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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

相模原事件と私そして。。。

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今回は私の話から始めます。

私はそろそろアラカン57歳です。3人の子どもがおり、

「障害」者と言われる子どもを筆頭に、弟、妹の3人子どもがいます。

自分自身は2人きょうだい。歳も離れ異性だったこともあり

一人っ子同士のような関係。

私はずっとではないけど・・・

世間体が大切な母との関係性があまりよくない状態で育ったので

引っ込み思案で主義主張のできるタイプではなく、人の顔色ばかり見て

どちらかといえば・・・ひっそり生きていきたいタイプでした。

 

でも結婚して・・・子どもをもって・・・

その子が「障害」児で産れてくると・・・

覚悟して生きていかなくてはならないことが多く

「ひっそり」なんて無理無理!!

この子のために私が前に出ていかなくては・・・

盾になりときには矛をもっていかなくては・・・

って子育てになったときから・・・私は変わっていきました。

ショッピングセンターでも映画館でも公共施設でも・・・

どこにでも外出していました。

「障害」児が生まれてからの我が家はいろいろありましたが・・・

そのためにさらに私と母の関係性はさらに根深い違和感が付きまといました。

「人に話すな」

「なんていわれるかわからない」

「なんでこんなことに・・・」

そんな言葉が容赦なく私にかけられていったのです。

今では、ほかの子どもや私を加えた家族形態であれば、

レジャーにもショッピングにも普通に行けていますが・・・

そこに至るまでは数々の「子育て」についての衝突もありました。


母が、愛情を持って子どもに接していることを、私は知っています。

決して娘を愛していない訳ではありません。

母自身“きっと自分のできない”ことを意識しており、努力はしているのです。

障害者(障害そのもの?)への拒否感・抵抗感のようなものが、

母の心の奥底に、深く根を拡げているのでしょう。

(私も出会わなければどうだったかわかりません)

きっと克服したくても、情愛だけでは“削除”できないほど、

その根は今もどこかしぶといようです。

 

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少し前に起こった相模原障害者殺傷事件・・・

その時に何かで見た本だったかコラムだったか?忘れてしまいましたが

書いていたことを思い出しました。

2016年7月に起きた相模原障害者殺傷事件での、朝日新聞取材班による

報道などがまとめられていたと記憶しています。
前代未聞のこの事件は、社会に大きな衝撃をもたらした。

障害者福祉をめぐるさまざまな問題を浮き彫りにし、

犯行を招いたとされる“優生思想”の風潮、大型入所施設の是非、

重だ度障害者たちの実態などが浮き彫りにされました。

私が気になったのは・・・

殺害された障害者たちの実名がほとんど報道されていないところ。

そして、実名公表を拒んでいるのが、被害者の遺族たちであるということです。
亡くなった被害者に対しては・・。

それぞれ遺族家族としての情愛を抱いていたはず。

それでも、個々人の名前を明かすことはしませんでした。

私は私の母と、相通じるものを感じていました。
深刻さの度合いは大きく異なるものの・・・同じような思惑

「障害のある身内の存在を世間に知られたくない」

との思惑がうかがえてしまうからです。

その思惑の根を深く深くたどっていけば・・・

もしかすると・・・

障害者の排除を実行してしまった加害者の

メンタリティにまで至るのかも知れません。

罪に問われ、それを償うべきは、もちろん間違いなく加害者本人です。
ただ、事件が起きたこの社会の“土壌”から・・・

加害者も被害者も生じており、そうである以上、

私たちの誰も無関係ではいられない現状だと思っています。

このことに触れ、私は母について考えながら・・・

私が「障害」児・者に出会っていなかったら・・・

など深く考えさせられました。

そして事件と自分が“地続き”であることを思い知らされました。

これは他人ごとではない、

 

「障害」児・者の家族が子どもを殺める事件が福岡でもありました。

それもきっと・・・地続きなんです。

考える根底は人の心の奥底・・・掘り起こさず蓋をしている

根深いモノなのかもしれません、