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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児・者の頑張りは感動?

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「障害」児・者の頑張る姿をみて、感動したことってありますか?

某テレビ局などではよく・・・年に1回か?他でもやってるかな?

「障害」児・者達のことを取り上げて放送してもらっていますね。

その・・・頑張る姿をみて涙する人もいます。

生死をかけた実話ドラマもあったり・・・

うちの子はちょっと目的が芸能人?ってこと・・・

自分が「障害」者であり・・・

寄付をしたい人でもある子どもが毎年観たりしています。

逆に、「障害」児・者を見せものにするような動きに反発する人もいますよね。

そしてまた面白いことに

「「障害」児・者の頑張る姿を見せものにするなんてひどい」

と言っていた人が・・・

同じ口で「頑張れーーー」と言いながら泣いているなんてこともあります(笑)

どちらも「障害」児・者を思っての・・・

自然な気持ちだとは思うんですがとても不思議ですよね・・・

私は親として

「「障害」児・者の頑張りをみて、感動することについて」

チョット考えてみました。

「障害」児・者が頑張っている姿に涙する人は多い・・・

私も、テレビで生死をかけたドラマや同じような立場の方々に

涙したことはあります。

でも・・・これは親としての共感だったり、自分を投影してだったり・・・

でも?そうでない方々の涙って何なんだろう?

「障害」児・者をみて感動してしまう理由には

「「障害」児・者は可哀そう」

とどこか思う気持ちがあるからなのではないでしょうか?

可愛そうという気持ちは・・・

自分より「障害」児・者を下に見てしまっているのではないでしょうか?

そこから

「可哀そうだから助けよう」

っていう支援のもっていき方は・・・

少し違うんじゃないかなあーーーって思っています。

可哀そうだから助けようは「自分が上」ということですよね・・・

そして「自分より可哀そう=下に見ている」と思えて仕方ないのです。

みんなと同じやり方では、同じように出来ないのが「障害」児・者なんですよね。

だから「可哀そうだね」と憐れむのではなく・・・

「じゃあ、どうすれば一緒に参加できるんだろう」

と実際は考えてほしいんですよーーー

「可哀そうだね」

で終わってしまえば・・・

結果

「「障害」なく生まれてくることが出来て良かった」「そっちの世界の人の話」

 

で終わってしまいます。


「障害」児・者ががんばる姿をみて
 
「どうすれば、もっと一緒に参加できるんだろう」
「少しでも自分に出来ることって何があるんだろう」
 
と、考えることが出来るようになれば・・・
何か行動を起こしていくことだってできて行くかもしれません。

大きな行動じゃなくてもいい・・・

すぐに行動をおこせなくてもいい。

「可哀そう」ではなく

「理解したい」と思うだけで・・・

もうそれこそが・・・考えるという行動なんですよねーーー

「障害」児・者の立場になれば・・・

「可哀そう」と思われることと「理解したい」と思ってもらえることは

大きな違いがあると思うんです。

似たような感情で

「「障害」児・者も頑張っているんだ!じゃあ、私も頑張ろう」

と思うのも、ちょっと・・・???

「障害」児・者の頑張りを見て、

自分自身を奮い立たせることは消して悪いくは無いけど…

でも、「障害」児・者達は

「私達の頑張りをみて、あなたの活力としてください」

とは思ってないですよね。

「みんなが当たり前に過ごしている毎日を・・・

なぜ私達はこんなにまで頑張らなければ手に入れることができないの?」

「私達にも、頑張ったり必死じゃあなくても

 もっと配慮される生活は必要だ」

と思っているはずです。

よく・・・「えこひいき」と「配慮や支援」の区別もつかない方がいますが・・・

「障害」児・者も同じ生きやすさを求めるのであれば・・・

特別扱いはしないという考えが浮かんでしまう人がいます。

ですが、そうした「障害」児・者の配慮について

「えこひいいき」と「支援や配慮」は全く違うものです。

 

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たとえば、

  • 外国の方に通訳をつける
  • 視力に問題がある方が眼鏡を使う
  • 年配の方が杖を使う
その地域で安定して暮らしていける生活のためのサポートは・・・
えこひいきではありません。

それと同じことが「障害」児・者もに言えて・・・

字が読めない子どもにはiPadなどのデジタルコンテンツが有効なこともある。

聴覚に過敏があり、運動会のピストルの音が怖い子どもがいるのなら

あえてピストルから笛に変えるというう配慮もやられています。

これは、支援とか配慮という人として正しい精神論です。

だから、小さいうちから出来るだけ多くの子どもに

配慮や支援について自然と身につけて欲しいんですね。

  • 「障害」があるということは「可愛そう」「出来ない子ども」と思わせるような教育
  • 「「障害」児・者が頑張っているから、自分も頑張ろう」と、関係を上下に思ってしまう道徳
  • 「障害」は、不便なだけなのに不幸だと思わせるような、努力主義を打ち出すような教育

本人の努力ではどうにもできないこともあるのが「障害」

なのに・・・努力すべきという風習があまりにも浸透し過ぎている。

何も関わり方を学ばないまま大人になるから・・・

「障害」児・者へどうかかわっていいのかわからない人が

あまりにも多いと思います。
「可哀そう」と思うのではなく、

「この人たちが、一緒に暮らしていく為に自分が出来ることってなんだろう」

と考える。

これを、支援とか配慮ってよぶのではないかなあと思います。

そう自分が「障害」児・者の頑張りに対し

「自分は彼らを下に見てないのか?」

「哀れんでいないか?」をいま一度考えてみて欲しいと思います。

彼らが自分達と同じ土俵にあがり・・・

歯を食いしばり頑張るではなく、一般的な生活を手に入れることが出来るために、

自分たちにできる事はなんなんだろう?を

考えてくれる方が1人でも増えていったら嬉しいなーーーって思います。