
私は、自分の母が嫌いです。
こんなふうに言えるようになるまでに、どれだけの年月がかかったでしょうか。
子どもの頃、私は母に叩かれました。
お灸をすえられ、火傷するほど熱い思いもしました。
何をしても「できて当たり前」。
少しでもできないと、
「他の子はできるのに、あんたは・・・」と比べられ、否定される。
「私」の思いや希望なんて、通るはずもなかった。言っても無駄だった。
思い通りに動く私だけが「価値がある」
そんなふうに扱われて育ちました。
子どもの頃より、もっと苦しかったのは「母になってから」
だけど——そんな事より・・・
本当に苦しかったのは、子どもの頃ではないかもしれません。
私が障害のある子どもを産んだあと、
母の態度はさらに冷たく、厳しいものになりました。
「どうしてこうなったのか」
「世間にどう見られるか」
「恥ずかしい」「体裁が悪い」
私自身が苦しんでいるのに、
母は“私の大変さ”ではなく“世間体”ばかりを気にしていました。
子どもの命と向き合いながら必死だった私に、
投げつけられるのは、非難と責めの言葉ばかり。
10年たっても変わらないその態度に、私は心がどんどん擦り切れていきました。
そして今、介護の段階になって思うこと
年老いた母。
「うちで看るようにする」と決めてから、同居が始まりました。
でも母は、変わらない。
わがままで、自分中心で、
すべてを自分の思い通りに動かそうとする。
私の時間も、生活も、感情までも。
すべてを支配しようとするその姿に、
「またあの頃と同じだ」と胸が苦しくなります。
周囲からはこう言われます。
「病人なんだから、優しくしてあげて」
「1日でも長生きできるように…」
その言葉を聞くたびに、私は思ってしまうのです。
「私は、母にどんな風に育てられたか?知ってる?」
「今さら“いい娘”でいる必要ってあるの?」
「早くいなくなってほしい」とは思わないけれど
私は、母に対して「死んでほしい」なんて思っていません。
でも——
「距離を取りたい」というのが正直な気持ちです。
母の言葉や態度に飲み込まれてしまうと、
私は私でいられなくなるから。
母を嫌うことに、どこか・・・ずっと罪悪感がありました。
でも今は、そう思ってしまう自分を、
少しずつ許せるようになっています。
なぜなら私は、
母のようにはならなかったから・・・
そう決めて生きてきたから・・・
私は、もう繰り返さない。
母に傷つけられながらも、
私は、私の子どもに対して、ちゃんと愛を注ぎ、向き合ってきた。
それはきっと・・・完璧じゃない。
でも、母のように暴力をふるったり、人格を否定したりはしなかった。
あのときの私が一番欲しかった「見守るまなざし」を、
私は子どもに向けることができたと思ってる。
だから私は、自分に言ってあげたいのです。
「もう十分だよ」
「あなたは、よくがんばってる」
「“嫌い”って思うことは、弱さじゃない。正直さなんだよ」って。
終わりに:母を許さなくてもいい。私が前に進めばいい。
母は、変わらないかもしれない。
私の痛みを理解することはないかもしれない。
でも、それでいい。
私が、私の人生を生きるために。
私が、私の子どもを守るために。
「距離を取っていい」
「嫌いと思っていい」
「その中で、私らしく幸せを選んでいい」
そう思えるようになった今、私はようやく
「母の支配から自分を取り戻す」道を歩き始めています。




