私は・・・自分自身が幼少期。。。
根暗で消極的で物事をはっきり言えなくて・・・
いつもおとなしい子だった・・・
手がかからいとは・・・違うのだけど・・・
だから・・・自分の子どもが生まれたら・・・
「アルプスの少女ハイジのように天真爛漫で子どもらしくて
言いたいこともはっきり言えて・・・優しくて明るい子どもに育てたい」
ってずーーーっと思ってた・・・
その願いは・・・「叶わなかった」って・・・
最初に「障害」児の彼女を見た時に・・・そう思ってしまった・・・
(とーーーっても人生を悲観していたからなー--)
ところが・・・子育てをしていく中で・・・
私がずーーーっとずーーーっと願ってきた・・・
「アルプスの少女ハイジ」
その姿が・・・彼女に投影して見えてきたのは・・・
そんなに遠い未来ではなかった・・・
彼女が・・・そんな子どもになっていった要因の1つって
体験体感だなー--って思う。
彼女は知的にも「障害」があったので・・・
知的を「机上」で・・・学ぶって言うのは・・・
何だか効率がわるいよなー--って子育ての中で感じていた。
描くことは好きではあったけど・・・
「知的理解とは違うなー--」ってかんじていた・・・
でも・・・学ぶことができないわけではなくて・・・
でも・・・学び方は・・・きっとみんなと一緒じゃあ
ダメかもしれないって・・・何となく幼児の時から感じていた・・・
だから・・・感覚というか?体感?というか・・・
そこからこの子の「学び」は始まった気がする・・・
そこには・・・大人としたの私の「あり方」が大きく影響する
とも感じていた・・・
だから・・・私はこの子のために・・・
「根暗」「消極的」「そこそこ主義」「考動しない」
を捨てて・・・
一緒に「育ち」を楽しむことにしたのだ・・・
それは・・・今までの私を・・・「変える」学びの時間にもなっていった。
スーパーで落し物を見つけたら拾って店員さんに言う。
(見て見ぬふりをしない)
迷子になったらレジに行って迷子になりましたっていう。
(ちゃんと言えないからニュアンスで・・・)
お食事を外でしたら「ごちそうさまでした」ってレジで言う
(これ・・・随分見知らない人に褒められてました)
募金で人が立っていたら自分の財布の小銭を必ず入れる
コンビニやスーパーでも同じ・・・募金箱にも
(小銭の計算ができないときには・・・財布が小銭で
たくさんになってるから・・・でも限度額は10円までの小銭
って決める。全部入れちゃうんで(笑))
大好きな動物の募金は500円まで・・・よく札を入れて・・・
やりたいことがやれなくなっていたから(笑)
この間・・・ヘルパーさんから
「一緒にコンビニに買い物に行って・・・募金箱に入れないの?」
って言われて・・・はっとした・・・って言われました。
(人に強要してはいけませんって言いました(笑))
「私が勉強になりましたー--」って・・・
他にも多々やってきたことってあります。
「挨拶」「手伝ってください」「教えて」
やはり・・・この子は「体験」「体感」型でしたねー--
子どもによってこれも様々だなー--って思います。
でも・・・まずは「質」より「量」
大量行動が・・・この子達の未来を変える!!
私は自信をもってそういうことができます・・・
「量」の後には必ず「質」がついてくるって・・・