「あー-なんかうまくいかない」
「なんだかモチベーションが上がらないよー-」
「もう何をやりたいんだかわからなくなっちゃった」
今・・・そんな毎日を過ごしたりしていませんか?
私もかれこれ15年くらい前に、そんな事態に陥っていたことがありました。
養護助教諭として、日中中学生を相手に働き、「障害」児者団体のコミュニティ代表として動き、土日は両家の父母の病気介護で病院や施設めぐり
今考えると超人的なハードスケジュールの日々
毎日毎日仕事に行く前に、仕事は嫌いではないのに、
ゲーゲー嗚咽をあげながら職場に向かっていました。
この時の私は
「どれも欠くことはできない」
「仕事もコミュニティも介護もどれの大事」
そう思っていました。
周りに
「すごいね」「頑張るね」「よくやってるよね」
そう評価されることに陶酔している自分がいたのかもしれません。
けれどそんな月日は長く続けられるわけがありません。
仕事はこなせてもコミュニティが、介護に周りながら自分の心身が・・・
どこか崩れていく・・・
「あー――うまくいかない」
「なんでもっと効率的にできないかなー-」
「もう疲れちゃったよー――」
愚痴に不満、悲壮感・・・ぐるぐると負の連鎖
そんなとき病床の父が
「こんなとこまでいつも来なくていいよ」
「お前は忙しいんだし無理はするな」]
って・・・
「そんなこと心配しなくて大丈夫よ、休みの時くらいしか来れないからさ」
そういう私に
「いやいや、お前には今.助けなければいけない人ややるべきことがあるはず
お父さんのことより目の前の人たちへ、今やるべきことをやりなさい」
末期がんで余命いくばくもない父の言葉。
「あー――そうかー――」
私は“手放す”こと“捨てる”ことができてない。
入れるばかり、抱えこむばかり・・・それを美徳としていた・・・
そこから私は誰にでもできることから“手放す”“捨てる”と決めました。
仕事をやめ、病院に行く回数をきょうだいと手分けしうまく回していきました。
私の使命はコミュニティの代表、ふくしやとして生涯生きていくこと
そうだ、そう決めていたんだった。
「障害」児者のより良い未来のため、誰もがイキイキと幸せに生きていける
“共生社会の実現”“共生のまちづくり”
私の使命とコミュニティのビジョン。
父が他界して13年・・・
「私は今やるべきことをやっています」
みなさんは今やるべきことができていますか?
還暦前の私から今、この投稿を読んでいるみなさんへ
「あなたが今、やるべきことをやりなさい」