うちの娘(現在31歳が)
小学生のころ・・・
まさか娘が・・・
學校の宿題や勉強に対して、こんなに使命感があるなんて・・・
面白いなーーって思ったことがありました。
「ご飯食べる前に宿題やる」「明日の宿題やる」
「お母さんが帰るまでに宿題すると喜ぶ」
セリフはなんとなく断片的にしか覚えていませんが、
宿題を「やらなきゃ」という使命感を
娘から感じられる言葉を聴いたことがありました。
少し前の娘からは想像もできなかった姿だったなーーー。
そんな姿を見て少し頼もしくなり微笑ましくも感じました。
宿題をめんどくさがってる感じや、嫌がってる感じはありません。
全く答えなんてあっていないし・・・
なんとなく埋めているだけなんです。(笑)
でも娘が頑張っている姿を見ると涙が出ました。
娘が幼児のとき、保育所に通ているとき・・・
この娘の姿を想像できていたかな?なんて・・・
今思えば、保育園もなんだかんだ娘は自分なりに周りを見て
加配の先生と共に順応し成長してきました。
小学校でも・・・
「できない」そんな思いを抱えていたのか?いないのか?
娘は周りと共に様々なことにチャレンジし
トラブルを何度も繰り返しながら・・・
何度もその状況をそのときそのときでクリアしてきました。
今振り返ると・・・そのときは必死で・・・大変で・・・
日々目まぐるしかった・・・それほど日々・・・
様々なことが起こっていたから・・・
謝る、お礼を言う、謝罪を受ける、謝る、謝る、お礼を言う・・・
そんな感じの毎日でした。
そのたびに学校の先生と
「どうしたものか?」「どうしたらいいか?」「どう動こうか?」
そんな密なやり取り・・・何度繰り返してきただろう?
「なんでそう思うんですか?」「どうやったら理解されるだろう?」
そんなやり取り・・・
「どうやったらできるかな?」「この子の将来に何が今大切だろう?」
ほかの子達とは違うこの子ならではの成長・・・
そこを一緒にたくさん考えていただいた。
3~4年生のギャングエイジと呼ばれる時期・・・
ここでも大きく成長したなーーー
親がやったわけではない・・・
全て「学校」という環境と「友達」の存在・・・
言わないまでも
「同じようにやりたい」彼女からはその意欲をいつも感じていた。
体力的に難しい・・・そんなことも彼女は力の限りやっていた、
(疲れて他の時間に寝ていたけど)
算数ドリルみんなと一緒・・・だけど・・・数字をてきとーーーに羅列・・・
はい・・・ここで提案・・・
「電卓覚えさせて使わせてください」(昔にしては斬新でしょ)
できないことよりできる手段があったらそれを使わせて・・・って・・・
「でもお願い・・・この子だけいいなーーーずるいなーーー」
にならないように先生説明してくださいね・・・ってお願いしたっけ・・・
今日・・・ふとまたこれを思い出した・・・のは
ある子の宿題を見てて・・・
「今ってドリル専用のノートがある」(゚д゚)!
えーーー(゚д゚)!・・・ってことがあったから・・・
こりゃあ考える力弱るんじゃない?
みーーんな一緒のノート??不思議だねーーー。
時代って??これでいいのか??そう思いながら・・・
昔を思い出した私でした・・・