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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

お金の豊かな使い方  ~ しょうがい児から考えること ~

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先日、しょうがい児のお金の使い方を学ばせたいというブログ記

事をFacebookで見かけた。

 

そうねーーーーそんなこと考えた。

 

知的しょうがいのわが子・・・

(今だ、文章は支離滅裂だけど・・・だいたい言いたいことは解る

計算は計算機で、はかりも使える、時計も大体・・・)

 

彼女は、小学校をほとんど自分のクラスで学んだ。

全く授業がわからなくても、みんなと一緒にいた。

1・2年生はそれでも何とかいっていたのだけど・・・

(全然できませんでしたけどね・・・)

 

 

3年生は、算数・・・

 

「ドリルどうする?買う?やめとく?」

 

って特担から連絡。(別途お金がかかるから・・・)

 

「いや、みんなと一緒でいいよ。だって、うちの子だけな

いなんて変やん」

 

「別の教材ってこともあるかなって思って」

 

「ありがとうございます。別のモノが

いるときは別途請求して買ってください。

いるものはいるでしょうから・・・

ただ、ドリルはみんなと同じものが自分にはないって

悲しいと思うから・・・そのままで」

 

って言った記憶がある。

 

で、彼女は解らないそのドリルをどうしたか?

 

みんながドリルの時間になったら

 

みんなの真似をしてドリルを出す。

 

みんなが始めたら自分もやる。

 

ただし、答えはテキトーーーーーー。知ってる数字(笑)

 

でも私はそれでいいと思ってた。

 

みんながやってることをやろうとする。

みんながやっていることに参加する。

みんなが座って勉強するときは座って同じように鉛筆を動

かす。

 

それが彼女の学びで、私達親がつくってやれない

同学年の子ども達の中での“学び”だと・・・

 

勉強は帰ってきてこの子のペースで見てやればいい

1日頑張って疲れたらゆっくり寝ればいい

 

ただ、私たちには、この瞬間に出会う友達だけは

こんなにたくさんつくってあげれない

この時間は今でしかできない

私は、学校にはそこだけを求めていた。

 

だから、クラスで算数が

 

「ここくらいで限界」

 

と思ったとき、先生に電卓を教えてほしいといった。

そして、クラスで

 

「何でずるい。」にならないようになぜ?この子には電卓なのかを

みんなに伝えてほしい。

 

「いいな・・・ずるい・・・特別」にならないように・・・

 

とお願いした。

3年生か4年生だったかな~~~

 

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給食も咀嚼の関係でなかなか食べれないものが多くて

先生方がしんぱいしてくださったこともあった。

だけど・・・

 

「何も食べれないわけではないし、食べれない本人の問題だから、お腹が減ったならなんか食べる努力をしないと・・・。それで、1食くらい大して食べれなくても死にはしませんから・・・大丈夫です」

 

と言っていた。

 

給食の問題では、自閉の子が給食を食べれない(ばっかり食の偏食)

で自宅から好きなポテトフライや唐揚げとかをもってきている。

と、ある先生から聞いたことがあった。

 

 

その時、凄く私は、違和感があった。

 

 

「先生は周りの子に何て説明してるん?

この子だけ“特別”でいいなあになってないの?」

 

って聞いたら

 

「みんな、いいなあ」って言ってる。と・・・

 

「で、それに説明できるん?できんのならやめた方がいい

ね。だって、この子が“特別な子”ってみんながおもうんじ

ゃない?」

 

っていった記憶もある。

 

良かれと思ってやってくださっているのかもしれない。

 

それは、保護者も望んだのかもしれない。

 

でも、私は地域の学校に来てみんなと一緒を望んだのなら

アレルギーや除去食ならともかく・・・

 

それは“合理的配慮”ではないと思う。

 

ある学校では牛乳全くダメな自閉症児にスポイト1滴から

卒業時には飲めるようになった事例も聴いた。

 

無理やりではないけど、

生きていくため(どんな天災や災害があるかわからない)の

それぞれの努力は必要だと思う。

それが教育ではないだろうか?

 

 

 

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・・・・・でお金の話。

 

彼女は3年生くらいからお金をもって(祖母からお小遣いをもらったりしたとき)

近くのドラックストアに買い物に行った。

千円札はたくさん買えるとは認識。

2~3個買っては小銭。また新しい千円札・・・を繰り返していた。

 

私は、働いていたので帰ったら

玄関にトイレットペーパー、ティッシュボックス、インスタント麺、お菓子

溶けたアイス等々が並んでいるときもあった。(笑)

(役にたちたいと祖母からのお金を投下したみたい)

たくさん買って、さぞ、楽しかったことだろう。

 

でもね・・・って色々話をした。(ちょっとプチ切れ)

 

アイスは冷凍庫に入れないととか・・・

お金の使い方の話・・・

(プチ切れも、先生や友達から役に立とうと思ったんよ、かわいいやん。と言われ冷静さを取り戻す) 母も人に助けられる。ありがたい・・・

 

彼女は小銭をお札にってことを何回も繰り返していった。

 

あとは、学校の先生との連携、

中々500円玉と50円、5円が理解できないのが最後まで残ったかなーーーー

これは練習あるのみ・・・

とにかく支払いは、行くとこ行くとこで全て出させていった。

 

電子マネーは使わせない。

お金の価値と支払いが一致するまで・・・

(これくらいは電卓効果もあってできそうな兆しがあったので・・・)

 

中学までに100円単位?までくらいは支払いOK

高校生で10円単位かな?5円までいけてたか?

で・・・知らないうちに成人まで位には・・・って感じでした。

 

長いといえば長い。だけどできるようになった。

たくさんの人の手をかりて・・・

 

Facebookで書いていたことも・・・確か同じようなことだった。

うちよりもっと早くいい方法でできてる感じだったけど・・・

 

大切なのは

要は、

“人の力をかりること”

 

そう!!誰でも人の力をかりて生きている。

それが、たくさんであればあるほど

“人生は豊か”なのかもしれない・・・・