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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

しょうがい児者の【きょうだいじ】の関係って・・・パート2

 


 

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昨日に引き続き・・・きょうだい児のこと・・・

10歳離れた妹は、いたって自然体の19歳

小さなころから・・・ん~~生まれる前から

(私の学習会や様々なところへでかけたりしていたのも

聴いていたかな?とよく言われた。)

・・・と生まれて数カ月から、いろんな学習会や会議に

籠やバギーで参加していたのもあり

大人や年上の人への物怖じがあまりない・・・(みんなに可愛がられてきていた)

また、本会に小さなころから参加していたので

さまざまな個性の子に早くに出会って、それが“ふつう”で生きてきた。

保育所のとき、クラスには自閉症の子とダウン症の子がいた。

帰ってくると

 

「まだ、歩けなくて(ダウン症の子)お尻で歩くんだよ」

「〇ちゃんが、走っていったら追いかけたらいけないの・・・だってもっ

と遠くに行くから、そして高い所にいったりして危ないから、すぐに先生

に知らせるんだよ」

「〇ちゃんが“キーキー”いってるときには傍にいったらいけないんだよ。

だって、ひっかいたり、ものが飛んできたりするから危ないの・・・」

 

「へぇ~そうなんだ」

って良く聴いていた。

それが良いとか悪いとか、変とか違うというとらえ方ではなくて

「少し歩けるようになったんだよ」

「モノをあんまり投げなくなって、よく笑うようになったんだよ」

と成長をよくみてもいた。

 

ある日、姉と彼女を迎えに行ったとき

友達が数人寄ってきて

「なんで、あんたのお姉ちゃん、そんな変な顔してるん?」

と質問してきた。

私が答えるべきかと話そうとしていたら

「うちのお姉ちゃんは生まれたときから病気で何度も手術してるんよ」

「そうなんや」

「だから、大変やったんよ。ねえ~お母さん」

「まあ。。。そうだね。。。」というと

「そうなんや、可哀そうやね・・・」

って何を聴くまでもなくピューっと行ってしまった。

 

まあ、まだ4歳くらいだったか・・・

まあ“可哀そう”から入ってもいいか・・・まだ4歳だしとは思ったが

彼女のさっさと簡潔に答えを言う感じ・・・に

親としても“ほお~”って感じだった。

 

さまざまなことがあった。

小学校のときは肢体不自由なこと一緒のクラスで

映画に一緒に行ったとき4年生くらいだったか?

私と別行動をして

「映画館前に〇時ね」と

私が少し早めについて「おそいな~」と待っていたら

時間ギリギリに歩行器から足を浮かせた彼女を猛スピードで

押してくる彼女の姿・・・(/ω\)

「セーフ」って二人でケラケラ笑って

(観ている私は肝が冷えて凍りつきましたがな・・・)

 

中学校では

「今日クラスで授業中に、突然立って“ぼくはĀDHDです”って言った子がいてね」

「それって何なん?」

・・・・・・・説明・・・・・・

「フーンそうなんや。」

「で、それを聴いて先生は何て言ったん?」

「今、ここでなんでいったの?なぜ言おうとおもったの?いってよかった

の?みたいなこと・・・」

「で?本人は何て?」

「急に話したくなって、病院の先生は言っても言わなくてもどっちでもい

いって言ったみたい・・・・」

「それで、どう思ったん?」

「ん?それが何かはよくわからなかったけど

〇は〇だし、なんも変わらんよね、ちょっとかわったこと含めて、

それが〇やん。って友達と話した。」

「そうなんや・・・お薬飲んでるとしたら眠くなったりボーっとしたりす

るかもね~そん時は寝かした方がいいよ」

「そうなんよ。よく寝てるから・・・先生もそう言ってた」

 

中学校からの進路を決めるとき、彼女は

公立の推薦入試で“普通科福祉コース”を選択した。

正直、嬉しいような?

それでいて、

私や環境が彼女の選択を狭めたのではないか?

選ばらざるを得ないような環境ではなかったか?

そう感じていた。が・・・彼女の志望動機は

「母を尊敬しているから・・・」(泣)だった。

先生にそれを聴いたとき、恥ずかしいやら嬉しいやら

しっかりしなきゃと思った。

 

無事、高校に入学し、彼女の高校生活は“波乱”の連続だった。

もともと感受性が強く、不穏な空気に弱く

小学校で学級崩壊したときは崩壊前から熱をだし

しょっちゅう早退を繰り返していた。(帰ってしばらくするとよくなる)

友達関係で1年で苦戦し・・・退学かも・・・

に追い込まれていったが・・・

沢山のみなさんのおかげで

1年を乗り越え、校長先生からも

「あの苦しさを乗り越えたから、お母さん2年生からは、もう大丈夫ですよ」

と言ってもらい

卒業式の日、退場のところで校長先生自ら手を差し出し

握手をしていた。

 

そんな娘も今では大学生。

「あの時、助けてくださった皆さんのことをわすれず感謝しなきゃいけないよ」

とお世話になった皆さんには全て挨拶にいき

現在はファッション関係にすすみたいと勉強しているようだ。

高校卒業後ヘルパーができる資格を持っているため

大学に行きながら、知り合いの事業所でヘルパーのアルバイトをしている

同じ年の全介助の女の子や小さなダウン症の子等々

さまざまな学びをさせてもらっているようだ。

「楽しくて結構いいお金もらえるなんてサイコー」

って(^^♪ニコニコ(^^♪叫んでいる。

 

ちゃ~~んとお仕事してくださいね~~

彼女は青春を謳歌しているようだ・・・

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右上 彼女 左 姉  下 お友達(ヘルパーにも入っている。)