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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

40周年

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祝40周年

ǸPO法人筑紫野市「障害」児・者問題を考える会が歩んできた年月だ。

私が参加して25年くらいだろうか・・・娘も29歳になった。

右も左もわからない途方にくれる私たち親子に手を差し伸べてくれた・・・

様々な先輩。

 

40年前は、何も制度が整ってない中、運動し、交渉し、近場から全国へ

さまざまな人たちと手を取り合い

そして、さまざまなことを勝ち取ってきたに違いない。

容易ではない道のりだったはずだ。

 

私たちは、いや私は、そのレールを走っている上にのっけていただき、

言われるように、指導されるように一緒にやってきた。

 

最初は、会議に出るたび先生方が怒鳴られたり、白熱する会議に

後ろの方で小さな子を抱えて・・・

「こわ~」って小さくなっていた。

だけど、保護者には叱ることや怒鳴ることは全然なく、

むしろ優しく声をかけてくれた。。

 

白熱する会議はあったけど・・・

そこには“熱”があった。それぞれの“情熱”・・・。

 

前任者の先輩が社会福祉法人と本会の2足のわらじが難しいとなったとき

次の会長(今の理事長)を決めなければならなくなったとき・・・

たくさん荒れにあれ、もめにもめた・・・

というか25年やられた後の

“次”は荷が重すぎる・・・

誰もが2番手ならいいが・・・って感じだった。

 

白羽の矢が私へと向いたとき様々な人に説得され

「協力するから」「応援するから」「任期の間は支え続けるから」

と言われ・・・(さまざまなことがありましたが割愛)

それから15年たった。

 

最初の2年間は人知れず、泣きに泣いた。

仕事もしていたし、いっぱいいっぱいで

「25年を引き続けられない」「自分には荷が重い」「周知ができない」

と弱音を何度吐いたことだろう。

朝が来るたび仕事前に何度も嗚咽・・・苦しい。逃げ出したい。

それがどれだけ続いただろう。

 

そのたびに先輩から

「自分の思うようにやったらいい。同じようにやろうと思わなくていい」

「できないことは変えていったらいい」

と励まされ続けた。

そして、また、約束したみんなが支えてくれた。

 

そこから15年。

代表者が変わって5年ぐらいたって

やっと 考える会 = 大島さん と認知されたっけ・・・

 

時代は大きく流れ、物ごとがかわるスピードもアップした。

福祉サービスや様々な法や制度ができてきた。

情報は簡単に自分で何とかなる・・・そんな時代になった。

生きやすい世の中になっていっているのだろうが・・・

 

個人情報の保護により人が簡単にはつながれなくなった

集まる集団が小さくなり、小さな見解しか持てなくなった

それぞれが責めあうそんな関係が見え隠れする

困った子そんな目で見られ困惑している

ひとりで苦しんだり困ったりしている人が増えてきている

そう思う・・・

 

学校の様子は子どもが学校にいなくなったのでよく見えなくなった。

ただ、どこも異常な数、支援学級ができている・・・

“支援学級”その意義は・・・

 

“自分の子どもの将来をどう考えているのか”

“学校生活でしか学べない 今ってなんだろう”

“今、家族が全滅して

「障害」児者のこの子だけがのっこたら制度以外の手立ては・・・?”

 

少なくとも私は“ここ”を大切に考えてきた。

地域の中で、ここで、小さな世界の中ではなく

【生きる】【生きていく】

 

だから、うちの子は【生きていける】という自信がある。

安心している。

 

それをどの子にも、どの家庭にも

そう思っている。

 

そのためのこれから・・・

40周年の節目のこのとき・・・

かんがえていかなければ・・?かんがえっていってもらわなくては?

そう思っている。

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