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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」人の死、お別れのとき・・・

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自分の子どものときも思ったのですが・・

葬儀。

これって喜びとは違う世界。

人的には動かなくなって、その姿の最後のとき

次に骨だけになって、もう会えなくなってしまう

そこを伝えるのって・・・とても難しい

「障害」児・者の彼らには、この経験ができない人もいます。

葬儀の最中や
参列してくださった方に
不快な思いや迷惑をかけたらいけないから

ということや・・・
長い葬儀の最中に
本人の面倒見なければいけないということなどで、
ショートステイや何らかの方法を考え
使われる方も多いようです。

でも、私も様々な葬儀に参列させていただきながら、
やっぱり、ご家族の葬儀には、彼らを参列させてほしいとも
思うのです。

もちろんそばについている人は
一人いたほうがいいのかなとも思いますが・・・

(そんな葬儀も見てきました

印象的だった葬儀

うちの子は10歳のときペットとの別れがありました。

動かなくなったペット・・・

火葬場に連れていきました。

焼き場に入れてまち、その後焼き場からだし

骨になって出てきたとき・・・

彼女は「エルは?」と不思議そうな顔をしました。

「お空に行ったよ」そう言っても彼女はわからなかった・・・

(゚д゚)!びっくりしていたんです。

でも・・・その後・・・わかったのです・・

彼女は「焼き場」の理解ができませんでした。
彼女はあそこに入って出てきたら・・・

「元気になって出てくる」と思っていたことが

あとあとわかりました。

また別な方ですが、
あるお父さんの葬儀でのこと。

お元気だったから予測できない・・・

あっという間の出来事でした。

自閉症の彼女は前日のお通夜では家族で過ごしていました。

そして葬儀当日は・・・

出棺前までヘルパーさんと2人控室にいました。
出棺前のお花を供えするとき・・・きちんと花をお棺に入れ

「お父さん」とつぶやいていました。

頭のいい子です。いつもは雰囲気が違うと

パニックになりやすいのですが・・・

きっと昨夜の家族とのお別れができていたのだと思います。

長い長い葬儀が終わるころ、
家族のあいさつにも並んで
家族の代表として参列できました。
お棺に眠るお父さんを、
優しいまなざしで、見ていました。

家族代表の方のあいさつが終わった時に、
頭を下げた瞬間、
彼女も自ら頭を下げました。

立派でしたよ。

こういう場面に会うことは、
彼らにとっても
人生の中の気づきの場となります。

確かに葬儀中に面倒を見るのは大変なことです。

でも、一度しかないその瞬間、
ぜひ、ご一考いただければと思います。

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うちもそれから・・・何度も「葬儀」の場面に出会い・・

そのたびに・・・なるべく彼女を連れていきました。

しくしく泣くこと・・・号泣すること・・・

うちの父が亡くなったときは・・・通夜からずーーーっと思いで話をしながら

出棺のときには大きな声で

「じいちゃん・・・ありがと。。。ありがとねーーー」

って大声で言って号泣しました。その姿にみんなの涙涙でした。

 

どうぞみなさま最後のとき・・・

その時のことを考えておいてくださいね・・・

どのご家族にとっても、
後悔のない葬儀になりますようにと・・・願っています。

ホントに「育てにくい子」?

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「育てにくい子」というフレーズで、
世の中のママたちが、
すごく困っている状態の
SOSで・・・ご相談が舞い込んできます。

どうして?育てにくいと思ってしまうのか?

そのご自分のお子さんだけを見ている中で

そうはきっと思いませんよね?
その多くの原因は、

何かと誰かと比べた結果ではないかと思うのです。

人って・・・世間体の中で生きていて

標準や平均を気にしたりしていませんか?
例えば、
体重が平均より重いとか軽いとか、
ミルクは何カ月くらいでこれくらい飲んでいるとか、
この時期の赤ちゃんは、首が座る、

お座りする、はいはいするとか・・・

その基準に当てはまらないと、
何だかママたちは不安になってしまう・・・
比べたものと同じようにいかない子育てが、何だか
「育てにくい子」になってしまうのだと思うのです。

そこあるのは、ネット情報や育児雑誌、ママ友との会話
「子育てマニュアル」のようなもの・・・

そこに書いてあることを
うのみにしてしまうと、そこから外れているから、
だから育てにくいのだと
勘違いする・・・思い込むこともあるのではないか?と思います。

子育てって、自分がやっていることが
正しいかどうかなんてわからないので・・・
子どもを大事に思うママとしては、

心配でしょうがないのです・・・当たり前の感情です。

何が子育ての正解なのかと、
探りすぎると、自分のお子さんが、
正解じゃないような気になるのではないかと思います。

子育ての失敗談とか、
あまり、雑誌などには掲載されないかもしれないですしね。

何だか情報と違うけど、この育ち方でいいのだ!という
「保障」みたいなものが・・・きっとほしいのでしょうね。

さらに言うと、
「障害」のことを書いてある雑誌は、あまりありません。
一般の場合は、雑誌に書いてある。でも・・・
そこから外れることでの不安があります。
「障害」児の場合は、なにも書いてないからこそ、
何を基準にしたらよいのか?さらにわからず・・・
そこに大きな不安があるのではないでしょうか?

そして・・・
「育てにくい子」という感覚になっていますが、
これって・・・実は
ママ自身が「育て方がわからない」不安の表れの言葉だと思います。
どんな子であろうと、育て方がわかれば、
育てにくいとはならないはず・・・

「育て方がわからない」

この途方に暮れる部分には、
「どうしたら、わかるだろうか?」と
考えることも必要だと思いますが、
子どもって、みんな同じ育ち方はしないということを
大前提にしてもらいたいのです。

小さい子もいるし、大きい子もいるのと同じように、
成長が早い子もいれば、ゆっくりの子もいます。

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育ち方は、その子その子で違います。
もちろん、専門的な部分は、お問い合わせいただきたいですが、
この子は育てにくいんだと結論づけたとしても

それはなんの解決にはなりません。

「子育てを楽しむ」そんな言葉もありますね。

何が楽しみになるのだろう?
この育てにくい子の楽しみってどこだろう?

そんなふうに考えると、案外見えてくるものがあります。

育てにくいのではなくて、
自分自身が育て方がわからないだけのはずです。

わからないことを聞くことは恥ずかしいことではありません。
恥ずかしいと思って聞くことができないこと、
そのことこそが・・・

どんどん育てるのが憂鬱になっていく原因です。

育てかたがわかってくれば、
育てる中に楽しみが見つけられるのです。
そして、この子が生まれてきてよかったと思えると思います。

見つけにくかったら、
ちょっと「育てる」のお手伝いをするところはあります。

(私達もそうですしね・・・)
どの子育てにも楽しみはあります。
あなたがお子さんをかわいがることができるようになる

お手伝いできますよ。

「育てにくい」
「育て方がわからない」
「子育てを楽しみたい」

そんなママを、応援しますよ!

 

いつでもお問い合わせくださいね。

やらせている・・・作業になっていませんか?

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「障害」の福祉事業所の雰囲気はいかがですか?
作業をしている施設では、利用者の人たちは
日々どんな様子でしょうか?

もしかしたら・・・

やらされているような状態ではないですか?
無関心、嫌い、意味がわかってない
興味がない・・・

もし、一人一人の利用者の人の様子を見て、
こういう状態の人がいたとしたら、
それは、良い作業を提供しているとは
言いづらいと思います。

逆に、

作業大好きーーー
もっとやりたい・・・
レベルをあげたい
みんなと一緒にやるから楽しい
いろんなことをやりたい

こういう利用者の人は、
作業をする上での
利用者集団の中のキーマンになりますよね。

場を盛り上げ、やる気を見せたり、
楽しそうに、イキイキのりのりでやっている人は、
ある意味リーダー的存在。

特に笑顔で、
「がんばるぞー」「熱おーーー」(福岡の野球好きしかわからない)

と雄たけびをあげるタイプの人。

ムードメーカーになりますよね!

何かの作業をしていて
ランチの時間になっても
残りの仕事があと少しのときに、
利用者の1人が、
「あと少しだからやっちゃおーーー」
と、声をかけてると
「おー」「やっちゃおーーー」
とか、
「あー」
とか、言っちゃって・・・
仕事の段取りつけてから
ランチへ・・・
「これだけだから」とやっていました。

作業をするときに、
重度とか軽度とか・・・できるとかできないとか
そんなことは関係ないと思っています。

今、自分がすることを、
自分で決めるか決めないか?

これは、スタッフもそうなのです。

やると決めるのは、本人ですが、
そう決めるかどうかの情報は、
スタッフからの伝え方もありますよね。

作業は、提供物なので、人の気持ちは大切。

やるかやらないか、
自分で、決めてよいわけです。

でも、もしやると決めたなら、
やらない人がいるところでやるよりも
やる人のそばでやるほうが、
エネルギーも意識も高くなると感じています。

だからムードメーカーは、必要!!

そして、やり終わったときも、
みんなで喜んで、拍手して、ねぎらって、
今日のミッションができたことを仲間と共に喜び合う。

すると、
「また明日頑張る」「仕事がどんどんしたい」
と声が上がり始めます。
達成感、有用感・・・ですよね。

そしてこれが・・・
「勢いのあるチーム」になるのですよね。

自ら、作業に取り組もうとしている
一人ひとりによって、仕事は構成されます。

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もともと
そういう人ばかりではなくても、
スタッフから、作業をすることのメリットや、
もちろん作業をしなくても良いことも含め、
伝えていくことだと思うのです。

その中で、本人が選べばよいのです。

やるのか、やらないのか。

これも自己選択、自己決定の世界です。

やることの楽しみや意味を自分で考え、
やると決めたときの強さが集まると大きな力にもなります。

もしかしたら、彼らは、もともと、
好きでこの作業をしていない可能性だってあります。

でも、そこをカバーするのは、
この作業をすることで、得られること。

実際に納入先から感謝されたり、お客様が喜んでくれたり
売り上げが上がれば、工賃だって上がることになる
わかりやすい指針となります。

何が彼らを動かすのかは、一人ひとり違いますが、
それはお金であったり、役割であったり、
仲間との時間や楽しさであったり、
頼られることや自分の存在の確認が
できるようなことが増えることかもしれません。

そういう何かが、人を動かすことは、
誰にでもある。

やるか?やらないか?

どちらでもいいのです。
彼らが決めることです。

でも、作業をすることで、
ここちよい何かを感じることができれば、
ホントはやるのだと思いますし、
本人の自信や勢いもつきます。

勢いがつけば、
実は、彼らの強みが活かされますし、
作業量が増え、工賃も上がる。

スタッフが、
「やらせること」を主としたり、
スタッフ自身が作業することに徹していても、
だめなのです。

もちろん、
スタッフが支援をしつつではありますが、
作業をやろうとするのは、
本人たちですから、
スタッフは、そこを勘違いしてはいけません。

彼らの勢いにつながる
作業現場になるために私たちは何ができるのか?

勢いある方向にサイクルが回転するように
常に応援団に徹し、

どうすればいいのか?を常に自分に「問い」ながら
支援をしていきましょう!

それって「教育」?「虐待」?

20191025150437


自分が子どものころも

よく思っていました。

ママ・・・早いよ。
私、一生懸命急いでいるよなのに・・・
なんで「早くしなさい」って言うの?

おばあちゃん
私が楽しく遊んでいるのに、
なんで、「何訳が分からないことしているの?」
って言うの?

パパ、なんで・・・
「もうお兄ちゃんだぞ!!そんなことするな!!」って
お兄ちゃんになったら、してはいけないの?
じゃあ・・・どうすればいいのかを言ってほしい。

ママ、パパ
何でぶつの?そんなにいけないことしているの?
痛いっていうと、
うるさいって、もっとぶたれる。
テレビのまねっこしてるだけなのに・・・

おじいちゃん、
そんなことじゃあダメ!っていうけど、
じゃあ、どうすればいいの?

電車やバス、車の中で
「じっとしなさい」「静かにしていなさい」って、
いつも言うよね?
大人は、スマホで遊んでるでしょ?
私は足をブラブラして

独り言を言って遊んでいるだけなんだよ

ほんの一例です。
きっと「障害」児目線ではこう思ってるのではないでしょうか?

「障害」児じゃあない子も・・・きっとそんな感じですね・・・

子どもは、大人の頭の中は見えません。

でもきっと
大人のしていることは、
なんだか、言ってることとやってることが
違う感じがするなーーーって思っているのだと思います。

大人のしていることが変だなと思っても、
それに対して、質問したりできればいいけど、
でも、言えないですよね・・・そんな語彙はない・・・
あったとしても・・・

言ったらまた叱られる気もしてしまうのではないでしょうか?

こんな部分から、児童虐待に
つながる場合があります。

親は、一生懸命育てているのだと思います。
教育をしているつもりだと思います。

だからその効果がない。できてないってことが
叩くなどの行為になり、様々な事件に、
つながっているのかもしれません。
一回でも強く出てしまうと、
強く出る方が、効果があるように思えてしまう。
児童虐待の始まりです。

私は「障害」児ではなかったけど・・・

親がそんな感じでした。
それが「障害」児だったとしたら

もっと虐待を受けていたか?仕方ないと思われていたか?

でも「障害」児に一人で向き合っていると

ないこともないのでは?と思います。

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自閉症のお子さんは、
運動機能に障害がある場合が多く
歩くときに足の出し方がわからなくなる子もいます。

コミュニケーションも苦手な子が多い。

私たち大人が、
言っている意味がわからなかったり、
経験していないことを想像できなかったり、
やろうと思っていることが、
うまく行かなかったり、
違う!!だめ!!と否定されたときに、
何をすればいいのか・・・さっぱり
わからないなどのことがあります。

もしかしたら、
あなたのお子さんが
自閉症だったとしても
あなたには、今、
見つけられていない場合もあります。

その、「障害」を大人自身がわからないと、
教育をすることに固執して育てようとします。
そして、できなければ、
また、その子をひどく叱責することになります。

叱ったのに、理解できない。
なんて育てにくい子なんだ。
そして、
なんとか、理解できるようにしなければ!と、
焦ったりした結果が、
「教育」と称した、虐待につながることもあります。
そんな一生懸命なママやパパ、家族を
責めているつもりは全くありません。

今まで気づかなかったことだし、
誰も教えてはくれなかった・・・ことですから

そういうことは、子育て中に他にもたくさんあります。

今している子育ては、きっと辛いに違いありません。

誰もそんなことしたくはないはずだから・・・

一生懸命に子育てしようとした結果、
叩いたりしてしまったのであれば、
叩かない子育てや叱らない子育てが
できることを知ると子育ての世界は変わります。
どんな「障害」があって、
どんな接し方をすれば、お互い笑顔で、
今以上に楽に毎日を過ごせるのかを
一緒に考えていくことができる人がいます。

あなたが、
今しているその子育てや
教育の方法は、自分が子どもだったら、
親にしてほしい方法ですか?

もし、してほしくない方法だったら、
変えてみたいと思いませんか?
あなたを嫌いにならないように、楽しく子育てできるとしたら
その方法を手に入れたいと思いませんか?

子どもって、
これくらい・・・と思って、
叩いたとしても、それは・・・相当の衝撃です。

だから、死んでしまうという状況も起こるのです。

もちろん、ぶつけるだけではなく、
食事や水分を与えないとか、
学校に行かせないとか、
無視をするとか、
そういうものは、
教育や子育ての度が過ぎた状態で、「虐待」となってしまいます。
虐待をしない、辛くない
明るい家庭が欲しくはありませんか?

大丈夫!!
今からでも変わることができますよ。

一気に行かなくても・・・その辛さ・・・

話に来てみてくださいね・・・

子育て~否定語と肯定語どう使う?~

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「障害」があると診断されたお子さんの

保護者との出会いも
たくさん重ねてきました。

私自身が何をしてよいのかがわからない

そんな状態からの出発!!だったので・・・

きっと同じではないにせよ・・・

そんな状態を経験している方もいらっしゃると

思いますし・・・
何をすることで、自分の子どもがこれから
生活しやすくなるかもわからないと途方に暮れているのでは?

と思います。

でも、あなたのお子さんがあなたの人生に
影を落としてる・・・

なんて思ってもらいたくもないですし・・・
もちろん、あなたが、お子さんの人生に
悪影響にもなりたくないのではないでしょうか?
「障害」児・者の世界をこれから知っていこうとしているからこそ、
きっと・・・この人何やってる人?

なんて・・・私にアクセスしていただいたのかもしれませんね?

ありがとうございます。

そんな「障害」初心者の保護者に向けて・・・
ご相談を受けたときにお話しすることは
誰かとお話しするときに、
ぜひご自分の「言葉」に気を付けてくださいとお話をします。

まずは・・・否定語を肯定語に直す
この癖をつけてくださいと話します。
そして、具体的に話す癖もつけていただきたいですね。

このふたつは、
今後、お子さんと
お話をしていくときに
絶対に必要となることなのですが、
私たちが普段生活しているときに
否定語をたくさん使うことに
なれている方の方が圧倒的に多いのが現状です。
目につくので・・・

そこに固執してしまいたくなるのです。

だめだよ。
またやってる!!
いいかげんにしなさい。
きちんとしなさい。
遊んでばっかりいないの!

こういった、
日常使われてる当たり前のような・・・子育ての言葉は、
否定語が多く・・・また非常にあいまいなことも多く、
「障害」があるお子さんには特に通じません。
(もちろん、通常の子育てでも同じですが・・・

でも、大人の親の感情などを、
他の言葉で表現することは、努力でできます。

否定語を肯定語に変えること。
具体的な言葉で話すこと。

この変更することを意識して
今のうちから、慣れていくことをお勧めします。

否定語で話したいなーーーと思ったときに
肯定語に直す練習です。

あなたの頭の中に描いたイメージを
具体的な言葉に変えて、
相手に伝わるようお話しする練習です。

「うるさい!!」は直接的すぎる。では・・・

「静かにできないの・・・」

これも言葉の中には否定語が含まれ、
あいまいな言葉も含まれているのがわかりますか?

「ちょっと待ってて!!」
この言葉の中には
ふたつのあいまいな言葉が含まれています。

わかりますか?

そう・・・よく考えればわかるのですが

簡単に使ってしまうのです。

そして、相手がわることが当たり前だと

思ってしまうのです。

でも、「障害」児には、とってもわかりにくいのです。

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ご自身で否定語を話してしまったときに、
ん?と一旦考えて、
この言葉は、どう言い換えればいいかな?
と考える癖をつけてみることをお勧めします。
焦らず、一つ一つ直して言葉にすることです。
頭の中に描いていることを、
まず声にして話してみてください。

たとえば、街を歩いていると、
否定語を使っている大人と多く接することもあるでしょう。
そのとき自分だったら、
こういう言葉にしてみようと、頭の中でトレーニングする

事例検討ができると思います。

普段から慣れていくことが、
後々のご自分の子育てをしやすくなることにも
つながりますので、ぜひ体験し・・・実践してみてくださいね・・・

「障害」者の工賃について

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「障害」福祉事業所では、
工賃を時給や日給で計算しているところもあるし
個人の評価給を導入しているところもある。
その他のやり方をとっているところもありますかね?

私がかかわっている支援事業所は、能力給?評価給?
働いた時間数、また事業所で利用できる免許の種類などにより

金額が変わる方法を取っています。

工賃の考え方の中には、
利用者側の感情があまり反映されていないとは思いますが、
利用者から聞いた話しを通して、
工賃について考える材料にはしてもらえればいいかなーーー

とも思います。

ある施設では、日給換算での支給でした。
来れば、工賃が発生する。
仕事がコンスタントにできる人もいれば、
ほとんど仕事ができない人もいて、
仕事ができる人からは、できない人に不満がありました。

そこで、仕事をしている時間で支払う、時給換算にしたのです。

このとき、きちんと仕事をしている利用者からは、
よかった、当然のことだよねという反応だったのですが、
ビックリしたのは、
仕事ができない利用者の方の声だったといいます。

自分の「障害」の状態により、
なかなか身体が思うように動かないのです。
だから他の人が10分でできることを、

30分から1時間かかってしまう。
一生懸命やってないわけではありません。

だけど・・・心苦しかったといいます。

仕事をしたくても身体が動かない。
でも、たくさんできる人がいて、
その人と同じ工賃をもらっているので、
何が何でもがんばらなければとも思い、
身体が痛くても一生懸命がんばっていた。

でも、思い通りに体が動くときもあればそうでないときの差も激しく、
ホントはやらないでいたい日もあった・・・
だから、仕事をしなくてもいいなら、
ゆっくり過ごして、体を休めることができるなから、
仕事をしないと、工賃がないって言う方法になって、ホッとした。
だって、私は休むことができるから。

ん~、これはびっくりでした。
こう考えていたことに気づけなかったことも

びっくりだったのですけどね。

時間計算になると、これまでより多くなる人は良しとして、
少なくなる人には、職員として、
なんだか後ろめたさもあったのですか、
工賃をどちらにも正しく支払うことが、
やっぱりどちらにも喜ばれる結果になるということなんだ

と思ったことでした。

そんなことを、利用者の方に教えていただいた気がします。

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そう言うこともあり、
この後も、いろいろな立場として、
評価給などの良し悪しも考えてきました。
賛否両論わかれるかとも思います。

本当にいろいろな考え方がありますが、
「障害」状況やそれによるできるできないで
分けるべきではないとも思っています。

それぞれの施設の利用者の状況を把握して、
全体の収入をどんな支給の仕方にしたらよいのか、
利用者のみなさんには、
わかりにくいところもあるとは思いますが、
工賃支給の仕方で、
その方が不幸ではないか?という視点も持ってもよいと思います。

どんな体形がいいのか?

これからの時代の流れと共に

1か所からのポケットではなく

「障害」者も事業を生み出し収入ポケットを増やせる

そんなことも個人的には考えていきたい・・・

そう思っています。

自分が好きな「支援者」

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福祉をやっているとよく安易に

「支援をする」という言葉を使いますよね。
支援というのは、
受け手ができないことを
ただ、助けること、

お手伝いすることではないのですよね。

この方にこれはできるのか?
できないのか?
常に、考え、

たとえそれができなかったとしても
そのことについて困っているのか?
困っていないのか?

ホントにできるようになることが、
必要なのか?
必要ないのか?

できる一つとっても、
苦労してやっていないかな?難しくないかな?
ホントにできることとやりたいことは
違っているのではないかな?

これって・・・重要かもしれないけど、
今、ホントにやるべきできことなのかな?

これをやることで、
この人の体や心のバランスが壊れるのではないかな?

などなど、
いろいろなことも考えていく過程があるのです。

相手はどう思っているのだろう?
どんな人生をおくりたいのだろうか?
今していることの先には、
一体何があるのだろうか?

自分自身、相手の声なき声・・・

相手の頭の中のセリフを思い描くようにしています。

どんなに、支援の仕事を長くやろうとも、
私の考えで、彼らの人生を決めるつもりもないし、
彼らが自分の人生を最高!!よかったと
思ってもらえるに、支援するべきだと思います。

彼らは、
「障害」があるがゆえに、
自分の人生の良しあしさえ
自分ではわからないかもしれない。
だったら支援者として、
彼らの人生にはこんな道もあるし、
あんな道もあるしと
あらゆる提示ができたらいいなと思うのです。

支援には答えがないと言われますが、
もし答えがないのであれば、
こんなにやりがいのない仕事はありません。

答えは私達支援側ではなく・・・必ず彼らが持っているし、
その答えがあるからこそ、
彼らの人生がつながっているともいえると思います。

支援の仕事は、
他人の人生さえも、
変えてしまうかもしれないと思えば、
非常に怖いし責任の重い仕事でもあると思います。

私が思う支援の中で一番大事にしたいのは、
まず、本人がSOSが言えることです。
困っているとか、嫌だとか、自分から言うことです。

そして、彼らが答えを選べるように、
支援者からの情報提供を彼らにわかるように
いろいろな角度からするべきだと思っています。

最終的に、彼ら自身が決め、
彼らが自ら行動することこそ、大事な支援です。

彼らにやさしく、楽しいだけの人生を
勝手につくるつもりはありません。

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彼らだって自分自身で悩み、自分で決める。
人に決められたのではなく、
自分で決めたという人生の中で、
辛いことや苦しいこともあるかもしれないけど、
これでよかったと言ってもらえるような
人生づくりの支援ができるのであれば、
それが支援の答えなのだと思うのです。

私は簡単には手伝いません。

「言うことは?」・・・で
「手伝ってください」と言っていただきます。

「わからない」「決めてよ!」と言われれば、
「自分で考えて自分で決めてください」

(考え方のお手伝いはしますよ)と言います。

SOSや自己決定。
情報提供や自分でできるための工夫は
ちゃんと準備する。ここは手を抜いてはいけませ
もう何人の方の人生に関わってきたでしょう?

みんなの人生すべてに関わるのではなく、
様々な支援者にバトンをつないで、
支援してもらってよかったと
いってもらったとき、正解をいただいたような

気持ちになることもあります。(自己満足(笑))
そして、よい支援であれば、それが次の支援者にも
つながっていくことも大事だと思っています。

最高の支援をしていきたい。
最高の福祉施設を経営していきたい。
他にないサービスでも、その方に必要ならやるべき。

そんな支援の展開をしながら、
自分は、この仕事をしてよかったなと
毎日、彼らに感謝しつつ、過ごしています。

もちろん、最初からこんな自分ではないので、
自分自身日々出会う方々や学びによって変化変容しています。
まだまだ支援者として考動するつもりですから、
自分自身も当然成長して行くべきだし、
そうすると支援力はもっと上ると思っています。

日々成長!学べば変化変容[違和感]の連続で
苦しいときもあるけど、それも、よし。
きっと、明日も明後日も私は・・・支援者。
その生き方は死ぬまで続くのだろうなーーて思います。

表面的な言葉の裏側には?

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私たちは、日常生活の中で
日ごろ・・・表面的な言葉に、
一喜一憂してしまうことってありませんか?

本当は・・・その言葉の裏に
何が隠されているかを知ろうとしなければ、
本質を見抜く前に、
騙されることもあるし、
急に激怒することもある、
えーーーってびっくりすることもあるし、
何だか切なくなったり、愛おしくなったりもすることも

あるかもしれませんね。

相手の言葉の本質を知らずに、
そう思ってしまうのは、
自分が心の中で「こうあってほしい」と
願っていることがもしかしたらあるからかもしれませんよね?

 

たとえば、おれおれ詐欺・・・

これって人の心情を上手に操る手口ですよねーーー
被害にあった方・・・ごめんなさい。

困った、大変、至急・・・

人の思考能力を奪いますよねーーー。

(私も引っかからないとは言えません・・・)

でも・・・この中の心情のどこかには・・・
かわいい子どもや孫のために何とかすることで、
自分は物わかりのいい、
親や祖父母になりたかったのかもしれませんね。

 

こんな感じで、
そのことばの表面的なところで、
何だか理解したようなつもりになり、
自分を守っているのかもしれないと思ったのです。

さて、あなたが、もし福祉の現場において、

利用者から、
「○○はしたくない!」「〇は無理」と言われたときに、
本人の自己選択・自己決定だからと、
そのままにしているのは、
もしかしたら支援が楽だからとも考えられます。

また、同じように
「○○したくない」「それは無理」と言われたときに、
反対したりするのは、
自分の常識の範疇に入らなかったからかもしれません。

表面的なその言葉を、
あなたが、感じるままに受け取っていたら、
それは、自分の感じ方で
勝手な解釈をしていることにもなりかねません。

「○○したくない!」「無理」といわれたときに、
何でそういっているのかな?
本当に嫌なのかな?
なにか別な理由があるのではないのかな?

と、常に疑うくらいに、
考える癖をつけた方がいいと思います。

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表面的な言葉に私たち支援者は
真正面から受け取ってしまうから、
間違った支援になってしまいがちになります。

本当のご本人の本心に触れてみたら・・・

どうでしょうか?

その言葉の本心は、全く違うことだったりすることもあると思います。


「いやだ」
「しない」

の、本心は、
「どうしよう…」「怖いよ」
「わからない」「不安だよ」

であったのなら、
その本心の不安を取り除けば、
できいることもあるかもしれませんよね?

それを、
本人ができないって言っているから、

無理と言っているから
というのを表面的にとらえて、
言われたその場で、
「嫌なら、いいよ」といってしまったり、
「そんなこと言ってないでちゃんとやって!」

なんて無理強いはしてはいけないと思います。

なんで?と、考え、

私にできることは他にないかな?と考え
ご本人に確認することを怠らないようにしましょう。

推し量る。塩梅を知る

日本にはすてきな言葉がありますよね?
推し量ってほしいのです。

そして、その言葉の裏にある、
ご本人の感情を
大事に受け取って、
よりよい支援をしていきたいものですね・・・

「障害」親である私がやること

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私が「障害」児の子育てをしながら

感じたことは

人って繋がることで孤独じゃなくなるってこと・・・

自分の今まで生きてきてやってきたこと

これって「独りよがりではないかな?」って・・・

自分の価値観を疑い、

自分の考え方を仲間と「共有」する中で

自分の考え方と他人の考え方は

「絶望的に違う!!」ということをビックリするくらい

知ることで・・・

「あーーー人ってこんなに多様な考え方があるんだ」

「理解も進捗も・・・全然違うんだ」

「同じものを見てもこんなに違う」

ってことを思い知ることから始まる!!

そう思っても過言ではありません。
それぞれの「当たり前」の違いを理解しあう・・・

そして違いを認めたうえで、

同じ目的や理念の方とつながっていくことで

「あーーー私の思いと共通する」

「ここにいて一緒にやっていくと何か笑顔になれる」

「未来の展望が持てる」

これって私達親が死んだ後も継続・継承していく

そんな形をつくっていく・・・

時代の変化は速い。ぼんやりなんてしていられない。

子どもの成長も社会情勢も待ってはくれないから・・・

ダーウィンの進化論

「変わり続けない限り生き残れない」

変化は痛くて、辛くて大変!!だから・・・

「現状維持でいいの・・・」「今のままでいい」「まだまだ先のこと」

そう思って「考動」しないでいると・・・

それは「現状維持」どころか「衰退」

だって・・・世の中は異常なスピードで変わっているし・・・

これからも何が起こっていくのか?わからないから・・・

「よくわからない?」「自分にはできない」

そう思っているとしたら、

わかる人のところに行かないと・・・

話を聴いてくれる人を探さないと・・・

「子どもの将来を考えてる」

口で言ってるだけ・・・・思ってるだけ・・・

それって親の仕事を「人任せ」にしてる・・・

やってるつもりのやってないパターンです。

私たちは日々「考動」を実践に落としていく活動をしています。

  • 将来の子どもの働き方
  • 就学前後の相談
  • 障がいある子の親亡き後
  • スペシャルゲストによる講演・勉強会・見学学習
  • 余暇活動
  • 就労訓練・生活訓練
  • これからの仕事の問題   等々

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福祉で社会を変える仕事を創って、まだ見ぬ誰かを笑顔にしていく

私は、人生折り返しはもうとうに過ぎちゃいました。

自分の人生の構成要素には常に「人の役立つこと」を取り入れていきてきています。

社会貢献すること・・・ビジネスで福祉を変えること・・・

ただ自分が壊れるまで頑張るのは良くない。

仲間や同志と共に・・・「考動」に落とし込んでいく方々と共に・・・

一人の力は小さいし・・・やれることは早いけど・・・小さい。

だからねーーー

とにかく日々、考え行動しなければ。

今の私ならできる!!やる!!

そんな愛と覚悟を持った人達とこれからもやっていく。

ぐずぐずしてたら。。。来世コースになっちゃうからーーー

さあ!!一緒にやりませんか?

お子さんたちの未来のために・・・

よりよい未来を継承・継続していくために・・・

ホントのニーズを知る「障害」児・者個別支援計画

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私が相談やお話を聴くうえで
大事にしているのは、その人のニーズです。

ホントに求めているものは何かな?

その人の「障害」がなければ、どのようにしていたかな?

私たち「健常」と言われる人は、

好きなところで好きな仕事や活動をしますが、
「障害」児・者の多くは、支援者がいる中で出かけ、
集団の支援をされることもしばしばです。

それが福祉を使う方々の現状であるとも言えます。

でも、そこを利用する人は、
みんな同じ人生なのでしょうか?
いいえ・・・個々それぞれ、違う人生です。

私たちだって・・・私と幼児期一緒だった人が、

ずっと一緒なわけではないし・・・

どれだけ今過去からの人と会うかというと

そんなに多くはないのではないでしょうか?

ですが、「障害」者の中には、
同じ療育センターに通って同じ学校に行って、
同じ施設で、何十年も一緒に過ごすという人も多くいます。

かなり狭い世界で生きているとも言えます。

果たして?ホントにそういう生活を望んでいるのでしょうか?

あなた自身に置き換えたらいかがでしょうか?
きっと・・・多くの方は望まないと思います。
だから、その時点で、ある意味異様なことなのです。

施設の中には、仲が悪い人同士もいたりします。
それでも、他の施設に移るどころか、
我慢を強いられることが多いのが現状です。

そのような施設での生活は、集団でいることが常で、
私たち支援者は、その集団のサービスの中で、
「個」に焦点を当てて、
支援をするということが求められています。

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あなた自身がそこの利用者だったらきっと「個」を望みますよね?
そういう風に、自分だったらどうかな?と
思い描けばわかりやすいと思うのです。

このあたりが、個別支援計画の原点だと思います。

個別支援計画は、「個」に視点を置いたもので、
どこにどうやって支援をするかという視点が大事なのです。


集団では、サービスをしやすくするために、

設定せざるを得ない状況なのです。
その中で、「個」をだ大事にした、
支援を受けることが重要になってきているのです。

そう考えると、個別支援計画上、大事なことは、
その人の人生に対して、支援する計画を立てるということです。

間違いやすいのは、支援者が、ご本人を、
活動に当てはめる支援計画の立ち位置になってしまうことです。

活動を、多岐に活かせられる支援者は、
この人の人生に、この活動のこの部分が役立つと思う

という視点や見方ができます。

でも、多岐に見ることができない支援者は、
こういう活動だから、こういう支援計画にしようかな?となってしまうのです。

これは、似ているようですが全く異なるものです。

そして、このことは支援者ができる範囲のことを

するという支援者視点です。

えっ?と思うかもれませんが、
やはり、支援者ができることでなければ意味がありません。
計画したのであれば、支援者が支援できるものということです。

ただ、これは法制度でいうところに固執する必要はありません。

これを読んでいるあなたがどうお考えかはわかりませんが、
私自身は、法制度というのは
「福祉はここまでしかやってはいけない」というものではなく、
「最低ここまで」という指針だと思うからです。

つまり、支援計画は、
その人の人生を進んでいただくうえで
大事なものですので、
福祉施設は最低ここまで、あとは独自の支援を組み立てていく
というものだとと思っています。

個別の支援を進めるうえで、
支援者が、疲れ果てるようなものはおかしいです。

そして、個別支援計画は、達成するものです。

達成しないものを計画目標にし、達成しなかったからといって、
毎年同じ目標を掲げている事業所がありますが、
目標は達成するためにやるものなので、
達成できるものをその年その年、掲げるようにしてください。
もちろん同じ目標で、レベルが上がっていくというのはOKですけど、
計画して達成する気持ちがないものは明らかにおかしいですよね。

その方のよりよい人生を作るための計画です。
「個」を大事に、まずはこの1年できる範囲の支援計画を立てること・・・

でもまずは、10年後をイメージした逆算から考えると・・・

きっともっと楽しく支援計画が立てられるかもしれませんね。