「障害」児・者の人権って考えたことはありますか?
最近「障害」者の訴えの中から・・・
んーーー考えさせられるなーーーって
思うことがあります。
私の「先生」は。。。いつも問題提起をしてくれる人です。
だから・・・日々・・・周りにいる利用者さんや相談に来られる方が
私の「先生」なんですねーーー
そんな中で「障害」児・者と話をしている中でこんなことがあった。
「私はこうありたい・・・これをやりたい・・・
けれど・・・お母さんが・・・」
「話したい・・・だけど・・・聴いてもらえない」
これは・・・相手の方にしてみたら
やってないわけではないと思います。
やってる・・・だけど・・・お互いの重なる部分がずれてる・・・
双方と話してみるとよくわかるんです。
そのずれのポイント・・・
聴いてるつもりで肝心なところを聴いていない・・・
なんてねーーー
事業所などに入っていても
「言葉」って「意識」って・・・って思うことがあります。
「あの子はああいう子・・・」
「あの子は家庭環境が・・・」
んーーーだから?
「どうしますか?」「どうかかわっていきますか?」
「よりよくする方法は?」
みたいな感じ・・・ですかねーーー
大切なのは・・・事実を知って“予想”“憶測”ではなく・・・
どうするのか?何をしたらいいのか?
よりよくする方法を考え[考動]することです。
言葉にするってなかなかどうして・・・深い・・・
「言葉」は不自由です・・・
だからたくさん「話す」を意識しないといけない・・・
丁寧に丁重に「聴く」「話す」の作業がいる・・・
「聴く」「話す」からしか生まれてこないこと・・・
たくさんあります。
ホンのちょっとの「会話」からその人をわかったと思うことは危険です。
人は「深い」
ずーーっと「わからない」存在なんです。
ときに私がかかわっている「障害」児・者は・・・
もっとです・・・
「言葉」が流暢でないことが多い・・・
考えを上手に話せなかったり・・・
思ってもいないことが口から出ることもあります。
中には・・・言葉を持たない子もいます。
上手に言葉にできない分・・・
行動に出て・・・目の前の人に向かったり、モノに向かったり・・・
激しい行動に出ることもあります・・・
だから・・・わかったふり・・・は危険なんです。
「私はこの子達のことを理解できずらい立場にある」
常にそう思っていないと・・・
「あーーあの子ね・・・そういう子だから・・・」
「あーーあの子自宅の環境のせいだから」
って・・何かのせい・・・誰かのせい・・・にして
考えることをやめてしまう。
そこからのお互いの「成長」はありません。
そこで・・・終了です・・・
人間関係がよくなることはないでしょう。
気持ちを言葉にするのは難しい。。。
「言葉にできないのは考えてないのと同じ」
ある経営者の方から言われて事があります。
私達(導く)「聴く」立場にあるモノは・・・
「言葉」を大事にしないといけない・・・
外に向かう言葉だけではなく内なる言葉に目を向ける。
その習慣がとても大事・・・
ここ・・・どれくらい意識していますか?