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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

胸の張れる支援してますか?

20201023153116

f:id:variouspeople:20210129013625p:plain


スタッフが利用者をが叩いていたので、

私も真似をして、叩いてしまった・・・
それを見たスタッフから軽蔑されている・・・

その後、今度は叩くことはやめ、
叱ることもしなでいたら、


「やさしいよね?
もっと正しく注意をしたほうがいいですよ」


と、言われてしまう・・・

叩いてしまったことは、猛烈に反省・・
でも、果たしてこの職場でうまくやっていけますか?

スタッフにいろいろ思われてるのかと思うと・・・

どうでしょうか?

こんなことって・・・案外ありそうなことですよね。
他にふりまわされてしまった自分・・・


自分自身でも簡単に虐待をしてしまうことがあり得る。

例えば・・・自分にとって尊敬すべき先輩がやっていた
「たたく」という行為をまねてみた。

あり得る話ではないですか?

そして、他職員から、自分に向けられる
言葉や態度に、その通りにしないと
だめなのではないか?と思い込む。

支援職になりたてのときには、
やはり、誰かを見本にしたりしますよね?
先輩がやっていれば、
それは自分もやったほうがいいのではないか?と
思うのではないでしょうか?

自分の中で、最初に悪いのではないか?と思った支援を、
批判することができなくなり、
いつしか、その状態は「日常」になり、
さらにそれこそが「正常」になってしまう・・・
ということなのです。

でも、そんな間違った支援をした自分を
批判する人もいて、
なぜ、あの人は良くて、私は批判されるの?
という疑問にもなるのではないでしょうか?

そして、自分自身を今度は変更していく。

そんな人の言動によって、
自分をつくり、
また人の言動により、自分を変更し、
そんな繰り返し・・・
簡単に言ってしまえば

「自分がない」「自分を持っていない」状態です。

でも、自分がなくても・・・何の解決にもなりません。

まず、このような過去にはごめんなさいしながらも、
もう、そこに固執することはやめましょう。

f:id:variouspeople:20210120162911p:plain

利用者には悪いことをしたけど、
ここから、変わっていく自分を見せることができればいいのです。

だって、過去は過去です。
もう変得ることはできません。
でも、未来は、これから変えられるのです。

今からでも遅くないです。
あなたが、本当に目指すべき支援を
はじめてみましょう。

利用者にこんな支援をしたいと思っていたときのこと・・・
そのころを思い出してください。

人の目は、気になるかもしれませんが、
それでも自分が変わろうと思うことです。

確かに批判もあるかもしれませんが、
自分の考える正しい支援を貫くことではないでしょうか?

あなたが変わっていくことを、
利用者の皆さんは、大きな心で、
喜んで迎え入れてくれるはずです。

彼らのやさしさの中で、
自分が目指す「正しい支援」が
できるようにしていきましょう。

そして、あなたの意に反する支援をしている人に
心を捉われないようにしてください。

どっちがいいのか?は利用者がきっと判断してくれるはずです。

過去は過去で、もう変わりようがありません。
だからこそ、これからの未来を変えて行きましょうよ
自分の心が心地よい、人として誇れる

そんな支援をしていきましょう。

「障害」児・者のママでも社会の戦力になれるんです・・・

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「障害」児のママで、常勤で働いていけている人ってどれくらいいるんでしょうか?

私は27年前から常勤してました。

 働かなくてもいいよーーーの方もいらっしゃるかと思いますが
このコロナ化、二人で働いて協力しないと生活を回せない家庭だって多いはず・・・

ひとり親の場合、ママが働くということは絶対的に死活問題です。

 保育園不足や学童保育不足は深刻化してニュースになることもありますが、

「障害」児の預かり場所が足りていないことや問題は・・・

まああまりニュースになりません。

よって「「障害」児の親は働けない」ことが問題視されないことは

どうなんでしょう?

 今回は「「障害」児の親の仕事」については・・・

働けない、働きにくいと言われているのですが、

では実際どれくらい働きにくいのか。

特別支援学校での開校時刻や送迎の問題

特別支援学校の場所の問題。通学(遠距離)

放課後デイサービス預かりの問題

家庭での睡眠しょうがいや強度行動そうがいでスムーズに準備ができない問題等

あるのかなーーーって思います。

 

解決してほしい問題としては・・・

 

送迎、福祉制度の上限額の改訂、テレワークの導入、起業への支援制度などが

多く聞かれます。

 

送迎の人がいない・・・足りなーーい!

これって・・・働き手不足の問題が大きく絡んでいると思います。

 

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送迎だけでなく、放課後デイサービスも・・・

人手が足りてないのも見ていてわかります。

福祉の働き手不足の問題は、

もっと国や自治体をあげて改善しなくてはいけない問題ですねーーー

 ただ増やすだけでは福祉の質が落ちてしまい結果として制度があれてしまう・・・

ここも・・・課題なんだろうな・・・

「障害」児・者の福祉制度には「上限額」があります。

「障害」福祉に限らずですが・・・

医療保険や介護保険といった世の中の多くの制度には上限額があります。

 そうした上限制度によって「生活が助かる」と思っている人は多いのですが、

上限額が設定されていることで・・・

制度をそこまで必要としていない人までが利用したほうがいいと考えます。

制度を利用する人が増えれば増えるほど・・・

サービス提供者は人手不足になります。

そのことで、制度を心から必要としている人に制度が行き届かなくなることも

良くある話なんです。

 サービス提供者側も、制度を使って貰えば儲けに繋がる。

福祉の場で働く人の意識が「儲ける思考」ではありませんが、

福祉サービスを利用する人が多いほうが事業としては成功なので、

サービスを利用できない人がいることに目が向けられにくくなります。

 世の中の無料や上限のあるサービスは・・・

困窮している方が優先されるべきことですよね・・・

テレワークや在宅ワークの導入がもっと浸透すれば・・・

働けるというママ達ももっと増えますかねーー。

ママだけではなく、

定年になったのだけれど高いスキルと経験値をもち「数時間働きたい」という人も

そうした、スキルを細切れで提供していくような働き方が

もっと浸透するといいなーーーと思います。

 きっと「障害」児・者の親だけじゃないんですよね。

「保育所おちた」って問題も本当家族にとっては死活問題。

家庭のあり方は30年前と大きく変わっているのに・・・

制度事態が追いついていないんだろうなと思います。

 ママだって立派な労働資産。

税金を納める貴重な納税者ですよ。

この労働者不足に、主婦やママといった人たちも貴重で重要な存在だと

理解してくれる人が増えるといいなーーーと思います。

「障害」~仲良く?できないといけませんか?~

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「障害」支援事業所の支援者の中には、
楽しい雰囲気を好む支援者が多くいます。

みんな一緒に同じ部屋に座らせていることを
当たり前としてみたり、
みんなで一緒に作業することを良しとしたり、
「楽しい?」などと必ず聞いたり、
お互いが笑いあっていたり、仲よくすることをよしとし
個別支援計画に掲げるような場合もあるのではないでしょうか?

そういう雰囲気の方が、
支援者も楽しいし、支援をしているという充実感が
得られるのも確かなこと・・・
でも・・・果たしてそういうことが、
いつもの当たり前になってよいのでしょうか?

たしかに、「障害」支援事業所は、
このような形を長年続けているところが

多いのではないかと思います。

そのせいか、
利用者同士が仲良くなるべきだと考える施設が
当たり前のようになっているところも
多くあるのではないでしょうか?

仲良くするということも、
友達を作ると言うことも、
全て同じ施設の中にいるのだから当たり前であると想定し
そのほうがその人の人生はよくなるはずと
思い込んではいませんか?

でも、それは・・・支援者が勝手に思っているだけで、
本人たちの心情は、
「この施設には、友達になれそうな人なんかいない」

「あの人苦手、嫌い」
と思っている人も多くいるのです。

例えば、
私たちの職場のスタッフ間でも、
仲が良くなければ、仕事ができないと思っているでしょうか?
もしかしたらいるかもしれませんが、
実際はそんなことはないですよね?

たぶん、今までの流れがそうだったからという、
そのことは本当は必要なのか?必要ではないのか?
何も考えていないからこその
支援者の悪しき慣習ではないか?と疑ってみてください。

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彼らは、自分たちで、
話をして、交流を通して
意気投合して、
仲良くなる人もいますし・・・そうでない方もいます

それこそ、言葉等交わさなくても
フィーリングがあうとか、趣味が合うとか
初めて会った日から何だか馬が合って・・・
仲良くなる人もいますねーーー。

でも、どんなに長く一緒にいても、
苦手は苦手だし嫌いな人は嫌いですよね・・・
どうしても相性が悪い人もいるのです。

もちろん、知りあう、理解しあう場を支援者としてつくって、
そこで、わかりあえる人もいますし、
そういう場をいくらつくったとしても
やっぱり、仲良くなれない人もいます。

毎日個人の感情を
受け止めてもらえず、
支援者によって、
本人が望むものではなく嫌な生活をつくられていたら、
どうですか?
苦手だから、嫌いだから離れていたいと思っても、


「嫌ってないで仲良くなったら」「苦手は克服・・・」
「みんなと仲良くすれば楽しいよ」と


どうしてもいいたいようで、
仲良くなるよう仕向けられることが多いのです。

その人にとっては、嫌だろうなあと思うことは
多々あります。

苦手な人はやはり苦手・・・

嫌な人のそばは離れたいと思いませんか?
嫌な人とはどうしても仲良くはなれません。

もちろん、
自分で仲良くなれる要素が見つかったりすれば
仲良くもなるでしょうけど、
いつもいつも一緒にいさえさえれば
そこが見つかるというものでもないでしょう。
仲良くならなくても
事業所での活動はできるわけです。

同じことを同じように
感じなければならないということでもないですよね?
無理は無理・・・反発してはならないのでしょうか?
一人でいてはいけませんか?
苦手な人を苦手といってはいけませんか?
いつもその集団と同じことをしなければいけないでしょうか?

きっと日々の中で

このような質問をされたこともないでしょう?

彼らの中に、
「仲よくしない」を選び、
集団から離れている人は、
みんなの中に行くように言われ、
今は活動の時間だからと強制され、
苦痛の毎日を送っている人もいるはずです。

あなたが良かれと思っていることを
どの利用者からも直接、
嫌だと言われない状況であれば・・・
それもわからないかもしれないし、
事業所はこうあるべきだと思い込んでいれば、
彼らのSOSには気づかないこともあるのではないでしょうか?

本当に仲良くしなければならないですか

仲よくする意味をもう一度考えてみましょう。

不要な人には不要なことです。
もちろん、
必要な人には必要なことかもしれません。

それを、全ての人が「必要」と捉えない、
一人ひとりが人生の主人公になれる支援を
これからも考え一緒に展開していきましょう。

「障害」~未来を変えるためには?~

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「障害」児から「障害」者になっていく中で

様々に課題が変わっていく・・・

 

うちの娘は31歳になった。

 

学生時代が終わって・・・社会に出ていくと

「障害」者は地元志向が強い・・・と言われても・・・

そんなに近場で学生時代のようにはいきません。

中学校から高校へみんながバラバラになっていく。 

 

ただでさえ友達も知り合いも「障害」児には少ない?

 

ん?そうでしょうか?

 

さあ幼児期から義務教育という地元、地域社会の中で

親として何をしてきたでしょうか?

私のやってきたことがいいか悪いか?

それはわかりません。

 

ただやったことは今考えれば

 

[一人でやらない]

 

んーーーー家族だけでやらない・・・ってことでしょうか?

ただそれだけだった気がします。

ひとりでやることほど孤独で辛いことはないし・・・

何より独りよがりになってしまいます。

私は子どもがホントに小さなころは狭い世界の中で

もがき苦しんでいました。

家、病院、療育・・・話せる人が少ない中で何とか

この子が幸せに生きていけることを模索していました。

でも・・・やってもやっても苦しかった・・・

できない苦しみと・・・

これから先のこの子の将来への不安

いつも笑顔を返してくれる娘に・・・

笑顔を返しながらも私の心はどこか裏腹だった。

そんな私が救われたのは・・・

やはり「人」彼女が産れてきて苦しんできたのも

どこか「人」でした。

誹謗中傷、世間の目・・・・

その怖さから心を人から閉ざした時期もあった。

でも・・・

私が心から弱音を吐ける場所を見つけたとき・・・

「できない」「苦しい」それがはけるようになって・・・

私は解放されていきました。

子どもを他人にゆだねること・・・世間の常識にとらわれないこと・・・

自分は頑張ってるんだと認めること・・・自分自身が自分の人生を生きて

いつもイキイキ(*'▽')ニコニコできる自分でいること・・・

そんなことを1つひとつ覚えていきました。

でもこの考え方は一人では決してできなかったし・・・

私はこの子達のために自分のためにこれからの人生をよくするために

「学ぶ」その意識が・・・私を変えて変えていきました。

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人っていつからでも何歳からでも変わる・・・そう思います。

早く気付けば・・・それがいい・・・

でも・・・何歳からでも大丈夫なんだ・・・

このことを実感できて今の私があります。

自分で「選択」する・・・そこができたことが

今の子どもの引き寄せになっているんだなーーーって感じています。

そう・・・くよくよする時間は短い方がいい・・・

積み上げれば積み上げるほど・・・最初は・・・

出すことばっかり・・・何だかやることばっかり・・・

なーーんか大変・・・なーーんかやってばかり・・・

何やってんだろ・・・なんでやってるんだろ?って思うことも

あるかもしれませんが・・・自分が自分のために

子どものためにやると覚悟を決めること・・・

そうしたらね・・・

その何十倍も何百倍も自分に・・・

そうでなければ子どもに大きなものとなって返ってきているんですよーーー

これってすべては「決める」ことだけでした・・・

みなさんは大人になって「決める」「諦めない」

そんなことをいくつやってきましたか?

18歳以降の「障害」者の生き方をよりよいものにしたい・・・

共生社会の実現・・・きっとできるなーーーできちゃうなーー(笑)

今からでも遅くないです・・・ぜひ一緒にやっていきましょう・・・

 

 

 

リーダーが問われること~まずは自分~

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様々な部署の管理職や団体の代表者のみなさんが、
部下やスタッフなどに言葉を伝えなくてはいけないことは
多々ありますよねーー。

そのときにどんな言葉を使うのか?
相手に理解できる言葉で話せているのかを
考えてみることをお勧めします。

たとえば、
私の場合「地元の福祉分野の充実」と思ったとき、
そのことをそのままの言葉で、
部下やスタッフに話して通じるものなのか?ってことなんです。

まず・・・それは、通じないと思ったほうがよさそうです。

これは言語の定義が難しい。

なので、もっとかみ砕いて・・・
地元とはいったいどこまでを指すものか?
ここで使う福祉の定義意味とは?
充実というときには、どこまでの目標設定なのか?数値は?
など、

具体性を持つことが必要ですよね。

広さや多さ。
数字的なものや具体的対象など・・・
あいまいな言葉では通じませんので、
より具体的な言葉での言語化をお勧めします。

理念と目的と言ったもので、
相手に伝わると思い込んでいると思いますが
理念や目的だけでは相手にはきっと伝わらないし、
法律や規則がこうだからと言っても、
なかなかそこだけでは伝わらないもののようです。

不思議な話ですが・・・
同じ話をしていてもĄさん人話すのと、Bさんが話すのでは
Ąさんでは通じなかったことも
Bさんだと通じるなんて場合もあります。

さらに、
聞く立場の人も、
Aさんならわかりやすいけど、
Bさんはわかりにくいというように
話し手との相性もあるのかもしれません。

自分の基準、当たり前に合わせて、
これくらいならわかるはずだと思い込むのは
危険だし、間違いです。

なぜなら、人の話はその方の表情や言い方、間合いと言った、
単なる言葉だけではないものも、
人によって、それぞれが違うからです。

誰にでもわかりやすい言葉を使って行くことは、
自分の話を分かってもらえることにもつながり、
わかってもらえることで、
チーム力も上がっていきます。

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もし、どのくらいのレベルかがわからなければ、
小学生でもわかるレベルの言葉を使うことをお勧めします。

難しい専門用語を多用して話をして、
わかってもらおうとするのではなく、
相手のレベルに合わせることで、

また表情や間合いを取りながら
理解を広げることに、
注視していきませんか?

かっこいい言葉、見栄えのいい言葉を使うことが、
自分の立ち位置を高めると勘違いしないでくださいね。

難しい情報を持っていることが、
管理職、リーダー、代表としてのかっこよさだと思っているのは、
間違った考え方だと思います。

相手に合わせること、理解できる話ができることのほうが、
力のある、能力を発揮している管理職。リーダーだと思いませんか?

あなた自身が、自分より高い位置の人から、
難しすぎる言葉や理解できない言葉を言われたときを想像してみてください。
たとえば、学校の先生などでもです。

理解できないと思ったときに、
もう少しわかりやすく話してくれればいいのに・・・と
思ったことはないでしょうか?

管理職である校長先生が、
小学生相手に難しい言葉は使いませんよね。

そんなイメージだとおもっていただければいいかと思います。

相手に合わせ、
相手の知っている言葉で、言語の定義を合わせながら

具体的に話すことです。
文章でもダラダラと長い文章ではなく、
区切りを入れたり、
箇条書きのように話すこともおすすめします。

「ポイントは3つです」のように明確にです。
相手に通じるための工夫をすることです。


声の抑揚、間あい、表情
なども重要な要素になりますね。
いつもよりゆっくり目に話すのも気をつけましょう。
相手にとってはわかりやすさが倍増するかもしれませんよ。

相手に合わせ、自分の考えていることを理解していただき、
一緒「障害」児・者支援ができる仲間に
なっていただきたいと思っています。

部下やスタッフに接するのはまずは、自分からです。

ちなみに、言葉だけよりも、文章や絵など視覚的要素も
同時に使うことをおすすめします。

さあ、まずは自ら・・・

今日が始まる1日・・・

明るいあいさつから・・・していきましょう!

できる支援者、よい支援者とは?

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「障害」児・者に対して、
何らかの支援をする際に、
できないことや
困っていることに支援をする訳ですが、
これだけできれば、
支援者は誰でもよいのかというと、
そんなことはありませんよねーーー

よくあの支援者は、良い支援者・・・
この支援者は、あまりよくない等という
評価になりことって見聞きしませんか?

これを、支援者側から見ると
信頼関係ができていないからだと
思われるかもしれませんが、
「障害」児・者たちからは、信頼関係というよりも・・・
その方の「人間性」の方が大事なのだと思います。


「障害」があるとか?ないとか・・・そんなことではなく、
自分にとって心地よいつき合い方を
してくれる人かどうかってことです。

たとえば、
全く同じレベルの支援をしていても、
利用者側から見ると差がつくのは・・・
そこに、笑顔があるとか、言葉のかけ方だとか、
そういう、レベルの支援だけではない、
プラスした雰囲気だったり・・・承認力だったり・・・

何かがあるかどうかです。

信頼関係がなくても、一緒にいて心地よい人というのは、
彼らにもよくわかります。

また、支援自体は充分合格点だったとしても、
それに付随した部分の配慮というものが
できていなかったらどうでしょうか?

たとえば・・・ランチタイム
支援がいる子の場合、支援としては、
穏やかな気持ちで食事ができ、
取り込むことを重視・・・の支援ではなく
表情はどうか?咀嚼は?

こぼしてばかりいないか?

口の周りが汚れていないか?
洋服が汚れていないか?
手は汚れてないか?
等の配慮も必要なのではないでしょうか?

また、その後の着替えや排せつ支援もそうです。
その排泄行為だけではなく、
洋服を身につけた状態で、
背中が出ていたりしていないか?
下着が出ていないか?
身なりはどうでしょうか?

そんなチェックもできていますか?

自分が、支援される側だったとしたら、
それをどう思うか?考えてみましょう。

結構、よく見かけるのですが、
口が汚れっぱなしだったり、
下着が出ていたり、背中が出ていたり、

鼻水が・・・だったり
手が拭けてなかったり、
支援者が気づかなければ、
本人だけでは到底・・・気づかないところが、
たくさんあるのです。

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もちろん、
本人ができるようになるのがベストであり・・・

良いのですが・・・
こういうADL(日常生活動作)に支援が必要な方は、
自分でできない方も多くいらっしゃいますから、
支援者が特に気づかう部分だったりしますよね?

自分に置き換えてみてください・・・

汚い顔で他の人に会って恥ずかしくはないでしょうか?
身なりが整っていない状態で人に会うってすることでしょうか

支援がきちんとされていても、それだけで言い訳ではない、
心地よさや気づかいの部分までできてくれば、
あなたのことを、良い支援者だと利用者が認めてくれる場面は、
増えていくでしょう。

そこからきっと信頼にもつながっていきます。

自分がされたらうれしいことは何ですか?
自分がされたら嫌なことは何ですか?

あなたが良い支援者となれるかどうか?
それはあなたが支援をする際・・・

相手の立場にどれくらいたち、相手の声なき声にどれだけ寄り添えるか?

そんなことかもしれません・・・

その会議・・・ルールはありますか?

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事業所の会議をするとき・・・どんな感じですか?
開始時間と場所と司会・記録決まってますか?
会議を始め・・・議題に沿ってやる中で
もしかして・・・上の人がずっとしゃべっていて、
参加者のほとんどが聴くだけの会議になっていませんか?
だらだらと時間だけが経過して、
残業にもなってしまい、ようやく終了をして
その後、さあ実践・・・となると
実際のところ・・・

誰がやるの?どうやるんだっけ?というようなことになったり、
結局、会議以外のところで、
「あの意見ってどうだったの?」「あのやり方はどうかな?」

などの愚痴が出たり・・・

そんなのそもそも会議そのものがムダで
意味をなしていないと思いませんか?

こういう職場だと、会議をすること自体が、
憂鬱になりませんかねーー


会議が有効に働き活発な事業所もあります。

そんな、事業所になりたいと思いませんか?

まず、大切なのは、会議のルールなのです。

これを決める会議をすること・・・

会議のルールを決める会議?
と思うかもしれません・・・
でも慣習でやっていたり、上司が決めた会議は、
先に述べたようになりやすく
あなたの事業所の会議が、先ほどのような状態であるならば、
何かを変えていかなければ、現状は一向に変わりません。

何かを変えるためには、
「会議のルールを決める」ことをするべきです。

会議は、
上から言われたことを守るためではなく、
利用者にとって、意味のある会議とするべきで、
働き手としても自分の意見が言えたり、
働きやすい環境になるように、するものですから、
今、課題があるのであれば、
ぜひ、会議自体のやり方を
本来あるべき姿に変えるための会議としていきましょう。

改善していくために
今まで課題があったところは何かを、
出していきたくなるでしょうけど、
それはあえて出す必要はないと思います。

何を出していくかというと、
こういう会議にしたいと言うことを
意見としてそれぞれが出していくことです。

まずは、意識を過去に持って行くのではなく、
未来志向でいきましょう。

みなさんが
「こういうルールなら、会議が楽しくなる」
をイメージしていきましょう。

決まりやすく、ストレスがなく、
意見が反映され、実行しやすいこと
利用者のみなさんのこれからにとって

有益な時間となる会議にしていきましょう。

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創り出すような明るいイメージで

 

・人の意見に批判しない
・意見はどんな職種・立場でも対等
・正解はやってみて利用者が決める
・すべては利用者の立場に立って決める
・開始終了の時間を決める
・やってみてうまくいかないときは変更することができる
・ひとりいとり言いたいことが言える
・決めた時間内に終わる
・会議後は必ず「考動」やってみる

その出たものを次の会議までに
一人ひとりが入れたいルール考えていき、

みなさんが納得した内容をルールとすることです。

良いことを入れようという意味の会議です。

会議がうまくいっていない事業所は、
ぜひ、会議のルールを決めることをやってみましょう。

次からの会議がきっとガラッと変わるのではないでしょうか?

たら、れば、べき?って言ってます?

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よく講演会や勉強会の後に感想をいただきます。

また何かの会議や研修の中でもよく・・・

こんな言葉をお聴きします。


「私はこうあるべきだ思っています」

「ここが何とかならないかなと思うのです」

「なんで、あんなことが起きたのでしょう?
そんなことをする人の気持ちはどういう風なのか?

想像ができません。」

「管理職がするものではないんですか?

「プロとして、対処するべきではないでしょうか?」

「その前兆に気づけなかったのでしょうか?」

何か問題だと思われたことや、虐待などが
自分の目の前で起きたとき、
自分の感情が激しく動くと思います。

でもその問題点を上記のように話しても
ことは解決いたしません。

そのおっしゃってることは・・・

「解決したい」と思っていると
受け取ってもいいものなのでしょうか?

でも、思っている・・・言う・・・だけでは
ものごとは変わりません。

誰かが、動かなければ、決して変わりません。

まずは思ったことを相手にわかるように
しっかり言葉に言語化することです。

しかも、相手を思いやって、相手の立場になって
伝えることです。

相手をやっつけるための相手を言い負かすための
言葉はいりません。

今、何か問題があると・・・虐待があると、
思うことは思うのですが・・
実際にアクションをする人がいないのです。

自分の頭の中で考えただけでは・・・
何も変わりませんし、なんの解決にもなりません。

正しいことを正しいと、
言い続ける人が足りない・・・

その時の「点」でしかない。

言い続けないから「線」にならないし・・・

「面」にもならない。そう・・・つながらないから

その課題や虐待がなくならない。
それは、考動していない人が
多いからかもしれません。

「そうは言っても、私にはできません」

「それは、管理職がやるべきことではないですか?」

「その人がプロの立場としてやればいいんですよ」

「資格の問題でしょ?」

「虐待通報したらどうですか?」

「素人が手を出さない方がいいですよ」

そう・・・自分が、行動しない理由を
次々言って、自分を守って考動しない状態をつくっていく・・・

今までと変わらなければ、現状は全く変わりません。

法律があれば、なくなりますか?
やる気があれば、なくなることなのですか?
その人がいなくなればいいのですか?

みないっふり?臭いものには蓋?

問題点や虐待を知っているのに、
考動しないのであれば、そのやっている人と

同罪なのではないでしょうか?

気づいたら、
気づくだけではなく・・・考動。

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あなたの1歩が、
問題点や課題の1つを減らすことになるのです。

考動しましょう。
その1歩を・・・踏み出しましょう・・・

あなたは今のその現状に何ができますか?
目の前の状況を、見過ごすだけでいいのですか?

利用者のことを周りのことを思っているような

言い回しではありますが・・・
なにも考動しないのであれば、
利用者を守っていることにはなりませんよね・・・

それでいいのでしょうか?

なくすために自分が何をしたらよいのかを
考えて・・・

さあーーー今日から実行していきましょう。

多数の目だけで大丈夫?

20190826201900障害」者事業所にお勤めのみなさんは

日常会話を意識していますか?

事業所では多数のスタッフがいても

何か起こるときってありますよねーーー

多数の目があっても、
それに頼ってばかりでは、
物事の起こりを発見はできませんし、
課題の改善もできません。

目の数ではないすなわち・・・

人数ではないということです。
必要なのは、大切なのはその目の質です。

たとえば、日報や報告書

まあーー一般的に書類であれば、
一般職からあげたときに、
主任がチェックして、またその上の係長にあげます。

係長でチェックして、また課長にあげます。

課長でチェックして、部長に・・・

と何度も人の目を通すとわかったとき
自分がしっかり見なくても、次がきっと見てくれるだろう

と思ったら・・・見逃しますよね。

また、役職がつくと・・・ちゃんと部下が見ているだろうから、
自分が見なくてもいいだろうとか、
自分はよく現場はわからないから

部下の言う通りに通してやろう、などと、思ったときにも
きっと大事なことを見逃します。


重要なケガの報告などが口頭で上がってきたとき、

利用者同士のトラブル・・・
それをもし、誰かがチェックをするだろうということで、
自分のこととして自分でできるチェックを怠った場合、
それは、何ごともなかったかのように
処理されることもあります。

利用者にあざができた。いつもひっかき傷がある・・・
それはその利用者は、いつもよくぶつけることが

や場所があるから・・・傷になる何かがあるから・・・
今日もそういうことでしたけがなのだろう・・・
職員が、見ているはずだから、単なるケガだろう。
などと、自己判断で理由づけをしてしまう。

そういう通常ありがちなけがに対しても、事故に対しても
「今日の原因」を「今日、今」
気にしなければ、知ろうとしなければ、
スルーしてしまうということで、何かがあったという事実が
なくなってしまうのです。

それを自分が見なくても、
誰かに任せておけばいいと思ってはいませんか?

あれ?おかしいな?
ん?どうして?

などと、疑問を持てるチェックができているでしょうか?

それを勝手に自己判断して片付けてないでしょうか?

多数の目があれば、まちがいや虐待が、
防げるわけではなく・・・
たった1つの目であったとしても、
気づく「質」を持った目であれば、気づけるのです。

逆に多くの目があるから大丈夫だろうと
思い込み過ぎると、見つけることはできません。

あなたの組織の多数の目の質はいかがでしょうか?
一つ一つの質を上げることを考えていますか?
一人ひとりが自分事として

実行することができるようにしましょう。

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それは、間違いかもしれない。気のせいかもしれない・・・
でも間違いを発見できてよかった!気のせいでよかった・・・

になりますよね。

それは、虐待かもしれない。いじめかもしれない・・・
あーー虐待を発見できてよかった。いじめを防止できた・・・

誰もが「とりこし苦労でよかった」

そういう気持ちになれるよう、

気づきの目を持っていきたいものですよねーーー

あなたの周りは大丈夫ですか?

パニックを起こす原因わかってますか?

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ご相談の中に

事業所でも、ご家庭でも、外出支援中でも、
自閉症の人がパニックを起こすことを

ご心配している姿があります。

でもそれには必ず理由があります。

なんでもそうだと思うのですけど、
行動には、理由、原因必ずあるのです。

だから、もしその行動が、
無くても良い行動がとれるのであれば、
その原因となるものを取り除く視点、観察力、洞察力

を持ちたいものです。

例えば、パニックについては、
もしかしたら?SOS行動かもしれない・・・

嫌なことや困ったことがあって、
その表現の仕方がっどうして良いのか?わからず、
行き場がなくなって・・・ドカーーーンって

パニックという形になっているのかもしれません。

表現方法さえわかれば、
別な方法で表現できる人も出てきますので、
その表現方法をどうやったら取得できるのか?

を考える支援が必要になってくると思います。

そして、支援者としては、
できるだけその原因を周知しそうならないようにすることが

必要になってきます。

本人にとってパニックになるほどの嫌なことや
困ったことがあるわけですから、
それを省くということは必要です。

そして、たいていその嫌なことというのが
支援者の支援の方法・・・ってことが多くあります。
ですから、支援方法を考え変えるということです。

他に注意すること・・・
虐待という方法を支援中に使ってしまうのも、
原因があります。

支援者のスキルの未熟さ、
ストレス、不安、
組織チームの未熟さなどが考えられます。

ですから、その原因を取り除くというのは、
スキルを身につけたり、
ストレスの減少を図ったり、
自分の不安を取り除いたり、
組織やチームの課題を学んだり改善したりと

言うことになりますねーーー。

この原因をなくすことで・・・

虐待につながることが無くなるのではないでしょうか?

パニックも虐待も
どちらにも原因があって、
その原因をなくせば、なくなるということです。

そして・・・パニックと虐待は密接なつながりがあったりもします。

虐待を受けている方の多くが、
行動「障害」の方に多い傾向にある・・・

そして、パニックの多くの原因は、

支援者がつくっているということを自覚しましょう。

虐待の原因は、支援者本人の問題だけでなく、
周りの環境要因ももちろんあります。

けれど・・・このどちらも、

「障害」があるご本人のせいではありません。

そこには支援者の技術の未熟さやストレス要因などですから、
そこを改善すべきです。

そしてこれは・・・虐待を起こした本人だけのせいでもありません。
一緒に支援をしている仲間や家族も
どこかでその負のスパイラルを切るための協力ができるし

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これは他人ごとではなく・・・自分事なんです。
同じような場面が別なときに起きても、
結局のところまた同じような方法でないと、
回避できなくなってしまいます。

だから、負のスパイラルになってしまう・・・

原因を追究し、
負のスパイラルを断ち切ることで、
パニックを起こしたご本人も、
虐待をしてしまった支援者も、
そこから助け出してほしいと思います。

もしその事実を知っているなら、
どうか行動を起こしてください。

原因を徹底的に回避する・・・
そのことが、パニックも虐待もなくす最短の道ではないでしょうか?

パニックや虐待に対して他人ごとにせず
ご本人や仲間を助ける一助となるように・・・

みんなで一緒に考えていける環境づくりをしていきましょう・・