私が続けられる理由・・・
私ってこんなに「継続の力」があるんだって
ホントーーーに知りませんでした・・・
だってーーー小さなころから「飽き症」で・・・
ナーーンも続いたことなんてなかったんですから・・・
でも・・・「障害」児者のことはずーーーーっとできてる・・・
ずーーーっとやってる・・・
多分死ぬまでやるだろーーーなーーーって思う。
(実践の場ってことではなく・・・関わっていくってことね(笑))
なーーんかすごーーーく進んでる気もしないけど・・・
後退してる気もしない・・・
私は「障害」児の娘を産んでから・・・
ナーーーンか「やる気モード」に
スイッチが入ったんでしょーーーねーーー
「やらなきゃ!!」「学ばなきゃ!!」
「一緒に幸せになりたいから・・・今何やる??」
ってな具合い・・・(笑)
まーーー今まで「積極的」とは「無縁」の私が・・・
ちょーーー積極的に「チャレンジ」を始めたんです。
自分でも・・・ほーーーんと(@ ̄□ ̄@;)!!びっくり!!
やれることは何でもやる!!って感じで・・・
なんでもやっていきました。
「障害」児の親だから・・・私・・・「仕事」も始めちゃって・・・
まずは家族の説得、両親の協力依頼・・・
(30年前・・・この当時・・・福祉サービスはありませんでしたから)
理解を得るための・・・私の『決意表明』
「私は子どものために早く学校という現場を知りたいから
学校で働きたい!!」
もーーー無謀でしょーーー
ちなみに結婚前に教員の経験など・・・1度もなかったんです(笑)
養護教諭の免許を持ってただけーーー
やったのは「教育実習だけーーー」
(えーーーーそんなんありーーーー???)
でも私・・・決めてたんです!!とーーーっても不安でした
とーーっても心配でもありました・・・
心の中はドキドキハラハラしてました・・・
でも・・・ね・・・
『チャレンジ』するんだって・・・
失敗してもいいじゃん!!それって・・・やらなくて後悔するより
気持ちいいはず・・・って
子どもは、小さなころから
何度も何度もこんなに手術して『チャレンジ』して
療育して病院に通って・・・頑張ってるのに・・・
私が「諦める」とかないなーーーって
ってか・・・やっっちゃいけないなーーーって・・・
そこに「力」をもらってました・・・
だから・・・理解してもらうことも説得もなぜか??
熱意?情熱?押切り(笑)でできちゃいました・・・
周りの人からは
『ちゃんと子育てすべきだよ「障害」児なんだから』
とか
『あんなに早く・・・かわいそうに・・・』
とか聞こえてきましたが・・・
私・・・このころもーーーー強くなってたーーー
人からなんと言われようと・・・
(もーーーそれまでジロジロ見られたり可哀そうってさんざん言われてきてたし
哀れみの言葉もたくさんいただいていたし・・・(笑))
後ろ指刺されようと・・・気にならなくなってて・・・
・・・そうそう「障害」児者団体は3歳ぐらいから・・・30年
やるって決めた「養護助教諭」の仕事も・・・
2足も3足?いや4足かな?
草鞋を履きながら・・・15年続けました・・・
んーーー
ここにも自分が45歳か、もしくは50歳で
学校の仕事は終了しようと決めていた、
ちょうど・・・45歳の年でした・・・
(様々なことがちょうど数年前から起こっていて・・・
心身ともに限界でもありました)
なーーーんか・・・こうやって・・・
私の『継続の力』っていつの間にか・・・ついていっていたんです。
・・・・・明日へ続く