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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

大人の思考、子どもの思考

 

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先日、講演の中で使った詩です。

 

この方は、右手が不自由で支援学校の経験と地元学校の経験と

両方の経験をお持ちです。

 

体育のご自分の授業のときに感じたものだそうです。

(この方は、のちに中学校の教員になりました。今はもう定年退職されてます)

 

この詩を読んでいて

ふと、ある先生が私にした話を思い出しました。

 

それも跳び箱の授業のコトでしたが

肢体不自由のお子さんの跳び箱の授業で

 

「特別支援学級の担任みんなで話しているんですが

跳び箱の授業があって、その子の“成功体験”をどう、

つくってやったらいいかと・・・」

 

んーーーーどういうこと・・・

 

「跳び越させてあげたいってことですか?」

 

と聴いたら、そうだとおっしゃる。

 

んーーーーーそうなのかな?

 

「本人は、跳び箱の授業について何か言ってます?」

 

「いや、何も・・・聴いてないです。」

 

「だったら普通にみんなと跳んでいいんじゃあないです

か?」

 

「・・・・・」

 

「跳びこせない子は、その子だけじゃあないでしょ

う・・・それにチャレンジもしないで、例えば自分だけ違

うとこ・・・ってどうなんでしょう。“成功体験”が欲しい

のでしょうか?

失敗も大切なんじゃあないですか?

跳べなかったら、低い方とか、それでも無理だったら

違うルールで跳び越えるとか・・・

はないんですかね?」

 

 

って話したことがあった。

 

「あーーーそうだね。聴いてもないし、考えてもなかった。そうかもしれないね。」

 

って・・・

 

跳び越えることが大切な“成功体験”ではなくて

 

そこに至るまでのプロセスが大切で・・・

 

そこに子ども同志、お互いの学びがあるのではないかと

 

思ったのと

 

“失敗”は恥ずかしいことではないし、

“失敗”から多くのことを学ぶことの方が

私は、むしろ多かったし、そこから考えることが

 

素敵な考えが浮かんだものだ。

 

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うちの娘が4年生のとき運動会でリレーがあった。

 

彼女は、体も小さいし4年生のみんなとは比べ物にならないほど

遅い。

 

「うちの娘のせいで、どんべになったりしないかな・・・

みんなどう考えるのだろう?どうしたらいいのかな?」

 

 

心配で仕方なかった。

先生に聞いたら、

 

「子ども達が、みんなで考えて、〇ちゃんは遅いから〇ち

ゃんの前は誰(早い人)でバトンをもらうのは〇ちゃんが好

きな誰(早い人)と言う風に決めてリレーゾーンぎりぎりで

受け渡しをするように練習していますよ。」

 

 

とのこと・・・。

 

 

当日まで練習は見たことはなかったが、

 

みんなの迷惑になりはしないか・・・

 

みんなは、ほんとはどう思ってるのか?

 

彼女のせいで、最後になりはしないのか?

 

その時、周りの保護者はどう思うんだろう?

 

 

不安で不安で仕方なかった。

 

 

いざ、本番、

 

彼女は一所懸命走った。

差は大きくあいていたのに・・・

 

バトンをもらってどんどん追い抜かれた。

 

 

あーーーーーやっぱりーーーーー

 

 

(ホントにごめんなさい・・・・って思いながら・・・)

 

 

そして、リレーゾーン、ぎりぎりで次の走者が待っていた。

 

「〇ちゃんいいよ・・・こっちこっち」

 

リレーゾーンいっぱいに下がって待っていた彼に

彼女はニコニコしながら

 

「はい」

 

と大きな声でバトンを渡した。

 

まーーーー彼の早いこと・・・最後だったのに

1人追い越し、2人目に迫って次にバトンタッチ。

 

 

最終的には1位になった。

 

 

みんな大喜び。みんな飛び上がって喜んだ。

みんなで肩をたたき合いながら

 

「良かった。よかった」と・・・

 

彼女も帽子の上からみんなにポンポンされて

嬉しそうに笑っていた。

 

良かった・・・カチカチに緊張していた私の体からも

ふーーーーーと緊張がぬけてホッとした。

 

そして、前後の男の子にお礼を言った。

 

「ホントにありがとね・・・沢山練習したよね・・・」

 

って・・・

 

彼らは照れ臭そうに

 

「上手くいって良かった。練習のときもイロイロやったけ

ん」

 

「それに他のとこがこけたり失敗したけんね・・・」

 

 

と言っていた。

 

 

今の学校では

 

「〇年生に肢体の子がいるからリレーでない競技にしまし

た。」

 

とおっしゃったり

 

「参加が無理そうだからゴール係にしました」

 

なんて聞くことがある。

 

 

 

娘の学校で“肢体”の子がいる学年はどうするのか?

 

と思ってみていた時

 

やはり、“リレー”はあった。

 

しかし、とても面白いルールで・・・

 

クラスで何回と決まった数“ワ--プ”ができるのだ。

(カーブをまっすぐ横切る)

 

それも、みんなで考え出したルールだと知った。

 

いろんな考え方がある。

どの考え方が正しくて、どの考え方が間違ってる。

なんて・・・ないとは思う。

 

でも、どんな考え方をするのか?

どんなふうに“共生・共学”を考えるのか?

大人の思考が反映され

柔軟性が求められているのではないか・・・と感じる。

 

 

私は、

 

“どんな考え方が、できたらいいのかな?”

 

そう日々問い続けながら・・・。