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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

リカレント教育パート3~大人こそやるべき~

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リカレント教育に対して、ここ数日書いています。それはなぜか?

チョット前にも書きましたが。。。

大人が勉強しない国。。。それが日本と聴いて

「もっとやらなきゃ」「もっとかっこいい大人の姿見せなきゃ」

「子ども達に希望を見せなきゃ」「勉強って楽しいを体感しなきゃ」

って思ったから・・・

結構・・・国が資金面でサポートしてくれてもいます。

 

例えば、資格を取りたいとか、

大学のリカレント教育部門に入って学び直しをしたいと思ったときに、

以下のような資金面のサポートしてくれる制度があります。

制度名 内容・適用条件
教育訓練給付金制度 定期間雇用保険に加入している労働者が、一定の条件を満たすことで「リカレント教育の受講料」の一部(最大70%)を国から支給
専門実践教育給付金 定期間雇用保険に加入している労働者が、一定の条件を満たすことで「リカレント教育の受講料」の一部(最大70%)を国から支給
自立支援教育訓練給付金 ひとり親の主体的な能力開発の取組みを支援するもので、対象教育訓練を受講し、修了した場合にその経費の60%(下限は1万2千1円、上限は修学年数×20万円、最大80万円)が支給
人材開発支援助成金 教育訓練休暇付与コース リカレント教育を社員に提供する場合の企業に対して助成。リカレント教育を受ける社員への休職期間を設定する企業に対し活用。
履修証明制度 社会人向けプログラムの修了者」に対して、学校教育法に基づき履修証明書を交付する制度。資金制度ではないが、キャリアアップの証明として使用することが出来る。

 

実際に、「国家資格」を目指して講座受講中で、在住している市の職員へ

「とったあかつきには・・・」と熱弁したら、「自立支援教育訓練給付金」を支給してくださるよう決定してくださることもあります。

(まーーーもちろん、合格しなければ支給されません。勉強必須ですよ)

 

勉強学びって、一方的に授業受けて知識を取り入れて暗記してテスト受けて

の一連の流れが勉強だと思っていませんか?

そんな学びは基本「暗記」がベースなので、満点が取れたところで

人として大きな成長には繋がりません。

「学び」が深まったにはならないってことです。

 

これからは、子どもも大人も目指すべきは

「学業面での優秀者」(末学の部分ではなく)ではなく

「ひとりの大人としての目標を持つ人間となり、

そこに向けての努力を積み重ねることの出来る人」

になること・・・それを使い社会のためにどう役立てていきたいか?

そこに尽きると私は考えます。

 

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昭和の時代に掲げた「技術立国」になるための誰かを排出するための教育より、

「生きていくため」「生きやすくなるため」

そしてそれが「人の役に立つことが喜びとなるようなスキル習得」

を積極的に取り入れて欲しいと思っています。

人生一度きり、自分の中にある「なにか?」「使命」を知り、

その人に合った適切な「表現」を身につけるって、とても大切なことだと考えます。

 

特に表現が苦手な、「障害」児・者達には

積極的に「自分の中の何かを、自分らしい表現」で伝えれる人になって欲しい。

 

だから、義務教育でも

「何がしたいのか?」「どの表現を見つければ生きやすくなるの?」

ってこと「その子の良さ」「その子の強み」を

果敢に提示して欲しいと考えています。

 

大人が変わるを推奨!!「リカレント教育」

ぜひ浸透して欲しいなーーー

 

 

リカレント教育パート2

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昨日からリカレント教育について書いていますが

リカレント教育が注目を浴び始めたのは、

日本の社会情勢の変容と雇用の変化です。

 

終身雇用・年功序列が崩壊し始め・・・

実力主義社会へと変化してきています。

長く働いている人が評価される社会情勢ではなく、

学びを積み重ね自己アップデートを繰り返す人が評価される時代がやってきました。

働く期間も延び続け、18歳からまーーー20代まで学んだとしても

それが退職まで通用する世の中ではありません。

 

一昔前は転職がネガティブだった時代から、

転職が「セカンドキャリア」としてポジティブに捉えられるようになってきています。もちろん、転職はいつの時代も不安がつきまとうことには変わりありませんが、

いいセカンドキャリアのスタートを切る人の特徴は、

技術進化により仕事の幅の広さもしっかりと認知した上で

その行動をとっています。

 社会的なキャリアのシフトチェンジは、さらにもっと速度を増すことでしょう。

常に学びを繰り返し自己アップデートをする人、つまり変化し続ける人が

どのような場でもハツラツと生きていられるのではないでしょうか?

リカレント教育で得られるものは「キャリアアップ」や「スキルアップ」です。

 

リカレント教育の素晴らしい所は、

学歴やキャリアブランクにより劣等感を感じていた人も

「リカレント教育」によって、

何歳になっても自分に向いたキャリアに向けての学び直しが出来るところです。

近年は、定年を迎えた人たちがリカレント教育によって、

残りの人生と向き合う人も見かけるようになりました。

 今までも「リカレント教育」が無かったわけでは決してありません。

  • 職業訓練
  • 通信大学
  • 通信講座
  • 民間の資格学校  など

 これらもリカレント教育の一部で、多くの方が耳にしたことがあると思います。

しかしながら「高学歴」「大企業」「終身雇用」が中心だった時代には、

これらは「職探しの一環」として捉えられることも多かったようです。

 「自分らしいキャリアの積み上げ」「自分らしい学び」

「何歳になってもやり直せる」

という、個人の生き方・働き方の多様化する時代です。

そのことを意識しながら年齢を重ね、育児とも向き合っていきたいですよね。

リカレント教育の環境が整い始めている「今」

やりたいこと、取り組んでみたいことがあるならぜひ取り組んでみてください。

 やりたいことが見つからないという人も・・・

少しでも行動を起こし知見を取り入れてみてください。

実は「やりたいことを見つける」って、とても大切なことでありながら

とても難しいことで、私も常に問い続けて今に至っています。

 待っていてはやってこない

「やりたいこと」まずは自分で動いてみてくださいね。

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近年は「勉強のデフレ」ではなでしょうか?

何か学ぼうと思った場合、探してみれば安く学ぶことが出来る時代。

 

昔は英語もセット購入して数十万円・月謝が1万円等だったかと思います。 

英語に限りません。社会人が何かを学ぼうと思えば、

社会人にしか払えないような金額設定されていることが多かったです。

しかし、今は月に1万円払えば、かなり多くのことを学ぶこと

情報を手に入れることが出来ます。

 またYouTubeなどだと、課金しなくても情報が溢れている時代\(◎o◎)/!

大人になってからのリカレント教育は

自分にとって必要なスキルを身につけるもの、

教える側も商売なので、「反応」「集客」「発信力」と

自身のスキルが問われます。

つまらなければ、たとえ無料でも見に来てくれる人はいない。

役立つ情報でなければ拡散もされない。

 一方通行だった義務教育(学校教育)より

「主体的に学びたいと思う人」「提供価値を高める人」

の双方が努力を積み重ねる「リカレント教育」を意味ある学びだと私は考えます。

学び方も多様化しています。

 昔は本を読むって言うと「時間」を作らなきゃ読めなかったけれど、

今は主婦でも忙しいサラリーマンでも

「ながら読書・聞く読書」なんかもあり

スマホとイヤホンさえあれば家事しながらでも移動しながらでも

知見を手に入れることが出来る。

しかも数千円でものすごい知見を手に入れることが出来るのです。

「お金がある子が学べて、そうでない子が学べない」

「主婦は学ぶ時間もお金もなくて、稼ぐ主や独身者だけが学ぶ時間もお金もある」

過去に当たり前だったそんなことも・・・

学ぶチャンスは広がってきています。

 家庭環境や個々の背景に関係なく学べる格差社会のない平等な社会で、

より多くの子ども達に大人になって活躍して欲しいなーーーと考えます。

そのために何歳からでも始められる「リカレント教育」

あなたはどのように考えますか?

 


 

リカレント教育って何?

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リカレント教育とは学校教育を終えても尚

「学ぶこと、学び直しをすること」だそうです。

要は大人も勉強をし、学びと就労のサイクルを繰り返すことを言います。

 

「障害」児の親になると

「この子の、将来が心配…」
「字の理解も、計算も出来ないし心配」

と、我が子のことが先で・・・

自分のことは後回しになりがちです。

でも、本当は親が笑顔で前向きにイキイキとしている影響力こそが、

どのような子どもにとっても子ども達の発達にいい影響を与えるのではないか?

と考えています。

 

子どもの伸びしろって親が思うより・・・凄いんですよね。

 

学校時代に娘には3年生で電卓の存在を教えるように

先生に協力依頼をしました。「+-×÷」全部マスターしたし

電卓をあっという間に使いこなし計算ができるようになりました。

娘は、あいうえお表から文字を覚えませんでした。

絵カードで「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「英語」ものの名前から入りました。

読めるもの、読めないもの、視覚的に覚えるもの、様々な覚え方をしていました。

よって・・・日常生活には・・・ほぼ困りません。

パソコンも小学校の時のクラブ活動で教えていただき

検索もできますし、グーグル先生から今ではYouTubeを通し

さまざまな世界へとその幅を広げています。

子どもの伸びしろって凄いなと感じています。

 

だから、子供たちに負けないように「親も学びでイキイキしよう」

 「大人も勉強を積み重ねる時代が来ました!」

 「人生100年時代が到来」ですよ。

 

子どもが巣立ってからも・・・

予想以上に生き続け働き続けなければならない時代がやってきました。

出来れば楽しく働き、イキイキ生きていきたくはないですか?

 

生きている間に「まだ出会っていない自分らしさ」を見つけ、

その力を発揮してみてはいかがでしょう?

私は「これだ」と思える喜びある人生に出会わないならば・・・

私の生まれてきた意味はどこにあるのだろうとさえ考えます。

 よって・・・

リカレント教育。

 

「人生100年時代」が話題となり「働き方」や「キャリア」が注目されるようになったことで、日本にも少しづつ浸透し始めました。

 欧米やヨーロッパでは既に浸透していて、一番最初にリカレント教育を提唱したのは、スウェーデンの経済学者ゴスタ・レーンです。

義務教育(基礎教育)を終えて社会人になっても
時期や年齢に関係なく「キャリアに活かすための教育」を受けること。

 

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本来の諸外国で言われるリカレント教育は、一度仕事から離れ学業に専念することを指します。

しかし、日本でのリカレント教育はまだ発展途上中で、

その定義があいまいな部分も多いために

「仕事を継続しながら学ぶこと」もリカレント教育と呼ばれることも多いです。

日本人は・・・とかく学校を出た後は・・・

自分のために投資をしたり学んだりすることが極端に少ない民族だそうで・・・

かなり諸外国に後れを取っているのが現状のようです。

みなさんは今どんな学びをしていますか?

私は「障害」児のわが子を持ってから

「学ぶ」ことが当たり前になってきました。

みなさんは今どんな「学び」をしていますか?

「障害」児・者には寛容なのに?

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「障害」児育児をする中で、

「「障害」を理解している風」

「個性を受け入れる風」の人にも数多く出会ってきました。

 みんな、「風(ふう)」なのです(笑)

その人たちは、カッコつけてるわけでもなく良い人に見せようといったい気持ちももちろんありません。

本当に

「理解者でありたい」

「万人の個性を受け入れる人間でありたい」

と感じている、その気持ちに嘘はないのです。たぶん・・・

 でも、その人の言動を見ていると・・・

「なんだかなーーー???」

と思うこと・・・出会ったことありませんか?

まあ・・・書いている私もきっとそんな時期を経てきたひとりです。

 「障害」受容に違和感を感じるとき・・・

「「障害」は個性だ」

「世の中色んな人がいる」

「みんな違ってみんないい」

と理解を寄せる人が、身近な人に対して会話がかみ合わなかったときに

「話の分からない人」

「普通〇〇だよねーーー」「当たり前に〇〇でしょ!!」

なんて・・・苛立ったりしている

 

「障害」児・者と話がかみ合わないことには寛容なのに、

健常と言われる方と話すときには・・・

関りが必要な人と会話がかみ合わないときには、

考え方の違いを「個性」と思わず

「理解されなかった」と凹んだり、

「あの人はわからない。変わり者」怒ったりしている人がいます。

 

「障害」児・者の理解しがたい行動や発言・生き方について「個性」だと

寛大視するのであれば・・・

健常者と言われる人と自分との考え方の相違だって「個性」のはずですが、

そのときの寛容さの違いは何なのでしょうか?

 これは、やはりどこかで無意識レベルで「障害」児・者と健常者の間に

人としての線引きをしているから起こる現象なのではないか?

と私は考えます。

もちろん、支援が必要かどうか?で考えたときには線引きが必要だと思います。

 コミュニケーションにおいて

「「障害」児・者と自分が分かり合えないのは、個性だから仕方ない」

「健常者と自分は、健常者同士だから話せばわかるはず」

というのは・・・

「寛容さの差異」これって区別?差別?

 親や配偶者といった家族、親しい友人や恋人・・・

信頼を寄せる人に理解して貰えないとつらいですよね。

 

「理解されてばかりいる環境」

「コミュニケーションがとりやすい関係」

「共感しあえる人」

とばかりつき合っていること

「理解されること」「賞賛されること」が日常化(当たり前)になり

自分が大切に思う人に理解されないとき苦しく辛くなるでしょう。

 

そんなとき

日常では

「「障害」は個性だ」

「世の中色んな人がいる」

「みんな違ってみんないい」

と、声高らかに「障害」児・者に対して考えることが出来るその寛容さを

思い出してください。

「障害」の有無に関わらず・・・

誰しも、分かり合えないことが普通で当たり前

わかり合いたいと思えば・・・その人のことを徹底的に知る必要があるし、

工夫だって必要になります。

 健常者同士だから

「分かり合えること」を前提にした思考で暮らしていると

「あなたの言っていることが分からない」

と伝えることが悪いことのように相手の方は感じてしまうかもしれません。

 でも、「分かり合えないこと」を前提として人と関わっていると

「あなたの言っていることがよく分からないので、

もう少し詳しく知りたいので教えてほしいです」

ということができるのではないでしょうか?

「夫婦だから」「親子だから」といった単純な理由で・・・

「分かって貰えることが当たり前」「以心伝心」と考えているから、

理解されなかったときに・・・きっとつらいし・・・苦しいのです。

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 人と人とは、どんなに強い信頼関係があったとしても

「根本的に分かり合えないことの方が多い」

と理解していれば、理解しあうための努力や工夫を惜しまなくなります。

 親しい中だから「ツーカーで当然」と、思うではなく

「どのように伝えようか」「どの部分を理解してほしいのか?」

「今回はここまでは理解して貰う必要はないかな?」

と自分で判断できるようになれば・・・

身近で大切な人に理解して貰えなかったときにも気持ちの面で楽になります。

私は「障害」児を育てる中で・・・

気持ちを伝割るように伝えることは一筋縄ではいかないことだと学びました。

だから、たとえ親子だとしても

夫婦だとしても

「気持ちが通じたらラッキー」くらいに思うようにしています。

どうしても伝えたいことある場合は・・・

伝わる工夫を積み重ねる努力を惜しまないようにすること・・・

 社会に対しても同じです。

「障害」児育児の大変さを、他人に熱弁したところでどこか伝わっていない。

伝わらないのなら・・・

本来・・・この人はそこまでして伝えるべき人なのかどうか?

を見極めればいいだけです。

 「分かってくれない」「思いが通じない」

と苛立ったり、つらく感じたりするのではなく

「どの部分が理解出来ませんか?」と問いを立て、

相手に課題提起をしてみるのもいいと思います。

 「障害」児と暮らすのは本当に大変で結構イライラ・・・(笑)

それでも、子どもたちのことを愛していることに変わりはありません。

 子ども達と

「伝わらない暮らし」を続ける中で「本当に伝えたいこと」については、

努力と工夫を積み重ねることが大切だとしみじみ考えるようになりました。

そうやる中で・・・

日常生活における会話のすれ違い、感情の行き違いそんなことにも

イライラを感じにくくなったように思います。

あなたの日常はいかがですか?

 

「障害」区分~重度。中度。軽度こだわってませんか?~

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「障害」児・者の本人や関係者に出会うとき

よく重い、軽いなんて言うけれど・・・

まーー判定があるから・・・そう考えてしまうんでしょうが・・・

私は・・・あまりその言葉を使うことは好きではないので

使いませんが・・・

 

相談にきたかたが・・・

重度知的しょうがいには重度の悩みがある

その知的レベルに合った支援方法がある

 

とおっしゃいました。

もちろんたくさんの可能性がある、出来る事も増えていくし、

少しづつかもしれませんが成長も楽しみですよね

ただどうしてもその子の特性上できないこともあるでしょう。

文字の読み書きや、数字の概念・・・

理解出来ることと出来ないことがあるのです。

だからと言って

『どうせ出来ないから』と諦めるのではなく

どうしたら理解出来るか?を考える。全部は理解できないかもしれません。

では?どこまでこの子は出来るのか?

できないことは代用でできるようになるのか?

個々に合った支援が必要だと感じるのです。

『うちの子が出来たから出来るよ』

『みんなこの方法で出来たら出来るよ』

というアドバイスってしてくださる方も周りにいるのではないでしょうか?

それって何か違和感を感じませんか?

 

何か違うと思うんですよねーーーー

そんなご相談もよく受けます。

 

そうですよねーーー

これは、相談者のお言葉を借りるとしたら・・・

 

「重度知的障害に限ったことでは無く

軽度には軽度の悩みがあるし

中度には中度の悩みがあるし」

 

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そう・・・おっしゃるとおり・・・

そもそも人によってみんな違う訳だから・・・

その子その子に合ったやり方が必要だということです。

 

「この子はダウン症だから」「この子は自閉的傾向・・・」

「発達しょうがいだから・・・」

 

うん・・・それはその子の特性の診断ですね・・・

私の子どもは「口唇口蓋裂」「知的A2」です・・・

判定的には「重度」「障害」ですね・・・

でも私はその「判定」に縛られることはありませんでした。

 

どちらかというと・・・

生まれてすぐに[発覚]した[口唇口蓋裂]の方の訓練や療育に

縛られていたかもしれません。

それは仕方ないですねーーー

機能回復訓練だから・・・できる見込みがあってのことです・・・

 

でもねーーー知的A2(重度)って検査の中で

ほぼIQで見るんですねーーー

でも私自身は生活ってIQではないって思っていたので・・・

気にしたことはなかっと言ったら言い過ぎですが・・・

さほど気にしなかった・・・

気にしたのは

「この子の将来が幸せであるように」「じゃあ今何する?」

「この状態今幸せなのかな?」

ということだけでした。

お陰様で彼女は幸せな日々を過ごさせてもらった・・・

保育所、小学校、中学校、高校・・・

そして社会に出た今も・・・

地域の中にも溶け込んで声をかけてくれる人もたくさん・・・

でも「課題」がないわけではない・・・

これからの課題は「終の棲家」

彼女が求め始めているから・・・

だいたいの構想はあるのだけど・・・

本人の希望と環境と様々なものを組み合わせて

考えていきたい・・・んーーー

これからも日々楽しいことばかりーー!(^^)!

「障害」~感情を教えること・・・

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「障害」児・者達に接していると

言葉の表現面で表情や行動に移すことが

難しい部分があるなーーーって感じます。

 

嬉しい、悲しい、楽しい、怒り・・・
この辺は何となく表情や行動で分かりやす部分かなって思います。

しかし、結構難しいと感じるのは

『痛い』『気持ち悪い』

などの、体調不良の伝え方でしょうか?

  • お腹が痛い
  • 頭が痛い
  • 足が痛い
  • 吐き気がする(気分が悪い)

これは、出来ないと本人が辛いことになりますね。

これって・・・どうにか表現出来るようになって欲しい

感情ではないでしょうか?

 

感情表現の練習について、学校の先生やその他の協力機関に相談し

やっている方法を聴いたところ・・・

例えば『痛い』ということの表現を覚えて欲しいときは

  1. 『痛い』という場面に遭遇したときに
  2. 『痛い』のカードと『お腹が空いた』などの全然関係ないカードを提示する
  3. 『痛い』のカードを指差して『痛い』ということを強化する

このようにして、

『痛い』場面に遭遇したときに、すかさずカードを提示していく方法を

やっているそれが結構効果的だと教えて頂きました。

これを子どもに関わる方、デイサービスの方や学校など等にお願いして、

同じように実施してもらっていくようにします。

なかなかいつも『痛い』場面に遭遇しないので・・・

少ないチャンスを狙っていかなければなりませんが(笑)

少しずつ習得しているように感じています。

(コレは他の感情でも使えますね)

 

回数が少ない感情の場合

これはよく私も実施していた方法だったのですが

私がお腹が痛いときに・・・ このカードを提示

ママ、お腹が痛いよーーーー

と言いながらトイレに入ってみたり

他にも足をぶつけて痛いときも同じように

『痛い』のカードを提示して

「ママ足が痛いよーーー」

と言って・・・ひたすらマッチング出来るようにしていきました。

 

自分が生理のときにもトイレに連れて行って・・・

「マッチング」させていましたねーーー

 

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とにかく、絵カードを使って日常生活の中で

マッチングしていくことが効果的なのかなーーーと思って・・・

わかりやすいかなーーーってやっていました。

繰り返し繰り返し行っていると・・・だんだん刷り込まれていくようで、

「痛い」と言うと・・・カードを持ってきてくれたり。。。(笑)

なでたりしてくれました。

いつも適切な場面で正確にカードを提示することは確実にはいきませんが、

きっと繰り返すことによって出来るようになると思っています。

使用する絵カードは様々あるのではと思いますが・・・

良い絵カードを見つけたので紹介します。

PriPri発達支援の絵カードで、気持ちを表す絵カードがあります。

種類がたくさんあるので選びやすいかもしれませんね・・・

(うちの子のときにはあっただろうか?)

私は絵をどっかからとってきて制作していましたねーーー(笑)

今は便利になりました。

(私が知らないだけかも・・・)

みなさんは・・・お子さんの「感情」どのようにわからしていきましたか?

 

「こだわり」って「障害」児・者には困ったもの?

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「自閉症の子はこだわりが強い」と言われています。

 自閉症の子ども達は特定のものごとやルールに強いこだわりを示す子確かに多い

よって「こだわり」が悪いもののよう感じたり・・・言われたりしてていますが・・・

私はそうとも思えません。

だって「こだわり」自体は誰にでもあるものだと思いませんか?

こだわりをもった大人は色濃い個性があるとみなされたり

個性的でオシャレな人だと認定される場合多い。

趣味にこだわりを持つ大人もいるし

メーカーはここだ!!にこだわる人

健康のために食事の細部にこだわる人もいます。

こだわりは誰にでもあるっていうことですよね・・・

 

私のこだわりは・・・時間を大切に生きたいと思う「こだわり」が

人一倍強い強くいかもしれません。(歳も歳ですし・・・)

無駄な時間や自分の人生の時間を安く見積もることができない。

使い切りたいと思っているので・・・時間を何倍にも使いたい・・・

日々考動が止められない(笑)

キョロキョロしてます(笑)

これも変態チックな「こだわり」ですよね・・・

でも・・・自閉症の子ども達のこだわりは・・・

周囲を疲弊させることが多いために

「こだわり」を悪いもののように扱われてしまいます。

でも・・・そこまでしてこだわらなければならない理由が彼らにはあります。

 同じ道を通る、いつものコースを外れるとパニックになる。

持ち物や服へのこだわりがある。

 真冬でも半袖にこだわる子、

持ち物や並べ方にこだわる子、

食事にこだわる子・・・さまざまなこだわりを持つ子がいます。

こだわることで不安を回避し、安心をこだわりの中に求める。

その不安感を「「障害」からくる仕方のないこと」

と尊重できる人が何人いるでしょうか?

家庭でさえ四六時中付き合うことが出来ないのが課題ではないでしょうか?

自閉症の「こだわり」はわがままではない。
私たちがもつ「こだわり」ともまた違う。
彼らの根底に抱える問題が表面化したもののひとつが「こだわり」

になって表れるのでしょう。

偏食だって好き嫌いをしているわけではないし、

うろつきや奇声だって親の躾がなってないからじゃない。

本人の努力や親の躾でどうにかなる問題ではない。

またそこから発生してくるのが「二次障害」

これは、周囲の理解によって防ぐことが出来るものだと考えます。

逆に言えば、理解が無ければ根の深い悩みになってしまう。

発達しょうがい・・・自閉症の子達の中でも

特に普通に会話が出来てしまうような子ほど、

困り感がないと見えてしまうが故に「わがまま」と受け止められることもある。

でも実際のところは

「社会に理解されない」「身近な人にも理解して貰えない」

ってとても苦しいはずです。

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 こだわったところで周りに被害がないようなことや、支援する側に余裕があるならつき合ってあげる心の余裕が欲しいものです。

こだわりの根本的な原因は「障害」ではなく不安なのですからね・・・

 誰でも不安があると、自分の中にあるなにかが表面化されます。(無意識に)

貧乏ゆすり、爪を噛む、黙り込む、イライラなど等・・・

不安が「鬱」にまで発展しないように自分で対処を始めます。

誰かに話したり相談したり、スポーツにジムにいったり、趣味に打ち込んだり

何かで回避しようとします。

 誰しも、生きる中で不安を抑えると何かを求める。

 発達しょうがい自閉症児は一般的な人よりも不安が人一倍多いので

「こだわり」で一生懸命に対処しているだけ・・・

それなら、こだわりを取り上げるよりは、不安を取り除く方がまず先決。

徐々に信頼関係が出来たら

「そのこだわりじゃなくて、こんなものもあるよ」

って提案してあげて世界を広げてあげたらどうでしょうか?

「障害」って「克服できる」っていう部分もありますが

「どう頑張っても克服」って難しいう部分があるし

誰だって努力して克服したり我慢して生きているのは一緒です。

こだわっていいことって、この世にいっぱいあるはず・・・

それは「障害」があったとしても無かったとしても。

お互いの「こだわり」

私は「ほーーー」「へえーーー」って認められるくらいには

成長させていただきました(笑)

みなさんはいかがでしょうか?

大人として笑い飛ばす余裕ってほしいなーーーって思っています。

 

 

「障害」衝撃的だと思える?ブログから・・・

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ある「障害」児のママのブログに出会った。

私はここまでではなかったけど・・・

これに近いことを感じ、おもったことはあるのは事実・・・

みなさんの周りにいませんか?

「障害」児の保護者・・・

その方はどんな表情をしてますか?

どんな言葉をしゃべってますか?

れって・・・心底?つくっているかもしれませんよ・・・

もしかしたら下記のように苦しんでいるかもしれませんよ

 

 

助けて。
誰でもいいから助けて。
毎日のように、心で叫んでいた。
私は確実に「腫れ物」だった。
そりゃそうだろう、
あれだけ楽しみにしていて、
みんなに話していた赤ちゃんの話。
母子ともに無事…でなかった出産。
そんなこと、そうそう多くあるわけない。
もしかしたらほとんどの友達や家族が、
人生初の「母子ともに健康じゃない」パターン。
どんな言葉をかけていいか、分かるはずない。
私も、何と声をかけられても傷付きそうだ。
私は誰かにはなれないし
誰かも私にはなれない
読む人によっては、本当に腹が立つと思うが
赤ちゃんが欲しい人に譲ってあげたいとすら思った。
でも、その人達だってきっと
元気で健康な赤ちゃんを望んでいるはずだから
きっと、障がいのある子なんていらないだろう。
なんで私が。
何で我が子が。
何で私達が。
そんな気持ちは永遠に消えない。
ただ、今まで離れ離れだった娘との生活は
想像以上に忙しくって
寝る暇がない、って本当だったんだ、と
少し嬉しくもあった。
やっと世界に追いついた感覚。
やっとママらしい生活を送れる。
やっと普通になれる。
やっと、周りに馴染める。
ただひとつ、この子に障がいがあることは
紛れもない事実。
一生逃げられない現実。
私は普通になれない。
私はずっと哀れで可哀想な
「障がい児を産んでしまった母親」
誰も助けてくれない。
何も悪くないのにずっと十字架を背負って
ただただ、死ぬために生きる。
可哀想って言われたくない。
可哀想って思われたくないのに
私自身が一番、私が可哀想で不幸だって思っている。
今までの人生で、悩んだり辛かった時
誰かに愚痴ればすっきりして
イライラしてもなんとかこなしてこれた。
遊びに行って、ストレス発散して
また1週間がんばろ!って思えてた。
イライラだって、ムカムカだって
ずっと続くもんじゃないから。
いつか終わる、とか。
こんな会社辞めてやる!とか。
あいつが定年になるまで…とか。笑
連絡先を消すとか。
ブロックするとか。
いろんな逃げ道があった。
解決法があった。
だけど、今回は
どう足掻いたって逃げられない。
…いや、乳児院に預けるとか
一緒に死んでしまうとか
そういう逃げ道はあった。
けど、リスクや失うものが多すぎて
実行するには勇気が必要すぎる。
そんな気力も、勇気も、覚悟もなくて。
私はへなちょこで。
かっこわるくて。
苦しくて。
逃げたいのに、生きるしかなかった。
死ぬのは、怖い。
生きるのは、辛い。
地獄だ。

 

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この地獄を救える「光」は何でしょう?

きっと「出会い」「言葉」・・・

んーーーもっと未来を見てできてる人を見て「学ぶ」こと・・・

誰でも最初からは出来ないし・・・

みんなダメダメから始まります。

だから・・・きっとこの方も・・・

私は希望の塊だなーーーって思います。

「障害」児があなたの周りにいたときに・・・

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1989年に最初の子どもを出産し
生まれたその日に
「赤ちゃんには口唇口蓋裂があります」と告げられました。

娘が「障害」があると知ってから周りの様々な人から


「「障害」わからないけど不安やろうけど・・・
「心配だねいつも祈ってお願いしてるよ」

「大変ね・・・心を強くね」
と伝えてくれます。

こう言われて素直にありがとうと
答えられたらどんなにいいかという想いもありながら
でも本音は
 ありがたいけど、
そんな日々心配してもらわなくても大丈夫・・・
何だか・・・とっても申し訳ない気持ちになるんです。

子どもの心配は
私も夫であるパパも
そりゃーーーもう・・・めいっぱい!!とことん
心配する立場にあると思うんです。

親として当たり前に・・・

なので
私達親以上の心配の温度を超えてまで心配してくれなくて大丈夫・・・
(自分たちが日常心配してない範囲まで気にかけてくれるので
不安を煽られて焦ってきてしまう自分も正直いたんです)

できれば心配よりも
子どもの成長を一緒に楽しみに一緒にに見守ってほしい

というのが「障害」児ママとしての本音だったリしました。


「心配してる」「大変だね」「不安やろ?」と言われると
会ったら会ったで
お互いに何だか腫れ物に触るように気になってしまうだろうし
また心配かけたら悪いな、いやだなって思うし
ますます子どもを連れて会いたくないなぁ
と億劫になってしまう。。。

「成長、楽しみにしてる」「また一緒に遊ぼうね」と言われたら
やっぱり次回も気後れ無く子どもを連れて会いやすいし
誰とも比較無しで
子どもなりの成長を見守ってくれたら
「障害」児のママとしても
変な緊張感や不安感に襲われずに親戚づきあいも
友達づきあいも、近所づきあいも・・・

もっと楽しくできるのになぁーーーーと思います。

みんなの「障害」に向き合うときの。。。

心の負担が取れて
自然とそんなつき合い方の最初の一歩ができたらイイなーーって思います。


でも私が「障害」児ママの初心者であるように
この子の祖父母も「障害」児初心者で
親戚や友人もやはり
「障害」児ママのつきあいは初心者なのかもしれない
彼女達なりの考えや想いがあっての心配のカタチだし、

言葉であることはわかってる。。。

本当は素直に
心配してくれてありがとうございます。と
言えたら1番平和的解決なのでしょうけど・・・

私にはまだまだそんな余裕がなかったです・・・

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だからもし・・・
この先、
周りに「障害」児がいる人・・・や

これから生まれる予定がある方には
1度、気に留めておいてほしいなーーって思う
知っておいてほしいという
いち、「障害」児初心者ママとして感じたことを書きました。

そして
「障害」児ママ、「障害」児パパ・・・またその予定の方、
この先の色々への腹を括って、
わが子を
めいっぱい心配もするし、不安や恐怖にかられることもあるでしょう
でも・・・それでもめいっぱい自分大好きで

子ども大好きで過ごしましょう。

それは

「障害」児のパパだからママだからということではなくて
健常児と言われるお子さんでも「障害」児でも関係無く
親としての特権です。

そう・・・

3人の「障害」児を含めた子どもの子育てをしてきて

感じていますよ。

日々楽しんで・・・困ったら・・・「相談」してくださいねーーー

「障害」で不幸になる人・ならない人

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まず最初に言いたいことは・・・
今の日本社会では「障害」児・者であっても
路頭に迷うことはありません。
でも・・・確かに障害者年金は安心できる額とは言えません。
「障害」の程度によっては仕事ができない人も多いでしょう。
(自分の子どもも障害就労継続支援所に行っています)
でも・・・親ってやつは・・・やはり不安や心配がついてくる・・・
「自分の死後、この子はどうなるんだろう?」
と心を痛める親御さんは少なくないと思います。
 
でも、行政とつながりさえすれば・・・
今の日本では路頭に迷うことはないのが現状だと思います。
例え身寄りがなく、お金がなくても・・・
生活保護を受け一人暮らししたり、グループホームや施設入所をして
暮らしている方はたくさんいます。
 
 人の幸せって、なんだと思いますか?
「幸せ」って結構自分の感情にかかわるもの・・・
だから幸せは、固定されるものじゃなくて、
流れがあるものなのではないかと思います。
さっきは・・・「幸せ」だと思っていたのに・・・
今は不安でいっぱい・・・とか・・・そんなものじゃないかなぁ。
 だからできるだけ「幸せ」は長くとまっていてほしい・・・
 
「幸せ」に大切なものって何でしょう?
私の娘の場合「安心できる場所と人間関係」だと感じています。
グループホームや施設での生活は・・・
自分で生活する一般的な人に比べれば自由度も低いし制限があります。
でも安心はありますよね・・・リラックスもできるかもしれません・・・
多少の制限がある中で、きっと自分なりの楽しみを見つけることもできるでしょう。
だから周りの人がちゃんと環境を整えることができれば
「障害」があっても不幸になるとは限りません。
(私は娘が不幸になったと感じたことはありません)
「「障害」があるといじめられるんじゃないだろうか?」
と心配する方も多いと思います。(私もそうでした)
でも断言します。子どもは「障害」があるからと言っていじめないですねーーー
うちは・・・地域の小学校に通いました。
もちろん特別支援学級在籍でしたが・・・ほぼ・・・
支援が必要な子ではありますが・・・現学級にいました。
(私たちの時代は親学級って言ってました)
言葉もはっきり喋れない、運動も苦手、勉強なんてついていけない
でもクラスのみんなは「普通」にしてくれました。
運動会や何らかの発表会のときは、どんな工夫をしたら参加できるか?
みんなで考えてくれました
 

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ではボーダーラインの子や、ひと目で分かりにくい発達しょうがいの子は
どうでしょうか?
これは、その場の土壌によると思います。
いじめが起きやすい場ではターゲットにされる可能性はあるでしょう。
でもそれは、「「障害」が原因」なのか?
「いじめが起きる環境」のせいなのか?
という点を冷静に客観視した方がいいと思います。
 
大人になっても、会社の中にもいじめはあります(ハラスメントってやつですね)
それらはハラスメントをする人の内面の問題もあるでしょう。
職場環境(ストレスが多く余裕がないなど)に原因があるのでは?とも思います。
 
実は環境選びというのは、「障害」児・者親にとっては
とてもはとても大切な仕事です。
自分から働きかけて環境を変えていくことが、「障害」児には難しいからです。
でもいい環境を選んであげられれば・・・
「障害」があっても落ち着いて暮らすことはできます。
よって・・・「障害=不幸」という図式は当てはまらないです。
あなたはお子さんにどんな人生を歩んでほしいですか?
今。。。悩み苦しんでいるとしたら・・・
それは「環境」を変えると・・・大きく変化することもあるかもしれませんよ・・・
そのヒント・・・一緒に考えていきましょう・・・