よくご相談でお話を聞く機会があるんだけど・・・
私もよくつらい話に耳を傾け・・・
ウンウンとうなずいて
「わかります」「一緒の体験あります」
と答えることなんかがあったんだけど・・・
その「わかる」には、どのような意味があるのでしょうか?
ホントに相手の気持ちの何が「わかる」のでしょうか?
最近よく言葉の定義合わせが重要!!って聞くことがあって・・・
私も考えさせられることばかりで・・・
「わかる」という言葉の意味は・・・
「過去に自分も同じような思いをした経験があるので・・・
あなたも同じような思いなのでしょうね」
というような・・・
意識していなくても・・・なんとなく文脈やニュアンスなどを考え合わせれば、
このような解釈に至るのではないかと思います。
ですが・・・実際に自分のつらかった経験だけでは・・・
相手のつらさなんて理解することはできません。
自分と相手は一緒じゃあない異なるのと同じように・・・
自分と相手の“つらい”もきっと・・・一緒じゃあない異なるからです。
福祉専門職としての学習で・・・
私は「共感」と「同情」の違いを教わりました。
共感(empathy)は、相手の感情を自分のことのように感じ・・・
相手の身に置き換えて?身になって考える行為です。
同情(sympathy)は、自分の経験や価値観などの枠組みから・・・
相手についてこうではないか?と判断する行為です。
相手を本当に理解したいのであれば・・・
相手の気持ちに寄りそう共感の姿勢が大切なのは当然のこと・・・
そして、本当に共感の意味や大切さを知ると・・・
きっと安易に「わかる」とは言えなくなるでしょう。
福祉現場に身を置いていると、会員さんやご家族、また福祉関係者から
深刻な話を打ち明けられることがあります。
自分自身は気をつけているつもりでも・・・・
ついつい。。。
「わかりますよ」
と口走ってしまうことのある・・・なんと・・・あさはかな私。
そんなときは・・・後で自分自身に
「本当にわかってあんなことを言っていたのか?」
と自分に問いを投げかける・・・
人はわかったつもりになったときに大きく間違えてしまう・・・
常に自分を疑え!!
自分はとことんわかってないのだと・・・
そして目の前の相手から素直に学ぶ・・・
とかく・・・「障害」児・者に関わっている方々を見ると
できないこと・・・頑張らせることに目が行きがちで・・・
どうにかマイナスをせめて0まで持ってくる・・・
そんな意気込みが見え隠れしていることがよくある。
でも・・・そんな・・・マイナスにいつも目を向けるのではなく
そのマイナスと思われている面がプラスになるかも・・・
そんな発想・・・で・・・・
常にプラスの発想を明確に自分の中に持つこと・・・
これが大事だなーーって思う。
人を見るときの自分の視点・・・
その人の強みをいかに見つけられるか?
それにかかっているのではないかなーーー
そのためにも自分の在り方、考え方・・・
いつも「問い」を立てることを忘れてはいけないなーーー
って感じている!!