私も、いい母親像があったときがありました・・・
いや、憧れていた・・・なりたかったです。
でも、なれなかった(笑)
正確には言うと私が思い描いていた「理想の母親」とは?
がそもそもだったのかもしれませんし・・・
また「子ども達が求める母親」が違い過ぎていたのかもしれません(笑)
でも実際に、子ども達が求めている母親像はきっと…(勝手な想像含む)
- 自分の特性を理解してくれる母
- 生きにくさを抱える自分達を理解してくれる母
- いつも笑っている母
- いつも守ってくれる母
- 自分らしく生きているイキイキとした母
まだまだありそうですが、この辺りなのではないかなーーーと思います。
子ども達の求める母になりたい。
母らしくもだけど大人として尊敬してもらえるような親に
その方がお互い心地よいとも思うしね。
自由を求める子ども達のように・・・
私も自分らしく自由を求めて使命を感じながら生きることにしました。
具体的には・・・
「母親だから」「〇〇ちゃんまま」といった、
枕詞をつける生活を辞めました。
私は今は仕事がほぼフリーランスなので、時間の組み換えに融通が利きます。
時間を組み立てることができるので
家族の時間も自分の時間もスケジュールを組み込んでいきます。
まーー時間があるようでなくて・・・
夜中も土曜日も日曜もなく働いていますが・・・
はたから見れば「障害」児・者がいながらも自由人に見えているかもしれません(笑)
小さなころは
「子ども達はどうしているの?」と言われたこともあります。
しょっちゅう連れ出して一緒に考動していることもありました。
(預かりや保育使いながら・・・)
もちろん(障がいがあるのに)は言葉にされることはありませんが、
聞こえてくるかのように感じたこともあります。
(私にとっては・・・だからこそやらなきゃいけなかった)
批判の声だけでなく、心配や配慮の声だってあるし、
質問の裏に隠された気持ちは賛否両論だったことでしょう。
でも小学校高学年の子と親が別々に行動するのは、そう珍しくないことで普通のこと。みんなにとっての普通のことは、私にとっても普通。
「障害」児の親だから・・・という枕詞も時と場合・・・
誰に何と言われようと「私は私」として生きていくようになりました。
「休日くらいは、子どもと過ごさなければ」
「親子なのだから、触れ合う時間を長く」
ここをきちんと確保する最低限のことはやってきました。
参観日は必ず参加、子どもの行事参加、1人の子どもに1回以上の役員をやる
土日どっちか家族時間確保・・・など等・・・
ストレスを感じやすい家族の絆や生活を守るため、ひとりの人間として自分の自由も確保するようにも努力してきました。
周囲から見ると、我が家の暮らしぶりは「大変」に見えたり
「変わってる」って見えたりしているかもしれません。
でも目指していることがある。目指しているモノがある。
「障害」児・者と言えど、それぞれ違うし
うちの場合・・・日本語の読み書きや計算、英語も一部できる。
それらの学びをゲームやネット、友達その他を通じて学んだ彼女なら、
これからも本気で好きなことと向き合えば夢が実現するんじゃないかなーーー
とも思っています。
みんなと同じルートで生きなくていいから・・・
彼女の好きなことを見つけることが出来たことを、
喜びに変えて形にしていって欲しいなーーーと思います。
それを形にするお手伝いをこれからもやっていきたいと思っています。
彼女の好きな時間・・・
カフェにいくことや、可愛らしいお洋服を身にまとうこと、映画にゲームセンター、カラオケも好きです。
今ある好きなことを、何かの制限がかかり諦めなくていい大人でいられ続ける
といいなーーーと思っています。
そして、それを諦めなくてもいい社会にすることをやっていかなくては・・・
働きづらいとされている「障害」児・者のお母さん達・・・
(今はずいぶん福祉制度に助けられているかな?)
私は「諦めない」選択の中・・・様々な社会資源を使いまくり今があります。
(25年以上前になるなーーー)
私が「障害」児・者に関わる中で学んだこと・・・
- 生き方を見つめ直せる
- 知らなかった世界を知ることが出来る
正直、ひとりでは、大変なことの方が多いですし
心が折れてめげそうになることもたくさんありました。
でも1人でないとわかり自分の殻を破って
「助けてくれる人たちがいる」ってわかってからドンドン救われ
やることもどんどん明確になっていきました。
支えてくれる多くの人に出会えたことに、
今の自分の人生に・・・ありがたさを感じています!感謝!!