最近何だか・・・
ふと腑に落ちることがあった・・・
良く・・・
「障害」は「個性」という人がいて・・
何だか・・・それを「納得」しようとしていた自分がいて・・・
でも何だか・・・「すっきり」
しないまま・・・そんな言葉もなんとなく・・・
「ふーーーん」って感じで流していた・・・
・・・があるとき何かの本の片隅に・・・
成功者はよく
「個性」が大事「好きなこと」をやれって言うけど・・・
「個性」が認められるのって・・・
「みんなが理解でき、みんなが喜ぶモノ」
なんじゃあない?
「曖昧」なものって・・・誰も「個性」って言わない
自分一人が「個性」って言っても思っても・・・
誰もそれを「個性」って思わなければ
いくら叫んでも誰にも届かない・・・
みたいなことが書いてあって・・・
「あーーーなるほどなーーー」
って腑に落ちた・・・
「障害」=「個性」
これって・・・
「みんなが理解でき、みんなが喜ぶ」
ってことにはなってない・・・
まーーー簡単に言えば・・・
親が周りがそう理解しようと・・・しているってこと
なんだなーーーって理解した・・・
うん・・・「個性」と言えば「個性」なのかも・・・
でも・・・それが「喜ばれているか?」
私はここに「疑問」があって腑に落ちなかったんだなーーーって
「個性」って一般に「認められるもの」ってイメージが勝手にあって・・・
私は私の子どもに「個性」って感じなくて・・・
この子独自・・・ってのはあるかもだけど・・・
「個性」って他の人の多くが言うのかな?って疑問で・・・
(自分がそれで納得するなら・・・それはそれでいい)
でも「悪くはない」悪いものではないって理解していた・・・
要は私は結局・・・
「個性」ではなく「特性」だと思ってるんだなーーー
って腑に落ちたんだ・・・
まーーー「特性」ってのも
「特長」「特徴」「特性」似たような言葉がいくつもあって・・・
私は自分の「障害」者の娘に「特性」を見つけて
育ててきた・・・そう感じている・・・
「特性」・・・その者だけが持っている性質、能力、特質
言葉って・・・結構「曖昧」
でも・・・自分の本当の心理ってどこなのかなーーー
って子どもを育ててきて・・・考えることがある・・・
私も自分の子どもの「障害」=「個性」って思おうとした
時期もあったし・・・
そう言って
「みんなにわかってほしい」「知ってほしい」
時期もあった・・・
でも・・・これって「個人」ってイメージがつくのも
なんとなく・・・自分の中に違和感があって・・・
人間みんな「個」なんだけど・・・
「障害」児の娘を「個」の問題にしたくなかった・・・
そんな思いがあったのだろうなーーー
って単純に思います・・・
私は・・・「障害」児者をみるときに
「特性」ありのままをみる・・・
そこから・・・
「今・・・何をするのが効果的なのか?」を考えるんです。
日ごろ見ている子だったら・・・
だいたい30分くらいで・・・
「あーーー今ここしたら・・・バク伸び・・・」
ってだいたい分かります。
わかった=できたにもならないですから・・・
「わかった」からが「始まり」ですねーーー
小さなステップを試行錯誤・・・していきます・・・
そこがまた・・・面白い・・・
ぐんぐん・・・よくなっていくから・・・
「みーーーんな可能性一杯」「みんな素晴らしい」
そう感じながら・・・日々を楽しんでいます。