子育てって
自分が育った環境が影響するのだとしたら
私は“大変な子育て”をしていたかもしれない・・・
先日
子育てに笑いと発見を~conobie~で
『大人の感覚』を捨てると育児はどう変わるか?って記事があった。
気になるある友人の子育てからと言うものだった。
その友達はFacebookの投稿で
“誕生日は大好きな息子たちと過ごすべく保育園を休ませ
ました。
ああしあわせ。子どもが産まれてからこれでいいのかな?
と考えさせられることが多く、いつも勉強させてもらって
います。”
「誕生日はひとりでのんびり」
「ダンナとたまにはランチ」
ではなく
「好きな息子たちと1日中過ごす」
という選択をする彼女に
本当に子ども達といる時間を楽しんでいるんだろうなあ~
と思っていたそう・・・
友達もみなさん
「本当に子どもと過ごすのが好きみたい」との評判。
話す機会があったときに子育てのやり方を尋ねたときに
「大人の感覚で子育てしない」
「例えば子どもが洋服をドロドロにして帰ったとするでし
ょう。すごく嬉しいなあ。
よくあそんできたなあって思ううんだよね。
あとこの汚れをどうやって落とそうか
凄くワクワクする。
酵素系漂白剤を使おうか、
アルカリウオッシュか?なにをつかう?って
考えるのが楽しいんだよね」
「小さなころから大人の感覚って本当に正しいの?って思ってた」
「楽しい思い出は糧になる。あの時は楽しかったなあは支
えになったり、人生の指針になる。その瞬間に立ち会って
るしあわせ・・・」
とお話しされたそう・・・
本人も
「汚れるのは悪いことって言う大人の感覚に捕らわれていたら確かにもったいない」
と思いマネをしたそう・・・
「大人の感覚を捨ててみよう」
帰ってお子さんがパジャマでお絵かき
クレヨンの紙を全部むいて描き始めた。
「あ~ーーー指が汚れる」
しかし、大人の感覚を捨てる修行中・・・
ぐっと我慢・・・そこに息子さんが
「紙あると描きにくいんだよね~」
(広い面が塗りにくい)
あ~そうなのか・・・とストンと感覚が落ちてきたそう・・・
自分に根付いていた大人の感覚に振りまわされず子どもの感覚も大事に
見守っていく、子どものすることには理由や、そこに付随した
楽しさがある。
子ども達が感じるその感覚と『大人の感
覚』は別物なんですね
これから、お子さんと過ごす時間の質が違ってきた。と言う話だった。
私も近所の友人の子育ての仕方に学んだひとりだ。
じゃあ、なかったら私は【暴力】を使いながら
子育てをしていたかもしれない。
それは、自分が育った環境がそうだったから・・・
彼女は、子どもが何か危険なことをしたとき
命にかかわるようなとき以外は穏やかに子育てをしていた。
寛容な子育て・・・
いつも笑顔で子どもに言葉だけで、子どもを見守っていた。
だから、その子も幼いのに人や動物や植物にも優しかったし
寛容だった。
しょうがい児のうちの子にも
できることを一緒にやってくれて
いつも笑ってくれていた。
その彼女と共に小さなころを過ごさせていただいたおかげで
私は【暴力】で子どもを抑え込むことをしなかった。
と思う。
自分の子育て感を見直せる。考えさせてもらえる。
そんな人に出会えることって
とても幸せなことだ。
私は、もう子どもは大きくなってしまったが
今でも
『子どもの感覚』って学ぶことが多い・・・
時代は変わっていっている。
たーーーーーくさんのわからないことだらけ・・・
大人も子どもも一緒に学ばないと・・・・
わかり合っていけないな・・・・って
最近よく思っている。
みなさんは、いかがですか???????