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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

尊厳死を考える~ALSの患者さんの死を知って~

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ちょっと前にセンセーショナルな話題がありました。

難病であるALS患者女性の依頼を受け、薬物を投与して殺害されたとして医師2人が逮捕されるというものです。

私は全国にALS患者の知り合いもいて・・・

みなさんがどんな思いでこのニュースを見られたのかな??

って思いました・・・

様々な個人的な見解はあるかと思いますが・・・

ただ、この事件で色々考えることがあって…
私もひとり親として…
そして、支援の力をかりないと社会生活が成り立たないであろう子どもを抱える子ども達の親の会として考えました・・・

今回の事件は、難病ALSで筋肉が動かなくなり・・・

自身の生活の質に辛さや生きにくさを感じて

「人生を終わらせたい」と願ったことが発端だったようですが・・・

想像してみたこともないけれど・・・あえて想像してみる・・・
筋肉が機能しなくなり・・・

ベッドでずっーーーと横になっている毎日・・・

それも経過はよくなることはない(今のところ・・・)

維持ができるか?悪化するしかない毎日

もし自分がそういう状態になったら、どうでしょう??

意識はあり目も見えているけれど・・・全く動くことが出来ず

そのままケアを施されながら数十年生きるとなったときに・・・

どう思うでしょうか?

(これも周りの環境や暮らし方にもよりますねーーーきっと)

可能な限り生きたいと願う人もいるでしょうし
反対にもう人生を終わらせたいと思う人もいるでしょう。

この思いに関して良い悪いなんてないと思うのですが・・・

その後者である

「人生を終わらせたい」

と思う人を苦しみから解放してあげたいと思う医師が今後また出てくれば、

今回みたいな事件は・・・また起こってしまうのかもしれません。

安楽死は今の日本では、制度として認められていません。

どんな状態であろうと、可能な限り治療されていきます。
たとえ、残りの人生をずっーーーとベッドの上で送ることになったとしても、

沢山の機械やチューブをつけ可能な限りの医療を施し生かされます。

本人が延命治療を望んなかったとしても・・・

その家族が何を言おうとも・・・

なぜなら、そうしないと医師は今回の事件の様に

犯罪者にされてしまうからです。

私たちの会員さんの中にも・・・シングルマザーやファザー

お子さんが2人とももしくは3人とも「障害」・・・

全介助・・・知的、精神、引きこもり・・・まだまだ様々・・・

 

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そんな家族としての立場や環境の中で、

親が生涯寝たきりの状況になったらどうなのか?

(こういうこともあり得ますよねーーー)

でも考えるだけで辛すぎます・・・

(コロナの時期mこんな話はしょっちゅうしてます)
色んな考えが頭の中を駆け巡りますが・・・

みなさんはいかがでしょうか?

もうこの両手で子どもを抱きしめることが出来ないこと、

子ども達が困っているときにすぐに駆けつけてあげることができないこと・・

そう思ったら胸が締めつけられます。
そのとき・・・

親としての自分を子ども達はその時どう思うのでしょう。

寝たきりで声を発することすら出来ない私が生きている事

子ども達の生きる邪魔にならないだろうか?

これは親として、すごく深く考えます・・・

子ども達にはいつも自分の人生を生きて欲しいと願っています。本人たちもその願いがわかっており・・・

そのように生きています。

その為に私自身も自分の人生を生きるべきだと思い・・・

生きています。

何より考えたくないですが・・・

もし自分の家族や大切な人が、そうした難病になった場合どうなんだろうか?

私自身には・・・迷いがありながら・・・

でも・・・最愛のわが子の安楽死を選ぶことはきっと絶対にできません。

もし

「もう延命治療はしないで欲しい」

と、子ども達が望んでいたとしても・・・

なかなか

「じゃあ、本人の意思を尊重してください」

と言えるかどうかをはっきり言える自信は私にはありません。

ずっと、生きていて欲しいそう願ってしまうからです。

でも、この際に最愛の人を不幸にしているのは・・・

他の誰でもない…私自身なんでしょうねーーー
本人は・・・

「もう生きたくない」「苦しい、いやだ!!もういい」

と、苦渋の決断をしたのにも関わらず・・・

私はそれを迷ってしまう・・・

たとえ親であろうと・・・

自分の人生を誰かが決めるというのはときに残酷です。

海外ではオランダは2002年に初めて安楽死を合法化しました。
その後、ベルギー、カナダ、ルクセンブルクでも合法化しました。

アメリカでも、一部の州では安楽死が認められています。

スイスのようにはっきりとした法律はありませんが・・・

「利己的な動機」以外の自殺ほう助は処罰しないという刑法解釈から

安楽死を容認しているところもあります。

でも日本ではなんとなく・・・

こうした安楽死の問題を論議することすら良くないことという雰囲気があります。
とても大事な事なのに・・・

個人では決めることが出来ず・・・

国や政府が決めることといった風潮があるように思います。

知り合いが自殺未遂をしたとき

「この子の命はこの子のモノだ・・・きっと何か死にたいほどのことが

あったんだろう・・・」

って言った人のことを思い出します。

いずれ迎えるべき

「家族の死」「個人の死の在り方」「自分自身の人生の終え方」

きちんと向き合って考えておいた方がいいですよね・・・

だれもが産れてきたら必ず迎える「死」について・・・

考えておくべきじゃないかな~と思っています。
海外に行った友人が言ってました。

日本では知らず知らずに自分の事を誰かが決めている場合が多いって

外国の人と会話したり、海外に出てみる事で明確になったって・・・

自分の意見を言うことになれていなくて、

自分の主張が多数派なのか?少数派なのか?を気にしながら会話を進める民族、

日本人。自分の意見を持つこと、自分のことは自分で決める力が、私たち日本人には足りてないって・・・

じゃあ、誰が決めているのか?

それは・・・風習や国、グループで決めるといった文化が

強いんじゃないかなーーーって・・・

そうした、風習みたいなものの延長線上に・・・

今回の事件もあるんじゃないかな?

と思ったりもします。

シングルマザーやファザー、「障害」児・者がいる家族、

そして身寄りがなく頼る人がいない人にとっての終末期医療って・・・

根が深い問題だと思うんです。

そして、誰もがいつか必ず向き合わないといけない問題でもあります。

もちろん、本当は生きたいのに殺されてしまうような事が

あってはならないし、安楽死を推奨しているわけではありません。

ただ、人間はいつか必ず人生を終えてしまうものです。
とても大切な事なのに、論議する事をはばかっている場合じゃない。
そんな風に思っています。

「自分の人生の終え方を考える」

ここ大事だなーーーって思った出来事でした・・・