同じしょうがい名なのに、受けれるサービスに差があることがあります。
言葉も喋れないし自立できている事も少ない、そしてパニック行動や自傷行為や多害行為も多いので「重度」と診断されて療育手帳を貰う事ができる子
言葉は堪能ではないけれど出るし、まあ多少自立できていることもある、気持ちをコントロールできなくなることもあるけれど・・・比較的穏やかなので「軽度」ということで、申請しても手帳を貰うことができない子
でもねーーー困っていることの数は同じくらいありそうなんですよ。
「障害」と言うのはもともと目に見てわかりにくい方もいるし、そうでない方もいるけれど・・・
その中でも扱いやすい子を軽度として、扱いにくい子を重度と分けて考えるのってどうなんでしょう?
そして障害者手帳を持っている子、持ってない子
申請したのだけれど・・・
一定の知的や精神のレベルに達していないので・・・
ということで発行してもらうことができないってことも聞きます。
「障害」ということで、生きることに困っている人を助けるはずの手帳。
しかし手帳がないからということで・・・
手帳を所持している人と対等な支援を受けることも出来ない人も多い。
「障害」で配慮して貰えることはあるのだけれど・・・
やっぱり手帳を持っていること程の配慮は受けることが出来ないのは
理不尽だなあと思うんです。
障害名が同じだからということで・・・
「軽度」や「重度」の判断で
手帳が発行されるというはなんだかなあと思っているんです。
育てやすいし、支援が少なくてすむから・・・
見た目に分からないからと言う理由で
判断する側が「障害」の程度を「軽度や重度」と分けていいのでしょうか。
見た目に分からないからこそ、困っていることは沢山あるのに・・・
それに似たようなことが就学相談でもあっているのです。
幼稚園や保育園から小学校に上がるときに就学指導委員会で
発達の検査をされたうえでーー分けられることも多い。
「お母さんが地域の学校の支援級を希望されるのならば・・・
保護者や本人の意見が優先されますよ」
とも・・・言われるんですけどね
「支援学級に行く力があるのに・・・特別支援学校に行く必要はない。
それは親の意志で決めれません」
って言われることもあるらしいです。
特別支援学校に決まった親の意志は尊重されるけれど・・・
特別支援学級にきまった子どもは親の意志は取り入れても貰えないの?
って不思議に思ったんですよねーーーー
「特別支援学級に行く力がある」
「特別支援学級に行く力はない」
そういったついて行けるか?ついていけないのか?
のレベルで判断しているって言うのは何だか・・・おかしいですよね。
本当は・・・
その子どもにとって適切な支援を受けられる場を
親を交えて決めていく必要がありますよねーーー
手帳にしても学校選びにしても、そこなんではないでしょうか?
今の学校の分け方や、手帳の配布のやりかたは、診断はするけれど
「あとは日本のルールに沿って頑張っていってね~」
「まあーーーたまに手助けするよーーーだけど重度の子どもが優先だよ~」
と言われている様な気がしてしまうのではないかなーーー
同じ診断名の子どもたちを育てながら・・・
その差は一体、誰の困り感を基準に考えたものなのだろうと思ってしまいます。
自分の地域ではない特別支援学校に行った為に、友達も知り合いも誰一人いない
先生も始めて見る人ばかりだし、慣れない生活時間帯に、慣れない新しいルール。
不安が募って当たり前。
だから、様々あるのは当たり前なんですよね。
でも学校からは
「もう少し頑張って貰わないと、みんなが怖い子だと思ってしまいます」
なんて言われたりするらしいです。
新しい環境で新しい場所で頼る人が誰もいない中で1人でがんばっているのに、
これ以上本人に何を頑張らせないといけないのよーーー
と、保護者は泣いていました。
「小学校の中で一番頑張っているのは、本人。
そして、誰よりも大きな壁を乗り越えてるのは、本人だよ」
と思っています。
「診断」だけうけてサポートが足りていない子どもっているんです。
身体の在り方でサポート方法を決めるって・・・
いいことだとは思えないなあと思うんです。
身体や精神の在り方(病名や目に見える症状)ではなく、
その子どもにとって困っていることがあれば助けてあげればいいじゃない?
サポートが必要なら助けてあげる必要があるでしょって思うんですよ。
なんで、それがわからないかなあーーーってことばかり・・・
そうしたことに悶々としている方が多いんですよね、
それはきっとこの辺だけではないですよねーーー
あなたの地域ではいかがですか?