
「次は何をするんだっけ」「もっと効率よくできないか」
「あの人はどう思っているだろう」
頭の中がいつもそんな言葉でいっぱいだった時期があります。
そんな私に、「今ここにいること」の大切さを教えてくれたのは、
言葉をもたない一人の子どもでした。
「結果」を求めていた私
地域活動を始めたころ、私はどこかで「成果」を求めていました。
今日のイベントは成功だったか。参加者は満足してくれたか。
次につながる関係が作れたか。
自分個人からの行動であったとしても、
心のどこかに「ちゃんとやらなきゃ」という緊張感が
いつもありました。
そんなある日のことです。
砂をさらさら流し続けた30分
その子は、活動中ずっと砂場の隅に座って、
手のひらから砂をさらさらと流し続けていました。
プログラムには参加しない。他の子とも関わらない。
ただ、砂が指の間を流れていくのを、じっと見つめている。
最初、私は「何か声をかけなきゃいけないかな?」とも思いました。
「一緒に遊ぼう」と誘うべきか。それとも別の関わり方があるか。
でも、そっと隣に座って同じように砂を触っているうちに、
気づいたら20分が経っていました。
何も話さなかったし・・・何かを「した」わけじゃない。
なのに、なぜかとても満たされた気持ちでいっぱいでした。
「何もしない」が、何かだった
後から気づいたことがあります。
あの20分は、私はずっと「今ここ」その場にいました。
次のプログラムのことも、参加者の評価のことも、何も考えていなかった。
砂の感触と、その子の横顔と、静かな時間だけがそこにありました。
その子は何も「教えよう」としていなかったはずです。
ただそこにいただけ。
でも私は、その子の隣で、
長い間忘れかけていた何かを取り戻していました。
「今ここにいること」それ自体が、十分に意味を持つ。
結果を出さなくていい。何かを「してあげ」なくていい。
ただ、その場に一緒にいること。
一緒の時間、空間、環境を共有すること。
ただ、それだけで、人と人の間に温かいものが流れることがある。
急がなくていい、という気づき
障害のある子どもたちと関わっていると、
「待つ」という行為を何度も学びます。
言葉が出てくるまで待つ。動き出すまで待つ。
その子のペースが乱れることなくその時が来るまで、
ただ静かに隣にいる。
現代の社会は「速さ」を求めます。
とにかく忙しく日常が回っている。
早く結果を出すこと、効率よく動くことが評価される。
でも、待つことを覚えたとき、世界の見え方が少し変わります。
急がなくていい。今この瞬間に、すでに十分なものがある。
その感覚が、私の「自心の輝き」の根っこにあるものだと、今では思っています。
あなたも今日、
ほんの少し、誰かの隣でただ「いる」時間を、
少し作ってみてください。
キット、何かに気づくきっかけになるかもしれません。




