私が「障害」児を産んで33年以上・・・
はじめは自分のことで精いっぱいで・・・
人のことどころではではなかった・・・・
「私が世界で1番不幸だ」って思うくらい落ち込んでたし・・・
周りの人たちが子どもと幸せそうにしている姿を見ながら
羨みながら・・・どこかで「不幸になればいい」
なんて・・・思ったりしたこともあった・・・
よく「人の不幸は蜜の味」なんて・・・いうけど・・・
なんか・・・この時の私は・・・
自分より「不幸」そうな人をどこか探していて・・・
そういう人を見ては・・・
安心したり「その人よりましだ」と思ったりしていたのだ
(嫌な性格ですよねー--でもこれなんか精神理論であったなー--)
こんな時って・・・
どんな時だったかというと・・・
思い出すのは・・・「一人のとき」
周りとかかわろうとか?新しいことを学ぼうとか?
一歩踏み出そうとか?人に聞いてみようとか?
そんなことをずーーーーっと閉ざしていたときなんです。
私が「解放」されていったのは・・・
やはり・・・えいやー--って1歩を踏み出した時でした・・・
この子のために・・・
「何を言われてもいい」「殺されるわけでもないし・・・大丈夫!!」
って思うようになってから・・・なんですよねー--
そこから劇的に・・・「変わる」を体験。
「変わる」って決めること・・・それって・・・
自分が「違和感」と闘い続けるってこと・・・
やったことないことは「違和感」でしかないんだから・・・
それを受け入れて・・・「素直」に実直に学ぶ姿勢で行くってこと
私はちょっとひねくれもの・・・人を疑ったり、
素直に聞けなかったり、「だって」「でも」「どうせ」「私なんて」
って自己肯定感もあったもんではなかったから・・・(笑)
ある買いにくい自分でした・・・(笑)
だから・・・あっちにいっては「いたーーーい!!」
こっちにいっては「こけたー--」
人の話を聴いては「ナイフが刺さったー――」って・・・
いつも泣きわめいていました・・・
(世間体気にするタイプだったので心の中でか・・・
人が見てない所でね・・・(笑))
でもおかげさまで「違和感」と向き合うことが「成長」の早道だとも
気がつきました・・・
常に「やったことない」を選択すること・・・
常に同じ人や環境ではなく・・・
「新しいこと」「知らないこと」「知らない人」
「別世界の人」
そんな人の出会いや話を聴くこと・・・
同じ場所ではなく・・・県外に行ってみる・・・
日本中を見てみる・・・世代を問わず・・・
様々な年代の人の話を聴く・・・
いたー-いこと言われて「もー--やだー--」
「もー--やめたい!!」って思っても・・・
「私は何をしたいんだっけ?」
「私がここで「やめてもいいことなんだっけ?」
・・・って常に問いながら・・・ここまでyって来た・・・
・・・っていうか・・・いあっもやってる・・・
飽き性の私が・・・33年以上やり続けている・・・
「障害」児者に関すること・・・
も―――今では・・・
小さな子のママを見ては
「頑張ってるなー-」「勉強してるなー--」
「もっとこうしたら・・・解放されるなー-」
「この学びをしたらいいのに・・・」
なんて・・・わかるようになっちゃって・・・
自分が・・・たくさん経験させてもらってきたから・・・
たくさんのママや先生方や子ども達に話しができるようにも
すこー--しなってきた・・・
「教えてほしい」「話を聴かせてほしい」
といわれることも福祉現場や学校、個別・・・で言われて・・・
私が力を入れているのは「個別」だ・・・
でも・・・今は誰でもやってない・・・
私が見てて・・・「やりたいなー--」って人しか声をかけていない
そこから・・私がこれから目指すもの・・・が見えてきている・・・
また新しいステージが始まるなー--って思ってる・・・