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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」児でも誰でも育児のゴールは?

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「障害」児を育てていると・・・

いつまでも続く世話に疲れてしまい

 

「何のために育児をしているんだっけ?」

 

と本来の育児の楽しみを見失いそうになります。

 

周りのママ達と自分を比べると・・・

どんどん子育てに解放されて自由になっていく周りに比べて

 

「私は、いつまでもこの育児をすればいいんだろう」

 

そんな風に思ってしまうこともあると思います。

残念ながら「障害」児の育児とは・・・そうしたもの😢

早くもっと生きやすい時代になってほしい!

ずーーーと思い願い動いてはいるのですが・・・なかなか変わりません・・・

 

でも「障害」児もそうでない子どもも、育児のゴールは結局一緒。

 

よく育児のゴールは「自立」と言われていますが、

はてさてそうでしょうか?

 

「育児のゴールは、その子自身が幸せになること」

 

まあ当たり前で簡単に聞こえますが・・・

これって親という生き物は実際に育児現場に立てば

そうしたことを忘れがちになるんです。

 

幼児期は・・・まだ遅れが気になる程度ですみますが、

学校に入って一律の教育がスタートすれば

周囲の子どもとの差が気になり、熱心に指導や教育をしてしまう親も多いのが

現状です。

親が子どものためと思って学力や生活スキルの向上を目指すのは、

子どものことを思った愛情だとは思いますが・・・

実際子どもが求めているものとは違うことも多い。

子ども達が親に求めているものは・・・

教育や指導ではなくて・・・親にしか貰えない愛情だったりします。

それにも関わらず・・・

親は周囲から遅れをとらないことそのことこそが

この子の幸せに繋がるのだと思って走り続ける(私も考えたことあります)

実際によその子と自分の子を比べるようになると、

子どもにとっての幸せとは何かを考えることすら出来なくなってしまう

それが親なのです。

なぜ?そんな幸せに対する考え方が親と子どもでこんなにもズレてしまうのか?

 

私達は

「高い学歴さえあれば、高い給料を得れる職を手にする事が出来る」

という時代に生きてきた親です。

だからわが子の将来もきっとそうに違いないと思いこんでいて

それに必要なスキルを与えようと必死に思います。

子ども時代の無邪気で貴重な時間を奪ってまで・・・

高い学歴を得るための学びを与えようとする。

自分の価値観の中でどうにか生活資金を削ってまで投資しすることが、

その子どもの幸せに繋がると本気で思っているんです。

でも、それは私達親が生きてきた時代の幸せの価値観であって、

今の子ども達が大人になったときの幸せとリンクしていくとは

私には思えなくなってきました。

 

昭和生まれの私の生きてきた時代は


「学業に力を入れて、いい成績を残し、いい大学を出て、

いい仕事を手に入れる事がこの子の幸せ」

 

という風潮だったと思います。(三高なんて言ってましたから(笑))

そうした親の理念に基づいて行動している子どももたくさんいました。

(それにあてはめられようとしていましたが・・・そうはなれなかった)


これからも、学歴が高い人が高い給料を得れる時代は残っていくかもしれませんが、
でも以前に比べれば成立しにくくなっていくのではないかなと思います。

私は、社会人となり大きな企業が倒産していくのをたくさん見ました。

大手で安定と言われていた企業がとても不安定になっている姿も

リストラも合併も・・・現在も目の当たりにしています。

いずれ、憧れの職業と言われているところも・・・

業界ごと一気に無くなる日もあるのではないかとも思っています。

昭和うまれの私達が

 

「親の言うとおりに、勉強してきて今は最高だ!」

 

と言っているのを私は聞くことがありません。

じゃあ、親が子どもに与えてあげれる幸せって何でしょうか?

幸せは

 

「未来の幸せをつかむために、今足りない部分を補うこと」

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今しかできないこと、今しか手に入らないものを感じ取っていくことだと思います。

(私はここを「障害」児をもって注視してきました)

子ども達が周囲に遅れをとっていることに

劣等感を感じさせる時間を作ることよりも・・・

何か楽しいことを考えワクワクする好奇心をチャレンジにする力にすることが

出来れば・・・大人になったときの自己肯定感がもっと変ってくるかもしれない。

それに、

「失敗は×」

と教えるよりも

「失敗から得れるものは成功ばかりより遥かに気づきが大きいこと」

を子どものうちから習得できれば・・・

大人になってからの不安感だってかなり軽減するはずではないですか?


でも、育児をしていると・・・
そうしたことにさえ・・・気づくことが出来なくなってしまうのが
「親」という生き物。

親は、子どもを一律の授業について行かせることが、子どものためになると

本気で思ってるのだから、それもある種の愛情なんです。

でも・・・とても辛く残念で悲しい愛情なのです。

がむしゃらに、今を犠牲にして・・・

まだ誰にもわからない子どもの将来を親が勝手に決めるのは、

大きすぎる罪のような気がしてなりません。

 

みんな子どもの自立に向けて子育てをしているわけですが、

一般人の自立と「障害」児の自立は、少し定義が違う様に思います。

「障害」があるということは、誰かの助けを借りながら生きていく必要がある。

だから、一般の方のように稼いだお金で自分だけの力で生活していくことを

自立としてしまっては、その道のりが険しすぎ遠すぎます。

よって「障害」児の自立とは・・・

「辛い」「困った」「苦しい」「手伝って下さい」

と言えることが自立に繋がっていくと思います。


「~をしたい」
「~を自分の力で行いたい」
「~にチャレンジしてみたい」
と、希望を支援者に伝えることも「障害」児・者にとって、自立と思っています。
そうした「自立」のためには「依存先」が沢山あることが大切です。

自立と依存とは相反することに聞こえますが・・・

本人の依存先がたくさんあることで

「ここがダメだったら、ここに頼んでみよう」

と何度断られても折れない心が、「障害」児・者の自立に繋がっていくと、

私は思っています。

これはどんな人にもいえますよねーーー

 

「ここがダメでも、こっちの作戦がある」

 

といったことがあれば、何かに誰かに執着しなくてもすむ。

「障害」児の子育てのゴールとは・・・

「その子どもの幸せを願うこと」。

簡単に聞こえるけれど・・・

生きる時代が違い、複雑な愛情関係にある親と子どもの間では

とても難しいことなのだと痛感しています。

私自身も愛情が偏っていないか?そ重すぎないか?自己中心的ではないか?

と日々反省しながら確認しながらの必死の毎日でした。

自分の生きてきた時代の幸せではなく・・・

子どもが何を幸せと思うのか?考える力も親として試されています。

 

これも育児の醍醐味なんじゃないかなあと思っています。

 

育児のゴールは、結局・・・「その子の幸せ」

どの子どもも「共通」

でもその経過と道のりを見直していく・・・

それが親の最大の課題なのではないか?そう思います。