ときたま・・・
いや・・・よく・・・
その辺にいる方ばかりではなく・・・
福祉従事者であっても・・・
「あの人は甘えている」「態度がわがままだ」
なんて・・・
「障害」児・者について語られる場で・・・耳にしたりします。
言っている人たちの多くは、「障害」への理解が不充分なのでしょうか???
でも・・・福祉的支援の現場においても、
たまに聞こえてくるところが、、、何だかいささか残念ではありますが・・・
例えば・・・利用者さんが
「ちょっと頭が痛い。仕事を休みたい」
「おなかが痛いので帰りたい」
「気分がすぐれないので・・・帰りたい」
と報告してきたとします。
そこで、利用者さんのバイタルチェックをしたり・・・
直近の状態などを検討したりして
支援者側が
「働けないほどの不調ではなさそうだ」
と判断し、そのことを当人に質してみたとします。
この後の展開としては・・・
利用者さんが「やっぱり休みます」と主張する場合か、
はたまた・・・
「やっぱり働きます」と宣言する場合かが考えられますよね・・・
そして・・・私たちの多くは、
前者についての答えが返ってきたときに
「甘えている」「わがままだ」
と見ることが多いのではないでしょうか?
ここで、考えなくてはいけないのは・・・
さらに踏み込んで
「軽微な不調を感じている利用者さんが“休む/働く”
を選択するのはなぜか?」
と考えてみます。
すぐに思い浮かぶ理由は
「意欲や責任感がないから休む」「意欲や責任感があるから働く」
みたいな答えが出てくるのでしょうか・・・
実際大きく分ければ・・・そうなのかも知れません。
ですが・・・
障害特性や環境などを勘案すれば、さらに考察を深めることができるはずです。
その利用者さんが“休む”のは・・・
自分の感覚に正直であり、それを正直に述べているだけかも知れません。
その利用者さんが“働く”のは・・・自分の不調の有無に関わらず・・・
日々のルーティンワークに従っている方が
気分的に安定するからなのかも知れません。
その利用者さんが“休む”のは・・・
施設や職場の中に、最近、人間関係が険悪化している利用者さんが
いるからなのかも知れません。
その利用者さんが“働く”のは・・・
以前に休んだ時に誰かに非難を受けたため・・・
ホントは休みたいのに・・・
休みの申し出ができなくなっているのかも知れません。
こちら側にとって不都合な態度を、健常者の場合と比較して、
「甘えている」「わがままだ」
と見るのは簡単です。
しかし、短絡的に決めつけると・・・
続いての対応は・・・
しばしば“苦言”や“叱責”になったり、
あるいは“配置転換”など・・・本人にとって
ネガティブなものになってしまいがちになったりはしてませんか?
丁寧な観察。柔軟な考察。深堀り出来る感覚・・・
簡単なことではありませんが・・・
福祉をつかさどるものとして・・・
これらを踏まえ、できるだけ前向きな支援を
導き出していきたいものですよね・・・
日々お互いが
楽しく前向きな毎日にするために・・・