私って「障害」児育児をしてきて・・・
割と小さなころは一生懸命だったけどーーー
でもねーーー。途中から・・・ホントにやらなかった・・・
んーーーそれが「ベスト」だと思っちゃったんですねーーー。
私が関わることが娘の「生きる力」をだったけど阻害するって・・・
彼女は他のこと一緒・・・
周りの環境の中で生きていきたいんだなーーって・・・
同い年の子、地域の人たち、行ってみたいところ・・・
その子のその年齢のやりたいこと、興味関心・・・
彼女は同じようには出来ないことだらけだったけど・・・
やはり同じようにやりたいんだなーーーって
できないながらも「真似」をして「教えて」を言って・・
親の私の言うことはやらないのに・・・
先生の言うこと、友達の言うことをとても大切にしていた。
いいことも悪いこともみーーーんな彼女は家庭以外の外側から
一生懸命学び取ろうとしていた・・・
だったら・・・私はサポートするだけ・・・
私は娘が自転車を乗ることも教えていません。
だけど・・・私の目の前で
「のれたよーーー」って乗れるところを見せてくれました。
運動がすごく苦手なので私は特に常用もせず・・・危ないし・・・
いわば・・・諦めモードだったんです。
(眼中になかった。。できなくてもいいこととして)
これって私の価値観だったんです。
「乗れなくても困らない」確かにそうでしょう・・・
だけど彼女はたぶんみんなと乗りたかった。
補助輪付きでは明らかに遅いから・・・
たぶん他のお子さんより2~5年くらいできることに差があります。
・・・というか生涯できないこと・・・
追いつかないことだらけ・・・が実態なんです。
でも彼女が「できたーーー」って大声で笑って
とびっきりの笑顔だったおの日のことは忘れることができません。
階段を上手に乗降できるようになったのは、何歳だったでしょう?体も小さくバランスも悪い子でした。1段1段慎重に上る、両手をついて上るそんな子でした。
運動神経が決して良くはないのに、すごくやる気は満々なので1度やりたがると
何度も何度もやりたがる特徴がある・・・まーー非常に頑固なのかもしれません。
常に転んで覚えさせる、失敗から学び続ける・・・って感じでしょうか?
転んでもケガしても・・・やりたい気持ちが強い。
ただし・・・勉強については・・・早くに諦めモード・・・
そこは親としてサポート・・・でも決して「教えない」
私は「教えない」
教えるのは・・学校であり友達であり彼女の周りの「環境」
であるべき・・・だから私は「コーディネーター」に徹しました。
「ドリルできなくて落ちてるんですけど・・・どうしましょう?」
「給食が食べれないのはどうしましょう?」
「今後の進路はどうしましょう?」
「友達とのlこんな関係どうしましょう?」
「この行事の参加の仕方はどうしましょう?」
常に相談・話し合い・・・個と環境のマッチング・・・
有り難かったなーーー
だから大人になった今・・・
上手に彼女は自分の身の置きどころを考えられるようになっている。
子ども時代って戻ってこない・・・
だからこその今の体験・・・子ども時代・・・
ぜひ・・・楽しんでほしいなーーー
で・・・学んでほしいなーーって思います。