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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

私が感じる「怒り」それと「憎悪」の違いとは?

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最近「怒り」を感じることが多々あり・・・

これって「エネルギー」でもある・・・と感じるものと・・・

 

んーーーこれって「批判」「否定」「拒絶」

ではないかと?感じる事例なんかもあったりして・・・

 

自分の感じる様々な感情の中で・・・

「怒り」と「憎悪」って調べてみた・・・

 

「怒り」

これは相手と生きていくために相手の存在を認めてい雌表現

相手と一緒に生きていくことが前提の感情

 

「憎悪」

相手と一緒にいることを拒絶する感情

相手の尊厳を貶め相手の存在を受け入れたくない

一緒に生きていくことをしないための感情表現

 

ある大学講師の話・・・

「差別に対してもっと怒っていいと思う、ただし怒りと憎悪は違う」

 

そうある記事に書いてあった・・・

なるほど・・・何だか腑に落ちた・・・

 

私が感じていること『怒り』は・・・

相模原しょうがい者殺傷事件やLGBT差別発言・・・

近場では学校や地域の中での差別事象などもある・・・

 

「怒り」それは地域改革や社会改革の原動力になる。

活動の「エネルギー」にもなる。

その代表的な方が・・・私の中では「キング牧師」

 

アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として一生をささげた

キング牧師は・・・

白人至上主義者の「憎悪」と戦い続けた。

差別は許さないと激しく「怒り」をぶつけた。

しかし彼は他者に対して決して「憎悪」をあらわにすることはなかった。

私たちの存在は相互につながっている一緒なのだ

ということを・・・強調し続けた。

 

『人は兄弟姉妹として一緒に生きていくことを学ばなければならない。

それができなければ、私たちは愚か者として共に滅びることになる。

これは今日、私たちが直面している大きな問題である

ひとりで生きていける人間はいない、私たちはつながっているのだ』

 

そう彼は残している・・・

 

私が感じる「怒り」は「共生社会」を阻む『差別』にある。

よってその事象に対して「怒り」を感じるが・・・

この「怒り」はある特定の人や特定の企業や学校、施設・・・

って事ではない・・・

んーーー人格や個人をさすものではない・・・

要は・・・思想や事象に関して・・・って事・・・

 

ここをごっちゃにしてしまうと怖い・・・

個人攻撃になったり・・・人格否定になったり・・・

企業批判や学校批判になってしまう・・・

 

よくご相談に来られる時も

『あの先生が・・・』『学校の全体が・・・』

『施設の風土が・・・』って「怒り」の表現として

ときには「憎悪」のような表現も

言われるのを聴きますが・・・

 

きちんとよくよく話を聴くと・・・その中から・・・

相手の思想や思考、ある特定の事象などが出てくる・・・

要はそこが問題の根源であって・・・解決するべき問題・・・

『怒り』を向ける部分はそこなのだ・・・

と思うことがよくあります。

そこを・・・どう解決するか?

感情はその部分に対する「怒り」その表現方法を間違えると

『憎悪』と捉えられ『モンスター』と呼ばれかねない・・・

 

その整理ってとても大事だと・・・

最近・・・また考えるようになりました・・・

 

そんな秋の夜長です・・・夜明けも遅いし・・・(笑)