では、裕福な人びとは恵まれ、

貧しい人びとは絶対的に不利になります。

これが「不平等」ですってことで・・・
金銭の介在によって・・・

それぞれの対象が有していた美徳や意義がおとしめられ、

損なわれることがあります。

これが「腐敗」です。

不平等には是正の余地もありそうですが・・・

腐敗には取り返しがつかなくなる危険性がうかがえます。

これを懸念する著者や著名人などは、

「社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は

 何かを決めなければならない」

として・・・

私たちに共通する“善”についての熟議を提唱しています。

(“善”の定義も人それぞれだからなーーー)

 

f:id:variouspeople:20200809172101j:plain

このところ、福祉分野への市場原理の導入が進んできているなーーー

とも思います。


介護保険制度障害者自立支援法などを見ると・・・

憲法にも示されているとおり

 

すべての国民に保障されているはずの

「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条1項)

があるのですが・・・このような現状を見ていると

すでに値段が付けられているような気がします。

また・・・よく市場原理の中でSNSで・・・

「儲かる福祉サービス」「今旬の取り組む福祉サービス」などなど・・・

様々なものを見かけることがあります。

これは全てではないし・・・ここに取り組んだとて・・・

これさえやればうまくいく!!なんて言葉で踊らされるほど・・・

簡単なことでもありません・・・

「不平等」「腐敗」・・・

世の中が便利でよくなっていく一方の裏には・・・

このような部分もあるのだということを

注視していかなくてはいけませんねーーー

「障害」児・者の経済的虐待って??

f:id:variouspeople:20200818160415j:plain
「障害」児は・・・まだ子どもなので

保護者の養育がかかわってくるが

「障害」者になったとき・・・

これは・・・「虐待」に入るのでは?

なんて事例に出会うことがある。

本人の知的の範囲を考えても・・・本人の金銭管理の部分で

んーーーって思うことは結構多い・・・

 

確かに・・・使い方を間違えることもある・・・

限度知らずで困ることもある・・・

でもーーーそれはそれ・・・そこも「学び」だし・・・

これまでのその方の生活の経験値にもよることが大きい。

 

ときどき・・・

虐待防止と権利擁護のための・・・

管理者向けの研修などもあったりする。

その中で聴かされた、事例検討のワークがあった。


買い物での事例について・・・数人ずつのグループワークをした。

グループごとの意見発表では、

「虐待に当たる」との判断が半数以上だったのが・・・

買い物に行って男性が自分のお金で自分の服を購入するとき・・・

彼がどんな服を買っても構わないはず・・・

似合う似合わないの見解は言ったとしても

当人の好きな服を買わせない行為や、支援者が選んだ服を買わせる行為は、

虐待(経済的虐待など)に当たるのではないか?

そう判断が下りました。

 

私は、発表する機会はありませんでしたが・・・

私の見解はそれが正しいとも・・・

間違ってるとも言えないものでした。

 

例えば・・・この男性のクローゼットの中身が・・・

アニメーションのキャラクターの物ばかりだったとしたら?

冠婚葬祭などに招かれた際・・・

男性が周りの人々から冷笑されたり

非難されようなことを想像できたとしたら

支援者側はこれは「男性の自己責任」と言い切れるのでしょうか?

私の判断は

「虐待ではないが、支援の方法が不適切だったかもしれない」

と思います。
私だったら・・・

今の年齢にふさわしい服の必要性を説明し、あらかじめ理解しておいてもらう。

その上で、好きな服を買う場合もあるし、

年齢にふさわしい服を買う場合があることも理解してもらい約束し、

買いに行く際は事前告知する。

あるいは、好きな服を買う際、年齢にふさわしい服も一緒に買うことにする・・・

このような改善策を考えてみました。

 

f:id:variouspeople:20200814231044j:plain

講師によると

「考えを深めてもらうことが目的ですから、正答はありません」

「虐待防止の研修で行なうと、しばしば厳しい判断に傾くようです」

とのことだった。

 

確かにその場、その人、その環境など・・・

様々な場合が想定され100人いたら答えは100通りあるでしょう・・・

私の考えも間違っているのかも知れません。

もっと他に、適切な方法があるのかも知れません。

はたまた・・・概ね正しいのかもしれません・・・

 

ある起業家の方が言っていました。

「同じものを見ていても全然見え方は違う」

「人と自分は絶望的に違う」

それを深く刻み込んでおくことがとても重要だと・・・

いつも考えなくてはいけないのは

自分の当たり前を押し付けてはないかということ・・・

「本人に考えさせる・・・出た答えはきっと納得できる」

とも・・・

そう思うと・・・なるほどーーーって様々見えてきたものがあった。

 

だから・・・大きく揺さぶられなくなった・・・

 

そう・・・より良い支援を目指して考え続けること・・・

「問い」を立て続けること・・・

これが最も正答に近いような気がしています。

(その正答さえも・・・ホントに?って常に疑い続けながら・・・(笑))

 

福祉ボランティアの学生さんから見えてきたこと

f:id:variouspeople:20200817213543j:plain


福祉を目指している学生さん達は

「社会福祉士になったら、高齢者とか障害者とかーーー

全ての福祉のいろんな分野に通じていなければならないのでしょうか?」

と質問をされることがあります。

ウチの子どもも、高校で実習がありましたが・・・子ども、「障害」高齢者

様々周り。。。それぞれの良さがあったけど・・・

私は「障害」のそれも子どもがいい・・・って言ってました。

ただ・・・高齢者施設いったときは・・・

「お母さんが入るときには〇〇ガいいよーーー」

なんて・・・言ってましたねーーー(笑)

ボランティアで手伝ってくれる大学や専門学校などから・・・

福祉専門職を目指して就活もってときに
様々なボランティアの実習を振り返ってもらう機会を設けていますが、

そこで飛び出した質問がありました。

素朴な問いではありましたが・・・

福祉についての勉強をし始めたころの私は・・・

やることがはっきりしていたのでなんの迷いもなかった

(50代で福祉大3年生に編入しました。でも勉強はすべてしました(笑))

福祉の分野は、高齢者や障害者、児童、人権擁護など・・・

専門職としての活動領域は、とても広いです。

福祉施設や病院、行政機関、学校、刑務所などなど・・・

社会福祉士の研修科目には、事業体を対象にした

「福祉経営」なども入っています。
業務独占資格ではありませんし・・・

職業基盤も堅固とは言えないものの・・・

社会福祉士には広範囲にわたる専門性が求められるのが現状です。

社会福祉士はあらゆる方面に精通しているに越したことはありませんが・・・

現実的にはそれは難しい。向き不向きもあるでしょうし・・・

それでも、自分以上に詳しい人材へ、協力を求めることはできるので・・・

全てにオールマイティでなくてもいいのでは・・・と私なら答えます。

f:id:variouspeople:20200726165427j:plain

「要は最適な支援をその方が得られるように手配することが、

社会福祉士の実際的な本質的な仕事かも知れませんねーーー。
これに加えて、私は

「少なくとも、他の社会福祉士から「あの人にこれを聴いたら右に出るものはいない」

ってくらい・・・頼りにしてもらえる程度には、何らかに特化した専門性を身に着けておくといいのではないかなあーーー」

と実習生に言ったことがあります。

どんなに頭脳明晰、優秀であっても・・・

個人でできることには限界があります。

ひとりでできる課題には限界もあり・・・また小さくまとまってしまう
大きな課題にも、困難な事例にも、協力し合うことで対処できる・・・

多馬力で行ける!!そんな仲間・・・チーム作り・・・

それこそが大切だと思うんですよーー

そんな関係・姿勢をこれからも大切にしていきたいものです。

あなたの理想の福祉って何ですか?

何をしていますか?

それは誰に求められていますか?

求められていることは形になっていますか?

それは制度だけで片付けられますか?

あなたは楽しいですか?周りは笑ってますか?

自分がしたいことではなく・・・

相手が求めていること・・・

常に「問い」を立て続け・・・日々を過ごしていきましょう

 

 

「自己管理」できてますか?

f:id:variouspeople:20200816190652j:plain


私は・・・とても【弱い】人間で・・・

・・・なかなか自己管理ができないできない人間だった

だけどねーーー

歳を重ねるごとに【自己管理】だいぶんできるようになりました。

 

ある著書の一説に【自己管理】の章がありました。

そこには・・・わかりやすく丁寧にかかれてあって

 

私たちは無意識でいると安楽の欲求に流されてしまいます。

そうならないためには、意識的に、なりたい自分になろうとする必要があります。

それが「自己管理」です。

ここでいう自己管理とは、スケジュール管理といった行動管理のことではなく

意識のコントロールのことを言います。

いまさら白状するのも恐縮ですが、実は、私はダメ人間なのです。

例えば毎朝、目覚ましの音に起こされますが、決まって「あと10分寝てたいなあ」

という欲求にかられます。

このままでは、あっけなく二度寝してしまいますので、布団の中で

「私はなんのために目が覚めたんだろう?」と考えるようにしています。

そして、自分の使命を思い出します。

 

「そうだ!私は世界を変えるために目が覚めたんだ」

 

使命を思い出したところで、隣で寝ている妻に

「世界を変えるために目が覚めたよ」と声をかけます。

妻は眠そうな目をこすりながら「お供します」と言ってくれます。

 

「ありがとう。ジャア、世界を変えるためにビデオを1本見よう」

 

我が家では朝1本のビデオを見ることがあります。それはℕHkの

「プロジェクトx(挑戦者たち)」です。そして「風の中のす~ばる~」と元気よく1曲歌います。

玄関で、「さあ、行ってくるよ」というと妻が駆け寄って

「あなた、いったい何をしに行かれるんですか」と言ってくれます。

私は「ありがとう、また忘れてしまうところだった、世界を変えに行ってくるんだよ」

と答えます。妻は「今日1日が勝負ですよ」と確認してくれます。私は

「ありがとう、じゃあ行ってくるよ」と答えるのです。

もちろん、毎日こんなややこしいことをしているわけではありません。しかしこのようにしないと、ややもすれば「なんのために仕事をするのか」を忘れてしまうのです。

私は「世界を夢と勇気と笑顔でいっぱいにする」ために仕事をしているのですが

無意識でいると、こんな大事なことを忘れて「早く帰りたいなあ」などと考えてしまいます。

 

「自己管理」とは自分のモチベーションを高める、セルフ・コントロールのことです。

わかりやすく言うと、大切な「夢」や目標や「仕事をする意味」を忘れないようにすることです。

忘れてはだめだと言っているわけではありません。人間ですから忘れても仕方ありません。私はよく「忘れない努力を忘れない」を忘れてはいけないと思うのです。

私は、人間が持っている能力や可能性に違いはないと思っています。

それではなぜ、何かを成し遂げられる人と、そうでない人がいるのでしょうか。

両者の違いはどこにあるのでしょうか。私はそれが「自己管理」だと思うのです。

私は、自分が仕事をする意義や目的を忘れないように、目指している「自分像」を

10か条にしています。私の10か条は次の通りです。

 

f:id:variouspeople:20200728194614j:plain

第1条 まずは私がやる、先頭に立つ

第2条 ピンチはチャンス、前向きな言葉のみを使う

第3条 問題のあるところに生きがいを見出す

第4条 手法は100万通り、諦めない

第5条 何気なくやらない、人類のためにやる

第6条 人を信じ、夢を信じる

第7条 最大の困難に笑顔で挑む

第8条 他人とは感謝で付き合う

第9条 人生のすべてを楽しむ

第10条 最大の報酬は、感動の涙

 

私たちの会社ではみんなそれぞれの10か条をつくっています。

これを自分で確認することで、何気なく行動しないようにしています。

常に、夢や目標やなりたい自分を意識します。このようにして1つ一つの仕事に

きちんと意味づけをして取り組んでいきます。具体的には名刺の裏に書いたり

パソコンの内面に表示したり、毎朝繰り返しこえに出して確認したり、人に会う前に音読したりしています。毎日、何回も自己管理することが大事です。

私は、特にダメ人間だと思うので、梅や目標やなりたい自分について、

人に話すようにしています。話すことで自分がやらざるを得ない環境をつくっているのです。

 

いろいろお話してきましたが、大切なことは、何気なく過ごすのではなく

夢や目標や理想の自分像と言ったものを常に「意識」することです。そして

それらを忘れないようにするために、いろいろな方法を考え、

自分が持っている力を最大限発揮することです。この「忘れない努力を忘れない」

という考え方を私は「自己管理」と呼んでいます。

 

と書かれてありました。

 

自分の身を削るようにして、支援や援助に尽くす人たちがいます。

それを決して否定はしませんが・・・
誰かを幸せにするためには・・・まず自分が幸せでなければならない。

まず自分を幸せにできなければ、誰かを幸せにすることはできない。

そしてそれは自分の「自己管理」が重要であること・・・

そこを「意識」する。。。

福祉に携わる者として、肝に銘じておくべきでしょう。

 

少子高齢化と「障害」者の労働との関係

f:id:variouspeople:20200816003410j:plain


野村総研の研究者らによる・・・

2030年の日本を予見したリポートが書かれている著書が紹介されていた。

(なんていう著書か忘れてしまったけど・・・)
この先・・・日本では少子高齢化が進行しすることは・・・

みなさんも周知のことだと思われますが・・・

この著書では・・・統計によると700万人もの労働力が

今後失われることが書かれていました。

女性や高齢者・・・それに「障害」者らを全てフルに活用したとしても・・・

失われていく労働力を埋めることはすでにできないくらいになるとのこと・・・


これからの対策として・・・

外国人労働者の受け入れや(今も随分いらっしゃいますよねーーー)

人工知能(AI)やロボットの導入が挙げられていますが・・・

これからの技術の進歩の中でのAIやロボットの導入は個人的には気になります。

それはこれからの福祉分野の仕事、特に利用者さんたちへの大きな影響が

懸念されるからです。

AIやロボットが得意とするのは・・・決められた作業手順を繰り返すような労働。

となると・・・これ・・・やってる事業所の割合・・・

結構多くないですかねーーー
また、このところの技術革新により・・・

処理できる“手順”は高度化・複雑化し、活用範囲が拡大しています。

となるとですよーーーー

福祉作業所で利用者さんたちが行なっている授産作業の多くは・・・

もしかしたらAIやロボットによって代替できてしまいます。

例えば、紙箱などの組み立て・・・資源ゴミの仕分け、郵便物の封入、

建物内外の清掃など・・・(今ここ請け負ってるとこ多くないですか?)

近年は、耕作放棄地などで農業に従事する福祉作業所が注目されはじめ

“農福連携”などと呼ばれて実施されている事業所も増えてきました。
ですが、昼夜を問わずに耕作や収穫をこなせるロボットが

実用化されつつある昨今・・・

農業の“経営者”は必要でも・・・

いずれ“作業員”は必要とされなくなる日が来るかも知れません。

f:id:variouspeople:20200809172101j:plain

本書を肯定的に捉えるなら・・・

AIやロボットの導入によって、私たちは単純労働から解放され、

柔軟性や発想力が求められるクリエイティブな課題に

注力できるようになるということでもあります。
しかし、その展望の中に・・・「障害」者の方々のことを考えていくことは

含まれていないことは間違いないかなーーって思います。

もちろん、

「「障害」者の授産作業を守るために・・・AIやロボット導入を規制する」

などと短絡することはできません。

全国的な労働力の衰退が止まらなくなってしまうでしょうからねーーー

これからの社会では、「障害」者のどのような労働が

評価されていくのでしょうか?

これからは「障害」の有無というよりも

それぞれの柔軟なアイディア・・・人間しかできない心情や奥行き~

そんなことから面白い仕事が発想できて行くのかもしれません・・・
これには・・・早め早めに社会の情勢を読んでいくこと・・・

そして価値観の大きな転換が求められているようにも思います。

 

時代はいつ何時どのように変化していくか?

わからない・・・

それは・・・この【コロナの情勢】を想像すらできなかったことから

明らかですよねーーー

だからこそ柔軟に考えていかなくてはいけないですよねーーー

 

その行動は・・・甘えてる?わがまま?

f:id:variouspeople:20200814230930j:plain


ときたま・・・

いや・・・よく・・・

その辺にいる方ばかりではなく・・・

福祉従事者であっても・・・

「あの人は甘えている」「態度がわがままだ」

なんて・・・
「障害」児・者について語られる場で・・・耳にしたりします。

言っている人たちの多くは、「障害」への理解が不充分なのでしょうか???
でも・・・福祉的支援の現場においても、

たまに聞こえてくるところが、、、何だかいささか残念ではありますが・・・

例えば・・・利用者さんが

 

「ちょっと頭が痛い。仕事を休みたい」

「おなかが痛いので帰りたい」

「気分がすぐれないので・・・帰りたい」

 

と報告してきたとします。
そこで、利用者さんのバイタルチェックをしたり・・・

直近の状態などを検討したりして

支援者側が

「働けないほどの不調ではなさそうだ」

と判断し、そのことを当人に質してみたとします。

この後の展開としては・・・

利用者さんが「やっぱり休みます」と主張する場合か、

はたまた・・・

「やっぱり働きます」と宣言する場合かが考えられますよね・・・
そして・・・私たちの多くは、

前者についての答えが返ってきたときに

「甘えている」「わがままだ」

と見ることが多いのではないでしょうか?

ここで、考えなくてはいけないのは・・・

さらに踏み込んで

 

f:id:variouspeople:20200814231044j:plain


「軽微な不調を感じている利用者さんが“休む/働く”

 を選択するのはなぜか?」

 

と考えてみます。

すぐに思い浮かぶ理由は

 

「意欲や責任感がないから休む」「意欲や責任感があるから働く」

 

みたいな答えが出てくるのでしょうか・・・
実際大きく分ければ・・・そうなのかも知れません。

ですが・・・

障害特性や環境などを勘案すれば、さらに考察を深めることができるはずです。

その利用者さんが“休む”のは・・・

自分の感覚に正直であり、それを正直に述べているだけかも知れません。
その利用者さんが“働く”のは・・・自分の不調の有無に関わらず・・・

日々のルーティンワークに従っている方が

気分的に安定するからなのかも知れません。
その利用者さんが“休む”のは・・・

施設や職場の中に、最近、人間関係が険悪化している利用者さんが

いるからなのかも知れません。
その利用者さんが“働く”のは・・・

以前に休んだ時に誰かに非難を受けたため・・・

ホントは休みたいのに・・・

休みの申し出ができなくなっているのかも知れません。

こちら側にとって不都合な態度を、健常者の場合と比較して、

「甘えている」「わがままだ」

と見るのは簡単です。
しかし、短絡的に決めつけると・・・

続いての対応は・・・

しばしば“苦言”や“叱責”になったり、

あるいは“配置転換”など・・・本人にとって

ネガティブなものになってしまいがちになったりはしてませんか?

丁寧な観察。柔軟な考察。深堀り出来る感覚・・・
簡単なことではありませんが・・・

福祉をつかさどるものとして・・・

これらを踏まえ、できるだけ前向きな支援を

導き出していきたいものですよね・・・

 

日々お互いが

楽しく前向きな毎日にするために・・・

 

感情労働?福祉の現場・・・

f:id:variouspeople:20200814163524j:plain


福祉業界ではしばしば感情労働が要求されます。

感情労働?何じゃそりゃ?って??

よくわかりませんよねーーー(笑)

要は・・・
自分の感情を抑え・・サービスに従事しなければならない場合が、

少なからずある毎日なのです。

我慢しなさい!!って言うわけではなく・・・

職員も人間ですから、支援対象の言動にストレスを覚え、

サービスの質を低下させることもあるでしょうがーーー
それを乗り越えさせるものが福祉を職業とする者の

プロ意識である・・・

私はそう考えていました。かつては・・・

でもそうとばかりは言えない事例を聴いたときに

そんなこともあるんだーーーと思ったんです。

 

小耳にはさんだ話の事例はこうでした。
ある福祉作業所でのその事例を知った私は・・・

深く考えさせられました。

福祉の仕事は、プロ意識だけで取り組めるものではないってこと・・・

んーーーいってみれば・・・

プロ意識だけで取り組んではならないとも言えそうです。

 

f:id:variouspeople:20200727225648j:plain

ある施設に勤める職員の話。

快活で行動力があり、支援スキルも高ーーーい人材です。
支援現場の主任指導員としての立場で、強いリーダーシップで職員たちを統率。

利用者さんやその家族らにはにこやかに接し、信頼を寄せられていました。

ところが・・・サービスに従事していない時のその職員は・・・

何と・・・態度が真逆だったのです。
利用者さんへの悪態や悪口、障害への嘲笑・・・

職場への不平不満などを、周りの職員たちに言いふらしていました。

その職員には・・・極端な二面性があったようなのです。

(お金のため・・・って他の職種でも聞きますけどね・・・)
上司の施設長は、薄々なんか違和感を感じてはいたものの・・・

その職員の仕事ぶりに問題が見られないため

「業務でのストレスを発散したくなることは誰にでもある。

利用者さんへ適切に対応できている以上、特に問題はない」

と考え、少し噂では聴くものの・・・大目に見ていたそうです。

ところがそんなある日、複数の職員から施設長に、辞職の申し出がありました。

「その職員と一緒に働くことはできない」

が最大の理由でした。
職員たちは大なり小なり、利用者さんや施設への愛着、

福祉専門職としての理想や誇りなどを持っています。

けれど・・・それらを踏みにじるような言葉を・・・

その主任指導員から日常的に聞かされ・・・

日々つらい思いや不快感を抱えていたそうです。

辞めたがる職員を一旦遺留した施設長は・・・

施設内で人権や虐待防止についての職員研修を行ないました。

その職員をはじめとして職員全員に、

福祉専門職としての心構えを改めてもらいこれからにつなぐ狙いでした。
しかし、その職員には一向に効きませんでした。

研修の直後にはもう、他の職員へ

「現場では通用しないきれいごとでしかない」

などと研修に対する陰口を言っていたそうです。

これが耳に入った施設長は、その職員を呼び出して直々に説諭しました。

二面性のある態度が職場に悪影響を及ぼしていることを指摘し、

改善を強く求めました。
その場では神妙にしていたというその職員ですが・・・

この後、その他の職員たちへ

「いったい誰が告げ口したのか?」

などと詰め寄ることなどしてさらにトラブルへ・・・

結局、その職員を含め職員4人が相次いで退職する事態になったそうです。

規模の小さな施設としては、活動が停滞するほどの大騒動・・・

(これ私も理事をしていたところで起こりましたよ・・・

理由は違いますが・・・)

かつての私は自分の考えで、

「プロフェッショナルとしての意識は、福祉支援の現場に不可欠」

と考えていました。

(まーーーあった方がいいに決まってますが・・・)


 でも一方で、

 

「人間としての土台の部分に健全性や倫理観が育っていなければ・・・

そこにいくらプロ意識が確立され、知識や技術で補強したところで・・・

やはりアンバランスで危ういものでしかない」

 

と考えるようにもなりました。

個人の価値観や信念が色濃く反映されてしまう、

人を扱う仕事・・・「障害」に関わる私達・・・

どんな福祉支援の現場にするのかは・・・

私達次第なのです。

 

「障害」児・者は【薄情】なの?

f:id:variouspeople:20200812191318j:plain


「障害」児・者の福祉施設だけではないかもしれませんが・・・

とかくよく聞かれるのは・・・

利用者さんや職員らが、新たに入ったり、辞めていったり・・・

はたまた戻ってきたリ・・・

目まぐるしく人員が変わったりすることがあります。

 出会いや別れ・・・

これは福祉作業所に限ったことではありませんが・・・

ある意味ステップアップっをすることを考えると利用者さんは

当然のことなのかもしれませんね・・・

 長年ウチの施設を利用していたAさん。強い個性の持ち主で、施設の“顔”とも“看板”とも言えそうな存在でした。
よく利用者や職員さんが、諸事情によって別の施設へ移ることになったり

退職したりするとき・・・たいてい送別会をしたり、お別れ会を開き、

記念品やプレゼントして送り出していきます。

でも・・・結構その翌日からポッカリと大きな穴が・・・

とうこともなく・・・

案外施設内の雰囲気は・・・

初めから何事もなかったかのように・・・
日課をこなす利用者さんたち・・・なんて姿も度々目にします。

彼らたちなりに・・・

話題を意識的に避けている様子がうかがえることが往々にして多い。

利用者さんたちは情が薄いのでしょうか?
別れに際して淡々としている利用者さんについて・・・

入職したばかりの職員や、現場実習の学生さんらから、

そのような疑問や質問を投げかけられたことが何度かあります。

 

f:id:variouspeople:20200701182543j:plain

以前は私も・・・同様の不可解さを抱いたことがありました。

でも施設での別れを見続けるうちに・・・次第に分かってくることがありました。
利用者さんたちの多くは・・・

いなくなった人との思い出を振り返ったり・・・

 

「今ごろどうしているのだろう?」

 

などと想像したり・・・

自分の寂しい気持ちに向き合ったりすることが・・・

比較的苦手な人が多いのです。

 

そこには、“知的な困難”や“繊細さ”など、

それぞれの特性が影響しているのかも知れませんし・・・

あまりそういう機会に巡り合うことが少なかったのかもしれません。

 

どちらかというと・・・現在への指向性が強い・・・

そのようにも思えます。


私個人的には

 

「過去や未来にこだわらない分、“今”を精いっぱい生きている」

 

と解釈をし、また本人の心底の心情までは思い図ることは出来ないし・・・

それが【薄情】なのとは、また別物に感じています。

 

なので・・・

 

疑問に対する私なりの見解としては・・・

そのように・・・職員や実習生らに伝えています。

(うちの子はどちらかと言えば・・・思いをはせるタイプで

悲しみを引きずりやすい傾向にはあります。)

でも・・・移行した方、退職した方などの様子が、耳に入ってきて

新たな施設で、毎日を伸び伸びと過ごしている。

とか別のところで元気にしていると話し
それぞれの方々も

“今”を精いっぱい生きて楽しんでいるんだよ。

と話せば納得しています。

人やモノや物事に全く執着を持たない子もいれば・・・

結構思いをはせる子もいる・・・それは経験や特性などがあり・・・

そのこと自体その子たちの人格の良しあしではないってこと・・・

支援側として知っておいてほしいなーーって思います。

 

B型事業所の平均賃金っていくらなの?

f:id:variouspeople:20200810162724j:plain


少し前の話・・・現在私が顧問契約をしている事業所の代表が

県内すべての就労継続支援B型事業所で支払われている、

工賃額実績をまとめた一覧表が送られてきたって話になったことがありました。

 

少し前まで・・・

 

「県内で3位だった・・・まだうちより出しているところがある」

 

って話してましたが・・・

つい先日ランクがあるのか?

確か最高の基準になったと話してました・・・

私はその数字の部分や経営には詳しくないので・・・

(福祉関係の部分を見ているので・・・)

でも・・・子ども達のために・・・かなり頑張ってるなーーー

とは思います・・・

・・・・とはいっても・・・福祉的課題がないわけではありません・・・

工賃のランキングは目安にはなりますが・・・

それがその子たちの『幸せ』の全てではありません・・・
県内の動向がわかり・・・子ども達の賃金が低すぎる現実がある・・・

それは社会的課題だと認識する1つの材料だとは思います。

金額的なポジションについては、おおむね自覚してはいましたが・・・

これって・・・はっきりランキング・・・
 一覧表で改めて数字を見せつけられると・・・様々・・・

事業所としては・・・やはり胸中がザワつくところもあるだろうなーー

って思います。

でも・・・これはあくまで工賃のランクであり・・・

それが事業所の良しあしとは・・・関係がないことは言うまでもありません。

事業所は「利用者」さんたちのモノです。

その方たちが1日を通してどう思いどう過ごしているか?

その質や気持ちが大事です。

 ここは・・・たまたまうちの子も通ってるので・・・

感想をダイレクトに聞くことができる私でもありますし・・・

私は概ね・・・ここの利用者のことは知っているので・・・

会うたびに感想を聞いています。

概ねみんな・・・「毎日が楽しい」と言っています。

 

・・・で私はさらに

 

「どんな仕事が楽しい?」「どの時間が好き?」

 

などと・・・結構深堀して聞いちゃいます。

みんな素直で率直だから・・・面白い解答をたくさんくれます。

その姿や言葉を聴きながら、課題やこれからのことなどを考えるきっかけに

なったりもします。

 

f:id:variouspeople:20200719184926j:plain

在宅期間が長く、福祉施設の利用はしてたものの引きこもってしまっていた人。

ずーーーっと緘黙でしゃべれなかった人、

「障害」者雇用したものの対人関係や仕事の内容で入院してたどり着いた人

精神科の入退院を何度も繰り返している人

全介助で知的能力の高い人、全介助で知的にも周りの介助が必要な人

んーーーまだまだ・・・様々な人がいます。

 

この中には・・・私は正直・・・

「通えるだろうか?」と心配していた人もいます、

それが・・・ほとんど休むことなく来所し、自分の作業に黙々と集中している。

 

「毎日通って作業をするのが楽しい。勇気を出して施設に通ってみて良かった」

 

と本人はもちろん・・・保護者も笑顔で語ってくれると

ホントにやりがいを感じますし・・・嬉しいですねーーー

よく・・・作業所で聴くのは・・・

ある人が1時間しか作業をしないため・・・

または・・・来たり来なかったりで・・・

施設の平均工賃額を引き下げてしまいます。
工賃アップが求められている福祉作業所にとってその方は、

いささか・・・困った存在なんですよーーー

なんて聞くこともあります。

 

無論・・・

今のここの事業所にとってそんな方は困った存在などではあり得ません。


むしろ反対に・・・こちら側の施設や支援の仕方を評価してくれている、

ありがたい存在の利用者と言えます。

あえて工賃額にはとらわれず、利用者が伸び伸びと働ける施設、

そこからこの方が目指していけるところはどこなのか?
ただそれだけ・・・そこから賃金アップ↑

受け入れ側の力量により・・・また人数制限により

受け入れられないこともありますが・・・

 

そんな単純なことの繰り返しだなーーーって思う

みんなとの話で思ったことでした・・・

教えるの?一緒にやるの?

f:id:variouspeople:20200809182653j:plain

よく就労支援事業所などの会議に出たりすると

支援する側、支援される側・・・なんて話になり・・・

両者の関係性について、しばしば考えることがあります。
関係性が良好であるに越したことはないのですが・・・

何をもって良好とするのか?

そのためにはどうすべきなのか?

模索することが日々どこの事業所でも

続いているようではありますねーーー(笑)

 

先日ある所で“教え方”についての興味深い話を聴きました。


シリコンバレーの企業などで働いた経験を・・・

 


日本の企業でで人材育成に活かそうとしている、ある起業家の方の話でした。

その起業家によると・・・

誰かに何かを習得させる方法については

おおむね「教える」と「一緒にやる」に大別されるそうです。
前者は、“教える側”が“教わる側”へ一方的に・・・

ご自分の知識や技術を伝達します。

後者は、“教える側”と“教わる側”が一緒に・・・

目の前の課題や作業に取り組みます。

「教える」の場合・・・

伝達される事柄については常に正しさが求められてきます。
正しいかも知れないし・・・はたまた間違いかも知れない・・・

という曖昧で不確実な状況下では・・・

「教える」は成り立ちませんからねーーー

 

これに対して・・・「一緒にやる」の場合は・・・

間違いが許容されます。
その方の課題や作業に取り組む過程で、

錯誤や失敗など想定外の事態が生じたとしても、

それらは全て“事例”というそれぞれの学びになるからです。

よく就労支援事業所や福祉作業所でなどでは、

多くの場合は・・・

職員からの指示・指導のもと、

利用者さんたちがそれぞれの作業に従事しています。

「教える」の関係性に近い、正しさを要求されがちな環境に

なっている場合が多いでしょう。

でも果たしてこの環境が「障害」者の方たちの

仕事の質、生活の質を高めることなのでしょうか?
「障害」者の人たちにとっては・・・

これから生きていく場面において

起こり得る間違いへの対処が経験できる「一緒にやる」が、

むしろ重要で大切なのでは・・・と思います。

 

f:id:variouspeople:20200602195451j:plain

支援側の職員と利用者さんの間には、

上意下達の硬直化した関係性が

生じがちなところも多いのではないでしょうか?
もちろん、日々の作業において「教える」でなければならない局面は

多いとは思うのですが・・・

「正しい」を求められてばかりいる環境は・・・

「障害」者のみなさんにとっての環境としてベストなのか?

そんな風にふと思います。

 

まずは・・・職員側支援側が「間違いを許容する」その考え方を

「一緒にやる」の姿勢を、常に意識しておいてほしいものだなーーー

って思います。

教える側、支援側がいつも正しくて間違ってないなんて・・・

誰が自信をもって言えるのでしょうか?

誰も間違えもするし、失敗もする・・・

そんな当たり前・・・許容できる現場・・・地域、社会・・・

 

習得するって・・・案外「障害」児・者に向き合っていると

お互いさまの世界なんです・・・

 

「わかってあげれなくて・・・ごめんねーーー」

 

なんてしょっちゅう・・・

 

だからこそ「一緒にやる」そのスタンスを周りにいる人たちが理解しないと

いけないなーーーって感じています。