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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児・者には寛容なのに?

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「障害」児育児をする中で、

「「障害」を理解している風」

「個性を受け入れる風」の人にも数多く出会ってきました。

 みんな、「風(ふう)」なのです(笑)

その人たちは、カッコつけてるわけでもなく良い人に見せようといったい気持ちももちろんありません。

本当に

「理解者でありたい」

「万人の個性を受け入れる人間でありたい」

と感じている、その気持ちに嘘はないのです。たぶん・・・

 でも、その人の言動を見ていると・・・

「なんだかなーーー???」

と思うこと・・・出会ったことありませんか?

まあ・・・書いている私もきっとそんな時期を経てきたひとりです。

 「障害」受容に違和感を感じるとき・・・

「「障害」は個性だ」

「世の中色んな人がいる」

「みんな違ってみんないい」

と理解を寄せる人が、身近な人に対して会話がかみ合わなかったときに

「話の分からない人」

「普通〇〇だよねーーー」「当たり前に〇〇でしょ!!」

なんて・・・苛立ったりしている

 

「障害」児・者と話がかみ合わないことには寛容なのに、

健常と言われる方と話すときには・・・

関りが必要な人と会話がかみ合わないときには、

考え方の違いを「個性」と思わず

「理解されなかった」と凹んだり、

「あの人はわからない。変わり者」怒ったりしている人がいます。

 

「障害」児・者の理解しがたい行動や発言・生き方について「個性」だと

寛大視するのであれば・・・

健常者と言われる人と自分との考え方の相違だって「個性」のはずですが、

そのときの寛容さの違いは何なのでしょうか?

 これは、やはりどこかで無意識レベルで「障害」児・者と健常者の間に

人としての線引きをしているから起こる現象なのではないか?

と私は考えます。

もちろん、支援が必要かどうか?で考えたときには線引きが必要だと思います。

 コミュニケーションにおいて

「「障害」児・者と自分が分かり合えないのは、個性だから仕方ない」

「健常者と自分は、健常者同士だから話せばわかるはず」

というのは・・・

「寛容さの差異」これって区別?差別?

 親や配偶者といった家族、親しい友人や恋人・・・

信頼を寄せる人に理解して貰えないとつらいですよね。

 

「理解されてばかりいる環境」

「コミュニケーションがとりやすい関係」

「共感しあえる人」

とばかりつき合っていること

「理解されること」「賞賛されること」が日常化(当たり前)になり

自分が大切に思う人に理解されないとき苦しく辛くなるでしょう。

 

そんなとき

日常では

「「障害」は個性だ」

「世の中色んな人がいる」

「みんな違ってみんないい」

と、声高らかに「障害」児・者に対して考えることが出来るその寛容さを

思い出してください。

「障害」の有無に関わらず・・・

誰しも、分かり合えないことが普通で当たり前

わかり合いたいと思えば・・・その人のことを徹底的に知る必要があるし、

工夫だって必要になります。

 健常者同士だから

「分かり合えること」を前提にした思考で暮らしていると

「あなたの言っていることが分からない」

と伝えることが悪いことのように相手の方は感じてしまうかもしれません。

 でも、「分かり合えないこと」を前提として人と関わっていると

「あなたの言っていることがよく分からないので、

もう少し詳しく知りたいので教えてほしいです」

ということができるのではないでしょうか?

「夫婦だから」「親子だから」といった単純な理由で・・・

「分かって貰えることが当たり前」「以心伝心」と考えているから、

理解されなかったときに・・・きっとつらいし・・・苦しいのです。

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 人と人とは、どんなに強い信頼関係があったとしても

「根本的に分かり合えないことの方が多い」

と理解していれば、理解しあうための努力や工夫を惜しまなくなります。

 親しい中だから「ツーカーで当然」と、思うではなく

「どのように伝えようか」「どの部分を理解してほしいのか?」

「今回はここまでは理解して貰う必要はないかな?」

と自分で判断できるようになれば・・・

身近で大切な人に理解して貰えなかったときにも気持ちの面で楽になります。

私は「障害」児を育てる中で・・・

気持ちを伝割るように伝えることは一筋縄ではいかないことだと学びました。

だから、たとえ親子だとしても

夫婦だとしても

「気持ちが通じたらラッキー」くらいに思うようにしています。

どうしても伝えたいことある場合は・・・

伝わる工夫を積み重ねる努力を惜しまないようにすること・・・

 社会に対しても同じです。

「障害」児育児の大変さを、他人に熱弁したところでどこか伝わっていない。

伝わらないのなら・・・

本来・・・この人はそこまでして伝えるべき人なのかどうか?

を見極めればいいだけです。

 「分かってくれない」「思いが通じない」

と苛立ったり、つらく感じたりするのではなく

「どの部分が理解出来ませんか?」と問いを立て、

相手に課題提起をしてみるのもいいと思います。

 「障害」児と暮らすのは本当に大変で結構イライラ・・・(笑)

それでも、子どもたちのことを愛していることに変わりはありません。

 子ども達と

「伝わらない暮らし」を続ける中で「本当に伝えたいこと」については、

努力と工夫を積み重ねることが大切だとしみじみ考えるようになりました。

そうやる中で・・・

日常生活における会話のすれ違い、感情の行き違いそんなことにも

イライラを感じにくくなったように思います。

あなたの日常はいかがですか?