幸せの形って年代で大きく違うのかなー--って思う。
若いころは・・・何かをつかみたくて・・・
何かを見つけたくて・・・でも・・・
実際の日常の中では・・・よくわからなくて・・・
社会人になって・・・結婚したら幸せなのか?
って漠然と思っていて・・・
(これも周りの刷り込みというか・・・母はいつも不幸せって言ってるのに)
「だから選ぶんだ!!」「だから見極める目を!!」
そう言われ続けた・・・
正しさなんて・・・わかりはしない・・・
正しい尺度なんて持ち合わせてもいないのに・・・
結婚が幸せではないわけではない・・・
でも・・・責任や大人の自覚、様々なものを知った・・・
私は大人の年齢にはなっていたんだけど・・・
社会人としての経験もあったんだけど・・・
それだけでは・・・「大人」ではなかったんだ・・・
まだまだだった・・・
そう思い知らされての「障害」児の子育て
私は・・・できない・・・未熟・・・未完成・・・
そんな言葉ばかりがグルグル回って・・・いた
「足りない」ものばかりが目に入って
「足りないもの」ばかりを探しまくっていた気がする・・・
「足りないもの」を埋めなくちゃ・・・ただただそう思い続ける日々
それができなければ・・・私は「幸せ」にはなれない
そう思っていたっけなー--
毎日やっているのに・・・今を精いっぱいやってるのに・・・
毎日やり切っているのに・・・どうしても
ありのままの
「今を受け入れることができなかった」
でも、でもね・・・途方に暮れる私たちに・・・
手を差し伸べてくれ・・・手招きしてくれ
こっちにおいで・・・一緒にに行こう!!
できないことは頼るんだよ・・・
子どもは地域の宝・・・みんなで育てるんだよ
ひとりじゃあないから・・・そういわれて
そうやって・・・たくさんの方からさまざまな学びや恩や
優しさ。温かさを受け取ってきた・・・
だから・・・もらってきたものにさらに磨きをかけながら
学んで学んで・・・
行動して学んで・・・それを何度も何度も繰り返してきた・・・
だから。。。自分でも自分の足でもきっちりと
立てるようになったんだ・・・って思う。
その中で・・・物事受け入れる器が小さくて
ひび割れて壊れそうだったものが・・・
だんだん厚みを増して少しづつ大きくなってきた・・・って気もする。
もらったものもさらに磨きがかかって・・・
人に見せられるようにもなってきた
自分が受け入れてもらっていたことが・・・
今度は自分が「受け入れる側」になっていって
今までは「大変」「無理」「大きすぎる」って思っていたことが
そんな事例もだんだん「楽」にこなせるようにもなってきた・・・
許容範囲が大きくなってきたのかなー--
受け入れる力がついてきたのかなー--
これからは私が「残していくこと」
そこを思い描きながら・・・
次世代の子ども達が幸せにニコニコイキイキと生きていける社会へ
まだまだ・・・続く・・・継続していく・・・
そんな「幸せ」
「毎日やり切ってる??」そう問いながら・・・
これからの未来を残す「幸せ」を毎日感じていたい・・・
そう思う・・・