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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児・者に無意識レベルでやってませんか?

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「障害」児・者への
虐待や人権侵害がなくならない状況があります。

私達団体は1979年に発足して・・・かれこれ43年

なぜ?なくならないのか?

「障害」児・者に関係する方々の悩みがなくならないからです。

要は少々のことではなく・・・

前項にあげた「虐待」「人権侵害」がなくならないからだと思います。
支援者や教員がよく言うのは・・・
「自分がされたら嫌なことはしない」
という、本当に言葉にすれば簡単なことを

言うのではないでしょうか?

でも・・・実際にやり続けるのは難しいので現状がある・・・

日々そこを頭に思い描くことが重要だと思うのです。

もちろん、
されたら嫌なことというのは、人によって違いますから、
まずは・・・自分の嫌なことと相手の嫌なことの違いは
確認をすることになるとは思いますが・・・
支援者の大前提として、
「相手を思いやる」「相手立場中心の支援をする」
ということを考えつつ支援をすることですし、
そのことを私たちは職業としているということで、
お給料をいただいているという大前提を考えるべきでしょう。
「障害」児・者と接することを最低ラインとして、
「相手を思いやる」「相手立場中心の支援をする」を
考える人であってほしいと思うのです。

その基準として、
自分がされたら嫌だなというものもありますが、
それだけでは、足りません。

だからあなたが、知らない人に対してしないであろうことは、
「障害」児・者にはしないということを頭に入れておきましょう。

例えばその方の名前を呼ぶこと1つとっても・・・

「君」「さん」「ちゃん」呼び捨て・・・

自分はなんと呼ばれても一向に構わないという人もいますよね?
でも、知らない人にいきなり呼ばれたらいかがでしょうか?

いやな呼ばれ方ないでしょうか?

自分が嫌なことを相手にしないというものの中には、
先ほども書きましたように、
自分はされてもかまわないというものが無意識レベルで
多々ありますので・・・気をつけなければなりません。

知らない人にされたら嫌なことは、もっと範囲が広がりますよね?

あなたのロッカーを、
知らない人に急にのぞかれたらいかがでしょうか?

知らない人が、断りもなしに、
車いすを押し始めたらいかがでしょうか?

知らない人から、訳もわからず、
叱られたり注意されたらいかがでしょうか?

知らないからこその恐怖もありますが、
この後どうなるのかわからないという不安もあり、
かといって、嫌だと反発できないこともあるでしょう。

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支援者は、知らないうちに、
この「知らない人」がやったら怖い、不安なことを
「障害」児・者にやっている可能性もあるのです。

無意識レベルで相手が嫌と感じるようなことを
しているといったほうが正しいかもしれません。

同じことをするにしても、
相手に断ったり、説明をしてからするのであれば、
何ら問題がないものもありますよね?

でも、いきなりすると言うことは、
彼らの気持ちは後回しになるので、問題となることも多々あるのです。

自分がされたら嫌なことは最低限しないことはあたりまえ。

そして、自分が知らない人に急にされたら嫌なことも
しないことがその幅を広げることになります。

(配慮の範囲が広がります)

私たちは彼らと対等だ・同等だと口ではいっていても、
彼らは、きっとそうは思っていません。
たぶんスタッフが上と思っている人ばかりだと思います。

その前提で、支援をしていくこと
彼らと接していくときに、相手はどう思うだろう?と
振り返りつつ、この接し方でよいのだろうかと
思い返す癖をつけましょう。

支援の正解がないから
自分はできないと思い込むのはやめて話し合う癖をつけましょう。

自分を客観的に見てもらうことです。

人権侵害・虐待になる行動かどうかという視点には
常に疑問を持つべきですし、
あなたの支援は彼らのニーズに合わせ、
彼らにとって心地よい支援に近づけつつ
答え(正解)を求めてみてください、

そして、虐待や人権侵害の行為は
ひとつでもふたつでも気づきを持ち減らしていく・・・

それが支援者も「障害」児・者も

お互いの自分のより良い人生の主人公になるために

必要なことではないでしょうか?