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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「虐待」自分のあり方を考える

f:id:variouspeople:20200522195736j:plain

「虐待」

自分自身が味わってきたから

何だか敏感に反応してしまう・・・

あなたは、
目の前で起きている同僚の行動が、
虐待ではないのか?と思っても、
虐待と確定できない自分ではないですか?

それもそのはずですよねーーー

「虐待はこの行為」と決まっていないから・・・

「これは虐待なのか?支援の流れなのか?
判断がつきにくい」

「もし自分が言うことで・・・間違っていたら・・・」

「もし間違いだったら、
そのスタッフとの明日からの関係性が悪くなるよなーー」

上司や先輩だったら、
「自分のような人間が指摘できるはずもない」

「自分も以前、似たようなことしたことがあるし、
人のことを言える立場ではない・・・」

「虐待通報したら、そのあと一体どうなるのかな?」

などなど、色々な思いを巡らせ、
結局、言わないでいる方がいいのではないかと
結論づける人もいることでしょう。

自分自身に確信を持ったものがなければ、
見て見ぬふりとなってしまうのが、
この虐待というものではないでしょうか?

その他でも、
職場の人との関係性の中で、
「相手にものが言えない自分」を
感じていたりしませんか?

なぜ、言うことができないのか?

と質問したところで、
はっきりとした答えは出てこないかもしれません。

そこは、
あなたが、あなた自身に対しての
質問を変えてみましょう。

どうしたら言えるのか?
どんな言葉なら言えるのか?
相手を傷つけない伝え方ってどういう言い方か?
どんなタイミングで言うのがいいのか?

このように
自分自身に質問してみてください。

あなたは、きっと言った後の
自分自身を心配している、不安があるから言えないのです。

でも、
あなたの言ったことで、
荒波が立ったり、
心配にならないような言葉を探してみませんか?

もう少し具体的に言うと、
「虐待」といわなくてもいいということです。

その行為が止まればよいのですからね。

虐待に対して、
「虐待」といわなければならないと
考えているから、言えない!言いづらいのではないでしょうか?

言葉というのは、素晴らしいツール・・・

多種多様なのです。

「虐待」ではなく、
そのときの支援をさりげなく変わってもよいですし、
とりあえず変わって、あとで、そのスタッフと、
良い支援方法をつくり出しても良いのです。

先輩上司であれば、
「その支援の意味を教えてください」
などと、聴いても良いのではないでしょうか?

その人が落ち着いたタイミングで、
「あのとき・・・虐待のように見えてしまったので」と、
やんわり言ってみてもいいと思います。

利用者の人と
直接やり取りしているわけですから、
「何かあったの?」
と言ってみるのもよいですね。

スタッフ同士で支援方法で話し合っているときに
例えば、
「あんなときは・・・たたいた方がいいんだ!」などと言う
意見が出てきたのであれば、
「それだと虐待になってしまうので、他の方法を考えましょう!」

と促す手立てもありますよね。

黙っているべきでもありませんし、
指摘できないのであれば、それも大問題です。

どんなアクションにしようか?

これは、決めておくことです。

もちろん、その時その時で、
アクション内容は変わると思いますが、
虐待があってからどうしよう?と悩むことではなく、
シミュレーション(事前準備)をしておくことです。

あなたが上司であるなら、
虐待であることは、はっきりと伝えましょう。
そして、他の方法で支援することを伝えましょう。

あなたが、部下・同僚であるとしたら、
先ほど書いた方法も有効だと思います。

要するに最善は虐待を止めることだからです。

方法はきっと一つではないでしょう。

 

f:id:variouspeople:20200522193929j:plain

あなたがもし虐待しているつもりではないのに、
他者から見たらどう見ても虐待である・・・
ってときに

どんな指摘の方法だったら納得いくでしょうか?

あなたは一生懸命に支援をしている。
その時に、虐待!といわれたら、
虐待じゃない。これは支援!と反発することになりませんか?

で、あるとしたら、あなたも、
他者に「虐待」は、
反発されることにもなると予想がたちます。

だったら自分が受け入れられそうな言葉を
他者に言われたほうが良いと思いませんか?
効果的に他者の虐待を止める関わり方を

探ってみませんか?

今、まさに虐待が起きている事業所であれば、なおさらです。

方法を考えて、シミュレーションをして、
相手を助ける気持ちで落ち着いて接してみましょう。

明日からもそのスタッフはそこにいます。
関係性を気にして何も言わないのではなく、
積極的に良い関係を保つために
虐待がなくなるコミュニケーションをとりましょう。

でもこのことは頭においておいてください。
その人が支援をして虐待になりましたが、
もしかしたらあなたが関わっていたとしも
虐待になったかもしれないのです。

たまたま、その人だっただけです。

なぜかというと、
行動しょうがいがある人に虐待が起きることが多いからです。

支援として始まって、どこかで一線を越えてしまい、
虐待になるのです。
でも、その境界線はきっと誰もわかりません。
だから、あなたも起こす可能性があるのです。


虐待した人は、支援の方法がわからず、
困っている人の可能性もあるのです。

明日からもそのスタッフとは一緒の
職場で働きます。

その人がいる中で、
利用者の皆さんもまたそこにいるのです。

あなたが思い描く一番目は、
自分の明日からのことではなく、利用者の明日です。

虐待をしてしまった人の明日です。

捨て去るような言葉を投げかけるのではなく、
仲間として、一生懸命、支援をしようとしている、
その人の気持ちに寄り添う言葉を探しましょう。

指摘できない自分もまた、虐待者と同等なのです。

止めるための言葉や行動を工夫し、
上手に指摘できる自分になっていきましょう。

「虐待」遠い場所のことですか?

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さまざまな虐待事件が起きるとき、
色々な人が日常の中心の1つでもある・・・

インターネット上で、ご自身の意見を書き込みます。

「うそ・・・信じられない」
「根本的な原因は?何でこんなこうなる前に対策はなかったの?」
「事実なの?」
「人として人間性はどうなの?」
「そんな職員をやめさせて!」
「そんな事業所はいらない」

虐待は、起こした本人の人間性の問題だという見方が
多くを占めていると思うかもしれませんが
はたしてそうでしょうか?

実は、誰でも簡単に
虐待をしてしまう可能性があります。
その芽は誰もが持っています。
たまたましていないだけなのです。

 

中には、身近でこういうことが起きている。
これは虐待だと思う!と・・・話してくださる方もいます
泣きながら話してくださる・・・

んーーーそれは・・・

「実は、見過ごしているあなたも虐待者なんですよ」
と、話すと、ご理解いただけるでしょうか?

さて、では、なぜ?だれでも、
虐待をしてしまう可能性があるというのか?

たとえば、あなたの事業所のあるスタッフが、
利用者の支援をしていたにもかかわらず、
虐待と思える事態になったとき、
その支援をしているスタッフに、
あなたは何の躊躇もなく、
すぐに話しかけることができるでしょうか?

それが、上司や先輩だったらいかがでですか?

「躊躇なく」というところがミソです。

そこを「躊躇する」方が多いと思います。

それは、その人の行為が本当に
虐待かどうかと迷うからであり、
自分が間違っていたらどうしようと思ったり、
これでその職員とうまくやっていけなくなったら
どうしようと思うことが先に立つからだと思います。

さあもうこの時点であなたも虐待の加担者である

可能性が高いのです。
利用者の人は苦しんでいる状態のはずですよね。

躊躇をしている間に、
それは日常的になり、
そういうことをしている人の虐待行為が、
自分の中で「ふつう」になったり、
スタッフの言いなりになっている利用者に対して、
それはもしかしたら正しい支援なのではないか?
という感覚を持ってしまったりするのです。
利用者を抑圧するような虐待行為が繰り返されれば、
あなたの虐待ではないか?と思っていた感覚は、
だんだんと遠のいていきます。

勘違いが日常化してしまうのです。

f:id:variouspeople:20200704141444j:plain

だから、
あなたは目の前で起きている虐待ついて、
なにも行動ができなくなってしまうのでしょう。

では、その最初の人は何故してしまったか?
そして、その行動がなぜ続くのか?

それは、技術がなかったりすることが
原因の場合も考えられます。

技術は誰しも最初から持ち合わせていません。
ですから、ここの時点で・・・

もうだれもが虐待に走ることもあるということです

そして、未熟なこの時期に虐待の瞬間に、
誰からもダメだといわれなかったことや
利用者が従順だったことで、
「これでいいんだ」という間違った感覚になります。

それが地位ある人だったとしたら、
虐待はより広がってしまうでしょう。

また、支援をしている際に
自分1人で何とかしなければとか、
早い解決をと思うばかりに、
叩いてしまったり、
中には保護者に
「言うことを聞かなかったら、遠慮なく叩いてください」

言われたことが発端だったりすることもあるようです。

自分はしないと思っていても、
様々な要素で、虐待行為が始まってしまうと、
「こうするしかない」「これでいい」
「これが正しい支援だ」「本人のためだ」
と、思い込み、
自分でも自分自身を止められない場合が少なくありません。

虐待行為をした人は虐待者です。
また、それを見過ごした人も同じく虐待者なのです。

その行為がとっても嫌だと思ったときに
スタッフが辞めてしまうということもあるでしょう。
でも、それは解決ではありません。

そのあとに、新しく入ってきたスタッフは
改善ができていない虐待がある施設に入ってきてしまい、
それが「普通」となっていきます。

こうやって、虐待が一度起きると、連鎖してしまいかねません。

虐待はやらないと決めない限り簡単に負ける可能性があります。

人は、
他人の顔色を見たり、自分の立場を擁護したり、
何かの理由をつけて自分を正当化したり、
そんなことありませんか?

だからこそ、誰でも虐待をしてしまう可能性があるのです。

気持ちが強ければやらないということでもないのです。
そのスタッフにどう思われようと、
利用者のために即刻その行為について、
話しかけられるのでしたら、虐待も止まる可能性はあります。

まずは、そういう場面を想定し、
どんな言葉をかけるのかを決めておきましょう。

そして、虐待は遠いものではなく、
自分の身近でも起きうることと
認識をしましょう。

自分から始まる可能性もありますし、
あなたのまわりの人がきっかけで、
あなた自身が虐待をしてしまう時もあります。

そういう人だから、
支援ができないのではありません。
そういう人でも虐待に走らず、
支援を展開していくという方向に、できるのです。

そこを身につけることで、
虐待に走らない組織に!

みんなで学び、仲間や環境を信頼しあえる

そんな仲間づくりをしていきましょう。

「障害」支援所で逃げるが起こったとき・・・

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就労支援所に通っている中でのご相談で

よくあるのが・・・

特に知的しょうがいがある利用者が、
事業所の活動中等に、
何度もトイレに行く・・・閉じこもってしまうということ
そんなことありますか?
 
スタッフから本人は、
「さっき行ったでしょ?」「今はもう大丈夫でしょ・・・」
と言われますが、
それでも、
行きたいという意思を示し、行けば、排泄をしているようです。

また、一度トイレに入ると、
長時間個室に入り、
そこから、なかなか出てこない人もいます。

休み時間も終わり、活動が始まっているのに、
出てこないので、呼びに行くと、
トイレの中から歌声が聞こえる、音楽を聴いていることもあったり・・・

こういう行動がみられると、
スタッフな中では、
このことは「良くない行動」として、見ると思います。

きっと集団行動、決まりを重視の観点から
という意味なのでしょう。

でも・・・なぜ彼らは、
何度もそして、長時間に渡り、
トイレに行きたがるのでしょうか?

ほとんどの場合が、
生理的現象というよりも、
逃げ場や居場所としての使い方なのではないかと
見受けられるのです。

このようなときは、無言ではありますが、
何か嫌なことがあったときも多く、スタッフにも告げることができずに、
誰に文句を言うこともできず、
トイレにこもってしまうって言うことが多いと思います。

では、その嫌なこととは一体何でしょうか?

もちろん、活動内容であったり、
音や人間関係、やりたくないなど、
ほとんどが、今まさにその場で嫌なことが
起きていると言うことのようです。

その場から逃げるという絶好の場所であり、
鍵のかかるトイレに行くという
彼らなりの技でもあります。

でも、
このようなとき、トイレに行くことは
止めることはできませんよね。

子の行動全てが、
生理的現象ではないとは
言い切ることができないからです。
おなかの調子が悪いときなど、
一度トイレに入ってもまた、
すぐに行きたくなることは
誰にでもありますよね。
よって・・・どちらか判断をつけることなどできません。

そして、嫌なことから
逃げることができることは、
生きていく上で必要なことです。
逃げられないで苦しむのではなく、逃げることができることは、
人が生きていくうえで・・・

人生にとって大切で重要なスキルです。

逃げたいことがあるわけですから、
本来であれば、嫌なことがあったことを
職員に伝えることができれば、
良いはずですよね。
そして、それはトイレでなくても、
避難場所として、
事業所の中で確保できるとよいと思います。

でもその伝え方は誰でも
慣れていなければ、苦情は言えないと思います。

だから、無言でトイレという行動になるのでしょう。

もし、そういうことがあった場合は
何か嫌なことがあったと想定して、
スタッフが、その嫌なことを取り除く努力をしましょう。

「がまんしなさい」
「みんなに合わせるべきだ」「みんなやってるでしょ・・・」
という持っていき方は、本人主体とはなりません。

もともとその施設に入りたくて
来ている人ばかりではないという前提で
ものごとを考えてみてください。

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誰かに言われたり、元実習先だったり
自分の意思ではなく、好きでも嫌いでもなく
入っている人が非常に多いのが
就労支援事業所です。

そして、活動も用意されたものしかなく、
本人が好き好んでやっているとは限りません。

活動時間にしても、決められた時間で、
決められた方法でやっているわけですから
そこに合わない人がいてもおかしくは
ないのです。

逃げているだけ、良いと思いましょう。

私達に教えてくれている。そう思い
そういう行動をする人がいる事実を受け止め、
そのことに対処をしていきましょう。

その人が集団に合わせるように
という対処ではなく、
本人がより心地よい日常になるための対処です。
自分の気持ちを言えていないわけですから、
スタッフが、利用者個人に合わせ、
その方が、毎日、来たくなるような、
そして、逃げるという方法ではなく、
活動する場所にいることができる、いたい事業所づくりを含め、
考えていくべきことです。

集団論理で、きれいにまとめ、
本人の辛さに寄り添えないということのないように、
ていねいに聴き取りや意思確認をして、
改善できるところは、改善をし、
逃げなければならない状態を取り除いていけるように
みんなでよい環境づくりに努めていきましょう。

自己メンタル。。。あなたはどう扱っていますか?

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よくメンタルケアの大切さが
話されますが・・・みなさんはご自分のケアを

いかがされていますか?

実際に職場では
その配慮があいるということが

まだまだ浸透しきれていないところも多いのでは?

でも・・・このメンタルケアが大事になってきたのは、
この十数年くらい前からの出来事かもしれません

今では当たり前のような実態ですが

上司と部下の関係性や、
人間関係の複雑さにより就労支援事業所でも
仕事が嫌だと言うことでやめていくスタッフが
少なくないのは事実です。

「障害」支援の直接的な関わりの仕事は良いにしても、

人間関係の問題、コミュニケーションの問題で
職場を辞めていくのはとっても残念なことだと
思います。

メンタルケアを職場でもということで
産業医の導入や衛生管理の資格等もありますが、
実際、自分がその職場で
メンタルが病んできたときに同じ職場でメンタルケアを
と言われてもなかなか言い出しにくかったり・・・

もしくは隠そうとしてしまうことも
あるのではないでしょうか?

就職するときには
職場の人間関係が
悪いと言うことなどを
リスクマネジメントしていなかったとは
思いますが・・・
これはどの職場でも
人間関係がうまくいく方が
少ないと思っておくことが無難です。

だから、やめて、
他の事業所に行ったとしても、
そこでのほうが、もっと人間関係が
悪くなるということにもなりかねません。

「障害」支援に
携わっている人同士だから、
人間関係が優しい職場だろうと思うかもしれませんが、
んーーーそこは別のことのようですねーーー(笑)

そんな中でもしあなたが
何かあったらメンタルケア
が必要になった場合・・・
どのように仕事をしていくのでしょうか?


何かあったときに
制度や職場の体制に
SOSを求めるということよりも、
もともとの自分自身に
ストレスに対しての耐性や

かわし方を身に付けておいた方が、
良いと思いませんか?

自己セルフマネージメント、セルフコーチング・・・です・・・

そう・・・人間関係だけでなく
他にも様々なことが起こるわけですからねーーー
そういったときにも
自分の中でうまく乗り切れると重宝します。

嫌なことが起きるたびに、
のみに行ったり、喧嘩をしたり、
最悪のケースはもしかしたら利用者や家族に対して虐待・・・

なんて嫌ですよね・・・

こんなやる必要のない事で
ストレスを解消してもつまらないし罪悪感が増えるだけです。

こういうことは起きると
想リスクマネジメントをしておくことです。
事前予防の自己防衛。

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つまりは、メンタルケアという
ストレス発生後ではなく・・・
セルフコーチングという、事前準備で、
自分への対応を考えておくということです。

職場の人間関係がうまくいかない方は、
ぜひ学んで欲しいなーーーと思います。

(私も教えられますよ・・・)
いろいろな本や動画も出ていますから、
そこから試してみるのはいかがでしょう。

基本的には、
今ストレスがかかりがちな方は、
今の考え方では、今までと同じと言うことです。

今の考えを変えていかないと
あなたのストレス度は、変わることはないでしょう。

ではどうやって変えていくのかは
人それぞれですが、うまく職場の中でやっている人を
見本にしてみたり、
今の自分の基準を
もっと低くすることであったり、
自分がやらなければと思っていることを
人に任せてみたりしてください。

もし人に任せる場合は、
その人の基準に任せ、
完璧を求めないこと・・・です。

ストレスが高い人は、
人のことを自分の基準に
合わせようとすることが多く見受けられます。
また、自分の基準を自分の理想の相手に
合わせようとしてしまいがちです。
自分の基準を見直すこともしてみてください。

基準というのはいろいろな基準があるからこそ、
社会なのであり、
その仕事がそれなりにできるのであれば、
高さばかりを求めなくても
良いのではないでしょうか。

また、物事を他方向から見る習慣もつけると
とっても楽になるのではないでしょうか?

どちらにしても、
事前に思っておくリスクマネジメントしておくことです。
状態を見てから思うのではなく、
事前にこういうものが起きるかもと
考えておくということです。

このように、
自分の今の状態を
マネジメントすることです。
自分で自分のことを
外から見るような形で見直すと、
すごくきつく仕事をしていると言うのが、
わかるのではないでしょうか?

「障害」支援は、
頭を柔軟に柔らかくしておくことが
大切ですよね?
その基本は、人の人生を大切にすることですが、
人を大切にすると言うことは、
まずは自分のことを大事にしていくことだと
思います。

自分に目を向ける。
自分の良いところを探す。
自分のだめなところも好きになる。
適度に手を抜く。

そういうことで、
もう一度自分を見てみると
もっと寛容になれることも多くありそうですね。

疲れてきてからのメンタルケアなのか?

それとも
事前準備のセルフコーチングなのか?

あなたならどちらを選びますか?

「障害」~それぞれの指示に困っていませんか?~

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障害」者の作業の指示書を作っている事業所も
あると思いますが・・・
その指示書は、スタッフが作っていますよね?

指示書とは・・・どんなやり方をすれば、
良いかが書いてある・・・料理で言えば・・・
誰でも同じようにつくれるレシピのようなものです。

そのスタッフが作った指示書そのもので
分かることもあるかと思いますが、
利用者が参画する方法の指示書もあります。

それは、よりよく理解しやすい指示書を作るためです。

まず、この作業はどういう内容かを
先に本人に話しをます。
それは、スタッフの作った指示書を見せながら・・・

まずはやってみる・・・

そして、この指示書が、
本当に本人にわかるのか?伝わるか?を確かめます。

作業の仕方を説明した後に本人に話してもらってください。

私たちが使った言葉や図は、
わかった気になっているのですが、
いざ、指示書に書いてあることを

ひとりで説明すると、
自分自身が理解できていないことも確認できます。

次に、もし、理解できていなかったりあやふやな場合、
どんな言葉や図を使ったほうがわかるのかを
本人と一緒に確認してみてください。

そのままでもよい場合もありますが、
そうでない場合もあります。

たとえば、「中央に点をうつ」という
指示書を作ったとして、
それが、実際にはどんな言葉が
わかりやすいか?聞いて考えてみてください。

「中央」よりも、本人にわかりやすい言葉があるなら、
そのほうがいいはずです。
だって、使うのは・・・彼ら自身ですから。

ここで、スタッフは間違えやすいのですが、
スタッフが作った指示書で作業をしなければならないと
考える必要はありません。

作業は、できるだけ一人でやれれば、
本人の自立に向かって行くはずですので、
そちらを目指せればそれがいいからです。

スタッフの言葉を理解させることに
重点を置く必要はありません。
何よりも・・・作業が滞りなく、
不良というものが少ない出来上がりがあることに
重点を置くべきなのです。

だから、
その人に合った指示書をきちんと作ると言うことなのです。
指示書は、一人一人違うということもあり得ます。

 

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で、先ほどの

「中央に点を打つ」

本人にこれをわかりやすくする方法を聴くと、
そのままの言葉ではないことが多くあります。

「まんなかに点」とか、
「まんなかに小さな〇」とか・・・
その方の言葉を拾いあげてください。

その人のわかる言葉を使って書いた方が
わかりやすいときもありますし、
その利用者が書きなおしができるのであれば、
ご自身で書いたほうが、アウトプットになり、

本人にとっても効果的な場合があります。

実際に作業を進めつつ、
不具合が生じた場合は、
指示書がその利用者の人に
合っていない可能性もありますので、
またよりよくなるように直していくことになります。

このように、指示書は、
スタッフから一方的に出すだけではなく、
「参加型の指示書づくり」をしていきましょう。
また、勘違いしないでくださいね・・・

指示書は1度作ればおしまいではありません。
時間や年月を追って変わっていく可能性もあります。

本人の理解力も高まり、正確な作業となり、ステップアップができる
そんな指示書にも力を入れ、
一人ひとりが理解して進められる作業ができるように

していきましょうねーーー

「障害」者の作業環境は万全ですか?

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私がかかわている「障害」事業所でも、
みなさん日々作業をしています。

そんなことは当たり前に・・・

たくさんあると思います。

では・・・この作業をしていただくときに、
どんなところに
注意を向けていますか?というか、
どんなところまでが支援の範疇なのか?

なんて明確に思っていますか?

作業そのものには・・・目を向けているものの・・・
作業環境という部分にまできちんと目を向けているでしょうか?

机といすの高さ
光の入り具合い
人間関係
作業のしやすい道具等の準備
音への配慮
作業動線の確保
温度、温度
個々の使いやすい道具
など等・・・
さまざまな「環境」という部分への
配慮、アプローチをしていくことなのです。

これは、「障害」があるからないからと
言う観点ではなく、
全ての仕事をしている人への
配慮といったほうがよいでしょう。

この部分。
私たちスタッフ側であれば、
自分でやりやすく工夫をします。

例えば、
よく使うものを身近におく
必要なものを近くにまとめる。
スマホで電話がすぐに取れるようにもします。

いすや机の高さも変えられたり
寒ければ、上着を1枚着ることもできます。

自分で、使いやすいように、
道具を配置したり、
自分に必要な環境を作っていく・・・

でも「障害」者が、その事業所で、
自ら、働きやすいように工夫をできる人ばかりとは
限りませんよね・・・

彼らは、
与えられたもので、満足してしまうことや、
ちょっと不具合が生じていても、
それを訴える力がなければ、
万が一、
道具が整えられていなくても、困ったと思っていても
それで良しとしてしまう可能性があるのです。

こういう傾向が強い人たちですから、
支援者が、その人の立場になり替わり、
作業環境を吟味し、
やりやすい、使いやすい
作業効率がよくなるなどの視点をもって、
環境を整えることは大事なことです。

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特に人間関係の問題は、
わがままで片付けられる問題ではありません。
嫌いな人と、一緒には仕事をしたくないのは、
誰でも一緒です。

「嫌な人の存在」という、その人にとっての「環境」を
がまんさせるのではなく、穏やかに過ごせるようにすることが、
精神的な安定となり、作業での成果にもつながるでしょう。

また、ものの配置やゆかの荷物で
注意散漫な人や視覚しょうがいの人にとっては・・・
足を取られていることにならないでしょうか?

物の置場がいつも変わって、わかりにくくなっていないでしょうか?

窓からの光がまぶしく入ってきたリ、
細かい作業をするのに
照度が足りなかったりしていませんか?

このように、環境の様々な部分を
作業しやすいように、配慮をすることです。

そして点検をするべきです。

作業場が釘が出ていたり、
木のささくれだったり、
机やイスがギシギシしていたり、
ガタガタしていると、やはり使いにくいはずです。

様々な不具合で、
気になって仕事がはかどらないのでは、
本末転倒です。

スタッフ側が実際に、
そこに座ってみる、使ってみるなど、
体験してみるとわかることもあります。

「使いにくいことはありますか」と聞いて、
意見が出ることも期待したいところではありますが、
難しいかもしれませんね。
でも、それは言ってよいということは伝え続けてください。

さらにいうのであれば、
目の前の適正位置に材料を置くことさえ、
できない可能性があります。

作業環境によって、
出来高や生産性は全く変わります。
長く続ける仕事になりますから・・・
よりよい環境を準備していきましょう。
彼らにとっての不具合がない
調査をする日を定期的に設けるなど、
スタッフ全体で、意識してよりよい支援ができる環境づくりを

していきましょう!

子供が異性に対して、興味持ったり、意識をするのは早い子で幼稚園生からとかよく聞きます。

娘はきっとそういうのも遅いんだろうなぁと思っていましたが、一緒に出掛けている時にこんな事がありました。

最近の出来事です。

娘を連れて一緒にお出掛けをしていると、

娘:「男と女が一緒に出掛けるの不思議だね」

パパ:「〇〇(娘の名前)ママと一緒にお出かけしてるじゃん」

娘:「それは女の子同士じゃん」

私は、またお決まりの試すような返しをしてしまいましたが、娘にとってパパである私でも男と女が一緒に出掛けるのが不思議なようです(笑)

男と女を認識できるようになったのは、過去記事に書いたかどうか忘れてしまいましたが、年少さんくらいの頃だったような気がします。

「何で不思議なの?」って娘に質問した気がするんですが、何て返事をしたか忘れてしまいました。たしかよく分からないような返しだったと思います。

恐らく学校でお友達の様子を見て、真似しているのか、そういう感覚になったのかと私は勝手に予想しています。

「困った」言うことで始まること・・・

f:id:variouspeople:20201020193739j:plain

福祉事業に携わっているとき・・・

サービスとは、どのようにつくられるのか?と考えると・・・

なにか、困った方がいて、その困った状況を
誰かが、何とかしていこうと思い、
その人の困っているところに支援をするべきだ・・・

そんなときにサービスが生まれます。

サービスがないときには、
あなたから自分の困ったことを言うことができないと、
サービスはずっと・・・つくられません。

サービスは、自分が何もしなくても、
住民のことをよく知っている
行政が考えるべきものではないかと
思っているかもしれませんが、
福祉は特に・・・申請主義。
あなたが、こんなサービスが欲しいとか、
SOSを、誰かにいわなければ最初の1歩は、始まりません。

こうなったらいいなーーー誰か気づいてくれないかなーーー

では何も変わらないということです。

こういうことはありませんか?

「私がこんなに困っているのに
なんで気づいてくれないの?」ということ。

「専門職なんだから、
言わなくたってわかるでしょ?」ということ。

うーーん・・・例えあなたと24時間一緒にいたとしても、
あなたが困っていることを
何らかの形で表現をしていただかなければ、
それって誰にもわかりません。(多少はわかるかもですが・・・)

さらによくあることは、
私たちから見て、困っているだろうと
予測できる方でも、なぜか?SOSを発しない方・・・

そうすると困っているのでは?というのは、

察することは出来ても・・・
私たちがはっきりと判断することができないからです。

困っているよ!を
他のだれかに訴えることができますか?

訴えていただくことで、私たちはサービスを考えます。

もし、あなたが思っているようなサービスが、
この世の中にないとしても、どうせ無駄でしょ・・・
だから訴えないと判断なさるのではなく、
SOSを出してください。

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例えば、
申請したってどうせ難しいポジションだから
申請しないというケースです。

あの事業所には今はなかなか入れないということを聞いて、
「申請しない!」と決めてしまうこと。

いろいろな場合があるでしょうけど・・・
基本は、あなたがSOSを出すことです。
そして、そこから・・・サービスが開始するのです。

もしサービスがなければ、
他のサービスで、補うかもしれません。

また、新しいサービスを支援者側が作り出すのかもしれません。

とにかく、あなたがSOSを出さなければ、
ことは始まりません。

また、あなたが困ってSOSを出したとして、
すぐにサービスが開始できないことももちろん・・・あります。
それは順番があったり、土台作りがいるかもしれないからです。

いろいろなことがあるかもしれませんが、
まずは、SOSを出しましょう。

どんなに困っていても、SOSを言うことだけは、
まずはがんばって一人で始めてください。
役所に言う、施設に言う、友達に言う、

はい・・・私にでも私達団体にでも・・・
なんでもいいです。
まずは・・・そこから始めてみましょう。

 

ADHD~モノをなくしてしまう彼の場合~

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福祉関係の代表を務める私は

福祉支援事業所などの理事や顧問などの

管理者や行政の役員なども担っています。


よって「障害」児・者はもちろん・・・

スタッフのみなさんや行政の方々とも
それぞれの顔で携わっています。

日常生活でのささいな困りごとから法に関わることまで

様々な問題が相談事で上がってきます。
代表や顧問、理事である私には、スタッフでは処理できないレベルの

トラブルが上がってきます。

切羽詰まったような声で電話してくる方、

事務所にふらっとやってきて泣きながら話して帰っていく方・・・

様々です。
ご本人からの直接の相談もよくあります。
「療育手帳を無くしてしまいました」「財布を落としてしまいました」

どんなに気をつけて対策をとってもとってもなくす子がいます。

事情を訊いてみたところ、近所のショッピングモールに出かけたときかも?

ポケットから落としたのかもしれない・・・とのこと。
作業所が休みの自分時間の出来事です。

とりあえず、いったところへ出向くことにしました。

自宅の前を通りかかったので自宅を訪ねてみました。

そしたら郵便受けに入っていたとの報告・・・

どなたかが親切に届けてくれていたんです。これは・・・

療育手帳のときですが・・・
さすがに財布は出てきたことはありません・・・😢

療育手帳には、自宅の住所が記入されています。
拾った人が、住所を頼りに届けて下さったようです。

もしかしたらご近所の方か・・・彼を知っていたのか?

わざわざ住所を頼りに来てくださったのか?

彼は、戻ってきた療育手帳に大喜びしていました。
「親切な人が拾ってくれて、良かったね」「人の優しさに感謝しかないね」

「自分がもし拾ったら同じようにしなきゃだね」

と喜びと共に伝えました。

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彼にはADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向が見られ、外出先で私物を紛失してしまうことがよ度々あります。
置き忘れや紛失については、事業所ではスタッフが

日常的に注意や指導をしてくれてはいるのですが、

一人で自由に出歩くことの多い彼に対しては自宅でも限界があります。

こんな時にいつも思うのが・・・地域社会に認められ、

受け入れられることが、福祉施設や「障害」児・者には欠かせなと思うのです。

社会資源をいくつ持っているのか?そこがとても大きい。

療育手帳を拾ったのは、彼がこれがなければ困っているであろうと

察することのできる人なのでしょう。

そしてわざわざ訪ねてきたことを言わない奥ゆかしい人なのでしょう。
そして、もしかしたら郵便受けに届けられていたところを見ると、

彼がこの辺に住んでいることを知っている人かも知れません。

彼が私物を無くしてしまうことは、これからもきっと起きるでしょう。

はい・・・今までも何度も何度も・・・ありました。

その度、駅員さんやショッピングセンター、事業所・・・

それぞれから連絡があっています。

今回は・・・そっと郵便受けに・・・

本当に感謝しかありません・・・

だからこそ・・・これから先も・・・

彼が自由に出歩く意欲余暇を楽しむ意欲を無くしてしまうことは、

きっと・・この地域では起きない。そう思っています。

「障害」支援施設の虐待の原因って?

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就労支援事業所などで虐待事件が起きたときに

「人手が足りないから起きたこと」
「専門性がないからいけない」

このような発言をしている団体もあるかと思います。

そういう発言ってどう思いますか?

虐待の理由づけを「障害」児・者団体が
そう言ってしまうとき・・・
様々な福祉関係者や団体がそう思い込む要因にもなります。

本当に人手不足なんですかね?
それって・・・どこよりもですか?

基本的に職員の数って、ある意味どこもそう変わりません。
法律で決まっているし計算の中から、非常勤の人数を増やしたり、

減らしたりしているのではないでしょうか?
きっと・・・人数的にはそう・・・不足はないはずです。

それに、人手が足りないって言っている事業所は、
新しい人が入って人数が充足しても・・・

きっと足りないっていうはずです。
もしくは・・・今度は、お金がないっていうでしょう?

今以上に人を必要とすれば、
経営者は、お金集めも大事かもしれません。
経費削減もあるでしょう。
魅力ある事業所をつくれば、人が集まるかもしれません。

そういう状態は、改善しなければならないかもしれませんが、
そこは経営者ががんばるところです。
問題がない状態で職員の数が決まり、
やっていくのは現場のみなさんです。

ですから、回せるようにすればいいわけです。
まず、最低限必要なことはやってください。
法律上で言われている最低限です。

そこからは工夫です。
人相手の仕事は、どこまでやってもいいと私は思っています。
逆に言えば、最低限はあるのです。
最低現限はクリアする必要があります。

そのうえで、それぞれの最善につながる
あなた方独自の支援をスタッフにも利用者にも上乗せしてください。

支援者である限り、よりよい支援を目指してほしいですが、
「人手が足りないから虐待がある」

と言うくらいなら、上乗せ部分はやらなくて結構です。
そういう意味。勘違いしないでください。

そして、専門性の部分。
専門性を持った職員が集まらないのは、

どこもそんなに変わらないと思います。。
逆に専門性を持っていなきゃダメなんですか?

ってことです。そんなことはないと私は多くの方を見てきて思います。

今や、専門性を持った人こそが、「障害」児者支援を支えていく時代は
終わっていくと思っています。
専門性を持っていない人も巻き込んでいかなければ、
「障害」児者支援現場は支えられない時代なのです。

それなのに、「専門性がないから虐待が起きた」と言いますか?
専門性がなくて「障害」児者支援現場に入り、
虐待を起こしていない人が大半なんですよ。
それはなぜなのか?

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障害」児者支援は、

人として相手にどうやって接するか?だけだからです。
専門性を持っている持っていないを別にして、
人としてやっていいことと、やってはいけないことの
区別ができるかできないかではないでしょうか?

専門性は、現場の中で・・・だんだんに身に着けるものだと思います。
専門性がつくかつかないかは、
その人たちにどれだけのことが伝えられるかどうかだけです。
だから、管理職次第と言ってもいいのかもしれません。

管理職が、それを伝えられないのであれば・・・
ぜひ・・・外部を使ってください。

外部講師を呼ぶなり、コンサル入れるなりやってみてください。

虐待が起きてからや何か問題が続く・・・から・・・
人手や専門性といったことを理由づけするという
対処療法的な考えでは・・・いつまでたってもなくなりません。

予防が大事です。

今、虐待しないために何をすればいいのかを考えて、
自分の組織を動かしていきましょう。

この状態を通常のものとして、虐待予防をしてください。

人手が足りないとか、専門性がないと言っているのは、
自分たちを擁護しているだけの言葉だと思います。

理由づけして仕方ないんだよと、自分たちを擁護していますか?

虐待で苦しんでいる人たちにそういう言葉を言っている人たちが

一番の虐待者かもしれません。

今の状態をまずみんなで認識しましょう。
その中でできることをし、そのうえで上乗せのサービスをする。
専門性は、徐々に管理職中心に人材育成をする。

虐待につながらないように、今を素直に認めましょう。
そして、どういう方法が虐待につながらないか、
お互いにアイデアを出しあっていきましょう・・・