私には口唇口蓋裂で産れその後は・・・
難聴と誤診され(補聴器まで作り一時期訓練までした)
育ちの中で知的「障害」がわかった31歳の娘がいます。
結構・・・そこのところは・・・
何度も触れているので、詳細はどこかを見ていただいたら・・・
書いているかもしれません。
現時点で、娘は30歳代の前半。
これからは心身の能力が年々低下していくことも想像しながら
これからのことを考えていかなくてはいけないのかな?って思っています。
娘は現在、就労支援所を利用しています。そして今はまだ自宅で生活しています。
本人の希望でいくつかグループホームの見学にも行きましたが・・・
なかなか場所や金額、内容に納得いくことがなかったり・・・
「ここいい」と思ったら入居は不可で・・・なかなかうまくはいきません。
よって・・・今はつくるしかないかな・・・とも思っています。
ただし・・・思っていることは・・・シェアハウスですけど・・・
今のところ夫婦は健在ですし・・・まだ何とかなっています。
2人とも、まあまだ一緒に生活できる程度には健康です。だから・・・
このうちに何とかしていかないといけません。
誰かがどうかなったときーーーでいいよーーーでは遅いのです。
中には・・・このような家族の状況を知っている人から、
「何故?」と疑問の目を向けられることがあったっりします。
なんか気を使われてか・・・
やや遠回しな言葉で、問いかけられることもあります(笑)
この人たちの疑問を簡潔に表現してみれば・・・
「元気な両親が揃っているにも関わらず、なぜ福祉に頼るのか?
福祉をやっているのに・・・本人がグなぜ?グループホームみたいなところで
生活しなければならないのか?」
ということになるのかもしれませんね。
確かに私が
「福祉業界で動くようになったのは、娘がきっかけです。
でもすべてが、娘のためではありません」
当たり前に私の答えはそうなんです。
私は福祉に結構精通しており、支援対象には娘も入ります。
実際に娘を支援することも普通にあります。
ですが、すべての目的が娘の支援をためとして・・・
福祉に就いた訳ではないのです。
私には私の人生があり、私の目標としている未来があります。
それを目指しもっと良くしたいと思っています。
だから同様に、娘には娘の人生があり、きょうだいにはきょうだいの・・・
人生をより良くしてほしいと思っています。
そして、娘のより良い人生の追求を支援することが・・・
親として福祉をつかさどる者としての・・・
私の役割であると考えてもいます。
福祉サービスも使いながら、娘は生活しています。
でもそれだけでもないそんな生活も楽しんでいます。
のんびりと好きなように暮らしているように見えますし・・・
事実そうなのかも知れませんが・・・
それは娘なりに幸せを追求する姿でもあるのかな?と思っているのです。
娘の人生は娘自身が切り拓くべきで・・・
それは決して不可能ではないはずだと私は思っています。
娘を見るたび、その周りにいるお友達を見るとき
どの子も可能性という“のびしろ”に常に気づかされています。
これからが楽しみです。