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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児~初潮を教えるのはどうしましたか?~

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私の娘が「障害」児でそれも大人になっていく過程を考えたとき

「初潮」をどう教えようか?悩んでいました。

それは・・・育てていくうえで

早くしないと覚えるのに時間がかかることがわかっていたからです。

「生理が来たらどうしよう」その「どうしよう・・・」

という不安はナプキンのつけ替えについてと・・・と

本人がそこに出くわしたときのメンタル面のことでした。

よって・・・私が行ったことは・・・

娘はある程度の理解はしている・・・

言葉が不明瞭であるためにスムーズなコミュニケーションは難しい。

社会性はある方だとは思うし人も好きなのでそこは問題はない。

ただ・・・衛生面はしっかり言わなければ・・・

理解していくことに難しさがあるかもしれないと感じていました。

排尿排せつは小学校低学年では失敗する状態でした。

「障害」の有無に関わらず・・・
女の子の心身はデリケートな状態へと変化していきます。

初潮が起きる前には、胸も膨らみ、発毛し始め、おりものも増える。

「障害」児の女の子はそんな急な体の変化にも対応しながら・・・

不安感や困りごとを感じつつも口に出せない、出さないことが多い。

だれでも生理前の不快感ってある人も多いですよねーーー

身体的症状では・・・
  • 胸の張り、痛みや乳首の擦れなどの敏感さ
  • 頭痛、腰痛、肩こりなどの痛み
  • 便秘や下痢
  • ニキビ、肌荒れ
精神的症状
  • ストレス
  • イライラや不安、憂鬱さ
  • 過食
  • 眠気

生理による不調は、「障害」児の女の子にとって生活面にストレスを与えてきます。

その子が持ち合わせた特有の体質を気にかけてあげる必要もありますよね。

また他にも「

かぶれ・かゆみ・感染症・匂い、生理痛・PMSの程度・月経不順」

も気にかけてあげましょうね。

生理の不調は生活習慣が大きく関わっていると言われています。

特に、「障害」児の中でも特に自閉症の子は

メンタルの不安定さからくるストレスが、睡眠にまで影響を与える事も多い。

よって規則正しい生活を行えるように小さなころから気をつけておくといいですね。

寝れない日やパニックなどが続くようであれば・・・

医師にも相談してみましょう。

薬の服薬については賛否両論ありますが、相談してみて考えていってください。

食生活も整える。とはいえ特性からくる偏食も多いですよねーーー。

食べないとか好き嫌いではなく、食べれない。

食の事に関しては気長に待つ必要もあるのですが・・・・

そのことで生理に対するPMSなどが酷くなっていったら本末転倒ですよね

また・・・生理周期を記録しましょう。

生理周期を把握しておけば、不安感に対応する事が出来ます。

  • 食欲が出てくる時期だから食べ過ぎに気をつけてあげよう
  • 眠気が増える時期だからいつもより就寝を早めにしよう   

そうした、体の変化に配慮する事が出来るようになります。

月経周期は手帳やカレンダーに書き込むものもいいですが、スマホのアプリも便利らしいですよ。

うちの娘もルナルナというアプリを利用しています。

もし、医師にかかるようなことがあった場合も・・・

「どのくらい遅れているのか?」

「周期はいつもどのくらいなのか?」

聞かれると思いますが・・・役に立ちます。

医師に相談が必要な場合

以下の状況が続くようであれば医師に相談してみましょう

  • 生理周期の大幅なずれ
  • PMSや月経痛によりきつそうなとき

生理周期の大幅なズレは何か心身に変化があるシグナル。

まあ初潮から数か月は周期が整うまでに時間がかかる子が多いですけどね。

PMSや生理痛により辛そうな時も、担当医師に相談してみてください。

近くの婦人科も対応してくれそうなところを探しておくといいですね。

病院へ行くのが難しいお子さんは・・・

スマホアプリから医師に相談したり、ピルを処方してもらい

自宅に届くというシステムがあるようですよ。

「障害」児の女の子は、ナプキンをそこら辺に置いておかないことや、

トイレへの持参の仕方、ナプキンのズレが気になっても・・・

どこでもスカートをあげて確認したりしない様にする、

汚物の片づけ方・・・

そうしたことは、支援者の方々にも声をかけて・・・

多方面から支援していかないといけないなあーーーと思います。

それぞれの特性に合わせて、声掛けも必要ですね。

 

恥ずかしい事はしないでよ➡スカートはトイレ以外ではあげません

エチケットです。➡ナプキンはポケットに入れておきます。

 

「なぜそうするのか?」という理由も一緒に伝えてあげると

本人の中で理解が深まっていくと思います。

スカートは持ち上げません➡持ち上げたい時はトイレに行く

ナプキンはポケットに入れて➡ポケットがいっぱいのときは、

              ポーチに入れて持ち歩く

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「障害」児は覚えることができないわけでもないし・・・

ましてや周囲を困らせようとやってることはありません。

言葉だけの説明や、抽象的であいまいな表現では・・・理解できないんです。

記憶の保持力が短い子もいるから、すぐに忘れてしまう子もいます。

そうした子ども達には、視覚的にわかるものを壁に貼っておいたり、

なんども見せて教えてあげる必要があります。(うちはここに力を入れました)

根気が必要になります。

ここまでがトイレトレーニングだと思って・・・

いずれ自立できお互いが楽になるんだと思って取り組んできました。

(今もときどきリマインドしないとズルしてます)

その対応には「障害」児に分かるように具体的に示してあげる必要があります。

本当に、生理になれるって大人でも大変なことですからねーーー

私も小さなころから一緒にトイレに行って見せていました。

最初はびっくりして

「ケガ?」「病気」って心配してましたが・・・

都度都度・・・説明入れながらやっていくことで・・・

定着していきました。

よって「初潮」で困ることはなかったです。

 

みなさんはどのようにされていますか?

「障害」対等な支援とは?

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「障害」児の親として、学校の先生やデイサービスの職員の支援の仕方について不満を覚えることってありますか?

支援者や先生から

「いつも、友達と喧嘩になってばかりで困っています」

なーーんて言われたら・・・

親のいないところで起きたことを言われても・・・

親とし何をするの?って思ってしまうときもあります。

そちらで起こったトラブルは、そちらで何とかしてほしいと思ってしまいませんか?

実際にその現場をみていないのに・・・

親として?どう支援すればいいのって困ってしまいませんか?

そんな気持ちを伝えるときに・・・

何だかクレームに聞こえてしまうんじゃないかと気になりますよねーーー。

クレーマーにはなりたくない、しかし・・・言わないと伝わらない

というのが難しいところでもあります。

「クレーム」と「お願い」の違いとは?

クレームとお願いの違いは・・・

「障害」児が困っていることの配慮にあたるものかどうかかなーーー

ちゃんと理由があるかどうか?

「友達とけんかになる」

というようなことで・・・

「先生が何とかするべきでしょ!!」「「障害」児なんだから仕方ないじゃない」

みたいな・・・

親の感情だけを一方的に伝えてしまえば・・・

それはクレームと言われても仕方ないかもしれない。

だからまず・・・その理由

「なぜ?けんかになったのか?」

という状況確認。

理由を聞いても

「仕方がない。そういう「障害」特性があるんだから」

と伝えてしまえば・・・自分の感情しか伝えていないので・・・

解決策も何も繋がらないのでクレームになると思います。

では、どうすればいいのか?

例えば耳に過敏があるからだと予想がついた場合

「イヤーマフをつけさせてもらえませんか?」とお願いをしてみる。

それでも対処できなかった場合、

攻撃を予測して近くに支援者として誰かがいて欲しいこと。

それでもまだ、怒りを落ち着けることができなければ・・・

別室で対処できないかとお願いしてみる。

親として自分が伝えようとしていることは、

ホントに「障害」児が困っていることへの配慮に値するものなのかどうか。

その願いは子どもの為になるのかどうかということが・・・

大きなポイントになってくると思います。

「障害」児も支援側も親も誰も得るものがないのに・・・

自分の子どもに特別な配慮を認めてほしいというのはクレームにあたると思います。

自分の子どもにとって

「苦手な授業は受けさせないでください」というような要望は・・・

子どもが「障害」が理由で困っているのかといえば・・・

そうではないと思います。

世の中には苦手なものもあるのだということ、だからどう対処していけばいいのか?

を学ぶチャンスだと思ってほしいです。

私は、保護者と支援側は子どもを含めチームだと思っています。

チームの関係をよくするためには、保護者と支側が対等な関係でいる必要があります。

対等でいる為には、困りごとをいつでも話し合える関係で、日頃から感謝や労いの言葉も双方で伝えていくことが大切。

だから親は子どものために、支援側に支援側は親に感謝の気持ちやねぎらいの言葉を伝えたほうがいいと思うし、お互いの仕事を円滑にするために・・・

どれだけお互い大変な思いをしているのかということを考慮し・・・

労いの言葉をかけるべきなのではないかなあーーー

お互い配慮をした上で、見直してほしいことをお願いしなければ

伝わるものも伝わりません。

子どもをやる気にする言葉がけをすると・・・

手のかかる子どもが育てやすくなる話はよくあります。

これって、大人同士でも言えることではないでしょうか?

お互いがいい気分で過ごせるように・・・

日頃からお互い気持ちを察する努力をしておけばチームとしていいですよね。

お互い困ったときに

「困っていること」「助けて欲しいこと」「協力してほしいこと」

が伝えやすくなります。

チームとして失敗を繰り返さないために話し合える対等な関係を築けると思います。

支援側として親をほっとさせる言葉。

 

「お母さん(お父さん)も大変ですよね」

「一緒に頑張りましょう」

「成長がうれしいです」

「こんな変化があってます(+)」

生活と育児の両方を抱えながらの

「「障害」児との暮らし」ということ想像し、わかってくれる人ってあまりいません。

いるとは思いますが、ねぎらってくれる人ってあまりいないんですよ。

だから、理解されている言葉をかけられるのは親として本当に嬉しい。

それに、「障害」児の親は・・・

「自分の子どもが負担や迷惑をかけてしまって申し訳ない」

と思っている人も多いと思います。

それに対して・・・

「そんなの大したことじゃない」「そんなこと問題じゃあない」

というような言葉をかけてもらえると・・・本当に心からほっとします。

「ちょっと、イマイチだなあ~」と思うような支援側の日があったとしても・・・

日頃から声がけや配慮や理解をしてくれる支援側には・・・

保護者もきっと寛容です。

また親として支援側を喜ばせる言葉も、あると思います。

「いつもありがとうございます」

「親として、手伝えることはありますか」

 

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常日頃から・・・

噛みつかれたり叩かれたり、暴言を吐かれたり・・・

大変なことが続くのが支援側の仕事。

支援学級の先生も人手不足と言われ、数人の子どもをまとめるのはとても大変。

そうした、自分の努力を分かってくれる人や認めてくれる人がいるといるって、

お互いに嬉しいですよね。

考えてみてください。
支援側を励ましてくれる親とすぐに何かと注文や文句ばかりの親。

どちらが、支援側のやる気を向上させるのか?

支援側や親に気持ちを伝えるために大切なことを明確にしておきましょう。

励ますというのは・・・

「頑張って」

なんて元気づけではなく・・・

「あなただからこそ」

そんな信頼している気持ちや、頑張り屋の先生だからこそ、支援側だからこそ

やって下さるかもと思って伝えていることを付け加え、

子どもを育てるように支援側へ勇気を与えていくような言葉かけが大切ですね。

クレームとお願いの違いは・・・

「障害」児が困っていることへの配慮に値するものかどうか?

支援が側にクレームばかりつけていれば・・・

それは・・・いわゆるモンスターペアレントになってしまいます。

それに、支援側へネガティブな感情ばかりをぶつけていれば・・・

めぐりめぐって子どもへの支援にそれが影響してこないでしょうか?

それは、だれにとっても大きな損失ですよね。

不満に思うことがあれば・・・

そのことに対して

「こんな配慮をすればいいのでは?」

と提案してみることも大切。

言ってもなかなか伝わらない支援側もいるかもしれませんが・・・

そこは育てる思いで・・・一人で考え込まないで・・・

みんなでチームとなって子ども達のために頑張りましょう!!💪

「障害」児・者が日本で生きづらいのはなぜ?

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みなさんは、苦手なことがありますか?

走るのとか、料理が苦手、パソコンが苦手・・・など

得意なことがある反面、何か不得意なことってあるはずです。

そして、不得意なことをやらされ続ける状態が続けば・・・

きっと「生き辛い」という状況になりますよねーーー。

「障害」児・者も同じで不得意なことや

多くの人に向けての説明だけでは、理解できないことがあまりにも多い。

理解不足からくる多くの不安の中で生活するという状況が続くから

「生き辛い」と思うのです。

でも、こうした生き辛さって・・・

今の社会には全ての人にありますよね。

特に日本は、昔の風習に縛られている部分が多く・・・

生き辛いと感じている人が多いのではないか?と思います。

「障害」児・者は社会生活でかなり生き辛いことが多い。
毎日生きることで精いっぱいみたいなんですよねーーー。

そうした生き辛さに拍車をかけているのが・・・

古くからある風習のせいもあるのでは?と思っています。

日本には四季があり美しく素敵な国。

ホスピタリティの精神は高いし・・・

震災や自然災害が起こってもみんなで協力しあう精神を忘れない!!

日本人って凄いんですよーーー(゚д゚)!

犯罪も少ない道路も看板も本当にきれい、

ゴミも散らばっていない。

それなのに、自殺をしたり・・・

ストレスを抱えて生きている人がとても多く

ましてや「過労死」と言う言葉まで存在している。

海外の方からは理解できない状態だそう・・・

「なぜ、そんなになるまで働く?」

「なぜ、自分の幸せ追求せず社会のルールに従う?」

とって思うそうです。

考えてみれば、当たり前のことなのに・・・

なぜか?みんな頑張り過ぎてしまう。

それだけ「文化風習」力が大きいのでしょうね。

どんな文化風習がストレスを大きくしているのか?

日本には「年功序列」が存在します。
年功序列とは
企業や団体において、勤続年数、年齢などに応じて役職や賃金を上げていく人事や習慣のこと。

 年齢と共に労働者の技術や能力が蓄積され、企業や団体に貢献し役立つ存在という根本的な考え。

経験による「技術」「直感」が必要な時代は・・・

年功序列のシステムは良かったのかもしれません。

では今、なぜ?年功序列が向いていないのか?

現代は「データ、予想検索」といったシステムやテクノロジーが・・・

明らかに蓄えた技術や直感という知能をこえている。

システムやテクノロジーを扱える人は年齢を重ねた人よりも・・・

若い人のほうが秀でている場合が多いのですが・・・

なかなか若い人が評価されることは少ない😢

それは年功序列の風習が、まだ強く根付いているからだと思います。

若くても優秀な人はたくさんいるし・・・

年を重ねても経験が役に立たない人もいるのが現実。

だから年齢ではなくサポートできる人が困っている人に助けられればいい。

 

またよく見かける風景に・・・

コンビニの店員や、飲食店の方々に横柄な態度をとっている方がいますが・・・

客と店員の間に上下関係なんてあるのでしょうか?

サービスを提供する側と、客はそのサービスに対して対価を払っているだけのこと。

昔々「お客様は神様です」と言う言葉が流行。

でも、お金を払っているという理由だけで横柄な態度をとるような人は・・・

神様じゃあないし、最低。

サービスに対し、お礼をいったり笑顔を向けたりできないような人へ対して・・・

敬意は払えません。

 

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また周囲の目をきにしていきるってどうでしょうか?

周囲の目を気にして生きる風習が、「障害」児・者の生き辛さに

さらに拍車をかけていると思えてなりません。

「障害」児・者に限らず悩みって・・・

周囲の目を気にするのを辞めれば・・・

無くなってまうのではないでしょうか?

 

自分の身なりにまでルールがあるのが日本。

小学校の頃から、髪型や体操服にまで決まりがありました。

就活のときだって、自己アピールする場なのに・・・

いかに服装を正しく着て、正しい日本語を話せるのかが注目されます。

リラックスして自分のスキルや能力を主張することも出来ない人も出てきます。

猛暑にも関わらずビジネススタイルを義務付けられるとかもあります。

最近はクールビズとかも効きますが・・・

猛暑なのにネクタイを外すことくらいにまで

謝罪の文が企業や自治体に貼られているのってどうなんでしょう?

様々な制限の中で生きている大人が・・・

なぜか?子ども達に自由な生き方をって一体何?

上司が残業しているから帰り辛い、上司が飲みにいこうといったら断れない。

そんなことがまだまだあるのでしょか?

時間通りに仕事が出来るのはある種の才能なのに・・・

「周囲の目を気にして生きる」ことの最大の難点が

「他人の意見を気にして生きる」ということ。

自分が生きたいように生きて、ときに迷惑もかけることもある。

それは、当たり前のこと・・・

でも、だからこそ他人にかけられた迷惑も

「仕方ないなあーーー」

と思える寛容さを身につけるべきです。

他人の意見を気にして生きるなんて、息苦しい。

自分の意見を主張しない人生を続けることはきっと生きづらい。

日本ではなかなか生き方の多様性が少ない。

「高校や大学は出ておくこと」や「結婚」「出産」「就職」できれば「出世」

というようなことが幸せの通過点だと思っている人が多くいます。

その道から外れると、大変なことになるみたいな雰囲気もあります。

そんな幸せの道が存在しているかのような幻想があるから・・・

「障害」児・者のことを哀れに思ったりするのではないでしょうか?

「障害」児・者の中には、

今の日本のサポート体制では大学進学や、結婚、一般企業の就職や、出産は出来ない人も多いかもしれない。

健康なのできっと全て出来る可能性はあるけれど・・・

社会的なサポートがたりず出来ない可能性が高い。

でも、そうした可能性がないことで不幸だと思ってはいません。

確かに不便には生きていますが・・・

不幸だと思いながら生きている様子は全くないと思います。

 

日本は、本当にとても素敵な世界でもトップクラスの暮らしやすい環境がある。

それなのに精神的に病んでいる人が多い。

それを回避するには、風習や文化の解放もあるのかもしれません。

「障害」児・者だけでなく・・・

全ての人がもっと生きやすい環境がやってくるといいなあーーー

そうしていかなくちゃ!!って思っています。

「障害」児のきょうだい児のブログから・・・

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「障害」児のあるきょうだい児のブログが目に入った・・・

こんなこともある、あんなこともある・・・

きっと・・・

その一部・・・

うちのきょうだい児も

それぞれ思いがあることだろう・・・

うちのきょうだい児には・・・

残念ながら文章で

アウトプットできる子はいない😢

よって・・・こんな子もいるよってご紹介しときますねーーー

 

「奈美と結婚しても、ダウン症の弟くんの面倒を見る自信がない」

高校生の時、付き合っていた彼氏が言った。

ショックだったのは。
明るかった彼の、思いつめたような表情でも。
とつぜん切り出された、将来の話でも。
障害のある弟を、否定されたことでもなかった。

っていうか結婚とか急になにを言い出してんねん、どうしてん。

なにより「弟は私に面倒をかける存在で、私がその面倒を見なければならない」と思われたことがショックだった。


今まで、弟を面倒だと考えたことがない。


そりゃ弟は、人よりもの覚えが遅いし。
しゃべるのは下手だし。
こだわりも強い。

でもそれは「算数が苦手」とか「身体が硬い」とかと、同じじゃないのか。
お釣りの計算くらい私がやるし、側溝にボールが詰まったらこの可憐な身をよじって私がヒョイと取りに行きゃいい。

それらの行為を「面倒」と言うならば。
むしろ、面倒をかけているのは私だ。

 

私の2万倍優秀な弟について


何度も聞いた弟の声を、私はすぐに思い出せる。


「なみちゃん、まーた、わすれとる」

私は、信じられないほどの落とし物をする。
SNSで「駅に『卒業生代表・答辞』の紙が落ちてた」と投稿されていて、なんとなく見に行ったら、私が落とした答辞だった。
家族の中で、誰よりも早く落とし物に気づいてくれるのは、几帳面な弟だ。(撮影:樹利佳さん)

画像1


「なみちゃん、くつした、ないない」

私の靴下は、いつも片方どこかへいく。
仕方なく、両足で違う色の靴下を履く。
部屋の各所に散らばる靴下を、両足まとめて“くるりんぱ”して、そっと片づけてくれるのも弟だ。
ちなみに弟は、目が覚めるような青色の服で統一している。

画像2


「ぼくな、きのうな、つくってん。うまいの!」

ゴールデンウィークで、この世の終わりのようにゴロゴロする母と婆ちゃんに代わり、弟はハヤシライスも作ったらしい。
食材を切ったのは母だけど。ていねいに炒めて、かきまぜたのは弟だ。
えらすぎるにも、ほどがある。
一方の私は、天かすをめんつゆに浸し、白米に混ぜたものだけで三食いった。

画像3


圧倒的に、面倒をかけているのは、弟ではなく私だ。

私より2万倍くらい、優しくて優秀だ。
なにを堂々と書いているのか。情けなくなってきた。

これは私だけでなく、母との共通認識でもある。

「でも良太は、奈美ちゃんの役に立つのが好きみたいやで」

母のフォローを真に受け、弟に「ガハハハ!どうだ!姉の世話はやりがいがあって、圧倒的な成長の実感があるだろう!」と、まあまあブラックなベンチャー企業みたいに振る舞っていたら、まあまあ本気で母からどつかれた。

幼稚園を卒園して、すぐのことだ。
母が私に言った。

「お姉ちゃんやからって、我慢しなくていい。弟の面倒なんて見なくていいし、楽しくなかったら、一緒にいなくてもいい」

それでも私が、短所を補いあいながら、弟と仲良くやってきたのは。
弟といるのが楽しかったからだ。

こういう話をすると、反応にむずかゆくなる時がある。

「ダウン症の弟さんを大切にして、立派なお姉さんですね」
「ダウン症の人は、天使ですよね」

悪気はないのはわかってるよ。
ぜんぜん、怒ってない。むずかゆいだけ。

でもなあ、ちょっと違うんだよな。

これってさ。

「花粉症の男って、天使だよね」
「わかる。鼻が詰まってて、こっちの汗の臭いに文句言わないしね」
「涙で視界がぼやけてるから、ノーメイクなのもバレないもん」
「花粉症の男はみんな、おおらかで性格が良いんだよ」

って言ってるようなもんなのよ!聞いたことあるかよ、そんな話!

いじわるなダウン症の人だっている。
我慢してダウン症の弟の面倒を見ろと押しつけられ、参ってる姉もいる。
花粉症の男にも、ろくでなしはいる。

声を大にして言いたい。
私はダウン症だからではなく、弟だから、愛している。
ダウン症の家族を、愛せない人もいて、当然だと思っている。

Twitterでこんなツイートを投稿したら、ちらほら、こんな反応があった。

「障害のある家族を持つ人が、全員幸せだと思わないでください」
「奈美さんのような理想の家族を見ていると、辛くなります」

むやみやたらに、私が見せびらかす愛は、人から人へと伝わるほどに中身を失い、時に誰かを静かに傷つけている。

刃の正体は「ダウン症だから家族を愛しているんだろう」という、思い込みだ。

 

差別は、形を変えて、そばにいる


差別という言葉がある。
鋭い。聞いただけでちょっとビクッとする。
私はなんとなく、あまり使わない。


「私は、差別しています」って、面と向かってストレートに言う人を、めったに見かけることもない。


障害者差別って聞くとさ。
障害者がお店を追い出されたり、会社で働けなかったり。
そういう、とんでもなく恐ろしいことってイメージもあるよね。

何十年も前は、そんな恐ろしいことが当たり前にあった。
今はたぶん格段に減った。

差別なんてもう聞かないよって、これを読んでるあなたも、そう思うかもしれない。


だけど、私は思う。

差別は、姿かたちをジワジワ変えて、今も私のそばにいる。


変身を遂げた差別のことを、私は「思い込み」と呼んでいる。


弟と遊園地に行った時のことだ。
3Dゴーグルをつけて、迫りくる立体映像を見ながら乗るジェットコースターに乗ろうとしたとき。
係員にあわてて止められた。
「障害のあるお客さまは、暗闇でパニックになると危険です。お姉さんが身体を支えてあげてください」
私は唖然としながら、私より逞しく、パニックのパの字も見せない弟の身体を支えた。
ゴーグルを着けることもダメだと言われたので、なんも見えんし、なんもおもしろくないし、弟ですら「姉ちゃん、どないしてん」みたいな表情をしていた。
ほんま、どないしてん。


車いすに乗っている母はときどき、タクシーに乗せてもらえない。
車いすでタクシーに乗り込むのは、時間がかかるし面倒そうに見えるからだ。
でも母は、一人でエイサと身体を持ち上げ、秒で乗るのに。
お高いカーボン製の車いすは、秒で折り畳めるのに。

これらはぜんぶ「障害者だから、できないだろう」という思い込みなわけだ。

でも仕方ないのよ。
自分で見聞きしたもの以外は、誰かの見聞きに頼って判断するしかないから。
こんだけ情報があふれてる時代だし。調べたらなんぼでも出てくるし。

そうやって、知らず知らず、耳と目に飛び込んできた情報が、思い込みをつくる。100%オーガニック熟成濃厚思い込みスープを。


私だって、そうだ。
思い込みスープを、知らんうちに煮詰めていた。


写真家でがん患者の、幡野広志さんに会ったとき。
私はおみやげのハチミツビスケットを渡すかどうか、オロオロした。

「がん患者の人は、食べものに気をつけているから、お菓子なんて渡したら嫌味になる」って、思い込んでいたからだ。

ふたを開けてみれば幡野さんの場合、まったくそんなことはなくて。
パアッと笑って受け取り、「食べた!美味しいっ!」って連絡をくれた。

あの時、私が思い込んだまま渡さなかったら、幡野さんはハチミツビスケットを食べられなかった。あんなに美味しいのに。


思い込みって、厄介だ。
だって自覚がない。

 

パインとハンバーグを一緒に食べるとおいしい

びっくりドンキーで、堂々の不人気メニューを知っているだろうか。
パインバーグだ。
ハンバーグにパイナップルなんて合うわけないだろ!と、驚く人も多いはずだ。

でもそれは思い込みなのだ。
れっきとしたパインバーグ差別だ。

なにも言わず、びっくりドンキーへ行ってくれ。
めちゃくちゃ美味いんだよ、パインバーグは。
初めて食べた人の、3人に1人は好きになるんだよ。

でもね、世の中には、いるんだよ。
食べようともしないのに、パインバーグを許せない人が。

増殖するパイン農園に、実家の町工場を飲み込まれたとか。
パイナップルの甘い匂いがする男に、彼女を寝取られたとか。
パイナップルで撲殺された前世があるとか。
そういうトラウマがあって、食べられないのかもしれない。

じゃあ食べなくてもいい。そういう人もいるから。
パインバーグ好きは、彼らとは距離をとって、ともに生きるしかない。
サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。

それなのにだ!

「私はパインバーグを食べようとは思わないし、パインバーグを食べてる連中の気がしれないわ!きっと頭がおかしいのよ!焼き払え!」って襲いかかってくるやつがいるんだよ。

怖いよ。どういうことだよ。なんでだよ。


思い込みは、呪いだ。


自分の視界を極端に狭くして、ふらつく足元で、誰かにぶつからせて、時にしばきあいまで引き起こす。そういう呪いだ。


ダウン症だから、天使だ。
家族だから、愛さなければならない。
パイナップルとハンバーグなんて、合うはずがない。

「こうだから、こうだ」
「そんなはずはない」

目の前の人に対して、そんな言葉が口をつくようになったら、もう呪いにかかっている。

呪いを解くには、魔法の呪文なんて唱えなくてもいい。

起きていること、やっていること、言っていることを、まっすぐ見つめるだけだ。

それから好きになるも、嫌いになるも、喜ぶも、怒るも、パインバーグの虜になるのも自由だ。

この話をしようと思ったのは、幡野さんの連載を読んだのがきっかけで。

あなたなら大丈夫 | 幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。 | 幡野広志 | cakes(ケイクス)障がいを持って生まれた子供との将来に悩む母親からの相談です。悲観し、自己嫌悪に陥る相談者に、幡野広志さんは何と答えるのでしcakes.mu

記事を読みながら、会津若松名物・赤べこのようにブンブンと私は頷いていた。

それで弟のことをツイートしたら「書いてないことをポジティブに憶測して褒めてくれる人」と「書いてないことをネガティブに憶測して怒ってくる人」がわりといて、あーあ140文字で書くって誰かの呪いにもなるんだなって思った。あぶねえ、あぶねえ。

私は、私のために、呪いを解く4000字の魔法の呪文を置いておく。

コロナもそろそろ終息?子育てはいかがですか?

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福岡ではずいぶん終息してきた新型コロナウイルス・・・

でもその影響で、外出もままならず、不安・イライラが募る・・・

子育て真っ只中のみなさんから・・・

さまざまな不安や心配の声が聞こえてきます

今回の外出自粛は、これまで日本人のだれもが経験したことのないことです。

(諸外国もそうですよねーーー)

どう過ごしたらよいか?

この緊迫した雰囲気が子どもにどんな影響を与えるのか?

長い時間を家の中でどう過ごしたらよいのか?

大きな不安を抱えて、厳しい毎日を過ごしていらっしゃったことでしょう。

どんなに大変かと、みなさまのことを心から心配していました。

くじけないで! と願いつつ・・・こういうときだからこそ・・・

これをマイナスにとらえるのではなく・・・

こういうときでなければ持ちにくい時間をもってみたらいいと思います。
そのひとつは「内省」の時間を大切にすること

「内省」とは・・・

現実を冷静に、客観的に振り返りながら、自分自身を見つめることです。


これまでにご自身が経験したこと

目の前に起きていること

これから起こるであろうこと

そんなこと を考えながら・・・

その中で自分は何を思い、どう行動したいのか?

これからどう行動していきたいのか?

などを考える時間をとる・・・

ずーーーっと考えなくていいんです。

わずかな時間細切れの時間でいいので・・・繰り返し考えてみてください。

「孤独な作業」かもしれません
でも、人は孤独な環境に身を置いたとき・・・

必ず、他の人を想うということは心理学の定説のようです。

身近なご家族との関係、友達、ママとなってから得た友人や知人。

こうした人々への思いが、もしかしたら

これまで想像しなかったほどに深く胸に湧き起こることがあるかもしれません。
そうした方々とのご縁があったからこそ・・・

今の私がいると思えたとき・・・

今度はそこから先・・・

子どもたちに、どんな未来を託そうかと考えられたら素敵ですよね。

 

新型コロナウイルス感染の恐ろしさは・・

感染ルートや治療法が見えにくいだけではありません。

見えない敵と戦う恐怖や不安が・・・この混乱の中で露出したりする

利己的な言動はウイルス以上の毒をもって攻撃してきます。

ウイルスとの闘いに勝つためには・・・

まず、情報を選別し、いたずらに不安に流されず、

状況を的確に見極め、冷静な判断に基づいて行動することです。

そして、一つひとつの行動が自分自身はもちろん、

他者を尊重する心に裏付けられているかを常に振り返ることが大切ですねーーー。
私自身も誰も言えることですが

「言うは易し」で、実際に行うのはなかなか難しい。

「あなたは出来てるの?」と尋ねられたら、

決してできてるとは言えません、努力したいと思います。
新型コロナウイルスは私たちに与えられた極めて過酷な試練ですが、その試練に打ち勝つために、私たち一人ひとりが自分自身を今一度冷静に見つめる・・・

そんな機会にできるといいですね・・・

そうした親の姿を間近に見ることで、子どもたちにとっても・・・

生きる力を学ぶことになるのではないでしょうか?

家族で過ごす時間が増えたことで・・・

夫婦関係・親子関係が

んーーー大変!!なんても聞きます(笑)

 

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何かでこんなポイントが書かれていましたよーーー

参考にしてみてくださいねーー

 

完璧主義を捨てましょう!

最近のママは子育てにもご自身にも、そして夫や子どもに対しても、とてもまじめに向き合っていらっしゃいます。それはとてもすてきなことです。
でも、あまり生真面目になりすぎると、とくに今のような非常事態下では、苦しくなりがちです。子どもや夫の言動のこまかいことが、いつも以上に気に障り、マイナスのことが目についていらだち、そういうふうにいらだつ自分にさらにいらだつことでしょう。
いらだちを感じたらとにかく目をつぶって、深呼吸をして、「まあ、いいか」と唱えてみてください。「これは夫が悪いわけでも、子どもが悪いわけでもない。今のこの環境がいけないの。いらだつのは、私が私にイエロー信号を発しているから。イエロー信号を発する力が私にはある!」とご自分の感受性の鋭さを認めることです。

一日の生活リズムを“見える化”してみる

とはいえ、一日中、家に閉じこもっていると、家族の皆がだらだらしがちです。

そんな姿を目の当たりにしたら、「まあ、いいか」の呪文も効力が消えてしまいかねませんね。
そこで、提案です。

朝起きてから寝るまでの流れを紙に書き出してみませんか。
書き出すことは、たくさんではないほうがいいでしょう。

「〇時起床、〇時朝食、〇時おやつ、〇時昼食、〇時おやつ、

〇時夕食、〇時お風呂、〇時就寝」
大体8本くらいの柱を立てて、その間に、「自分」「夫」「子ども」がすることを書きだしていく。

大切なことは、このプロットを家族の皆で作ることです。
子どもの意見もしっかり聞いてあげてください。2~3歳でしたら、一緒に作れます。というよりも、一緒に作っているんだという参画意識を持たせてあげてほしいと思います。ママやパパが何か大事なことを考えている、そこに自分も加えてもらえたという誇りをもたせてあげましょう。
そして、一日の終わりに、また皆でチェックして、今日のことをふりかえって明日のプロットを作る。
これを繰り返してみるのです。

もう一つ大切なことは、①でお話ししたこと、完璧主義を捨てることです。
計画通りに進まないことの方が多いと、ゆったり構える。むしろ、予定通りにできたら、すごいのです。シールを貼ってあげる⋯⋯のお楽しみがあるといいですね。

こうした作業を通して、家族で話し合う楽しさを増やしていけたらと思います。

 

このような不測の事態・・・誰もが予測不可能だったはずです。

子育ては大変なことがいっぱいですよね。

でも、それも含めて子どもが私たちのもとに生まれてきてくれたこと、

そして、少しづつでも育ってくれていることは・・・

奇跡の連続だと改めて思います。 
ウイルスの猛威の前に私たちの力はこんなに小さいのか?

と思わざるを得ないこともありますが・・・

その反面、気づかせてもらえたことも大きいことです。

感謝する心をいつも忘れないでいたいですね。

一日も早く、平和で穏やかな日常が戻ることを心から願ってます。

空き家対策と一言で言うけれど・・・大切なポイントは?

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今回のコロナの事態を受けて考えることは多々あった。

その中の1つに・・・一都市に人口が集中しすぎていることの怖さをがある。

これから住む場所の選択肢を増やす意味でも・・・

今ある資源を有効活用する意味でも・・・

空き家問題解決のためにも・・・一極集中型を考えることは重要だと思う。

様々な地方で活動を実施し独自の空き家対策で

移住者を集めるってことも増えてきました。

「すぐ住める家がある」

そのことは想像以上に移住の決め手になりますよねーーー。

これはここ数年、移住者の増えている町を・・・

取材していた人がわかったことの一つだそうです。

でも空き家は多くあっても、貸主が

「知らない人に貸すのは面倒」

「家の改修にお金をかけたくない」

といった家主の理由から貸し出されない家も多いのが現実。

いわゆる田舎では・・・賃貸物件そのものが少なく、かなり手を入れなければ住めない家も多いのも実情です。

そんな家主の心理を汲んでうまく制度設計に生かし・・・

次々と移住者を受け入れているそんなところもある。

特に若い人の多いのが特徴で、人口もどんどん増加に転じているところもある。

そんなところは一体何が違い・・・何が魅力なのでしょうか?

そこには制度的に面白いことをしているところもあるようです。

「空き家活用促進事業」を開始しているところはたくさんあるはず・・・

市や町が10~12年、家主から家を預かり、最低限の改修をして移住者に貸し出すなどをして・・・

かけた改修費用を回収できた後に家主に空き家を戻したり

この間、家主から金銭的な持ち出しは一切ない・・・とか

町に預けている間は家主に賃料は入りませんが・・・

10年後にリフォームされた家が返ってきて・・・

新たに貸し出すことが可能となれば・・・

ただ10年間放置しておくよりいい。

借りる側の家賃は、月わずか1万5000円。

お試し滞在であれば月1万円。

どんなに立派な家であっても、一律同じ金額なんてことをしたところもあるようです。

改修するのは、主にトイレや浴室、台所などの水回りを基本として、家のゆがみを調整したり、傷んだ畳をフローリングに変えるなど。改修費の上限額は450~700万円程度で、2分の1は国庫の補助金、残り4分の1ずつを県と町で負担

1万5000円の家賃で10年間住んでもらうと家賃収入が180万円見込めるため・・・

町の負担分は全額回収できる。

市や町の持ち出しは実質ゼロ。

貸し出されている家の一覧はホームページに掲載、そうすると並ぶほとんどは

「入居中」で、空いているのはわずかだそうです。

移住定住コーディネーター。そんな仕事も聴くように
なりました。
空き家の活用事業も中心になって進めることを仕事にしている人たち・・・

「最初は,空き家があってもなかなか所有者が貸してくれない状況があった。そこで先に何棟かリフォームをして、見える化を図り見せることが大きな実績をうむ・・・あんなにきれいにしてくれるのだったら・・・

うちも貸しますよという感じで・・・家主さんからの申し出が増えていくそうです」

 

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実際に移住した方に話を聴くと・・・

自然が豊かで子育てしやすい環境であることに加えて、

「一番の決め手は住む家だった」
「どんなに環境が良くても、住める家がなかなかない。

空き家はあっても、みんな貸してくれないし、

たまにあってもすぐには住めない状況、相当直さないと入れないとか、

売ってはくれるけれど賃貸はない。

それが安価で借りられるのが大きい。町や市との契約で安心感があるのもいい」

大家さんと個人的なやり取りになると・・・

問題が起きた時に心理的なストレスにもなりやすい。

市や町を間に挟むことで、少しは合理的に話ができるともいう。

また、店舗経営も

町営や市営の建物を1月1,000円くらいで借りられるようにするところもあり

初期投資に100万円ほどの補助が受けられることから開業できる。

でも、本当に大事なのはここから・・・

移住定住コーディネーターの仕事。

市や町の職員がかねてやるのではなく、専任を置くことで空き家の手配から仕事、

移住後のフォローまで一貫してみることをする。

一般的には、移住担当者には地域おこし協力隊などの若い人や移住者自身が就くケースが多いのですが、専任のそのまちの移住コーディネーターがいることは心強い。

 

「移住対策ですごく大事なのは、じつは移住された後のケアなんです。

移住された後は知りませんという対応を取っていたら、

定住につながらない・・・」

そういう中で県外で働いていた経験もある・・・

地元住民との関係性も強い・・・

田舎のルールを熟知している。等々・・・

何かあったときの交渉力、調整力があることは断然生活が違います。

移住者にとって、慣れない土地の暮らしでは当然、トラブルも起きます。

冬の間、水道管を凍らせてしまったとき、草刈りのサポート・・・

表には出ない細かい仕事の積み重ねがあるからこそと言っていいかもしれません。

魅力的な人材に来て住んでもらうためには、住環境や移住担当者の存在がとても重要。あなたの市や町はどうでしょうか?

空き家の活用は、市や町にいい循環をもたらす1つの引き金になりそうです。


(*1)家の改修費は450~580万円。1982(昭和57)年以降に建てられた物件は耐震改修費120万円および設計管理費60~70万円を上乗せして、630~770万円を上限としている。

車いすユーザーさんが考えていること

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ある全介助の方のブログを思い出した。それはなぜか?

全介助の方々のこれからの暮らしに向き合うことの相談が

増えてきたから・・・

下記・・・

 

友人たちと出かけた後は、虚しい日常が私には待っていた。

外出をきっかけに、なんとなくだけれど、何か行動を起こさなければ、ずっと母や家族といることになる。

母や家族から脱出できないことは、なんとなく分かっていた。が、さらにそれが腑に落ちていくようになる。

母には毎日迷惑かけているし、私に付きっきりなため、見たくもない現実を見ながら、私のケアも行う。

そのため仕事もできない。

それは収入も得られないことも、意味していた。

このまま貯金を食いつぶして行くだけの生活は、将来に不幸が待っている気がしてならない。

母親もできるだけ、気を紛らして欲しいし、経済的な収入も得て欲しかった。

そこで私は、前々から誘われてはいたが、気乗りしていなかったデイサービスに行くことを決断していた。

バスでお迎えに来てくれて、お風呂入って、食事して、レクレーションをして帰ってくる。そんな、幼稚園生みたいなことは、ずっとやりたくないと思っていたし、抵抗があった。

が、週1回でも母を楽にさせてあげたい。

私から解放させてあげたい。母と距離を取れたら、何かが変わるのではないか?という期待を持って私は、デイサービスに通い始めた。

最初は、やはり慣れないこともあり、わざわざバスでお迎えが来て、お風呂に入って、ご飯を食べることに意味があるとは、なかなか思えなかった。

けれど、家ではお風呂が入れなかったので、訪問入浴のみ月4回の入浴しかできない。しかもバスタブでお湯はチョロチョロだったのが、デイサービスのお風呂の大きさはすごく大きくて、お湯の量もかなり多かったのですごく気持ちよく入れて、ものすごい爽快感を得ることができた。

スタッフさんたちも笑顔で優しく接してくれる。

食事も家の物だけでなく、人様が作ったものを食べれるのは、今の私にとっては貴重な機会であり、ごくごく当たり前のことに変化があることに、本当に幼稚園児みたいなところに来てしまったんだなと言う思いに苛まれるけれども、現実は家でお風呂も入れない自分が、大きなお風呂で入れること。家でしか食べれないご飯を外で食べられること。はかけがえのない貴重な体験であった。

初めて行く、幼稚園生に戻ったようなデイサービス。
しかもそのデイサービスは、今と違って障がい者に特化したものではなく、高齢者の中に、ついでに障がい者もう入れてもらうデイサービスでした。

それでも週一回にしっかりしたお風呂に入れて、普段とは違う食事が取れて、家族以外の人々とコミュニケーションがとれる。

スタッフさんでも利用者さんの高齢者の方々との関わりは、どれもが人生初めての体験で、何ともそれが新鮮でした。

利用者の中には、以前地元でお会いした若い同世代の車椅子ユーザーの方もいるし、スタッフの方の中にも若い方がいる。

そういう同世代との触れ合いは、今までの受傷後の人生から見てもかなり刺激となった。また、福祉職の方々が誰が明るく楽しく接して過ごしてくれるのを見て、ああこういう人たちが関わってくれるなら、少し安心したな。救われた気がした。

でも、高齢者の方々のカラオケお隣で聞くのは、まだまだ苦しい部分があり、お決まりの北島三郎さんを始め、北国の春など演歌の王道の曲が毎回ひっきりなしに流れ、どんどん演歌に詳しくなる自分が、なんとなく抵抗ももあったが、 久しぶりに麻雀ができたり、とてもそれは新鮮で楽しい時間でした。

また、フリー時間に読書を始めるなど、なんとなく、ただテレビに逃げるだけの生活からは、変化があった。今から見れば、この誰でもいいので社会との接点を持つことが、自分の中で変化の初動と兆しだった気がする。

それは、自分に行くところがこういうところしかないという事実を知ることになったことも大きな現実と成果だった。

でも結局やることもないので、デイサービスの休憩中にタバコを吸ってみるなど、紛らわすことが若干増えた気がします。

あ、ちなみに今は十数年前から、タバコは一切吸っていませんのでご安心を(笑)むしろ拒絶が出るほど大嫌いですwww

週1回のデイサービスだが、外の世界に触れ、ある意味現実を思い知った。
私は外に出れば、希望ある未来が待っていると思い込んでいた。
外の世界と関われば、今が良くなる。
変化して道が開けるとちょっと期待していたのだ。
母親から離れた世界が広がると、少し希望をもって期待して決断したが、私の望んでいる世界はそこになかった。

この時ちょっと悟ったたかもしれない。

ああ、自分はこの福祉という施し受け続ける人生。

社会の普通のレールから外れた。

違うレールの敷かれた人生を生きていくんだ。

これを打ち破るには、とても現実的にイメージできない、何か奇抜で大きなことを成し遂げなければいけないのだろう。

頭のどっかでそう考えるようになったかもしれない。

だが、そのことを真正面から認識し、立ち向かう勇気には私にはなかった。

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母への貢献として、週1回デイサービスに通い、今まで人とコミュニケーションがなかった人たちと交流を深め、社会との接点がこれでもできたのだからいいのではないか。自分は良く行動した。

素晴らしいではないかと。と自分に言い聞かせ、だが、心は虚しく、苛立ちは隠せず、満たされず、日々をごまかして毎日が始まった。

その環境おかげで、本当に何か藁をも掴む気持ちで、同世代のいる世界に私は求めていた。

違う何かを私は貪欲に求めていた。

内面にグツグツと蠢く感情が、私の中で悍しく襲いかかってくる。

だが、その反逆的な感情が私を貪欲にさせてくれてくれるような気がしていた。

その時、県立のリハビリテーションセンターで教わったパソコンを思い出した。

思い切って購入した。

当時はブラウン管だったモニタ。

地元の電気屋でパソコンを購入して、インターネット回線、当時 ISDNを引いて、『テレビ、デイサービス、訪問看護、ご飯』のルーティン生活に新たにパソコンという友達が加わった。

最強の現実逃避アイテ新しいともだち『パソコン』を手に入れた私は、最初はおっかなびっくり。
慣れないこともたくさんあったが、次第に「恋人か!?」というぐらいのめり込んでいった。
リアルな世界では、何をするのにも人の手を借りなければ、何をできない私。
母や家族に声をかけなければ、お水ひとつ飲めなかった。
だが、ブラウン管の中に入り込み、没頭して、パソコンをやっている最中は、自分で棒を咥えながらではあるが、マウスポインタの矢印を操作できることができた。
それは、初めて何かをしたいと思った時に、人に声をかけなくて良いという体験が待っていた。

何かを調べたいと思ったら、検索キーワードを打てば、その情報が手に入る。

テレビは「チャンネルを変えて欲しい」と言わなければ、チャンネルは変わらない。これによって、母や家族と関わる時間が格段に少なくなり、自分である程度「暇つぶし」という現実逃避ができるようになった。

昔はキーボードも大きかったので、パソコンをセッティングするテーブルをつくる日曜大工もできる人がおらず、膝にクッションを置いて、その上にキーボードを置いて、棒を咥えてひたすらパソコンをする。という日常が始まった。

なので、一度セッティングするとテレビに逃げていた時間がパソコンにシフトしていった。人に声をかけるのは、嫌なので休憩もろくにせず、ずっとパソコンと向かい合うようになった。もっと現実逃避は加速していった。多い時は、1回5~7時間は当たり前だった。1日12時間ぐらいはずっとパソコンで現実逃避に精を出していた(笑)

だけど、そこには自分で何かできる。喜びは実はなかった。ただ、気が紛れるの質が高くなっただけだった。作業に集中する。という心地よさは、何か趣味を持つような、熱中できるものがあることは、とてもその時の私には現実から逃げる救世主となった。

 

車いすユーザーさんと話すとき・・・

様々なネックを聴くことがある

それぞれを聴きながらどんな思いで何をしていくのか?

考えていかないと・・・

って思ことばかりだ・・・

 

 

公立学校の“横並び”意識って・・・

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教育現場でのICT化が遅れている日本。新型コロナによる休校が続いていた.

3~5月、私立の学校や学習塾では、オンラインを活用した学習支援に取り組む先進例が次々に現れた.

文科省の発表では、公立の小中学校などで「同時双方向型のオンライン指導を通じた家庭学習」を実施したのはわずか5%だったという。

もちろん、そんな中でも新しい取り組みを始めた公立学校の教員たちもいた。

オンラインで子どもたちをつなぐ「オンライン朝の会」など・・・

しかし、実際にオンライン朝の会を実施できた例は少ない。

「他の学校がやっていないのに、うちだけやっていいのか——足並みが・・・」

率先して新たな取り組みを行おうとした教員たちを阻むものは

教育現場での「横並び」意識・・・

現場からは

「管理職は教育委員会や文科省ばかり見ている」という人も・・・

 

出来たところでさえも・・・オンライン朝の会の実施には・・・

校長や教育委員会からの理解を得るのに高いハードルがあったらしい・・・

 

教育委員会からの許可を得られなかったものの、独自の学校判断で

オンライン朝の会を実施した学校。

参加した子どもや保護者からは好評だったものの、別の問題も持ち上がる。

 

「同じ市内の学校の保護者から、

『あそこの学校はオンラインで朝の会をやっているのに、

なんでうちの学校はやらないのか』

という問い合わせの電話が教育委員会にある。

教育委員会から校長に連絡が来たことで、

学校独自で実施したオンライン朝の会は、続けることが難しくなった」

 

保護者の声を意識しすぎる教育現場のあり方も・・・

現場の教員を委縮させてしまう。

「電話した保護者の方は・・・

オンライン朝の会を止めさせようとしたわけではないかもしれません。

ただ、結果的には、朝の会はできなくなりました。

保護者や地域の方は・・・学校独自のやり方を認め、応援してほしい」

と現場の方々は言う。

 

「先生たちがやりたいと思っても・・・

すべて潰されてしまう」

新しい取り組みが受け入れられない閉塞感を感じてしまう。

こん後、運動会や行事もありますが、

『こんな形なら実施できるのでは?』

とアイデアを思いついたとしても、受け入れられないのではないか?

今までのように・・・画一的な対応しかできないんです。
『自分がやりたい』

それが一番のエネルギーだと思う・・・けれど今、夢を語れません。

先生たちが何かしたいと言っても、永遠につぶされ続けてしまう」

 

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学校現場でICT化進まない原因の一つに、「横並び意識」がある。

「コロナの対応を通じて・・・学校という組織は日本社会の縮図。

とにかく横並びであることを重視、はみ出すと不寛容になり、

挑戦はさせてもらえない」

確かに

「『すべての家庭でネット環境が整っていない中では・・・

不平等だから』

その理由はわかる気がする・・・

でもそこはそこの対応があっていいのではないか?

教育委員会は、

『オンラインで生徒の顔を映すのはどうなのか?』

『セキュリティーはどうなのか?』

と指摘される。

リスクをあげるだけなら・・・どれだけでもできる。

子どもたちのニーズではなく・・・何を見ているのか?

「自宅待機中にホントはもっとできることがあったのでは?」

と漏らす人もいる。

教員たちもICTを使った新しい取り組みに関して・・・

萎縮したり、無関心に・・・

「休校中は職員も時間があったので、

オンラインなどに対応する時間はあった。

でも、先生たちは

『上からやれと言われるまではやらなくていい』

『Zoomはやったことないから』と消極的なことを言われたこともあった」

生徒が通う塾では、学校が休校中、オンライン授業に切り替えたところが多かった。

でも学校では課題の指示を出すことくらいしかできなかったとか・・・

「保護者からは、学校は何もしてくれないと思われていたと思う。
ICTを活用すれば、クラスの仲間と顔を見ながら話したり、

勉強でわからないところを質問したりする機会を提供できたのに。

ほとんど何もできなくて・・・もどかしい思いだった」

今回、このコロナがあぶり出した教育のICT化の遅れ・・・

教育現場に

「新しい生活様式」への対応は急務、ICT化が求められる局面はこれからも続く・・・

そんな非常事態で求められるのは・・・

ホントは現場レベルでの柔軟な対応のはず、

でも強すぎる「横並び意識」が、先生たちの思いを阻む。

「子どものために『こんなことをしたい』という思いがないのではない。

その思い、熱意を消さないでほしい。

やり始めるときって批判された瞬間に・・・

その火はあっという間に消えてしまう・・・そんな小さな灯」

 

どんな世界も同じだなーーー

【一人でやり続けることが最も難しい】

やはり仲間の力、多馬力・・・ここなんだなーーー

 

思い込みで笑顔がなくなっていませんか?

 

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最近お悩みを聴く際・・結構・・・

思い込みの強さを感じることがあります。
 
自分の気持ちをもっとうまく伝えられると

仕事もプライベートももっとうまくいく

 話しかけられれば・・・

それなりになんとなく話しているのに

職場の人間関係やママ友の関係がうまくいってないような

そんな気がする

 自分に何か原因があるのか?

そうじゃないのか?

どっちなんだろうか?なんて

もやもやしてるんです・・・なんて言うあなた・・・

 おおよその・・・うまくいかない原因の傾向を

2つあげてみると・・・

 

 単なる思い込み

もしくは

日ごろの表情

 

 

もしかしたら・・・こんな些細なことかもしれませんよ

 

 

1つ目に考えられる

単なる思い込み・・・

 責任感が強くてしっかり物事を真正面から考える

真面目な人に多くって・・・

 

ひとつひとつ仕事を
キチンとこなすのは
すごく良いことで信頼も厚いんだけど・・・
 その真面目さから
硬いイメージを持たれやすいってことないですか?

 

また、細かいことにもよく気づくから

ホントは気にしなくても良いことまで

気にしすぎちゃう・・・

 んーーーー

アンテナの感度が良すぎなのよーーー(笑)

 

何も悪いことなんて何1つしてないんだけど

雰囲気でなんとなく・・・

違和感を感じさせちゃうっていうか?敬遠されちゃう?

第六感みたいなものかなーーー

 

そういう時は

思いっきり・・・肩の力を抜こう

仕事の話だけじゃなくて

なーーんかどうでもいいこと・・・雑談ができると

へーーー意外って・・柔らかい印象に変わる

 

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次に2つ目・・・

 

 話すときに

笑ってない人って

周りを見てると結構多いなぁって

思いますよねーーー

それとかなんか

笑顔が冴えない人・・・

 

想像してみてーーー

いつも楽しそうにニコニコ話を

聞いてくれる人と・・・

ただなんとなくうなずいて聞いてくれる人を

 

話してるこちら側も

気分が良くなるのは

前者じゃあないかなーーー??

 

同じ『聴く』って行為でも、

笑顔かそうでないかだけで

 

天と地ほどの差・・・

 

楽しそうに話してる人の

そばにいくと

何だかさーーー

こっちまで楽しくなっちゃう!!

 

 相手の反応はまさに・・自分の鏡写し

なんだよねーーー

 

 心って見えからこそ・・・

それって・・・ちゃーんと顔に現れちゃうの・・・

隠すのがうまい人も中にはいるけどねーーー(笑)

 

話しかけられるときって

必ずしも相手の話が・・・

自分が興味ある内容とは限らないから

 

つまんないなーーー

そーゆーの興味ないんだけどーーー

ってのも、顔に出ちゃったりしますよねーーー(笑)

 

表情もそうだし・・・目にも出ちゃう(笑)

 

 目は口ほどにものをいうなんて言いますよねーーー

だから・・・特に気をつけてーーー

 

どんなに話がつまらなくても・・・

そう言うことを聴く気分じゃなくても・・・

 

 笑顔で話をきくことは・・・

良い人間関係を築く上で超重要ポイント!!

 

 笑顔になれてるかどうか

私は時々意図的にチェックしますよーーー

どうやってやるかっていうと・・・鏡に自分をうつす。

もしくは話してみる。

たったこれだけ!(笑)

 

 鏡の自分に向かって

いつも通りに話しかけてみてください。

 

 どんな表情してる??

 ・笑えてる?

・口角は上がってる?

・目が三日月型になってる?

 

話す相手の前でも・・・

笑顔になる努力をしましょう・・・

 

堅い雰囲気があるといわれるなら

すっと肩の力を抜いて

柔らかい雰囲気を出すようにしましょう

 

笑顔で話せてないなら

 

・笑顔

・口角

・三日月目

 

ここ要チェック!!

 

福祉の仕事をしていると・・・

日々磨かれていきます。

 

さあーーー明日も笑顔で・・・(*'▽')

 

 

 

 

 
 
 

エジソンの晩年は・・・耳が・・・

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今いるコミュニティでは・・・
よく自分の当たり前を疑え!!ってよく言われるんです。
でも・・・私は自分が代表であるコミュニティ
筑紫野市「障害」児・者問題を考える会で・・・
ある意味・・・日々そのことを突き付けられている
とも感じています。
 
でも・・・昔の偉人も成幸者
と言われる人たちも・・・やはり基本・・・
「当たり前の基準」が違うんですよねーーー
8割の方々が考えることではないことを考えている・・・
 
これって知ってましたか?
 
 発明家エジソンは晩年
 耳が聞こえなくなった
 
エジソンは発明家として有名な方ですが
またユニークなお人柄でもあったようですよねーーー
その彼は晩年難聴になりました。
そう耳が聞こえなくなったと言われています。
 
そんなエジソンは発明家であるにも関わらず
失った機能を補う補聴器を発明しませんでした・・・
聞こえなくて困ったはずだし・・・
発明家なら自ら作りだしそうなのに・・・
発明しなかった
 
さあーーーそれは一体なぜでしょう?
 
エジソンの答えはこうでした・・・
 
『1日24時間でそんなに
きかなきゃいけないことがあるのだろうか?』
 
何だかポカーーンとしちゃいました。
そして笑っちゃった・・・*1ヶラヶラ
 
エジソンはわかってた・・・
 
   聞くことよりも大切なこと
 
聞くことよりも
もっともっと大切にしなければならないことがあることを
エジソンは知っていたんですねーーー
 
エジソンにとっては
聞くことよりも・・・(これって些細なことだったんですねーーー)
 
発明のために自ら考えたり
自分の好きな物作りに集中したり研究する時間のほうが
何倍も価値があり大切だったのかもしれません。
 

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一般人の私たちはちょっと何かあったらーーー
「さあーーー大変!!」
って・・・右往左往しがちですが・・・
 
偉人や成幸者って・・・
きっとそこにかけるエネルギーや時間を
『自分の基準』で正確に判断しているんですねーーー
 
そのほうが自分の人生にとってきっと後悔しない
意味のあることだったんじゃないかなーーー
 
うちの娘に置き換えれば
わからないことが多いこと、
言語がうまく伝わらないこと
確かに不便だし困るけど・・・
そこが
1番大事なことかときかれたら・・・
本人はきっと・・・首を横に振るでしょう
 
そうじゃないって私も思います
 
それよりも、
自分が伝えたい思いを相手にわかりやすく
伝えてくれる人がそばにいること
できないことを手助けしてくれる人
そんなことを
しっかりキャッチしてくれること・・・
 
相手が何かつまづいてるなーーーと思ったら
相手が伝えようとしている
思いを引き出すお手伝いをすることで
 
『分かり合う、通じ合う』
 
これがきくことよりも
できないことよりも・・・すごく大切なことだと思います。
 
ここから生まれるエネルギーって
とても大きくて・・・温かいから・・・
 
 悩みを解決する以上に・・・
 そこから何かを学ぶという視点を持つ
 
そんなことなのかなーーーと
 
 コミュニケーションもそれぞれ・・・
解決方法ばかりを追求しないで
視点を変えると・・・大きく人生は変わっていく・・・
そんな感じがします。

*1:´∀`*