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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

不登校になった・・・さーーどうする?

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人が学ぶ場所は学校だけなのか・・

その子が楽しい時間はいつか?好きなことは何か?

好きな場所はどこなのか?

人は真っ直ぐに進むだけではない・・・

それは私達大人が一番わかっているはず・・・

肩の力をゆっくりと抜くときもあっていい・・・

 

不登校・・・そんな相談を受けるときそう思います。

過去に不登校だった、引きこもっていた方の支援は数えきれないほどしている

「障害」児者団体や福祉全般関わっている私ですが・・・

ときどきデータも見たりしています。

イメージの通り思春期と呼ばれる中学生が最も多い。

高校で割合が減少するのは・・・現在は通信制や支援学校等も含む個人に合わせた進路が選べること

留年・・・または進学をしなかった方がいることが要因ではないかと思われます。

つまり、不登校は小学校から中学校までは年が進むにつれて増加、

高校進学をきっかけに少しづつ減少していく・・・

でも侮れないのは・・・小学生が増加していることです。

思春期が低年齢化してきているとも考えられるし

一昔前よりも不登校が一般化し・・・

世の中に多少受け入れられてきたこともあるかもしれません。

そもそも不登校の定義とは・・・

「1年間に合計30日以上、学校を休んだことがある/休んでいる児童生徒」

何だかふーーんって感じ・・・

例えば不登校ユーチューバーとして有名な“ゆたぽん”は

前向きな気持ちで学校に行っていない

「友達がロボットに見えた」「大人の矛盾」

「学校よりもやりたいことがあるから」といった理由

 

実際、私が今まで接した元不登校の人の中にその理由を聞くと

「後から思うと理由は〇〇だったかも」という案外曖昧な方が多かった気がします。

そして、理由がないとされる不登校の理由の一つに

発達しょうがいも挙げられるかも・・・と思います。

引きこもりの人が大人になり受診し、

発達しょうがいの診断を受けることは多々あります。

例えば「なんとなく」不登校になってしまった場合があったとします。

しかし、学校に行く理由や、学校に行かねばらぬ理由とはなんでしょう?

様々考えが思い浮かぶとは思いますが・・・

どこからも聴いても非がない完璧な答えなどあるでしょうか?

行くのが普通だから、義務教育だからといった

曖昧な答えに行きついてしまうのではないでしょうか?

そういったなんとなくの共通イメージを持ちづらく、曖昧としたこと、

俗に言う空気を読むことが苦手なのが発達しょうがい。

知的ヤ精神、身体と比べると近年に名前がついた概念、

まーー「障害」ではあるのですが、まだまだ認知が低いのが現状です。

さらに生きづらさはあるものの、健常者と言われる人とのの差がわかりづらく、

わが子の「障害」を受け入れられない家庭もあるでしょう。

さらに発達しょうがいを持ちながら人生で謳歌している方もざらにいるし、

環境やその特性に恵まれ特に困らずに生きていける方もいます。

様々な理由から、病院での診断を避けた結果、

学校という環境での人間関係がうまくいかず、

いじめにあったり、勉強についていけなくなったりして、

不登校になってしまった方の中には、大人になって診断を受けて

ほっとしたという方も結構いらっしゃいます。

ただし、逆に診断にショックを受けてしまう方もいますがねーー

この精神疾患や発達しょうがいが理由だとすると・・・

まずは精神科に受診しやすい世の中をつくることが大切だと思います。

「障害」というものにスティグマがつかなくなるようになればいいのですが・・・

まだまだであると感じます。

それでも少しずつ良くなっていくと思います。

三歩進んでは二歩下がるペースですね(笑)

 

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不登校だった過去がある方で・・・

充実した人生を歩んでいる方の言葉に

「今思えば〇〇が理由だったかも・・・」

つまり、当時はご自身でもその明確な理由がわからない人は

珍しくないのかもしれません。

特に、いじめがあった、誰々との関係が悪い、家庭環境が・・・と、

明確な理由のない人は・・・

「不登校の理由なんて・・・後付けでOK」

って気がします。

実際、現状で不登校や引きこもりの方が社会復帰した際に、

その理由は変わるのかもしれない?と思うのです。

過去なんて今次第。

そもそも学校に通わずともインターネットで様々学べる時代です。

特に今の形の教育システムも諸外国に比べどうかな?とも思うし

知らないうちに大人の振りをするようになった私たち自身、

こうやってまともに生活できているのが奇跡だとは思いませんか?

振り返ると自分でも道を踏み外さずよくもここまでこれたなと思います。

不登校で悩まれている方、家族が不登校になってしまい悩まれている方へ向けて

私が言えることは少ないですが、

ただ、自分たちが気づいたら大人になっていたように

みんな大人になっていきます。

実際に不登校、引きこもりを経て

就労移行支援事業所や就労継続支援B型に来所される方も多数おられます。

何十年も引きこもった結果、就労移行を利用し、訓練、体験、体感を経て、

就職し自立されることはそこまでの奇跡ではなくなりました。

そんな方々が外へ出たきっかけも様々ですが・・・

みんな引きこもった理由があるようでないのがリアルな声でした。

「みんな違ってみんないい」

金子みすずの言うように・・・

20歳で大人になる方、もっと早い方、もっと遅い方・・・様々なのです。

「人にどう見られてもいい、人の目など気にしなくていい」

みんながそう言う言葉シャワーをたくさん浴びせてほしい・・・

何が幸せかは自分の心が決める、

安心して自分の心の状態が吐露できる環境・・・作っていきたいと日々感じています。

「障害」の宣告・・・受け入れられたきっかけは?

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私の子どもは「障害」が生まれてすぐにわかる

口唇口蓋裂からのスタートでした。

産れてすぐにわかる・・・これもかなりのショックですが・・・

産れてしばらくたってからの・・・医師からの告知もまた・・・

受け入れるまでに時間がかかる・・・そんなお話もよく聴きます。

アルアルな話・・・

「ウチの子に限って障害がある訳がない」

そんな思いが湧き上がってくる・・・まさか・・・って・・・・

「障害」があるわが子を受け入れることが出来ないということ

この状況を整理することが出来ないってこと・・・

頭の片隅でなんとなく理解しているようなののですが・・・

これは現実?夢ではないか?何かの間違え?

奇跡が起きて治るのではないか?突然喋るようになるのではないか?

など等・・・

様々なな思考が頭の中に現れては通り過ぎていくような・・・

そんな感覚でしょうか?

「障害」知られたくない。でもわかっちゃう・・・

限られた人にしか話したくない。でもわかっちゃう・・・

そんな風に思っていた自分がいました。

限られた友達に悩みを話すこともありました、が・・・

私は親から「我慢」「忍耐」そんなこと教えられてきたから・・・

どちらかというと抱え込むタイプ・・・

親からも「話すな」「人になんと思われるか?なんていわれるか?」

よって・・・近所の人やこの子に直接かかわる子にしか

積極的に知らせることもできませんでした・・・

「認められない」そんな日々が続きましたねーーー

だから見ず知らずの・・・無料相談・・・そこが唯一の救いの場でした・・・

あの時はそうすることくらいしかなかった・・・

聞いてもらって・・・吐露させてもらって・・・本当にありがたかった・・・

(だから今私がそれができる立場になりました)

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療育センターに通うことになり・・・

『本当の現実』をまた・・・受け入れるようになってきた。

とお聞きすることもあります。

他のお子さんとの出会いやその様子を見ていると、

「こんなに様々な「障害」が・・・」「この子の「障害」は重度なんだ。」

自分の感情がまた揺らぐようにになる・・・

「もう少しで喋るようになるよ」「これからだよ」

という言葉を聴いてきて・・・

淡い期待を抱いていたのが・・・かなり厳しい現実・・・

「この子は一生喋れないかもしれない」「この子はどこまで・・・」

というマイナスの感情がふつふつとわいてきて・・・

感情がアップダウン・・・すご〜く重く感じたり・・・

でも親だから・・・経験を重ねてきた大人だから・・・

考えるようにもなります。

 

「言葉以外に伝える方法があればいい」

「可愛がられる生き方とは?」

「この子が生きやすく、楽しく笑っていられればいい」

 

現実を受け入れることは、決して諦めることではありません。

でもあまり大きな期待をせず・・・

その子に合った支援をするということは、とても大事なことだと思います。

 

●その子はその子で良い

●できないことを見るのではなく良いところを伸ばせばいい

●焦らない

 

という考え方で私はやってきました。

よって・・・ちょっとでも出来たときは・・・

赤ちゃんが立っちしたり・・・

一歩を踏み出したたときのように大喜びしていました。
謎の行動やビックリすることがあっても

「おおーーー、そう来たかーーー」

「ほう・・・そんな思考なのかーーー」

と面白可笑しくそして・・・興味深く捉えるようにもなりました。

とにかく何をやっても可愛くて仕方ないって感じです・・・

こんなに楽観的で大丈夫なの??と心配になる人もいると思いますが・・・

「現実を直視すること」

振り返らずに前に進むことだけを考えていきましたねーーー

「「障害」があって大変ね」「可哀想」「本当に辛いんだろうね」

 

と心配してくださる方もたくさんいましたが

心配は無用でした・・・

私自身がこの現実を受け入れて

前向きに人生を楽しんでいこうと「決断」していたから・・・

今なんて「障害」について聞かれても何でも答えられます。

むしろ聞きにくいこともたくさん聞いて欲しいとさえ思っています。

それで誰かのお役に立てるのであれば本望です・・・

困ってること。。。今の現実にどうしても前向きになれない・・・

そんな自分の感情もしっかり味わってください・・・

で・・・何か吐露したい・・・その先がない・・・

そんな方は・・・いつでも聴きますよーーー

 
 

「障害」小さなころからの診断で悩んでいませんか?

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今は小さなころから発達の診断があっていて

自閉症の診断が2歳前に言われる方も出てきました。。

まだ発語が遅いだけではないかな?っていう段階から

親は心配なまなざしでお子さんを見つめています。

まーーーだんだんと・・・

3歳になっても喋らず、4歳になっても喋らす
5歳になっても喋らず・・・

で5歳で知的にも問題が・・・なんて方もいらっしゃいますね・・・

『一生お話が難しいかもしれない』

診断だけを聞くと、ずっしりと重く、暗く、悲しく、苦しい。

何とも言えない感情が湧きあがってくるかもしれません。

でも・・・今は情報がたくさんあります。

たくさんの「障害」の方たちともSNSで出会えたり

書籍や動画もある・・・

自閉症では、有名な東田直樹さんの本もありますね。

 彼もほとんど発語はありません。

会話のできない重度の自閉症の方ですが・・・

文字盤を指差しながら言葉を発していく

「文字盤ポインティング」やパソコンを利用して

ほとんど援助なしでのコミュニケーションが可能な方です。

言葉でのコミュニケーションが困難でも・・・

パソコンで意思疎通が出来る。話せなくても困らないって・・・

モデルの方だと思います。

誰もがそこまで出来るようになるか分かりませんが

コミュニケーションは決して・・・発語にこだわる必要がない

そう思えるようになりました。

言葉よりも本人が楽に・・・

意思表示をすることが出来る手段でコミュニケーションが出来れば良い。

それで全然いい・・・無理する必要なんてありません。

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彼が思いを発信してくれた時・・・

ほんとに自閉症のあの子やこの子の顔が思い浮かんで・・・

あーーーこう考えているのかなーーー

あーーーそういう気持ちねーーーって思ったものです。

そもそも、言葉を発するという機能が備わっていない可能性がある中で、

言葉を出そうと必死になっても本人が苦しく・・・一番つらい・・・

でも、カードやボードで意思表示が出来るということは、

しっかりとした意思表示ができる。

本人が出来る方法で意思表示やコミュニケーションが出来ればいい

そこに注力すればいいだけ・・・

そのできる方法でその子のできるを伸ばせばいい・・・

実際にボードで要求を出したり・・・

ジェスチャーで必死に伝えようと工夫している子、

まだまだたくさんの可能性を感じます。

小さなころ・・・早くに診断があったとしても・・・大丈夫!!

今は・・・一歩踏み出すことができたなら・・・

そこからは「簡単」そう思いながら・・・進んで行ってほしい・・・

一人ではないから・・・

たくさんの「できる」にたくさん出会えるから・・・

さあーーーここからこれから・・・

そんなお母さんや子どもたちの「強味」「できる」を

日々発見・・・人の人生を輝かせるふくしやさんとして・・・

今日も「障害」児・者たちとの1日が始まります・・・

困ったときには・・・どうぞ・・・ご連絡くださいね・・・

 

Facebookではひらがな・・・「おおしまりつこ」で検索してください。

メッセンジャーにてご連絡をどうぞーーー

「障害」保護者の鬱傾向、うつ病になる原因は?

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「障害」児を持つ保護者さん(特にお母さん)は、

うつ病あるいはうつ傾向にあるということが・・・

複数の研究結果でも明らかになっていますし、論文もたくさん出ているようです。

でも社会の中では
「みんなそれぞれ大変なんだからみんなで頑張ろうよーーー
なんていわれてきた保護者さん、たくさんいませんか?

メンタルが損なわれる原因は様々なのですが・・・

しっかりと掘り下げると

「自分の子どもに「障害」があるから」

ということだけではなく・・・そんな単純なものではないのです。

「障害」児が産まれたことは・・・誰も悪くない。

ハンデキャップのあるお子さんを持つ保護者は・・・

きっと人1倍頑張っていると思うし、

お子さん自身も生きづらさがある中・・・頑張り続けて生きています。

その頑張っている人たちが・・・

メンタルくずしてしまうのは辛過ぎる(T_T)

「障害」児と保護者さんにも楽しく当たり前に幸せに生きて欲しい・・・

そして身近にいる方で力になれる方、配偶者で思い当たることがあれば

少しでも心に留めて頂けると嬉しいです。

 

様々な「障害」の種類がありますが

薬で治る病気ではなく、先天性の脳の機能障害なので一生『治る』ことがない・・・

そんな日々に向き合っています。

お薬で生きづらさを和らげたり、療育やリハビリでの訓練で順応していくことはあっても『治る』ものではありません。

この事実をつきつけられたときの衝撃は・・・

多分みなさんの中でも、奈落の底に落とされた感覚があったのでは?と思います。

 

そして「障害」児・者は健常児といわれる子どもに比べると

圧倒的なマイノリティ(少数派)です。

よって、単純に考えると理解者が少ないのが現状です。

私もずいぶん暗闇の中を彷徨っていました。

中には診断が降りてから療育センターの療育に通うまで数カ月から1年くらい

ってざらですからねーーー。

なかなか友人や親族にもこの状況を話せなかったり

理解してもらえない、という悩みが続くことになります。

発達に遅れのある子のママさんは・・・

よくこんなことを言われたりすることが多いです。

「まだ出来ないの?」
「ちゃんとたくさん話しかけてる?」
「絵本をたくさん読んだら喋るようになるよ・・やってごらん」
「あなたのしつけがなってないんじゃない?」

「ちゃんと勉強してる?」

これ本当に言われてきた保護者さん多いです。

育児にはどこかで終わりが見えてきます。
「健常児」といわれるお子さんであれば、

小学1年生くらいからお留守番が出来るかもしれません・・・
自分のこともある程度・・・自分で出来るようになります。

「障害」の種類や程度にもよりますが・・・

「障害」児は・・・いや者になっても・・・

基本1人には出来ないこと多いです。身辺自立が難しいお子さんもいます。

これは育児の時期が過ぎ・・・もう介護のような状況です。
養育者は休む暇はありません。

睡眠障害のある子も多いです。よって眠れません。
親は基本的な自分の欲求が満たされないことも多いのです。

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子育てについては主な養育者に負担が偏ってしまう傾向があります。

子どもの通院、療育、幼稚園や就学先など進路について、

大体母親1人で抱えてしまうことが多いです。

「障害」の勉強をしたり、子どもの療育、進学先について調べたり、

多分普通の子育て+があります。

共有出来る人も会うくなく悩んで「孤独」になってしまう。
夫婦なら夫婦で一緒にやれば良いのですが

中には夫がノータッチ。

何が辛いかってこれが一番辛いと話す方もいます。

自ら動くことはない、問題が起きても特に対処しようとしない、

療育に関するものを作ったり準備するのも全部自分。

「障害」に関する勉強もしない。

勉強もしないので、対応を共有するにも時間がかかる。

よく見て見ぬふりさえする。
何てこと・・・よく聞きます。みなさんはいかがですか?

養育者が出来るだけ1人になる時間や休む時間を確保すること大事です。
預けることに罪悪感を感じてしまう方もいらっしゃいますが、

罪悪感など感じることは全くない。

好きなことをしたり好きなものを食べたり買ったりすることで

多少はご自分の欲求が満たされます。

欲求が満たされることでまた子どもときちんと向き合えることもできます。

これもまた家族理解・・・

中にはモラ夫の方もいて、、、その場合はなかなか難しいこともある。

ここも課題です。

自分がどうすることでストレスを発散出来るか?

クールダウン出来るか?を自覚しておくことも大事です。

私は人と話すこと、カフェに行くこと、美容室、体メンテすることで発散しています。

コロナ禍でなかなか会えないことがありますが、

オンラインお茶会、飲み会・・・今は便利ですよねーーー。

私は今は・・・助けを求めたり話すことが出来るタイプですが、

リアルでなかなかそれが出来ないという方もいます。

そんな方は・・・SNSを利用するのも一つです。
同じ境遇の人もいますし共感してくれる人もいます。

とにかく養育者の方も居場所作りが大事。

一番伝えたいのは、保護者さんたちも

『自分を大事にして』ということです。

自分を大事にすると・・・

きっと多少かもしれませんが・・・

自分のセルフマネージメント

メンタルを保つエネルギーが湧いてくると思いますよ。

私だってネガティブだったときがあった・・・

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私は今でこそ超ポジティブに生きていますが

20代後半で子どのをもって・・・その子が「障害」児と診断され、

その後様々な壁を感じ、しばらくは・・・超ネガティブな感情を持って

過ごして来ました。

目の前の不安・・・

どうやって育てていけば良いのか?

身体的だけではなく知的「障害」もある中

どれくらいのレベルに成長出来るのか?

幼稚園または保育園にみんなと一緒に入れるのか?

将来この子はどうなっていくんだろう?

もしかして・・・まだほかにも「障害」があるのでは?

という不安・・・

これ以外にもそのときは・・・

言語化出来ない程の様々な不安を持って日々過ごしていました。

毎日ひとりになると暗い顔で・・・よく泣いていた。

友達に会っても空元気・・・人に会えば会うほど不安ばかり募って

特に成長がゆっくりで療育の成果が見えないときなんかには、

今日も上手くいかなかった・・・と考えると、

急に涙がポロポロ流れて来たりすることもありました。

ネガティブな感情にならない人っているのかなーーー

(乙武さんのお母さんは初めから著書の中ではポジティブだったなーーー)

ただ、ここで生じたネガティブな感情とは・・・

決して子どもが可愛くないとか・・・嫌だとか・・・そういうことではない。

むしろ大切だから。。。可愛いから・・・こそ

悩むし不安や悲しみの感情も湧くし・・・感情がアップダウンする・・・

何より真剣に悩んでいるとから・・・

物事を深ーーーく考えてしまう、考えて過ぎてしまう、

でもこの時期・・・

私は、物事や相手や自分と真剣に向き合っているということでもあるから

大事だとも覆う。

でも・・・どうでも良いことには、悩まないし・・・そもそも深く考えない。

 

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「そんなことでイチイチ悩まないで!」

「あの人愚痴ばっかりで疲れる」

「エネルギーが低い人といると疲れる」

とか言う人もいるけれど・・・

私は悩んでも良いと思うし・・・愚痴ってもいいと思う。

そしてそれを聴ける元気いっぱいの人が聴いてあげればいい・・・

愚痴ってスッキリするなら、例え解決の糸口がさっぱり・・・

見つからなかったとしても、

人に話してスッキリするなら・・・たーーーくさん愚痴って欲しい。

でも、愚痴って落ち込んで泣いて叫んでも・・・

そのあとは必ず自分を認めて褒めて

何となーーーくでも、自分が前に進む道を見つけていって欲しいなーーーと思う。

ネガティブになって悩んで自分の気持ちに折り合いをつけて

信頼できる誰かに話を聞いてもらうことでスッキリして

自分は頑張っている!と認めて、褒めて・・・自分を奮い立たせて

子どもの成長を日々喜びながら段々受け入れることが出来るようになっていく・・・

そう考えると。。。

私もネガティブな感情を持っていたナーバスな時期、時間は・・・

決して無駄ではなかったと思います。そう・・・

今ナーバスです・・・そんな風にしか考えられない・・・

そんなあなたも・・・きっと大丈夫!!

あけない夜はない・・・やまない雨はありませんから・・・

「可愛がられ力」って身に着けられる?

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私は子育てをする中で決めていたことがありました。
それは最初に生まれた子が「障害」があったから・・・ではありません。
私が子どものころから感じていたこと
「あんなお母さんになりたい」理想のお友達のお母さんがいました。
その像が私の「お母さん像」にありました。
そして・・・アルプスの少女ハイジのように幼児期は天真爛漫であってほしい・・・・
子どもは子どもらしく・・・のびのびと育ってほしい・・・そう願っていました。
要は私が・・・そうではなかった・・・からの願いでもありました。
「可愛がられ力」があったらいいなーーー
特に最初の子どもが「障害」児だったので・・・
そのことはずーーーっと心の中にありました。
「なんとなく構いたくなる」
「一緒にいたいと思う」
「顔を見たくなる」
そんな魅力のある子のことです。
これがあると、きっと・・・
自分で身の回りのことができなかったり、
意思を言葉で伝えることが苦手なでも・・・
きっと自然と周りの人に助けてもらえるはずです。
ではその力・・・可愛がられ力の正体とは一体なんなのでしょう?
身につけさせるにはどうしたらいいのでしょう?
子育てする中で・・・実は、可愛がられ力は、身につけるものではないのだなーー
と気が付きました。
おさえる事はできても、身につける事はできない。
なぜならそれは・・・みんなが持っているものだからです。
引くことは出来ても、足すことは出来ないモノ・・・
「可愛がられ力」のつよい子どもや利用者さんを見ていて気付いたことです。
実はその力がある人は・・・結構手がかかる方が多かったりします。
気分屋で言うこと聞いてくれなかったり、
他害行動(他者に危害を加える)があったり。
でもその中でも・・・ふと見せる笑顔がとても魅力的だったり
めちゃくちゃかわいいんですよね・・・
笑顔って人を癒します。
それだけで・・・いろんなことが吹っ飛んでしまいます。
そんな人は自分自身をを偽ったりしません。
やりたくないのにやるとか、嬉しくないのに笑うとか、そんなことはないのです。
その人の内面がそのまま表にあらわれたとき、
うそ偽りの無さに人は魅力を感じるのだなーーーって・・・
要は・・・そのままの自分が、一番魅力的ということ(^^)/
可愛がられ力が高い人には、ある共通点があります。

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それは・・・自分に素直だということです。
親や先生、大人だけに素直なわけではない・・・
というところが根本にあって・・・自分に素直。
ということは・・・
親や先生、大人にとっては都合が悪いことも多々あります。
でもそんなときにも自分をおさえることなく表現する。
「困ったなー」「んーーー」
という場面もありますが・・・
反面・・・笑ったときの笑顔がこの上なく魅力的だったりします。
 「いや」も「楽しい」も表現する時はいつも心の底から・・・
どちらも嘘がないのです。
「障害」児を育てるときは・・・
どうしても「ありのままをほめる」ことができない日もあるでしょう。
(私もそうでした)
やっぱり出来ることは身につけてほしい、
周りに迷惑をかけることはやめさせたい・・・
そんな親に対して・・・
「怒ったり叱ったりしないでください」とは端的には言えません。
でも・・・その分たくさん「大好きだよ」と言ってあげてください。
「大好き」というのは・・・
「そのままのあなたでいいよ」というメッセージが含まれていると思います。
良いところも悪いところも関係なく・・・
まるごと受け入れられたと感じたとき、
人は何より安心感を得られます。
安心感があると、認められている自信から
人は内面を自然に出し本来の良い面が見えてきます。
特に幼い子どもにとっては・・・安心感はとても大切です。
子どもの可愛がられ力を伸ばすには・・・可愛がって育てること
「良いところ」とか「悪いところ」という見方はなく・・・
シンプルに・・・
「目の前のあなたが大好きだよ」
というメッセージをたくさん送ってあげれば良いのだと思います。
そうすれば子どもは素直に・・・
自分を出せるようになり・・・
自然と可愛がってくれる人が集まるって来るものですよ。
ぜひ・・・心がけてみてくださいね・・・

「障害」学校の先生とはわかりあえないの?

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最近見たブログです。

 

★児童指導員として現役で毎日子供達を支援中★
        ☆児童発達障害コミュニケーション指導資格取得☆
        ★軽度~重度まで色々な子供達と接しています★

 

最近は発達障害、自閉症のある子が養護学校がいっぱいで入れず、

支援学級に通うことが多くなっています。

 

学校の先生に、発達障害に詳しい先生はほぼいません。

また、支援学級に自ら進んでなりたがる先生もほぼいません。

そのため、知識のない先生が支援学級の担任になることがほとんどです。

 

果たしてそれが、子供のためになるのか?

 

ならないですよね。

 

支援学級の先生次第で、正直、子供の伸び方が全然違います。

発達障害に関して勉強して、子供に向き合ってくださる支援学級の先生は、

正直少ないと体感しています。

 

本当に、先生次第で、子供は変わります!!

 

今の日本の支援学級は、このままではいけないと思います。

教師の中にも、発達障害専門の教師が必要な時代になっていると思います。

 

携帯料金を安くする以前に、

もっと見るべき場所があるのではないでしょうか……

 

毎日小学校の支援学級に子供達を迎えに行きながら、

日々なんとも言えない憤りを感じてます。

 

子供達と向き合い、変えてくれる総理大臣が早く現れ、

改革してくれることを願うばかりです……

 

そして、支援学級の先生達も、もっと真剣に子供達の障害を学び、向き合ってほしいな、と思います。

 

みなさんはこれを読んでどう思いますか?

「教育」って何でしょうか?

 

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毎日子ども達と向き合っていく仕事

私達は何を大事に思い

子ども達と日々向き合っているのでしょうか?

教育とは一体何でしょうか?

教育・・・特に「特別支援教育」って??

もしかしたら・・・大人の私たちが

大きな勘違いをしているのかもしれません。

教えてやるんだ・・・もっと周りの子に近づけるんだ

できないことをできるようにやるんだ・・・

もっと社会性を・・・

様々な言葉が飛び交います・・・

そうだね・・・そうかもしれし・・・そうではないかも・・・

私たちの第1の願いは・・・子どおたちの「幸せ」

それは教育者である学校の先生方も同じ気持ちのはず・・・

なのに・・

この方は・・・そして多くの相談者の方は・・・

「わかってもらえない」「わかってない」

「勉強が足らない」「専門性がない」

その他・・・様々なことをおっしゃいます。

でも・・・この多くの方が・・・

実際はコミュニケーション不足だったりするんです。

初めから専門性のある人なんていない・・・

実際・・・専門性のなかった親だって・・・

付き合いの中で勉強したり、人に出会ったり

本を読んだり、体験体感しながら学んできました。

だから・・・いくら専門性があっても・・・

体感体験していない人は出来ないし・・・

ましてややる気なし・・・の人は生涯できるようにはならないでしょう・・・

子どもの成長は待ってはくれません・・・

そして良好な人間関係が・・・

この子達のよりよい将来を決める手立てにもなったりします。

さーーじゃあどうしていくのが一番の近道なのか?

あなたは・・・どう考えますか?

「決断」1日35000回・・・「障害」児・者とかかわっていたらもっとかな?

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自分で言うのもなんですが・・・

私は結構・・・何事にも決断が速い方だと思います。

「やるのかやらないのか」「行くのか行かないのか」

「買うのか買わないのか」

人間は細かいことを数えると1日に35000回の「決断」をしながら

生きているそうです。

よって多くのことを「決断」しなければいけないので

時間の無駄こそしたくない・・・ので割と即決出来ます。

ときに「どうしようかな」と悩むこともありますが・・・

深く悩んで先延ばしや迷宮入りするようなことはありません。

 決めたことが結果・・・納得のいくものではなかったとしても、

「なんで上手くいかなかったのだろう」「何を変えたら?どの切り口なら?」

と分析し・・・

また次のステップへ進むことを癖づけています。

周囲から見ると・・・立ち直りも早く見えるか?ドライに見えるか?

 そんな私も、ときに迷宮入りになりそうなこともあります。

「自分以下外の誰かの人生を決める」場面

特に「障害」児・者に関わっいると・・・直面っすることが多くあります

誰よりも近くで長い間見てきたから・・・

「何でも知っている」「一番わかってる」つもりでいるのが・・・

親子関係。

でも、人生に関わる大きな判断を迫られて初めて知るのは・・・

「私は、この子のことを何も知らない」ということかもしれません。

 

それでも決断者は本人だけでは難しい場合は親である・・・私なのです。

「障害」児・者の親として、この子にとってのベストな判断を迫られる

私は今まで、この子の何を見てきたのだろう?
なぜ、この子の気持ちがこんなに分かっていなかったんだろう?

どんなに育児が苦しいと思っていても、

「障害」がなかったら・・・と思ったことがあっても・・・

それでも我が子は誰よりも愛おしいし

いつまでたっても一緒にいたいし顔も見ていたい・・・

これは、生物学上の自然な母性だったり「愛」なのでしょうねーー

育児をされている方が経験する

片言や物事を覚えていく可愛さ・・・

無条件に求められたり、

友達と遊ぶようになったり・・・

そして、自分の意志で

「こんな風に生きていきたい」

と巣立つまでの、その過程・・・

 それは・・・大人になってからの人もいるだろうし

もっと早い時期の母子分離を言われる方もいるかもしれません

 子どものためを思うと離れるべき時がある・・・

でもなかなか自分だけでは決めることが出来ない。

「愛情」なのか「依存」なのか、それすら分からなくなってしまう・・・

「生きる力」って何でしょうか?

「障害」児・者の生きる力は「依存先をたくさん作っておくこと」

頼れる先を多く作って自立することなどとも言われます。

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それは放課後デイサービスや特別支援学校、支援学級、多くの福祉サービスの中だけで生きていくだけでは見つからないかもしれません。

これはサービスであり行政的なことであり・・・

人が変われば様々変わってしまうから・・・

じゃあ

「何をどうすれば・・・」

私は地域の中で生きさせる・・・を決めて動いてきました。

家族以外の人と

余暇の時間を損得勘定なしで付き合っていける人をどれだけ作れるか?

彼女も世間にもまれて成長しました。

そして・・・「たくさんの依存先」ができています。

 今・・・不安に押しつぶされそう・・・これからが怖い・・・

何におびえていますか?その正体は何でしょう?

もしかしたら親である自分の

「知らないこと」「無知」かもしれません・・・

子どものために「学ぶ」これを大人が忘れてはいけませんね・・・

「学ぶ」は難しいことではありません・・・

何かを知りたい・・・情報ほしい・・・

そう思ったら・・・まずは知っている人を探して・・・

情報を取りに行ってくださいね・・・ まずは・・・

そこから・・・その一歩からです・・・

 

「障害」児・者の経験値を高めていくこと

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「障害」児・者の支援をするときに、
支援者側は、よく質問をすると思います。

その質問で、多くの支援者が間違えてしまうのは、
支援者がしてほしい・してくれたらいいな・・・

と願っていることを質問をすることです。

例えば、
ゲームで遊んでいる子に、
そろそろ終わりにしてほしいときに、
「そろそろ終わりにできるかな?」
などと質問をするなんてことはありませんか?

これって支援者の気持ちですよね?
自分の気持ちを優先しているのわかりますか?
この質問は、当事者を操作をするための質問となっています。

本来の質問というのは、その人が自立に向かい、
自分の考えを整理し、自己選択・自己決定をするための
ものであるべきではないでしょうか?

そのために、
私たち支援者が気をつけることは、片側に偏った質問をせず、
気持ちの確認をすることです。

ひとつの質問をすると、
その質問にYESという立場をとる人も多くいるので、
YESだけでは答えられない複数の答えが出る

質問を用意しましょう。

つまり、
誘導するための質問ではなく
自己選択・自己決定のための質問と言うことです。

では、どういうふうにしていくか?

「できますか?できませんか?
できなくても大丈夫ですよ」

「食べますか?食べませんか?
今でなくてもいいですよ」

「これにしますか?あれにしますか?
他のことでもいいですよ」

というような、質問の仕方です。

するかしないか、できるかできないか
そして、どちらでもよいことを
イメージしてもらいましょう。

たとえば、

「できますか?できませんか?
できなくても大丈夫ですよ」

の問いの場合、

「できる?」
と聞けば「うん」とか「できる」と応えるでしょうし、
「できない」とは、言いにくいでしょう。

「できない?」といったときに、
支援者に自分がどう思われるだろうと
思ってしまうと。。。なんとなく
「できない」と思っていても
「できる」と応えてしまったりします。

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ですから、
「どちらでもいいですよ」という
支援者側の意思を伝えることが大切だと思うのです。

あなたの考えのどちらでも大丈夫だよと
安心を宣言するための一言になりますかねーーー

この一言があるだけで、質問を受けた人は、
安心感が全く変わるのではないでしょうか?

どうしても、彼らは、
私たち支援者が上の人であると見ます。

これは、私たちがいくら同等だといっていても、
彼らからはそうは見ない人だと思うべきなのです。

上の人と思っているその人から
質問を受けたときに、
その人に合わせようという心理が働くと言うことは

私達にもありますよね・・・
それがありうると思うべきなのです。

そこで、あなたの考えでいいですよと
いう姿勢を見せるための言葉なのです。

私たちは、
彼らが、選びにくかったり、
決定しにくくなりがちな人であると
充分に理解して、
私たちからの言動にも配慮をしていくことが大事です。

質問は、
本人の意思を確認する時に、有効な方法ですから、
間違った使い方にならないように、
複数の質問を用意したり、多角的な質問をしていくことで、
彼らの自己決定の機会をつくっていきましょう。

質問する際、

支援者側の表情も穏やかにしておくことをお忘れなく・・・

彼らに、安心して
受け入れてもらえる
支援者としての言動を磨いていきましょう!

そして、どちらを選んでも良いのだ安心なのだという、
経験をたくさん重ねてほしいと思います。
それは、自分自身で自己選択・自己決定を
する上での経験の一つとなります。

色々な場面で複数の質問する場面を増やし、
本人の経験値をどんどん高めていきましょう。

 

誰でも好き嫌いはあるはずなのに・・・

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「障害」児・者に限らず、
人間だれしも、好き嫌いってありますよね。

それは人、モノ、環境・・・様々なモノが対象になります。

この好きだ嫌いだというものに対して、
支援者がよくやるのは、
嫌いなものをどうにか克服させようとすること。

これを、支援だと思い込んでいる人がいますが・・・

果たしてそうでしょうか?
私は・・・

これは支援ではない!!と断言したいと思います。

それはなぜか?

もちろん、本人が、自己決定のもと、
克服したい!!という希望であれば、
支援の一環としてとらえることができることもあります。
けれども・・・克服したいと本人が思わないものを
支援者側の考えだけで、
「慣れてくれなければ困る」とか、
「仲良くできるように努力して・・・」といったもの、
さらには、
「当たり前に慣れることは出来るでしょう?」
「集団生活なんだから慣れてもらわなければ、みんなの迷惑になるよ」
「あなた一人のために変えることは出来ない」といった意味合いで、
本人が嫌と思っていること、できないことを
日常の中で、経験させるということを
支援者はしがちではないでしょうか?

そして、それをすることが、本人の為だと思ったり、
自分は良い支援をしていると勘違いしてはいませんか?

それでは質問です。

あなたには嫌いなものはありますか?

食べ物、虫・動物
雰囲気、音、
他者の性格、高いところ、
尖ったもの、色、暑い、寒い、冷たい・・・ 

色々な場面で、自分が好きだ、嫌いだと

感じるものってありますよね。

その嫌いなもので、
他人は好きだから
自分もこれを好きになろうと努力してますか?
思っていますか?

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例えば、
私は、油モノが嫌いです。
全く食べない訳ではありませんが、
好んで食べようともしませんし、
今から好きになろうとも思っていません。

あなたは嫌いなものを克服しようと思ってますか?
そのものを好きにならなければ
仕事に支障があるとか、困るのであれば別ですが、
実際・・・困ってもいないのではないでしょうか?

私は実際
周りの人が油ものが苦手でないことはよく知っています。
天ぷら屋さんや飲み会の席で、
油ものが出ますが、みんなが食べているからと言って
自分は無理して食べようとも思いませんし、
周りの方は私に気がねぜず、
みなさんで思う存分食べてほしいと思います。
ただおいしそうだなあと思えば
少しは食べることもあります。
でもそのことに慣れようとは思いませんし、
油ものが大好きな人をうらやましいとも思ったことはありません。
もちろん、食べないことで、困ってもいません。

嫌いなものは嫌いで、
慣れた方が良いと自分で考えていないことを、
「慣れたほうが良い」といわれても、
拒否するのではないでしょうか?

私であれば・・・慣れたいとも思いませんし、
それでも食べろと言われたら・・・
強要されるの?になるでしょうし、
そういうことを強要する人は
もしかしたら・・・嫌いになるかもしれません。
ストレスも感じることでしょうね。
自分であればどうだろう?と捉えたあとで、
もういちど、「障害」児・者のことを考えてみましょう。


その方が、克服したいといった場合は、
支援を入れることになる顔しれませんが・・・
でも、絶対に支援を入れるとは
限りません。

なぜ克服したいのか?が、問われるところです。
支援者に言われて、ということであれば・・・
「克服したい」といっているのが
本心なのかを確認しなければなりません。

支援者が言ったから
言うとおりにしなければならないと
いうような場合は、再度確認ですねーーー。
自ら克服したいということととは、明らかに理由づけが違います。

続けてよいことでっしょうか?

私は続けなくてよいのではないか?と思います。
もちろん、命に係わるなどのことであれば
ケースバイケースで考えなければなりません。

一般的には嫌いなものには、何年つきあおうが慣れません。

もしあなたが強要している場合は、
自分は人権侵害をしているのではないか?を疑うべきですし、
精神的虐待を疑うべきでしょう。
そういう視点からあなたのしていることを
再確認していきましょう。

さあ・・・今のままでよいでしょうか?