「無理!できない!」「私には難しい」
「障害」児・者が、そう言ってきた場合、
本人がそう言っているから、
無理なのか?できないのか・・・と思ってしまい、
無理強いしてはいけないからという観点から、
本人ができないことは、やらせてはいけない
と思う支援者も多くいらっしゃるのではないかと思います。
「できない」「無理」「難しい」という場合、
そのことをする一連の流れの中で、
どこか一部ができないだけであったり、
ただ、本人に自信がないだけであったり、
したっことがないことに不安だったり
私たち支援者が考える
「全部できないのではないか?」
というイメージとは違い、
ほんのちょっとの部分だけに
支援を入れればできる方も多くいらっしゃいます。
「できない」「無理」「難しい」という言葉を、
私たちが単純に表面的なことで受け取ってしまうと、
そのことは、ずっと経験もせず、
できないままになるかもしれない・・・
その方の可能性をつぶす行為でもあることを自覚しましょう。
その言葉をどう解釈するかは、
私たち支援者に与えられた課題なのです。
さて、人の行動というものは、
一連の流れの中で、行われていて、
細かく分析することができます。
例えば、
トイレに行くにしても、
服を着替えるにしても
作業をするにしても、
お料理をするにしても、
これって小さな動作の連続であり、積み重ねなのです。
その中で、
難しいからできないのではなく、
気持ちでできない場合もありますし、
自信がないからやらないという選択をする場合もあります。
さらには、
ある1か所だけクリアできれば、
すべての行動がスムーズにいく場合もあります。
どの部分ができないのか?
どうやったら、できるようになるのか?
本当はしたくないのか?気持ちがのらないのか?
もしくは、本当はしたいのか?
違う形ならできるのか?方法なのか?
「できない」「無理」「難しい」といった言葉を聞いたときに
支援者は、
上記のような疑問を常にたくさん持って欲しいと思います。
「できない=支援をしなくてよい」
ではないからです。
そして、様々な質問やお話をする中で、
本人の本当のニーズをとらえ、
本当はしたいのであれば、必要な部分に支援をし、
したくないのであれば、また別な支援を探すことになります。
一連の流れの中で、
どこかにできないことがあると、
そこだけ支援をいれれば、できるようになるかもしれません。
チャレンジするのに勇気が出ずに、
気持ちの面で、できないと思い込んでいるだけのときもあります。
「できない」「無理」「難しい」という言葉を言葉通りに
受け止めるのではなく、
「できない」「無理」「難しい」という言葉に、
ふと疑問を持てる支援者が、
そのニーズに寄り添うと言うことなのだと思います。
そして、本当は、したかったんだよ、
できるようになってうれしいよ!
という変化を導き出していきたいと思いませんか?
全部ができないのではなく、どこかができないだけ。
全部が嫌なのではなく、どこかが嫌なだけ。
全部を変えて欲しいのではなく、ちょっとだけ変えて欲しいだけ。
「障害」児・者が、
自分の本心を安心して話せるような環境、自分でいるように
支援することが大事ですよね・・・
なんでできないと思ったのかな?
そう・・・常に
考えられる支援者になっていきましょう。