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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」者事業所を客観視してみること

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「障害」児・者団体の代表なんてしていると

様々なところへ出向くことやちょっと役職をもらって

事業所などに入ることや相談にのることもある。

その時に様々な視点の在り方に私自身気づかされるし・・・

考えさせられることが多くある。
それって・・・利用者主体になってますか?

ホントに1番困っている人は誰ですか?ってことです・・・


事業所でよく聞くのは・・・


「職員が困っています」これを学校に置き換えると

「学校で困っています」「クラスで困っています」

みたいになるのでしょうか?

利用者の表面的な動きなどで困っているために、
何とか利用者の今やっている動きを
改善したいという視点になってるってことだと思いますが・・・・
 
利用者の人がそういう動きになるのは、
利用者自身が困っているからです。
誰が困っていることなのか?この主語は?
この問題の主人公にするべき主語は・・・利用者であり
職員や先生ではありません。
 
職員や先生の支援方法や関わり方を
まず変えることを再確認すべきですよねーーー
 
まずは・・・
利用者のできることや
こだわっていることに目を向けます。
こだわっていることは、その方の役割にすることができますよね。
職員が湯呑を置いた後の位置の調整などに
こだわっているようであれば、
その人には、置く場所にこだわりがあるなら
その役割がきっと適しています。
 
中には利用者がしていることを
監視しているような利用者さんもいますよねーー
そうしたらその様子を活かした役割があるのではないでしょうか?
そこに問題を感じるのではなく、
そこにその方の強みを見つけましょう。

本人のできることの中でやる自立
福祉的支援の目的は自立。
自立をそぐことのないようにすることは大事です。
利用者の人も自分たち支援者側も・・・です。
できない中で難しいことをやると辛さが増したり、
自立度が低くなったりします。
また逆に、できることをさせないことで
その社会的「障害」が重くなります。
支援というのは、
できないところに目を向け、
できるための工夫をしたり、
できないことはSOSを言えたりするようになることにつなげること。
 
利用者ができることを支援側がやっているのは、
支援側の仕事を増やすことになることばかりか・・・
利用者の方ができることまでやってしまうのは、
いらぬお節介。
 ひとりでできることを増やすこと
ひとりでできる時間をもつということも、
イメージしておくようにしましょう
 
事が起きてから対処するように関わるのではなく、
事前準備に目を向ける。ここが重要です。
 ここを間違っていると、
常に問題や課題が起きてからの対処となり、
また、問題や課題は出てきます。
 
その方に、
自分がどんなことをすれば、
生活がしやすいか?を考え、
事前に手立てをすること。
 
これが、事前にするべき準備です。
 
常に事後になっていないか?考えてみてくださいね。

また・・・誰でもそうですが・・・
知らないことはできない!!
これは支援側も家族も本人も誰でもそうです。
できていないその人に対し、
「なんでできないの?」と
言ったりしないことです。
 
知らなければできません。
知ればできることはたくさんあります。
あなたも知らないことはたくさんあります。
知れば、できることにつながることも
たくさんあります。
 
知らなくてやっていない人に対して
批判非難するのではなく、
あなたが知っていることをわかりやすく伝えていくことが
あなたの役割ではないでしょうか?

また・・・しゃべりすぎないこと
毎日、話かけることが支援だと
勘違いしている支援者が多くいます。
 
また、中には支援者側から質問をしておいて、
利用者が考えているにもかかわらず、
その時間が待てなくて・・・
自らまた話しかけている支援者も多くいます。
 
その人が考えている時間は、あなたが待つ時間。
 
自分は話し始めたら、
相手はどういう状態になるのか、
想像してみることです。
 本人が主人公になるよう、
むやみに話しかけすぎないこと。
相手から話してくることを待つ。
そういう関わりの割合を増やすことも大事ではないでしょうか?
 

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関わることが支援だと勘違いしている人も多い。
関わればできることは確実に減ります。
 距離を置いて見守り、SOSが出たら間髪入れず支援に入る。
そういうことが安心を作り出す結果につながります。
 
心地よい生活って、どんな生活でしょうか?
「障害」児・者は、支援者がそばにいることが
心地よいはずだと思い込まないことです。
そばに支援者がいない方が、ホントは心地よい生活。
 
支援者の露出を減らし、風景の一部になりましょう。
 
職員や支援者同士の意見が違うことは当たり前。
そして、ベテランだからと言って
その意見がよいとは限りません。
 何のために誰のために意見を言うのかを
チームとして決めておきましょう。
そうすれば、誰がどんな意見をいったとしても、
利用者のための意見として考えることができますし、
利用者のための意見として認識が持てます。
 
 また、新しいことをするなら、何かを省くことです。
さもないと支援者が壊れていきます。
人材不足が叫ばれる今、自分たちの仕事の良しあしを決めていかなければ、
一緒に働こうとする人は増えていかないでしょう。
 
残業ありきボランティア精神
愛でカバー
 
そういう旧態依然の考え方では
これから先細りではないかと自覚していただきたいものですね。
 
自分たちで考えようとしている事業所はぐんと伸びます。
 
きついことも多いかもしれませんが、
私は・・・自分たちで答えが出せる事業所に育つことが大切だと思います。
 
間違ったって言い。
そ子から、学びや発見があり・・・また考えていく。
 
利用者のためにと前に進もうとする事業所は、
観ていてかかわって応援したい事業所です。
 
つまりは、利用者の方たちからも
応援してもらえる事業所だと思います。
 
もちろんこれ以外の視点も多々ありますがねーーー。
 
長い時間職員たちだけで答えを出せないで
利用者の方に迷惑をかけているようでしたら・・・
外部コンサルを1回でも使ってみることも大切かもしれませんね
 
客観視すること・・・
自分の頭の上の埃は気づきませんからねーーー
 

「障害」者のひとり暮らし想定したことありますか?

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「障害」者の暮らしって想像したことありますか?

一人暮らし、世帯分離を想像したことがありますか?

グループホームとかではなくて
アパートや親亡き後の一軒家暮らし・・・

実際そういう生活をしている人は全国では
たくさんいますよ

私もヘルパーに入っていたとき

そんな方々を見てきました。
一軒家、アパートマンションにお住まいで、

自分の生活感を大事にしている人・・・
買い物やコンサートに行く、趣味もある。

日中活動としては就労支援施設に行き、
働くことも日々充実している。

「そんな人はかなり自立している人でしょーーー」

って声が聞こえてきそうですが・・・
なんでもできなければならないと
思うのってなんででしょう?

なんでもできなければ、
一人暮らしはできないのでしょうか?
そんなことはないです。
できなくてもよいこともたーーーーくさんあります。


一番しなくていいのは
料理。


ちょっとはできたほうがいいかもだけど
できなくても今の世の中困りません。

一番、大事なのは、SOSを出せること

助けを求められることです。
何かが起きたときには、
これは、SOS助けを求めるべきことなんだという確認を
支援者といっしょにしていくべきだと思います。
これは自宅(親元)にいるときからの課題です。

そして、そういうSOS(助けのサイン)が出たときに、
本人がどこに相談するかを決めておけるといいです。
できれば、夜中でも対処できる人が必要。

うちはそこのとこ本人が何人か相談できる人を

もっているので心強いですねーーー

 

他にも
金銭管理も必要です。
これは非常に難しいのですが、
公的機関などの
金銭管理をしてくれる団体や
成年後見などの制度を使い・・・
最小単位である、
1週間分のお金を持っていられることです。

そして、こんなものは足りているのか?や
少し後に必要な物のために、
今、全部使ってはならないことなど、
お金の使い方について、
理解できているとさらにいいでしょうけど・・・


買い物ができることも大切なポイント。
お金の計算はできなくても、
自分でほしいものを買いに行けることです。
そうすると料理ができなくても、
良いという部分も。

なんでも売っていて、
食べられるお店もあり、買い物ができれば、
一人暮らしは、やりやすくなってきました。

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後は・・
近所づきあい。
認識していることだけでいいんです。

ここに住んでいるんだ。って認識してもらうこと

様々な課題は出てくると思いますがねーーー
少し助けてくれる人
見守ってくれる人がいることは、
万が一のときにも大事なことですねーーー
近所の方々を「自分の味方なんだーーー」と、
認識するだけでもお互いに違いますよねーーー
そうそう、近くの交番とも
仲良くしていたほうがいいですよーーー。

そして、その暮らしを日々楽しむ。
一人でいることが苦痛ならば、グループホームのほうがいいとし

うちは寂しいから一人は嫌って言います)
一人暮らしをするときは・・・困難なこともあるけど、
やってみよう!!と自ら思えるかどうかは、大事なことです。

また、人によっては
薬管理・健康管理などもありますね。
その辺りは日中活動(支援所など)や相談支援とのやり取りの中で
できる部分だと思います。

実際は、日中活動支援所も、
ご本人の生活部分の支援を視野に入れておくべき。

一人暮らしをするときに最低限必要なのは・・・
・SOS(助けが求められる)が出せること。
・お金の管理を1週間できること。

足りないようにならないための管理も補助できますが)
・買い物ができること。
・近所のおつき合いは大事と認識ができ知ってもらえること。
・一人ぐらしを楽しめること。

そんなことかなーーー

今一人暮らしをしていない方でも、

一人暮らしを考えていない方でも
一人暮らしには、どんなことが必要かを
考えることも大切。なりたくなくてもなる可能性もありますからねーーー
お金の使い方も話題にしながら、
本人の将来を・・・家族でも話したり考えたりしてみてくださいねーーー

「障害」見た目ではわかんない?そういわれたら・・・

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うちの子の場合は

口唇口蓋裂があって・・・知的にもあって・・・なんですが・・・

ときどき

「見た目や小さい意外何かあるの?」

って歳を重ねる度に言われることが多くなりました。

が・・・はい!大変なことは大ありでしたよーーー

ただ・・・今はだいたい大きなことはなくなりましたがねーーー

今でも時々・・・私の常識では考えられないことをしたりして

ビックリすることも度々ですが・・・(よくも悪くも)

でも特によく聞くのは・・・

 

「自閉症や発達しょうがい児って普通にみえる」

だから困ってるってことですかねーーー

きっと、自閉症の子どもを良く知らない人からすれば・・・

普通に見えるから一体なにが大変なんだ?

と思っている人も多いはず・・・(親の躾の甘さとか、家庭環境とか)

「障害」児の育児は大変だとは知っているけれど・・・

一体何がどれくらい大変なんだ?

ってあまり周知されていないし、知らないですよね?

まあそんなに興味もないでしょう・・・

が・・・大まかに説明すると・・・

 

自閉症や発達しょうがい他・・・

ときにはパニックになって家の家電を叩いたり押し倒したり・・・

モノを投げたりして崩壊。

消してわざとにやっているわけではない。

本人自身も制御できずにやっているということわかってる。

福祉的支援者や専門家に相談すれば

「そこまでのパニックになる前にケアを」

「叩きたい。壊される対象を別のモノにずらせるように」

なんて言われます。

でもですよ・・・長年親をしているのですから

そんな誰でも思いつきそうなアドバイスで回避できるのなら・・・

既に回避できていんです。

それが出来ないほどの勢いなのでーーー大変なのですよねーーー

そして、結果的に壊れたことに家族全体がショック。

暴れてしまった本人もショック、

そしてその一部始終全部を見ていたきょうだい達も傷つく・・・

そんな実態なんですが・・・終わりのない介護の方が大変だよーーー。

なんて簡単に言われたりして

でも、どっちがではないと思います。

いつまでも続く、身支度や食事の食べこぼしのケア、そして寝かしつけなどなど・・・

そして・・・大変な排せつと、お風呂。

何歳まで排泄の失敗はあるのか?

その度、親が処理をしなければいけない。

わが子だといえどもその期間はーーー

そして成功しても拭くことや衛生面も長い時間を要したりします。

お風呂に至っても、体を洗ってお風呂に入るという流れは知っていますが・・・

自分ですみずみまで綺麗に洗うことが出来ません。

教えてないだけではと思われるかもしれませんが・・・

長年のあいだ視覚的に伝えたり実践して伝えたりしても・・・

なかなかどうしてうまくいかないんです。

それ以外にも手先の不器用さや細かなことができないなど

「どう頑張っても出来ない」

という現実もあります。

未だ親が元気なときはいいのですが・・・病気のときなどは本当に地獄です。

親であるということは年齢を重ねること

元気なときは必然的に減ってきています。

自傷行為だけでなく、他害行為があると・・・

自傷行為も他害行為も悪いものだということくらい本人も親もわかっている。

でも他害行為の責任は・・・結構その場にいなかった親に降り注がれて、

自傷行為は自業自得とされることが多い。

もちろん、そうした思考もわからないでもありません。

でも、そうした行為は本人の特性を理解していれば・・・

事前に防ぐことが出来たものもあるはず・・・

何度もそうした経緯があるのならば

「これからはどう配慮することなのか?」

状況だけ伝えられたら親としてはどん底に突き落とされて終わり。

楽しそうな行事が、涙をこらえるものに変わってしまったりね・・・

運動会や発表会。

参加出来ませんと言われて休むようにうながされたり

参加してもいいけど・・・

職員は当日忙しいからなかなか難しい・・・

とか言われたり・・・

 

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うちの子達は「障害」児だけれど、本当はそこにいて当たり前の子なのに

って哀しくなったって聞いたこともあります。

親というのはわがままなのでしょうか?

診断を受けたときは、やはり辛く、苦しい。

診断とは親にとって物凄く辛く苦しく大変なことなのに・・・

実際そのケアがなさすぎる。

だから、診断を受けた後に路頭に迷う親がたくさんいる。

診断そのものが親の心を殺してしまうようなもので終わらせてほしくないなーーー

と思います。

子どもは大人に比べて知らないことが多いから・・・

悪気無くやってしまうこともある。

素直に思ったことや、感じたことを

「「障害」児はできない子」「「障害」児は普通じゃあない」

という感情。それを、ストレートにぶつけてくることがあります。

子どもとは言えども大人の方も傷つく。

そんな風に思わせるように育てた、

自分と違う生き方をする人を排除するような・・・

日本の社会環境や教育そのものに哀しさを覚える。

診断を受け・・・本当にケアを受けたいのは親の方。

それくらい、心がボロボロになって傷ついているんです。

その気持ちを、誰かに理解してほしくて・・・

「この人なら分かってくれるはず」

と思う人を自分なりにチョイスして気持ちを吐き出すんですよーーー

でも、それが親友だったとしても・・・

きょうだいだったとしても・・・

親だとしても理解されないこともある。(うちは親はまるっきりダメでした)

悲しかったなあーーー

 

今現在、大変な毎日を過ごされている方もいらっしゃると思います。

でも・・・私は辛く苦しいとき

いつも・・・

「ずっとこの状態は続かない」「苦しいことも幸せも同じようにやってくる」

言い聞かせてきました。

実際にそうなってきています。

心配しないで・・・共感しあえる、

そんな相手は探せばちゃーーんといますから。

「障害」児の親に今伝えられること

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「障害」児の子どもを持つと・・・

 

「こういうこと、してあげたかったなあ」

「これは、やっておいてよかったなあ~」

 

ってことが振り返るとあります。

 

大人の10年と・・・

子どもの10年では・・・あらゆる面で伸びしろって違いますよねーーー

「障害」と一口にいってもそれぞれに違うし、子育てに正解はありません。

でも実際に育ててみると・・・

10歳くらいまでに

「もっと、こうしておけばよかったなあーーー」

と思うことがたくさんあって・・・

そういうの先に知っておけばもっと良かったと思ったので

今、私はそんな経験をお話しできる立場になってきました。

あくまで私流、我が家流なことなので・・・ご了承ください

「やるべきこと」・・・というか・・・

実際は私が・・・

「もっとこうしておけばよかったなあーーー」

「これはしておいてよかったーーー」

 

と思うことばかりなんです。

 

「障害」児のわが子をしっかりさせたいと思うがあまり、

「ひとりで何でもできるようにしないと」

「自立にむけて育児しなきゃ」

というような考え方は勘違いだと思ってください。

 

しっかりと大人に成長させたいと思うのならば・・・

支援(福祉、場所、人)に頼り、関り先を増やしましょう。

言い換えれば依存先を増やすということです。

 

・自由のできることが多い=依存できる場所が多い
・不自由で動きづらい=依存できる場所(頼る先)が少ない

 

そう思っててもいいと思います。

たとえば、家族においてもママに怒られてしまった場合、

パパやきょうだい、祖父母という逃げ場、頼り先があれば、

メンタル面回復も早いでしょ・・・

反対に逃げ場がないような状況であれば・・・

気持ちの切り替えにきっと時間がかかるでしょう。

小さいうちから支援先や頼れる場所をたくさん作っておくことで・・・

本人も頼る人がたくさんでき・・・話しやすい人や

気持ちの逃がし方や回避方法を覚えていくことでしょう。

それは大人になっても体が覚えているので・・・

生き辛さを抱えた「障害」児達が、苦手な人や場所を我慢しすぎるのではなく

「ここなら頑張れそうだ」と思う場所を

見つけることに繋がるといいなあと本気で思っています

情報で頭でっかちになるのではなく・・・

ママが目の前にいるわが子のことを良く知るということです。

この子どもは「「障害」だから」と思いながら過ごすのではなく・・・

「この子はどんなことが苦手で、どんなことが不得意なのか」

「どういう環境なら、生活しやすいのか」

「その為に私がサポート出来ることは何なのか」

を親である自分がちゃんと知ること・・・

そして、それを自分の周囲に発信していけることって大切。

実際に「障害」児の親をしていると、孤独を感じることが沢山ありました。

それは、わが家だけではありませんでした。

幼稚園や保育園にはいると、自分の子と周囲の子との成長の差を比較して、

多くの「障害」児の親たちの空虚感をききました。

公園などに行けば、子ども同士で遊び始めます。

その間ママ達は、遠目に子どもを見ながら木陰で談笑。

「障害」児の親である私はどうでしょうか?

いつどこに動き出すか分からない・・・

わが子から目が離せません。

談笑して親交を深めるママ友や、子ども達同士で笑いあうそんな姿をみて、

どんどん虚しく孤独な気持ちになっていきます。

私は、周りをずっーーーと羨ましいと思っていました。

ですが、「障害」児育児に少し慣れ、歳を重ねて思うことがあります。

周りの今見えていることは、ホントに生活のごく一部です。

目に見えている部分は輝いて見えても・・・

その方々も「家族」「仕事」「健康」では苦しいことがあるのかもしれません。

見えない部分はわからない。

自分の人生を生きましょう。

自分の人生とは自分が主人公であることです。

自分が笑って輝いて過ごすためには、周囲と同じ生き方を求めるのではなく・・・

「障害」児を育てるのは大変ですが・・・

でもどうやってすごせば笑って過ごせるのか考えましょう。

社会性の意味も・・・取り違えないようにして下さい。

わが子に社会性を身につけさせないと・・・

幼稚園や小学校という集団のなかにいれば思うでしょう。

「障害」児をつれて公共の場に出かけたときには・・・

人に迷惑をかけることもたくさんあるでしょう。

そのことで

「やっぱり、社会性がないからだ」「社会性が大切」

と思いがちです。

でも、日本って一律すぎるんです。

世界基準でみれば人種や宗教、生き方に多様性があるのが普通。

日本もこれからダイバーシティとなっていくことになると思いますが、

多様性の受け入れは避けては通れない問題ではないでしょうか?

社会性とは周りからはみ出さないようにすることではなくて・・・

人にはそれぞれに違いがあるんだと理解することだと思っています。

子どもを育てていると、誰かが作った育児のレールの上を示されがちです。

その目に見えないレールが存在することで

 

「このレールを歩いていくのが普通だよ」

「このレールを歩いておけば安心」

 

逆に

「このレールからはみ出したら大変なことになるよ」

 

なんて・・・感じることありませんか?

 

でも違いますよ。もっと、長期的に物事を考えましょう。

 

今準備されている育児のレールを辿って行けば、20年後もかわらずに輝かしい生き方を手に入れることができるでしょうか?

時代のスピードも速い、ゴールは確実に変わっていくでしょう。

個人の考えやあり方も確実に変わっていきます。

だから、どんなに用意周到にしておいても先のことは誰にもわからない。

そんな変わりゆくのに今ある敷かれたレールの上を歩かせるのではなく、

この子が将来も元気でイキイキと生きていく為に今できることってなんだろう?

それを考える余裕が親として大切だと思います。

子どもを産むと「親」になります。

親というのはあくまで肩書、あなたにはあなたとしての人生があります。

ひとりの人間として、時に親であることを忘れれるような時間もつくりましょう。

子どもに依存し過ぎないように・・・(ここ結構多い)

そしてその依存が子どもにとって重すぎるものとならないように、

親が、ときに羽目をはずしたり・・・夢中になったり・・・

何かにチャレンジするような時間を作って下さい。

子育てをしていると

「子供の好きなことを見つけましょう」

「子供の得意なことをさがしましょう」

と言う言葉を耳にしますが・・・

子どもは好きに生きますし、得意なことも自然に見つけていきます。

その後の親子で過ごす時間を、親が笑顔なのかどうかということに意味があります。

親がイキイキしていれば、子どもだって嬉しいはずです。

子どもは親の姿はよく見ています。

 

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私がここ数十年でわかったのは・・・

違う価値観や環境で生きる人たちへむけて、「障害」児の特性や育児の大変さを伝えようといくら努力をしても・・・

残念ながらなかなか伝わらないことだらけ・・・

そもそも他人は自分の生活に関係ないことには理解を示しにくい。

周囲に理解して貰えず「障害」児の育児がずっと続くなんて・・・と

悲観的になることもあるでしょう。

でも反対に・・・

自分にとって何が大切で、誰が味方なのかを

知ることができる人生を手に入れたということでもあります。

周りに合せすぎる人生を手放し・・・

少しでも自分が穏やかに過ごせる環境に身を置いて行きましょう。

世間体と「障害」の関係

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「子ども達に「障害」があることで、

周囲の目が気になったことはありますか?」

 

って聞かれたことがあります。

そうですねーーー小さなころはありましたよ。

だけど・・・それも2~3年くらいだったかなーーー

周囲の目を気にしながら生きるほどの余裕はなくなった。と言いますかーー

そんなことを気にしていたら・・・外に出れないから・・・

公共の場に連れ出すと・・・最初はじーーと見られたり、振り返られたり

コソコソ話されたり・・・

自閉症の子ども達においては・・・

舌打ちされたり、面と向かって注意を受けたりと

ダメな母に認定された気持ちになるーーーなんて・・・

でもねーーーこの子達はわざとやっているんじゃない。

親として放置しているわけではないのだけれど・・・

この子達の「エネルギーパワー」は・・・

親の力だけではどうにもならないのですよ。

誰にだって1度は、理想のお母さん像て描いたりしませんか?

私にも少なからず・・・ありました。

学生時代憧れのご夫婦、家庭環境・・・

その頃の私が今の私を見たらきっと驚くことでしょう

「「障害」児の育児をしているの?」って・・・

私も「障害」児育児コンプレックスありましたーーー。

だって私の知り合いには「障害」児を育ててる人なんていませんでしたから

子どもが幼い頃は孤独を感じていましたねーーー。

周りにいないから・・・

そして何だか寂しく虚しい日々も感じていました。(心の中でねーー)

わが子と同時期に生まれた子どもをもつママ達と・・・

地域でもで仲良くなりました。いわゆるママ友。

子ども達はどの子も変わりなく可愛いい、その子ども達がわが子と一緒に遊んでくれる姿に・・・心から嬉しいと思っていました。

でも、その一方で・・・何だか感じたことがないほどの

「孤独」や「寂しさ」「虚しさ」も同時に感じたりしてました。

周りのママの子ども達は言葉が出始めたり、

走ったり転んだり、いやいや期、ナゼなぜ期と・・・

それぞれ悩みも喜びも共感しながら話が盛り上がっている。

私の娘は言葉も遅いし、まだ歩きもまままらない・・・

違う。違いすぎるんだよなーーーー

段々と不安になってくる私に

「子どもの成長はそれぞれだよ」

と言ってくれるママ友。ありがたかった。

でも何だかなーーってときに「耳」のことがわかり・・・

(のちに誤診とわかる・・・)

そのとき・・・大きくなにかが崩れ落ちたような・・・

大事な何かを失ったような・・・心に大きな穴がぽっかり空きました。

わが子の「障害」を見つめ・・・育てながら、

あのとき崩れおちた何かや、失った何かは・・・

本当は「いらなかったもの」だと思えるように今はなっています。

もちろん、わが子が「障害」児ではなかったら・・・

どんな人生だったのだろう?と考えたり想像したことはありますが、

その人生を手に入れることができなかったことに

「悔しさや悲しみ」といったネガティブな感情を私は感じません。

どうして感じないのかなーーーって

そこをつきつめて考えてみたとこ・・・ひとつの答えにたどりつきました。

私がこの子を産んで様々な人に出会い、本に出会い

人生において自分の価値観の変容が起こりました

「他人とくらべること」と「周囲の目線を気にすること」をやめたのです。

んーーー捨てた?ぶっ壊した?

「他人とくらべること」と「周囲の目線を気にすること」

を捨てることって、なかなか出来ていない人が結構いるんですよねーーー。

そう・・私もそんな一人でしたからねーーー

そんな社会環境の中の一員でしたから・・・

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でも私は自分自身のありとあらゆることにおいて

(まだできてないこともありますが)

他人と比べること極力やめました。

比べたところでなんの得も得ることもないと気づいたからです。

日本はとくに「他人と同じであること」を求められる

同調圧力的な雰囲気が強いですよねーーー

同じ日本人であっても・・・

意見も、見た目も、考え方も、育ちも違うことが当たり前なのに、

人生、生き方は多種多様だとみんながわかっていても・・・

でも意識のどこかに・・・どこかに「幸せの基準」

みたいなものが準備されているような気がする・・・

それがきっと同調圧力の原因?

その幸せの基準から、はみ出したら・・・

「大変なことになるぞーーーー戻ってこーい!」

的な考え方がどこかにある気がする。

でも、幸せの基準なんてきっと人それぞれ。

だから他人と比べるなんて無駄でしょ。他人と何だか違うという、

そんな考えても無駄なことで凹んでるなんて・・・

時間の無駄、思考感情の無駄ーーーと思うようになりました。

よって・・・そこから周囲の目線を気にすることもやめました。

でも「障害」児の育児をしていると、周囲の目線が気になることが増えますよね。

わかります。

スーパーで急に大声を出したり、突飛な行動をする子どもに対して、

ついつい人の目が気になってしまうんですよね。

でも、そうした「周囲の目線を気にすること」を辞めました。

  • 他人の評価が気になる
  • 他人に嫌われたくない

知らない誰かに評価して認められたいわけでもないし、

知らない誰かに怒られたり怒鳴られても

「障害」児が騒いでしまうのは、

その子どもが悪いわけではないことが多くあります。

生き方や感じ方の違いや抱えている「障害」への配慮がない社会が

寛容さに欠けるのでは?と思うようにしました。

たとえそうした考え方で嫌われたとしても・・・

私は子どもの抱えている「障害」について頭を下げてばかりで歩くような親には

なりたくなかった。

子どもを守りぬくことも出来ないような・・・

大事な何かを犠牲にしてまで。。。守りたい世間体というものが私にはなかった。

自分の大好きな愛する人を幸せにできていれば・・・

そんなに知らない誰かにどう思われてもいいじゃアない?って・・・

「子どもが「障害」でかわいそう」「あんな子いたら大変だよね」

思われても・・・

自分の生活を幸せにするのか?かわいそうにするのかどうかは自分次第です。

それに、「「障害」児の行動が迷惑だ」と怒られても・・・

生まれ持った特性生き方について配慮や思いやりもなく、

ましては知ろうともしてくれない人が公共の場で

赤の他人に怒鳴り散らすその行動こそ迷惑だとも思うようにもなりました。

そんな人にどう思われてもどう思ってくださって結構だと思うのです。

そんな些細なことに心を痛めている時間なんてもったいない。

人生は一度きりなんです。

それに、「障害」児を育てているって悲しいことではなくて、物凄く大変で素晴らしいことをしているんですよ。

大切なのは「自分の生きかた」です。

誰かの基準で生きるでもなく、他人の評価に怯えることもない。

自分が過去の自分より日々成長しているのか?

幸せを感じれる人間になっているのか?誰のどんな幸せに貢献できるのか?

「自分の生きかた」を大事に。

「みんなと違う」とか「普通はこうだ」という生きかたの基準なんていいんです。

「障害」だって、配慮が必要である生き方のひとつ。堂々としていればいい。

そして、堂々と幸せでいるために・・・

親がしてやれることって何でしょう?

私は、自分がやりたいことを選び、諦めないこと

そして、その選んだものに責任をもつこと。

たとえ判断ミスだったとしても・・・

他人のせいにしないこと。(矢印はいつも自分)

そうした本気の生き方を選びたいと思っています。

小さい子どもの「暴力」「ケンカ」は発達しょうがい?

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毎日と言っていいほど、小さなころって起こるのが「子どもたちのケンカ」。

幼稚園や保育園では時間ごとに目まぐるしく起こっているのではないですか?

先生方も

「ケンカは悪いこと」「相手が痛がることや嫌なことはしない」

と子ども達に指導することも日々たくさんあるのでしょうね。

ケンカを通して、子どもたちは社会性や人との関わり方を・・・

小さいながらも学んでいくんですよねーーー

少しづつ我慢する力。

ケンカをしないためにどうしたらいいか?

自分たちで解決する力などを身につけていきます。

その力を身につけるためには・・・

大人の介入はなるべく最小限にすべきではないかなーーーと私は思います。

そこから「考える」力が身につき・・・

子ども同士で解決する力が育まれていく・・・

わからない?解決できないことは

「そのときには大人に聞いてね」

そんなスタンスがいいのだろうなーーーって

 

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しかしながら・・・

発達しょうがいのあるような子ども達はどうなのでしょうか?

発達しょうがい児の特性を理解する。

発達しょうがいで衝動性優勢型があるおこさんでは・・・

我慢ができなかったり、カッとなるといいますか・・・

本人でも心のブレーキがかからないときが往々にしてあるのです。

そうすると・・・

お友達が持っている絵本やおもちゃを急にとってしまったり、

「バカ」「アホ」などの悪態をすぐに言ったり・・・

少しでも嫌なことをされたら・・・

とっさに叩いてしまうということになりやすいようです。

中には、そのまま叩くことがエスカレートしていって・・・

噛みついてしまったり、ものを投げたりと・・・

ケガにもつながるような行動を起こすことも・・・

そのような行動があった子どもには・・・

先生のような大人がすぐに介入して・・・

しっかりと目を向け、注意する必要がありますねーーー。

そして頻度にも「障害」の程度にもよりますが、ケンカ(暴力)を注意するときには

繰り返し繰り返し伝えたり・・・

絵(カード)を使って視覚的にわかりやすいように注意をしたりと、

その子どもに合わせた注意をすることが大切ですね。

 

発達しょうがいの子どもには、しっかりと目を向けましょうとも言いましたが・・・

でも・・・

何もすぐに手を出してしまうのは全て「障害」がある子どもばかりではありません。

家庭環境(親がすぐに手を出してしまうなど)や性格にもよりますし・・・

見分けることはなかなか大変かもしれませんが・・・

「障害」にばかり気を取られていると間違えてしまいますよ・・・

それでも・・・子どもたちの暴力行為に関しては・・・

幼いうちに・・・早めの対応が大切ですね。

 

どこの幼稚園や保育園もそうだと思いますが・・・

決まりの中で・・・

「暴力」はやってはいけないことのトップ3には必ず入ることだと思います。

大人として・・・そこは頑として注意をする。

それが子ども達のこれからの生きやすさにつながっていく

ということを考えながら気長に

そして・・・

しっかりとやっていきましょう。

「障害」告知・・・そのときあなたは?

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「障害の告知」私のときは生まれてすぐだったんですが・・・

それでも・・・「障害告知」ってデリケートな問題だと思います。

「障害の告知」は本当に車の正面衝突なみの衝撃が・・・私にはありました。
おなかに宿った命に

子ども達を見ては「こんな風になってほしい」とか

「元気に成長してほしい」という願いや想いを持っていたことが・・・

「障害告知」をされた途端・・・一気にどんでん返し・・・みたいな
わが子の将来が暗く閉ざされた気持ちになりました。

よく「障害受容」という言葉を聴いたりしませんか?

簡単に言えば・・・障害を受け入れるという言葉通りの意味です。

告知された保護者は、ストレスや不安悩みを抱えながら・・・

さまざまなプロセスを経過し・・・様々な期間を経て最終的に受け入れていきます。

もちろんすべての保護者が受け入れられるわけではありませんが・・・

中には・・・そのまま子どもを養護施設の前へ置いていく保護者もいます。
新生児~1歳児あたりまでの小さいお子さん場合は・・・その数も多いのだとか・・・
それほどまでに・・・保護者への心労(ストレス)は大きい。

保護者と関わることが多い関係者のみなさんは・・・

障害受容やそのプロセスについて、しっかりと知っておいてほしいと思います。

保護者が、今はどの過程にいるのか?を感じ・・・

それにあった対応も考えていかなくてはいけないだろうと思います

 

保護者がどもの「障害」を受け入れることは個人差がありますが・・・

そう容易なことではありません。
需用の段階は・・・

「段階説」「慢性的悲哀説」「線形モデル」とあるそうです。

 

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「段階説」

これは主に先天性奇形のような生後すぐに「障害」があることが分かるような事例で当てはまるものです。

  1. ショック
  2. 否認
  3. 悲しみと怒り
  4. 適応
  5. 再起

ざっくり簡単には・・・こんな感じかもしれませんねーーー

ショックについては言うまでもありません。わが子に「障害」があるとわかれば、子どもの誕生で描いていた未来が大きく変化しますからねーーー

否認は「私の子が何で?」「もしかしたら専門医の診断ミスなのでは?」

など、「障害」の診断に疑問や不信感を抱き・・・

認めたくない・・・そんな心理的状況ですね。

悲しみと怒りは、「障害」の診断に対しての受け入れると、同じ時期に出産された健常児と比べて違いを思い知らされたり、自分自身が「何か原因を作ってしまったのか?」「これまでは何もなかったのに」など、「障害」に対して、子どもに対して、そして何より自分自身に対して悲しみや怒りなどの感情が沸き起こってきます。

適応は、悲しみや怒りが少しづつ落ち着き、書籍や専門家から「障害」についての知識を得て、または同じ「障害」がある子どもの保護者と知り合い、そこから経験談を聞きいたり、コミュニティに参加することで、「障害」に対して受け入れる下地がだんだんと形成される時期です。

再起は、適応期間での知識や経験により、子どもの少し先を見通すことができ、

「障害」を認め、「共に頑張ろう」とする気持ちが持てるようになることです。

 

「慢性的悲哀説」

保護者は常に悲哀的な感情を持って、常に悲哀的な感情を抱いているということでありません。

子どもの成長の節目や周期的に

「うちの子に障害がなければ・・・」

などの想いが再燃してしまう状況をさします。

上の段階説とは全く逆のものとされていますが、でも私は、段階説と慢性的悲哀説は

心の中に同居しているようなものだと感じています。

慢性的悲哀は、「障害」児を持つ保護者にとっては当たり前の感情であり、

もしかしたら必要な感情表現かもしれません。

もし、保育園や幼稚園の先生方が保護者から悲哀的な感情を表された時に、

「そんなことを言ったら本人が悲しみますよ。一緒に頑張りましょうよ」

と返してしまうと・・・

『親として、その感情は間違っているんだ』

と受け取られる場合もあり、悲哀的な感情を胸の奥に押し殺し、

心の中に蓄積された想いが強くなり、育児放棄などにつながるケースもあるそうです。

 

「螺線形モデル」

段階説と慢性悲哀説を合わせたようなもので、保護者の心理的状況は、どちらか1つに当てはまるだけではなく・・・

「子どもと共に頑張ろう」という前向き気持ちは十分にある。でも・・・

「どうしてうちの子が」という悲哀の気持ちもあり

それが行ったり来たりしているようなもの。

「人間の成長は螺旋階段のようなものだ」

螺旋階段を上がりながら同じ景色を見ても、角度も違えば高さも違う。

同じ経験を繰り返したとしてもそこには知識や経験がプラスされ、

決して同じ結果とはならない。

常に明るい場所を歩けるワケでもないし暗い場所も歩かなければならない。

明と暗を繰り返しながら、それでも人は成長している。

最近も「事実は1つだけど解釈は無限」と聞いた。

螺線形モデルでも、2つの気持ちの間を歩きながら・・・

少しづつ子どもを受容しようと上へと進んでいる。

そのような保護者の状況を表していると思います。

 

人の話を聞きながら・・・ふと思い出す。昔のこと・・・

それが今の保護者の役に立てますように・・・

そう思いながら日々活動しています。

子育てに「あれ?」って思ったときに・・・

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初めての子育てに・・・

日々翻弄されている方・・・楽しくて楽しくて仕方ない方・・・

あーーこんなはずじゃあなかった・・・こんなに時間を奪われるのねーーー

自分の時間が取れない・・・

あーーーなんか育児書通りにいかない

そう思ったとき・・・

「あれ?何だか育てにくい」「なんかほかの子と違うような」

「なんで目が合わないの」「聞こえてるのかなーー?」

親だからこそ・・・見えてくることってあったり・・・

第6感みたいな感が働いたりして・・・

わが子が・・・

「もしかして障害があるかもしれない」って・・・

ふと頭によぎる場面があったりなんかしませんか?

 

近所の友だちと遊んていたり

同じくらいの年齢の親戚の子どもたちと集まったり

上のお子さんがいて、お兄ちゃんやお姉ちゃんの小さいときと比べりしたら・・・

「障害があるかも?」

って感じた場合、どこに相談をすればよいのか?わかりますか?

一旦、自分の頭によぎってしまうと・・・何だかモヤモヤとした気持ちが、

ずっーーーーと心の中に残るものなんですねーーー

 

そして・・・ずっとモヤモヤしていると自分自身はもちろん、

わが子にも良い影響があるわけありませんよねーーー

「自分の子どもに障害が・・・」

なんて信じたくもないでしょうし、違うと信じたい・・・

でも・・・どちらにせよ少しでも早く解決させるべきだと思います。

 

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まず身近な相談する人といえば、保育園や幼稚園の先生だったりします。

たとえば・・・ベテランの先生なら・・・

これまで見てきた子どもたちの数も多いですし、

経験も豊富なはずですので・・・

ちょっと心配事を相談してみようと思われたときには良いと思います。

まだ保育園や幼稚園に通っていない保護者の方は・・・

政令指定都市や都道府県には、発達障害者支援センターがありますので・・・

まずはそちらへ相談されることをおすすめします。

市町村にも受付でおたずねになれば

相談を聴いてくれる場所を教えていただけますよ

しかし、発達障害者支援センターには医師が常駐していない場合が多いですので、
的確な診断となると難しいと思います。

では、専門的な相談はどちらへ行くべきなのでしょうか?

 

様々な場所があげられますが・・・少し紹介すると

  1. 障害児の通園施設や入所施設に隣接または担当の診療所
  2. 児童相談所付属の診療所
  3. 自治体の相談窓口
  4. 療育センター
  5. 小児科の診療所

 

専門的に相談を行うところとして、上の5つがあるかなーーーと思います。

ほかにもあるかとは思いますが、一般的なもので私のわかる範囲でって感じです。

自分の子どもにしてしまいがちなことなのですが・・・

ちょっと様子がおかしいとき、気分が悪そうな時にも・・・

『もう少し様子を見てみよう』という対応をしてしまいます。(私は・・・)

ちょっとした病気のときの対応としては、アリかもしれません。

でも本当は・・・どんな「病」が隠れているのかは判断できません。

特に・・・「何かおかしい?」って思ってること・・・

それが本人のこれからの「育ち」に関係するものであったとしたら・・・

お互いの心身の状態をよい状態に保つためにも・・・

早い方がいいと思いますよ

少しでも気になることがあるのであれば・・・

相談をし、『大丈夫ですよ』か『ちょっと・・・』

と・・・様々あるとは思いますが・・・

まずは納得できることも多いもの・・・

 

まずは自己判断ではなく・・・相談してみましょう。

「障害」児の子育て過去からの学び

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チョット歳を重ねていくと

「障害」者の親同士で昔話に花が咲く・・・

特に・・・若い保護者の相談にのった後や・・・子ども達に接した後なんか

「あーーーあんなときあったよねーーー」

「私なんて・・・もっとひどかったーーー

「親としてどうか?って思うよねーー今なら・・・」

「でもあの時は精いっぱいだった」

「わかりるよねーーー」

なんてねーーー

「障害」があるこどもが新しく入園や入学する際に・・

保護者の方ともよく話をしますが・・・

んーーー1割2割の保護者の方で・・・

「もう少し大きくなれば治る」

というような話をされる方がいます。

わが子の状態は、

【病気=治療や訓練により完治する】

とおもっていらっしゃるんですよねーーー

脳疾患による両上下肢障害で車椅子で生活を送るお子さんのママも

そう思っていたと話してくれたことがあった。
「訓練を続ければ小学校くらいまでには・・・立てるようになると、

作業療法士の先生から言われました」

と立位訓練を希望されたり・・・出来る限りの訓練を行う。

でもそんな彼も彼女も・・・未だに車椅子です。

(無理をして訓練をして背骨が曲がって手術した子も・・・)

「障害」の中には治療や訓練で改善できるものもあるかもしれませんが、
それは完治ではなく克服だと思います。

医療機関や専門機関で「障害」の診断をする場合、

保護者に大きな衝撃(ショック)を次々に与えないように、

たまに世界に点在する奇跡的な事例を合わせて説明されることもあります。

  • 同じ「障害」でも努力次第で、普通の人と変わらない生活をしている人もいま
  • 今では元気に走り廻っている子もいますよ
  • ママになっている人もいますよ
  • 大学で勉強してる子もいますよ
  • 今では・・・

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確かにそういう事例は、たくさんあるでしょう。

保護者のショックを和らげるために、奇跡的な事例を紹介してしまうと

「うちの子もいずれは同じように・・・」

という期待の気持ちが強くなります。

奇跡的なきれいな事例には・・・

本当に人には見えないところでの相当な努力が隠れています。

ちゃんとそこまで説明してほしいのです。

「障害」があっても、小学校卒業くらいまで大きくなれば

健常児と同じようになるだろう

小学校にあがる頃には自然と立てるようになるだろうなどなど・・・

医者や専門家からの説明で・・・

そのように取られる保護者の方は少なくないんです。

私も「障害」児を持って気づいたことですが、

何だか

「我が子はもしかしたら奇跡を可能にする力を持っているのでは・・・」

なんて思ってしまったりします。(笑)

特に子どもが小さい頃は・・・

「昨日までハイハイしかできなかったのに、今日は立とうとしている」
「先週までアーしか言わなかったのに、マンマと言えるようになった」

目の前でできないことができるようになる。

子どもは本当に奇跡を現実にする力が宿っているmんだと思います。

でも本人の成長する力を、奇跡を現実化する力を信じていかなければ・・・

親として前には進めなかったかもしれません。

そのためにも診断を受けた子どもの明るい未来を話すことも、もちろん大事。

でも、その「障害」はどんな成長をする可能性があるのか?

その「障害」はどんなものなのか?

どういったことに本来努力すべきなのか?

現実な本質の部分も保護者にきっちり教えて伝えてもらいたいのです。

その大切な部分を曖昧に、安直に伝えられた保護者は

「じきに普通に」「そのうち周りと変わらない毎日が・・・」

なんて思っちゃう・・・

 

そこに付き合わされる子どもが頑張って苦しんで

できない自分に打ちひしがれる・・・

そんなことがないようにしていかないといけないよねーーー

昔の親たちは「そおーーー」っと現実を伝えていってます(笑)

 

その苦手なことって「特性」かもしれないです

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子どもが苦手なことを克服するには・・・

大人の場合だと・・・

「これまでのトラウマ」

「根拠のない苦手意識」が邪魔をして・・・

なかなか克服することができなかったりします。

しかし、子どもは苦手なことをいとも

いとも簡単に克服することがありますよねーー

  • 嫌いな野菜が食べられた
  • 自転車に乗ることができた
  • 縄跳びができるようになった
  • ひらがなが少しずつ読めるようになった

よく3歳児健診などで

お子さんの発達の遅れなどを言われ相談するように言われたりしますよねーー

「〇歳の遅れです」と診断を受けたーーーって

絶望される方も多くいますが・・・

それって・・・その後

〇年後に同じ年の子に並ぶのか?

ずっと〇歳分の遅れがあるまま大きくなってしまうのか?

それとももっともっと遅れがでるのか?

どんなに歳の遅れがあっても・・・それはわからない・・・

急に成長することがあるのは・・・

子どもの場合・・・当たり前にあります。

本当に子どもの成長や脳の発達は未知数ですよねーーー

では、どんなことが大切になるのでしょうか?

早期発見・早期療育の必要性・・・ってよく言われます。

保育園・幼稚園・小学校の先生から指摘を受けた場合

すべての保護者の方は・・・だいたい

「我が子に障害があるって言うなんて・・・」

って思ってしまいます。

 

この思いは親であれば、いたって当たり前の反応だと思います。

でも、ここでどうするか?

その後周りの人に知られたくないと、病院での検査に抵抗を感じ、

必死に家庭内で何とかしようと教育を頑張る保護者の方を多く見かけますが・・・

果たしてその考動はどうでしょうか?

「知られたくない」

という思いは私もわかりますが・・・・

まず検査をしっかり受けることで・・・

お子さんの状況を知ることがまず第1ではないでしょうか?

親が気が付かない子どもの状況を周りは見てくれている場合も多くあります。

検査を受けて、たとえ「障害」がわかったとしても

今までのそのお子さんとこれからのそのお子さん・・・

何がどう変わりますか?その子はその子のままです。

特性がわかると・・・周りの「環境」を整えることができる。

きっとその後の世界も広がることだってあるんです。

「発達障害」という診断を受けた場合・・・

その後の療育センターなどを紹介してくれることもあるでしょう。

その後、医療機関と療育センターで連携を図りながら

  • どんな事が苦手なのか?
  • 社会の中で、どんなことに困難さを感じるのか?

しっかりと判断され、その子にあった療育が進められていきます。

親も学ぶことばかりです。

 

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「子どもに合った療育」行うかどうかで、

その子の将来も大きく変わるかもしれません。

「発達障害」は「治る」ってことよりも・・・

「適応」「対処」と言ったほうが適切かもしれません。

社会の中で、適応するためには、早期発見・早期療育が本人のためになることも

大いにあるかと思います。

 何もなされないまま、学校や社会の中に押し込まれ・・・

その中で劣等感や孤立感を味わい・・・親も子も苦しんでいる。

精神的に病んでいく親子を何人も見てきました。

そうするとお互いに・・・

その後の社会とのかかわり方が難しく・・・長い時間を必要としたりします。

 親子にとっては難しい選択かもしれませんが、相談できる人もたくさんいます。

保護者の方がしっかりと自分や家族だけで判断せず、その子の未来のために

お子さんの特性を受け入れ、早めの対応が親子のため、

よりよい未来への近道だと思いますよ。