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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

世間体と「障害」の関係

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「子ども達に「障害」があることで、

周囲の目が気になったことはありますか?」

 

って聞かれたことがあります。

そうですねーーー小さなころはありましたよ。

だけど・・・それも2~3年くらいだったかなーーー

周囲の目を気にしながら生きるほどの余裕はなくなった。と言いますかーー

そんなことを気にしていたら・・・外に出れないから・・・

公共の場に連れ出すと・・・最初はじーーと見られたり、振り返られたり

コソコソ話されたり・・・

自閉症の子ども達においては・・・

舌打ちされたり、面と向かって注意を受けたりと

ダメな母に認定された気持ちになるーーーなんて・・・

でもねーーーこの子達はわざとやっているんじゃない。

親として放置しているわけではないのだけれど・・・

この子達の「エネルギーパワー」は・・・

親の力だけではどうにもならないのですよ。

誰にだって1度は、理想のお母さん像て描いたりしませんか?

私にも少なからず・・・ありました。

学生時代憧れのご夫婦、家庭環境・・・

その頃の私が今の私を見たらきっと驚くことでしょう

「「障害」児の育児をしているの?」って・・・

私も「障害」児育児コンプレックスありましたーーー。

だって私の知り合いには「障害」児を育ててる人なんていませんでしたから

子どもが幼い頃は孤独を感じていましたねーーー。

周りにいないから・・・

そして何だか寂しく虚しい日々も感じていました。(心の中でねーー)

わが子と同時期に生まれた子どもをもつママ達と・・・

地域でもで仲良くなりました。いわゆるママ友。

子ども達はどの子も変わりなく可愛いい、その子ども達がわが子と一緒に遊んでくれる姿に・・・心から嬉しいと思っていました。

でも、その一方で・・・何だか感じたことがないほどの

「孤独」や「寂しさ」「虚しさ」も同時に感じたりしてました。

周りのママの子ども達は言葉が出始めたり、

走ったり転んだり、いやいや期、ナゼなぜ期と・・・

それぞれ悩みも喜びも共感しながら話が盛り上がっている。

私の娘は言葉も遅いし、まだ歩きもまままらない・・・

違う。違いすぎるんだよなーーーー

段々と不安になってくる私に

「子どもの成長はそれぞれだよ」

と言ってくれるママ友。ありがたかった。

でも何だかなーーってときに「耳」のことがわかり・・・

(のちに誤診とわかる・・・)

そのとき・・・大きくなにかが崩れ落ちたような・・・

大事な何かを失ったような・・・心に大きな穴がぽっかり空きました。

わが子の「障害」を見つめ・・・育てながら、

あのとき崩れおちた何かや、失った何かは・・・

本当は「いらなかったもの」だと思えるように今はなっています。

もちろん、わが子が「障害」児ではなかったら・・・

どんな人生だったのだろう?と考えたり想像したことはありますが、

その人生を手に入れることができなかったことに

「悔しさや悲しみ」といったネガティブな感情を私は感じません。

どうして感じないのかなーーーって

そこをつきつめて考えてみたとこ・・・ひとつの答えにたどりつきました。

私がこの子を産んで様々な人に出会い、本に出会い

人生において自分の価値観の変容が起こりました

「他人とくらべること」と「周囲の目線を気にすること」をやめたのです。

んーーー捨てた?ぶっ壊した?

「他人とくらべること」と「周囲の目線を気にすること」

を捨てることって、なかなか出来ていない人が結構いるんですよねーーー。

そう・・私もそんな一人でしたからねーーー

そんな社会環境の中の一員でしたから・・・

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でも私は自分自身のありとあらゆることにおいて

(まだできてないこともありますが)

他人と比べること極力やめました。

比べたところでなんの得も得ることもないと気づいたからです。

日本はとくに「他人と同じであること」を求められる

同調圧力的な雰囲気が強いですよねーーー

同じ日本人であっても・・・

意見も、見た目も、考え方も、育ちも違うことが当たり前なのに、

人生、生き方は多種多様だとみんながわかっていても・・・

でも意識のどこかに・・・どこかに「幸せの基準」

みたいなものが準備されているような気がする・・・

それがきっと同調圧力の原因?

その幸せの基準から、はみ出したら・・・

「大変なことになるぞーーーー戻ってこーい!」

的な考え方がどこかにある気がする。

でも、幸せの基準なんてきっと人それぞれ。

だから他人と比べるなんて無駄でしょ。他人と何だか違うという、

そんな考えても無駄なことで凹んでるなんて・・・

時間の無駄、思考感情の無駄ーーーと思うようになりました。

よって・・・そこから周囲の目線を気にすることもやめました。

でも「障害」児の育児をしていると、周囲の目線が気になることが増えますよね。

わかります。

スーパーで急に大声を出したり、突飛な行動をする子どもに対して、

ついつい人の目が気になってしまうんですよね。

でも、そうした「周囲の目線を気にすること」を辞めました。

  • 他人の評価が気になる
  • 他人に嫌われたくない

知らない誰かに評価して認められたいわけでもないし、

知らない誰かに怒られたり怒鳴られても

「障害」児が騒いでしまうのは、

その子どもが悪いわけではないことが多くあります。

生き方や感じ方の違いや抱えている「障害」への配慮がない社会が

寛容さに欠けるのでは?と思うようにしました。

たとえそうした考え方で嫌われたとしても・・・

私は子どもの抱えている「障害」について頭を下げてばかりで歩くような親には

なりたくなかった。

子どもを守りぬくことも出来ないような・・・

大事な何かを犠牲にしてまで。。。守りたい世間体というものが私にはなかった。

自分の大好きな愛する人を幸せにできていれば・・・

そんなに知らない誰かにどう思われてもいいじゃアない?って・・・

「子どもが「障害」でかわいそう」「あんな子いたら大変だよね」

思われても・・・

自分の生活を幸せにするのか?かわいそうにするのかどうかは自分次第です。

それに、「「障害」児の行動が迷惑だ」と怒られても・・・

生まれ持った特性生き方について配慮や思いやりもなく、

ましては知ろうともしてくれない人が公共の場で

赤の他人に怒鳴り散らすその行動こそ迷惑だとも思うようにもなりました。

そんな人にどう思われてもどう思ってくださって結構だと思うのです。

そんな些細なことに心を痛めている時間なんてもったいない。

人生は一度きりなんです。

それに、「障害」児を育てているって悲しいことではなくて、物凄く大変で素晴らしいことをしているんですよ。

大切なのは「自分の生きかた」です。

誰かの基準で生きるでもなく、他人の評価に怯えることもない。

自分が過去の自分より日々成長しているのか?

幸せを感じれる人間になっているのか?誰のどんな幸せに貢献できるのか?

「自分の生きかた」を大事に。

「みんなと違う」とか「普通はこうだ」という生きかたの基準なんていいんです。

「障害」だって、配慮が必要である生き方のひとつ。堂々としていればいい。

そして、堂々と幸せでいるために・・・

親がしてやれることって何でしょう?

私は、自分がやりたいことを選び、諦めないこと

そして、その選んだものに責任をもつこと。

たとえ判断ミスだったとしても・・・

他人のせいにしないこと。(矢印はいつも自分)

そうした本気の生き方を選びたいと思っています。