「障害」児のわが子が行った高校は・・・
素晴らしい高校になった・・・
嫌・・・なった・・・のではなく・・・
いってる時から・・・そうだったのだと思う。
そりゃーーーソウダ!!
うちの子たち受け入れてくれたんだから・・・
「チャレンジ」してくれたんだから・・・
職員間では専願入試をしたとき
判定会議1回では判定つかず・・・2回目
入学反対と半々に近かった・・・らしい・・・
(卒業時の謝恩会で聴かせてもらった)
そんな中・・・僅差でも受け入れてくれた・・・
(実際入ってみて・・・確かに・・・そんなことを
ヒシヒシと感じる部分はありました・・・)
まー--そんなこんなで・・・定数われしていた・・・
私たちに狙われた高校は・・・(笑)( ´∀` )
今や・・・人気校になるのはおかしい???けど・・・
不登校経験者8割の・・・マンモス校になりました。
(マンモスとは言いすぎか・・・定員割れから不本意ながら
不合格者を出すしかないが正しいなー--)
そこには【私学】ならではのきめ細かい指導がある・・・
と私は思う。
時々・・・義務教育でも聴くんですが・・・
「この子にだけ・・・特別扱いはできません」って
言われたと訴えてこられる保護者から話を聴くと・・・
ん???「特別扱い」???ではなくて・・・
それって学校ですべき・・・「合理的配慮」っていうのでは?
って思うことが多々ある・・・
少なくとも・・・私は・・・まだ「合理的配慮」がない時代から
「これはやってもこの子には意味がないと思う」とか
「計算は早くから電卓を教えて」
とかお願いしてました。
(まだまだ細かくはいろいろありますが・・・(笑))
でも・・・そうやって細かく周りの方々とかかわっていた
そのおかげさまで・・・
この高校にも出会えた!!って思ってます。
校長ちゃんがおっしゃってた・・・
義務教育=学ぶ権利(だから行くべきだよ・・・行きなさい)
は大人側の主張・・・でも学ぶ権利は子ども側にある・・・
だから・・・学校に行きたくない・・・そういわれる学校って・・・
本当に子ども側に立って・・・【共感的理解】ができているのか?
大人側の都合や多人数への合理性、集団の力・・・
そんなことが働いてはいないのか?
考えなくてはいけないのではないか?って思う。
大人側の【当たり前】は本当に【当たり前】なのか?
今の子どもとは・・・
かけ離れているように感じることもあるし・・・
ここが「差別の根源かも」と校長ちゃんはおっしゃってた。
「0ベースの基準」
+でも-でもない・・・
その子どもを見るときの「フラット」な感じ・・・
この子は「ありのままのこの子」
その視点が大事なのだと・・・校長ちゃんの話を聴くたびに
再認識させられる・・・
できないことを嘆くより
できていることを認めて行こう!!
(できる手段をいかに準備していくか・・・)
誰かのためにと思って行動したことが・・・実は周りの
全員のためになっていた!!なんてよく聞く話・・・
「できてるね」「頑張ってるね」「いいね」
「それでいいんだよ」「それが・・・いいんだよ」
いつも校長ちゃんがいつもいう言葉・・・
講演の表題でもある・・・
「いいんだよ」は魔法の言葉・・・
私も「障害」児者に関わりながら・・
この言葉をつぶやきながら
寛容の精神が熟成される社会を目指していきたいと思う。