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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

ペットの“死”から ~ “死”を考える ~

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ペットの死・・・

 

うちの子どもが最初に出会った“死”は飼い犬がなくなったときだった。

 

1番下の子が生まれたばかり・・・

 

上の子(知的しょうがい)は、10歳だった。

小学校の4年生。

 

出産による病気でお腹の子も母体も危険になり

ゴールデンウイークの最中でなかなか思うように病院につながらず

悪化してしまい、入院の末、亡くなってしまったのだった。

 

動かなくなった病院から帰ってきた犬の亡骸をみて

“死んだ”という言葉はわかっていたと思う。

“死んだ”=動かなくなる・・・と思っていただろうか?

 

1日自宅で、お通夜をして次の日亡骸を火葬しに行った。

火葬場でみんなで手を合わせて、

彼女もしっかり真似をしていた。

 

その後、火葬場から出てきた骨となった死骸を見て

彼女は、びっくりしていた。

 

眼を丸くして

 

「何で、何で・・・」

 

と言うように・・・私たちの顔を何度も何度も見上げた。

 

「骨になったんだよ」

 

「死んだら、みんな骨だけになっちゃうんだよ」

 

 

それから、彼女は涙をぽろぽろ流してワーワー泣いた。

 

そんな彼女を見ていて

ふと思った。

 

彼女には

“死”の意味は、

理解できてなかった。

わかってはいなかったんだと・・・

 

 

彼女は、きっと、

この中に入って出てくるときには

 

元気なときの“エル”(愛犬名)が戻ってくる

と思っていたのだと・・・

 

テレビや映画やゲームの様に

ジャジャじゃじゃーーーーーン

リセットみたいな・・

 

理解?できてからの彼女は

 

「お空に行ったね」

「死んだね」

 

と自分に言いきかせるように何度も何度も

何日も何日も言っていた。

 

そのたびに

 

「頑張ったからね。

お空で子ども達と一緒に過ごしているだろうね」

 

って答えていた。

 

それより小さなころは

ダンゴムシを大量にとってきて

瓶に詰め暑い所においたままで全滅したり・・・

チョウチョとカマキリを一緒に入れてチョウが食べられたり

セミを大量にとってきて次の日死んでいたり

そんなこともよくあっていたのだが・・・

 

それとこれとは

 

“全く別モノ”だったのだろう。

 

その後、彼女はとても用心深くなった。

ペットに何かあったら

すぐに“病院”と言ったり(爪切り過ぎて出血とか・・・)

また、セキを少し誰かがしたら“病院”とか“ゆっくりしとき”とか・・・

何かあることにとても敏感になった。

 

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祖父母が相次いで病院のお世話になったり

老人福祉施設にお世話になったときにも

 

彼女は、うちの誰よりも甲斐甲斐しい姿を見せた。

 

「大丈夫?」

 

「なんか食べたいものない?」

 

背中をさすったり、手を握ったり

他のきょうだいは何をしていいのか?

何と声をかけていいのか?戸惑っている中・・・

彼女はさっさと自分のできることを探してしていた。

 

その時

 

「小さいころお世話になったもんね」

 

って口癖のように言っていた。

 

・・・そう彼女は小さいころから

 

入退院を繰り返していたため、私たちではままならず

祖父母には多大な協力をしていただいていたから・・・

 

彼女は、それを身に染みてわかっていた。

 

病院での辛さやきつさ、寂しさも・・・

きっと誰よりもわかっていたに違いない。

 

帰るときも

 

 

「また来るね。」

 

またすぐ来るから・・・元気しとってね・・・」

 

って・・・

 

 

その祖父母が相次いで亡くなったとき、

彼女は、お棺に横たわっている遺体に

寄り添い、最後のお別れにも花や好きなものを手向け

 

「ありがとう。ありがとう」

 

って嗚咽をあげながら泣いた。

 

そして

 

「骨になるね・・・」って・・・

 

いづれ誰にでも訪れる“死”を彼女はこうして学んでいった。

 

「体はなくなって目の前にいなくなっても

いつでも(頭を胸を刺して)ここで思い出して心の中で生き

ているからね」

 

彼女はよく言う。

 

祖父母の好きだったものを買うと

 

「ばあちゃんが好きだった。」とか・・・

 

車である場所を横切ると

 

「ここは、じいちゃんとよく行った」とか・・・

 

庭を見ながら

 

「よくじいちゃんと草取りをした」

 

「ばあちゃんが好きな花が咲いた」と・・・

 

「人は必ず死ぬ・・・だから生きている時を大切にするん

だよ」

 

彼女が今日も言う。

ひとり残った祖母のことを

 

「ばあちゃん、こっちくればいいのにね」と・・・

 

電話もしょっちゅうしている。

 

その度、頑固な母の声が反発している・・・

けれど、最近少し、緩んできているようだ・・・

 

彼女の“思い”が届く日も近づいてきているのかもしれな

い・・・