「この子らを世の光に」
福祉関係者にとっては有名な言葉です。
福祉について学んでいれば・・・
どこかで必ず聞いたことがあるのではないでしょうか?
近代日本における障害者福祉の先駆者とされる
糸賀一雄さんが述べたものです。
「障害者も健常者もともに生きていける社会こそが豊かな社会だ」
という信念のもと強い意志をもって実践を重ねられました。
最大の実績は我が国最初の複合児童施設である近江学園を建設し
「重複障害児」と向き合い実践しつつ「発達保障」など注目すべき
「問題発起」を行われました。
「この子ら」とは「障害」児・ことを・・・
「世の光」とは希望や幸福みたいなものを、それぞれ指しているようです。
「障害」のある人びとこそ・・・
社会の希望や幸福を象徴するような存在となるべき
そのように読めます。
「この子ら」その意義に気づいたら・・・
親も救われる、社会浄化される。本人も生きがいを感ずるようになる。
そしてこんなことも言われています
「略~どんなに遅々としていても、その存在そのものから
世の中を明るくする光が出るのである」
「異質の光をしっかりと見とめる人々が次第におおくなるつつある。
人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに認め合うことに
初めて成り立つということに少しづつ気づき始めてきた」
この糸賀氏が活躍した時代は1945年から1968年・・・
まだ「障害」者に対する多くの偏見を色濃くん超している時代、
社会におけるホントに先駆的な取り組みだった。
彼が訴えてきた根本的な考え方・・・・
・「障害」者の自己実現、人権
・個別的な課題と向き合いつつ発達を保障
・人々の福祉意識の変革や福祉社会の実現
こ子を組み込んだ【理念】が
「この子らを世の光に」という言葉の中に込められている。
その後長年にわたり・・・
糸賀氏だけではなく身近にも同じような活動を
されてくださる先輩方も多くなってきました。
弱者や少数派が淘汰されていた時代を経て・・・
私たちは弱者や少数派に価値を見出すようになってきました。
前者を野生的・動物的と見るならば・・・
後者は文化的・人間的と言えるでしょう。
「この子ら」が「世の光」である社会とは・・・
文化的・人間的なものが進歩していった、
その先にあるはずです。
過去よりも現在よりも、ずっと住み良い世界であるはずです。
そのような進歩の前線で・・・導線の中で・・・
私達は働いているのかも知れませんね・・・
いや・・・「働いている」んですよね。
でもただ何も考えずに・・・
嫌!!考えていたとしても何も発信せずに・・・
ただやっているだけでは・・・
これから先は1ミリも変わりませんよねーーー
じゃあ何をするのか?先人はどう動いて世の中を変えてきたのか?
鬼滅の刃・・・がヒットしてる・・・
その中にあるものは・・・
主人公はいかに
「柱になる人と絡んでいるのか?」「呼吸を合わせているのか?」
「シンクロさせているのか?」
自分がやってないことはない?やり切ってないことはない?
そんなことを日々・・・
しっかりと洗い出していくことかもしれませんねーーー