
「放置されて育った」――
この言葉には、物理的な世話の欠如だけでなく、
“心の置き去り”という深刻な側面があります。
食事も学校も与えられていた。
でも、気持ちを受け止めてもらった記憶がない。
安心できる言葉をかけてもらえなかった。
こうした“心の放置”は、子どもの中に見えない傷を残します。
そしてそれは、大人になってからの人間関係や自己肯定感、
さらには社会との関わり方にまで影響していきます。
■ 放置されて育った子どもが抱える“見えない課題”
食事や衣服など、最低限の世話はされていても、
心が置き去りにされる――。
それは、子どもにとって
「自分は大切にされていない」
「私の気持ちはどうでもいい」
という無言のメッセージになります。
その結果、成長してからこんな傾向が見られることがあります。
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自己肯定感が低く、いつも自分を責める
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人との距離感が極端(近づきすぎるか、離れすぎるか)
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承認欲求が強く、認められないと不安になる
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感情コントロールが苦手で、怒りや悲しみが爆発しやすい
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恋愛や人付き合いで相手に依存してしまう
特に重いケースでは、「自分は生きている意味がない」と感じるほど、
存在そのものへの否定感を抱えてしまうこともあります。
■ 放置の傷は「心の麻痺」として残る
長年、誰にも気にかけられなかった経験は、
やがて“感情の麻痺”を生みます。
喜びも悲しみも感じにくくなり、
「何をしても虚しい」「生きてる実感がない」
という状態に陥ることもあります。
支援現場では、この“心の麻痺”を抱えたまま大人になった人が
社会でつまずきやすいケースをよく見ます。
「怒りや不満を表現できず、溜め込みすぎて爆発する」
「他人との距離をつかめず、孤立してしまう」
これは決して“性格”ではありません。
幼少期に「安心して甘える」経験を奪われたことへの反応なのです。
■ 男女で見られる違い
🧑🦱 男性の場合:一人で完結する“一匹狼型”
放置されて育った男性は、他人に頼ることが苦手です。
小さいころに「助けてもらえなかった」経験があると、
「どうせ誰も助けてくれない」と思い込んでしまう。
結果として、感情を閉じ込め、
“自分の中で完結する”生き方を選びがちです。
周囲から見ると冷静で強く見えますが、
内側では孤独と自己否定に苦しんでいることも多いのです。
👩 女性の場合:依存と他者優先のループ
女性は逆に、「愛されたい」「必要とされたい」という気持ちが強くなります。
幼少期に満たされなかった愛情を、
大人になってパートナーや友人に求めすぎてしまう。
その結果、
「嫌われたくない」
「私が我慢すればいい」
と、自分を抑えて相手を優先してしまう傾向が出やすいのです。
「依存的」「情緒不安定」と言われる行動の背景には、
“愛されなかった痛み”を埋めようとする心の叫びが隠れています。
■ 福祉の現場で感じる「放置の連鎖」
私が関わってきた障がい児・発達特性のある子たちの中にも、
この“放置の傷”を抱えている子が多くいます。
家庭で「どうせ言っても聞いてもらえない」経験を重ねた子は、
支援者の声かけにも反応しにくい。
それは、信じられないから・・・
“どうせまた放っておかれる”と感じているからです。
そして、この放置の傷は、
世代を超えて連鎖することもあります。
「自分も親からかまってもらえなかったから、どう接していいかわからない」
そう言って涙ぐむ親御さんを、何人も見てきました。
■ 「放置の連鎖」を断ち切るために
子どもを変える前に、まず大人が変わること。
それが、最初の一歩です。
親も支援者も、
“見守る”と“放置”は違うということを忘れないでください。
見守るとは、
「あなたを見ているよ」「気にかけているよ」と
安心を伝えながら自立を支えること。
放置とは、
「関わることをやめること」。
結果的に、子どもは「孤独の中に放り出される」ことになります。
だからこそ、私たち大人ができるのは、
“少し気にかける” “話を聴く” “存在を認める”こと。
それが、心の再生の第一歩になります。
🌿私からのメッセージ
「放置」は、誰かを悪者にする言葉ではなく、
“気づきのサイン”として受け止めてほしい。
あなたが誰かを気にかけた瞬間、
その子はもう「放置されていない」んです。




